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【外伝】『君のことばかり思う』:後編


 その後も、だ。

 幾度かいじめられっ子の方……ボンボン馬越くんとは奇妙な縁があった。

 ある種の腐れ縁というやつだったのだろう。

 ふらりと入った店でおれと目が合い茶を噴き出していることもあったし、その後も何度か絡まれているのに割って入ることもあった。上京後でさえ、3ヶ月後ぐらいにばったりと出くわしてしまったりもしたものだ。


 これが男女ならまだいい。「運命の出会い」だの「ロマンチックですねー」だの、とりあえず思ってもいないタイプの茶々を入れるところだが、向こうだってまっぴらだったに違いなく……その類いのジョークは飛び出してこなかった。


 というか向こうは早い段階で「そういうものだ」と思うことにしたようだ。

 世間は狭い、それでいいだろうと。

 「友達が偶然地元から追っかけてくるなんて愉快じゃないですか」? ……頭に綿でも詰まってるのかこのクマさんは。


 で、入ってから知ったが。

 最初に就職したのも偶然同じ系列の会社だった。


 なので一時期はほぼ同期扱いのようなものだったのが、そこら辺までくるとさすがに偶然は続かない。

 おれが突発的な人間トラブルを起こし、クビになった結果……顔を合わせることがガクンと減ってしまったという、割と笑えるオチが待っていた。

 ……ちなみにクビになったのは、おれの暴言のせいだったらしい。

 らしいというのは、自覚がないからだ。多分当たり前のことを言っただけだろう。目上のデカい面した何かに。


 あー、うん。とにかくそんな昔から、「言葉足らず」とか「口が悪い」とかで人との会話はほとんど成り立ちゃあしなかった。

 誤解の解き方も知らなかったし、誤解を解こうとさえ思わなかった。どうせ最初から人に心など通じやしない。尽くしただけ無駄だ、謝るだけ無駄だ。

 だったら全部やめちまったほうがいい。誤解まみれの人生だったもんだから、今更何を言われようと知ったこっちゃない。


 実家も飛び出したし上京もしたが、さっき言ったみたいに結局「生来の口の悪さ」で雇ってくれるところも少なかったし、雇われたとしてもすぐに切られた。

 もって1年。……なら会社を立ち上げれば良い。金にもなるしな。


 しかしそんなバカの若造が新しく旗を上げたところで、コネも何も無い上に仕事が来ない。なら何か餌を呼び水にすれば良いだろう。

 一番食いつきが良いのはやはり現金だ。ばらまいて恩を売って人の縁を金で買う。その金がやがて増えて返ってくる。

 それを繰り返しているうちに薄々勘付いてきたのだが……どうやらおれは、金コロがしだけは人より十二分に巧いようだった。


 “こいつに金を貸したところで戻ってこない”。

 “逆に損をする”。“損をしないが得もしない”……


 それが少し人を見るだけでも分かるようになってきた。

 おれ自身が実家みたいな「お武家気質」ってよりかは「商人気質」だったのか、こうしておれの人生はあれよあれよと成功していったのだ。


 更に昔、絡みのあった暴力団でコーヒー牛乳奢ってきた印象のあるクソジジイは、どうもどうやらおれの後に徒党を引き連れ東京進出してきたようだった。更に、そのジジイが東京に出てきて真っ先に頼った先は――元々知り合いだったとかいう時永の先代だった。


 体を壊した先代の病床でおっさんはこう言われたそうだ。

 「誰か有望な男はいないか、うちの娘ぐらいの」。……有望かどうかはさておいて、そこで白羽の矢が立ったのがたまたまおれだったと。


 そうしてプライドと購買意欲が空より高いような金持ち崩れの我侭お嬢に奇妙なご縁が出来……なんでか知らんが気に入られて……そいつが昔は戦前相当な権力者だった「時永」って一族の生き残りの、しかも一人娘だったってだけの、どうしようもなくふざけたあらすじができたと。


 しかもおれが手筈も整いそいつに出会ったときには既に、先代はこの世を去っていた。おれの顔と経歴ぐらいは知ってたらしいが、結局顔も合わさないままおれは「時永一族」の遺産を手に入れたわけだ。しかしすぐに発覚したのは、そのバカ娘のどうしようもない『散財癖』だった。


 買い物中毒という言葉が似合うぐらいに毎日何かしら、高額な買い物をしてくるのが趣味だったようで――随分と高尚な理念をお持ちでいらっしゃる――それも「金庫にだって底がある」なんて頭の片隅にもないような、太っぱらにもほどがある買いっぷりだ。


 そんなもんでおれがそのバカ娘に出会った頃には既に、その我侭お嬢様が……「長女だから」と遺言どーりにせっかく多めに分与されていた財産を3分の2ほど食いつぶしていた後だったというオチ。

 あのまま放っておいたら恐らく2、3ヶ月で全部消えていただろう。まったく後先を考えないバカ娘だ。


 しかもその財産分与の件でそのバカ娘は他の姉妹や親戚に妬まれていて、すねかじりも出来ない状態だった。

 ……財産食いつぶした後お前はどうする気だったんだ。答えてみろ。


 とにかくおれはその後、いつも通りに金を転がした。せっせと働いて、その3分の2を埋め合わせ、更にプラスを作っていく。

 ……せっかくだから名前も利用してやろうと時永の名も借り、その「時永」のバブリーで重厚なかつてのイメージを何となく復活させてたってだけの話だったりするわけで。


 結局のところ、やはりおれ自身はなんでもない……ロクでもない男だったのだ。


 だがセレブリティの業界で運良く忘れ去られていなかった時永のネームバリューのおかげで売り上げが更に上がる。

 そうやってようやく、どう足掻いても金に不自由しなくなったところで、女房になったバカ娘がいつものブランド物のバッグのようにねだってきたものがあった。


 ――「子供」だと。


 しかも手がかかる赤ん坊ではなくて、もう既にデカくなったやつが欲しいとだだコネやがる。……勿論我侭バカ妻と化したバカ娘が機嫌損ねたら面倒臭いんで、くれてやった。組長にまでのし上がっていたさっきのおっさんの勧めもあって、県境を越えたすぐ近くにある施設まで車を飛ばす。


