6.犯人からのラブレター
「ねー、犬飼くーん?」
「……ああ、はい」
思った以上にそっけない、つめたい声が津田さんの問いに答えた。
「何です?」
「ちょっと来てー」
「はぁ」
……稽古の合間の休憩中。
気が進まない様子でのろのろと近づいていく元くんを横目に見る。
どうやら照明の演出についての相談があるらしい。なんかもやっとするのにようやく気づいて、不思議な気分。
もしかしてこれ、あれかな。ただの寂しい気分じゃなくて。
「……ちょっとハラハラしてんのかな、あたし」
あの子と付き合い始めた当初は……まさかこんな気分になるだなんて、想像したことすらなかった。
ああ、それだけちょっと惜しいんだな。この子を手放したりすることを考えると。
――「嫌がらせを受けてまで傍にいる。その価値はあるか?」
あのときの真面目な問い。頭の隅っこのほうを思い出した回想がフラッシュバックする。
落合くんとのやり取りだったり、そのときの元くんの言葉だったりが掠めて、ちょっとだけひっかかっていく。
――「……あるよ?」
――「そう」
――「今は、そう思ってる」
……あたしは、まだまだあの子に飽きていない。
――「俺だってその価値はあると思ってるよ。でももしこれから先、噛み合わなくなっちまったらバッサリいっていい。俺は、引きずったりしない」
――「しないの?」
――「しない」
……引きずらない。
あのときそう言われて、少しだけ傷ついたような気がしたのは何でだろう。
――「恋愛なんて多分そんなもんだろ? 「自分が自分が」だけだと破滅するだけで、相手と自分の感情が噛み合って初めて両思いになる。多分だぜ? 何事もバランスだってことだ」
何事もバランス。恋心をシーソーにかけて、天秤にかけて。
……あたしが元くんを思うより、彼があたしのことをさほど思ってないように見えた?
軽視しているように? うん、まさか。クジラなんて言われたこともあるけれど、本当にそれでは重い女だ。
元くんはふっと気付いたように言った。
「あ、すいません、その前に喉渇いたんで何か買ってきますわ。津田先輩なんか好きなジュースあります?」
「あっ買って来てくれる? ラッキー! じゃあ私オレンジジュースが良いなー!」
声のトーンがいつもより高い。ちょっと可愛い。
違和感があるけど、それを超えて……女の子している。
「……谷川先輩、谷川先輩」
「へ?」
「ノック、ノック。シャー芯出すぎ」
小道具を繕っていた2年の土方くんに言われて、慌ててシャーペンを台本に押し付けた。――そうだ、さっき何メモしようとしたんだっけ。カチカチしすぎたらしく何センチも露出した2Bの芯。
うん、マズい。本格的に調子がくるっている。
と。
「よいしょっと」
ニヤッとした顔で元くんが財布を開けた。
……ズンバラバッバッババラババ!!!
「は!?」
小道具に注意を戻そうとした土方くんが珍しく奇声を上げた。……場にそぐわない「爆音」。
何事だ? とその場の全員が振り返る。
その様子を見ていたあたしはその爆音の正体がすぐにわかった。
……ああ、うん……
「何すかーい!?」
準備室にこもっていたはずの秀ちゃんが思いっきり「バスン!!」と引き戸を開いた。
うっわ、あんなとこまで響いたんだあの音量。
元くんは一見普通の財布の中を覗き込んでいたが、ふと気付いたように財布を閉じた。
辺りは静まり返り――耳を澄ましているものと、元くんの動作を注意深く観察しているものと両方が混在している。
当たり前だ。だってさっきの爆音の発信源は……
どう見たって『トラブルメーカーの犬飼 元』、その人なのだから。
「はい? ……何だよお前ら」
「い、いや……」
テープ式の三つ折り財布。普通に音を出すそれ自体は珍しくもなんともない。ただ、なぜか普通よりも5倍6倍ぐらいの音量で音を出すのだ。うるさいのなんの。
「まーいい。津田先輩、ジュースってペットボトルのほうですか? 紙パックの方っすか?」
ズンバラバッバッババババ!!
「あ、ああ、ペットボトルの方で……」
バビリリビビビビビビビバッッ
「了解です、じゃあ自販機で150円くらいか……」
……バババラバラバラバ!
