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13.ぶち壊せ!


 分厚い壁は、多分、音を通さないだろう。

 その声が聞こえたのはきっと、他の教室と同じ厚さの扉の向こうからだった。

 彼の声。そしてそれを少しなだめるのは……秀ちゃんの声。


「佐田、そこどけ!!」

「っ……あいよ!」


 それでも本気で止めるつもりはないようで。次の瞬間。


「どっりゃあああああああーっう!!」


 パソコン室の引き戸が思いっきりぶちぬかれた。……ぼこりと。とんでもない勢いで穴の開くそれ。グーパン。そりゃ空手もやってない子が素手でドアを殴り壊したらとんでもないことになるだろうに、拳が瞬く間に血を飛ばして、思いっきり引き戸を突き破った。締められていたはずの鍵がかんぬきごとすっ飛ぶ。


 ……靴箱のときよりも激しい怒りをみなぎらせた元くんがそこにいた。


「……犬飼くん?」


 津田さんが呆然とした顔で言う。


「俺は……」


 わなわなと震えた口元が、少しだけ上がった。


「俺は、知ってんだぞ、2人とも。……谷川先輩が走る時さ。ちょうど通る定位置にだ。それまで一度も使ってない『花道』。見えた手の位置からして、くるぶし辺りか? 恐らくピンポイントに……見えづらいナイロン製の、丈夫な『糸』が張られてたのを」


 ナイロン製の糸。すなわち……



  ――「あの、先生、テグス落ちましたけど」


  ――「ん……? 谷川か。返してくれ」



 ……柏原先生のあの時持っていた、手芸用のテグス。


「俺が1日目の朝に転んだ理由、知らないとは言わせねぇよ? あれはテストだよな、どの高さまで糸を持ち上げればいいか、実際人を転ばせたらどうなるか」


 手に持ったそれは、よく見なければ分からなかったけど……妙なところで折り目のついたテグスの線だった。それも端がまるで持ち手のように輪っかに結ばれたもの。


「……なあ」


 元くんは今の自分より背の高い、柏原先生を見上げた。


()()()()()()()、この物証、どこにあったと思う?」

「……知らんなそんなゴミ」

「知らんなとは言わせませんがね。おっと」


 手に取ろうとしたそれをヒラリとかわす元くん。


「今取ろうとしたのも証拠になるからね、柏原先生」

「証拠だと?」

「おう」


 元くんは言う。


「証拠も証拠だよ。言い逃れできないよう、慎重に『証拠固め』してきました。……くっだらねえイタズラした後の俺がよくやる手口なんで、洗いざらい全部ブチまけといてやりますが、アレだよ? 言葉での証言なんてぇのは、あの手この手で打ち消せるもんなんだよ」


 そういえば元くんはいつもそういう手口だ。ゲーム機を持ち込んでバカ騒ぎしたときもそうだったし、それこそ柏原先生にちょっかいかけて逃げ出したこともある。そういうとき……元くんはいつも大体、何かしらに理由をつけて逃げ回っていた。

 『犯行動機』をちゃんと言うのだ。

 それも大体は嘘の犯行動機を。もったいぶった屁理屈付きで。

 本当は特に高尚な意味なんて何一つないんだろう。ちゃんと見てたら分かるけど基本的にちょっとした軽いイタズラだし、その場の思い付きだ。

 衝動的なものだから逆に「あったら困る」。そうして全部後付けのはずなのに、いつも何かしら『もっともらしいこと』を言ってちょっとだけ考えさせる。そうして相手を自分のペースに巻き込んじゃうのが元くんだった。


「……まあね、結局は声がでかい方の勝ちになるんだ。それは重々承知してるよ俺も。『言った言わない』の問答に持ち込もうと思っただろアンタら? 学校側に訴えたところでそういう問題になったら、弁の立つほうが優位だ」


 テグスを振りながら、元くんは言う。


「そしてそれが立つほうってのは、大抵の場合において仕掛けた側なんだよ。何も知らずただ巻き込まれた、迷惑ひっかぶった側からしてみりゃ、基本が不意打ちだ。おろおろするばかりで何もできやしない。有耶無耶にしやすいしなりやすい」

「……経験則のように言うところからして小物じゃないか」


 柏原先生の呆れた声に、元くんも同じくらい呆れて返す。


「アンタも変わらねえがよ、小物臭」

「……ふん」

「で、このテグスだ。公演当日にケツポケットから落っことしたやつを真後ろで拾わせてもらったんです。気付いてました柏原先生? 公演終わって暫く、そこの谷川先輩に声かけられるまで……つまり、挨拶が終わった直後から、客席が全部ハケるまで! 俺、アンタの後ろをひっつき回ってポケットずっと見てたのを」


