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4.忘却の日々―③


「ふぁーあ……終わった終わったぁ」


 思わず、思いっきりあくびが出た。

 通常の授業は終了! なんか頭がぼけーっとするが、この後はきっとフリーだフリー。そうに違いない。

 ってかそうであってくれないと困る。だって正直妙に疲れてるんだ。


 そう思いつつ、ぱさりと膝でそろえて持ち直したのは大量のプリントだった。それもファイルになんざ入りきらない類の量。

 今から机に持って帰って採点して、返却時にはホチキス止めで……うーん。ただでさえ1クラスの人数が多いってのに、1人6枚ずつのプリントなんか出すんじゃなかった。何考えてんだ俺は。やっぱどっか調子狂ってるわ。

 重量は別にいいさ……問題はかさばり方だよ。腕がつっぱってキツいんだよ!

 そんなことをぼんやりと考えながら歩いてたのがいけなかったのか。


 ――どんっ!


「うおっ」

「アイッター!」


 もう少しで心理学研究室……というところで、角。人とすれ違いざま、思いっきりぶつかってひっくり返ってしまった。

 って、何今のわざとらしい悲鳴!?


「って、すみません! 大丈夫ですか!?」


 お前は当たり屋か何かかなー!? ……焦ったような声とともに自分を見下ろす人影。おい、何だその立ち直りの早さ。マジふざけんな。大ダメージは俺だけか!

 角っちょで誰かとぶつかって目を回すなんてだな! 相手が異性だからこそ許されてかつ、トースト加えてパンチラしてるのがお約束なんだよお前!!

 って、ん……? ちょっと待て……。


「……こんにちは、犬飼先生」

「いやあんた、どういうタイミングで挨拶してんの」


 ――目の前にいるのは、結構予想外の人物だった。


「いえ、そういえば今日はすれ違ってもいなかったなって。初遭遇」



 ふっと脳裏をかすめる、何かのやり取り。


  ――「こんにちは。犬飼先生。どうしました?」



「……えっとぉ……」


 確かこいつ。……いや、この人。説話かなんか担当してる、見た目は目立つが中身は地味の時永先生とやらだ。


「出会い頭に挨拶交わすほど、仲良かったですっけ、俺ら」

「いや、犬飼先生どこからどう見ても聖山学園の名物イロモノなので」

「何か今イロモノとか言わなかった!?」


 そんなこと言う人だったこの人!?


「名物キャラクターなので」

「思いっきり言い直してる上、さほど意味合いが変わってるように思えないんですがね!?」

「ええ、とりあえず見かけたらちゃんと挨拶はしておこうかと。名物マスコットなので」

「何俺勝手にゆるキャラみたいな存在にされてんの?」

「え、違いました?」

「違うけどぉ!?」


 ……なんだ? この「既視感」と「違和感」。

 まず、こんなに絡んでくる人だった? 癖のある人だった? いや、っていうかこんな……


「……うん。頭を打った割に元気そうで何よりですね」

「何を基準に人の元気計ってんだよ」


 ……真顔でお茶目全開するちょっとヤバい人物だったか!?

 って、あ、確かに壁に穴空いてるわ……マジか。全然痛くないから気付かなかったけど思いっきり俺、壁に頭突きかましてたわ。


「この器物損壊っぽい何かはしれっとその辺の誰かに罪をかぶせるとしましてですね」

「いやなんかすっげえ図太いんだけど! 思いっきり見なかったことにしようとしてません!?」


 責任はアンタにもありますよしれっと眼鏡さん!?


「で、一応聞きますけど他に変なところ打ってないです? お尻とか」

「いや、まあ尻もちはついたけども……頭同様不思議と全ッ然痛くは」

「あれだけドンガラガッシャンいっときながら痛くないと? 実は人間辞めてるんじゃないですかね()()()()()()

「すごくひどいこと言われた」

「事実ですが」

「どこがですか!?」


 ニコッと爽やかに笑いつつ、時永先生は訳の分からないジョークを次々にぶちかましていく。


「もしかして突然おケツが割れて、中から元気なおシッポ太郎が生えたりとかしてませんか?」

「おシッポ太郎って何だ!」

「おじいさんは山に(たばか)りに、おばあさんは河原へウルトラクイズに」

「何の選択を迫られてるんだよ、そのおばあさんは!?」


 おじいさんはおじいさんで謎なんだけど!


「そして上流からケツが流れてくるんですよ。犬飼先生のプリティかもしれないそれが」

「どうしても俺のケツを割りたくて仕方ないのは分かったからとりあえず落ち着こうね!!?」


 ヤバいどうしよう、違う意味で狂気を感じる……! いや、そもそも何か?

 なんで俺はこの人に対して既に狂気じみた印象がインプットされてるのだろうか!


「……なんつーか、えー……」

「言いづらいことでも気軽にどうぞ」


 『気軽に言える人間=そんなこと言わない説』的な何かが頭の中で提唱されて行くんだけど!?


