17.いまのはなし
「……ってことが!」
……元くんとの間にあった、自分で語るにも甘酸っぱすぎる恋愛経験の話。
いや逆に言おう。酸っぱい、苦い!
語り終えた今……そんな気持ちだ、あたしは。
「あったワケよ!……でぇぇん!」
「……でぇんって」
半ば呆れ顔のイッちゃんがアイスの麦茶をかき混ぜた。
「良い恋愛経験じゃないですかー……」
……あっちではホット麦茶を飲みながらなんで遠い目をしてるんですかね、時永くんは。
目線がなんで天井の梁向いちゃってんの?
あたしが元くんの次の片思い先、『本好きの眼鏡』とか言ったから? あっ、ごめんねそれは?
「……っていうかあれ、イヌカイだったんだ……適当に蹴っ飛ばした高校生……」
「いや、適当に高校生蹴っ飛ばす小学生もどうかと思うよ植苗くん……」
時永くんとイッちゃんの後ろでは、仕事帰りの服装をした現在の元くんが後ろ手を縛られて秀ちゃんの持ってきたプレイヤーのヘッドホンを被せられていた。その秀ちゃんはタコの唐揚げを咥えてご満悦。
……なんでこうなったのかは……うん……「途中からの悪ノリが過ぎた!」としか言いようがない。
そう、あたしと秀ちゃんは今この時代、この世界。
聖山学園の最寄駅たる聖駅で偶然、この3人と顔を合わせた。
学園の先生になっていた元くんと時永くん、それから制服姿のイッちゃんが何やら疲れた表情をしながら駅前広場で仲良くジュースを飲んでいるところに遭遇。そのままあたしたちを見て立ち尽くす元くんを昔のノリで巻き込んだ挙句、拉致!
ついでにノリノリでついてきたイッちゃんは元くんの悪ガキ時代の黒歴史を聞き出そうとするわ、元くんは秀ちゃんやあたしに喋らすまいとぎゃいぎゃい暴れるわで、最終的にこの状況になったわけで……。
で、更にそのイッちゃんについてくる形になった時永くんは、最低限の相槌しかうってこないけど一応いる。……ただ、基本的にはほぼ常に、傍観だ。
たまに我慢しきれず素で噴き出したりしてるけど、あたしと秀ちゃんには心をゆるしていない。なんという営業スマイルだろう。というか出会った頃だってあそこまで硬いイメージじゃなかったぞあの子!? 塩対応というか、嫌われてないあれ!?
「なあ、助けろやお前ら!! さすがにほどいてくれても構いませんよねえっ!」
「植苗くん、ここの麦茶おいしいよね」
「……仕入れ先知ってるよ」
「……教えて」
「そこの眼鏡とチビぃぃ! 目をそらして無視しないでくれない!!? ねえ!!」
しかしまさか、接点のなかったはずのこの3人がそろって目の前で普通に会話してる光景を、このあたしが見る羽目になるとは正直思わなかった。
世間ってせまいね。いや、本当にせまいのかもしれないけど。
あのとき小学生だったイッちゃんは現在、高校3年生。まだ中学生並の背丈だけど、ええ……まあ、そういうことになっている。
元くんと最後に会った頃、当時のあたしが片思いした相手……同じ大学での顔見知り……
時永くんも、一応聖山学園の先生だ。
そういうことに、なっている。
……ああ。
「……植苗くん、まだ麦茶ある?」
「……ありますよ」
何がなんでも、なっている。
「あーもう、ぎゃーぎゃーうっせえのよ犬飼」
苦笑いしながらタコをくわえた秀ちゃんが言った。
「うっせえのは! お前の! ヘッドホンだ!」
「わー」
遠い目をしながら時永くんが呟く。
「何が流れてるんですかねー」
「淹れたての麦茶飲みながら、『何が流れてるんですかねー』じゃねえんだよ、助けろよ時永さんや! こちとら鼓膜やべえんだよ!」
「……犬飼先生なら鼓膜もマッチョでしょ」
ボソッとイッちゃんの『よそ行き』の呼び方が飛んだ。
「いや鼓膜まで鍛えるすべを俺は知らねえんだけどな、植苗くんよ!?」
「うっわ視線の向きで判断してんのかと思った、普通に話も聞こえてる!?」
「なんで音量マックスにしてんのに外部の音が聞こえてんだよ、おかしいだろ犬飼の耳!?」
「おかしいのはお前らだ! 俺も人間だってんだよ一応!!」
「うん、一応ね……」
時永くんがとても小さく呟いた。
「……一応ね」
「二度もいうなよお前が!?」
そう、元くんも時永くんと同じだ。……そういうことになっている。
聖山学園の先生じゃなくなって、だいぶ経ってるのに。
「…………んー」
いや、あたしもホントは知ってるよ?