 それはあたしも気付かなかった。

 何かうろうろしてるなーとは思ってたんだけど……


「……案の定、これがはみ出てんだよ。落とさなかったらこっそりつまんで盗み出してでも確認しようかと思ったんですが、結局ケツから落としましたからね。なんなら拾得した瞬間の動画まで撮れちゃってるけど見ます? ご丁寧に探しに戻るまでの一部始終まで残してくれちゃってるよ、“カメラさん”」

「動画?」

「……佐田」

「おいっす」


 秀ちゃんがつかつかとやってきて、パソコンのうちの1台を起動した。


「ちょっと」

「なんですか」

「……あんた、まさか」

「うん、まさかですけど?」


 津田さんの問いに、けろっとして秀ちゃんが答えた。


「あれです」

()()だと?」


 ビクッと大げさに柏原先生が反応した。あれって?


「はいはい、“あれ”が気になるのは分かるが、こっちも注目ーぅ」


 元くんはパンパンと手を叩いて皆の目線を引き戻した。


「……順を追って説明するから待てや。まずはこのテグスの特徴だよ!」

「特徴……?」


 津田さんがそっちを見る。


「そう! このテグス、ちょっと変わっててな。ある程度まで折り曲げると……こう、表面が毛羽立つようになってるんだ」


 ぐにっと元くんがテグスを曲げると、確かに表面がギザギザしている。


「こういうツルツルしてるテグスを結ぶのは、ある程度コツとかやり方があるもんだ。だから手芸の初心者が単純に結ぶとほどけやすいだろ? 勿論コツ掴んでて既にテグス結びに慣れてるような人にも便利な代物、既存の結び方とギザが絡まって、絶対解けない代物になる」

「っ!」


 柏原先生が硬直した。


「あれ? もしかして知らずに買いました? 知ってて買ったんだとばかり。まあいいか、この特徴的なテグスの話ですが柏原先生……アンタどこで買いました?」

「…………」

「いや、俺の後輩にいるんですよね、そこの息子さん。ここから駅でいうと北側に向かって2つ目かなぁ……『落合手芸店』って名前に見覚えは?」

「…………。」


 柏原先生は黙りこくって目を背けるも、否定しなかった。

 どうもそこで……落合くんちのお店で買ったらしい。


「で、実際に落合にも見てもらいました。確認、そして確証がとれましたよねー、本当に綺麗にとれちゃった。実際、柏原先生これ買いに来たよってさあ」


 カチ、と音がした。



  ――『落合落合、演劇部でこんなテグスが落ちてたんだが、これお前んちで売ってた目玉じゃなかったか? ほら、ぐにってやったらこうなるやつ』


  ――『あ、うん、ウチのっすよこれ。そういえばこの間古文の柏原見かけましたけど、あれ演劇部の顧問じゃなかったでしたっけ』



 ……驚いた。元くんが持ってるあれ、MD式のボイスレコーダーだ!



「いやぁ……幕近くのだよ? あんな道幅の狭い場所だ、それもちょっと膨らんだドレスだぜ? 小股でちょこちょこ通らずにはいられねぇよなぁ? 万が一でも、跨いじまう可能性は少ないわけで……そして焦ってる、切羽詰まる。そんな場面でゆったり歩くわけにはいかない。早足で舞台中央に向かう、そんな場面……」


 野獣の危機を察したベルが走って向かう場面。花道でのモノローグから、一瞬観客席に見せる……その、「野獣にたどり着くまでの道中」。


「……百歩譲ろうか。津田先輩。光の下では見えづらい『透明のナイロン糸』を目視できたとして、あれを乗り越えるには、かなり早い段階でジャンプするしかねえな?」

「…………。」


 元くんの視線。真っ直ぐな問い。……津田さんがごくりと喉を鳴らした。


「……あれ、いかなプロでも初見でよけろってほうが難しくないか? どうよ。例えばアンタの母親だよ? いきなりドッキリであれをやられたらどうなると思う? 谷川先輩みたいにコケる? それともめっちゃ超人的な目を持ってて気づいちゃうかなーあ!」


「…………。」


「重力に逆らってー? 2、3メートル浮きながら移動しちゃうかなーあ? なあどう思う、天下の大女優の娘さんよぉ、いかにアンタの中で神格化されてようが、津田実記だって、ふっつーの人間なんだけどあの人!? それもちょっと天然入った優しげなおばさんじゃん」