 寒い、雪の日。……そうしてこいつを引き取った。


 基本的には黙ったままだ。

 たまに頷き、たまに「はい」とだけ言葉を話す、眼鏡の子供。


 “本だけ与えておけば手はかからない”?


 ああ。

 確かに……お前はそうだった。“手が、かからなすぎた”。


 湊のようにわがままも言わず、言われた通りのことをこなし、言われた通りのものを口に含み、言われた通りの服を着る。

 ……それは、例えていうなら本当に「真っ白な雪」だった。

『何もインプットされてないまっさらな何か』。さながら新雪。誰も足跡をつけていない、雪原。踏み入りたいが、踏み入れられない。足跡をつけたい気もするが、なかなかつけられない。

 歩いても歩いても、足跡はすぐに消えていく。

 すぐに吹雪いて、轍が埋まっていく。


 全てに対して「どうでもいい」と思っていそうなそれ。心を開かない、真っ黒なその目。何も思っていない。ただ、少し悲しげな印象のそれ。――その、目だけが納得いかない。


 ……さあ、何がそんなに悲しいんだ?


 何だかそいつを見ているうち、だんだん腹が立ってきた。腹が立ってきたと同時に、息が詰まりそうに思った。

 だって普通とは違う。見たことのないタイプのガキだ。


 何をしても表情がほとんど動かない。こちらのことさえほぼほぼ見ない。

 ただひたすら無言を返すか、「はい」というだけ。


 こんなに人を見ないやつ。ポジションすら見ないやつ。反応のないやつなんて初めてだ。

 子供だからじゃなくて、大人にだってこんな「もの」みたいなやつはきっと、そんじょそこらでお目にかかれない。

 というか、かかれようはずもない。


 もの扱いされてるやつはよく見かけても。湊の欲している「子供」というのが、都合のいい玩具とか人形の類いだったとしても!


 ――こんな奇妙な「子」。

 どこにだっているわけがなかったし、ありようはずがなかった。


 ()()()()()()()()()()。そのことに対して純粋にショックを受けた。

 元々いた施設に問い合わせたところ、そこでもそうだったらしい。ほとんど笑わない、ほとんど泣かない。誰にも懐かない。友達と遊ばない。

 同室の人間に起こされて朝を迎え、促されて食事をし、誰も気づかぬ間にふらりと消え、探せば人気のない場所でじっと絵本を見つめている。


 話しかければ必要最低限の言葉は喋る。何かのテストをやらせてもそつなくこなす。……発達に問題があるわけでもない。


 ――ただ、誰に対しても「興味を抱かない」のだと。


 そんな人間がいるのかと驚いた。驚くと同時に、妙な焦燥感に襲われた。

 ……それでいいのか。お前は。


 おれの言ったことにただ頷き、バカ妻の言うとおりにただ行動する。


 まるで『生きることに意味などない』と腹の底でエンドレスに呟いていそうな顔で、ただ黙々と日々を過ごす。

 ……うん、まったく「子ども」らしくない。


 「子供」という字は、古くは神にささげる生贄を指したという。

 もしくは大人などの力の大きいものに付随する、お供するという意味。

 ――いや、実際にそうだったかは定かでないが、一時期国策なんかの表記が「子ども」だったり「こども」だったりしたことが多いのはそのせいだ。


 立場の違うものに仕える。奉仕する。

 そういう意味での「道具」を連想するから避けられた言葉。


 ……あれは、まさしく「子供」だ。そう思った。

 自分の中に誰も立ち入らせない代わりに、誰かに使われることを選んでいる。「何でもしますから入ってこないでください」と。


 あれだけ何の抵抗もなく「子供」として振舞われると逆に不安になる。


 ……気に食わない。

 もっと、こう、子どもって元気なんじゃねぇのか。我侭なんじゃねぇのか。

 子どもって、手がかかって。

 ……それがきっと、本当の人間で。

「子ども」ってやつなんじゃねぇのか?



 何故だろうな。

 ……見てみたいと思ったんだ。

 あいつが笑ったところ。あいつが我侭言うところ。

 ……あいつが、人を困らせてるところ。



 ……なあ。いいんだぞ。


 いくらあのバカ娘が「手がかからない子供が良い」ってお前を選んだからって。

 おれみたいに好き勝手やって。おれみたいに嫌われて。

 暴れて。人をけなして。殴りつけて。


 ……何も主張できないよりはそっちのが100倍マシだろうに。


 そう思うと不思議と笑えてきた。

 だって想像できないのだ。あの仏頂面が金と引き換えに人を殴り飛ばしているさまが。ただ、無理やり考えるとそれもありかと思える。今のそれよりはよっぽど面白い。


 ああ、想像するだけで笑えるよ。

 仏頂面のこいつが思いっきり笑って、泣いて。

 おれに迷惑かけてガキらしいなんて……本当に面白い図じゃねぇか。


 ……だからいつか、そんなこいつが見てみたいって思い始めたんだ。

 時間かかったって良い。

 おれが、見たいんだ。


 これはおれが勝手に思ったこと。

 自分勝手に思ったことだ。

 「いつか、無理やりにでも笑わせてやる」――そう思って、結局。

 何したんだったか。


 そうだ。おれは休みが来るたびにそいつを連れて、どこかへと遊びに行って……。


 日用品を買う都度、スーパーの袋詰めしているところにある前の割引券を見た。別にケチるつもりでもなかったが、それまで近場に何のテーマパークがあるのかすら知らなかった。

