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13.すすめ



「堀内ー、相手の足元見ろ! 川西、タッパのある相手に萎縮すんなっつったろが!? もうちょっと頑張れ! えーっと……アウトサイドのー……仲本!」


「――はいっ!?」


 どう考えても周囲から浮きまくっているそいつが、呆けたようにこっちを見た。

 ――いや返事はいいが、止めるな足を。


「パスばっかしてんじゃねえわ、シュート打っていいぞシュート。……おい女子チーム遊ぶんじゃねえ男子ナメんな、レベル下だと思っても態度に出すなっつっただろうが!」


 今日は久々の。

 というより、()()()()()()()()()()()()()()バスケ部の朝練だった。


 この学校は珍しいことに、大会でないと男女のバスケ部が明確に分かれない。基礎練習は合同でやるし、試合なんかもそのままやってみたりする。

 授業の始まる随分前……思いつきでいきなりやらせたそれが終わり、息をつきながら部室に引き上げて。


「お疲れーっす」

「お疲れ」


 女子側のPG(ポイントガード)、武田が声をかけてきた。


「犬飼先生なんか朝から疲れてます?」

「いや別に」


 ……だが、まあ。

 確かに、違和感があった。


 自分が請け負っていた当時のバスケ部のメンツ。

 それに混じり見覚えのない生徒が数人、だが不思議と名前も顔もちゃんと把握だけは出来ている、そんなやつらがいた。

 恐らく「ミコトの記憶にあったバスケ部」が入ってきてるに違いない。

 だが、あまりにも少なかった。


 更には少数精鋭というわけでもない。見ているとその「新しいやつら」はとにかくヘナチョコだ。スキルも経験も足りない。だが、不思議と楽しげな顔つきだけはしていた。


 勝つのが優先、何をおいても結果を残すのが目標――そんな硬い顔つきの従来バスケ部面々とは毛色が違うしなかなかチグハグだが、それもまた悪くはない。それはそれで好きなやり方だ。

 そもそも、「勝ち優先で楽しさは二の次」みたいな方向性を取ろうとしていたのは俺じゃなく、当時の生徒たち面々だったりもする。

 俺はたまたまそれに合わせてセッティングしていっただけの話だ。それがたまたま上手いことハマった結果、一時強豪と言われるまでになった。


 俺単体がバスケ部を育てたんじゃなく、バスケ部面々、各々がストイックだったからこっちもそういう方面に白熱した。

 きっとただ、それだけの話。


「……」


 ふと、疑問に思うのだが。

 この新しいバスケ部くんたちは、一体どんな顧問に指導を受けていたのだろう。


 いや、そもそもだ。


 こんな架空の……自分の見知ったものとよく似ているだけの異世界で、俺がスポーツを教える意味はあるのだろうか。

 まあないわけじゃないんだろう。だってこの世界が嘘まみれだと知っているのは今のところ「あの時永」とイツキと俺だけだ。


 時永は言った。「道を選べ」と。

 何もかも忘れて日常生活を選ぶか、全てを捨ててこの世界をぶっ潰すか。


 ()()()()()()()()()()()()()()()だけの、ペラッペラな現実。

 質量も実感もある、これまたペラッペラな虚構。


 ……何となく目について、室内の棚に手を伸ばした。

 棚の一番奥。確か俺がバスケ部担当になった日……慌てて本屋に駆け込んで手に入れた体育教師向けの教本がある。いかに経験があっても、それだけでは教えられない。基本は大事だ。そう思って……


「……あ?」


 初心に帰ろう。じっくり考えよう。そう思って手を伸ばしたその本は、記憶にあるそれよりも随分くたびれていた。

 そして開いた瞬間に目に飛び込んでくるものがある。


 ……文字だ。手書きでの補足。


 シュート時のフォームについてだの、もはやバスケと関係ない、生徒一人一人のモチベーションの上げ方についてだの……その個人名はやはり、さっき俺がミコトの世代だと感じたバスケ部員に該当する。

 間違いない。その文字は俺の後任にあたるバスケ部顧問が、俺の残した教本に色々と書き加えたものだ。「球技の苦手な生徒から見たボールの見え方」……





  ――「そういや植苗お前、この間の小テスト名前書かずに提出しただろ」


  ――「ぎくっ」


  ――「一応先生言われてる人間をなめるなよ、消去法使うまでもなく筆跡で大体誰が書いたかなんて分かるに決まってんだろうが」






「……」


 筆跡。

 見覚えのある、癖。

 そうだ、このやたらと小さい……細かい字を俺は知っている……


 だって、一時期そいつは俺の授業を受けていた。


 それを思い返した瞬間、俺は部室を思いっきり飛び出していた。



 ……嘘だろ。橘。





  ――「鶴岡先生今年の担当高1でしょ。どうです今回。外部編入生の様子?」


  ――「いや、面白いですよ犬飼先生。なんかめちゃくちゃドッジボール苦手な子がいましてね。今から体育の通信簿が分かるぐらいの。犬飼先生みたいな人とは真逆ですね。ボールが大っ嫌いな女の子」