「失礼な!!?」

「うっせえ信者はすっこんでろ、てめえが好きなのは神格化された芸能人だろうが!」


 ふふん、と笑い声がした気がした。耐えかねたような笑いだ。……ああ、よく見たら秀ちゃんが鼻水を噴き出している。……そういえば秀ちゃんって……。



  ――「たとえば憧れのアイドルがっすよ? ステージに立たない普段は何してんのかなー、とか思うじゃないっすか。したら想像で補うでしょ? それで分かった気になる。満足する。それが3次元に対してのオタク像です」


  ――「でも一番怖いのって、そんな穴まみれのシミュレーションで相手を完全に『分かった気』になっちゃうパターンの人なんっすよ。いーや分かるわけないじゃないっすか、人間丸々一個。願望まみれの想像が現実に即してるわけないっしょ。それで『相手を分かった』『きっとこう言うはず』『ボクは先回って相手の望むことをやれる!』……そういうのが一番危ない」


  ――「3次元に推しがいるやつは所詮、自分の中に作った想像のアイドルに恋してるんだ、本物とは違うと認識しなきゃ駄目なんっすよ。本物のアイドルは妄想ネタを提供してくれるだけの販売店だ。顧客であるオレたちは、その商品を買って、大いに楽しんでるだけに過ぎない。商品と店を混同する人って、います?」



 ……こんな感じのことを、アイドルがファンに刺された系のネットニュースを見ながら言ってたっけ。いつのことだったかさっぱり覚えてないけど。

 ともかく秀ちゃん自身もざっくりとオタク趣味だから、柏原先生に対して色々思うことはあったんだろう。好きな俳優さんやアイドルを追っかけたり、きっと秀ちゃん自身もたくさんあるんだろうな。

 だからこそあの時は言ったわけだ。



  ――「嫌なんっすよねー、一緒にされたくない」


 柏原先生みたいな感じの『距離感のないファン』が一番嫌いだって。



「ってかむしろだよ?」


 元くんはバカにしたように鼻を鳴らした。


「母親相手だったら果たしてやったかアンタ? 本来、本職、本気の舞台公演で、あんなチンケなイタズラ。……たかが高校の、たかが文化祭だからやったんじゃねえの?」

「! そんなこと」

「ほーお」


 元くんは津田さんに近づく。目を合わせたまま、射貫いたまま。


「……面白いな、笑っちゃうぜ。いざ言われたらお前も言うの? そうなんだ? 谷川先輩と同じ返事したよね今? 『そんなことない』。同じ言い方すんの。全然さっきと態度違うじゃん。どうしちゃった、俺に言われるのが怖い? 谷川先輩、さっきアンタと同じくらい怖かったんじゃないの? 気付いてた?」


 その、首のリボンを掴む――相手が男子だったら襟首をつかんでいただろう。そんな気迫。


「なあ。……俺たちは確かにド素人だよ。子役上がりだかセミプロだかなんだか知らねえけどよ。アンタと同じような生活なんて経験したことも考えたこともねえさ。だが、俺たちはアンタが役者業に打ち込んできた分の時間をだよ、密度をだよ。ごく普通の学校生活に費やしてるんだ……」


 元くんはニヤッとして口に出した。


「なあ」



  ――私、ごっこ遊びをする気は無いの。



「……遊びでここにいるんじゃねえんだよ」



  ――遊びでここに居るんじゃないの……将来がかかってんの!!



「勿論全員が役者になるわけじゃねえし、裏方になるわけじゃねえさ。でもこれを応用できる、将来がかかってるんだよ」



  ――遊びだから……あんなに、楽しそうに、笑えるくせに。



「――()()()()()()をナメんじゃねえよ。文化祭の、高校演劇の舞台をナメてんの、お前らだよ?」


「…………。」



 元くんがその首のリボンから手を放す。

 ――へたり、と津田さんが後ろに尻もちをついた。


「ってかな? 重箱の隅つっつくなら、むしろそこを責め立てるより「立て直し方」を褒めた方がまだマシだよ。俺からのアンタの株も爆上がりだったろうさ。元々がマイナスだから、ゼロに向かうだけだけど?」

「おい、犬飼」

「何だ佐田くんや」


 パソコン前から秀ちゃんが声をかけた。


「……時間かけすぎ。巻いていこう」

「……何? やりすぎだって?」


 足元に転がった津田さんを見て、秀ちゃんは言う。


「……まさか。いや、こう言ったらあれだな。『いいぞもっとやれ』みたいに聞こえちゃうな? まあ一応後輩としてちょっとは可愛がってもらった、そんなオレが言うのも角が立つからー……ちょっとぐらい義理立てして、想像におまかせしよっか。ポチカイさん」