 旅行代理店に行くたびに、書店に通りすがるたびに。観光系の冊子をぱらぱらとめくった。今まで全く興味もなかった。


 だが……ふと考えてしまう。

 あいつが好きそうな場所はどこだろうか、と。


 ……あいつが面白いと感じる場所はどこだろうか、なんて。


 人と話せば気付けば誤解まみれのおれが、いつの間にかクソガキ相手に向き合おうとしている……そんな状況を誰が予想できたか。

 いつしかおれの関心事はあいつのことばかりになっていた。



「……誠、釣り行くか?」


 思い切って声をかけてもやつはチラリとこちらを見るだけだ。


「…………。」

「ダメっ、今日は服を買いに行きたい!」


 ……いきなり発言し駄々をこねるバカ妻。結局これもいつものことだ。

 誠とどっちが子供だかわかりゃあしない。


「……お前には聞いてないんだが」

「行くったら行くの!」

「……いつ決めた?」

「今!」

「バカじゃねえの」


 誠を見る――沈黙。


「……109でいいか、誠」

「…………。」


 ――コクリ。

 表情すら変えずにクソガキは頷いた。

 ……また、別の日も。


「……誠、山行くか?」

「山! いいわね!」


 今度はぱあっと湊がのっかった。よし。行ける。今度こそ行け……


「高尾山のとろろ蕎麦食べたい!」


 ……口から思い切り煙が出た。

 東京都の二大山と言われるアレの一つだ。まあ、この辺り……関東近郊の初心者には最適な山だろう。ウチの社員だって言っていた。

 「小学生だって遠足で登ってる」と。

 だが、とろろそば。それをやるとふもとで終わってしまうわけだ。実際あれは高尾の名物だが、山を登らなくても駅前にごまんとあった。


「だから湊、お前には聞いてな……」

「とーろーろーそーばーぁあああああ」

「…………。」


 いい加減、駄々をこねて転がりまわるいい年こいた大人と、それを無表情で見つめる子どもを更に見つめる側にもなってほしい。


「あ、そうだビアガーデン! ビアガーデンもあったわあそこ!」

「…………。」

「ビ・ア・ガー・デぇええええンっ!」

「おい、いい加減にしろ。6歳がビアガーデン行きたがってたまるか」

「私が行きたいの!」

「…………。」

「人の話聞いてねぇなこのクソババア。……誠、高尾山で良いか?」

「…………。」


 ――コクリ。


「本当に高尾山でいいんだな?」


 ――コクリ。


「……高尾山と並んで関東の山登り好きに崇拝されてる御岳山(みたけさん)でも良いんだぞ」


 むしろここからだと御岳のほうが近い。


 ――コクリ。


「……何だったらもうちょい遠出して富士山でもい……」

「TO RO RO ☆ SO BA!!」


 ――ビクッ!


「……あ?」


 思わずおれはお間抜けな声を出してしまった。

 駄々をこねすぎた影響でかなりヤバい顔になっている湊と、それを見る誠の顔を見比べる。


 ……やべぇ。


 何が起こったか合点がいった。

 つまり――ようやく、あいつが――誠が表情を出したのだ。


「う、うん…………お、おそば……」


 ――コクリ。


「……食べ、たい……!」

「いや、お前」


 鏡を見ろ。そして嘘をつけ。

 ほとんど聞き覚えのない高い声に驚きながら、おれは困り果てて呟いた。


「……すごく、ドン引きしながら言ってもだな……」


 そう、あの顔は大人の醜態にドン引きしていた。そして可哀想なことに勢いに押されて少し怯えてもいる。

 ああ、そうか。お前、こういう風に怯えるんだな。




「……誠、海行くか?」


 で、違う日に誘ったところで。


「…………。」

「レッツゴー☆由比ヶ浜ビィイイイチィイイイ!!!」


 ――! コクリ。


「おいやめろバカアマが」

「何をよ」

「……その顔芸を」


 その後は誠も、割とすぐに怯えの表情を出すようになったが……やっぱり普段は眉1つ動かさない。


 ……違う。


 ふと思った。

 ……おれが見たいのは、違う。




 別の日も、そのまた、別の日も。

 おれは誠を誘った。

 ……あいつは頷く。何も反論しなかった。意見を出さなかった。


 別に小学校の道徳の時間じゃねえんだ、ディベートの最中でもねえんだ。

 何も言わないからと怒る気には決してならない。ならないが、やはりモヤモヤするしかなかった。

 自分の意思がないみたいで、酷くムカついた。


 何でだろうか。

 あんな不愛想な顔をされると変に体がうずうずする。

 膝を抱えている小僧相手に、首根っこを掴み上げて移動しても何も言わない幼児相手に。……段々、ムキになってくるのがわかった。


 ……なにくそ。そう思ったのだ。


 ああ、いいだろう。上等だ。――絶対に笑わせてやる。



 それでとにかく遊びまわって、無表情もしくは仏頂面の息子くんをひたすらどうにかしようとあがきまわったわけだが。


 ……気付けばの話だ。

 ざっくりいうと仕事の方針も、企画も、ほとんどが部下任せになった。

 それでもうまいことまわっていくのだから、それはそれで構わない。


 そもそも、おれが現場からいなくなったところで首が回らなくなるようなそんなヤワな教育はしていない。

 どうせ誤解されて嫌われるのだから、嫌われようが何しようが必要なことを教えるまでだ。そう思って……思ったことは全部言ったのが。歯に衣着せなかったのがどうも功を奏したらしい。


