10.答えを知っている人
「こんにちはー、演劇部でーす」
「『美女と野獣』5時30分から文化祭最後の上演になりまーす! よろしかったらどうぞー」
「どうぞー」
今の時間軸はねー……確か2日目の2公演目の、開場1時間前。舞台のある体育館の入り口で、あたしはゆっくりとビラを配っていた。
「41期ぃー、3年生最後の晴れ舞台でーす」
「ぷっ」
最初はあたし1人の予定だったのに、隣にしれっとついてきていた元くんの営業文句に笑う。
「……なんだよ美女役」
「妙なトコ細かい!」
「ほっとけ」
「何期生とか普通知ってる!? 意識するの卒業式くらいでしょ、いいトコ入学式とか!」
あとそういう式典ですら元号××年度卒業生とか、そういう言い方をするのがテッパンだと思うんだけど!
「……俺は知ってるから逆算した」
「なんで知ってるかなー!」
でもそうかー……卒業かぁ……。
そんなふうにしみじみと考えながら、ビラを配る。
最後だなんて言われても正直、まだピンと来ていない。最初のミーティングでの「3年メインで」な秀ちゃんの気遣いだって、知らないわけではなかったけど。
だから、「これで最後」なんて認識だったり感覚を、あたしはほとんど得ていなかった。けど、どんなお芝居だろうと「興味を持って貰えなきゃ意味がない」のはなんとなく知っていた。
だからここに立っているわけで。
……主役の美女、ベルの華やかな衣装のままビラを配ることで少しでもあたしが広告塔になれれば御の字だ。
勿論裏では色々ある。手紙の騒動、津田さんのワンマンっぷりに反発する後輩勢。空気読めなくてヘイトをためっぱなしの柏原先生。
だから問題がないわけじゃなくって、何もかも忘れて仕事や作業をこなすなんてきっと難しい。それは知ってるけど……でも、悪い面ばかりでもないのが、あたしの今、いる場所だ。――そう、『演劇部』。
元くんが居心地よさそうにバスケ部にいるみたいに。津田さんに「実力差が激しい」「犬飼くんに重い荷物がぶら下がってるみたい」とバカにされるような環境でも、元くん当人は落合くんたちと楽しそうに過ごしてるみたいに。
あたしもきっと、なんだかんだで演劇部が好きなんだろう。
それに秀ちゃんの持ってるものがカッコいいのは、津田さんのそれが綺麗なのは……本当のことだ。
あたしはそれをできるだけたくさんの人に見てもらいたかった。
そんなことをこぼせば元くんは言う。
「役柄的にはあんたがメインなんだから、俺としては佐田とか津田先輩よりそっちを見てほしいんだけど?」
「……うん、普通はそうだねえ……」
「なんだよ歯切れ悪い」
こういっちゃ、あれだ。
秀ちゃんや津田さんにこんなこと言ったら怒られるかもしれない。そんな覚悟で、そんな気持ちで普段、舞台上に立つのかと。
でもやっぱりさ……あたしには、2人と比べて「巧さ」だったり「見所」だったりはないんじゃないかな、なんて今更思ってしまう。
正直言います。うん、自信がない。今でもない。
……いや、やる気はあるよ?
むかしむかしに華があると言われて嬉しいよ?
でもそれだけ。それは「客観的な目線」での感触だ、それをあたしが自覚できていない。それはホント、役者としては痛い。
恐らくあたしのメンタルが若干変わってるせいだ、全部あたしの自意識がフワッフワだからだ。
特にあんな秀ちゃんの話を聞いちゃうと、余計にそう思える。
――「だから全力なんだよ。『ベターではなくベストを尽くした』。それがわかるようなものにこそ、オレは拍手を送りたい。……そんな空間を、オレたち自身の手で作りたい」
……そんなしっかりした考え。言葉。
前から思っていた自己評価が今更ながら心に突き刺さる。
比較してしまう。
“「谷川ユキ」はいつも誰かに寄生している。精神的に依存して、安心して、じゃないと毎日を過ごせないでいるんだ”と。
誰かに頼ってばかりで、自立できない。異性だと。付き合っていると。そんな理由をつけて寄生する。しかもそれを住処や宿のようなものだと思っている。
「宿」がなければ生きていけないとすら思う。だからこそ、別れても別れてもすぐに代えが見つかるし、見つけてしまう。
……「替えのきかないもの」を元くんと出会うまでは知らなかったのだと、今なら分かる。というか持ってなかったんだ。あたしにとっては自分ですら「替えがきくもの」だったから。
人に合わせて形を変える。「自分」なんてない。誰にでも大体合わせられる……つまり我が強くない。ただ相手の思う「谷川ユキ」を演じていればいい。ある程度「相手の望むこと」をすれば、男の子はコロッとあたしに転がってくる! ……他の生き方を、あたしは知らない。
そんな、フワフワな人間には……秀ちゃんみたいなことは絶対言えない。
「……無色だからね、あたし。色がないんだよ」
そういえばこれを聞いている人、ちょっと物語から戻ってきてほしい。――メタ的なことを言うのなら、4話くらい前。手紙を見ながら。ポテチを食べながら。そう、ちょっと前にもあたしは言ったね?