「……時永先生何か変なモンでも食いました?」

「酔っぱらってないのは確かですね」

「いや今の時間に酔っぱらってたら懲戒免職もんだよ」

「うん、いいテンポだ! なんか楽しくなってきたんで今度飲みに行きましょう!」

「逆に絶対行きたくないんだけど!?」


 なんか知らんが()()()()()()()()()()()()()()()


「見たくありませんか?」

「何を?」

「他でもない僕が、もののひと口で酔いつぶれるところ!」

「なんか一大イベント風に言ってるよ何こいつ!? 見せてどうしようっていうのお前!?」


 もういい! そう言いながらばらまかれたプリントを集めはじめた。やってられるか。疲れがピークだ、早めに帰ってやる!


「っていうか犬飼先生、意外とノリいいですね!」

「のっけてきたんだろうが!」

「普段絡みがないので緊張してましたが、喋ってみると案外面白い先生でよかったですーう」

「何を棒読み口調で!? どの口が緊張してるってんだお前思いっきり全開だろうが、ブレーキぶっ壊れてんだろうがああん……」


 と、ふと気付いた。プリントをまとめながら、少しだけ我に返る。は? ……「もののひと口で酔いつぶれるところ」……?


「――時永先生、勝手なイメージなんですけど、あんたもしかして酒異様に強くないです?」

「どこ情報ですか? ヤマタノオロチ並に弱いですよ」


 バッサリ否定された。いやお前とんでもなく意外な何かのように口に出さなかったっけか。俺も意外だったけど。


「ってかヤマタノオロチって酒弱いのあのモンスター」

「好きではあるでしょうが、飲まれるやつは強いと解釈しないでしょ普通」

「ちなみにマジで飲まれるのあんたは?」

「ノーコメントですが、言動が幼児退行を起こすらしいです」

「立派にコメントしてんじゃねえか」


 ため息をつく。そういえば高校時代、狂ったようにギャルゲーやらバカゲーを毎日プレイしては感想をいちいち報告してきた脳みそタコ野郎がいたが、そいつのおかげかますます俺はバカゲー脳に汚染されているらしい。

 あれだ、きっと現実に対する受け取り方がおかしいし、そもそもハードルが高かったからこんな目に合うのだ。


 そもそも廊下の角で激突事故を起こした相手は美少女じゃなくてイケメン眼鏡だったし、何かすごい電波の香りがするから近づかない方がまだマシだった。

 何? 逆に俺がツンデレ系の美少女ならよかったわけ?

 「きゃーどこ見て歩いてんのよ馬鹿ー」って言いながらビンタして去った最悪の出会いがのちのハッピーエンドになればよかったわけ?


 うん、やめておこう気持ち悪い!


 で、向こう。一応後片付けを手伝う気は合ったらしく、ばらばらになっていたプリントが集められては渡される。


「あー……ところで時永先生」

「なんでしょう?」

「よく知ってましたよね、こっちの名前と顔を」

「はい?」

「俺が()()()()()()()()()()()。名前と顔をきちんと把握してる類の人とは正直思ってなかったんですが」


 時永先生はきょとんとした顔で口を開いた。


「犬飼先生だって僕のこと知ってるでしょう?」

「……基本、存在感に華のあるあんたは別でしょうよ」


 この学校はこのご時世には珍しく、生徒の多いマンモス校だ。それに伴うように教師や講師の数も非常に多い。

 前はそこまででもなかった気がするが、ここ暫くはなぜか史上最大級に多いのだ。

 職員室には一応全員の席は確保されているものの、講師陣は大概研究室にこもりがちなところからも見て分かる通り、ぶっちゃけスペース的な余裕もない。

 だから誰もが顔見知りと言うわけでもない。

 教職員会議では一応全員が集まることにはなるが、共通の人懐っこい知り合いがいて、やけに絡まれる犠牲者同士とかでもない限り、名前どころか顔すらもほとんど覚えられたもんじゃ……


「僕、鶴岡先生によく絡まれるので」


 ――ああ、犠牲者だった。


「なるほど」

「イロモノだって言ってたのはあの人です」

「思いっきり密告しやがったわこの人」

「ところで犬飼先生」

「はい?」

「大変ですね、これ」

「どれ」


 時永先生が差し出した「行動主義心理学の理論背景には何があるか答えよ」と書かれたプリントには一言。


「……『ハァイ田中です』」

「はぁいじゃねえよ」

「『すいませーん犬飼先生 授業聞いてないんでわかりませぇーん! (/・ω・)/ いぇーい』」

「……いや、マジでふざけんな田中」


 眠り常習犯からの怠惰なコメントだった。というか解答欄に書くなこんなの。解答じゃないから。

 っていうか時永といい居眠り常習犯といい、こんなんばっかか俺の周り!

 なんで!? こんな辛い日常生活だったっけ俺!?