 気付けば安定していた。

 ほっといてもやたらと頑丈なイメージはあった。

 「任せてください」と言われて任せられるような信頼感が生まれていた。


 だから、トップ一人が有休どころか欠勤取ったところで誰も困ったりはしなかったのだ。正直、「社長などただのポストだ! 全部てめえらに押し付けて観光三昧だよ、ほーら、悪いトップだろうが。おれは思いっきりサボっているぞ!」

 ……なーんて思っていたのだが。


 気付くとどういうわけだか下からの当たりが異様に優しくなっていたので、金の巡りは分かっても人心だけはほとほと分からんのを再認識した。

 ……別に何もしていない。

 ただ以前と変えたことといえば、いかにも遊び慣れてそうなやつや子持ちの女性社員を度々ひっ捕まえて仕事場から拉致したぐらいか。


 ポケットマネーをはたいて食事をおごりつつ「どこの観光地が子ども受けするか」だの「おすすめの宿を教えろ」だの、ところ構わず聞きまくったぐらいしか原因が見当たらない。

 気付けば妙な噂が流れているのを耳にする機会も増えた。

「あの人意外と子ども好きだった」だの、「社長にも人の心があった!」だの。ひどく生暖かい笑みを背中に感じるようになったので余計に仕事に行かなくなったのは、確かあの頃の話だったか。


 とにかくおれはあいつの違う表情を引き出すために、毎回違うところを探し、一緒に足を運んだ。

 ……にも、関わらず。



「次は、どこに行く?」

「…………。」


 そいつはやっぱり長らく……誰にも心を開かなかったし、懐かなかったのだ。






 ……そう、今日もあいつはあそこでぼうっとひたすら本を読んでいる。

 場所はガラス張りのドーム。この家を建てた時にバカ妻が気まぐれでつくった箱庭だ。雨の降らない代わりに水路を水が自動的に流れ、木々に供給する

人工の森。勿論そんなものがあっても、やはり何故かあれこれと手を貸して

しまうのがおれの性だった。


 実家に住んでいた頃から人と関わるのが苦手だった――だから、庭の手入れをすることで気を紛らわせていた。

思えば最初は、あの白詰草だったような気もする。

 「捨てといで」そう言われて白詰草をゴミ箱に捨てた数カ月後のことだ。

 まるであの時捨てたそれの生まれ変わりみたいに、実家の庭にブワッと白詰草が群生しだしたのだ。あの時はひどくうろたえた。相手はあの間抜けな白ボールだったが、「なぜあんなことをしたのか」と責め立てられているような気さえした。


 ――お前が摘まなければ、まだ私は生えていたぞと。

 ゴミと言われて蔑まれ、捨てられることもなかったんだぞ、と。


 そうしてうろたえた挙句、何を考えたのか懸命に世話をしだした。野草同然の、更に言うと繁殖力の強い白詰草なんてほっといても花を咲かせるだろうに。せこせこと水を撒いて、虫を取って花が咲くのを待った。

 ……そんな癖が、気付けば今まで続いているだけの話。

 木々がそこまで密集していない場所……ぽっかりと空いたそのスペースにおれは腰を下ろし、種をまきながら話題を探す。


「この間、ウチの株主の梧さんからお中元を貰った」

「…………。」

「あの人は昔からの付き合いだが……ま、変わった御仁だからな、当然中身も変わってくる」

「…………。」

「なんだったと思う?」


 返事なんて返るわけがない。今までだってそうだった。

 だから仕事周りの話でもしないとやってられない。中身が分かるかなんて知らねえや。話すことに意味がある。


「…………。」

「そう、何だったかって、チャーシューをまるまる2本だ。……食えてたまるか。暫く冷蔵庫が圧迫されるこっちの身にもなれ馬鹿野郎が。しかもお手製だとさ? 添えてある手紙もそれを記しただけという味気ないやつだ。ラーメン屋でもやんのかテメーは」

「…………。」

「そうそうそれから、この間のことだ。……イベントの時に最初の会社の同僚と偶然会った。3ヶ月でクビにしやがったトコロだな。今じゃ単なる商売敵だが……まったくよく飽きないよな、あんな