『役柄には必ず最初から、特有の色がある』。
……あたしはそれを軸に形を作って、上からそうっと無色の自分を合わせていくだけ。
演劇部の「谷川ユキ」が使うのは、最初から役柄が持っているナチュラルカラー。だから客席の人たちがもし、あたしを見て「のまれる」と感じたのであれば。
塗り替えられると感じたのであれば。……それはあたしの色でなく、役の色。
「……それで?」
このとき、元くんにも同じ話をした。あたしから見た、「谷川ユキ」を。
「秀ちゃんも津田さんも、ちゃんと自分の色を持ってる。そう思っちゃうと悔しくってさぁ……」
「え」
「……何よ?」
「……悔しいとか思うことあったの、この人?」
「失礼なっ!」
背中をバシンと叩いたけど、元くんは「痛っ」と呟いただけだった。「痛っ」と呟いて……
「……でも滅多にないだろ?」
真面目な表情。
「いや確かにそうだけど。でもあたし、これじゃ役者さんっていうより、よく動く人形じゃん?」
「……あーあ。わかってねーなぁ」
元くんは苦笑いしながら呟いた。
「言ったろ。前に俺は谷川先輩を水に例えた。……周りに対する壁がない、垣根がない。人との間に堤防みたいなものがない。水みたいに誰とでも馴染むし、人に合わせて形を変える!」
それは確かに聞いた。初めてあたしにあの手紙が来て、憤慨した元くんをあの手この手でなだめた後に。
「そう考えると確かに地味だぜ? 一見特有の色がないし、その辺にありふれてるように見えるかもしれない。無色透明。時たま煌びやかに光を反射する……その程度」
ただ、と彼は付け足した。
「……どんな水にも、必ず「色」はついてんだよ。透き通った水にだって薄く水色がついてる。だから世界一の水溜りは青くて深い海色なんだよ」
「……なーにそれ」
「本気で無色なものなんて、この世にないってこったよ。ああない。無駄な人間、無駄な色、無駄なもの、何一つない。無駄な努力なんてものもない! あるのは、それを無駄だと結論付けちまう人間だけだ。目の前のそれに意味なんて見いだそうと思えば、いくらだって見いだせる」
自分がない、色がない?
そんなもの……あんたが見た「谷川ユキ」だろ?
「俺は俺自身から見て、演劇部の谷川ユキが好きだ。いかに色が薄かろうが、光を透して反射する、あんたが好きなんだ」
「……そ」
「……おう。本番前に何ドツボにハマってんですかね、この先輩」
照れくさそうに笑いながら言うそれに、ようやく気持ちが軽くなったのがわかった。……うん。やっぱり不思議だよ、この子は。
「仕方ないじゃん、人間、思考することはやめられない。パスカル先生も言ってるでしょ!人間は考える葦である!」
「いやいきなり知的な発言をしないでくれません?」
「ふふっ、なんだかすごく仲良さそうね」
すると、すぐ近くで比較的やわらかい、おっとりとした声が響いた。振り向くと見覚えのある顔があって驚く。
「あなたが主役の子?」
よく見れば、その手にはパンフレットとビラ。……お客さんだ。この人、お客さんで来てる……
「――はい、こんにちは!」
ちょっとした驚きと、動揺。
それを出さずにあたしは挨拶した。
「今回ベル役やらせていただいてます、谷川ユキです!」
「……」
元くんがぺこりと会釈。
「うん、やっぱりその笑顔! 写真見たときから可愛いなぁと思ってたけど、本物も素敵ね!」
その言葉一つでなぜだろう!
見える景色が違ってみえた気がして、思った。……すごいな。
「お姫様みたい」
「ありがとうございます!」
……やっぱり、津田さんのお母さんだ。
今しがた目の前で、パッと花が咲いたような心地だった。もちろん津田さんとは印象が真逆なんだけど、言うことも違うけど。それでも一言一言に「何か」が詰まってる。それだけは同じ!
