6.崩壊因子
「……やっと出てきた……」
教室の様子。それをそっと伺っていた時永は、ようやくホッと息をつく。
耳からイヤホンを抜いて、呼吸を整えた。……盗聴器変わりの集音マイクは意外と使い勝手が良い。はじめて知ったけど。
「…………。」
特に知る気もなかったけど。
……違和感。そう、フラッシュバック。それを狙っていた。
「そもそもミコトを探して、こんなところまで迷い込んできた2人だ。……それを利用しないなんて、そんな馬鹿な話がないだろう」
このままでは、ミコトはずっと逃避したままだ。永遠に現実世界になんて帰らない。散々都合のいい夢を見て、いろんなものから目を背けて。そうして引きこもって終わっていく。
そんなもの、あんまりいい気分はしない。
少なくとも家族目線での話だったなら。
……だから本当は、どうにかして夢を見るのを終わらせないといけないわけだ。夢を、「世界」を終わらせる。
だがその為には、自分一人だとどうしても不安が残る。
「父が狂わなかった世界」を願って生まれたこの世界。
時永はいわば、中心人物――この世界の主人公だ。
主人公。そう考えると、世界を創った作者の意向を無視した「自由意志」を持てているという時点で、まず相当に奇跡的なものに思える。
だが逆をいうと、ミコトに「否」といえる人間が一人しかいないことになるのだ。
だって時永以外の人間が「この世界が創り物だ」と知っている様子はない。それも外から来たのだろうイツキとイヌカイですら、全く例外ではないときたものだ。
『自由意志』の剥奪。『選択肢』の排除。『可能性』の否定。
――そんなもの、世界のやり直しでもなんでもない。ただのごっこ遊びか人形遊びだ。「こうであればよかったのに」と想像するのは勝手だろう。後悔するのも勝手なはずだ。だけれど、それを実際にこうして実現してしまえばどうなるか。
……ああ、冷静に考えたらとんでもないディストピアだ。
理想郷でもなんでもない。
だからこそ、とにかく早い段階で2人には目を覚ましてもらいたかったのが時永の算段だった。ミコトだって本当なら、2人の記憶や意識まで操りたくはないだろう。
それに本来の記憶を取り戻した2人がこれを見たなら、何と言うだろうか? イツキとイヌカイへの申し訳なさが発端で、そして時永への「理想の押し付け」が発端でこの世界が生まれたのだというのなら。
「手放しでは喜べない」! ……普段の彼らならそう言うはずだ。
客観的な意見に触れれば、さすがのミコトも頭が冷える。……そう思いたい。
「……希望的観測だけどね?」
だがそこまでたどり着くためにはあくまでも、イツキとイヌカイの2人自身に「思い出す」意思がなければいけない。
2人とも好きで人間を辞めたわけではない。日常から離脱したわけじゃない。だから現実逃避をしたい日なんて、いくらでもあったはずだ。
だから十中八九、この世界に抗いようのない幸福感と、安心感。居心地のよさのようなものを感じているだろう。
だからこそ……その時点で、ミコトの術中にはズブッズブにはまっているわけで。
そこから無理やり「時永」が、本来の記憶を引っ張り出そうとあれこれ暴れまわったところで。更には大胆な発言を繰り返したところで、きっと無理がある。
だってやっぱり、この世界ではイツキとイヌカイの思い込みまで作用するわけだ。当人が思い出したくないと思ったなら思い出せないままだし、何より一時的に思い出したとしても「トラウマの根源が何を言うか」という話になったらもう、おしまいだ。
「お前なんかに言われて思い出してたまるか、忘れる!」と言われたらもう何もやりようがない。
更にはこの世界の主である「ミコト」に勘付かれでもしたなら、恐らくなかったことにされるのがオチだった。ふと気がつくと朝になっていて同じ日を繰り返すとか、そんなチープな出来事が起こるに違いない。
だからとにかく少しずつ、地味に、地道に、「何かがおかしいな」と思わせるしか方法がなかったのだ。
……違和感を覚えるたび、具体的な記憶は感じ取れなくともストレスはたまる。感情や、感覚だけは残っていく。
それに賭けるしか、方法はなかった。……「何だこれは」と疑問を覚えさせる。「自分には失われた記憶が有るのではないか」そんな自覚が生まれる。自覚が生まれたなら……道は、拓く。
2人にどれだけの記憶が思い起こされたのか。個人的にはとても気になるところではあるし、これからの為にも出来れば知りたいステータスでもある。
ただ、2人きりであれだけ一緒に過ごしたのは確か。少し聞いた限りでは全て思い出すにはいたっていないようだが……さて。
「……あと、一押し。何しよう……」
時永は次なる作戦を考えはじめた。
……次の補習を待つ、というのも手ではある。だって顔を見合わせるたびに謎のストレスがかかるのだ。当人たちだってたまったもんじゃないだろう。
