7.お呼び出しを申し上げます
「じゃあなー!」
……あれから2日ほどたった放課後。
「おう、じゃ! また明日、って……ん?」
帰り支度の速いクラスメートに次々と先を越されながら、オレは靴箱の底に何かを見つけた。そこに入っていたのは一通の封筒。差出人は書いていない。真っ白だ。
ら……ラブレター!! なんてベタなもんじゃないよな?
オレは不思議に思いつつ、若干ドキドキしながら封筒を開けた。
午後4時
聖駅、駅前広場
バス停前にて待つ
……。男の筆跡だ。
聖駅はこの学校の最寄り駅。
北側に向かって走るモノレールと、東西を結ぶ電車が2路線。それから、バスがいくつか。……とにかく乗り入れている交通路線はいくつかある。
聖山学園のみならず近辺に私立の高校や大学が結構な割合で集まっているのは、もしかしたらそういった理由もあるのかもしれない。
同じ駅名でモノレールと電車の駅は少しだけ離れているけれど……
駅前広場ということは電車……ピンクのラインが入った桜花線の聖駅だ。
――しかし、誰だ?
便箋ではなく、メモ帳を破ったような紙切れに書かれた内容だった。用件どころか名前すらも書かれてはいない。誰か信用できそうなやつに見せて相談しようにも、今日はあいにく身の回りで誰も残らない日だった。
確かホームルームで「下校時刻が前倒しになった」という説明を受けたはずだ。
曰く、どこかのテレビ局が校舎内を貸し切って撮影をするらしい。生徒が映ると邪魔だとかで……いや、そんなのはどうでもいいや。
「…………。」
文字を見ていると、ふっと浮かんだ。
――「植苗くん、今日何か予定はあるかい?」
……誰かの声。そういえば、この文字を改めてみたときに、違和感があった。
何か引っかかる。そうだ……この筆跡、どこかで見た事があるんじゃないか?
どこだ? この、飾り気はないけど、やたら綺麗な字は……
――「い、いいんですか?」
――「もちろん、植苗くんには是非来てもらいたいね」
……そうだ、確か、先生。
何の先生だっけ?
……せt
「なーにしてんだよ植苗っ」
「ばっ!?」
「えっ何、今何隠した?」
「覗くなよっ、て! あああ!!」
ふざけた様子で手紙を取り上げてきたのは、中等部の頃からの付き合いのクラスメイト。
「もしかしてラブなレターじゃないっすかー?」
「やめ、こらっ! ふざけてんじゃ、ちょっと!」
……「まずい」と思った。
なぜだろう。
こいつにあの字は、見せてはいけないって……
「ふははっ、本当にチビだな、ジャンプしても届かないのか!」
「ユータロー!!」
この字には、覚えがある。覚えていてはいけない記憶が宿っている。
これを見せれば、遠くに行ってしまうんじゃないか……オレみたいに、戻ってこられなくなるんじゃないか。
向こうは苗字呼びして来るけども、オレからは下の名前呼び。それも特に意味があるわけじゃなくて、単にありふれた苗字すぎて同学年に多いからというだけの話。
そう、こいつはいいヤツで、普通の一般人だ。巻き込みたくない。……うん? 巻き込む? 何に?
「お前以上に、アレな人に! 見られたら! どうしてくれんのっ! 下・ろ・せ! 頼むから!」
……いや、とにかくジャンプする。
奪還しなきゃと気が急いた。中身が見られる前に……
「えっお前まさか!」
「なんだよ!?」
こいつがオレのいるべきところに行ってしまう前に……早く!
「まさかその言い分だと、お手紙贈ってくれるような女子の他に好きな子もダブルで……!」
「はー!?」
「三角関係! いや失敬三すくみっ!」
ふざけんな!
「何っ、言っちゃってんだ、よっ」
よし、とりかえした!
