??.理想郷~②~
――家に帰れば。
そこにはきっと、「家族の団欒」というものがあるのだと思う。
テレビのリモコンを取りあったり、どっちが先にお風呂に入るかでもめたり。
普通のそれっていうのは、私もきっとよく知らない。
でも……たぶん、当たり前の話だ。知らないことは知らない。それでいい。
だって私には物心ついた時から、お母さんがいない。それでもいい。
片親だけど、何不自由なく過ごしてきた。それが私だ。
この世界での、私だ。
本を読んでいれば時間は経つ。想像していれば一日が終わる。
だから私は物語が好き。
お父さんの仕事が終わる時間まで私は友達と遊ぶ。
遅い時間になると怒られるなら……それはそれで、本を読んで帰りを待つ。
一人で待つのは寂しくない。
だって慣れてるもん。……当たり前だよ。
広い家でお父さんと2人きりで過ごすのは、当たり前。
いつからかなんて正直覚えてないけど、きっと私は何年もそうやって過ごしてきたんだ。
だけど……
「何かが足りない」。
……私はそんな家に、今日に限って寂しさを覚えていた。
なぜだろう。
前はもっと、家が騒がしかった気がする。
前はもっと楽しい空間だった気がする。
……「前」。
「前」って、何だっけ?
「…………。」
おかしいな。だって変な話だ。
ずっとこんな家だった。
ずっとこんな暮らしだった。
そんなこと……間違えようがない。
いや、間違えているような気すらない。
「……あの、ミコト?」
ハッと気づいた。……家。帰ってきたばかり。身の回りは……ああ。
ダイニングキッチン。
そうだ、アヤちゃんたちとの寄り道を阻止されて……普通にぶーたれながら一緒に買い物をして帰って……だから冷蔵庫によって……うん、思い出した。
あっははは! なんだろう、私。
いつも通りすぎるよ。ぼうっとしてるところも、本当にいつも通り。
「何? お父さん」
私は笑顔で答えた。
疑問なんて『ない』。……この生活には「疑問」なんか必要ない。
不安も孤独も、あるわけない。……あってはならない。
「……ミコトは」
不自然なぐらいに静かな家。
そこに響くゆっくりとしたお父さんの声が、何故か怖かった。
何を言われるのかと。何を……
「……ミコトは、寂しくないのかい?」
……問われる、のかと。
「寂、しい?」
「うん」
なぜか身構えていたそれに、ぽつりと言われた一言。
……寂しい?
一瞬「そうなのかもしれないな」と思いかけて……でも、慌てて、そんなわけはない、と思い直す。
だってさっきも思った。自信満々に。「寂しくない」と。……うん? 待って。どうしてそんなことを思ったのかな、私。
「あっははっ、変なの! 何でそう思うの? 寂しいなんて」
「なんでって……」
「学校に行けば友達がいるし、ほら! お母さんがいなくても寂しくないよ?」
思うわけが無い。これは「現実」……記憶は虚構。
前までの「現実」は幻。
「それに私にはまだお父さんがいる……それで充分だよ?」
お父さんは何故だろう。
暫し絶句し……そして、ため息をついた。
そしてゆっくり、口を開く。
「……本当に、そうかい?」
思わぬ答えに私はたじろいだ。
……なんで私、こんなに動揺してるんだろう。
私は「寂し」く、ない。
でも、この人は。
「――ミコトは見かけによらず欲張りだから、本当は満足してないんじゃないの?」
――何故、そんな顔をするの?
何故、私の「それ」を知っているの?
「君は……ここに___」
人の名前が聞こえたような気もした。誰だろう。知らない人だ。
「……彼らがいなくて、平気なのか」
何故……この人は、寂しそうな顔をするんだろう。
何故、悲しそうな顔をするんだろう。
……私の中の住人なら、そんな顔はしないのに。
「な、何言ってるの? お父さん、私は大満足だよ?」
意味が分からないけど、とりあえずおどけてみせた。
「この『現実』に、この『現状』に不満なんて……っ」
「ほら、またそう言って……」
お父さんの言葉が何故か怖い。
まるで何かを知っているようで……
私自身も知らない私の心の中を見透かしているようで。
「ミコトの悪い癖だ。……顔に、思いっきりでてるのに」
「え……?」
――「ミコト、どうかした?」
――「おいおい、いつもの元気っぷりはどうした?」
そこに誰かのちゃちゃが入った気がして、私は周りを見渡した。
しかし案の定誰もいない。
……気のせいかな?
