8.話を聞くか、聞かないか
「――ぶえっくしゅ!」
「リオさんどうしました?」
ずずっと鼻をすする音。まだ町にはつかない。
ただその道中、徐々に『便利な道具』が集まっていく。それをイツキは微妙な心地で眺め続けていた。……いや、何で?
「リオさん風邪?」
「KA・ZE……? ふははっ、生まれてこの方ひいたことねーデスよ!」
――ミコトの問いかけへの返答がなんか、ちょっとうっとうしい。
イツキはさすがに舌打ちした。
「……ドヤ顔で言うなっての」
「たぶん誰かが小生の華麗なる噂でも流してるんデス……!」
ガチャリとリオの背中で荷物が音を立てた。――兵士の身につけていた装備品一式。それがひいふう、みい……。ええと……。
「いや、どれにしろぜってー悪い噂されてるじゃん……追っ手に差し向けられてる兵士の装備品、全部引っぺがしたりするから……!」
追いはぎに等しい。襲ってくるのは相手からとはいえ、結果だけをみたらガチで泥棒だ。あの後もちょくちょく襲撃が発生したが、全員身包み剥がされている。
「へ? ああイヤ、真面目にデスね……後で使えるんデスよコレ」
半笑いでリオは呟いた。
イツキは嫌気がさしたように目を泳がせたが、一瞬置いてため息をつく。
そう、おそらく一応。考えなしに荷物を増やしているわけではない。
そもそも、イツキとミコトが今まさに歩いている神界の土地――その所有者、コンセンテ国は明らかに『外部からやってきた異世界人2人』を狙って追手をよこしているわけだ。つまりはミコトとイツキの身柄を拘束するのが最終目標――いや、元々は3人だったが、イヌカイが早々に脱落したので結局こうなっているわけで。
まあそんな相手を『いったんまこう』、『どうにか逃れよう』としている都合上、襲撃された森の周辺に留まるわけにはいかない――かといって、街に近づきすぎても、無策ではマズい。
「…………ふう」
リオは苦笑いしてポケットの水筒を手に取った。
まあともかく、休憩はすべきだ。その為には少なくとも城までの直線距離――その中間地点まで、ノンストップで移動する必要があった。
その後どうするかというのは出たとこ勝負だが。
まあ、やれることはやっておく。
「たとえばデスね、イツキクン。この激重グッズなんデスが……」
「激重グッズ無数に持ってる不審者がなんか言ってる」
「まー聞きなサイよ。コレね!」
リオが荷物をぶっ叩けば、『ガシャコン!』と音が響いた。
イツキはため息をつく。……そう、コレだよな。『武装してる音』ってイヌカイが反応してたの。
「『兵士の鎧』っつってそもそも国からの支給品なんデスけど、基本的には国境とお城の警備兵にしか配備されまセン。『自分は国に身元を保証されている警備兵だ』という身分証明も兼ねていマス」
「えー……」
イツキは森の方向を振り返った。
――つまりあの兵士、身分証明書をかっぱらわれたようなものなの……?
「警察手帳とかみてーなモンでデスよ? つまりコレを置いておくと身分証が落ちていることになるので――まあその場その場。速攻で『身分証を変なところに置き忘れたマヌケ』を全ての仕事ほっぽり出して最優先で特定しなければいけない規定がありマス」
「怖っ」
イツキは鎧をまじまじとみた。
――でもそうだよな、悪用されたらたまったもんじゃないわけだし。いや。
「どーかしまシタ?」
イツキはリオに目線を戻す。
――今まさに、悪用しようとしてる人が。ここにいらっしゃる……?
「まーとにかくネ。結構な時間、違うところに注意をそらせたり時間稼ぎができたりしマス。置いとくだけで注目度マックスなので、アイドルもかくや! 主に侵入用か逃亡用デスね!」
「あっ、ってことは!」
ミコトが納得したようにポンと手を叩く。
「小銭奪ってたのも何か意味が……!」
「あっ、ソレに関しては趣☆味☆デス!」
「趣味でかっぱらわないでくれるお金!?」
ひどいものを聞いてしまった。趣味で泥棒してるこの人。
「えぇー? でもイツキクン。要らないと思いまセンか?」
「な、何が?」
「こちらの生活、平穏、心の余裕、明日のごはん、雨風しのげる屋根付き寝床……。そういうのを明らかに乱してくる、心狭いヤツの人生……今後50年とか!」
――やっぱデンジャーだよ、こいつ!