また財布を開いて確認する元くん。そしてまた気がついたように閉じた。
「……あ、でも500mlでいいんすか?もっと小さいのもあった気が……」
「……えーっとぉ……」
ジャッベリベリブベビリリュ!
……うん、ほとんど津田さんの声が聞こえない。
秀ちゃんが「ブン殴りたい」というような表情で小さく呟くのが聞こえた。
「ねえ……あれが舞台だったとしたらっすよ、ゆっきー先輩……」
「うん……すっげー萎えるね、あれ……」
……津田さんは基本的に、相手を自分のペースに巻き込むくせがある。要するに舞台演劇の役者と普段からやってることが同じなのだ。相手を「自分の世界観」に引き込むのがやたらと巧い。自分がエピソードの主役だと思わせる。……そうして「脇役」に要求を飲ませるわけで。
それを普段から駆使して、相手に言うことを聞かせるのは津田さんの得意技だ。
元くんがやったのはその得意技を、真っ向から潰すための荒技……うん、技名をつけるとしたら『雰囲気ぜんごろし』とか『空気読みませんでした』のどっちかにしかならない。
そんな絶妙なくだらなさだけど。
「……前から言おうか迷ってたんすけど」
「うん」
「津田先輩、犬飼に気があるらしくって」
「うん、なんとなく知ってる」
「軽っ」
秀ちゃんのリアクションを聞いたあたしはふんっと台本を閉じた。
「お尻は軽いほうだよあたし?」
「自分で言わんでくださいよ! えっ、知っててあの態度なんすか!?」
「ナメんなよ?」
あたしだってさすがにその辺は空気読めるわ。まあ、本当に読む気があるかはともかくとして。
「でも、ゆっきー先輩とあいつって大体いっつもラブラブでしょ? あんまり露骨にやられるとちょっとあれなんで、そろそろ犬飼も何かアクション起こしそうだなーと思ってたら……」
「ああなった、と」
……基本爆笑をかっさらう元くんにしては珍しく、えらくスベった雰囲気が流れていた。
というか「怒ったらどうなるか分からない津田さん」がこの場にいることによって、何となく笑ってはいけない何かに成り下がっている。
「……しかしあんな小道具作ってくるとは……」
「あれ、手作りなの?」
「みたいっすよ、よく見てくださいテープの……ほら、右端の辺り」
「あ」
土方くんが何かに気付いたように言った。
「……落合手芸店だ」
「そう、あれ、落合くん家のやつです。あそこ家が手芸道具扱ってるんでたぶん、日頃バスケ部で培った『コネ』でやったんじゃねーのと」
あ、本当だ、なんかタグみたいなのが見えた。
「珍しいもの扱ってるってこの辺じゃ有名ですよ。いや、だとしてよく見つけたなあんなヤバい音の出るテープ……映研でよく使うけど知らなかったぞ」
「あっ、そうだ、映研だ土方くん」
「何部だと思われそうになってんですか、おれは」
あまりの馴染みっぷりに最近忘れそうになっていた。元くんと同じ有志メンツで、本来なら映画研究部所属の小道具担当。そりゃこの辺りの手芸屋さんだとかには詳しいだろう。
バビリリビビビビビリリリビョッッ!!
「いや……しかしうるさいわ」
「本当うっさい」
「何回やる気だよアレ」
もしかして津田さんがあまり近づいてこないようにアレで威嚇しているのだろうか。吼えまくるチワワと同じだ。
「……なんか、バカみたい」
「前からっしょ」
「そうだった」
「アホは置いといて。……谷川先輩その衣装、裾の当たりほつれそうなんですけど直しときます?」
「頼んだ」
* * * *
その後のこと。
靴箱にはいつもの4本刃と共にこんな手紙が入っていた。
――「お財布かえたんですね、音で遊ぶそんなあなたも個性的で、子どもみたいで大好きですよ」
そう書いた手紙をですね、さっきロッカーに置いてきました。……これを読んだ谷川さん。あなたは今どんな顔をしてますか?