  ――「ほぉ」


  ――「でもちょっと、言うことの雰囲気似てるかな。好奇心は猫を殺すっていうでしょ? 分からないことがあったらとにかく首突っ込んでいくタイプの。多分近づいちゃいけないタイプのド狂人にも平気で近づいていきますよ、あの子」


  ――「……俺そんなとこあります?」


  ――「あるある。だって犬飼さんあれでしょ? 時永先生とお近づきになりたそうな目で見てるじゃないっすか? あの人、犬飼先生みたいなのと絡んだら人殺すんじゃない? 相性悪すぎて。やめたほうがいいと思うなー」


  ――「……。ご忠告どうも?」


  ――「とにかくその子ね。学校の先生になりたいとか言ってましたよ。どうしますよ犬飼先生? こんな子、直接後輩とかになったら」



 ボールが苦手ならバスケ部は無理でしょ! 何の後輩? 心理学? なんて。

 そんな、割とくだらないことを言ったことがあったのを今更思い出した。

 当時のイツキの担任に。





「えっ……あれ、犬飼先生じゃないですか」


 聖山学園の最寄駅。スクールバスの停留所。

 車での通勤かもしれないとはチラッと考えたが、ああ、その時はその時だ。

 そう思ったのは間違いじゃなかったらしい。


「……車通勤じゃなかったんだな」

「普段は車なんですが、故障しまして」

「都合がいいなこの世界は」

「で、何してるんですか、朝練してるんじゃなかったです?」

「なんで知ってるんだよ」

「仲本くんと水島くんが言ってました」

「ああそう」


 未だに絡みがあるらしい、新しい方のバスケ部メンツだ。


「……コーヒー飲みたくなってだな」

「売店で売ってるでしょ、もしくは自販機」

「外で買いたかったんだよ、外で」

「はあ」

「……なあ、橘」

「はい?」


 その名前を呼んだ時、視線を感じた。

 イツキと同じ学年だったと知っている、今は時永と同じ研究室でのんきにお茶飲んでたりもする、若手教職員のあの目を。


 時永に囚われることになる直前の段階。そこで俺の自己認識は止まっている。

 ……その時ごく普通に生徒として自分の授業を受けていたその子。

 それが今、ミコト目線でとはいえ「どんなやつに成長したか」なんて、まともに見ていられる自信がない。あえてその顔は見ないでおく。


「お前、卒業してから何年経つんだっけ」

「12年ですけど」

「……橘。お前バスケットボール、教えたことあるんだっけか」

「何言ってんですか」


 呆れたように橘は息をついた。


「梅雨時までのアレ、忘れたんですか? 大変だったんですからね私。球技全般苦手なのに、ピンチヒッター」

「……おう」


 ……ピンチヒッター。


「そもそも犬飼先生、資格取りたいとかいきなり言い出すからやらされる羽目になったんですよ私」


 そういうことになっているらしいが、多分……それはこの世界でだけだ。


「しかもあれだけ頑張ってたのに落ちるし」

「ア、ハハハ……今更何の資格取ろうとしたんだ俺……」

「しかもさっくり諦めるし」


 本当はただ、いなくなっただけ。

 本来いるべき社会から、ドロップアウトした。

 ……この世界ではピンチヒッターで一時期担当が変わっただけの扱いらしい橘だが、きっと実際には少しだけ空白期間がある。俺がいなくなった時期は橘がまだ在学中の段階だ。卒業して、大学を出て、戻ってくるまでにバスケ部は規模が縮小していたのだろう。



  ――「イヌカイさん! お父さんの学校、受かったー!」



 ミコトが聖山学園に受かったことを報告してきた日。俺はそれとなく聞いた。



  ――「アレだろアレ、おっきいバスケ部があるところだろ?」


  ――「ううん、体験入学行ったけど、ちっちゃかったよ」


  ――「ん?」


  ――「確かに前は大きくて強かったんだって。でも、顧問の先生が変わってから勝てなくなってちっちゃくなったって」


  ――「……そうか。ってことはミコトは体験入学、バスケ部に行ってきたのか?」


  ――「うん、優しい女の先生だった!」


  ――「歳は?」


  ――「若い人だったと思うし、なんかすっごくおっちょこちょいだった」


  ――「大丈夫かよそりゃ……」


  ――「でもね、楽しかったよ?言った通りに投げたらゴールにちゃんと入るようになって」



 言ってたんだ、とミコトはあのとき口に出した。



  ――「『未経験であってもしっかり教えます、私には頼りなーい先輩から預かったわかりやすい教科書があるのです!』って、自信満々に……」


  ――「頼りなーい先輩から預かっときながら自信満々なのかその人。なんか寒気がするんだけど」



 聖山学園には何故だかインドア派の教員が多い。そもそも教員免許を必須としない特別教科の講師だった俺がバスケ部の顧問に任命されることになったのも、俺以外にバスケの経験者がいないのが原因だった。


