1.復活者は来訪者に驚愕する
――お待たせしました、第3部、スタートです!
メティスは頷き、集中するように黙り込んだ。
……そして、数秒。数十秒。
声が聞こえ始める。
『世界に耳をすませ――その、……、を聴け』
――それは勿論、知っている。
イツキは唇をかんだ。
メティスのそれに重なった声。普段は小さいながらよく通る、ミコトのものだ。あの子が大声を張り上げたことなんてそれこそ、時永と対峙した瞬間くらいだろう。
その辺に転がった『世界の穢れ』を知らない。
理不尽らしい理不尽を知らない。
否、知ってはいるが――認めていない、あの子の小さなささやき。
『――軌跡をたどれ』
カウントダウンのようなそれに身を縮こませると、いきなり小指の関節がペキッとひねられた。いったっ! ――やめろよ、せっかく緊張してたのに!
「緊張ほぐしてやったんだよ褒めろよー」と言いたげなニヨニヨしたそれが目に入り余計に腹が立つ。
……そういうとこだよ、イヌカイ。人って緊張しなきゃダメなときがあんの! それなりにいいやつなのに嫌われるのは、そーいう発想だからねホントに!!
イツキの頬がぷくーっと膨らんでいく。
「気遣い」とか「空気読む」とかそこらへんのスキルだったらさ! 絶対イヌカイ今でも時永のクソ眼鏡に勝てないからね!? ホントその辺だけ気を回しっ……
『私は、「ここ」にいる。いくつもの物語を越えて』
「あっ」
……ふわり。体の力が抜けていくのを感じ、イツキは慌てて思考をぶち切った。そんな能天気なことを考えている場合ではない。だって。これ……っ。
「……イヌカイ!」
――ごっそりと、抜けていく。
何かが。今まで自分として、生物としてこの体におしこんできた……積み上げてきた、色々なものが。
「……っ、――……」
イヌカイの口が動くのが分かる。けど、目を開けていられない。
白から黒へと視界が暗転する。
意識が、気力が霧散していく。
「――、――!」
……せめて何かない? すがれるものは!
削れるように薄れた自覚を奮い立たせて口をひらいたけど、何もきこえない。
ただ、キンキンと耳鳴りだけがして。
「……っ、ぁ」
――視覚も聴覚もノイズがひどい。
嵐のような音がする。
声をかける間もなかった。手を、離した感覚すらおぼつかなかった。
……意識がとび、2人はゆっくりと落ちていく。
……全ての記憶を、心の奥底に眠らせて。
―――― ――― ――
「……っ?!」
――ガタン。
震えた男の手があたり、机からペン立てをひっくり返した。
……あれから半日は経っている。少なくとも、「ミコトの世界」では。
「何、で……」
驚愕の表情のまま宙を見つめる男の顔は窓から差し込む光によって影になり、見えることはない。
「……何で“今更”……?」
男が今はじめて存在を感じ取った2人。
彼は冷や汗を垂らしながら思った。……それは「自分」もよく知っている2人だ。“感じ取った”? いや、そんな表現でもおかしくはない。だってそうだろう。
彼は息を吐く。この男は特殊な人間だ。ミコトと見えない糸で繋がっているようなもの。ミコトの封じた、「本物」の記憶も閲覧できる。
いわば「ルールから外れた登場人物」、そういう存在だ。
「…… “本物”がこの世界に出てこなかったのはそういうことだったのか」
男は暫く息をのみ、それからようやく納得のいったように呟いた。
……窓の外を風が吹く。裏山の緑がこすれる音、雲をかすめる飛行機のエンジン音。彼の黙り込んだ室内に、遠くで鳴り響く音が集まる。
「なら、あとで……呼び込むつもりで……そうか……なるほど……」