……うん。
あたしはポテチをぽりぽり食べながら呟いた。
「――こんな顔だけど?」
こんな手紙に付き合ってしまうあたしも暇人だ。
どうせろくなことは書いていない、どうせ傷つく、どうせどこかで爆発する。なのにいつも、なんとなく怖いものみたさで読んでしまう。
たぶんそれは純粋に「相手」につながる手がかりを知りたいのもあったし、初めて怖いと思った相手がいかなる人間なのかを知りたい。そう思ってしまったのもあった。
お化け屋敷だとか都市伝説にハマる人だってそうでしょ? 怖いからこそ、頭から離れないし興味もむいちゃうって寸法だ。
――悔しがってくれたら嬉しいんですけどね。ハラハラしてくれたら嬉しいんですけど。
だって私は「彼」のすぐ近くにいる。あなたと同じで、彼の心を揺さぶれる。
「まあ……確かに揺さぶれるとは思うよ?」
あたしは息をつきながら呟く。
――でも、私は満足できないんですよ。何故だかわかりますか?
「……反応がないからじゃない?」
――彼はいつも私を探します。どこかにいるのは知っている。反応を見ているのがわかっている。でもね。彼、あまり表情を変えないんです。私は貴方達の困った顔が見たいのに。
「……絵に描いたような、なんと言いますか」
……ポテチの袋をしまいながら呟いた。
「ストーカー気質、っていうの?」
――そう、彼は少し憐れんだ目をしてそれをゴミ箱に捨てる。上から目線ですよね。あなたに対しては対等に接するのに、まるで見下しているみたい。
……嫉妬。そう、嫉妬なんですよ。私がこんな回りくどいことをするのも、全ては嫉妬のせいなのです。「反応」が欲しい。なのに誰も私のことを見ない。ああそうでしょう、わかってやっています。
本当に我ながらタチが悪い。
「本当にね」
――でもね。せっかく探した可愛い「便箋」。せっかく探した可愛い「封筒」。納得いくものを見つけたのは3軒目の文房具屋さんだった。八方美人なあなたにこの気持ちがわかりますか?
「元くんも言ってたね。『八方美人に間違われる』……」
――心の隙間を埋めてくれるなら誰でもいい、そんなあなたに、ただ1人に執着したいこの狂いそうな感覚が、わかりますでしょうか?
「そこは見てとるんだ。へえ。……まあ、わかんないかもね」
――嫉妬と殺意。何事も順調な、貴方たち2人を潰したい。引き裂きたい。片っぽだけを手に入れて、あとのひとつを踏み潰したい。
「……八つ当たりじゃん?」
――そんなどす黒い感情。これが愛とか恋だと言うのなら、あなたは恋を一度もしてきていない。
「……それはちょっと、酔いすぎてるかな」
でも知っている。それはある種正解ではあるんだと。
実際、あたしの恋愛遍歴なんてそんなもんです。一時しのぎの「何か」。
――私もその感情、ちゃんと知ったのはつい最近です。いつも誰かにそれを向けてきたからわかってるつもりだった。
でももっとアレな感覚だったんですね。どこか快感なんですよ。
「……うん……それはアレすぎて感じてはダメな感覚では?」
――ゴミ箱の中で誰かが飲みかけて捨てた、べたべたのジュースにまみれたそれを見て、逆に心地よくなるんです。頭の中がすっきりしてくるの。だってここまで思い通りにいかないのだもの。彼が私に向かって頭を下げたとき。「調子に乗ってました許してください」! そう膝をついたとき、どんな達成感があるのか。それを考えるとふるえてたまらない。
「……ドMかドSか、振り切れるならどっちかにしたほうが……」
――だって人の認識なんて所詮、塗り替えるものでしょう。
バラバラなそれを自分の魅力で整列させて、己の元に跪かせるものでしょう。
「相手の気持ちに譲歩することなく?」
それはちょっと、横暴というものではなかろうか。
――だってそれがあなたたち、天才肌の「役者さん」のやり方でしょう?
