18.リフレイン・2
「どこ行くの、美潮!!」
……俺はあの時、家の近くでふっと立ち止まった。
見かけたそれは……
「体調悪いんだからッ、家で、寝てなさい!」
「嫌だ!!」
何かと格闘しているような声だ。聞いたことのないような、プライベートな感じだった。舞台上を見上げたときのようなそれじゃない、テレビやラジオで見かけるようなそれじゃない。もっと身近にいるような……ああ、そっか。兄貴が言ってたもんな。本当にこの近くだったのか。
そう、俺の家の近く。
……そう、半分冷えた頭で思いつつ顔を上げてみれば、目の前にはパジャマのまま。髪を振り乱してあの、母親を振り切ろうとしている津田の姿があって。
「だいたい、そこまでして出さなきゃいけない手紙ってなんなの!?」
その手にあるのは、見覚えのある便箋。見覚えのある封筒……ただ……
「煩いよ、傍観者が!!」
大きな音を立てて、手が払われる。
「私が、どれだけ傷ついたかも知らないで!!」
…………。
「美潮、落ち着いて……何があったのかなんてもう聞かないから……!」
……なんだ。
そう呆れ半分、ヤケ半分に笑う。
……まだ書いてやがんのか、それ。
「こんにちは」
「あら」
底抜けて明るい声で、ちゃんと挨拶をする。この人は無関係だ。大方この様子じゃあ、文化祭で何かがあったらしいということしか知らないんだろう。
よくて学校側から騒動の説明があって……『自分の子供が、演劇部の部員いじめに加担していた』……それぐらいの認識なんじゃねえかな、なんて。
声をかけるとすぐ、その母親が気付く。
「あなた、確か文化祭の……」
「お久しぶりです」
別に恨みはない。原因はあっても、その人が何かをしたわけじゃない。ただ受け取るやつが、『受け取り方』を間違えただけだ。俺にはそれだけが腹立たしくて。悔しくて。お前……今まで『自分の夢』の背中の、何を見てきやがった?
「あっ、そういえば夏の夜の夢、見ました。DVDで」
「……ありがとう、でもごめんなさい。今それどころじゃなくって……美潮?」
ヤツはあっけにとられたようにこっちを見ていた。襲われるかとも思ったが、ただ穴が空くほど見つめてくるだけだ。
へえ。……今更おじけづいたのか?
自分のトラウマが目の前に現れて、したらもう何も言えない?
ああ。だからいつもの手紙か。面と向かってそれを言える勇気がないから、手紙にしたためたってか?
「いえ……」
俺はニヤッと笑って口を開いた。
「長い話じゃない。ちょっとした感想を言いたくて」
「感想?」
きょとんとしたその女優の表情に、あの人の似たような「きょとん」が重なった気がした。
――「私は、他の人みたいに器用にできる自信がないから――」
――「あたし、中身がないんです」
……よく似てるよ、本当に。裏表があまりなさそうなところとか。
そのくせ、妙なプライドはあるところとか――やってるものやら、ことが大層なくせに、欠片も自信のないところとか。
……だから、勝手に追い詰められたりさ。ああ、そうか。
本当に――。
「……実は、好きな台詞があるんですよ」
――好き、だったんだな。
自転車の後ろではしゃいでいたあの声も。強がってばっかなのに裏では泣きそうになってることもよくあるあの姿も。
「『ああ、可哀想なティターニア!』」
でも、本当は……きっと舞台上で、必死になって頑張って、自分と戦って周りとも戦って、それで誰かの心を動かす。貫く。泣かせる。憤らせる。
そんな彼女が、一番好きだった。
スポット室の出窓から、客席の方に目をむけた時。子どもがパイプ椅子から立ち上がって何かを言ったのを見た。ユキがそれを見て走り出したのも、見た。
――その時、なぜか泣いてしまったんだ。涙があふれてきて止まらなかった。
何か、尊いものを見たような気がして。
この人が今頑張ってるのは、無意味なんかじゃない。
この人が頑張って。自分を貫いて。
誰かと比べて落ち込み、それでも比較され、迎合し……そうやって何かをやることに「意味がない」? そんなわけがあるものか!