「少し笑ってんぞタコ彦くん。すでに角が立ってやがる。まあともかくだ」


 元くんは一仕事終えたような顔で手を払う。


「花道を縦断するように張られた透明の罠。あの幕側にいてそれとなくテグスを引っ張ってたのが津田先輩だし、暗い客席側からテグスを引っ張ってたのが柏原先生だ。勿論、俺のときみたいに最初は柏原先生だけでやる予定だったんだろうが、俺のときのテストで分かった」


 本番前のリハーサル――ゲネプロ直前に思いっきり元くんが頭を打ち付けたあの事件。あれは確かに、津田さんも目に見える位置にいた。だからすぐに元くんに向かって駆け付けてきた。


「人を転倒させるには自分の相方が幕に隠された柱じゃ、安定性が足りない。すぐに高さがずれるし、テグスの回収がそもそも難しい……だから、『本番』は津田先輩が先っちょを持った」

「ほう」


 柏原先生は言う。


「……見たのか? そしてそれが分かったところで何だ、そのレコーダーは再生しながら録音できるような機能でもあるのか? お前たちは所詮ガキだよ。『嘘をついている』。それも普段いたずら者の犬飼が、教師を陥れる為についたタチの悪い嘘だ。こう言えば信憑性の欠片もない。ただでさえお前のふざけっぷりは何度も職員会議に上がってるからな」

「へえ」


 元くんは言った。


「……誰が、レコーダーは1台だけだなんて言いました?」


 ぽち、と秀ちゃんが動画再生ソフトを起動する。


「……あ」

「別に、アンタの行動を記録するのは……ボイレコだけじゃなくたっていい」


 表示されるそれ。公演時の舞台上を、斜め上から映す映像。――これ。あたしはすぐに気付いた。

 元くんがいるはずの、スポット室からの眺めだ。


「これ……」

「あの部屋にもあった防犯カメラ。いや、監視カメラだよ。言ったろ? この学校は校長が機械音痴だって。数年前に一度、文化系の部活で問題が起こってな……急遽、トラブル防止のために学校中のあちこちにカメラが取りつけられることになった」


 ……覚えてますかね、柏原先生。元くんは呟く。


「……当時アンタとも面識のあるはずだった美術部の全方位オタク。見た目はクソ地味な優等生だけど変わり者の犬飼くん、いたでしょう? あれ、絵に描いたようなオタクのくせして人脈が広いのよ。誰にでも愛想いいし、礼儀正しいし、人懐こい。その分友達多いんだよねあの人」


 バイト先として門をたたいた劇団。そこに普通にいた大スター。でも臆せず、恐れることなく普通に楽しんで働いた。色々なことに挑戦したし、力を尽くした。きっと元くんのお兄さんはそういう人だ。……『縁の下の力持ち』。元くんほど目立たない、表に出ない。だが、絶対にいないと困る。

 そう言われる人。


「……アナログ人間のこの学校の校長と、デジタル世代ど真ん中なあいつで、普段なんの話で盛り上がってたと思う? 夕飯時に流れるたった30秒のカレーのCMに出てくる女の子がいかに可愛いかでアツく語れる間柄だぜ?」


 だからこそ白羽の矢が立った。

 校長先生から呼び出された彼は、監視カメラの設置について相談された……。


「そう、カメラ設置騒動。その時に手伝ったのが俺の兄貴だ。……曰くだよ? その問題とやらはまさに、『演劇部の人間関係』のトラブルだった。言った言わない、やったやらない。そんな話で暫く大盛り上がりした結果だったらしい」


 動画が飛ばされる。公演が始まって話が進み、それから40分。……暗がりの中、移動する柏原先生。幕の裏に不自然な姿勢で隠れている津田さんがそこにいた。


「……こうして映像を拾ってりゃ、少なくとも『やったやらない』は防げる」

「……暗転中だったはずだが?」

「そこはあれだよ、設置した当人が偶然目の前にいたからな。レンズを暗視もできるそれに変えて設定の変更まで……それから。データの盗み出しまでやってもらった」

「……あの時か」


 そう、元くんが舞台で転んだ日。

 お兄さんはその様子を見ていたし、元くんに頼まれごとをされていた。



  ――「……兄貴、カメラといえばだよ? この辺さ、まだクワガタが出るんだよ。クワガタって夜行性だろ? 暗いところでも動画が撮れる。そんな便利アイテム、持ってません?」



 柏原先生は口を開く。


「つまり犬飼。お前は、この学校に設置されたカメラの仕組みをある程度知っていると?」

「ああ、ちゃんとした管理会社には委託してないってことも承知済みだ。金かけたくなかったんだろうな? 要は素人のできる防犯対策のごっつい版だよ。撮影された映像が、無線で飛ばされてある場所のハードディスクに保管される。それが、データがパンパンになる前に古い順に消えていく」