「……冗談だよ、本気で焦るなよな」
「冗談でこんなことするなよ! オレの手紙だぞ!?」
「でも最近様子がおかしいのは本当じゃんか。ホントに彼女できたとかできそうとか……そんなんじゃないんですかー?」
「バッッッッカなのお前!?」
手紙を取り戻したら急激に安心した……思わずオレはブツをポケットにしまいながら叫び返した。
「そんなわけないっしょオレになんてそんなまさか彼女とか好きな人とか好きなゴリラとか妖怪眼鏡ズラシとか」
「好きなゴリラ!?」
「いるわけがないだろバイソンとかウミウシとか青じそとか」
「落ち着け植苗!? 何に対して恋愛感情抱こうとしてるのお前!」
何に対しても抱いてないけど!?
「ともかくユータローくんお前は何を勘違いしてくれちゃってるの、何かの間違いじゃねーのこんなお手紙がJCJKから来るとか! お前の脳みそ内の植苗くんどういう性格してて背が高いの!」
「……お前にとってのモテる基準は身長なのね?」
「――と、ともかくお前みたいなのにつかまると知ってたらこんなところで開けなかったしとりあえずどっかいってくださいお願いしますお願いします頼むから、本当頼むから!!」
「――ぶっ」
こんなどうでもいい目撃証言が元で変な噂を流されたりしたら、本当にたまったもんじゃない!
そう思って睨みつけていると目の前のオレの友人は、さも愉快なものでも見たように噴き出す。
「くはははっ、いや自覚ないかもしんないから言うんだけどさ、いつもそうなのな」
「はっ?」
「慌てると句読点がどっかいくんだよ植苗は!」
「……!」
知らなかった。でも確かにほとんど一息でいろいろ言ってたりする気がする。
「さては植苗くんや、隠そうとしてるけど実は本当に女子からのお手紙だなーあ? もー、抜け駆けしやがってー、このこの、ひゅーひゅーう!」
「~~~っ」
――「植苗のやつ、とうとう抜け駆けしやがった……」
「……だ・か・らっ!」
――ぶちっときた。謎の記憶にある、いつかの一場面。あのときからかってきた一人も、確かこいつだ。しかも同じ文言!!
「そんなんじゃないっていってんだーっ!」
「あっはははは! やめて! 本気で怒っても気迫がない!」
いい加減殴っていいだろうか。一応オレこいつと長い付き合いなんだけど。
「……しかしあーあ、とうとう植苗もリア充かぁ……いまだに彼女のいないおれは肩身が狭いぜぇ」
「……話を聞け、ユータロー」
「いや、なんか腹立ってきたな。背が低くてちんちくりんの植苗すら彼女が出来たというのにおれは……ああ、どうすれば……」
「逆にお前は背がちぢめばいいと思う」
めっちゃくちゃデカいというわけでもないけれど、どっちかというと大きい方。そんなユータローに嫉妬心からくる呪詛をとりあえずぶちまけてみると。
「……。うわぁあああん!」
「え、えええ! いきなり泣き出した! 何お前、最近情緒不安定……」
「どうしよう、悔しくなってきた!! 女子からペット扱いされてる植苗と違ってどうせおれは一生独男だよぉおおおおお!!! ああああああ!!!」
「ちょっとー!?」
ヤツは途中から涙目になりだして、ついにはそう言い捨て走り去っていった。……なんなんだアレ。
「なんか、死ぬほど失礼な発言残して去っていかなかった、あいつ……? っていうか話聞けってば……」
誰がちんちくりんだ誰が……確かに高校生男子の中では背が低い方だけども……!
でもなぁ! それでも女子の平均は上回ってるんだぞ!
低身長はステータス! バカにしやがって!!
……でも、まぁ自分の容姿に自信というものは一切存在しないのは認める。
あぁ、認めるから落ち着こう、自分。
深呼吸深呼吸。すーはーすーはー!
今向き合わなければいけない問題は自分の容姿じゃない。
「…………。」
コレだ。
午後4時
聖駅前広場
バス停前にて待つ
これは、誰の字だ?