何も分かってないのは俺だった!
ユキの気持ちが客席に伝わっているんだと思った。
ユキ自身としてのものじゃない、「ベル」という役柄のものとして、誤解されて……曲解されて、それでも正しく絶望が伝わったんだ、と。
客が作ってくれる、育ててくれるというのはそういうことだ。
そういうのを繰り返して、きっとユキという人間は出来ていく。
理解されずとも、誤解されても曲解されても。何という役柄をこれから先に当てはめられたとしても!
……嘆いたのを恥じた。辞めてしまえと憤ったのも恥じた。
目をこすってもう一度視界がクリアになった時……そこにいたのは役柄そのままのベルだった。
「……『その熱が、ときめきが、「花の蜜」のせいとも知らないで!』」
……きっとあの時。いや、この高校生活、入学してすぐに教室で出会ってから。あの可愛い先輩に「恋」をしていたのは、確かに俺だった。
いつかさめる熱だとばかり思っていた。テレビのアイドルを可愛いというみたいに。あの女優さん綺麗だねとかタイプだとか言うみたいに。
いつか飽きて、別れて。
でも……これがそこまで苦しいなんて知らなかった。
「……それ、オペロンの台詞ね?」
目の前の、彼女によく似た女優さんは何かを察したように呟いた。
「――ええ、パックの主人である妖精王オペロンは、先刻大喧嘩した妻を笑い者にしようと、イタズラもののパックを使って惚れ薬をばらまいた」
別れる間際、ユキに言った言葉もある意味間違いじゃない。――飽きたんだ。本当は、最初は、ただ『新しい何か』が欲しかっただけなんだ。
俺が……ユキを、捨てたんだ。
「でもいざ、惚れ薬に引っかかった妻、ティターニアを目前にすると……その痴態、醜態を目の当たりにして、深く嘆いた」
……高校デビューと同時に、彼女ができるなんてステータスだろ?
「……なんて滑稽なのかと」
恋心って、きっとそういうもんだろ?
傍から見ると滑稽で。でも当人たちは真剣で。だからこそ、冷静になんてこれっぽっちもできやしない。
「…………」
「……そうして今までの全てを許す。そういう台詞よね」
「ええ」
俺は、転がるように動きを止めている津田をゆっくりと見下ろした。
そう、これは……一見嘲りのようだが、皮肉のようだが。
本来なら、『赦し』の台詞だ。
……本来ならな?
俺はニヤッと笑った。――でもな、津田先輩?
「……!」
そんなわけないだろ?
台詞通りだよ、皮肉だ。嘲って、罵倒して――ああ、お前に言いに来たんだ。
だって――そうしないとさ。
「……先に、進まないでしょ?」
ああ、俺はな。津田先輩。――谷川ユキっていう役者を不能にしたお前をだな。
――絶対に、許さない。
「…………なあ、先輩」
許してなんてやるものか。
「――深い台詞だろう? 許している、嘲笑っている。どっちともとれる」
悩んでろ。さあもう一度、トラウマを刻め。
……お前にだってあるんだろうが。やる気をなくした彼女同様に、できなくなった彼女同様に、何もできなくなるスイッチが。
「……やめて」
「……」
「そんな目で、こっちをみないで」
――押してやろうじゃねえの。
『スイッチ』。
他でもない、この俺が。
* * * *
「……犬飼先生、また考え事ですか?」
「別に」
谷川先輩との一件から、数日後の話。
……コンビニに用事を思い出したとかでなかなか戻ってこないイツキを待っている最中、時永が声をかけてきた。
「谷川さん?」
「じゃない方の先輩のことだな」
「あー」
「……なんだよ」
「いえ、さすがに人間らしいというか……」
……“納得した”。
そんなふうに苦笑いして、ヤツは言う。
「聖人君子じゃないんだなぁ、と」
「そんな大層ご立派なものには未来永劫、十中八九だ……いや、絶対になれそうもねえよ、俺は」
「そうですね、きっと」
……「普通なら」。口がそう動く。