 トントン、元くんの指先に軽く叩かれるアダプター。モニターからのびたケーブル。


「……設置したカメラも、所詮電気屋街でかき集めたいろんな性能のやつだ。画質だったり容量にちょっとバラつきがあるんで一概にもいえないが、保管期間は大体1週間前後……」


 ……だからこそ、逆に証拠集めもはかどったわけだ。

 元くんはそう言ってポケットからUSBメモリを出した。


「兄貴もなぁ、大概暇人なんだよ。あの日にレンズ変えて、そこからまたしれっと本番中にも来るだろ? で、普通に卒業生のふりして校内をうろつく。管理者にしか分からないはずのパスワードの隠し場所まで知ってやがったから、ハードディスクの中身とか普通にコピーしちゃうし、そこに改竄の形跡があることも教えてくれたぜ?」


 いくつかのUSB。見せびらかすように振る、それ。


「曰く、谷川先輩の靴箱前の映像がおかしいそうだ。1週間以上前の映像が普通に残ってる。つまり、こまめに消されてる可能性があるんだと。容量パンパンになる前にさ。――で、この話、横でフンフン言いながら聞いてた佐田くんが、ちょうど面白いことを言ってくれまして」


 今度は紙切れを出す元くん。意味の通らない文字の羅列だけが短く印刷された紙。どこかで見覚えがあるような……。


「……なぜか津田先輩、管理者パスワードを知ってるって言うんですよ。どこで情報が漏れたか知らないが、アンタはここの学校の監視カメラの映像がどこに保管されてるか知ってたし、そのパスワードの隠し場所……自動で数カ月ごとに設定し直されるそれが、いちいち表示されるようになる特殊操作を知っていた」


 ……津田さんの肩が、ピクリと動いた気がした。


「兄貴が非常時に校長でもカメラを確認できるように仕組んだそれだよ。で、その在処を佐田に漏らした。一番可愛がっている後釜に、一番言っちゃいけない秘密を洩らしたんだなあ」


 ……ようやくあたしも思い出した。それに似た紙を見たことがある。

 最初のミーティング。それで、ベルを決めた投票の時。

 ホワイトボードの写真と一緒に、秀ちゃんは紙を渡していた。


 あれはもしかして……元くんがどっちに入れたのか、自分の目で確かめたかったんじゃ?

 だから、秀ちゃんに確認させてきたんじゃないだろうか?

 だって部室にもカメラはあった。


 ――そりゃあそうだろう、以前事件があったのは、演劇部の部室だ!


 ぽん、とパソコンのモニターを軽くたたいて、元くんは転がった津田さんに目を移した。


「で、知ってたはずだよな、津田先輩。ここのパソコン室にも一応、そこにカメラがあるだろ。このカメラ……実は前もってスイッチを入れてモードを切り替えておくと、音まで拾える。『言った言わない』が防げるんだよ」



 パチッ。


  ――『お前には可能性を感じないんだよ谷川。そんな夢には程遠い。可能性のないゴミを排除したい。――おれが考えてるのは、それだけだが?』



「……音質いいなあ」



 カチッ。


  ――『潰されたくない、だから潰す』



「……ほら、丁寧な仕事でしょ? ()()()()()()()()()。寄ってたかってひとりを執拗に追い詰めてる先生と、演劇部のトップ。逃れようもない証拠だな? しかもこれ、この場で、事が済んでからスピーディに消すつもりだったろ」


「――……。」


「そう……ハードディスクがあるのは、実はこのパソコン室なんだよ。普通職員室とか校長室に置くだろうに、何でかここにある。……佐田くんが今開いてるのがそれだよ。監視カメラのデータ、動画までついてくるレコーダーだ」