「津田美潮さんのお母さん、ですよね? いつも美潮さんにはお世話になってます」
「いいのよそんなのー……って、珍しい! ちゃんと美潮のお母さんとして扱ってくれるんだ。特に柏原先生なんかいつも学校でだって舞台女優扱いなのに、ちょっと嬉しいなぁ」
そう言って本当に嬉しそうに笑うその姿にはやっぱりなんというか、目を離せないような魅力があって。
……やっぱり住んでる世界が違うんだなぁ、と思う。
でもそれ以上にどこかあたたかくて。あたしが知っている「役柄上」だったり「舞台上」のその姿よりも、凄く人間味があって。
……うん。
こう言っては変なのかもしれないけれど、“ごく普通”のような気もした。
それだけは、あたしの知ってる津田さんと違うところ。
「……ところでもしかして君、カズナミくんの弟さんじゃない?」
「あ、はい」
お兄さんの名前が出されて、元くんが今度はしっかりと答えた。
「あっち向いて話してる後ろ姿が会った頃のカズナミくんによく似てるからまず君に目が行ったの。したら隣にいるの、パンフに載ってるベルちゃんじゃない? って思って……うん、思わず声かけちゃった!」
それを聞いた元くんは苦笑い。自慢げな感じとその他もろもろが混ざったような表情で言った。
「……うちの兄、変わってますよね。ご迷惑おかけしてませんか?」
「ぜんぜん。むしろ気配り上手で驚いちゃった。あのときまだ高校生だったのにしっかりしてて……あ、聞いてる? 4.5年前にうちの劇団でカメラ撮影してたの」
「ええ」
「あのときね、本当はカメラ撮影だけやってくれるはずだったのに、結果的には電話応対から打ち上げのお店選びまでやってもらっちゃって仲良くなったのね。あれは困ったけど嬉しかったなあ」
あー……。そういえばそうだった。そういう節がある人だった。
最初は背景の絵だけだったのが、いつの間にか小道具まで。
「……すごいよね。私、高校生の頃、あそこまで色々できたかしら」
あ、元くん鼻高々だ。普段表立っては言わないけど、お兄さんから塩対応されたり嫉妬されたりしてるのが可哀想なぐらいに尊敬してるもん、お兄さん。
「すごいでしょ! うちの兄貴!」――そう言いたげに小鼻がふくらんでる元くんの横で。
津田さんのお母さん――津田実記さんは困ったように真逆の顔つきをした。
「……あの子、プロンプターまでやってたのよ? 稽古のときに欠員が出たら、いない人の代わりに台詞を投げたり、誰かとちってたら目配せして来たり。しかも台詞読むときとかちょっとうまいの」
「……あ」
最初のミーティングでの読み合わせのときに、元くんが妙に怪演だったのを思い出した。――血筋か。これ。
「素人なのに何でもできる。――比べちゃうとね。いつも通り、自信ないなぁ」
「自信ない?」
「ええ、みんなそうみたいだけど、私がだいたいズバッとやって。タタタッとできるように思ってるでしょ?」
実記さんはいう。
「でも基本、演技と自分自身の性格に対してはそうなのね、私。おっかなびっくりやってたら何故だかみんながついてきてくれて。何年やってようが変わらないの。気付けばここまで来ちゃった」
……どんなにカリスマ性のある役者さんでも。
「フワフワっとやってたらこうなるものだから、未だに全然自信がなくって」
彼女なりに悩みがあって。そして、それは。
「……同じです」
あたしのものになぜだか似ていて。
だから、思わず呟いた。
「あたしも、自信とか確信とかあったことないです。男の子相手なら自信満々にもなれますけど」
「ぶっ」
元くんが噴き出すのが聞こえた。わ……笑うなっ!