……イッちゃんはああ見えて、人じゃない。木の姿をした妖精で、元くんは狼さん。
時永くんは……うん、そういう人。
ここは、虚構の世界。
ミコトという女の子が願った、偽りの世界。
……あたしだってきっと……元くんとイッちゃんの記憶から出来た、人の形をした生き物だ。
つまりこんな過去を語っているあたしも……
そこの元くんとは、時永くんとは、そしてイッちゃんとは。
所詮、「住む世界」が違う。
あたしは、「この世界の谷川ユキ」でしかないのだから。
目の前の元くんに「知らないものであれ」と願われたから、彼の真の姿も知らないふりをするし、何も語らない。「谷川ユキ」の記憶を持ち、ユキとしての自覚と自意識を持っただけの……よく似た別人。
この世界は目の前のトリオともう一人、この世界を作った女の子の記憶でできている。
登場人物としての『人』が、舞台装置としての『過去』が……元くんの記憶から、イッちゃんの思い込みから、時永くんの打算から。
無意識に、かつ、ゆっくりと生み出されていく。
あたしがこの記憶から、たとえ千の言葉を取り繕ったとしても……きっと本来、本物の世界にいる『谷川ユキ』には及ばないだろう。
だってあたしは元くんが想像した、「あの時こんなことを思ってたに違いない」との想定から生まれた、想像上の谷川ユキだから。
それでもそんな形で「この世界のユキ」が像を結んだのは、ほとんどの情報を「あの時の元くん」が覚えていたからだ。
知ってる。……あたしに、刻まれている。彼がどれだけ、あの「谷川ユキ」を好きでいたのかを。
「いや時永さ……っ!? 手ぇ振るな、『バイバイ』じゃねえんだよ!」
「…………。」
時永くんが面倒くさそうに手を動かした。
「あ? ……『自分で』、『なんとかしろ』……『健闘を祈る』、『僕は、関係ない!』……いやジェスチャーにしなくていいんだっての聞こえてんだから!」
丸を作る時永くん。
「いや正解なのはわかったから助けろや! 谷川先輩も何とかしてくださいよ、俺もう聞き飽きましたよこのアニソンメドレー!」
「エロゲも入ってんだろー、ひっくるめんなって! ああ今何この曲か!? これシナリオが」
「うるッせぇ馬鹿! なんだかよーわからんがとりあえずうるッッせぇ!」
「その辺にしときなよ秀ちゃん……さすがの元くんもキレ始めるから」
「いやもうね! キレてだいぶ経ってんだよお疲れさん!?」
……ここは「あたし」の元バイト先のラーメン屋さんだ。イッちゃんのおじいちゃんの店。
そして偶然にも、大学時代の時永くんたちの、行きつけのお店だ。
元くんには縁のない場所だけど、あいにくこっちには縁がある。
あたしの高校時代の情報は元くん由来だけど、大学時代は時永くんとイッちゃんの担当だ。
2人とは何度この店でくだらないジョークを飛ばしあったか……いや、あたし自身の話じゃないけど。本物の谷川ユキの話だけど。
「ッだー!!」
「あっ、逃げた!」
ぺきょ! と後ろ手を縛っていたおしぼりが解かれる。さながら脱走犬のような動きでバッと秀ちゃんの拘束を抜け出した元くんは、一息に叫ぶ。