ただ、それではあの2人の状況が少しずつ改善されることになったとしても、ミコト自体への介入に繋がるまでにかなり時間がかかる。
……時間のロスは、できれば避けたい。
――「……ミコトは、寂しくないのかい?」
――「あっははっ、変なの! 何でそう思うの? 寂しいなんて」
せっかくこの間問いかけた『問題』。
それに対してミコトがその場しのぎで答えたあの時のように、ありふれた別の理由をつけて完全に自分にそれを“現実”だと思い込ませてしまう前に……早く、あの子をこの夢から目覚めさせなければ。
「……ただ、それにはきっとあの2人に現状を理解してもらって、協力してもらった方がきっとうまくいく」
一番、あの子にとって大切だった友達……いや、今でもきっと大切に思っている。ただ忘れているだけで……ただ、思いだそうとしないだけで。
あの子は彼らを絶対に欲しているはずなんだ。未練がないわけじゃない。
時永は2人が出てきた後の教室にしれっと上がり込んだ。黙って、黙々とイツキのすわっていた椅子の座席下を探る。
「……だってそうじゃないか」
マイクを回収し、電源を切りつつ……時永はぽつんと呟いた。
あの子は「この世界」に、「彼ら」だけは絶対に創らなかった。
たくさんの見覚えのある生徒を創って、たくさんの見覚えのある先生を創って。それでもあの子は、「見覚えのある彼ら」を絶対に自力で創らなかった。
それは、あの子にとって意味のあるものが。
……ミコトにとって意味のあるものが、本物の彼らだけだったからだろう?
「……僕も、思い出すだけで分かるよ」
『君の記憶』を思い出すだけで、それがどんなに大切な時間だったか。
それがどんなに楽しい時間だったか。どんなに、彼が……
……ブゥーン、ブゥーン……
「!!」
マナーモードにしていた携帯のバイブレータが反応しだし、慌ててポケットから取り出す。
「も……もしもし?」
『あ……お父さん? 今どこ?』
「あ、あぁ……まだ、学校だよ」
その声に、少しだけ安心する。
……「娘」の声。
「あとちょっとしたら帰るから。……そうそうミコト、今日の夕飯は何がいい?」
『私? 私は……』
……自分が今からしようとしていることは、一体なんなんだろう。
この世界で……この無邪気な声を聞くたびにそう思い、泣きたくなる。
現実で起こった全ての出来事は知っている。
“そこにいた自分”がミコトに対してどんな冷たい態度をとってきたのかもわかっている。
……この子がここに、この「自分」を欲した理由すらも。
――「お前は父親に対してこう思ったのではないか? “可哀想”だと……」
クロノスに言われたであろう言葉がふと浮かぶ。
……ああ。とても、優しい子だ。
でもそんな願いすらミコトにとっては自分勝手なわがままに過ぎなかった。心の中に抑え込んで、誰にも相談なんて出来なかった。
でも、ここでは違う。
いびつであれ、ちゃんと叶えられる。中身のない虚像であっても、絶対に叶えられる。
だからこの世界は、きっとこの子にとって立派な「理想郷」なのだろう。――真実がいかにディストピアであれ、あの子にとってはきっと――ずっとほしかった場所なのだ。
無論、ここにいる自分にとってもここはきっと甘い理想郷。
……この自分が、例えこの子とクロノスに創られた創り物であったとしても。
きっと自分がミコトに向ける感情は「本物」であることには、間違いが絶対ないから。
だから、今の状況に満足していないといったら、嘘になる。
……だけどもし、今自分が考えていることを実行してしまったら。
『うーん、どうしよう……ハンバーグも食べたいし……あー、でもオムレツ食べたいって欲求もあるんだよねぇ。んー……カレーうどんも食べたいし……』
「じゃあこうしようか、ミコト。今日はハンバーグで明日はオムレツ、で明後日はカレーうどん……」
……ねぇ、ミコト。
「ぷ、ふふっ……」
『え? 何笑ってるの?』
「いや、なんだかね」
やっぱり、思うんだ。
こんな世界は、やっぱりおかしいよ。夢ってね。自分の中の世界で引きこもって見るものじゃないんだ。外の世界に一歩出て、歩いて、歩き続けてようやく叶えるものなんだよ。
……そりゃあまぁ確かに、外の世界に僕はいないけど。
でも、きっと君は知ってるだろう?
僕よりも大切な人。ここの“今”よりも大切な、外の【今】を。
「……そういえば確かミコト、明後日は確か友達と約束してたんじゃなかった?」
『え?何を?』
「ほら、友達の家に泊まるとか」
『あ……やばっ忘れてたっ』
「ははは、じゃあカレーうどんは明々後日だな!」
だから、僕はやるよ。いかにつらくとも。
この理想郷を壊すために……君の目を、外へ向けるために。
これは僕が……君が本当には知らない『時永 誠』が、君に出来る唯一の罪滅ぼしだから。
「明後日」
『うん?』
「……楽しんでおいで、ミコト」