何だよお前、わかりきった口で。
「……ってか何」
あのときのようにパックジュースを口に含みながら、ふと聞いてみようと思った。
「どこでそう思ったのあんた」
「谷川さんのあの話ですけど、多分基盤は貴方自身の記憶でしょう? ……特に最後の、津田親子と会ったとき」
……ああ、なんだ。こいつも引っかかったのか、あの喋り方で。
「『谷川さん』の捉え方だからまだあんなだったけど……犬飼先生の性格に置き換えてみたら、どうよく見積もったってさすがにああはならない。加えて今のあなたの表情だ」
「……あー、そんな顔に出てました?」
「ありありとね」
フッと笑うそれ。
……腹立つなあ、こいつ……
「……許した人間を思い出す時に、そんな苦虫噛み潰した表情はしないでしょう?」
「……まあ、否定はしないさ」
「されるとも思ってませんでした」
「うるっせえ」
イラっとして肩をはたこうとした、そのときだった。
ひょいっ。
うまいこと避けられて、空振る手。
「うん……」
相手は口に出して言わねえが……非常に、こう……
「……ん、なんです?」
俺のことが苦手なくせして――俺との会話やらやりとりやらを、心底楽しんでやがる。
「……難儀な性格してんなお前……」
「貴方にだけは言われたくないですね!」
やたらにニコニコしながら言うそいつに、思わずため息をついた。
……まあそうだろうな。俺から見たこいつ同様、こいつも俺のことが苦手らしいのは事実だが……そもそも、その「時永から見た俺」の苦手意識がどこから来たのかというとだ。
十中八九、ミコトが覚えている客観的な事実からだろう。
要するに時永という自意識は『同僚の犬飼先生』に罪悪感を覚えていて。ミコト譲りの『イヌカイさん』に対する認識は、好感度が最初から高いと。
……ああ、だとすると、なかなかノリが分かってきた気がしないでもないな。
そう思いながら、話を戻す。
なんだったっけか……あ、そうそう。
「……谷川先輩目線だとああなるんだな、俺の記憶」
「正確にいうと、あなたが思い描いた谷川さんだとああなるんですよ」
「……なるほど?」
首をすくめて、さも当然のように解説する……腹立つ顔のクソ眼鏡。
「……自分にはできないが、相手には。そう思ったんでしょう。実際の谷川さんが津田さんに対して何を思っていたか、あなたには分からないし、もう分かるすべもない」
「ああ」
「ただ、『もう一度津田さんに会えたなら、ちゃんと許してあげてほしい』。きっとあなたは思ったはずだ……その方が谷川さんは、その後をきっと安らかに過ごせるから」
……そうなんだろうな。
「自分と同じ痛みを抱えずに、失恋の痛みだけ抱えて、そっと生きていける」
「……買い被りすぎだろ、そこまでいいやつではねえよ」
「でしょうね」
時永は苦笑して、ぽつりと呟いた。
「僕が知ってる『イヌカイさん』は、ミコトの印象ですから」
「ハッ、あんたじゃなくてミコトが俺を買い被りすぎだって話かよ。まいったね」
「ミコトから見たイヌカイさん、それはもうカッコいいですよ〜?」
「あー、はいはい」
それに関しては心あたりなんてもんでもないので、恥ずかしがりも照れもせずにまあ、適当にあしらう。……そりゃあ俺だって自分がうっかりカッコよかったわ。ミコトの助太刀したときは。
「だからまあ、僕にとってはそこそこ有意義でしたよ、あの谷川さんの昔話」
「……四六時中、面倒そうな顔してたろうが」
この時永にとって、自分を含めたこの世界の住人はただのよくできた人形だ。
まあ実際そうなんだろうが――あそこまで普通にベラベラ喋ってると、とてもそうは思えない。
「面倒なのと有用なのは別ですよ……おかげで僕はそろそろ、ミコトのそれじゃなくて、僕の目線で貴方を評価できそうだ」
「…………。」
「捻くれ者同士の、同じ穴の狢としてね」
ははー……?