「トイレぐらいは行かせろや! 何時間縛られてんだ俺は!?」
「……漏らされたら困るから行ってきなー」
あたしはゴーサインを出した。
……元々昔話を始めたのはこっちだったけど、話させまいと暴れた元くんを無理やり拘束したのは秀ちゃんとイッちゃんだ。
――『任せて! 縛るのは慣れてるんで!』
あの時のイッちゃんのイキイキとした目ったらなかった。
――『植苗くーん!? それ何か、割と違う誤解が広まりそうな言い方なんだけどお前!?』
――『……まあ束縛系男子ですよね』
誤解と語弊を上塗りしそうな発言をかました時永くんの後ろ、半泣きで騒ぐ元くんを上から押さえつけた秀ちゃんは……フッと笑いつつ、黙ってイッちゃんに元くんの手首を出した。
あたしと違ってイッちゃんと秀ちゃんには、以前に会ったことがあるような面識はない。
なしだからこその抵抗感だ。……秀ちゃんからしたら寂しいんだろう。『知らない誰か』が骨の髄まで知っている相棒の隣にいるのが。
「あーあ」
元くんに投げ捨てられたヘッドホンを拾い上げ、秀ちゃんが呟く。
「あいつの黒歴史暴露大会、もうちょっと長く続くかと思ったのになー!」
「残念でしたー」
「ねーねー、当人がいないならむしろちょうどいいじゃん!」
目を輝かせたイッちゃんが秀ちゃんに声をかけた。秀ちゃんはきょろりと彼を見る。
「佐田さん、他になんか犬飼先生のヤバいネタないの?」
「ヤバいネタぁ?」
暫しの回顧を終えた秀ちゃんは気持ちを切り替え、ニヤッとしながら眉をあげた。
うん、秀ちゃん……自覚ないかもだけどその表情、悪いこと考えてる元くんそっくりだよ……
「ほら、例えばさ! もうちょっとあの人の信用度が失墜するような!」
「……今更もう、何聞こうとしてるの植苗くん……」
「さすがにもう何もないんじゃないの」と苦笑いしつつ、やんわりイッちゃんを止めようとする時永くんを尻目に、あたしは席を立つ。
警戒心たっぷりな時永くんの視線が追いかけてくるけど、そこはあえて無視をした。
元くんが逃げ込んだトイレの個室をコンコンと叩き……
「♪ しょうごのろりー」
「♪ 脇腹がエッッッ……」
はい、釣れた。
「…………」
「……ノッたね?」
「……ゴホン」
個室の扉はあかないが、わざとらしい咳払い。……うん、いくら図体がデカくなってもやっぱり、あの男の子の延長線上だわ、この狼さん。
「……何だよ、ここまで追っかけてきて」
「別に? ただ、話がしたかっただけ」
「あ、そう」
壁に寄りかかる。
トイレの扉は開かない。開かないが、
「――なあ」
「ん?」
言葉は返った。
「さっきの話だが」
「あ、やっぱばっちり聞こえてた」
「…………。」
なんとなく彼が自分の耳を触ったのが分かる。「人間の頃のもの」とは感覚が違うと知っている、それ。
「地獄耳らしいですよ、俺」
「前からそんな聴力してたっけ?」
「初耳でしょうよ、今のあんたは」
元くんは呟いた。
「……最近ですもん」
そうだね、元くん。
「……」
『谷川ユキ』がそんな情報、知っているわけがない。
