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6.弱い心を支えるもの


「……さて、これからどうすんだ?」


――『そうですね。とりあえずはこのままの感じで町へ向かいましょう。つく頃には日が暮れているはずです。その後はこちらで宿をとってありますのでご自由にどうぞ』――


「つく頃には日が暮れているってことは、もう暫く歩くのか……」


 メティスの答えに、イヌカイは眉をひそめながら呟いた。……この世界、基本は徒歩移動だと先ほど聞いたばかりだ。だったらこれから暫くは「歩き通し」の状態に慣れていかなければならないということになる。


「イツキ、足は平気か?」

「今のところはまだ大丈夫」

「よし、だったらいい」


 ……覚悟だ。

 イヌカイは唾をぐっと飲みこむ。いざとなれば自分がおんぶするしかない。

 イツキはどっちかといったらインドアだ。

 ダウンした場合に備えて、体力や気力も計算しながら進むしか。


「しかし、そういうってことはだ。今から行くはずの町って結構離れてるってことだよな? ……最初からその町に行くつもりだったのなら、もう少し近くに呼んでくれてもよかったんじゃないかと思うんだが」


――『それについてですが、近くに「召喚」しなかったのには、複数の理由があります』――


「複数の理由?」


――『まず……あまり人の多い場所に召喚すれば、注目されてしまうでしょうね。そんなの正直、あまり居心地はよくないでしょう?』――


「まあな」


 だって街中に出てきたところで、向こうから見たら異世界人だ。

 それもそんなホイホイ来ないだろうし、まずいきなり出てきても反応に困るだろう。


――『あと、もう一つ。そういう展開が好みなんですよ、彼は』――


「クロノスってやつが?」


 イツキがいう。……ミコトをさらった当事者、クロノス。


――『そう、先ほど言ったように神や能力者は先の展開が何となく直感で読めたりしますから、ごく普通に先読みできる展開だと退屈してしまう。だから、観察対象を人混みにさらしてしまうとホイホイ出てくるんです』――


「そんなゴキホイホイみたいな……」


――『周囲に人がいればいるほど、力関係が働きます。つまり「物事を実現しようとする」力が働きますので、いくら神とはいえ見ている未来の正答率が少しずつ下がります。それこそイレギュラーがいなくとも』――


 ああ、なるほど……。


――『そんな状況、クロノスがイキイキしないわけがありません。大喜びで何かしらやらかします。つまり、いい玩具と判断したクロノスにややこしい事件を起こされる可能性が非常に高くなるわけで』――


「いい玩具」


――『ええ。だってあいつ、人間を「同じ次元の生き物」とは思ってませんから』――


 ……イツキの脳裏に時永の姿がよぎった。

 否、よぎるしかなかったというべきだろう。

 ……こちらを見る目つき。せせら笑っていた顔。おいていかれたあの日。


――「人間は玩具じゃないんだよ!?」――


 

 それから、ミコトが激昂した日。

 時永がいなくなった日。


 ……あの時。


 イツキは思い出す。


 今みたいに足が動かなかった。動くことが、まったく出来なかった。

 だけど、地面を通して声だけは……ずっと聞いていた。

 あの時、あの場所で……その言葉を聞いて思わず身震いをしたのは昨日のことのように、しっかりと覚えている。


 ……時永は、人を道具としか認識していなかったのかもしれない。

 じゃあその、クロノスってやつは……


「……どうしたよ?」


 前を歩いていたイヌカイが振り返ったのに気づいて、イツキはあわてた。


「……いや」


 なんて言えばいいのか。

 ほとんど同じ経験をして、ほとんど同じ苦しみを味わったはずなのに、今は平気な顔をして歩いているイヌカイに、オレは……なんて言えばいい?


「……なんでもない」

「……そうかい」


 イヌカイはそう言ってまた前を見た。

 ……駄目なやつだなぁ、オレって。またイヌカイに心配かけちゃってる。


 少しでもネガティブなことを考えると、途端にキリがなくなっていく自分が、本当に嫌いだ。こんな性格じゃなかったのに。あの時、時永に巻き込まれてから変わってしまったような気がしてならなくて……なんだか、どうしようもない。

 あの時から、色々なことが変わった。見える世界も、身を置く場所も。外見だけでなく、中身すら別物になってしまった気がする。


「……なぁ、イツキ?」


 ……静かなイヌカイの声がした。


「なんかあったら、言えよ?」

「へ?」


 イヌカイは前を見たままだ。


「……言ったろ? 『俺たちにとっては――』」


  ――「俺たちにとっては……あのときから時間、止まってるからな」――


 それは、イヌカイが消える前のミコトにぽつりと言った言葉だ。


「俺たちの時間は、どう考えたって止まってる。その証拠に今の俺たちの姿だ。これだけ時が経ってるっていうのに、時永に嵌められる直前と何も変わっちゃあいない。これは勝手な仮説だが……俺たちが今持ってる姿は、俺たちの精神面を表しているんじゃないか?」


