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4.負け犬の遠吠え


 ……車で走って数時間が経ち、俺の目の前には豪邸が広がっていた。


「どうぞ、降りてください。ただ広いだけが取り柄の寂しい場所ですが……」


 ご、ご謙遜を?

 ……うん、さすがにだ。感嘆するしかない。

 3階建ての洋館。まるで植物園のような、ガラス張りの巨大なドーム。

 予想以上にレベルが違いすぎて、もはや何から見たら良いのかわからん。

 確かにそうだな、広い。広いよ。思ってた以上に敷地が広すぎるんだ。

 ……へっ、ご自慢ですか? このブルジョワめ。


「犬飼先生、こっちですよ」


 俺は慌てて時永先生を追いかけた。……金持ちだとは聞いていたが、まさかここまでだったとは。侮りがたし有名人。そして侮りがたしテレビタレント。もうあれだ、歯ぎしりしちゃいたい。


 ……そう、確か2年ぐらい前に「SNS上でじわじわ話題のイケメン講師」としてテレビで取り上げられてからというもの、この人の授業に関しては選択率が異様に高い。おかげで心理学には(ほとん)ど人が来ない。

 更にはちょっと調子乗っちゃってるのか、あの後来るようになったテレビ番組の監修とか解説とか、はたまたバラエティとかもほぼ全部断らないらしいとネットの噂で見た。……それ、やるぐらいなら本業に専念してほしい。仕事してほしい。

 じゃないと何にも勝てない。

 ――勝てない? ああなるほどな。つまり俺は(ひが)んでいると。


 確かに考えてみたらこの人、俺と同年代だ。学年で言えば一つ違いで向こうが上だが、そんなものは社会人になった瞬間には非常に些細な違いになる。

 説話と心理学。科目が違うとはいえ、同じ特別講師枠。……多分、似たような給料。それがここまで成功したのが。飛躍した活躍を見せているのが。


「……ああ、そういう話か……」


 多分「悔しい」んだろう。俺がこいつを苦手な理由の一つは、きっとそれなのだと……ようやく、何となく気付いた。


「馬越、あのお酒を」

「は……はい」


 使用人のような男が慌てたように一礼し、どこかへとかけて行くのが見える。……あれはもしかして、声の調子からしてさっきここに来たときの車を動かしてた運転手さんか? 一度も運転席から振り返らないから顔は見ていなかった。


「…………。」


 何かに怯えているような雰囲気だが、いつもそんな調子なのだろうか。

 ……なぜだろう。もしかしてDVでも受けているとか? いや、勤務中だろうしパワーハラスメント?

 ともかく少し変だとは直感が囁く。確かにこの気にくわないブルジョワ講師、少し神経質なのかピリピリと変な威圧感を放っていることもあるが、別にそこまでの危険人物ではないだろうに。

 ただのボンボンだろ? ちょっと運がよくて成功しちゃった類の。……まぁ、何かこっちの知らない事情はあるんだろうが。

 時永先生は、洋館の一室の扉をパッと開け放つと俺に言った。


「どうぞ、犬飼先生。おかけになって下さい」

「あ、どうもどうも……」


 見ると、そこにはちょっと古めかしい椅子とテーブルが並べられている。

 俺が勧められるまま座ると、先ほど馬越と呼ばれていた使用人さん的な人がカタカタ言わせつつ、グラスとワインを持ってきた。


 ……ってやっぱすげーカタカタ言ってんだけどあれ。割れねえよな?


 時永先生が「ありがとう」、と言うと使用人は一礼し、俺を一瞥するとこそこそとその場を去っていった。

 うん、やはりどうも変だし感じ悪いな。見た目からして結構なお歳のハズだが……あっ、もしかして人見知りか? 普通、人見知りなんてものは成長するにつれ、なくなる人が殆どだ。