せっかく一瞬思い出しかけたのにあいつのせいでどっか吹っ飛んじゃったじゃないか。もう。
「……まぁ、行ってみればわかるかな」
そう呟き、オレはその手紙をポケットに突っ込むと鞄を持ち直した。
足取りは、なぜか重い。
―― ―― ――
車のクラクション、人々の雑踏。
「……なんで犬飼先生いるんです?」
騒がしい駅前広場。
ようやくオレはポカンとした表情のまま、ぽつりと聞いた。
「それはこっちの台詞だ。まさかお前の仕業じゃないよな? この手紙」
指定された駅前広場。そこにいたのは犬飼先生だった。
手には見覚えのあるメモ帳の手紙が握られている。
「違いますよ、オレが書いたワケないでしょ。オレだってその手紙持ってるんですから。……第一、犬飼先生オレの筆跡知ってますよね?」
だって「筆跡で分かるー」とかなんとか自信満々に言ってたの、覚えてるし。
「……だよなぁ、イツキの字にしちゃ丁寧すぎる……」
「はい?」
今、さらっと下の名前で呼ばなかったかこの人?
「あ? あー……いや。なんでもない」
少し微妙な表情で頭を抱えながら答える犬飼先生に、奇妙な感覚がまた降ってくる。……なんかやっぱり、この人と一緒にいるとおかしい。
この人オレのこのフラッシュバックと関連があるんじゃないのか? なんか、あやしいぞ……。
「……あの」
「何だよ」
「もしかして何か知ってるんじゃないですか? この手紙のこととか」
「は?」
「だから、誰に何で呼び出されたのかとか。この、フラッシュバックのワケとか」
「……逆に聞こうじゃねえの、それ知ってて何で俺がお前に絡む理由があるわけ? 学校外だぞ。ここ」
ハ、と吐き捨てるように犬飼先生は言った。
「俺はお前の好きな時永先生とは違うからな! サービス精神なんざないんだ。オフのときに生徒見かけてもなーんも言わねえし、コンビニの前でたむろって酒飲んでる輩見かけても、なーんも注意したこともねえ」
「がっ……」
うちの学校にそんな無責任なやつがいるなんて思わなかった!
「……あっきれた! 一応先生でしょ、確かにたまにいるけどコンビニ飲酒! 生徒の規範になろうとか言う気はないんですか!」
「うっせえわ! んなもん一々大人に丸投げしなくたってお前が規範になればいいじゃねえか!」
頭をバリボリかきながら犬飼先生はのたまった。
「大体お前だってそんな出来のいい生徒じゃねえくせに、俺にばっかり責任押し付けるなよ」
そ、それはそうだけど……。
「俺だって昔は悪かったし言いづらいんだよ、ああいうの。あと仕事は持ち帰らないタイプなんだよ俺は。職場だけで十分さ、面倒臭いんだよ帰り道やら休日やらまで生徒とか先生とか子供とか……」
……外に出てまで生徒と喋るのが面倒くさい。顔を合わせるのが嫌。
意味も分からず呼吸が止まるのが分かった。
じゃあ、あの時……あの家で、あのドームで、姿の変わったオレに再会して、何で気付いた。興味もないくせに……なんでオレに声かけた?