「ミコトのそれじゃなく、僕の目線」?
自分の意思を持った、「はりぼての人形」ねえ……
「……なんですか、まじまじと見て」
「いや」
……遠くから車のクラクションが聞こえる。
いつかの高校の屋上と同じような強い風が、街路樹の落ち葉を巻き上げて、散らしていく。
あの時と同じ、頰の感触。風の冷たさ。
違うのはここにいる「人間」と「景色」だけ。似ているだけの、別のもの……
俺はため息をついて、口を開いた。
「……素直じゃねえんだな、時永さんよ」
「どこがです?」
しれっとした顔で言われた。
自覚しているのか、してないのかさえわからないが――どちらでもいい。
不健康な話には変わりがないからだ。
何せこの時永ほど俺は「自分」を恥じたことがないし、自分自身をけちょんけちょんにしたこともない。
時永は以前、俺に言った。
――「あなた方のように見た目がじゃない、あれは、精神面が化け物だ」
そう自分のことを。否――自分のことなのに、言ってみせた。
……津田相手は未だ許す気も起こらない。勿論、目の前の時永にだってそうだ。
あの姿で偶然出会った瞬間の――時永邸で初めて会ったときのイツキの泣きっ面を、俺はまだ忘れていない。グレイブフィールと初めて対面したときの腰が抜けそうな恐怖も。それがかつての俺たちと同じものだったという後ろめたさも。
だが、別に……
謝罪くらいなら、「聞いて」もいい。
受け入れるかはともかくだ。
そう思えるくらいには……正直、こいつの性格を知りすぎている。
……この世界で出会ってまだ、2ヶ月もない。
だが一応は相手のペースも掴んできた。
「謝れ」。
そう口に出しては言わない。
勿論だ。それで済むような間柄でもなければ、それで鎮火するような怒りでもないし悲しみでもない。
だってこの時永は、壊滅的にあの時永とは違うのだ。
だから、こいつが俺たちに謝っても何も変わらない。だが、こいつの心持ちは変わるんだろう。その一言で赦されたり。その一言で緩んだり。
……色々、あるんだろう。
「なあ」
「はい?」
「……やっぱ、やめとくわ」
……だからお前さ。
俺にじゃない、イツキにでもない。「自分」に許してほしいなら、まずは。
「…………。」
「なんですか、気色悪いな」
「それは俺の台詞だわ」
……一言、ごめんと言いやがれ。
大丈夫、俺はまだまだ全ッ然、許してやらねえから。
お前の危惧する、「手放しで許される」ようなことは起こらなかろうよ。
「……津田と自分を重ねたろお前」
「え? やだなあ。そんなわけないでしょう」
――だから、安心して玉砕でもなんでもするんだな。時永さんよ。
「――まるで僕が許してほしいみたいじゃないですか?」
俺とイツキがお前の「罪悪感」に対してどうこう口に出すのはだよ?
お前が自分をどれだけ許せるか。許せたか。
まあ、ざっくりその後ぐらいで――別にいいんじゃねえの?
【(現時点での)キャラクター紹介】
・犬飼 元(現在)
いつものイヌカイさん。
第3部の終わり辺りに「思い入れの強い人間には自我が宿る」という時永の言葉を受けた後、自分の高校時代を振り返った結果――今回、この世界にて自らの記憶を基にサルベージされた「谷川ユキ」、「佐田秀彦」と出会う。
・時永 誠
ユキと同学年で進学先での友人。ユキの次の片思い先だが、見ていたら分かる通り「片思い」のままで終わった模様。
ちなみに大学時代のユキの情報は時永からサルベージされている筈であるので、この描写が入るということは――彼、恋愛対象としてターゲットになっているのを普通に自覚していたらしい。




