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5.忘却の日々―④


 その日の補習のこと。


「ああああああああーっ、くっそ間に合っ……」


 ……廊下からヌーの大群みたいな反響の多い足音と。


「――ってなぁい!!!」


 特徴的な大声。

 ちょっと珍しいことに犬飼先生は少し時間をオーバーし、息を切らして教室に入ってきた。……どうしたんだろう。


「先生遅刻ですぅ~」 「廊下走らないで下さ~い」 

「ひゃっはー! 先生自体が遅刻したから、その直前に入ったおれもセーフ!」

「いやいやお前はセウト」 「アウフ!」 「いや、どっちだよ!?」


 周囲から覇気のないヤジが飛ぶ。さすが点数が低い人間の集まる補習というか……皆、やる気はほとんどないらしい。


「はいはいうるさい静かにしろー! 今の俺は反面教師だ、お前らに間違った例を示しているに過ぎんわけだよ! したがって今日も変わらず遅刻厳禁ということで……加藤、杉岡、今廊下から教室に駆け込むのが見えたから遅刻でプリント3枚増量」


「なんだとぉおおお?!!」

「遅刻人に遅刻をとやかく言われる筋合いなしーっ!」

「屁理屈屁理屈!」 「先生だからって許されるって考えはおかしいっ!」   


 だん! と先生は教壇を両手で叩いた。


「――どうとでも言え!! どうせ俺は正々堂々と職権乱用する男だ!」

「威張りながら言うなよ……」


 オレはボソッと呟くが、補習メンツのブーイングもなかなか音量がひどいことになっている。たぶん誰にも届かず「かき消されている」と思ったほうが良かった。


「ハイハイハイハイ落ち着きたまえお前ら、静まりたまえ頼むから! じゃあ、出席とるぞ……はい有川ー!」

「はい!」


 ようやく音が下がってくる。


「出席っと……井上!」

「はいはい」

「ハイは1回で充分。でねーと出席簿に丸2つ描くぞ。……で、えっと」


 次は、オレの番。「う」から始まる……自分の名字。


 ふっと、頭に浮かんだ。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()



  ――「お前、植苗……だよな?」


  ――「オレを知ってる……ってことは、学校の関係者?」



 ……最後の日。なんの?


 ハッと気付いて我に返る。あぶくのような思いつき。連続しない記憶。

 ――何か、会話のようなものの断片が頭にちらついたような気がする。


 思えばなかなか名前が呼ばれない。そう思って先生を見ると犬飼先生は黙ってオレをじぃっと見ていた。

 何か顔にでもついてる? いや、一応さっきトイレに言った時に顔は見た。オレもおかしいけど、先生も何だかおかしいんじゃないか?


「……植苗」


 少し間が空き、ようやく名前が呼ばれる。


「……はい」

「……出席、と」


 何だ。

 何か、違和感がある。まただ。

 そうだ……名字。

 この先生に名字で呼ばれることに、自分は何故か抵抗を持っている。

 そう確か、こんなふうに。


  ――「イツキ」


 ――よく通る大声で。


「……?」


 身に覚えのないことがさっきから、よく頭にちらついている。

 下の名前で……呼ばれてた? そんなわけはない。よっぽど親しい友達とか、家族にしか下の名前では呼ばれたことはない。


 ……ましてや学校の先生にだなんて、呼ばれたことはたった一度も。

 でも……でも、これは。



  ――「心配になるだろーが。お前は何年生きてきたんだ」


  ――「っ……い、イヌカイだって人のこと言えないだろっ?!」



 じゃあ、この記憶の断片は何だ?

 既視感、違和感は。


 何、だ。





「………。」


 その後10分。

 20分。……30分。


「……――。」


 1時間。

 ほぼずっとだ――どうしよう。何を見ても心の奥底が気持ち悪い。


「――――……っ」

「おー、うーうー唸ってどうした」

「なんでもないです……」


 ずっと違和感が拭えずにいる。……何か引っかかりがあるたびに意識がそっちに行ってしまうというか、切れた糸の端を必死に探し回るみたいに、ばらばらに飛ばされた紙の束を必死に追っかけて拾い直してるみたいになるというか……ああ、もう。