「舞台演劇は、なんか違くって。あたし、高校で初めて演劇部入ったんです」
それまで興味はなかった。でも、廊下で上級生の男の子に勧誘されて、ノリでついていったのがキッカケで。
入ってみたらそこには津田さんがいたし、何というか空気が異質だった。違う。空気が異質だったんじゃなくてあたしが浮いてただけだ。
「……誰もいない」
『なんとなくノリで!』、そんなことを言えちゃいそうなフワついたスタイルの人はほとんどいない。明確な目標、そこに至るまでの段階、理屈。全部を自分なりに想定して、行動を起こす。「もし自分が、この役柄だったら」。それを真面目な顔で語れる、体現できる。その姿に惹かれた。
ただ……カッコいいな、と思った。
「……あたし、そういうの不得意で。ちゃんとできてるのかなって。初めて参加したあたしが「カッコいい」と思ったそれに、近づけてるのかなって。ただ、目の前のことをこなしてるだけの機械になってないかなって」
実記さんは軽く頷いた。
「……なんだ、あなたじゃあ似たようなタイプだ」
「でも、違いますよ」
「違う?」
「だってあたし、中身がないんです」
――どこにこんな勢いが隠れていたんだろう、と思うくらいにすらすらと。口から言葉が出た。
「実記さんみたいに、一言一言にそうやって何か特別なものを込められない……津田さん……美潮さんみたいに頑張ってない。何か必死に考えを巡らせたりもしたことない。どうやればいいかなんて思ったことない。ただ、なんとなくやってて気づいたら!」
肩をトン、と叩く音。
「……違わないね、じゃあ」
実記さんは言った。
「私も、中身なんてないから。あるのかもしれないけど、考えたことはないよ。どうやればいいかなんて思ったこと、一度もないよ? そういうの考えるの、苦手だから。あなたもそうでしょ? 勢いでやっちゃう」
……同じだ。
「あなたが私に『一言一言気持ちがこもってる』と感じたなら、それはきっとあなたがそう捉えたから。そう感じたからね。あなたはきっとそうね……ただ、投げるだけなんだわ。全部投げ打って、過程だとか段階だとか一歩ひいたところで考えずに役柄になるだけ」
実記さんは少し困ったように続ける。
「……私もそう。そんな人もいる。絵画で言うなら、ゴッホとドガで描く絵が違うのと同じよ。作り方なんて千差万別だもの! 理屈でどうこうじゃない、過程も段階もすっ飛ばして目の前の誰かになりきる。入り込む。それだけで全てが完成するなら何も理屈をこねなくていい。私がそれに何も込めなくても、見た誰かが自分の『中身』をそこに投影してくれる。……お客さんはね、私にとって鏡なの。人って自分の目で自分の体の全体像は見られないでしょう?」
「…………。」
「でも、あなたがもし私と同じタイプの人だったなら……お客さんにはきっとあなたが何者であるかが見えている」
元くんが視界の隅で頷く。
「そしてそれを、ちゃんとリアクションで教えてくれるの。あなたは確かに中身がない子かもしれない。でも、客席から見えたあなたは違う。お客さんがきっとあなたを見て勝手に考えてくれる。『あそこの言い方はきっとこうだからああなったに違いない!』なんてね」
「実記さん……」
「お客さんは『あなたにしかできないベル』が見えてるのよ。あなたは相手を信じて。キャッチしてくれるって思って投げるだけでいい。ぜんぜん、難しく考えなくていいんだから! 演技っていうのはね、ベルちゃん……」
――「演技ってのは馴れ合いじゃない」
――「感情の爆発だ。フラストレーションだ。それを体現してきたのはお前だろう」
「……ただのお喋り、会話なの。つまり馴れ合いなんだから!」
ハッとした。照明の上から聞こえた声とは、真逆の結論。
「あなた美潮と比べてるみたいだけど。あの子だって苦手なところ、できてないところ……色々ある。まず舞台はお喋り、会話、言葉で出来ているんだから、台詞を通して気持ちをやりとりするのは当たり前でしょ? あの子、真面目だからちゃんと自分だけでつくっちゃうの。考えすぎて自分の中で完結しちゃう。だからそういうのが苦手なの」
たとえば子供向けの絵本だってそうでしょう? と実記さんはいう。
「文字ばっかりじゃ疲れちゃう。たまには描写を省いて自由に想像させたほうが爽快感がある。……人に考えさせる余地がない、『こうだ!』と役者や演者自身の答えを見せつけて、相手を追従させる、力強く圧倒する。それも悪くないけれどね、ずっとそれだと押し付けになる」
「……」
「美潮はそういう節があるの。舞台っていうのはいくら個人の思い入れや気持ちが有り余ってても、1人のままじゃ絶対完成しないもの。演者の声を聞けないなら、お客さんの声を聞けないのと同じ。誰も見てくれないなら、独りよがりなら……意味を、ほとんど成さない」
……あの、手紙の一文……
――「反応」が欲しい。なのに誰も私のことを見ない。ああそうでしょう、わかっててやっています。
――だって人の認識なんて所詮、塗り替えるものでしょう。バラバラなそれを自分の魅力で整列させて、己の元に跪かせるものでしょう。
――だってそれがあなたたち、天才肌の「役者さん」のやり方でしょう?