 いや、やっぱりちょっと気になるぞ、あの態度。


「これ、個人的に大好きなお酒なんですよ。とっておきにしようと思っていたのですが、せっかく犬飼先生がいらっしゃるので開けてしまいましょう」

「おっ……」


 ラベルを見せてもらう。横文字だが……なんて読むのかはわからない。

 というか、どこの言葉? これ。何語? 素人目じゃ出鱈目に何事か書きなぐったようにしか見えないラベルを見ながら思う。


「では」


 スポッと栓の抜ける音がした。トポトポとグラスに注ぐと同時に、面白い香りが辺りに立ち込める。……あ、やっぱ違うかもしれない。ワインとかじゃないぞこれ。たぶん。

 日本酒の類でもないしビールでもないし……うーん、知っている酒全てに当てはまらない気がする。ただ。


「酒ですね」

「何を当たり前な」


 口から出たのは気の抜けた感想だった。半笑いで時永先生は言葉を返す。……そうだ、当たり前ではある。ただ、妙な心地だった。


「最初にひと口、飲んでみてください」

「あ、ども。じゃあお先にー」


 ……発酵臭はする。濁りはあって、色は赤系。俺はすすめられ、注がれた酒を飲んだ。

 ひと口、半。


「…………?」


 さて。どう表現しよう。……何言おう。ってか、どう思おう。まず。

 飛びぬけておいしい……というわけでもなく。


「ええ、とー……」


 かといってまずいわけでもない。言うなれば、物凄い中間。匂いは面白いが、味はおいしいまずいじゃない。なんだろう。微妙……うん、普通だ。超普通。


「…………。」


 嘘だろ? こんな感じ? もっとなんかないの?

 あれだけガッバガバに飲むヤツだぞ? バカみたいな人がすすめてくる酒だから、どっか美味しいはずだと期待していたのがまずかったようだ。

 ……反省する、たぶん回数を無駄に重ねてるだけだ。期待した分損した。

 舌が肥えてるわけじゃないんだろう。


「どうですか? 犬飼先生」

「……美味しかったです」


 レッツ社交辞令。


「これ、結構お高いんでしょう?」


 思わず追撃してしまったが、調子狂ったばっかりに変なノリになってしまった。これじゃあれだ、深夜によく聞く通販番組のお約束ワードだ。


「えぇ、それはもう。ところで……」


 ……少し、違和感。


「何か変じゃあ、ありませんか?」

「変……って」


 そういえば、なんだか妙な感じがする。

 ギリギリ骨が軋むような、ずれるような感覚。アルコールが回ってきたらそんなことがなくもないのかと一瞬思うが。


「犬飼先生……お尻」


 いや、あのそんな淡々とした声で尻って言われても。

 って、尻……!?


――ズズズ……ブチッ!――


 ……明らかに、何か破けたような音がした。違和感がぬぐえず自分の尻を触ってみる。

 細長い、正体不明の何か。逆に握られたというか……触られた感覚。


「……え」


 ……普段触られないところを触るような。脇を他人にくすぐられるような悪寒が背筋を走る。つまり、まだ触感に慣れていない場所。

 当人である俺が、初めて触る、「自分の体の部位」。……いや、そんなもの、普通はあるわけがない!


「……っ!?」


 体の中にある内臓とかでない限り、俺は「自分を触った感触」を熟知しているはずだ。だって自分の体なのだから……更には体育バカだったのだから!

 肉のつき方、骨の向き。筋の走り。全部意識したことはある。

 腕を触った感触、足を触った感触、腹をさすった感触、全部俺は覚えているし記憶している。だが――今のはどれにも当てはまらない。


 後ろに身をよじり、結果。俺はその正体を見た。


「な……」


 ――なんだこれ。

 そこには黒い、尾のようなものがズボンを突き破っていた。


「……?」


 ――思考停止。うん、ちょっと待てよ。

 意味がわからない。これは……何が起こってる?