だって元くんが実際に地獄耳になったのは、狼男になってからだ。――彼はどう思うんだろう。好きだった人間に、その姿を知られていると知ったら。
「で、何? さっきの話って」
「あー、その……」
言い方に困るみたいにして、彼は呟く。
「……おかしくないか?」
「何が?」
「津田先輩の……最後の話」
……そう、あたしはあくまで『谷川ユキ』の殻を被った、元くんの記憶。
この世界を構成する、記憶の欠片。
あれは、きっと本来なら元くんの目線での話だった。
「……それじゃなくてもだ。お前、夜間にポテトチップス食うような人間だったっけ?」
「ああ、手紙読んだとこ? ……でも、たまにやっちゃうことない?」
「俺はあるぞ」
だってあたしが知ってるわけがない。元くんがその場にいなかったときのこと、後で聞かなかったこと。それをあたしが知るわけがない。
あれは言うなれば……元くんの目線で起きたある出来事を、そっくりそのまま、あたしに置き換えただけ。
「……他になんか、不都合な点でも?」
それでも、しらを切る。
だって彼はまだ、それをお望みだ。
「……いや、まあ……そうだよな。忘れてくれ。そういうこともあるんだろうさ」
「何考えてんだか」
「そっくりお返ししますよ、元カノさん」
ガタッとトイレの扉が開き、目が合う。整理のついた表情だった。
そう、それは……手の届かない過去と相対するための、心の整理。
「……ねえ、そういえば元くん?」
「その呼び方、今更恥ずかしいんでやめてくれません?」
「あれから、彼女出来た?」
「…………。」
元くん、ザ・硬直。のち、目が泳ぐの巻。
「えええめーそらしたー! 何? まさか1人もできなかったとか!」
「…………。」
泳いでる。目線が高速バタフライしてる。
「……ほう、図ぼ」
「うっせえな!?」
バンッとトイレのドアが音を立てた。
「気になってる子ぐらいいるっつーの!」
「いるのーぅう!?」
「やべえ、口滑った!!」
「年下! 年上! サイズはいくつ!?」
「何の!? とししっ、って違う、何で言おうとした俺!」
「ほう、同じくらいと見た……!」
「だから何が!?」
「おっぱい」
「おっpッ……いやうるせえよ! 何なんだよお前のそのポジティブさは!!?」
……素が出てるぞ。
あたしは苦笑いしながら思った。
――そんなんで、ちゃんとできるかな? 元くん。
「で、その子何、マジで気になってる?」
「気になってんよ、だったらなんだよ!?」
「……鼻血出した?」
「何で知っ……適当なこと言わないでくれるお前!?」
――ちゃんと……。
「……なら、死ぬほどアタックすべし。恋愛の達人からは以上だ!」
「……おう?」
……ちゃんと、あたしとお別れできるかな?
「じゃないと、ちゃんと恋人できないぞっ!」
「いや、お前に言われたか、ないんですけど……もうちょい複雑な神経とかないんすか先輩?」
「んなもんはない」
君がイッちゃんと時永くんについていくってことはだね、元くん。
……秀ちゃんとあたしを、この世界ごと消すってことだよ?