「……疲れるんだよ。なんで勤務時間外にそんな話の通じなさげな阿呆を相手しなきゃなんねえんだと」
「っ、何のためにいるんですかそれ!」
……思わず声を荒げていた。恐らくオレは今犬飼先生が例えに出した集団を何度か見かけている。ああいうやつらは嫌いだ。
普段は同じ制服を着てるくせに、公衆トイレで着替えている。友達の兄ちゃんを同伴させてお酒を買っていたりする。
通行人に迷惑をかけて騒いでいる。そうして結果的に噂が立つ。制服も来ていないのに会話内容から推察されて。
「あいつら聖山に通ってるらしい」「全部あんなんなんだろうか」、そんな噂が。……全部ひっくるめられたみたいで嫌だったし、真面目にやってるやつが馬鹿を見るのも嫌だった。
潔癖って言いたいなら言えばいい。青臭い自覚もある。きっと他の人は気にもしないんだ。だけど……
「先生だって大義名分があるんだから一言注意すればいいだろ!!」
なんとかできる力があるのに使わない……それだけは納得がいかない。監督しなきゃいけない人が見て見ぬ振りしてる。それが納得いかない。
武器にできるものが多いのが、大人ってやつなのに。
「犬飼先生だったらデカいし目立つし顔覚えてないやつなんていないし!」
「いやいるわ! どんだけ人多いと思ってんだあの学校!」
「いるにしても見られてるって思ったらちょっとは大人しくなるでしょ! そこで出しゃばんなきゃ、犬飼先生なんている意味ないじゃないですか!」
「はぁ?」
カチンときたらしい犬飼先生がすごんだ。
「……い・る・意・味・が・な・い・だー? なんだその言い草、俺の存在意義は対不良相手のメンチ切り要員だってか!? ああ!?」
「だってそうやって人を委縮させることに関してだけは天才的でしょっ!? ものを教えるのはへったくそなくせに!」
「おい、言っていいことと悪いことがあるんじゃねえかな植苗くんや!」
「事実だよ!」
だって。
「オレみたいなチビで弱そうな上級生が言ったところで、あんなコンビニ飲酒パリピが聞くわけない!」
脳裏に何かがまた、フワッと落ちてきた。
――オレみたいな弱い生き物が歯向かったところで、__ に勝てるわけがない……。
「は? ってことはお前、何か? その口ぶりだとだよ? そういう不良の団体様見かけたらお前自身は注意しにいかないってか、面倒臭いことは全部大人任せってか!」
――でも、イヌカイがいれば大丈夫な気がしたんだ。同じ経緯。同じ立場。
それでいて、オレより強い「ふり」ができる人。
だからあのときは言えたのかもしれない。
――『ねぇ、__ がいなくなったらさ。何したい?』……
「ふざけんなよ甘えたがりが。嫌なものは嫌だって隠れて、逃げて、面倒臭いものは見て見ぬふりで蓋をする……」
……あのとき。
――「じゃあ作戦な。時永は俺に任せとけ。お前どうせあいつ目の前にしたら固まるか冷静さを失うか、どっちかだろ。だったらお前はミコト担当。時永担当は俺。そもそもお前足が動かないから出来ることって限られるしな」
――「……そうはいってもイヌカイさんの方だってあの人のことはトラウマなのでは?」
――「ああ、平気平気。どうせイツキほどの裏切られ方はしてないんだよ。なんせ最初から俺、あいつのことは苦手だったし」
……へらへらと笑いながら、言い切った言葉。
「……蓋をして、逃げて。人に任せて安心する。ガキの頃だから出来る特権だよそんなもの! 俺ら年上の先生は違うわけ、そうやって回ってきたものを常日頃、全部受け止める係が俺らなわけ! いい加減全部無視できる環境があったっていいと思うわけだよ俺は。責任、重圧、そんなもん好き好んで背負ってないんだ!」
……そう。オレはどこかで知っている。彼はそうやって全部背負ってきた。オレにその特権を許して、その代わりにいつだって動いてきた。
無理をしていたのは知っている。オレが、あの子が、目を背けたもの。
逃げたもの。それにこの人は半分ぐらい無意識で。半分ぐらい責任感で。
……ずっと、向き合ってきた。
――「っ……正直、ごめんなさい、だ!」
肉塊のようなものを目の前にした言葉が、今更脳裏にこびりつく。
そこから見えた、いつもふざけている彼の真意を。歯をくいしばって耐えた、弱さと強さを。
……なぜそんなことを思うんだろう。
オレは、この人の何を知っている?