「……??」


 何でだか、服が合わないことに気づく。サイズがってわけじゃない……いや、サイズも小さくなっているのだが、そもそも肩や、膝が、まったく合わない。

 もちろん先ほどまでそんな違和感はなかった。気になることはまったくなかったのにだ。


「……」


 自分の体をよく見てみると、ただキツイだけじゃないことがわかった。関節の形や、肉のつき方がどう考えても変わっている。

 ……丸い膝に、伸びたつま先。


「あれか、さっきの……!」


 考えられるのはあれしかない。さっきの酒だ。なんでだか、どうやってだか知らないが……どうやら自分の体は変容しているらしい。


「……っ、ぐ……時永先生、あんた何やったんです……?」


 混乱するのを抑え、平静を装いながら俺は聞いた。


「あははっ。そうですね。よく一人でいる男性や、やり手の男性は【オオカミ】に例えられますが……」


 時永はあのコピー&ペーストではっつけたような笑みで笑った。


「……文字通り、オオカミになってしまう薬を少々?」

「はぁ?! ふざけてんじゃ……」


 わさっ、とそれは一気に視界に入ってきた。……どうみても犬のような体毛だ。

 とにかく冗談ではないらしかった。


「う、く……!」


 顔のつくりが一気に変わる。痛み。不快感。痺れに頭痛……。

 ぴくぴくと自分の耳が動くのが感じられた。あーもうどうなってんだ俺は。


「で、どんな感じですか? それ」


 肋骨と手足の関節、首の付け根のピキピキした痛み。……あまり経験はないが、おそらく神経痛だ。

 人を玩具にして遊んでいるような、楽しげな言葉に。


「ふざけんな阿呆……」


 俺は息を整えながら呟く。……その時さっきの酒の匂いが香ってきた。

 やっぱり普通の酒の匂いとは全然違う。

 というか、まず根本的に違う気がした。確かにそうだ。長い間置かれて発酵したのか、アルコールのような成分は入っている。だが、酒として造られた液体ではない。そんな印象だった。むしろ、近いものがあるとしたら……それは、何かの動物の血液に近い。

 さっきとはまるで印象が全然違う。……匂い? そうか、イヌ科に近くなっているのなら、多少なりとも嗅覚に変化があるはず……?


「いや、思った以上になかなかお似合いですね。犬耳」

「……――っ」


 俺は思わず唸り声を発した。不完全だが、獣のように「ぎゅるるっ」と喉が鳴ったのだ。……ああ、この人はどこまでふざけた発言をしてくれるのだろうか。


「あの、ですね時永先生?」


 ……ひどく喋りづらい。恐らく時永から聞いたら不明瞭だろう。当たり前だ。だって舌の長さと顎の大きさが記憶と全く違う。だが俺としては普通に話している。――だから、ちゃんと同レベルで文字を頭に描こう。


「――ドッキリにも限度ってもんがあるんです、いますぐ元に戻してくれませんか?」


 怒りを我慢しすぎて顔が引きつるのを感じる。

 ギリギリと歯軋りをしながら睨む。


「……ああ、困りましたね犬飼先生」


 少し間をおいて考えてみて、それでようやく聞き取れたのだろう。


「私も戻し方知らないんです」

「ざっけんな!」


 正直見たことないほど楽しそうに、ニッコリと微笑みながらいう目の前の男。当然だが思いっきりパンチをくれてやりたくなる。握り締めた拳が痛い。爪が食い込んでいる。

 ああ、そろそろ堪忍袋の緒が切れそうだ。


「……そもそも『限度』って言葉の意味、ご存知ですかね?」


 言ってやらにゃあ解らんのかもしれん!


「おやおや、どうやら気に入らないようだ。ならこれはどうです?」


 時永は締まりきっていた窓のカーテンを勢い良く開いた。


「ぐっ……う?」


 どうということもない満たされた月がそこにはあった。ただそれだけの……はず、だ。

……だけれども、暫く目線は宙を彷徨い、やがて俺はガクリと膝を突いた。何だ? 力が、入らな、い……


「……あれ? 犬飼先生?」

「………ウゥ~」


 ――()()()()()()()()()()()


「……もしもし? 犬飼さん?」

「ウゥ~……!」

「……あ」


 気付いたように、時永は呟いた。


「まさかこれ、人として意識トんでるんじゃ……」

「…………。」


 ぐるりとのどをならす。

 ――あたまがふわふわする。ずきずきいたい。

 のだが。


「……うわぁ。完全に逃避本能だけで威嚇してる」


 ――いっていることが、うまくりかいできない。けれど。

 からだ、が、いたい、りゆうはこいつだ。

 だんてい、する。おぼろげに――こいつは、このげんいんを、しっている。


「満月見るとそれっぽくっていうか。うん、それっぽくしすぎたかな」


 ……月明かりを受けてレンズが光る。

 つめたい光を放つまま、時永は震えた鼻先を指で強く押し返した。


「! キャンっ」


 慌てたようにのけぞって足を滑らせる。「それ」が言葉を発するにつれ。手を動かすにつれ。


「ヒゥっ!? グッウゥッ! グルルッ……」


 じりじりと目の前の対象に恐怖を感じて後ずさりしたのは……ただひどく大柄なだけのイヌ科の生き物だ。

 全身の毛が逆立ち、後ろに下がり、蹴躓く。

 明らかにその足の機構を扱えていない。本来ならすぐに飛び掛かることもできる。

 目の前のその「こわいもの」を八つ裂きにすることもだ。


「……うーん、頭そんなに良さそうじゃないなぁ」


 そんな意思表示をものともせずに、時永はため息をつく。


「……まぁいいでしょう、巧く行っただけでも合格ラインだ。これで駒は2つまで揃った……」


 時永はそういうと、扉の外で待機している使用人へと合図を送った。


「……片付けろ、馬越」

「…………。」


 使用人の男は何も言わず……ただ、大きく息を吐いた。


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