15.リフレイン・1
……こうして、長らく語ってきたこのお話。
あたしが、“始めて”全身全霊をかけて好きになった男の子との恋愛はここで終わる。
……はず、だったんだけどね。もうちょっと続くんだ。
その前に一応なんだけど、印象に残ってることが一つある。
そのお話、蛇足気味になるけれど言っておこうか。
――さっきの別れ話。そのすぐ後のこと。
あたしはどこかフワフワとうわの空で、帰り道を一人だけで歩いていた。
「平気なふり」なんていうのは、けっこう慣れている。
だから、きっと何も感じさせなかったと思う。誰にも。でももしかしたら――気付いた子ぐらいはいたかもしれない。だってこの時間帯……校門に元くんが待ってないなんて、ほとんどないことだもん。
まずあたしと元くんの関係性を知っている子なら、目を丸くする。
何があったかなんて噂にもなるかもしれない。でも、構わない。それでいい。
――今までだって、そうしてきた。
――「別れて、他人になろうぜ、彼女!」
――「……オッケー、彼氏!」
あーあ。あんなこと言っちゃって。
これからどうして生きていこう。
そんなことを思って歩いてたら――ふと。
「どこ行くの、美潮!!」
声が、聞こえた。
……家の近くでふっと立ち止まる。見かけたそれは……
「体調悪いんだからっ……家で、寝てなさい!」
「嫌だ!!」
何かと格闘しているような実記さんの声だった。聞いたことのないようなプライベートな感じ。舞台上を見上げたときのようなそれじゃない、テレビやラジオで見かけるようなそれじゃない。もっと身近にいるような……ああ、そっか。本当にこの近くだったんだ。
目の前にはパジャマのまま、髪を振り乱してお母さんを振り切ろうとしている津田さんの姿があった。
正直、異様な光景だ。体調不良で寝ていた津田さんが、飛び起きて何かやろうとしている。それを取り押さえて阻止しようとしているその母親……きっと、見た目の印象で言えばそんな感じ。
「だいたい、そこまでして出さなきゃいけない手紙ってなんなの!?」
その手にあるのは、見覚えのある便箋。見覚えのある封筒……ただ……
「煩いよ、傍観者が!!」
大きな音を立てて、手が払われる。
「私が、どれだけ傷ついたかも知らないで!!」
ああー……手紙の相手がなんとなく、察しついた感じがした。
あれはきっと、いつも通りのラブレターだ。
「あんたのせいだ、全部全部、あんたのせいだ……」
ふわっとした頭で、思考する。そういえば、噂で聞いたような。
あれから、津田さんの様子がおかしいと。
……確かにちょっと変だ。
いや、かなり変って言ったほうがいいだろうか?
「許さない……許さない許さない許さない許さない……」
「美潮、落ち着いて……何があったのかなんてもう聞かないから……!」
……完全にいっちゃってる。そう思った。
目の焦点が合っていない。あれは、そう。あの時のままの状態。
パソコン室でこっぴどく振られた。悪事をつまびらかにされて、プライドをへし折られた。
まあ……そうだね。ちょっと笑ってしまう。
失恋したってシンプルに考えたら――きっと、あたしと同じだ。
「……こんにちは」
「あら」
底抜けて明るい声で、ちゃんと挨拶した。
今ならあたしも、そうやってできる。そんな気がしたんだ。
実記さんが振り向いて、少しきょとんとした顔をする。
「あなた、確か文化祭の……」
「お久しぶりです。あっ、そういえば『夏の夜の夢』、見ました。DVDで」
「……ありがとう、でもごめんなさい。今それどころじゃなくって……美潮?」
津田さんはあっけにとられたようにこっちを見ていた。襲われるかとも思ったけど、ただ穴が空くほど見つめてくるだけだ。
あたしは笑って、口を開く。
「いえ、長い話じゃない……ちょっとした感想を言いたくて」
「感想?」
「……実は、好きな台詞があるんです」
あたしは一息に吐いた。
「『ああ、可哀想なティターニア!』」
ハッとしたように津田さんの肩がふるえた。
「『その熱が、ときめきが、「花の蜜」のせいとも知らないで!』」
……まだ、彼女はきっと恋をしている。
想像の中の元くんにしがみついているんだ。敵わない恋だと知りながら。あたしに取られているのだと喚きながら。
振られたそれに執着しているから、まだ「お手紙」がその手の中にある。面と向かって言えない本心を。振られた恨み節を。そう、プライドをずたずたにされたそれが憎くて――
でもね。津田さん。
あたしは、知ってるよ。
それは、もう元くんに向けられるべき感情じゃない。「谷川にとられた犬飼くん」。そんなもの、もうどこにもない。
ああ、今となってはただの行き場のない執着心だ。
……だったらその執着心、あたしがいただいてしまおう。
「……それ、オペロンの台詞ね?」
「ええ、パックの主人である妖精王オペロンは、先刻大喧嘩した妻を笑い者にしようと、イタズラもののパックを使って惚れ薬をばらまいた」
あたしはゆっくりと呟く。
「でもいざ、惚れ薬に引っかかった妻、ティターニアを目前にすると……その痴態、醜態を目の当たりにして、深く嘆いた」
そう、まるで……皮肉とも、嘲りともとれるような台詞をオペロンは吐く。
「なんて滑稽なのかと」
「…………」
「……そうして今までの全てを許す。そういう台詞よね」
「ええ」
皮肉なのか、嘲りなのか。それとも赦しなのか。
赦しだったとして、相当な上から目線だ。
でも悪くない。そう思われるのも……憎まれるのも。かつて憧れを抱いた、その彼女なら。
あたしは津田さんをゆっくりと見下ろした。
そう、これは、一見嘲りのようだけど、『赦し』の台詞。
あたしはにっこりと笑った。
そう、許すよ。だって――そうしないとさ。
「……先に、進まないでしょ?」
ねえ、津田さん。
「――深い台詞だと思わない?」
問いかけたら少し、反応が返った。
そんな気がしたけれど、すぐにあたしは歩き始める。
「あっちょっと……」
「待って!!」
津田さんが立ち上がる。あたしは足を止めた。
「手紙」にも頼らない、本音の叫び声。
ずっと彼女が面と向かって言わなかった、あたしに向けての言葉。
「私は、あなたが嫌いよ!!」
「うん」
もう一度、立ち上がろうよ。津田さん。
元くんの言う通り……戻らないけど。似たような時間は作れるから。
「嫌いなのは知ってる」
――だからお互い、もう一回だけ。
ううん、もうちょっとだけ。
前を向いて、頑張ってみようよ。