 思考回路は死ぬほど忙しいのに手元が動かない。

 全く作業が進まない。――この拙い記憶が確かなら、犬飼先生は「終わるまで返さねえよ」タイプだ。

 一人、また一人と身の回りが減っていく。


 で、気がつけば、教室には……



「あっ。……そーいや、植苗くんよーう」



 ――オレだけ。

 そう、1対1になっていた。

 課題プリントと資料を睨めっこして、答えを探すだけのはずが。犬飼先生の補習にしてはちょっと軽めの内容のはずが。

 気がつけば、めちゃくちゃ時間がかかっていた。


「な、なんでしょー……?」

「お前さーあ、前から言いたかったんだけどーお」


 わざとだろう。絶対わざとだ。

 間延びした口調。プレッシャーをかけるような圧力。


「この間の小テストぉー。名前書かずに空欄で提出しただろーう……」

「ぎくっ!?」

「自分のところに返却されませんように! っていう、ある種無言の抵抗ね。うんうんよくあるよくある」


 訳知り顔みたいな顔で言われるとすっごい腹が立つ。


「そう。さっきまでこの補習のことド忘れしてたんで、とりあえず慌ててざっと机の上のもんを全部持ってきたわけだよ。で、とりあえずお前らに問題やらせてる間それを整理してたら、無記名のそれが挟まっててな。……で、ちょうど犯人くんが目の前にいるわけじゃん? 言わなきゃなあと。仕事だし」


 ……補習ド忘れの件がちょっと気になるけど。

 どっちかというとボケ役なのは知ってても、素で半端なボケをしていたようなのは思えば始めて見たかもしれない。いや、それよりも……


「……。」


 まず、このピンチだ。どう切り抜けよう。テスト無記名とか。


「おう、何だその目は。反論あるか? 聞くぞ」

「……はい」


 思わず眉を寄せながら手を上げる。……なら言うけども。


「そもそも。それ、名前書いてないんでしょ?」

「おう」

「犯人がオレってそんな、すぐに分かります?」

「そりゃあな、お前と同じクラスの田中だって名前ぐらいは書く」


 堂々とした居眠りである種、先生生徒問わずに非常に有名なクラスメイトの名前が出されて。思わず黙ってしまう。確かにあいつ、ほとんど寝ていて、授業で言うと数学と社会と家庭科ぐらいでしかまともにやってるのを見たことがない。


「……じゃあ、ですよ?」

「おう」


 壁に見える。目の前の鬼講師が。――半分ぐらい思い込みなのはわかってる。自分で分かってはいても、威圧感は拭えない。


「……オレが、田中くんの名前書いてるかもしれないわけじゃないですか?」

「はい?」

「……名前書かないで出すなんて、そんな卑劣っていうか。卑怯な受講スタイル。そんな疑惑と迷惑がかかる生徒だったら、むしろ人の名前とか騙るのも普通にやりそうな話でしょ?」


 完全にヤケクソが入っている。犬飼先生は呆れたように口を開いた。


「……あのな植苗」


 ――まあ、確かに。たぶん犯人はオレだ。

 ここ数日変な感じに頭は混乱してるけど、前からしれっとちょくちょくやっていたような気はする。

 だって心理学の成績に関しては正直、ちょっと悪い自覚はあるんだ。


 悪い評価をもらってる。学校で下の方に見られてる。「あいつバカだ」と思われてる。……そんな恥ずかしさっていうかプレッシャーっていうか、罪悪感というか。一応普段なんも言わないわけだけど、そういうのってちゃんと感じてはいるんだよ、オレだって。


 後ろめたさというか……補習に引っかかるぐらいだから当たり前だけども、そういう感覚だってあって、だからたまに、名前をちゃんと書かずに提出したくなることがあるわけで。


