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4.意識の行方 1年目、10月前半


・2010年10月1日(金)


 ……気がつけばもう、秋の空気。

 9月の残暑はどこへやら、という感じだった。


「いやあ、今日から10月だね」


 右隣の椅子でどう考えてもくつろいでいる谷川さんは、さっき自販機で買ったらしいゼリー飲料をチューチューと吸いながら言う。


「ご縁も切れちゃったし、暇ったらないわー」


 ……なんの縁が切れたかなんて聞かない。

 だってこの子、モテるのだ。大方「一つの恋が終わった!」とかそんなんだろう。

 なんか意味もなく腹立ってきた。


  ――「そこで腹立つレベルになってくれて先生ちょっと感慨深いわ」


 メティスさんや。誰が先生だ。


  ――「だって美郷、私が最初あったときどんな性格だったか覚えてる?」


 根暗系暗黒女子。


  ――「一言で言い表すな。……周囲の人間に目を向ける余裕がなかったって言ってんの!」


 はいはい。いや、実際「人に興味を持てない時期」があったのは否定しない。

 時永くんとのことがなきゃ、今でも割とそうだと思う――いきなり生活基盤が崩れたんだし、そりゃあ「いっぱいいっぱい」にはなるでしょ!

 親戚の家を転々としたわけだし。

 それイコール、自分の家もなくなったわけだし?



「……」


  ――「美郷?」



 単にわたしは……『わたし自身』の、「思い出が消えていく感覚」に耐えられない時期が、一時期あっただけ。


 共働きの両親、そしてわたしの通っていた最初の小学校。

 その「休日のダブった日」は、必ず旅行に出かけることを決めていたし、そういう時に限ってテンションが上がりすぎたわたしは知恵熱を出すのだ。

 しかも、けっこうな高熱を。


 そうして泣く泣く親戚のおじさんの家に預けられるのなんか、日常茶飯事で。

 だからこそ……それが最後になるなんて、思いもしなかった。

 そのまま、住んでいた町には帰れなかった。

 ……お母さんと買い物した商店街も、お父さんの帰り道を予測して、待ち構えて飛び出すために隠れたあの大通りも、見る見るうちに記憶から薄れていった。


 そのことすら、()()()()()()()()()から。


 忘れたくないのに。消えてほしくないのに。


 日常的に見なくなったから。感じなくなったから。

 あの人たちのいた場所を、見なくなってしまったから。


 だから薄れていった。

 わたしの手からこぼれ落ちていった。

 それが嫌だった。忘れていく自覚はあったから、その感覚がたまらなかった。


 ……時間が経つにつれてなくなっていくもの、壊れていくもの、いろいろあるけれど。

 それがとてつもなく、悲しかった。

 時間は戻らない。

 嘆いても、後悔しても。


 あの時駄々をこねて、「一緒にいて」と言えばよかった。

 「あの風景」を最後に焼き付けておくべきだったなんて――そう、思っても。



  ――「美郷、大丈夫?」


「うん……大丈夫、なんでもない」

「なんかいった豊田さん?」

「ううん、ひとりごと」



 ……だから、今できることは「やる」と決めている。

 今しか見れないものは「見る」と決めている。


 ――今しか見れないもの。



「そういえば」


 わたしはふっと思い出した。校門近くの1本の楓の木……


「紅葉の見頃はまだまだ先なのかな」

「んー、この辺だとまだじゃない? ……ま、この時期から紅葉始まる種類もあるっちゃあるけど、楓なら大体11月よー? 去年はどういうわけか12月上旬に見頃がようやく来てたりもしたけどー」


  ――「去年は暖冬だって言ってたからねぇ。ずれるのも当然じゃないかしら?」


 ……あぁ、2人に言われてみれば確かに。

 それくらいの時期にワイドショーなんかで『紅葉狩り特集』が頻繁に組まれてたような……あれ?