ブツブツと呟きながら男はしゃがみこみ、床に転がった木製のペン立てを手にとった。コトリ。……硬い音を立てて直立するペン立ての下に目線を泳がす。
ペン立てと、何も特別ではないファイル。
机の透明なマットに挟みこまれた数々のメモ用紙やプリントに混じり、見えるのはミコトの写真と……1人の女性の写真。
――それを彼は、しばしの間眺める。
それは恐らく、「前」はここになかったものだ。
ミコトの知る彼は、プライベートのそれを自らの仕事場にまで置いておくような人物では絶対にない。
更にいえばそれを「持ってすら」いなかった。ミコトが「女性」を見たことがないのもそういうわけだ。
写真だけならいくつも撮ったはずだったのに、彼はそれを持っておくことに理由を見いだせずに手放したのだから。
……だから、本来ならそれは、【存在しないショット】。
「…………。」
もう、どこにもないショット。
それを見る様子はどこか寂しげで、悲しげで。
……2分ほどして、男はようやく少しため息をつくと顔をあげた。
「余計なことを……」
ミコトにとっての「イツキ」は。「イヌカイ」は、時永にとっての「あの女性」と同じだ。失われたショット。自らの居場所。自らの標。
そんな「2人」が、この世界に落ちてきた……。
「どこまでもお前は、僕と正反対に動くんだな、クロノス」
男は机に放っていたファイルを手に取ると、鞄に詰め込み席を立つ。こんな箱庭だろうが一応仕事はある。それも、まるっきり「記憶通り」の仕事が。
と、そのとき。
「あ、お疲れ様です時永先生。もうあがりですか?」
通りすがりだろう――部屋の扉が開き、同業者がひょこっと顔を出した。
扉の擦りガラスから立ち上がる影が見えたとか、そういうことだろうか。
「ああ、はい、もうそろそろ帰らないと……よいしょ」
そういった男……時永は真顔で鞄からぺらりと「特売チラシ」を出した。
……「明らかにおかしい組み合わせだ」と前の時永を知っている人間は言うだろう。格好つけのサイコパス。それがここまで庶民派に見えたためしがあったろうか。――いや、ない。多分! 顔に似合わぬタイムセールのチラシには鉛筆の丸印がぽんぽんと描かれている。
「……早く帰って鍋焼きうどん作らなきゃいけないんで」
「ぷっ、こんな季節にですか?」
「あれ、おかしい?」
――それを言った瞬間、窓の外をアブラゼミがぼとっと落ちて行った。
そりゃあそうだろう、卓上カレンダーのページには秋めいた挿絵こそ書かれているが、「9月」だ。
北国ならともかくこの近辺で9月といえば、まだ暑いに決まっている。
「……いえ、らしいんじゃないでしょうか」
「……暗に僕が天然だって言ってるよね、橘先生」
歳でいえば十は下という立場だろう。そんな職場の後輩に憮然とした顔で言えば、橘と呼ばれた女性教諭はへらへら笑った。
「いや、その。まあ……。頑張り屋さんですよね。天然かどうかはさておいて」
「その『さておいて』が思いっきり答えになってるんだけど」
「あーあ」
橘は大きく息を吐いた。
「……いいなあ」
「何が?」
「ミコトちゃん、お父さんに愛されてて」
続いた言葉に一瞬、きょとんとした時永の表情は若干苦笑いになる。
……実際はどうだったか。考えると非常に複雑だ。
「なんか見てて微笑ましくなるじゃないですか。ミコトちゃんもいい子だし、時永先生は一生懸命仕事して、家でも手を抜かずに一人で子育てしてるし。残暑もまだまだな季節に鍋焼きうどん作っちゃうけど!」
それは見逃してほしい。本当なら自炊なんてほぼしたことがないんだから。
「……一生懸命かどうかは知らないよ?」
「だって時永先生、お家は立派だけどお手伝いさんとかもいないんでしょう?」
「ああ……」
時永は目を細めた。
「メイドさんとか?」
