14.青春ロスト
あれから、一週間くらい経つ。
文化祭ももちろん終わってしまい、今はもう完全に「高3と言えば受験生!」みたいな空気だった。
にもかかわらず……あたしは、見事に腑抜けている。もう完全にうわの空。
ペンなんてほとんど持っていないし、参考書もあまり開いていない。――うん、やる気がないのはいつものことだけど、それとはちょっと違うのかなって。
「いっよう!」
昼休み……上がってはいけないはずの屋上に上がり込み、大空を見ながらぼうっとしていると、彼がいつもの通り茶化しにやってきた。
「どこにもいねぇから探したぜ彼女!」
「……」
「暇だな! お茶にする? 昼飯にする? それとも俺?」
「……」
「……うん、何、どした?」
さすがに空気を呼んでテンションをさげる元くんに、苦笑してしまった。
自分でもよく分かってないけど多分、あたし自身に対しての苦笑いだ。彼のせいじゃない。
「……いやあ、身が入らなくってねー」
「何が?」
「べ・ん・きょ・う!」
むに! と陰鬱な気分を吹き飛ばしたくてそのほっぺたを突く。
「……元くん、理科が得意なんだっけ! 理数系だ!」
「……数学はそこまで得意じゃねえですけどね」
やんわりと自分の頬からあたしの指を引き剥がし、彼は言う。
「……勉強の進捗、どうよ?」
「真面目に勉強する子に見えるー?」
「見えないっすねー」
持ってきたパックジュースにストローを刺しつつ、元くんは言う。
「……でもそういう方向」
ぷすり。
「演技系の養成所だったり、専門は行かないんでしょ?」
「行かないねえ」
圧力でへこむ、パックジュース。
「佐田のやつ、今からプレレッスンだの体験入学だの色々行ってますよ」
「行ってるみたいねー」
「ユキ先輩どうすんの」
元くんの問いに、ふっと時間が止まる。
この先……将来。
明日。
明後日。……1年後。あたしは。
「……どうすんだろーね」
……どこで、どんな顔して……何をして。
「……自分のことっしょ?」
他人事みたいに。そう言われた気がして、また苦笑い。
「元くんは?」
「ノープラン!」
元くんは力の抜けた様子で言った。
「決まらねえ、じゃなくて決めてねえ、が正しいなー! と」
「好き好んで決めてないのかぁ、いいね!」
……そんな感じする。だからきっとそのうちほっといたら、あっと驚くようなお仕事についてたりするのだ。「えっ、あの元くんが!?」みたいな。
「ユキ先輩だっていつもはそーでしょ?」
「そーだったね」
「……何、過去形っすか」
「うん、なんか」
校舎横の木がざわめく。
今日はなんだか風が強くて、砂が目に入りそうだ。
「……なんか、分かんなくなっちゃった!」
……この先のことなんて分からない。分かんなくてもいいんだ!
ずっと、そう思っていたけれど。
その場しのぎで、その場の雰囲気で、ノリで。演劇部に入ったのもこの高校に入ったのも、何となく気が向いて、まるで風来坊みたいに決めてきた……。
「今回、ぜんぜんノらないんだよね!」
「気分が?」
「うーん、ノリがないというか、本当にやりたいことってなんなのか、みたいな!」
演劇部に入ってから今まで、色々なものに打ち込んできた。秀ちゃんの自主練に付き合ったり、自分でもその真似をしてみたり……
出来そうで出来ないことに挑戦し続けて、出来たと褒められるのが嬉しかった。
手ごたえを感じるのも、人から笑顔を向けられるのも。それが嬉しかった。
「それが、ちょっと最近さ? 何かをしようとするたびに思い出すの」
――「勝ちたい、誇りたい! 身の回りの高みには誰もいないんだと笑いたい!」
「……あの、津田さんの言葉」
「……ん」
元くんは言った。
「まあ、真逆の在り方だよな」
「かもね」
……水と油みたいだったけど。でも。
「あたしさ、ほらなんだかんだ言いつつ、津田さんに憧れてたのは事実じゃん?」
「事実か?」