 その体質はきっと橘の時代まで変わらなかったんだろう。結局ほとんど経験者がないどころか「球技が苦手」だと自負していた人間が顧問を押し付けられる羽目になっている。


 ……そりゃあ強くなるわけがない。

 学生時代に未経験だった人間が付け焼き刃で「同じ未経験」に教えるのには限界がある。

 たまにマジな経験者が入ってきたりもするだろうが、きっと周りとのレベルの差に嫌気がさして逃亡したりもするだろう。

 だがそんな中で出来ることをした。そんな形跡があの、ミコトの世代のバスケ部員から見て取れた。……あの教本から、見て取れた。


「……決めた」

「はい?」

()()()()()()()から言ってやる」


 できるだけ、カラッと声をあげた。


「俺、やっぱバスケ部辞めるわ!」


 ……他人の、努力の跡。汗水たらしたその痕跡。

 認めるしかなかった。

 なかったことになんてできるわけがない。忘れたことになんて、できようはずもない。

 だってそれは、俺のいなくなった聖山学園の否定に限らない。

 現実に今現在いるはずのこいつの頑張りの否定。


 ……この学校の未来の否定だ。


 俺がいなくなっても続いている世界がある。懸命に努力し続けている、頑張っているやつがいる。

 そのことに対する、明確な否定だ。

 さすがにそんなことは俺にはできない。無理だ。


 だから。



「橘……お前に渡す」



 せめて、言葉の一つでも届けてやりたいと思った。たとえそいつが本物の橘でなかったとしても。


 ――お前に渡したぞ、バスケ部。


 教本を手渡した瞬間、後ろでバスが止まる。



「……マジですか」

「マジだよ」

「どれだけ大変だったと?」

「大変だからこそだよ。これはお前のだ。お前だけのものにしろ」

「でも」

「大丈夫、お前ならやれるから」


 こっちだって、前に進むんだ。

 そう思いながらバスに飛び乗り奥の席に逃げ込んだ。……体重移動で揺れるバス。後ろから聞こえる、「ちょっと!」という一言。


 ――だが。


「……はあ、もう」


 橘の呆れた声が聞こえた。



「分かりましたよ……やってやる……」



 なるほど。――似てるって言われるわけだ。そうだ、俺もあいつもそういう人間だったのを今更理解した。


 イツキは言った。俺のことが()()()()()と。――違いない。嫌われているのは知っていた。授業態度の雑さで分かるし、嫌われる理由も何となくは察しがつく。あいつは自分よりいい加減な人間をほとんど信用しない。


 うん――俺だって、当時の『植苗くん』は、嫌いとまではいかずとも苦手な部類だったさ。


 でも、あいつがあの姿でふさぎ込んでいるのを見たとき。傷ついた心を抱えて泣くこともできずに突っ立っているのを見たとき。……支えてやれる人間が誰もいないのを見たとき。思ったのだ。


 ――他に適任がいないなら、やるしかない、と。




   *   *   *   *



 ……スクールバスを降りると、後ろからしれっとスカした顔が降りてきた。ああ、どっかにいるとは思ってたよ。

 俺はくるっと振り向きざまにハンカチ包を投げつける。


「これでいいんだろ?」

「……そこまでしますか」


 ハンカチの中から小型マイクを回収しながら時永は呟いた。

 俺の鞄の裏についていたものだ。


 全く、腹が立つ……

 気になるなら堂々と立ち聞きしてろ、陰湿なことしやがって。


「辞めなくてもよかったのに、バスケ部。――精神安定剤でしょ?」

「ならんわこんな状況で。一周回って精神・不・安定剤だわ。思い出しちまうだろうが、色々と」


 時永のその表情は憮然としていた。いや、違うな。平静を装ってはいるが、若干の困惑と戸惑い、少しの笑顔が見えた気がする。

 ……思わず呟いた。


「……あのな時永。俺はな、アンタが嫌いだ」


 時永は涼しい顔でこちらをチラリと見、穏やかに笑ってこう言った。


「……奇遇ですね、僕も苦手です。恐らくずっと前。僕が僕であった頃から」

「けっ」


 唾を吐きたい気分だ。

 なんでそういうこと()()で言っちゃうかな、この人。


「そうかよ」


 ……ため息とともに手を差し出せば、ハッとした様子でこちらを見るその表情には意外さがにじみ出ている。


「なあ」


 手を相手に伸ばしたまま、声をかけた。その手は下ろさずに、真っ直ぐその目を見て。

 後戻りの効かない言葉を放つ。


「――時永()()、手を組まないか?」


 時永は意外そうに目をむいたままこちらを見ていたが……やがて、ぐしゃっと泣きそうな顔で笑った。その様子が……ああ。

 いつかの、心細さに押しつぶされていたイツキそっくりで。


 ――思う。

 ああ、確かに。


 この世界は、俺が創っている。


 ミコトだけではなく、イツキも、俺も。

 そしてこの時永も創っているのだと。



「――そうですね。ひねくれもの同士、結託しましょうか」


 向こうから伸ばされた手が、ゆっくりと。

 そして、がっちりと重なった。


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