今にも潰れそうな会社にいて」

「…………。」

「今に無職になるぞあいつ」


 うすら笑って、おれは今撒いている種の袋を振ってみせる。


「それで『再会の記念に』なんて言いつつこんなものを渡してきた。元々女房宛に買ったのが偶然にもおれの誕生花だったんだと」


 誕生花なんて人のものを、よくもまあ知っているものだ。半ば気持ち悪い域にまで達している。


「それをわざわざ分け与えてくるドリーミーなところもあいつらしいといえばあいつらしいが……」

「…………。」

「お前はロマンチストも程々にな。鬱陶しい」


 ……不意に本から目線が外れた。


「お?」


 誠の手がゆっくりとのびて……おれを、ではなく。


「…………。」


 横にある駄菓子を掴んだ。

 しゃく、さくさくさく……

 何も答えず、無言で麩菓子を口に運び始める子ども。……ため息をついた。

 煙ではなくって、普通に透明なやつだ。なんとなくそんな気も起きなくて、暫くこいつの前ではタバコを吸っていない。

 誠は本のほうに目線を戻した。何事もなかったかのように、興味も何もないつまらなそうな目で。

 ……何度も言うようだが、当然、お愛想などは皆無。


「…………。」

「……くそ」


 ……本当に、なにくそ、と思った。

 ちらり、と目がこちらを一瞬だけ見た気がした。





 次の日も、また次の日も……同じ場所で、同じような日常が続いた。

 日に日に種は育っていく。芽が出て葉が出て、つぼみがつき、赤い花になる。そうして枯れて、土に戻る。

 ……それでもおれたちは変わらなかった。


 根気よく喋りかけて、時折無言の頷きが帰ってくる日々。

 まるでいつまで経っても時間が流れていないようにすら錯覚できるこの、閉塞した空間で、ただあの日に植えた種だけはすくすくと成長し、次々と赤い花を咲かせ、次々と枯れていった。

 その風景だけが時間の流れを感じさせる。


 しかし、いつまでも変わらなかったわけではない。凍結された時間が少しだけ溶け出したのは、もう次の年になってからだった。





 ……その日も、おれはやる事がなく土いじりをしていた。かじかむ手で土を掘り返し、腐葉土を混ぜていく。

 この間仕事の合間に目に付いて、適当に袋で買ってきたものだ。

 その後、社員に茶化されるようにガーデニングが趣味なのかと聞かれたが、別にそうではないと答えておいた。確かに傍目からはそう見えるかもしれないが、自分の中ではもう庭いじりでもなんでもない。この妙な場所であえて読書する子供に付き合う間の、単なる暇つぶしでしかないのだ。


 と、その時。


「……ん」


 ……辺りが、少しずつ暗くなっていることに気づいた。誠も不思議に思ったのか、ふっと上を見る。丸い、ガラス越しの空……。

 「白い何か」がガラスにへばりつき光を遮っていた。


「……ああ、雪か」


 ……この辺では珍しくもなんともない。だが一度降れば、この辺りのほとんどの交通機関はストップする。

 当たり前だ、この辺は標高が高い為積雪に慣れていても数キロ降りるともう、雪は全然積もらなくなる。

 鉄道会社からしたら「構ってられるか! 雪国じゃああるまいし!」だ。

 満足な対応なんてできようはずもない。


 電車だけではない。車道もそうだ。元々無茶な勾配もよくあるこの辺りは、一度道が凍るとチェーンを巻いたところでなかなか坂を上がらなくなる。

 音は雪にかき消され、全てが白く染まる。

 だんだんと……我が家は陸の孤島になっていく。


 白に埋まっていく空。陰になる、薄暗い視界。


 横を見ると子供が面白いほどに喰らいついて見上げているのがわかった。

 ……しかも、あれほど没頭していた本を閉じて。


「……誠」


 名を呼びながらおれは不意に思いだした。ここにつれてくるとき、車の中でもこの子は……


「…………」


 真っ白い雪を見ていたと。



「……なぁ、誠」


 ――コクリ。


 いつものように、やつは頷いた。

 ……おれは、それを見ながらさりげなく聞く。



「――雪は、好きか?」



 ……止まったように思えた。

 時間が。そして――ページをめくっていた、その指が。


「…………。」


 しん、と静まり返ったドーム内。

 まるで雪に音を全部を吸収されたような静けさ。


 誠はハッとした表情で初めて、おれとまともに目を合わせ……

 そして、頷いた。



「……好き」



 ――それは本当に、「子ども」らしい顔だった。


 輝いた瞳は、ものを映している。

 幼い頃に周囲を見渡せばよく見たはずの、光を映していた。

 子ども特有の……あの、希望に満ち溢れたそれ。求めれば愛してくれると思い込んでいる。大切なものを知っていると思い込んでいる。そんな目の色。


 自分は持っているか、自信がなかったもの。


 ああ、と思い出す。



 ……そうだ。



 いかに、自信がなかろうと……

 人からは、「こう見えていた」のかもしれない。

 だって、こいつだって持っているんだ。こんな顔を。表情を。こんだけ綺麗な目を。


 おれだって、きっと持っていたはずだ。


 ――おれが子どもの頃に持っていたもの。どんなに人に誤解されても。どんなに言葉を間違えても。

 きっとなかなか腐らなかった、そんなもの。


 ……あの日。あの場所に至るまで。あのくせっ毛の悪ガキは……どうにか理解してもらおうと、頑張ったんだ。

 だからきっとあのとき、ようやく腐ったのだ。

 「白詰草」を突っ返されて。金にもならないゴミだと突っぱねられて、心がストンと落っこちた。

 ……ようやく折れて、壊れて。

根っこが腐ってしまって、それできっと見失った。

 自分がどういう生き物だったのか。どう生きてきたのか。それを思いっきり見失ったんだろう。


 かつて純粋さを持っていた。おれが悪かったんだと謝り続けた。

 ――ごめんなさい。ごめんなさい。謝るから構ってよと。生まれてきたことが悪かったんです、許してよと。

 今みたいに金に頼ることもなかった。人を鼻で笑うこともなかった。

 いつからだろう……自分を理解してくれない他人に心を開かなくなったのは。こいつと同様に、人に対して興味を持たなくなったのは。


 ……おれが、こんな顔をしなくなったのは。



「……そうか、また、降るといいな」

「うん」


 ……そうか。

 おれは、誠の仏頂面が嫌いだったんじゃない。


 ……自然に自分の顔があいつの笑顔につられて笑いはじめる。


 照れくさかった。思い切り笑うのが、本当にひどく久しぶりだった。

 ああ。そうして……気付いたんだよな。

 思ったんだったよなぁ。


 ……なーんだ。


 こいつもおれも、こんなことで笑いやがった、って。


 ――もしかしたらおれが、あそこまで何かしてやることもなかったのかもしれない。変なことにムキになって、必死になって、あいつをずっと振り回していただけだったのかもしれない。