「事実だったと思うよー」
そうでなくちゃあ、あそこで言われない。
スイッチも入らない。
「それは、華があるって言うのよ」なーんて甘やかされて……その気になったりしない。
「反対の人間ほど、惹かれるもんでしょ。……元くんもそうじゃない?」
「何が?」
「気が合わない人でも、『何考えてんのかな』って考えて、とりあえず絡んでみたりとか」
「ああー……」
ぽん、と元くんは手を叩いた。
「よくするな」
「でしょ?」
「……病気だな」
「病気だね」
「隣の芝生が青い病」
「いぇっす!」
……だから、なんとなくさ。ああいうこというのもね。
「しっくりきちゃったっていうの?」
「おう」
「津田さんらしいなーって。本人は必死なんだろうけど、面白かった」
「……本当」
ふっと笑って元くんは言う。
「相当、変わってるな」
「変わってるかも! でも、そう思ったんだー……あの人らしくてしっくりきて、いいなーって」
「…………。」
「なんだか、後ろめたくなるくらいに羨ましい」
「……そ」
「勿論知ってるよー? やり方は思いっきり間違ってる。でもそこまで言える、ハングリー精神っていうのかな。強いもの……」
元くんは頷いた。
「……あたしも欲しかったな、って。ああいうのがこの先必要なんだろうけど、やっぱないなぁって」
「……先とか考えるやつだった? ユキ先輩」
「考えないやつだった」
「……成長かねえ」
「かもねー」
もう一回、頷く。
ああ、と苦笑した。何だこの子、全部分かってるみたい。
「……そう思ってたら、なんか」
「うん」
「『今までどうやってたんだっけ?』って」
そう、分からなくなった。
いきなり、広い海に落ち込んじゃったみたいに。
「色々なもののやり方、分かんなくなっちゃって」
「……主に、それは」
元くんは静かに呟いた。
「……演技の?」
「そう、演技の」
「……そういう類の学校受けるって言ってなかったっけか?」
ストローをくわえたまま、元くんは座り込む。……少し、遠い目をしながら。
「うん、演技学科のある大学とかね。あたしらしくって半端でしょ? 専門学校だと専門性が高すぎてアレな気がして、とりあえず、他にも色々取れそうなところ探して」
「まあ……別にいいんじゃねえの。選択肢を広げる的な意味で」
「で、一芸入試辺りで一発狙おうと思ってたんだけど」
「今の状況じゃ一芸も出来そうにない」
「そういうことー」
首をすくめて、元くんは言う。
「軽くいうなよ」
「軽くいうよー」
「……でもそうか……」
元くんはぷす、とストローの音を立てながら呟いた。
「なんとなく分かる?」
「その頭ン中で、『何があったか』の流れくらいは、な」
「そっか」
客観的に見て分かると彼はいう。
うん、ならいいや。
「分かってる人がいるなら、いっか」
「……いいんだろうな、あんたは」
もう一度頷いて、元くんは立ち上がった。
何か、気持ちをスッと切り替えるように。
「……ま、つまりさ。『なんとなく』で今まで出来てたものの見方が変わったんだ、多分」
「うん」
「それが成長か退化かはともかく、何かが動いた。……例えばだよ、先輩。人って不思議なもんで、何かが出来るようになると、違うものが出来なくなったりするだろ?」
「……うん」
「体操選手が違う種目に転向したりして。筋トレの仕方を少し変えると、体がいきなり硬ーくなったりとか」
「使うところが違うからね」
「そういうこった」
ジュースを飲み干して、パックを振る元くん。
「……だから、あんたは演技が上手く出来なくなったとしても、別のことができるようになる……気に病むなよ、他の何かができるようになるってことさ」
「そうだねえ……ちょっと不安だけど」
「不安だろうよ。俺だって例えるなら、そうだな……足の腱が切れるとか。交通事故にあったとか」
「縁起でもない!」
バスケをやめた元くんとか全然予想できないし、ちょっとやだ!