「……田中くん、ウチの補習にもよく来るんですが」

「説話もやる気ないのねあいつ」

「ありませんね欠片も。……まあそれは別にいいんですよ」

「よくねえよ仕事してよ」


 頼むからあんたぐらいはまともにコミュ症に戻っててくれ。ちょっと変化がキツい!

 ()()()()()()? うん? 何の話だっけ、戻るって? ……どの状態に?


「この前犬飼先生のこと、こう言ってましたよ田中くん。『壊滅的に頭固いけど面白い先生だから、補習に出るのは基本、趣味みたいなもんなんです……』ってすごい眠そうな顔で」

「おちょくってやがる」


 とりあえず内心傷つきながらもそう返答する自分だが、頭の中はもうあの馬鹿げた寝顔に全身全霊で全色チョークダーツをお見舞いしてやる目論見でいっぱいになっていた。……もういい。帰れ、家に。


「殺し屋みたいな顔になってますよ」

「誰のせいだよ。要らない情報横流しするあんたが悪いよ」

「自力で情報をマスキングする気力もないほど疲れてらっしゃるとは思いもしなかったので」

「……そろそろ殴るぞあんた」


 何を涼しい顔で毒吐いてくれてんだ。


「……まあそんな居眠り常習犯の田中くんですが、言ってみれば僕らの共通の課題ですよね。眠ってばかりな理由は単純に苦手意識を持ってしまっているだけなのかもしれませんし」

「いきなりまともなこと言い出さないでくれない?」

「そういえば苦手意識というと、()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

「え?」


 あれ、そうだっけ?


「そうですよ、だって植苗くんがそういってましたし」


 あ? ……あぁ、そうだったっけな……

 ……ん、植苗?




  ――「     」




 ……なんだ? 今、何かを思い出し……かけた?


「うえ、なえ……?」


 あれ……?

 えっと……誰だっけ……?


「……()()()()()()()()()()()。ほら、背の低い」

「あ、あぁ……」


 そう言われてみれば、そんな名前の不真面目な生徒がいた気がする。



  ――「植苗こら何やってんだ、別の時間だろーが今!」


  ――「あっ、ちょっ!? ごめんなさいっノート返してくださいっ!」


  ――「返すかアホ、終わるまで没収!」


  ――「ひどい!! 次の授業までにポートレートを確認して時永先生の眉毛の本数を全部数え直さなくちゃいけないんです!!」


  ――「尊敬と崇拝のあまり、訳の分からないことになってやがる!?」



「……何かヤバい記憶思い出しませんでした今?」

「なんであんた俺の頭の中がのぞけるの?」

「顔に書いてあります……」


 中身見るまでもなくドン引きしてんじゃねえよ、眉毛数えられてる方!!


 あーそうだそうだ思い出した! 確か補習中に説話のノートこっそり開いてたりとか、田中とは別ベクトルで困るあの生徒!

 というか名前まで出されてここまで出てこないということに我ながら呆れる。何だ、若年性アルツハイマーか?


「植苗もそーいや不真面目ですよねー……あ、説話に関しては真面目なのか」

「心理学がどうも苦手だと本人も言ってましたからね。やっぱり苦手意識を持っていて手をつけにくいものに関してはそういう態度をとってしまうものなんでしょうね」


 なるほど……というか、この教師もそういや知ってるんだな、植苗。あれ? でも時永先生って最近は中等部中心に教えてるって聞いたような……うん。まぁ、いいか。担当する学年が違おうと、部活動とか委員会とかで出会って喋る機会は結構ある。別段おかしいことは何もない。

 そう思案していると、ふと気づいたように時永先生が口を開いた。


「あ、犬飼先生……」

「なんすか」

「時間」


 とんとん、と腕時計を叩く。

 いや、あのそんな淡々とした声で時間って言われても。



  ――「犬飼先生……お尻」


  ――いや、あのそんな淡々とした声で尻って言われても。



 ……って、時間。

 慌てて目をやると3時38分!


「時永先生……」

「はい、なんでしょう」

「……教科別の補習時間割って、そこの壁に貼ってありましたっけ」

「ええ……これから心理学の補習ですよね、()()()()の」


 ……って、ことは、何か?

 俺、もしかしてさっきまで……これからフリーと勘違いしていた?

 補習時間の開始が3時40分。つまり、あと2分……


「ということなので、早くしないと遅れちゃいませんか?」

「ちょ、マジで……うわマジか」


 画鋲取って見せなくていいからその時間割。見えたから今。


「マジですね、いってらっしゃい!」

「ああクソ! すみませんね時永先生、また今度―!」


 俺はてんこ盛りのプリントを抱えなおし、その場から走り去った。



  ――なんとなくではあるが、俺はこの教師が妙に苦手だ。

  ――あまいマスクとは裏腹に腹の底には何かを隠しているような。そんな感じが、どことなくする……



 どこか懐かしいその気持ち。沸き上がる――正体不明の嫌悪感。

 後ろから、小さくその声が聞こえた。




「……はい、また、今度」




「……どうしよう、緊張のあまり訳の分からない絡み方しちゃったぞ……」

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