 わたしはそこで去年時永くんといっしょに見た楓を思い出した。


「でも確か11月の中旬くらいにこの大学で、どう考えても思いっきり見頃な木を見た気がするんだけど」

「…………。」

「ねえ時永くん」


 そう言いながら、左隣でもぐもぐと昼食を食べていた時永くんを見ると……


「あれ?」

「…………」


 箸を持ったまま、ぼけっとして固まっていた。


「……ちょい」


 ……肩をつつく。額をつつく。軽く揺れる。


 少し待つが、返事が返ってこない。


「時永くん?」


 考え事でもしているのだろうか。

 ぼけーっとあらぬ方向を見ている。


「もしもーし」

「……ねえねえ」


 谷川さんがしししっと笑いながら呟いた。


「……目ぇーあけたまま寝てたりして!」

「そんなバカな……」


 そんなキャラじゃないでしょう、時永くん。

 確かにたまに予想外なことはするけど、ぼけっとしてるけど。……でもそういうホラーな特技は今のところないと思いたい。


「とーきーなーがーくーん?」


 思い切って指先のみならず、てのひらで。

 “とすん”、と肩を押してみた。 ――瞬間。


「え?」

「何、どした?」


 ――かくん、と崩れる体のバランス。

 瞬間、手を介して伝わってきた温度。

 「ヒヤッとした」。……温度の感じられない、肩口。



「……時永くん?」

「……えっ」


 もう一度呼ぶと、返事が返ってきた。

 びくっと体を震わせてわたしを見る、時永くん。ホッとする。――よかった、生きてた。


「す、すみませんっ! ……な、なな、なんか言いましたっ?」

「……とりあえず落ち着いて。話聞いてなかったのはわかったから。大丈夫?」


 具合でも悪い?

 そう聞くと、ズッと何かをすする音がした。――えっ、よだれかなんか垂らしてた、もしかして?


「……何がです?」

「いや、ぼけっとしてるから」


 苦笑しながら谷川さんがいう。


「絶対寝てたでしょ」

「……寝てませんよ」

「まぁいっか。……ねー、時永くんはさー、紅葉の時期って大体いつ頃のイメージある?」


 ……今の、肩に触れた感覚は、なんだろう。



  ――「……美郷、大丈夫?」


「うん」



 メティスの問いかけに頷いた。手がまだ、冷たい気がする。ただ冷たいだけじゃない。今のは……()()()()()()()感じがしなかった。

 感覚としては“缶蹴り”に似ている。

 中身の入っていない、軽いもの。スッカラカンの何かに触れたような。


 人を押したのではなく。突き飛ばしたのではなく。たとえば――アルミ缶をすっ飛ばしたような。



「紅葉……ですか? そりゃあまぁ……」



 谷川さんの問いにキョトンとした様子で答えつつ、彼はやんわりと、肩に乗りっぱなしだったわたしの手をはらう。その手は普通にあたたかい。

 ……あの「冷たさ」は、どこにもない。


「……11月ですよね、紅葉。大体中旬か下旬くらいかと」

「やっぱそうだよねぇ? ねぇ聞いてよー豊田さんったらさ、10月になったくらいで紅葉紅葉言ってんのよ!」


  ――「※ 報道内容に誤解を招く表現がありましたことを深くお詫び申し上げます」


「……ちょっと、谷川さん膨張表現しないでよ! わたし、そんなに紅葉紅葉言ってないから!」


 ――今のは? そう思いながらも、わたしは慌てて言葉を返した。

 話に置いていかれそうなのが分かったから。時永くんがなぜか「ふう」と呆れた目をしながら言う。


「……何、平手打ちでもしたんですか?」

「そのほっぺたに張り付いてる比喩表現のもみじでもないから!」


 というかメティスは一体何のネタを口走ってるの!

 顔をつくっていたらしい時永くんは、クスッと笑う。


「冗談ですよ。確かにそれは気が早いな」

「む……」

「……さては豊田さん、このキャンパス前にある一本楓のこと考えてましたね?」


 ……図星だ。


「まぁあの時は既に11月中旬だったんですが……それでも他の木よりはかなり紅葉が早かった記憶があるから、そうだなぁ」


 時永くんは苦笑すると、少し意外なことを口走った。


「……あの楓、もしかしたら豊田さんと性格似てるのかもしれませんね」

「ちょっとそれどういう意味!?」


 冗談を放つそれは、少し珍しい光景だ。普段はもうちょっと引き気味にわたしたちを眺めてるだけだったのに。


「た、タイミング悪いとか、KYって話なら悪かったですぅー!」

「おおーっと、それも否定はできませんねー?」

「わっははは! いったれいったれー。思えば普段から割とぼけっとしてて天然要素があるんだわその子!」


 何だと谷川さん!?