 ……何も知らない子どもが、疲れただけだったのかもしれない。


 それでも……


「なあ、もっと……雪が降るところ、行くか?」


 あとは自然に、問いが口から出た。

 ……同じものを見ていると理解できた。この子どもと、自分は同じものを見ている。同じものを見て、同じ場所で言葉を交わしている。


「……行く」


 僅かに笑った声が返った気がした。

 ああ、疲れただけだったのかもしれない。連れまわして、ひっかきまわして、目の前のこいつを困らせた。うんざりさせた。……それでも、良かったんだ。だっておれはこいつにこんな顔をさせたかった。それだけは間違いじゃない。


 そう思ったことだけは……きっと、間違いじゃない。


「……本当はお前、どこに行きたいんだ?」


 山でもない、海でもない。遊園地でもない。

 ……どこに行っても目に光は灯らなかったこいつが、行きたかった場所。


「? ……どこにも……」


 そう言いかけて、誠は暫く口をつぐんだ後……こう言った。


「あの」

「ん」

「……ぼくの、生まれたところ、行きたいです」


 『生まれたところ』。


「……そうか。」

「きっとそこは……」


 ――きっとそこには、雪がいっぱいふってるんだ。


 そう、やつはひどく「子どもらしい考え」を口にした。

 おれは頷いた。

 ……そう、こいつは本当の親の顔も生まれた場所も何ひとつ知っちゃいない。


 今の時代、養護施設の子どもは大概が『親の顔』を知っている。

 もし戦後辺りならきっと、一般的な養護施設や孤児院のイメージ通りに「完全な親なしっこ」がほとんどを占めていただろうが……今は親との不和やらトラブル、経済事情、諸々で連れてこられているのがほとんどだ。


 だが、こいつは違った。

 確か引き取るときに聞いている。


 ――今どき少し珍しい、身元不明で発見された「捨て子」。5月の半ば、あたたかい時期に交番だか駐在所だかの前に放り捨てられていたのだと。

 ――生後推定5カ月の、恐らく「冬生まれ」の子どもが。


 冬生まれ。雪。短絡的な連想ゲーム。


 だがこいつにとっては、それだけがきっと唯一の手がかりだったに違いない。

 もし、こいつが人を羨む心を持っているのなら。

 他の子どもの語る、「親という生き物の生態」を指をくわえて聞いていたのなら。読んでいる絵本の子どもには大概、「親という生き物」が付随していることに気付いていたのなら。