 そのプリントやテストを返されるときの先生の目線が嫌だから。持って帰って部屋からうっかり見つかったときに、家族にああだこうだ言われるのが嫌だから。

 ……やる気も興味も持てないんだから、仕方ないだろ。

 そんなんで伸びるわけがないっていうのは、さすがにオレ自身が自覚してるよ。


 何くそ、なんて反発して頑張るような性格でもない。悪いと言われればむくれてやる気をなくす、自分がそんな人間なのは百も承知だ。

 根性論も通じない。暖簾に腕押し。ひたむきさもどこにもない。好きなことだけ異様に頑張れる。

 ……それが「植苗イツキ」という、ごく普通の平凡な、今どきの困った高校生だ。少なくとも前はそうだったし今でもきっとそうだと思う。

 苦手は苦手のまんまだって結局、人間って死なないんだし……


「……植苗くんよ。一応先生言われてる人間をなめるなよ、消去法使うまでもなく筆跡で大体誰が書いたかなんて分かるに決まってんだろうが」

「…………。」

「あとな」


 犬飼先生は前の席によっこらせ、と陣取る。


「いくら、自信がなくたってそんなだな」

「…………。」

「自分が信用もない、注目されてない、ありきたりで見る部分がない」

「…………。」

「そんな人間だと思いこむのは、まずいぞお前。お前が思うより目立つよ植苗。自分自身の存在ってえのは」


 どうでもいいけど座高まで高いなこの人。

 ……後ろ前で座っている状態で見下ろされると、どうも居心地が悪い。


「俺含め、いろんな大人がお前のことをきっちり見てはいるさ。軽視しちゃいない。それはそれで重い? うざい? ならほっとけ。問題はどうみられるかじゃないんだから。お前が将来やりたいことやれる人間になれるかどうかだよ」

「…………。」

「ほら、ぼけーっとしてないでさっさとやれ。あと4枚」

「……はい」


 お説教は終わったのかもしれない。とはいえ、見られているとやりづらいものだ。……ああ、だから早めに終わらせたかったのに。


「……しかしさ」

「はい?」


 背もたれに顎をつきながら、ぼそっと呟くようにいう犬飼先生に何となく聞き返した。


「……お前が最後まで残るってパターンは、珍しいな」

「……そうですか?」

「自分のことくらい覚えとけ。いっつもお前真っ先に帰ってたろ?」


 そうだったっけ? そんなことを思っていると、犬飼先生はため息をついた。


「植苗は確かに日頃テストの点数は悪い方だ。だがまったく出来ないわけじゃない、やる気の問題ってやつだ。……つまり補習が面倒臭いから補習だけやる気だしてただけ。毎回補習のつもりでやっとけ。本気でやれば補習にも引っかかるレベルじゃないんだよ」


 オレは『毎回補習のつもりで』のところで思わず苦笑いした。

 そんな意識的に出来てたら苦労はしない。


「……テストの心理学の時間って、毎回お腹痛くなりませんか?」

「それはお前、さっさと病院行け。神経性胃炎だ。……っていうか、そんなに嫌いかっ!? 俺の授業がっ」


 お腹が痛くなるというのは、まぁ半ば冗談だったんだけど……結構反応が面白い。今まで少しとっつきにくかったのが嘘のようだ。

 何故だろう、知らない面なのに知っていたような気がする。

 しかも、ずっと昔から。


「……で、今日は補習でもテストの調子か。どうした?」

「なんでもないですって」


 オレが答えると、犬飼先生は少し息をついて言う。


「そうか」



 ――「……そうかい。なんかあったら、言えよ?」



 さっき、犬飼先生は冗談で言った“テスト中の腹痛”を『神経性胃炎』と言った。

 ではこれも病気なのだろうか。


「……ねえ、先生は」

「……ん?」

「……先生は、いきなり変なこと思い出したりとかします?」


 オレが聞くと、犬飼先生は『は?』という感じで目を瞬かせた。


「いきなり何の話だ、フラッシュバックってやつか?」

「あ、そうです。フィッシュパック」

「だーからフラッシュバックだ。魚をパックしてどうすんだよ。冷凍でもすんのかお前は」

「すみません」


 ひとしきり突っ込まれた後、間が空く。……そして。


「……そうだな」


 忘れた頃に答えは返ってきた。


「あるよ」

「え?」

「今日は特にな。おかしくなったんじゃねぇかってほど連発してやってくる。しかも自分の記憶かも怪しいような、よくわからんもんが降ってくるんだ」


 ――自分の記憶かも怪しいような、よくわからないモノ。


「それがどうかしたか?」

「いや、なんでもないです」


 さっきからチラつく何かの記憶の一場面。確かに、そこには必ずといっていいほど、よく似た「声」がして……


 ……頭を振る。そんなわけない。

 だってオレはこの先生のことをほとんど知らなかった。興味もない。

 どっちかっていうと苦手な人だし。知っているようなはずもない。


 なのに……


「お、終わったか?」


 プリントを持ち上げれば、犬飼先生は気だるそうに顔を上げた。



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