なんだか、懐かしい気がしたのに……。
「……ほら、鏡、みてごらん」
……わからない。
私は、どうしてそんな言葉に戸惑うんだろう。
どうしてお父さんの言葉が苦しいんだろう。
――そう、私は「わからない」はずだ。だって、この現状に満足しているはずだから。
「……わかんないよ。何がなんだか」
思わずそう口に出す。
なんなんだろう、このもやもやは。
何もかもがわからない。……混乱しているのは確かだった。
「どうしても『わからない』なら、今は……それでいいけど」
お父さんはそう言って私に苦笑いを向けた。
「だけどミコト、できれば近いうちに聞かせてくれないか。……自分で答えを出して、僕に教えて。君はこの『今』を――」
――この、世界を。
「どうするつもりなのか。どうしたいのか」
――どうもしない。私は、「現状を維持」するだけ。
何の答えなのか。
何をどうするというのか。
具体的なことは何も言わなかったけれど、だけどその笑顔は。
優しいけど、いつもよりどこか悲しくて……切なく、感じられた。
「どういうこと?」
「うん、きっとね……すぐにわかるよ」
そう言ってお父さんは困ったような顔で笑った。
「学校用の荷物、おいてくるね」
* * * *
彼は、ダイニングキッチンへと繋がるドアをカチャリと閉めた。
……視界から外れた。
ここは、完全にミコトの「認識外」の空間だ。
「…………。」
無理に父親としての演技をする必要もないだろう。
「……どの口が言うやら……」
時永は苦笑いし、ぽつんと呟いた。
――どうするべきか。どうしたいのか。
それを決めねばならないのははたして――僕と君と、どちらの方か?
その手にドアノブを持ったまま、顔を上げて……
「……そうだね、それは僕も同じだ」
ゆっくりと振り返る。
「決めなければならない。……この世界をどうするべきか、どうしたいのか」
少しの静寂、暫くして聞こえてくる、何かの音。
「……だってミコト、これ、絶対見えていないんだろう……?」
扉の正面。少しの廊下……開け放たれた玄関。
その向こう……目の前に積み上げられた瓦礫を見、そして目の前にそびえたつ石の化け物を見て――目が、合って。
「ッ……」
――跳躍した。その下を何かが一閃し、壁にぶつかる。抉るような跡が残り、少しあきれ気味の声が静かに飛んだ。
「……悪かったよ。大事な記憶を刺激して!」
コオォッ。
石の化け物は空気の通り過ぎるような風の音を発した。その化け物には肩があり、膝があり、胴体がある。――だが、人の形はしていない。モンスターだ。
つるっとしたフォルムの手から、蛍光灯のように光る「エネルギー体」がドシュっと発射された。
さっき壁にぶつかって傷を残したそれと、同じ。
「……ただ、どんな記憶も覚えてないと意味がないだろう。だってそれは、君の宝物なんだから」
時永は微動だにせず、その「光」を受け止めた。……掴みとる。片手に掴んで……投げ返した。
――過程が間違っていようが、歴史が間違っていようが、今を否定してはいけない。
ピュオォォォッ!!!
化け物の悲鳴。自らが吐いたその光に焼かれて、形を崩して消えていくそれ。
時永は呟く。
「――ここは君の世界だ、ミコト。君が荒れれば世界も荒れる。帰り道も途中から雲行きが怪しくなってきただろう、君は……」
――サァッと小雨が降ってきた。はっと気がつくと周囲に瓦礫はない。
「…………。」
まるで、夢を見ていたようだった。白昼夢の中で「何か」に攻撃されて、カウンターした。そこからスッと覚めた。眠りから浮き上がった、そんな感覚だった。
だが彼は覚えている。「それ」を掴んだ感触を。
壁も傷ついた跡はなく、まっさらになった玄関口で……むしろ前よりも綺麗になったような。そんなピカピカの板の間でだんだん強くなる、雨の音。
声が響く。
「……いうまでもなかったね。確かに、雨を降らすような気持ちにしたのは僕だった」
化け物が立っていた箇所に、彼は目線を移す。
「ごめんよ。――僕が悪いんだ」