 ――瞬間。


「っ……!」


 柏原先生が動いた。不意打ちのつもりだったらしいが秀ちゃんのほうが早い。


「へい、犬飼ぱーっす!」

「ハイ毎度あり!」


 データのコピーされた『新しいUSBメモリ』が宙を舞う。勿論それを取り逃すほど、元くんの運動神経は鈍くない。


「……こ、の!」


 ぱしん、と怒りに任せて肌を叩く音。ハッと見ると津田さんが復活していた。立ち上がって、秀ちゃんに向かって手を振り下ろしているそれ。

 ああ、なるほどあの表情……。元くんのお兄さんがからかって言ってた台詞を思い出した。



  ――「んじゃあ、みっしー、前から君が呼ばれてたつだみー! あと……そーね、般若! このいずれかにしよう、おれに呼ばれるならどーれだ?」



 ……確かに般若、そっくり。


「え、なーに!? オレを殴れるほど面白い人だった部長!? ああなんだ。ちょうどいいや……殴られたら、さすがにオレも怒っていーですよね!?」


 ガッと羽交い絞めにして、関節技をキメるそれ。右腕に負担がかかる。


「い、ぎっ」

「なあなあ部長! ゆっきー先輩にべっきべきに折れてほしいんなら、アンタもその分へし折れちゃったら?」


 その体勢のまま、秀ちゃんはニコッと笑った。


「勿論骨が折れろとは言わないよ? そんなことしたらオレ、下手すると前科一犯になるじゃん! ひっじょーによろしくない。オレにだって夢があるからね? アンタと同じで死ぬほど好きなものがあって、その為ならできるだけ犯罪とか起こしたくないのよ」


 ――ギリギリと力を入れる、その腕。パキパキと鳴る、関節の音。


「誰が前科モンを自分のプロダクションに入れたいと思う? そう……津田先輩知っての通り、オレ結構なガチ勢なんだ。ガチ勢だからこそオレを気に入ってたんだよね、津田先輩?」


「…………っ」


「――ガチ勢でかつ、自分より絶対巧くならないから。才能がないから。努力で進むしかない、自分と同じ凡才だから。羨みようがないし、見ててスカッとする。心地がいい! 「こいつよりましだな」と思える、下を見下ろして自信が持てる! そういう対象だったでしょ、オレ? ……誰がどう見てもピエロで、嘲り笑って大丈夫なキャラクター」


 へらっと笑って彼は言う。


「うん、()()()()()()()()()? で、言っとくけどオレもそうだったよ? 「あ、津田先輩だ、ちわーっす。こいつよりましだわー!」とずーっと思ってましたし」


 津田さんの顔が歪む。怒りに火をつけたらしい。


「……まあ仕方ないっしょ。そこまで怒らなくても。誰が上だとか下だとか、人の物差しによって幾らかは変わるもんですし。この世に正義のヒーローが一人しかいないわけじゃないように、そして信じる神やら仏が自由なように。アンタのそれ自体は否定しない――否定しないから逆に主張する。それが本来のオタク文化ってもんだろう。プロ志望なんて全員オタクの集まりだよ。ちょっとキモくないだけだ」


 暴れようとした津田さんを抑えつける。――壁まで押して、退路を塞ぐ。


「で、演劇オタクらしく主張しとこっか? オレさ、好きなんだよねえ、犬飼と同じで。舞台上に立ってるゆっきー先輩。……勿論見たらわかる、にわか勢だ、ガチ勢じゃないよ? 本気でプロになろうって気はないんじゃねーの? よくてアマチュア劇団のナンバーツー辺り? でもさ、それでいてすっげー『()()()()()』んだよ。それなりに本気でやってんだから、アマチュアでもカッコいい! そう思っていいんだ。アンタ、あれだろ?」


 『大層なことないですよ、解釈違いを起こしたオタク同士のディスり合いですよ』!

 ……みたいな軽い口ぶりで、秀ちゃんは言う。


「――こーんなアマチュア劇団並みのやつに、自分を追い越してほしくないから!」

「!!」

「将来性とかー! 軽ーく潰しとこう、みたいなー!? ……でもねえ、柏原先生みてたら分かる通り、ファン怒らせると怖いんだわ。だよなー! ファン2号・犬飼クン?」


 ぴくん、と津田さんが震えた。もう元くんのことは忘れていたようだった。

 元くんの方から、足を鳴らす音が聞こえる。


「……いやあ、完全同意ですねえ」


 見ると、いつの間にか柏原先生がのびている。少し痙攣しているその手には、さっきと同じ色の、少し形の違うUSBメモリが握られていた。……どうもそれを囮にして注意をそらし、床に沈めたらしいことが見て取れる。


「そりゃあ、ねえ」


 柏原先生を見たまま、元くんはゆっくりと呟いた。


「プロとアマチュア、どっちが見たい? って言われたらプロっていう人が多いだろうな? だって博打だもん? それで食ってる。そう言われる人の方が、ある程度の品質は期待できるもん。でもそれ以上の問題だよな。『あー、こういうことするような役者さんなんだー』って、少しでも耳に入っちゃったら」


 そこで振り返る。元くんの表情。

 先ほどまでのように笑いもしない。ただ、津田さんに向けた、何もこもってない表情。


「――普通、ファンじゃなくてアンチになるよなあ。で、大多数は……被害者側のファンになるよなあ?」


 頑張れー、応援してるー、負けるなー、みたいな感じになるよなー?