「…………。」
……どうせ、元鞘になんかおさまりっこない。だって彼は『犬飼 元』のオリジナルで、あたしは言うなればユキのレプリカで。だから。
「……心理学の先生だっけ? だったら知っての通りだよ元くん。好きな子にはね、好きって言ってあげると効果的なんだぞっ」
「いや心理学関係ねえからそれ。ただのコミュニケーション大原則だから!」
「……元カレとじゃれてるところ悪いんですけどゆっきー先輩―」
「じゃれてねえよ! 何だ佐田!」
ぎゃおーん! と赤面した元くんが吠え返した。呼びに来た秀ちゃんはニヤッと笑う。
「そろそろ出ますー?」
「あ、そーだね」
元くんの手を取ってトイレを出ながらあたしは言った。時計の針はもう9時前だ。
「時間も時間だし。未成年いるしー」
「えー、オレもうちょっと犬飼先生の社会的な信用度とかガッツリ減らしたいー」
イッちゃんの駄々っ子的な発言に、元くんがヒソヒソ声で言ったのが聞こえた。
「……お前、あとで覚えてろよイツキ……」
「……真面目な少年時代を送ってないイヌカイが悪いー」
「……まあまあ、喧嘩はあとでね喧嘩は……」
全員あたしたちに聞こえてるぞ、トリオ・ザ・聖山。
「じゃあ、お会計は時永く……」
「相変わらず息を吸うようにたかりますね、谷川さん」
営業スマイル全開で時永くんは一番けたの少ない紙切れを出した。
「千円札1枚しか、持ち金ゼロです」
「ケチー!」
「……お前ら、そういえばどういう関係なの?」
困惑したように元くんが呟く。その手には同じ顔の千円札――そういえば大した額でもないのに長居しちゃったもんだ。いつも通りガラガラだったから、まあいいけど。
秀ちゃんがサクッと回収して自分のものと合わせる。
「ってことではいよ、イツキくん」
「あ、結局オレがレジ行くんだ」
「……店長の身内だからね君、僕のもよろしく」
「じいちゃんレジー! お勘定ーっ」
時永くんからもお札をもらい先に行こうとするイッちゃんに、あたしも口を開きながらしれっと小銭を握らせる。
「……時永くんとあたしがどんな関係かっていったら、ねえ?」
「なんですか、一々目を合わせないでください」
「そのまんまだよ? あの後大学行ったら出会った仲良しさん」
「! まさか……」
うん、今どさくさに紛れてあたしを睨んだな時永くん。
えー、知らないよー? 誤解する元くんが悪いんじゃなーい?
「あいつ、仲良しさんって言うやつ大概元カ……」
「はーい、さっさと出るー!」
「待てやー! 先輩なんで今話そらしたー!?」
「ごちそうさまー」
……秀ちゃんと、どう誤解を解こうか冷や汗ダラダラの時永くん、お釣りを持ったイッちゃんを店内から追い出し、次に続いた元くんの袖を掴む。
「ねぇ、元くん」
「ん?」
口を開く。……いや、開くまでいった。
だけど、思い直した。
「……なんでもない。あとで言う」
「あとで?」
「……覚えてたら、きっと言うから」
そんな言葉。ワード。……こんな状況にはもったいない気がして。
「……先、行ってて」
「お、おう」
今頭に浮かんだこの言葉は、本来ならあたしが言うべき言葉じゃない。もっと別の女の子が。
そう、例えば……本物の谷川ユキが言うべきことだ。
けど。
――『もしあなたが演技を含めた全部。人生に悩むときがくるのであれば、できるだけシンプルに考えてみること』
――『投げて、受け止めて、投げ返して。それをきちんとやること――ありがとうと言いたいなら、ありがとうと言うこと』
あの時の実記さんの言葉が頭をよぎる。
――ああ。そうかもしれない。
でも今は……口を、つぐませてほしい。
だってそんな気分じゃない。まだ、あたしはこの人と……
「…………。」
ちゃんと、彼の記憶する『谷川ユキ』として、一緒にいたいんだ。
「……元くん」
そんな、今更頭に浮かんだ一言は最後の最後に……
彼がきっと、この先ずーっと印象に残る……本物のユキとの別れよりも、絶対記憶に残る。一番忘れない、失われない。そんなタイミングで言いたい。
「……『あたし』を……」
この世界にいる谷川ユキは、確かに記憶の中のユキ自身ではない。
それでも、ちゃんとお礼が言いたかった。
イッちゃんや元くんが持っていた、谷川ユキの記憶を元に創られた存在。それが今のあたしだというのなら、彼がいなければ――この記憶を持つ“あたし”はいなかった。
あの出来事を、あの高校時代を。
「忘れない」と言った彼がいたから――あたしは「あたし」として、ちゃんと生まれてこられたんだと、今のあたしは知っている。
「……忘れないでくれて、ありがとう」
全てが偽物でも、虚構でも。
……この、暖かい感情だけは本物だ。
あたしは、思う。
思っている。
……彼の記憶から生まれてきて、よかった。