「メイドさんとか、執事さんとか」
「……まあね」
「それでよくミコトちゃん、あそこまで天真爛漫に大きくなりましたよね」
『もうちょっと愛想の悪い、人馴れしてない子になってもおかしくなかったはずなのに』なんて橘が言い出したので、時永は苦笑いして首をすくめた。
……愛想の悪い、人馴れしてない。それはどちらかといえばミコトではなく自分のことだろうと。
「……僕の父が好まない人みたいだったからね。いたことはないよ、僕もどちらかっていうと一人の方が気楽だし。自分のことは自分でしなきゃ」
時永は少し苦笑いすると、一息に続けた。
「……『自分“に”誰かが力を貸すのを当然だと思って生きてきた人間って、結局は弱いわけですよ』」
「はい?」
「……前、ある人に言われてね。うん、今更共感したんだ」
以前ミコトがばっちり聞いて覚えていた言葉だった。かつての自分が恐らく理解できなかったであろう、ひどくシンプルで単純な理屈。
少し思い出し笑いをしてしまう。……ミコトの好きな「イヌカイさん」、気が合うかはともかくあの言い返し方は正直、結構好きだ。
「へー」
「……ところで油売ってていいのかな、橘先生。さっき鶴岡先生が探してたよ」
口からスラスラと嘘が出た。――ああ、こういうところだけ僕は「彼」と同じだ。
「げえ、マジですか」
「マジです、その様子だと遭遇してなかったんだ」
「何用ですかね、あの昼行燈……あ、じゃあ、申し訳ありませんが失礼しますね」
「お疲れ様です」
パタン、と扉が閉まった。
「……一生懸命子育てしてるとか、今のは誰の意見だろう」
ぽつねんと呟く。
あの「橘教諭」はこの世界の人間だ――言うなればミコトの夢の一部分。
だから彼女の言葉は当然、深読みすれば彼女自身の言葉とは思えなくなってしまう。
裏が、透けて見えるのだ。
夢の中の登場人物が時折、夢の本来の持ち主の「本心」をぽろりと喋ることがあるみたいに。
更に言えばこの夢、紡いでいるのはミコトがメインだがミコト単体というわけでもない。クロノスだって一枚噛んでいるし、更にいえば先ほど外部から来たばかりのイツキやイヌカイにだって影響される。
だから、橘教諭は言うなれば虚構の人間だ。
意味があって配置はされているが、それだけの話。プレイヤーキャラクターではなくNPC。……「理想の世界」に住む、空想の一員。
「……僕も、役割的にはそうなんだけどね。まあいいか」
時永は橘の後を追い、ふらりと部屋を出た。ふと。
「――――……。」
脳裏にあの写真の顔がこびりつく。ミコトでない方の、女性の顔が。
「…………そうだね」
少しだけではあるが、体の力が抜けるのが分かる。――大きく息を吸い、鼓動を打ち消す。
「僕は……役割的には橘先生と変わりがない。実際に僕はこの世界の住人として生きている。この世界が止まれば、回らなくなれば、心臓も止まる」
この世界であるから、彼は生きていける。試験管の中の細胞と同じだ。特定の環境下でしか生きられない。だが……
「……どうでもいいのさ」
彼は、一言ずつ呟いた。
「――この身がどうなろうと、この世界がどうなろうと、“僕”は構いやしない」
扉を閉めながら、鍵をかけながら。
――心にもそっと、「鍵」をかける。
昔からそうだ。
彼は容易に悟られたりしないし、中身を覗き込まれたりしない。
「何故なら僕は、純粋な“この世界”の住人ではないからだ」
“この世界”。
それは、少女の生み出した幻想。――時永は覚悟を秘めた瞳を黄昏の空に向けた。
「『この世界』からあの子たちを何としてでも連れ出さなきゃ、僕の人生は終われない」
……『人生は終われない』。その言葉の真意はどこにあるのか?