 ぼけっとしてて天然なのは時永くんも一緒だぞ!


  ――「時永くんが言ってるのは『調子乗りの慌てん坊』って意味でしょ?」


 メティスがニヨニヨした声で言った。

 ええーい、もう、メティスまで~~っ!


「って、いうかだよ、時永くんや?」


 谷川さんはいう。


「植物にそういう精神とか、哲学的な意味での性格なんてないっしょ。物言わぬ植物だよ?」

「ん、そうですか? 僕はあると思ってますよ、表現する術がないだけで」

「そう?」


 時永くんは頷く。


「もしくは表現していても、僕らと共通の言葉がないだけかもしれません。たとえば……動物や虫が、『葉っぱを食べている音』なんかを植物の周囲で流す。すると、途端にすぐ傍の葉っぱの味が変わったり、毒素が増えたり、みたいなことがあるそうです」


 どこかのニュース記事で見たんですけどね、と彼は口を開く。


「――つまり『天敵』を音で把握してると」


 ……珍しく、語る言葉が勢いづいている。


 わたしは頷いた。

 たまに時永くんってこういう豆知識というか、普段生活していく上ではあまり意味のない、でも不思議な話題を提供することがあるよね。


  ――「植木鉢に話しかける人って意外とどこにでもいるものだけど……やっぱり植物も音って聞いてるのね」


「ってことは、何」


 『時永くん提供の話題』に参戦すべく、わたしは口を開く。


「実際には『ああっ、自分が今まさに食べられてるー!』っていうのが分かってるってこと?」

「そう」


 That's right。いかにもそう言いそうな様子で彼は指を鳴らした。本当にいつもよりノリノリだ。


「人と同じような『痛み』があるかは分からないけれど、空気中や地中、それらを伝わってくる音には僕らが思うより数段、敏感に反応している……だから、そういう音が聞こえると即座に葉っぱを苦くしたり、僅かに硬くしたりして反撃するというんです。これ以上食べられないために」


 谷川さんがゼリーの口を噛みながらケラケラ笑う。


「折ったばかりのタンポポの茎が苦かったり……なんとなーくそれは分かるけどさあ」

「は!? タンポポ食べたの谷川さん!?」

「食べれるってどっかで見て!」


 時永くんは苦笑した。


「食べられるのは葉っぱですよ。天ぷらにしたりとか」

「おっけー、じゃあ次は葉っぱ食べるわ!」

「生食はやめて生食は!」

「せめて素揚げしてください」


 というか博識だな時永くん。タンポポの食べれる部位なんて都会っ子は知らないよ普通。


「……ともかく植物だって、音に反応するだけの、何かしらのメカニズムはある。耳がどこにあるのかまでは分かりませんけどね? だから自らを守ろうとするだけの動きも示す」

「うん」


 音を聞いている。それに反応する。もしかしたらその辺に生えているツツジだって、今のわたしたちの会話を聞いているかもしれない。


「それを考えると実は証明されていないだけで実際はああいう楓だったり、クスノキだったり。木にだって頭があるし、感触があるし、性格や人格があるのかも……なんて、ふと思ってしまったりだとか