「……あんたに甘えてるのは分かってるよ! それでも大人ならなんとかしてくれると思わなきゃやってられないんだ、大人は正しいことを言ってるんだと思いたいんだ。じゃないとオレが正しくあろうとして正しくなれないジレンマだって肯定されないじゃん!」
隣の芝生は青い。青すぎて、劣等感がぬぐえない。尊敬したものは大きかった。それを失ったときの衝撃もすごかった。だから……その代わりを欲していた。違うのに。――それは、代わりにならない。もっと大切なものになる。そう気付いていたのに。
「この……」
「!」
意識せず妙に喧嘩腰になってしまったことに気づき、オレはようやく息をついた。……何興奮してるんだ、いったい。
向こうも我に返ったらしく、ため息をつく。
「……すまん、大人げないな。まず頭冷やそう……いいか? 話し戻すぞ。コンビニの不良を成敗するか否かは割とどうでもいい」
「……うん」
「で、俺達は両方とも手紙の主を知らないってことでOK?」
「……はい」
「そうですね」
……あれ?
オレはきょとんとした。今、返事が1人分多かったような。って……ああ!?
「で、聞きたいことが一つある。お前と一緒にいるとフラッシュバックが凄まじいんだが、それに関しtうっええええええっ!? 時永先生?!」
嫌そうに犬飼先生がのけぞる。……あ、そうなるよね。何となくわかる。
「物凄く反応遅いですね、犬飼先生」
「いつから!?」
身構えた犬飼先生の問いに、時永先生は言った。
「……いましたよ? 随分前から」
「うそぉ……」
「と言ってもちょうど喧嘩を始めたところからですが」
すました顔で首を傾げてみせた時永先生は、次の瞬間しれっと呟いた。
「ちなみに呼んだのは僕ですからね」
「えっ……」
時永先生が? オレは犬飼先生と顔を見合わせた。
……この人が、なんでこんな真似を?
「2人とも、最近頻繁に記憶のフラッシュバックが起こってる。それも、2人一緒にいると余計に起こる。僕が絡んでも、起こる」
「!」
「……気になってるんでしょう?」
何を考えているのか分からない。そんな落ち着きすぎたまなざしが、こちらに向く。
「それについて情報を提供して差し上げようか、とね」
「……あんた、なんか知ってるのか?」
犬飼先生が驚いたように聞く。
「まぁ、全部知ってますよ。……あなたたちも僕ほどでないにしろ知っていた」
……どういうこと?
「まぁ、わかりやすく言うと……あなた方2人には故意に忘れさせられた重大な記憶があって、僕はそれを故意に思い出させるために呼び出した、ということです。」
「忘れさせられたって……誰に?」
――「 」
犬飼先生がそう聞いた次の瞬間、ふと頭の隅に、少女の顔が浮かんだ。
なんとなく優しい。なんとなく儚い。鈴のような声。
無邪気な笑みを浮かべこちらを振り向いた彼女。
「……その、記憶を忘れさせたのは、女の子……?」
自分とまったく同じものを思い出したのか、ぽつりと呟く犬飼先生。
「うん、正解。……とにかく時間がありません。僕としてはできるだけ早く終わらせたいので、ついてきてもらえますか? うちの娘がいつ帰ってくるやらわかりませんので」
「……というと……」
オレはゆっくりと聞いた。
「……というと、どうすればいいんですか? 時永先生。」
「お、おい植苗!?」
「……犬飼先生もわかる?」
オレは少し笑った。……うん、「笑えてしまった」のだ。
「……嫌な予感するんでしょ? 時永先生の指示に従うことに関してだけ、強く」
補習の日の朝、オレは時永先生と“はじめて”会話した。
あの時感じた違和感……それは不信感だ。
オレはあの時、喋った限りでは『いい先生だ』という感想を持っていたはずで……だけどそれでは説明できない、何かのもやもやがあった。
感想とは反対に、『近づいてはいけない』……そう思っていたんだとようやく確信したのは、本当についさっき。