 そう棒読みで言いながら、元くんはパソコン前に座った。時間と秒数を指定して、コピー。多分さっきの柏原先生がとびかかる様子を改めてUSBに落としたんだろう。


「で、ファンにならなかったところで。普通の演劇好き目線でいうとだよ? そりゃあ、役柄と当人関係ないとは言っても、正直集中できないよねえー……」


「待って、犬飼くん……」


 彼女は震える手で紙切れを差し出した。

 ……ああ。その紙切れに書かれた名前にあたしは悲しい気持ちになった。


「へえ」


 元くんが目を丸くして、それを見た。


「……まだやんの、その作戦」


 津田さんのお母さんがそこではニッコリと微笑んでいた。有名な女優の娘。……その肩書きを今までこの人は、こうして使いまくっていたに違いない。

 元くんは呟いた。


「……これ出せば、柏原も買収できた」


 ロングヒットしている舞台演劇のチケットを片手に許しを請う、悲しい図。


「これ出せば、気に入らないやつを消せた……?」

「何枚でもあげる! だから」


「――馬ッ鹿にしてんのか?」



 躊躇無く元くんはそれを払いのける。――ぶつかる手、鋭い視線。追い詰められて壊れた、津田さんのプライドが手に取るようにわかった。それにもう一度頼らなければいけないほどに。藁にもすがりたいほどに。

 彼女は、「心」を折られている。



「馬鹿になんてしてない!」

「してるだろ」

「してない!」

「――嘘こけよ。思いっきりしてんだろうが」



 元くんは言う。



「俺じゃねえんだよ。()()()()()の話さ、どんだけ馬鹿にしてんだよ」

「え……」

「アンタ、誇りに思ってんだろ? 散々ライバル視しときながら、越えられない壁みたいに思ってる。違うんだよ。それ多分だよ、『越えたくない壁』なんじゃねえのかよ。――ちゃんと見ろ。じゃねえと、出てこないだろうが」


 なあ、と元くんはため息交じりに強い口調で呟いた。



「人を褒めるときに、自分の一番嫌いな人間の代名詞を使うかよ? ネットでもよく見るよ。あちこちで言われてんだろ? アンタの母親……。アンタが勝てなかった、勝ち取れなかった役柄で、アンタが思いっきり落ちたとき。母親が受かった時! そう言われてんだろ!? アンタに足りなくて、母親に足りてるそれを」



 元くんが床のそれをすくい上げる。否、拾い上げる。題目と一緒に写った素敵な笑顔。空気の華やぐような、その存在感。――元くんはそれをチラリと見て、思い切り津田さんの目の前に突き返した。


 まるで、その笑顔を見せつけるように。



「アンタの母親の持ち味を、特徴を。良いところを! ――谷川先輩見て、『華がある』なんて。笑って褒めねえだろうが!!」



 ……覚えていなかった。

 あたしは、元くんに言っただろうか?


 「確かにあなた、巧くないわよ。でもね。あなたは巧いんじゃなくて、華があるのよ」

 ――そう言われた、あの日のことを。


 自信を無くしたあたしを見かねて、津田さんが言った言葉。それで、ちょっとだけ元気が出た。また、演劇部を続けることができた。


 でも言ったんだろう。

 だってあたしはその時、嬉しかったんだ。はじめて人に、自分の演技が認めてもらえて。ちゃんと褒めてもらえたのが、見てもらえたのが嬉しくて。……だから記憶に残っている。

 強く、強く残っている。

 それを、きっと元くんにも言ったことがあったんだ。



「――俺はね、嫌いだよ。アンタのことは正直、顔合わせた最初ッから苦手だった。それでも丁重に扱ったのは。ちゃんと先輩として敬ったのは、表立って馬鹿にしたりしなかったのは、アンタが……それを言った人間だったからさ」


 USBメモリを握り締め、吐き捨てるように続く――ざらついた言葉。


「アンタがいなきゃ、俺は演劇部の谷川ユキには会えなかった。文化祭であんなにハラハラしなかった。感動しなかった。4月のあの日、同じクラスの佐田に演劇部の連絡事項を伝えに来る、この調子に乗りやすい先輩に会うことは、絶対になかった――なあ」