そんなことをどストレートに思ってたのが分かったらしく……元くんはくつくつと笑う。
「そう、縁起でもねえ。でも、そうなる可能性はゼロじゃない……みんなゼロじゃねえんだ」
ペコっとつぶれたパックジュースのからが、元くんの鞄の近くに投げ捨てられる。
「何かしら、皆理由があって辞めていくんだろ。演劇部手伝ってたあの土方だって結局そうだよ。映研、死ぬ気でやってるわけじゃねえし」
「警察官だっけ」
「親がそうだから、だそうだ」
「もったいないね」
「そうだな。でも映画好きを辞めるわけじゃないだろ? 帆船で遭難したようなもんだ。また風は吹く。帆を張れば戻れる」
「失った時間は戻らないのに?」
元くんは虚をつかれたような顔をして……それから。
「……戻らないなー」
少し、笑った。
「ただ、同じような時間を作るのは……いつだって出来んだろうな、多分。きっと。限りなく同じの、違う時間」
「……」
「だったらさ。……安心して遠回りすればいいんじゃねえの。風が吹くまで波間を漂って、魚釣って、雨水ためて……違うものに目を向け続けたらいい」
笑ってこっちを見てくるそれが、なぜか滲んだ気がして。
「そうすりゃまたきっと、やりたいことができるようになるさ、……今は時間が足りないだけ、そう思って待ってたらいい」
「……気楽でいいね、それ」
「……いいだろ、それ」
屋上らしく、強い風が吹いた。地上から舞い上がった木の葉が、空の向こうに散っていく。
「……あのさ、ユキ先輩」
「何、元くん」
空を見上げていたら、元くんが少しだけ、口の端をあげた気がした。
「……俺たち」
「……」
……振り向いた。
でも、あたしはその表情を覚えていない。今でも、ずっと思い出せない。
「……別れましょ」
「…………。」
きょとん、とした気がした。
ちょっとだけ鼻水、出た気がした。
……ああ。
あたし、かっこ悪いなぁ……と思った。
「いや、あの。そういう顔させるつもりじゃなかったんだ」
「……うん」
「なんていうのか……俺さ、ずっと思ってたことがあるんだ」
「…………。」
「どっかで思ってて! でも口に出すほどでもなくて」
……うん。
「……言えなかったことが」
「……うん」
「……あの、さ」
「うん」
「言えなかったそれが、爆発したんだと思うんだよ。今じゃない、文化祭のあの時にだ! 本当はその時から言おうと思ってた」
一息に、彼は言う。
「別れようって!」
……多分それは、きっと。あたしが転んだときだ。
スポット室のカメラに誰かの影が少しだけ映った。
身を乗り出した人影は、どう見ても元くんの形をしていた。
「思ったんだよ。……強く、強く思っちまったんだよ」
「うん」
元くんはぽろりと零すように呟いた。
「……今だよ。ユキ!」
そう、それは。
「……ぶち壊せ。もう限界だって叫べ」
……不思議と。
ちゃんと、『覚え』があった。
その言葉じりに。その、叩きつけられたような感情に。
「……どうせ最後なんだってやめちまえ!」
「うん」
「そんな、いっぱいいっぱいな状態で……」
あたしは口を開く。からからの口内で。でもしっかりと表情筋を動かして。
「「芝居が続けられてたまるか!」」
……声が重なった。
「…………。」
「……そう、思ったんだよね?」
「……ああ」
なぜ分かったのか、そう言いたげに少し驚いて。
「そう、思ったんだ」
「……うん」
「まだ諦めてないのに……その目に、光はまだ、灯ってるのに」
斜め上から舞台を見下ろす、スポット室から。
その男の子は願った。舞台上にいる女の子に――「何か」が伝わってしまうぐらいに強く。
「お前に、諦めてほしいって思っちまったんだよ。俺。続けないでくれって」
「うん」
「痛々しいから? いや、違うよ。俺が見たくないからだ」
元くんは言う。
「……たとえ一瞬だとしても、お前がそれを乗り越えられるって、信じることができなかったんだよ」
「うん」
「俺さ。さっき言ったみたいに、どんな人間になるかなんて決めてないよ。1年後、5年後、10年後。……何してるかなんて、自分でだって分からない」
分かるわけがない。
だっていかに決めたとして、その通りに行くほうが珍しい。
元くんの考え方はこうだ。
……『だったら予定なんて立てない方がいい。その方が運命に裏切られなくて済むから』。