「ん?」
――そうでしょう谷川ユキさん。私のような凡人とは違う。
「……いや」
そこは違う、と思う。……力任せに塗り潰す。どちらかというとそのスタイルは津田さんの方だ。
最初は津田さんの顔をなんとなく思い浮かべていた、『手紙の主』。そのビジョンが少し、揺らぐような気がした。
彼女だとしたら、彼女らしくない。
「……どっちだろ」
あたしだったなら場を塗り替えるというより、自分が役柄に塗り潰される方。
対して津田さんは我が強いから、確固たる自分の色がある。役のイメージを侵食して自分の色に染めるタイプ。役のみならずその場を自分のものにしてしまう。
「我が強くなければ役者はできない」。
そういう人もたまにはいるけれど、あたしは別にそんなことないと思っていて……紙の上だろうが心の中だろうが、役柄には必ず最初から、特有の色がある。イメージが。
どう喋るか、どう思うか。どう動くかのそれがある。
あたしはそれを軸に形を作って、上からそうっと無色の自分を合わせていくだけ。
だから塗り替える必要もない。あたしの持ってる色はあくまでも透明で、塗り替えたところで意味はない。
演劇部の「谷川ユキ」が使うのは、最初から役柄が持っているナチュラルカラーだ。だから客席の人たちがもし、あたしを見て「飲まれる」と感じたのであれば。
塗り替えられると感じたのであれば。……それはあたしの色でなく、役の色。
「……この人は、あたしの踏んだ舞台を見たことがある。それも、少なくとも演技経験がある人なのかな。でもそれにしては見てないんだよね」
そう、この人が役者だったとするなら根本的な「感覚」が足りていない。――つまり、才能がない。だから、あたしの知ってる津田さんとはギャップがある。
「中身を推測する目が悪い。あと一歩肝心なところに目が行ってない」
……ただ、才能がないからといってその道で成功しないとは限らないのが多分、この道なんだとは思う。大体において興味の向く方に軽く足を踏み入れる性質のあたしだ。勿論最初、演劇部に入った理由は適当だったけど、たまたまそれでいくつもの舞台を見て「面白いな」と感じたのはそこだった。
どう頑張ってもできない何かっていうのは、意外と誰にでもあるもので……それでも稽古を繰り返せば、案外それなりのものになる。
最初から巧くできる人には紙一枚分敵わなくても、それでも巧いと言われるようになる。
才能なんて所詮、努力で埋まる代物なのだとなんとなく思えた。
でもこの人はそれも含めて「見えて」いない。様々な意味で才能がない自分を分かっていて、才能がないことを理由に諦めて、才能があると思った誰かを、羨んで、妬んで。
――ああ、わかってる。わかってるんですよ。
手紙は続く。
――私の前にはいつだってハードルがあったんだ。私はいつだってそれを超えていかなければならない。超えなければ先に進めない。
ああだから憎いんです。羨ましい。あなたは何もしなくても好かれるでしょう?
「うん……」
――彼だってそう。自然体でそれをする、周りを塗り替えていってしまう。当人たちにそんな自覚がないほど自然に、周りを服従させていく!
……なんでだろう。理不尽ですよね?
「……」
――こっちは好かれるためにこんなに頑張ってるのに。
こっちはこんなに手間暇かけて「気を引こう」としてるのに。
あなたたちは誰からも普通に好意を向けられる。面白い、可愛い。そう言われていつの間にか意中の人と好きあえる! ――ああ、憎くて憎くてたまらない。
どうしてあなたたちばっかりが楽をするんですか。私には何でもあるのに、生まれも顔も、性格だって悪くは無いはずなのに。どうしてあなたたちばかりに負けるのですか? 存在感も自己肯定感も周りからの好感も何もかも!
ああ、欲しい。あなたたちのあり方が欲しい。人生が欲しい。命が欲しい。
誰もに私を好きだと言わせてやる。何をしてでも認めさせてやる。
――何もかも、私はあなたたちにばかり負け続ける。そんな現実、不条理だ。不平等だ。そんなもの、私は認めない。
手紙は、そこで突然ぷつりと終わっていて。
「そっか」
少しだけ滲みの見えるその最後の文章をなぞりながら、あたしはその思考をなぞっていく。……その人がこれから元くんとあたしに「何をしよう」としているのかわかるために。
そして底知れない憎悪を浴びた恐怖感を紛らわすために。
少しでも紙の上にのせられた「色」を、読み取る。
この人は、きっと恋愛感情とかそういう次元だけでなくて……
「――最早あたしそのものに、嫉妬と憎悪を抱いてるんだ」
【(現時点での)キャラクター紹介】
・土方
高校生。映画研究部所属で演劇部有志。
元と佐田のクラスメイトでユキの1個下である。
イタズラ・おふざけ好きの2人よりは生真面目で大人しい気質をしており、時折ストッパーのような役割を果たす。
絵や工作から始まり大道具、小道具作りも器用にこなせる人間だが、それはあくまで趣味の範囲と割り切り、当人は「剣道のほうが得意」とケロッとした顔で言い切るさっぱりした性格。