 ズンズンと歩くそれは振り返らず、スピードが少し上がる。

 何を考えているのかは正直分からない。表情が見えないからだ。――置いていかれる、離される。そう思いながらイツキはなんとか早足で食らいつく。


 イヌカイはまだ前を見たまま、淡々と言った。


「……よく聞け、イツキ。焦るんじゃない」


 イツキがふっと思い出したのはイヌカイの、学校での姿だった。

 まだ教壇の前でへらへらと笑いながらつまらない長話をしていた頃。授業というより脱線祭りのへったくそな一人漫才にしか見えない。

 思えば、だからこそ頭に入らなかったし、ある種バカにしていた。「時永先生はあんなに教えるのがうまいのに」、そう言いながら。


 だが今思い返してみるとその様子は、ある意味では最も輝いていた。

 「そういうのが嫌いじゃないから仕事をやっていた」……つまり、「話すのが好きだ」というのは嘘じゃない。話がうまいかへたかはともかく、彼はサボらない。伝えたいことが胸の内にあれば、必ず伝えようとする。そういう人だ。


「お前はな……その、なんていうか、何年生きてきたかは関係なくって。まだ高校生のままなんだよ。青春真っ盛りのさ。……不安定で無茶やりたくて、でも凹みやすい多感な時期なんだ。それが不安を感じていったい何が悪いってんだ? 悩みを吐いちゃならない決まりが、いったいどこにあるっていうんだ?」

「イヌカイ……」

「あんま悩むな、一人で抱え込むな。悩むぐらいならガキっぽく愚痴を吐きゃいいじゃねぇか。お前はそれで良いんだよ」


 そう言ってイヌカイはようやく振り返ったかと思うと、いきなりパチンとイツキの額を弾いた。


「いって?!」

「なんか浮かれたり、かと思えばへこんだり。……自分で気付いてたら嬉しいんだけどな、イツキ。ある意味良いことだよそれは。元に戻ってからの話さ。表情がころころ変わるんだよお前。まあそりゃそうだ。止まってたものが動き出したんだ、諦めてたものがまた手に入ったんだ。……そりゃ心も動くだろ、傷口だってパッカリあいちまうだろう。勿論無理にとは言わねえさ。我慢してるのならの話だし?」

「…………。」

「……ただ、悩んだだけ同じ所に居座るな。考えるなとは言わないから、考えながらでいいから前に進め! いつまでもそこで足踏みしてんなよ、心配になるだろーが。お前は何年生きてきたんだ。本来ならとっくに大人になってるやつが、うだうだしてる場合じゃねぇだろ?」


 ニカッと笑いながら言うイヌカイ。


「っ……い、イヌカイだって人のこと言えないだろっ?!」


 何を偉そうに! イツキがムキになって言い返すのを見てイヌカイはコロコロと笑った。


「おぅ、言い返せ言い返せ、その方がらしいじゃねーか……なぁ、イツキ?」

「ひっどいなぁ……もう」


 口ではそういいつつも、イツキはもう落ち着いていた。

 ……まったく、イヌカイには敵わないや。

 イツキは思い返す。そういえば、自分がドリュアスになってから……痛みと共に捨てざるを得なかったものは確かにたくさんあった。


 例えば……自分の周りに確かにあった、あたたかな家族。

 人の、家庭。


 帰りの遅さを心配しながらも、時永の話を聞くために学校に残っていたそれを快く了承していた母親の声が思い出される。……もはやおぼろげな、幼い声も。

 ああそうだ、妹も。父さんもいたな。じいちゃんも。

 まだ元気にしているだろうか……とは、懐かしく思う。


 でもきっともう、会うことはないんだろう。

 ……会ったって、顔合わしたって、結局何言っていいやら分かんないんだ。だったら会わない方がいい。

 もうずっと会わなくたっていい。

 寂しくなんてないよ。居心地悪いよりはマシだろ? それにもう13年経ってるんだ。顔変わってないなんて不自然だろ。むしろそのまんますぎて逆に、オレだってわかってもらえるかどうかすらあやふやだよ。


「…………。」



  ――「植苗ってスッゲェよなー、好きなことに対しての熱量半端ないじゃん! 一種の才能だよマジで。……まあ、嫌いな化学とか心理学は駄目駄目だけどさ。この前説話100点だったって話だし、おれも頑張んなきゃなぁ!」――