 ――なぜ、と思ったかもしれない。

 自分にそれがいないのは、なぜか。


 あまり喋らずともではあるが、何となくわかってきている。


 こいつは賢い。口数は少なくても人よりいろいろ考える子だ。

 少なくとも頭がすっからかんだから喋らないのではなくて、想像力だけは抜群にあるのだ。

 だから、こう考えていてもおかしくない。


 捨てられたのは、何故か。

 不要だと思われたのは……どうしてか。



 ……なるほど。

 つまり、想像するしかないんだ。


 こいつが生まれたところはどこで。こいつの親がいる場所はどこで。

 本当に真っ白な雪が降っていて――



「……」



 本当にそれが、生まれた場所かどうかなんてわからない。

 ……でも、こいつにとってはきっとそれが本当の「生まれた場所」なんだ。

 覚えてもいないものを懸命に作り上げた、心の中の「一つの世界」。

 新雪。轍の埋まった雪原。……踏み入れてはならない領域。


「……わかった、いつか連れてってやる」

「うん」


 明るい声だがそれは気休めだと思ったらしい。無理だと知っている、そんな響きだった。……当たり前だ。それは誠の頭の中にしかない。だから。


「いつかお前が生まれた場所調べて、お前をそこに連れてってやる」


 ……ゆっくり言い直した。「現実のそれを見つけてやる」と。

 お前が望むなら、お前が知りたいのなら。

 結果的に「知らなければよかった」、そんなことだったとしても。


「! ……うん」


 ……もう1回笑った。少しぎこちなくではあったけども、それは笑い慣れていないせいだろう。

 大丈夫。ちゃんと、目は笑っている。


「……ありがとう」


 ――ありがとう、“とうさん”と。

 突然だった。

 そう、あいつはその時、はじめて笑顔で言ったんだ。


 ……かりだけど。

 とても小さくそう聞こえたような気もして、呟く。


「仮でもいいさ」





 ……それから、少しくらいはまともに会話できるようになったのを覚えている。出会った頃に比べれば、表情も少しだけではあるが明るくなった気がする。

 たまたま、きっとあの日の天候が良かったんだろう。

 あれがなければ会話の一つもできなかったのか、と今から思えば苦笑いするほかないわけだが。


「……なあ」

「……はい」

「今日読んでるのは、何だ?」


 同じ場所。同じ構図。

 前と同じ土いじりをする横で本をめくる大人しいそいつは、あれ以降ちゃんと口を利く。()()()は、あれから何カ月か……ああ、1年も経ってなかったか。

 やつは、黙って本の表紙を立てた。


「……何でそれ選んだ?」

「なにを、植えてるのかな、って」

「聞けばいいだろうよ。……なんだ、興味あったのか?」


 鼻で笑う。


「……別に」

「まあ、何でもいいが」


 その手にあったのは花の図鑑。

 嬉しくない。そう言ったら嘘になるのかもしれない。なぜならそれはあの時、確かに雪を通じてあいつ自身と目が合った証だ。

 ちゃんと懐いたわけじゃないのかもしれん。ただ、それでも別にいい。


 それはきっと――おれという人間にきちんと興味を持ったっていう、その証だったから。


「……そうだな、今植えようと思ったのはサルビアだ。ほら、前も植えたろ……あの赤いやつだ」

「……『あなたのことばかりを思う』」

「何だって?」

「花言葉」


 ふっと思い出した。『贈る花には意味があるのよ』……あの、踵落としちゃんの言葉だ。


 ――そういえば、そもそも。

 おれは、何のためにこれを植えているのだろうか?

 白詰草を育てていた時は違う。まず、白詰草の次を植えたわけ。それから、ここに来たとき。ああ、そういえば最初は……


「……サルビアの後だけどな。もう少ししたら植えようかと考えていたやつがある」

「なんですか」

「……ライラックはどう書いてある?」


 白や紫の、ちょっと上品な印象のやつだ。おれのチョイスらしくもないが何となく目についた。


「色で、ちがうみたい」


 誠は言った。


「むらさきは……『恋の芽生え』『初恋』」

「白いやつは?」

「『無邪気』、『青春の喜び』」

「……ぶ」


 何故だろう、目の前の鉢が。ライラックを植えるためにスタンバイしてあるそれが、不思議とダブって見えた。


「……お前そっくりな花が咲きそうだな」

「どこがですか」


 あいつがおれに興味を持って花の図鑑を買ったのと同じに、気付けばおれも買っていたものがある。――あいつの「将来」だ。

 多分、こいつはもうちょっと性格がころころ変わるんだろう。踵落としちゃんみたいな明るさとか、馬越くんみたいな落ち着いたしっかりさとか……そういう少し自分勝手な芯の通った「中身」が、これからゆっくりとできあがっていく。今はその発達段階だ。


 ……もう少ししたらこいつも、きっとあいつらみたいに気の合う異性が見つかるに違いない。

 出会った頃は無機質にもほどがあった子どもだったが、今ではそこそこ笑うし、少し怒るし、半泣きになることも増えてきた。

まあ、さすがにその辺の小学生みたいに大声で泣きわめいたりしないが。

 ……それでもこいつだってそのうち、ごく普通の人間になっていく。


「じゃあ、これは載ってるか? 植木鉢に植えるようなアレじゃないやつだ」


 おれはふっと思い出して呟いた。

 思えばあのとき、馬越くんにはぐらかされたもの。


「……白詰草は、どういう言葉が載ってる?」

「『幸運』……」

「それは知ってる」

「……もう一つだけ載ってます。他にも多数、とは書いてありますが」


 誠は眉を寄せた。それから、沈黙。


「……どうした」


 元々読む本だけは人一倍多い。だから書けるかはともかく意外と読めるのがこいつだった。ただ……そんなことを言ったところで、結局所詮は読書量の多い小学1年生にすぎない。だからさすがに読めない漢字でもあったのだろう。


「…………。」


 そう思いつつ、やれやれと首を振って後ろに回り込む。そうしてしゃがみこみ……ふと気付いた。

 肩越しから見える文字はどう見ても漢字ではない。

 読めないはずだ。だってこれは……


「……『 think of me 』……」


 英語。そして、その意味は。



「……『私を思って』」



 ――母さん、見て!


 頭の奥でいつも通り……あの時の、腐っていない子どもの声がした。くせっ毛の、友達の少ない、理解者のいない子どもの声が。


 ――白詰草を、さしだす。


 私を、思って。


 ぼくを、見て。


 ……振り向いて。



「……あ」


 パズルがハマった感覚がした。……そうか。ようやく気づいた。あの時、あの踵落としの少女が「白詰草の花言葉を知ってるか」問いかけた意味を。

 馬越くんが何かに気付いてしらばっくれた、その意味を。

 おれは、あの時……同じだった。あの踵落としの少女と同じで、祈っていた。


 母親に、白い花を差し出して。



「――こっち、見て」



 言葉にならない声で、そう言ったのだ。

 ――ふるえる手で、その「言葉」を差し出したのだ。

 弟でなく、兄でなく、こっちを見て。過ちを犯した父でなく、おれに面影がそっくりであろう実母でなく。……「おれ」を見て。


 おれの中身を見て。おれのことを思ってください、そう思ったのだ。

 何故なら。



「……好きだったんだな、おれは」



 あのクソババアが。

 どうしても、どうあがいたって。大好きだからそう思っていたんだろうな。

 こいつが雪の幻想を追い求めるのと同じように。


 兄貴と笑いあう姿が。弟がやんちゃして、諫めながら困っている姿が。

 なんだかんだ文句をいいながら、手を払いながら。うるさい黙れと吐き捨てながら。……おれを育てて服を縫い、飯まで炊いて、帰りを待っていたあれが。


 なんだかんだ言って、あのときは。……少なくともあの日は。好きだったんだ。



「……どれが好きですか?」


 ふっと我に返ると、誠が思いつきのように聞いてきていた。


「ん?」

「いまの3つ。……ライラックと、サルビアと、白詰草」

「……そうだな」



 どれも笑う。3つとも、ロクなもんじゃない。

 ライラックの白は、『無邪気』、『青春の喜び』。

 白詰草は『幸運』、『私を思って』。

 サルビアは『あなたのことばかりを思う』、ねえ……?