時永はふっと笑みを浮かべた。「大人しい」、「少し内気な」。そうとれるような笑みだ。ミコトの浮かべるそれと質はよく似ている。
あの、壊れた笑みは欠片もない。
「……。また、あの子は待ってるんだろうな……僕らの家で」
彼は呟く。ここ数日で確定した自らの立ち位置を反芻しながら。
「また演じなくては、いけないんだね。僕にはそんな資格は微塵もありはしないのに」
謎は多く、この「世界」を包みこむ――なぜなら彼女がそう望んだから。そして。彼も。
「……仕方がない」
笑いながら呟く。
自嘲と、苦笑と、純粋さ。
……ミコトが最初に作ったのは、真っ白な世界だった。
人のいない町、色のないモノクロな世界でミコトと「初めて」顔を合わせた彼は、記憶を消し去る前のミコトに願った。
――人であれ、と。
元々ミコトは自己肯定感が弱い……当たり前だ、あの子の知っている時永は彼女が何をやろうと、何を為そうと褒めてやることさえしなかった。
更にはイツキやイヌカイのあの状態。――なぜ気付かなかった。どうして彼らの苦悩を知らなかった。そんなことを言っても仕方がないのに、自分を責めた形跡が見て取れた。
だからだろう……クロノスに誘導されたあの子が創ったのは「全てをやり直した世界」だった。
――過去をひっくり返した理想郷。
悲惨な事件の起こらぬ、もしもの世界観。
世界を創り直したなら、いっそ自分も「その世界の登場人物」に加えてみればいい。自分ごと創り直せばいいのに、なぜかあの子はそうしなかった。
当初、登場人物内に「入っていなかった」のだ。――いや、それはおかしいだろう! 贖罪のつもりだってそんな馬鹿な話があるものか!
この世界の時永は最初、それに気付いた瞬間ぎょっとしたし、とんでもなく戸惑った。
悲しみを感じさえした。それを見たミコトは相当驚いたらしい。
だって彼女の知る「あの男」は、そんな感情を抱かない。
他人に対して「憤り」はしても、「嘲笑」することはあれど、「悲しむ」なんてことはしない。見たことがなかったのだ。
――だが、事実この時永は「とんでもなくまともに悲しんだ」。
だってそんなことをしたら彼女はただの機能になってしまう。
都合のいい世界を外側から、無心になって創り続けるだけの「何か」なんて……救いようがない。
彼は説得したのだ。――「君は誰もが納得する世界にしたいのだろう」。
「こっちの意見は無視するつもりか?」、「僕は君の理想の父親だぞ!」 ……そう、生まれ直した「時永 誠」は役割をひっかぶったのだ。
――「僕に愛を知ってほしいんだろう、だったら君自身が僕に教えるべきだ。その年頃の娘がいる楽しさを。君が知りたかった親子の情を」。
そう、言ったのだ。畏れ多くも。この世界の主に――1人の男は物申した。その心の袖口を掴んで、登場人物に引きずり下ろした。
だから、ミコトはここにいる。
少なくとも時永自身が干渉できるプレイヤーキャラとして……登場人物としてこの世界に根を下ろしている。ゲームマスターではなく、創造主でもなく、普通の女の子として。
だから――少なくとも現状だけならば、役割を演じ続けていれば維持できる。
彼は一人、ため息交じりに呟いた。
「……仕方がないさ。僕は確かに一度、こうありたいと願ったんだから」
一瞬でも願ってしまった、自分のエゴだ。
そんな資格はないと分かっている。分かりすぎるほどに。……記憶が有る。生々しい記憶が有る。イツキを騙した記憶も、イヌカイをせせら笑った記憶も、勿論「あの記憶」もある。
少なくともそれを為したのはこの時永という人間だ。そんな記憶が……ミコトが望んだ、「望んでここに置いた」この時永にはあるのだ。
狂わなかったもしもの自分に、ちゃんとあるのだ。
――廊下を歩きながら、彼は呟く。
「演じるのも嘘をつくのも、慣れてるさ」
――そう、慣れている。板につく程度には。
「昔からそうだったろう、僕という人間は。……いくら報われなくても、犬死でも。それでも僕はこの道を選んだ。自業自得だよ。そうだろう? 普通の『お父さん』」
己の役割を、口に出す。ああ――あくまでも、役割だ。
……本気になってはいけないのだ。