ミコトに視線を移すも、きょとんとした彼女の顔にはクエスチョンマークが浮かんでいた。
「ミコト」
「何?」
「聞いてた?」
「…………。ごめん、おなかすいたと思って」
――あー! 一番! 駄目だったところを!
聞いてらっしゃらない!!
「まあせっかくデス。金になるモンはアラカタもらって帰りマショ?」
「目がもう金しか見てないよ……ホント、噂されてたとして絶対悪い噂だって……」
――道徳心だけは捨てたくない。こいつみたいに。
イツキはため息をついて遠くを見た。
「お城までどれくらいだっけ?」
「あと一時間デスね!」
……ええ。
こいつと、一時間……。
「……ミコト。逃げる準備だけしとく?」
「えっ、なんで? 変な人だけどおもしろいよ?」
「フッ……小生がエンターテイナーなのを分かってらっしゃるんデスよ、このスイートおチビちゃん……」
「なんで勝ち誇ってんだよ、この犯罪者……」
――あと。
イツキはぽそっと付け足した。
「……目測、163……」
「あっ? もしや言うほどデカくないっつってマス? え、155センチの偏食男が?」
「偏食なのイツキ?」
――ガポン!!
「えええー! そーデスミコトちゃん! 大概の好き嫌い克服したの最近デスよ、コイツ!」
「……オレのプロフィール、昔から知ってる顔で漏洩しないでくれない、公式犯罪者?」
――仲良くしてくれないかな、そろそろ?
ミコトはひらりとかわしたリオと、つるに破壊された『兵士の鎧』から目を逸らした。
* * * *
「ん、ぐぐぐ……!」
目の前には換気口が見えている。
タワー状の牢獄は相変わらず薄暗く、冷ややかだ。ランプがあるのも下の方だけとくる。
凹凸の少ない壁をよじ登りながら、思いっきり息を吐いた。
「頑張れー、ハジメさーん」
アルテミス姫の声が遥か下から聞こえた。
いやあ、誠に残念なお知らせだが、俺の顔面は力みすぎて真っ赤っかだ。力の使い方がなっちゃいないな。返事をする余裕は今のところない。
――ところでなんでこの姫、俺を下の名前で呼ぶのやら。他のヤツ大概、名字のイヌカイ呼びなんだが。発音の関係? いやどっちも馴染みはなさそうだ。
呼びづらさだとどっこいかね。
ってか、そもそもこいつら日本語話者じゃないか?
そんなことを思いつつ、指先に段々と力が入っていくのに気がついた。指がつりかける。もう棒のようだ。
もう何度かチャレンジしたことだが、やはりきつい。……そして案の定。
「っだぁ~~~っ!」
ハイ落下! ――いい加減慣れすぎちゃって体感時間も伸びない上、「ヒュンッ」もならない!
最初の頃の身構える癖もどこへやら。逆に頭から突っ込んでみたりと、開き直って遊ぶことも増えてきたが……まあ当然。俺にダメージがいかないだけで、周囲には続々と破壊がもたらされる。
指先だったり足のかかとだったり、接地面が尖ると床に穴ぼこが増えることに気付いたので、肘から落ちるとか膝から落ちるとかそういう遊びは気付いた3回目からしていない。いや何してんだ俺。
『オオカミ男ってそういうキャラだっけか!?』――そう脳内で某眼鏡に問いたくなるが、そこはまぶしいスマイルで「フフーン! すごいでしょう、僕の考えた最強のイヌ科です!」ぐらい返ってきそうだ。
やめろそういうオリジナリティは。要らんのよ。
ってか、そもそもだ! いくら筋力やら持久力、そしてノーダメージに自信があったところでよ! こんな凹凸の少ない壁をよじ登るようにできてねえんだわ、俺の体。ロッククライミングでもやらねえわこんなん!