 笑ってしまうほど陳腐な言葉だ。だが。


「……サルビアだ」


 『あなたのことばかりを思う』。

 ……それがあの時、あの瞬間、一番言ってもらいたかった言葉だから。


 だから、きっと――



  ――「司くん、夏生まれじゃなかったでしたっけ。そろそろでしょう。えっ、8月7日。ああ偶然ですね。実は今、こんなものを持ってまして……ちょっと待ってくださいね、こんなものしかありませんが……」



 あの時に馬越くんから手渡されたサルビアの種の袋には、まだ僅かに種が

残っている。今、()()()()撒いているのもそれだった。

 袋を握りながら、思う。


 ――だから、きっとおれは自分の「誕生花の花言葉」が……今は一番しっくりくるんだろう。誕生花なんてよく言ったものだ。まるで運命を表すがごとくピッタリくるじゃないか。


「……おれはその3つなら、サルビアが好きだ。次にライラックだな。……白詰草なんて最下位だってんだ、最下位」


 ……私を思って、だなんてこの家のここには似合わない。

 この植物ドームは、今まで植えてきた花は。


 お前にやった、唯一の……金目以外のものだから。


 お前には言わせない。

 白詰草の花言葉なんて、死んでも言わせるものか。

 お前は見た目通りの人間だよ。愛されるべきだ。もっと人と関わるべきだ。


 おれより早く……きっと、大切なものと出会うべきだ。


 何よりお前の可愛い、子役顔負けの顔じゃ「私を思って」なんて、死んでも似合わねえさ。



「誠」

「はい」

「もう少ししたら、お前の手で植えてみるか?」

「……え?」

「お前にやるよ」


 ……人の気持ちは大体、「金」で動く。


「ライラックの白いやつ。……やり方、教えてやるから」

「……」



 ……けど、人の気持ちは。



「……僕でも、できますか?」

「おれができるんだぞ?」



 こいつみたいに……金じゃなくても、動く。










 ……ああ。



 そう、だったよな……



「……――――」



 くそ。やってられるか。頭がいてえ。割れるみたいに。

 目が覚めるように、暗闇を見た。


 ――手が、何かをつかんだ。ぬたぬたした感触。液体。――ああ、そうか。覚えがある。喧嘩したとき、何度も触った。これは、血の。



 ああ、そう。


 ようやく思い出せた。



 確か。

 ……今日は、誠の様子が、おかしくて。

 風邪ひいたみたいに、ふらふらで。



 ――体のコントロールが効かないとか、言ってたっけな。


 いしゃ、いかせようと


 仕事、けっとばして



 もどってきたら



 湊が



 しんでて



 ――ああ、なるほど



 きっと。さっきまでのは多分。



 ……走馬燈ってやつだ。




「……――ったじゃないか」



 聞こえる。

 聞きたかった声が。こんな状況になっても頭から離れない、「大切なもの」の声が。


 暗闇の向こうから、聞こえてくる。



「僕を、――って」



 声変わりしたばかりのそれが。


 ああ、珍しい。――喚き散らしている。



「……――連れて行くって」



 そうだ。


 約束した。なんか知らんが死んでる場合じゃねえ。



 ……約束したもんは、しゃあねえだろう。




「――僕を、連れて行くって、約束したじゃないか」




 ああ、行く。


 待ってろ。



 ――今。這ってでも。



「――仕方ないよね、僕がやったんだ」



 聞こえた。その、心が今にもぶっ壊れそうな自嘲が。


 ……阿呆なのかとどつきたくなる。

 違う。どう見たって、どう考えたって。


 ()()は、「そういうこと」じゃない。



「僕が悪いんだ」



 違う。おれを誰だと思ってる。


 目を見ただけで分かる。――お前が、悪いんじゃないだろう。



 悪いのは――ああ。



 痛みで、頭が、


 動か、なく――……



 ……。



 …。



 ……ふ、


 …………ふふふ。



 ああ、くそ、最後の最後にお前。


 笑う以上に珍しい面、見せるんじゃねえ。




 ――バカだな。

 大声あげて泣くな、こんなことで。


これは、ある一人の男の……「大切なもの」が失われた話。




【(現時点での)キャラクター紹介】



・時永 誠


 第1部のあれになるずっと前の幼少期の姿。無口な性格で感情表現も乏しい。

 引き取られた際の年齢は司の回想からすると6歳前後。

 更に司は当時の西暦を「97年」と口にしているので、地味に91年生まれという微妙な情報が追記となる。……え、ということは本編の時代は意外と先……?

 実は最初から設定はしてあるのですが、前後関係が必要なとき以外はあまり出てこない予定です。近未来モノの要素は特にないので。

 メインキャラの過去を描く際、「知ってる年代」の方がリアリティを持って書きやすいかなというメタな理由でメインの大人連中と作者で生まれ年を近づけているだけなので、実はあまり本編の年代が先なことに意味はないし、未来っぽい描写も入れてないのです。


 引き取られた誠が「雪」のやりとりを経て、司に少しずつ心を開きはじめたのは7歳頃の話。お互い不器用ながらも歩み寄りを見せる似た者親子だったはずなのだが……一体その後の彼に何が起こったのか。


 最終シーンは一応13歳〜14歳あたりと設定して書いています。

 第1部当時のミコトと同じ、中学時代の誠が目にした光景。うわ言のように司が発した言葉を切り取り、「理解」し、彼は……

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