「でも、俺は……誰かの行く末を信じない人間だけには、絶対なりたくないんだ」
柏原先生のことを言ってるのはすぐに分かった。
そう、柏原先生はきっと少し違う。
……『だったら。「その通りにいかない原因」を摘めばいい』。
「あいつ、人をすぐ誘導するだろ。決まった形を作って、その通りにいかない人間を排斥しようとする」
「うん……」
「怖いからだ。分からないからさ。自分が型にはめられて生きてきたから、型にはまらない人間の感情が分からない。だから怖くない人間を作ろうとするんだ。仲間を見て安心しようとする」
「うん」
「そんなもん俺は嫌だね。楽しくない。……他人なんて、分かんねえからいいんじゃねえか。未来なんて見通せない方がいい……」
そう。彼はきっと、そういう子だ。
「――その、『分からない』を楽しいって言える人間に、俺はなりたいんだよ」
「うん」
だから彼は、苦手なものは苦手だとはっきり認識する。
「隣の芝生が青い病」だと彼はさっき口に出した。それは惹かれてしまうからだ。苦手なものはイコール、彼にとって「分からないもの」。
……「分からない」ことが楽しい。そう思える人間になりたい。
そう言える人間だからこそ、彼は誰にだってフレンドリーに接していくし、イタズラもする。
人が何に対して笑うのか、怒るのか。そこに意識を持ってくる。
「つまるところ……あのとき転んだ先輩を見て。プランがガタガタ、それまで積み上げてきた流れもブチ切れた。そんな先輩を見て、俺は、柏原と同じことをやっちまいそうな気がしたんだ」
「うん」
「あんたの歩む道の……その、邪魔をしちまいそうな気が、した」
邪魔だなんて、思ったことはない。
「……うん……」
「……だから、その。今の俺に、谷川先輩を幸せにする自信は今のところありませんので」
「…………。」
自信なんて、なくたっていい。
「……別れてください」
……あのとき。
そう言えれば、よかったんだろうなあ。
「……なあ」
「うん」
「そりゃ、大事件だと思うぜ? 傷もつく。無傷じゃいられない。あそこまでメッタメタに言われて、あそこまで傷つけられて。平然としてろってほうがおかしい」
「……うん」
「でもな。それを止めなかったのは俺なんだよ」
ぽつり、ぽつりと言葉が続く……まるでにわか雨が降るように。それがだんだん強くなるように。
「あんたが、できるだけ自分でカタをつけたがってたのはなんとなく知ってた。だからギリギリまであのパソコン室には入らなかったさ」
そうなんだろう。だって君は、察しがいい。
「相手に言わせるだけ言わせた。あんたはそれを聞くだけ聞いた。その結果、あんたから演技を取り上げてしまう羽目になった」
「……それは」
――君のせいじゃない。あたしが「聞いた」から。
「考えすぎだっていうのなら、今この場でやってみろ」
「…………。」
でも、飲み込んだ。
そこで飲み込んだのが、考えてしまったのが……そのときの、あたしの敗因だ。
「文化祭公演の最後の10分間、一人で全部こなしてみろ!」
「…………。」
「できるわけねえんだろうが、ユキ先輩!」
……答えられなかったのが。全ての結果だ。
「それだけ傷つけて、その道を閉ざして、何を手に入れたんだ俺は! ……まだあの2人は演劇部にいるんだぞ? 期末が近かったから、タイミングが悪かったんだよ!!」
あのパソコン室の話のすぐ後……元くんは案の定、山内先生に怒られた。それから教頭先生に事件の真相と事の顛末を話して、柏原先生と津田さんにすぐ引き合わせた。
でも……結果、柏原先生は注意を受けた。
それだけの話。
それに関してはあたしも納得はしていた。――そんなもんだ。だってあたしが、元くんが、柏原先生の何を知ってるっていうんだろう!
勿論一部だけしか知らないはずだ。逆にいうと学校側から見たってそんなもの。柏原先生はちゃんと仕事だけはこなす。機械的であろうとやる気がなかろうとやることはやる。テストも作る。
ただ生徒受けが異様に悪いだけの先生。そんな認識だろう。
それに、彼に辞めてもらうにも後釜を見つけるまでに時間がかかる。フリーの古文の高校の先生が、この近辺にどれだけ生息してるっていうのか。津田さんに関しても勿論、ほとんど何もなかった。
でもあれから演劇部の集まりにはばっくれてずっと来ていないらしい。
……そりゃあそうか、居づらいにもほどがある!