埃が舞い上がる中、格子の向こうのアルテミスは言った。
「そこで死なないのが、さすが異世界人といったところか……?」
「……いや、普通死ぬだろ。単に俺がオカシイだけで」
さっきより距離感の近くなった声に、小さく返す。
今更情けないとも思わない。ってか、ウン10m上から重力に従ってたたきつけられれば、普通は死にます。カチ割るしブチ折れます。何がとは言わんけどこう、命が!
「あ・の・な・あ……っ!」
ぼろぼろと瓦礫をかき分けて俺は起き上がった。
「理由があって俺は普通より丈夫なの! わかります?」
「へえ、理由がさっぱり分からないな!」
いがらっぽい空気の中で目を輝かせて返事すんな。まあそーでしょうね!
『ワケあって超人です』って言われたら俺でもそう返すよ!
「人間という生物の底力を今目の当たりにした気分だ!」
すぐ横の甲冑ウーマンが「ふっ」と息を吐いた。
――なんだか、ビックリ人間とか鳥人間コンテストみたいな発言されてますが?
みたいな振る舞いを甲冑ウーマンがした気がする。
うるっせえ。お前の中もどーせ何らかの要素がビックリなんだろうがよ。
ホラ、赤血球の数がギネス級とか!
「いや、その、な? ……厳密に言えば人間かどうかも怪しいわけで……」
いねえだろ。そもそもその辺に。
壁に叩きつけられても無傷だからってゴムまり呼ばわりされる改造人間。
「へええ! 人間じゃないならなんなんだ? ……つまり、ハジメさんの故郷ではそのような人は少数派というわけなのか?」
「少数派どころかいたって皆無だけど何か!?」
「……。いないのか……」
気落ちしたようになぜかトーンダウンした。
――いたら怖いわ!
そう思いつつ立ち上がる。とにかく単純な話だ。ここから出るとっかかりはあれしかない。頭上に見える通気口だ。――どうやったら上がれる?
「~~! ~~!」
「いや、応援は嬉しいんだけどよ……」
頑張れ! と甲冑ウーマンが拳をつくる。
結局俺は、ひとりで1ミリもなさそうな壁の凹をつかんだ。――溜め息を吐く。
お人好しにもほどがある。結局俺はここ13年くらい、そういう役回りだ。時永邸での俺しか知らないミコトからすると、きっと俺はドのつく優しいおっちゃんだろうが……いつからここまで面倒見よくなったんだろうな。イツキからか?
「な……なら、向こうの人たちも基本は私たちと同じような感じなのだな?」
「あ、ああ……」
甲冑ウーマンがハンカチを無言でアルテミス姫の口に当てた。
……俺がまき散らした埃のせいで空気も悪いだろうに。
そう思いつつ頭を回転させる。
――何回も登ってりゃ、もしかして手の爪で抉れたりして何とかなるか?
そもそも【掴むもの】がないから落ちてんだよな俺?
んで、俺が落下して床にクレーターができるってことは、この建物の材質より俺が強いってことだから、たとえば俺の指先でも壁に穴が開くとか……。
「だったら動物は? 植物はどんな感じだ?」
「……特に変わりは無いんじゃないかね。きっと」
考え事をしながらトークをこなしていく。――もし指で壁を掘るなら、できるだけ角度が一定になった方がいいし、できるだけ同じところにかけた方がいい。それで指が十分にかかる窪みができる。いや、最悪もう登らなくていいのか? 指でナンチャラ神拳したら横穴ができたり――
「地球というのはどういう文化だっ? お昼ご飯と朝ご飯はあるのか!?」
――しかし何なんだこのグイグイ感。ああいや、分かるが。要するに『一般常識』扱いされてる知識を自分だけが一切知らんような、そんな感覚か。無知を馬鹿にしてこないし、蔑みもしてこない。そんな相手だと認識されたか?
……え、何、俺だけが?