「なるほど?」


 納得した瞬間、きょろりと目がこちらを見る。


「……そういうの、たまに考えたくなったりしませんか?」


 ……まあ。わたしはちらっと彼を見た。

 結構ある。だって『メティス(もっと変なの)』がいるんだもん。


「で、その『反応』だったり、息遣いなり。それを昔は見てとれる、感じてとれる――そういう人間が沢山。もしくは一部いたと仮定しましょう」


 彼はワクワクした様子で言った。


「人の頭って使ってる領域、意外と少ないですからね。進化したように見えて退化した部分って、必ずあると思うんですよ」

「……うーん」

「そして自分の感じた『物言わぬ精神性』をどう言い表したか。そういう人たちはきっと……」


 子どもっぽく笑って時永くんは言った。


「俗に昔から、『()()』と言い表していたんですよー……なーんて」

「…………。」

「…………。」

「あ、どうかしました?」


 ……いや、まさかそこにつなげるとは。

 民族学とか昔話とか、確かに時永くんってその辺の専攻だったように思うから……イメージ的にはぜんぜんおかしくもないんだけど。


「ほら、山を神様に仕立てるのも実際よくある話でしょう? 世界各地で『自然の中には妖精が棲んでいる』という伝説があるのはその名残、とか……」

「はあー、なるほどー」


 谷川さんが唸った。


「……時永くん、そういう系かー」

「どういう系ー?」

「『理屈を組んで』、それでもって『空想する』のが巧い人ってこと。……リアリティじゃなくてロマンとかフィクションのほうに行く」

「ああ、否定はしませんね」


 時永くんは頷いた。


「――だから本が好き?」

「ええ」

「――だからゲームが好き」

「そうですね」


 時永くんはもう一度頷いて、逆に聞き返す。


「谷川さんはどうなんです?」

「あたし? まあ、理屈っぽいのは好きだよ? でも植物――特に、雑草? そういうのに性格とか擬人化とか……あんまり、考えたくないなあ」

「ないですか」

「ないかなー。だってさあ」


 ずぞっ、とゼリー飲料が切れた音がした。


「もしも……もしもだよ? 音だけじゃなくて、()()があったら?」

「うん?」

「人の痛いとは違うけど、もし、『嫌だ』という感覚があったら?」


 あ、それはありそうだ。


「……精神的な痛みですね?」

「そう、そういうの。感覚があるって考えたら可哀想じゃん。生花店の切り花とか、R-18なわけじゃん」


 ……あ、なるほど。


「可哀想だからそうとは考えたくない。……なんだ、結構優しいですね、谷川さん」

「そっかな。見ようによっちゃ、現実見てないだけだと思うよ?」


 メティスがひそひそと言う。


  ――「なんか……真逆だけど普通に会話してて面白いわね、この2人」


 ……そうだね。仲良さそうかも。


「牧場に社会科見学に行ったら暫く肉食べれなくなるタイプの子いるでしょ、あんな感じ」

「……なるほど」


 時永くんはわたしにくるりと振り返る。


「豊田さんは?」

「わたし?」


 ――「紅葉の季節はいつ頃?」から流れた挙句、もうなんの話よ?

 とかいうのは、一旦おいておくとして。


「……うーん?」


 ――谷川さんの言いたいことも、割と分かる。

 例えばここに、『植物から進化したタイプの知的生命体』がいたら、わたしたちの今、まさに手元に持っている「割り箸」なんぞ業の深い何かだろう。人に置き換えたらそうなるに決まっている。


 あなたの筋線維を使って道具を作りました、みたいなものだ。


 ただ、それはあくまでわたしたちの感覚に置き換えた場合の話であって、実際の植物がわたしたちに「どんなこと」を思っているかなんて知る由もない。


 さっき谷川さんが例に出した家畜だってそうだ。何を考えているか。わかる予定があったところで、きっと谷川さんみたいに思考停止して回れ右。


 ――ただ、もし。単純に「個人的な好み」の話をするならば。


「……わたしは、谷川さんのいうことも分かるけど……やっぱ時永くん派かなあ」


 ……厳密に言うと違うかもしれないが。


「よっし」

「えー負けたー」

「なんの競争してたの2人とも……」


 なんでガッツポーズしてるの時永くん。これ何、相手を引き込むディベートか何か?


 でも、なんだか比較が面白い。

 他人に対しての「付き合い方」というか、質が思いっきり出ているような気がした。


 谷川さんは相手を自分に置き換えがちだし、時永くんはまず相手がざっくばらんに「そういうもの」だと把握できれば納得して、ほとんど満足してしまう。あんまり深入りはしない。


 そしてわたしは……まあ。どちらに似てるのかっていうと後者。


「谷川さんのも分かるといえば分かるんだけどー……」

「けど?」

「全部頷けるかっていうとそうじゃなくて。で、時永くんの話は怖いっていうより……聞いてるとちょっとわくわくしたかな」

「へえ」


 時永くんの相槌にわたしも頷き返す。


「子どもの頃とかよく思ったもん。道端のスミレと喋れたら面白いのにー、とか」

「似たようなこと考えますね」

「あ、やっぱそういう時期あった?」

「ありましたね。人と喋るより無機物と喋りたい時期と言いますか」


「……あんたらもしかしてクラスで浮いてたりしなかった?」


 谷川さんが呆れたように呟いた。

 ……何だか若干、むくれていたような気がする。

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