 ……羨ましい、なんて友達に言われたことをなぜか思い出した。

 クラス一の秀才にも一時は「説話のノートを見せてほしい」と頼まれた。解釈が面白いと、提出したものが張り出されたりもした。

 ……多分、少し天狗になっていた。

 今から思ったらだけど。きっとオレ、それをごく当たり前のように思っていたんだと思う。それがずっと続く物だと信じきっていた。


 それから……。



  ――「オレ、時永先生みたいに説話のことばっかやって暮らしたいんです!」――



 夢も、一応はあった気がする。

 時永をまだすっかり信じていた頃に、当人に思いきってそう言った日のことは、未だに時々思い出す。……黙ってニコッと笑われたが。

 思えばあの時、彼はどんなことを考えていたのだろうか。……でも。でもだ。失ったものばかりでは、決してないはずだった。

 足が動かなくても、前を見ようとする余裕すらなくても、後ろから背中を押してくれるやつが必ずいたから。



  ――「イツキ……今後先生なんて呼ぶんじゃないぞ」――



 ふと思い出したのはドリュアスになってから再会したイヌカイの言葉だ。

 こんな状況で今まで通りの上下関係は必要ない。だから遠慮しないで頼ってきていいのだと……不安で泣きごとばっかり漏らした自分に言って、それから泣きやむまで待ってくれた。優しく接してくれた。めっちゃくちゃに笑わせてくれた。

 そして……



  ――「イツキ、みて!」――



 いつの時だっただろうか?

 ランドセルを背負ったまま、ミコトが駆け寄ってきた事があった。どうかしたの、と聞けばキラキラした目で、こういうんだ。



  ――「図工のじかんに作ったんだ! ほら、こうするとねー」――



 ミコトが吹いてみせた、どんぐりをくりぬいて作った笛。



  ――「木の実をくりぬいて楽器にするなんて、おとぎばなしみたいだよね!」――



 あれは……どこへ行ったんだったっけ?

 「イツキにあげる」と言われて困惑したのは覚えているけども。


 ……そう、色々となくなったものもあったけど。

 いつもの日常を捨てたかもしんないけど。

 泣いたけど。怒ったけど。笑ったこともあったよ。


 だって全部捨ててさ――少ないけど、これっぽっちでもちゃんと、「得たもの」はあったんだから。


 フッと笑ってしまう。


 オレが時永に利用されてドリュアスにならなければイヌカイとは仲良くもなく悪くもない、ただの不真面目な生徒とちょっと小うるさい教師のままの関係だっただろう。

 今みたいな友達には、到底ならなかったに違いない。

 ミコトにだってきっと出会うことはなかった。


 だから、今の状態は悪いとは思わない……少なくとも今の自分には、とても大切な物だから。



「どうした、さっきからずっと黙り込んで。……疲れたか?」


 イヌカイの言葉にはっと我に返る。もう随分と歩いたようだ。


「……別にぃ? ……イヌカイはどうよ」

「ハッ、お前に言われたかぁないね! 『バスケ部の鬼コーチ』のお通りだ!」

「今や鬼の欠片もないけどね」

「ほっとけ」

「だって優しいし」

「うっせ」

「まずオオカミだし」

「うっせ……」

「イヌとゴリラ掛け合わせたような何かだし」

「……ってこらあっ! 今人間っぽい感じだっつうの!!」


 いつものようにどうでもいいことを言い合う。これも悪くはない。

 その時……オレは地平線に少しずつはっきりしてきた、影と光に気づいた。

 イヌカイもそれに気づいたようで、メティスに声をかける。


「町ってあれか?」


――『……。そうですね。完全に日が暮れる前に急ぎましょう』――


「今笑ってたろ、おい、ふざけんな。イヌとゴリラで笑いをこらえるんじゃねえ」

「耳いいねイヌカイ。もうオレ今のとかぜんぜん聞こえないや」


 ……もし、オレが時永に利用されなければ。

 イヌカイと出会わなければ……そして、ミコトと出会わなければ。

 もし、自分の運命が少しでも違っていたならば、今この瞬間はなかったんだろうか。

 そう思うとなんだか……他愛もない会話が、貴重な物に思えて。


「じゃ、元気出たんなら、行くぞ!」


 ポン、と背中が押されると同時に、イヌカイが走り出す。ありがとう。そうこっそり呟いてイヌカイを追おうとした。

 そして気づいた。……ズボンの右ポケットが少し重いことに。



「あ……」


 取り出して目を丸くする。これは……


「おい、どうしたイツキ、行くぞ~?」

「……うん」


 間違いはない。だって、覚えている。

 ……感覚の鈍い、体のどこかにそれが隠されたのは。


「わかってる!」


 ……どんぐりの笛。

 それをまたポケットに納めて、ようやくイツキはイヌカイに返事を返した。


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