「というか、ハジメさんの住んでいたところというのは、一体どんなところなんだ?」
「……」
甲冑ウーマンが「邪魔してゴメンね!」みたいな反応をしている。……いや邪魔っつーか……。
「……そう、だな……。俺の住んでるところだと、ともかく人が多い」
「どれくらいだ?」
「逆に聞くぞ。どれくらいだと思う?」
……これはこれで、必要感があるんだよな。ケア的には。
思わずため息をついた。
仕方ない、ここから暫く休憩だ。
「たとえば、この世界だと徒歩移動が多いみたいだが、俺の国だとあまり歩かない。だから人があふれているというよりは、電車だとか、車が多いな」
「クルマは少し聞いたことがあるが、デンシャとは?」
どんな人間でも、言葉を使う機会がなければ使いたくなる。自己認識の話だ。パートナーを失った老人の独り言が爆発的に増えるようなもので、言葉を使わなくなった人間は心身のバランスがとりづらくなる。会話や言葉を『キャッチボール』にたとえるのは昔からよく聞く話だが――それらはある種、合理的だ。
「ええっと、絵に描いた方がいいか? ――あ、埃積もってるから床でいいか。おい、灯りをちょっとくれ!」
「ぷっ。これは人か? へたくそだな」
要するに人ってのは、あれだ。
会話の中で自分を認識するもんで……要は言葉という形にしなければ。そしてその形になった【ボール】を声なり筆記なり、ひいては絵や創作物みたいな巨大な塊にしなければ。
人の思考ってのはハッキリしにくいんだよ。
口に出してみてから「こういうことだったのか」と合点がいく。
表現してみてから「ああっ、成程!」。……ま、そんなもんだ。
まあ最悪、独り言のような壁打ちだったとしても効果はあったりする。
あったりはするんだが……。
「……ほう……主要な町を繋ぐ交通機関……」
「車は一家族での所有が多いから、基本は1グループしか運べない。まあ路線バスって呼ばれてる乗り合いの車もあるが、メジャーかというと地域性によるな」
ともかく声を出す。自分の中の考えを吐き出す。声が出なければ筆記でもいい。字が書けなければ絵でもいい。自分の中のものを外に出す。
『自分とはどういうものなのか』を外側から眺めて認識をすませる。それが人の営みだ。自分の形を確認してから、それを比較対象にして他人を見る。他人と交流をする。イルカやコウモリのように音を出して、返ってくるもので自分自身のかたちを掴んでいる。
甲冑ウーマンはレトとかいうお偉いナンバー2の影響で言葉によるコミュニケートを禁じられていて、『発言』らしいものは多いが身振り手振りが基本だ。
人と話そうとする。交流を持とうとする。それは正常な反応だった。
――要するにこのお姫様、普段から他人との会話が足りてねえのである。
「対して電車は基本的に乗り合い式だ。車が多い地域だとすぐに道が混雑して進まなくなるんで、電車移動の方がヘタすると効率がいい」
「デンシャは混雑しないのか?」
「するぞ。道――線路の方じゃなくて乗り物の中が」
とにかく答えられるだけ答えていく。すると、それからまた疑問が湧き出るようで彼女は次々に質問をしていった。
「猫の鳴き声はニャーなのか?」
「ニャーだと思うぞ」
「犬は四足歩行なのか」
「……。基本四足歩行だと思うぞ」
――言ってることはだいぶ微笑ましいが、この姫、恐らく本来はだいぶ頭がいい。見たことがないものでも「1」言ったら「10」予想がつく。想像力。適応力。想定力がやたらに強い。
たぶん、この地頭の良さはレトも気づいている。大方、これが原因で話をしないようにという通達が出たのだろう。
「……気に入らねえな」
これは恐れだ。優れたものだと認めているも同然だった。時永がミコトに対してまともに向き合わなかったのと構図が似ている。
「――な、何がだ? ハジメさん」
「ん? ああ、いや」
思わず口に出たらしい。
……違うぞ。あんたが気に入らないんじゃなくて。
「俺もあんたもどっちかっつーと外に出たくて。出ないといけない。それをよく思わないやつがいる」
「……うん」
「その環境が、気に食わねえ」
そして、気づき始める。この人は、たぶん……今までずっとそう思ってきた。
「……まあ、そうだな」
「そうだろ」
気に入らない。気に食わない。
それでも、『自分という生き物』の影響力が強いのは理解していて。
「――ああ、そうだ。出てみたい。今までのように隠れてではなく」
ふと、その表情は翳った。
「……外に、私として、出てみたい」