いや、それは。……多分。
あたしも、同じだったんだとは思う。
居づらい。
部活内で嫌がらせを受けた、その程度ならまだいい。
だけどまさか先生も一緒になんて、暫くは思ってもいなかった。
いったいどうしてこんなことになってしまったのか。その上、彼もあたしの前から去ろうとしている。
ああ。いったいどうして……。
「……ひっどいなぁ」
「すんません」
……どうして。
今のあたしには、絶望するしか道は残されていないのかなあ。
なんて、ちょっと傷ついてみたりして。
でも、表に出せない。
いつからこんなに素直じゃなくなったんだろう。いつから、彼にここまで意地を張るようになったんだろう。いつから……。
「でもさぁ」
「うん」
……ちゃんと彼の屁理屈に。いつものそれに、反論できなくなったんだろう。
「やる気をなくした先輩に必要なのは、新しい恋、じゃねえんですかね」
「………!」
「違う刺激が必要なんじゃねえの?」
笑う、その声。
覚えていない、そのときの表情。
「……かもね」
……多分、その時。
ようやく、わかった気がしたんだ。
きっとこれが『元くん』なんだ、って。
「……忘れちゃって下さいって。何もかも。俺との関係を断ち切ったら、少しは思い出さなくてすむと思うから」
……これが。
「新しいユキ先輩が、スタートを切れると思うからッ……!!」
……彼なりの、責任のとりかた。
だって彼は知っている。
あの時のあたしがどんな顔をしてパソコン室に入ったか。パソコン室に入った瞬間のあたしがどんな情けない面構えだったか。それから……
「ああっ、もう、なんか……飽きたんすよ! 要らないんです、あんたみたいなイケてない彼女!」
……知ってる。
「重いし! ベタベタするし! 距離感近いしクソどうでもいいことで話しかけてくるし趣味とか本来全然合わねえし変に金かかるし同調圧力凄いしメールは10分に1通来るし!」
……君が、どれだけあたしを見ていたか。観察していたか。
「ああうっとーしいんだよ! 俺がいなくなったら……次がすぐ、決まるくせに!!」
ああそうだね。
君だって、すぐ決まるくせに。
「忘れちまうくせに!」
……忘れちゃうくせに。
「男なんか餌垂らして待ってりゃすぐに飼い慣らせるってヘラヘラ笑いながら思うくせに! ……俺もだよクソ女!」
そうでしょうとも。
「餌垂らして待ってりゃ釣り上げられんだよお前みたいなやつ!」
……君なら大丈夫。
「待ってろやボケ! 大漁だわ! 愛だの恋だのって結局そんなもんだろ……あんたが今までずっと移り気だったのも、津田先輩がずっと俺にご執心だったのも、結局は同じだ!」
うん。
「……欲しかっただけなんだよ、新しい何かが! 自分を突き動かしてくれそうな、新しい風が!」
うん。
「そう、だね……」
……ぐうの音も出ない。だって。
「別れちゃおっか」
「おー、次があるよ!」
……何も、言葉を返せない。だって。
あたしは、君が。どれだけ……
「そうだ!」
……泣きながらそれを言ったかを、察してしまうから。
「……次があんだよ、大丈夫!」
……声の調子で分かるよ?
顔見てなくても分かるよ?
それだけあたしは君が、好きになったんだよね。
大好きに、なったんだよね。
勿論こうして語ってる今。あれからだってずっと覚えてるよ。嫌だと思ったのを。
元くんがいなくなるなんて嫌だ、そう思ったのを。
「なぁ……ユキ」
……ねえ、思えば中々真面目に呼んでくれなかったっけ。
今まで「おい」とか「あんた」とか「お前」とか、「谷川先輩」とか。
……レアだったよね。その、呼び捨て。
「元くん」
「何だユキ」
だっていうのにさぁ。ひどいんだよ?
まるで呼びなれたように下の名前をだよ?
ごく自然に、まるで普段からそう呼んでたみたいに呼んじゃう。
ああ、まったくひどい子だ。
こんな時だけあっさり言わないでよ。
そんな震えた声で呼ばないでよ。
「次があるよね」
「次がある、だから大丈夫……安心して進め!」
カッコつけたふりして泣くのを我慢しないでよ。
「別れて、他人になろうぜ、彼女!」
「……オッケー、彼氏!」
ぱん、とてのひらがぶつかった。
……ハイタッチ、元くんの好きな挨拶。
バスケ部の試合を見に行ったとき、同じ音がした。
ぱんっ。
……帰り道、待ち合わせしている校門で顔を合わせて。
ぱんっ。
別れるときも。秀ちゃんに替え歌で囃し立てたその直後、初めて会った日に大笑いで手を叩きあった、あのときも。
ぱんぱん、ぱんって。
「……ねえ、元くん」
「何だよ」
NOと言えたらよかったんだろうな。
あの時が、最後のチャンスだったんだろうな。
だけど……
――頷いた。
「――じゃあね」
「――おう」
ああ、ダメだったな。あの日のあたしはきっとドのつくヘタレで。駄目な子で。
きっと元くんも同じく駄目なやつだった。
――他の友達ならいうかもしれない。
「そこで居直れ!」「踏みとどまれ!」
元彼とかも非難するかも。あたしをわかってない、そう元くんを責めるかもしれない。
あたしはもっとどん底に突き落とされて、何もなくなって、引きこもっちゃったりとか、するかもしれない。……それでも。
「邪魔になりたくないんだ」と。
あたしのことを考えて、微塵も他の子なんて見ずに“あたしのことだけを考えて”結論を出してくれた元くんに。
彼に、あたしには……『嫌だ』の言葉を、ついぞ言うことができなかったんだ。
――ああ、言えなかったよ。あたし、一言も口に出せなかった。バカだね。
本当、バカだった。