……誰も見てくれないなら、独りよがりなら……
「あなたはいうなればね……自分で作る人だとか、自分で育つ人じゃなくて『お客さんに役柄を育ててもらうタイプの人』なのかもね。だとしたら素敵だと思わない? あなたはただそこで、台詞をいえばいい。感性に従って思い通りに動けばいい。そう振舞うだけでいいの。それだけで皆の作った、『皆の想像したベル』の担い手になれる」
そう言って実記さんはパンフレットをトントンと叩いた。
「これだけ写真ですら目を惹くんだから、あなたはお客さんに投げて、投げ返させるのが上手い子なのよ。お客さんの目ががっちり掴めてないとこんなやり方、絶対成り立たないもの。……私がいうのもあれだけど! だから、あなた自身が一生懸命やれば、お客さんの想像力はあなたについてくる。オドオドしないで、自信を持って」
演劇部の「谷川ユキ」が使うのは、最初から役柄が持っているナチュラルカラー。だから客席の人たちがもし、あたしを見て「のまれる」と感じたのであれば。
塗り替えられると感じたのであれば。……それはあたしの色でなく、役の色。
そう思っていた。でも。
「――客席から見たあなたはきっと完成しているはず。あなたは確かにそれを、自分では見られないでしょう。感じ取れないのかもしれない。でもね、私はこう思うの」
ゆったりとした柔らかい声は、あたしの心に音もなく滑り込んだ。
何にも邪魔されずに、じんわりとしみた。
「その完成した役も含めて……あなたは、あなたなんだって」
あたしは思わず頷いてしまいながら、ふと元くんを見た。
――「……確かに巧かったんだろうさ。でも、巧かっただけだ。本公演に出た『津田実記』と比較して華がないんだよ。ヘレナをやるだけの」
あの、巧かっただけというのは、何が巧かったか。
実記さん風にいうなら「一人で作るのが巧すぎる」……?
「……華がある、魅力がある。目を惹く」
元くんが口を開いた。
「そう言われるような役者さんは、お客さんと会話みたいにキャッチボールができる人、ってことですかね?」
「うん、まあ……そういうことかもね。ベルちゃんの彼氏さん」
ぐ、と元くんが口を閉じて赤くなった。――ああ、普通に関係性はバレてるよね。というか分かりやすいよね。雰囲気的に。
「え、ちがった? この子、男の子の前だと自信満々になれるって言ってたでしょ。そういうことじゃなくて?」
「違わない、です……」
ぷすん、と蒸気でも出てきそうな顔をして元くんが返答するのを聞きながら、実記さんはクスッと笑ってあたしを見る。
「だから、もしあなたが演技を含めた全部。人生に悩むときがくるのであれば、できるだけシンプルに考えてみること。投げて、受け止めて、投げ返して。それをきちんとやること――ありがとうと言いたいなら、ありがとうと言うこと。客席の心に寄り添いながらも、伝えたいことをきっちり伝えること。……あなた、私と同じ天才肌だからよっぽどのことがない限りそれはないだろうけど、それができなくなったとき、辛くなっちゃうのはきっとあなただからね。基本を忘れたら駄目よ?」
「……あ」
――だってそれがあなたたち、天才肌の「役者さん」のやり方でしょう?
「天才肌」って……
「ああああ!! これはこれは!」
と、そこに柏原先生がすっとんできた。
「柏原先生、こんにちは」
「ここここっこっ、こんにちは! 今日はようこそいらっしゃいましたっ……って谷川、犬飼、こんなところで油を売っている場合か! 早くビラを配りなさい」
「あ、はい」
邪魔だとばかりにシッシされて、あたしはすぐに引き下がった。そうだね、ファンだもんね。
「……ン゛ー!」
「犬飼、なんだその返事は。あ、すみませんこんなところで立ち話させてしまいまして」
「ああ、いいんです、声かけたのは私だし……」
生のお話を聞ける機会なんてそうそうない。それも、いきなり相談事みたいになってしまって申し訳なかったなとか。
「いいんじゃねえの、タイプとしては似てんのも事実だよあの人。客観的に見て。……たまに映画とか好んで見てるだけの素人目線で申し訳ないけどな。このまま行ったらああなんのかな、なんて思うこともあるくらいには共通点がある。見た感じのやり方が似てそうなのは見て取れるよ」
「そうかなぁ……」
「野外は焼けますからどうぞ中へ!」
「あ、別にいいんですよ、開場してからで別に構いませんから……」
半ば強引に中へ入れられている実記さんを尻目に、あたしはまたビラを配り始めた。
【(現時点での)キャラクター紹介】
・津田 実記
美潮の母。「人の目を惹く」という才能の持ち主で、演劇業界では天然の天才だと評される人物。表面上は輝いて見えるが、それは己に自信がないからこそ必死に積み上げてきた「実力」も含めてのものなので、当人はネガティブに「過大評価」だと思っている。
(ただし美潮からすると皮肉にしか聞こえない発言である)