 元くんは津田さんから目をそらしながら言った。



「……俺を、そんなもんで釣られるような人間だと思ってましたか、津田先輩」


「――――……。」



 放心状態のそれ。完膚なきまで叩き潰された、般若の面。


「はい、お終い。……ふはっ、ひでぇ終わり方だな? これが舞台だったら俺、立ち上がってスタンディングオベーションどころか思いっきりブーイング起こすわ」

「オレもー」


 苦笑しながら秀ちゃんが呟く。元くんの声も少し笑った。


「でも言いたいことは大方言った。すまんね次期部長、これ大事通り越してるわ」

「いや……まあ、仕方ねえじゃん。このままじゃゆっきー先輩がメンタルやられて死ぬわ」

「――こいつは死んでいいとでも?」


 元くんがちょいちょい、と指をさす。


「ああ、現部長? 大丈夫でしょ、多分」

「そう?」

「そうだと思ったから、わざわざ説教じみた問答繰り広げたんだろ犬飼。本当なら説明せずにタコ殴りしてんよ」

「え? あー……そこまでワルじゃねえよ」

「そこまでワルだよお前、頭に血が上ってたら」


 元くんは何とも言えない様子で頭をかいた。


「……どうも俺という人間を誤解してるようだなタコ彦くんよ」

「うっせーポチカイ。今更カッコつけてんじゃねえよ。向こうのが明らかに悪いとはいえ暴力沙汰だ。見ようによっては恫喝だよこれ」

「いやいや、その辺はノーコメントでいかせてもらいたいね。ってか恫喝しながらでもカッコつけるだろ普通? 女の子の前だぞ」


 秀ちゃんは苦笑しながらため息をつく。


「ああーあ、早くもいつもの調子だよ。見せつけてくれちゃってー、リア充爆発しろ。すっとんじまえ」

「……監視カメラに記録させていただきましたー」

「おおーうやめて、訴えないで」

「訴えるのは柏原と津田だよ。お前はその後」

「後にやるんじゃねーかよっ」


 ふざけたやりとり。いつものそれ。

 秀ちゃんに噴き出しつつ、元くんはあたしのほうをようやく見た。


「で、途中からほとんど空気だったじゃねえの、ヒロインさん?」

「口挟めないじゃん、あれ」

「ああそう?」


 ……もういい。あたしはようやく大きく息を吐いた。

 ああ、ハラハラした。なんかアレだ。口からいろいろ出るかと思った。あまりにも展開が早かった。


「……ハグしてこねえの?」

「――後でする!!」

「あー、よかったコレいつもの谷川先輩だわ、人に抱きつく準備だけは四六時中できてるわー」

「うるさいもー! 怖かった! もうなんかめちゃくちゃ怖かった!」


 ……本当は不安だった。一人で津田さんと渡り合える気なんて微塵もなかった。そこに柏原先生までいるのだ。だっていうのにひとりで行けるなんて啖呵を切った――啖呵を切ったのに結局元くんたちはやってきた! それも立ち聞きしてたに違いない。普通に話の流れを把握してるし、キレてるし、乱入してくるし――もうなんか何言っていいか、全っ然わかんなかった。


「ってことで佐田くん、後、頼んだぞ、そこの2人を逃がすなよ」

「へいへいリア充リア充」

「それしか言わねえなお前。おい――なあ、どうしたの。いつまで泣いてんだよ」


 元くんが苦笑しながら、USBメモリであたしのおでこをコンコン叩く。


「柏原が起きる前に行くぞ、ユキ、もうひと仕事だ。職員室行こう」

「何? このまま『柏原先生ボコりました』って言うの?」

「言うよ? 山内に」


 ケロッとした様子で言う元くんに、は!? とあたしは聞き返した。


「何も真っ先に自分の部活の先生に言わなくても!?」

「いや、でも一番話聞いてくれそうだろ? でも山内先生なー、『柏原をのした』って言ったらさすがにカンカンになるかなー? 怒ったことねえんだよなあの人―、どうすっかなぁ、バスケ部出入り禁止ぐらいになるかなー」


 ニヤッと笑って元くんはあたしを見た。


「……沸点分かんねえから逆にワクワクすんなぁ!」

「ワクワクしないで元くん!? ねえ、考え直して……まずは違う先生にしよう、ねえってば!」


 元くんは何も言わず、あたしの手を握ったまま走り出す。

 ――その間際、見えた表情。ああ、なんて顔つきだろう。


 絶対今から怒られるっていうのに、やたらに晴れ晴れとした顔だった。

【(現時点での)キャラクター紹介】



佐田(さだ) 秀彦(ひでひこ)


 周囲からの呼び名は「佐田」、「佐田くん」、「秀ちゃん」等。

 (ユキの言葉で話が進むので、地の文では秀ちゃん呼び)

 元の親友で同級生。

 おどけた三枚目を演じているが、その中身は誰よりも真面目に周囲を観察しており、一度懐に入れたもの・気に入った何かに対する拘りは人一倍強い。


 ……特にタコとか。

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