時永先生がその場にいつの間にかいることに気がついた、ついさっきだ。
――思い出したんだよ。ほんの少しだけ、あの表情を。
今のそれとは異なる……
「……時永先生、すっごい失礼なこと言っていいですか」
「どうぞ」
……壊れ切った、
「――本来なら。僕がここにいること自体が、君たちにとっては随分失礼だからね」
……あの、『鳥肌の立つような笑み』を。
オレは息を吐いた。大丈夫。落ち着いている。……今は、不思議なほど。
さっきとは違う。
本当に嫌いなものが目の前にいるから、逆に冷静になっている。
「オレ、正直に言って時永先生が怖いんですよ。すっごく怖い」
「うん」
時永先生は頷いた。さも、当たり前というように。
「だけど、その『怖い』って感情を時永先生に持つ理由が見つからない…その理由、見つけなきゃいけないんでしょ? 時永先生。」
そうだ、そこで何かが引っかかっている。そして、それを思い出せばあと少しだという気もする。
……ここまできたら引き返したくはない。その理由を知りたい。
オレがそう聞くと、時永先生は苦笑した。
「うん、面と向かって怖いというのは正直だね。きっとその通りだと思うよ。……『その人に苦手意識を持つ理由を探りに苦手な人に挑む』。……犬飼先生も確か以前、そんな理由で僕を呑みに誘ったんですよね? 覚えてます?」
犬飼先生は次の瞬間、目を丸くした。
「………。」
暫く無言で浮かべたのは、苦悶の表情。
「……言われてみれば、そんな記憶が……いや、さっきまでそんなことまったく……」
「あなたが言ったんですよ?」
ピシャリ、と断定するように時永先生は言った。
「……僕にじゃありませんよ。あなたが先ほど思い出した女の子に、たしか思い出話で言ったはず」
――「今となっちゃ、かなり捻くれた考え方だった気もするけどな」
その場には、オレも居たんだろうか。
やっぱりしつこくデジャヴが付きまとう。
「どうせ今も苦手なんでしょう、僕のこと。……どうですか? もう一度、苦手な理由でも探りに行きませんか?」
犬飼先生は時永先生から目を逸らした。……“今も苦手”。
どうやら図星らしい。
「行動じゃなくて……全部知ってるっていう、あんたの話を聞くだけじゃ駄目なのか?」
「僕がただ話したところで、少しは思い出しても納得できないと思いますが?」
「………。」
「犬飼先生」
黙り込んだ犬飼先生に、オレは声をかけた。
「……何だ、植苗」
「何だかわかんないけどさ。今のままだったら、きっとずっと何だかわかんないままだと思う。……大丈夫だって、今度は違う。1人じゃないから」
『今度は違う。1人じゃないから』。
その言葉は不意に頭に浮かんだものだった。何故そんな言葉が飛び出したのだろう…そう思ったが、それ以上にオレは不思議に思っていた。
何故かって。
何も考えずに言った割には……その言葉が、今の自分にはしっくりときていたからだ。
……その『前』とやらは、1人だったのだろうか?
「………。」
犬飼先生は、暫くオレをまじまじと見た後ため息をついた。
「はいはい……わかったわかった、で、何すりゃいいんだ? 俺は」
よし、説得ができたようだ。……さぁ、これで満足なんでしょう?
オレは後ろを振り返り、時永先生を見た。
その目を「まともに見れる」ということがまず、心のどこかで不思議な気がする。
その時永先生はというと、何だかホッとした表情をしてため息をついていた。今から何をするつもりなのかはよくわからないけど……でも。
イツキはふと思った。――『今』のこの人は、きっと信用できる。
「……車をとめてあります。とりあえず、今からウチに来れますか?」
時永先生はニコッと笑った。すっごく違和感のある表情だ。
「――ああ、そうそう。一度家に帰らなくても平気?」
その言葉も、やたらに聞き覚えがあったような気がした。




