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2.後悔の中で差した光


 ……いつものドームには、明らかにピリピリとした空気が立ち込めていて。


「……うー……」


 ほんの数センチ横に、イヌカイがじっとふさぎ込むように佇んでいる――そんな状況下、我慢がならなくなったイツキが静かに呻き声をあげた。

 なんでそもそも全員、「悪いのは俺だし?」みたいな顔をしているのか!


 ――だってミコトと一番仲がいいのは自分だ!


 憤慨に近い感覚で頭を掻きむしる。

 ……木のように硬い他の表皮とは違って少し柔らかい口元。それをギリギリと噛みしめながらの感情の発露だった。

 ――そもそも自分の体は植物で。いうなれば雑草のようなもので!


「(どこまで伸びるか、やっとけば……)」


 あまり長すぎても処理に困るからと、時々爪切りのごとく切ってもらっていたのが敗因だ。

 結果的に『手の代わりだったつる』は届かず――ミコトの手をどうにか取れたのは、イヌカイと馬越だけだった。それでもすっぽ抜けてどこかへ消えてしまって。


「(オレのことばっかり頼ってたのに、あの子……!)」


 歯軋りが止まらない。……そう、()()()()()()()()()()()()()()。ミコトとそんな関係だったことは正直、唯一誇れるところだった。


 だってこの姿になって以降、他の人間とのつながりもほとんどなくなってしまった。イヌカイと馬越と、たったそれだけ。

 しかもその2人は年がだいぶ離れて上の方。勿論そんな大の大人からすれば――こちらはそもそも、世話をやかれる側で。


 だからミコトと出会い、懐かれ――『仲良しのお兄ちゃん』として頼られるという段階になって、正直涙が出そうになったのは否めない。何でも知っている年上の男の子として頼りにされる、信頼されるという充足感は何にも代えがたいものがあった。


 勝手に、満ち足りた気分になっていたのだ。

 ――だから応えてあげたかった。その気持ちに。勝手にもらった恩義に。

 この先ミコトにどんなことが起こっても、そしてどんなことをしても……ちゃんと自分なりに解決に持っていきたかった。


「……ごめん……」

「……何が」


 その場から一歩も動けなかったり、指が使えず全部をつるに任せるせいで手先が不器用なのは知っている。自分がいろいろと無力な生き物なのは知っている。何となく分かっている。

 ……だがいざミコトが何か変なことに巻き込まれてみると、心の奥底に沈んでいくのは怒りと何か……いつもと同じ、暗い感情のみだった。


「オレが」

「ん」

「……オレが、移動できるなら……!」


 イヌカイのようにミコトの手を掴めなかった後悔。歯がゆさの名残。僅かな悔しさ。それ以上に自分に対する苛立ちで、胸がいっぱいだった。

 何せ自分だけ何もできなかったんだから。何せ動いたのは馬越さんとイヌカイのみで、自分はただ物事を聞いて、把握していたのみだったんだから。


「つるが届くところまで、足が動いたなら……こんなことにはならなかったかも……」

「たられば言ってる場合じゃねえだろ」


 項垂れたイヌカイは呟いた。……ミコトがいないだけでまさかここまで皆沈み込むとは。イヌカイはどこか他人事のように思いながらあたりを見回す。


「……お前のせいじゃねえから、大丈夫だよ」


 灯りは一応ともしてある。ミコトが昼夜問わず遊びに来るようになってから置かれるようになった、小さなランタン。だが、それがあってもまるで印象は暗がりみたいだ。あの子がいないだけで、その場には欠片も光源がない。


「……まあ、そうだな」

「……」

「それを言うなら、俺はだなぁ……」


 イヌカイはボソッと呟いた。

 ……俺は、なんでお前と違って動けたのにあんなわけのわかんねぇ穴から引っ張り上げられなかったんだろう。


「……久々に、腕千切れるかと思ったよ」


 全力、出したんだよ。

 イヌカイはだんだんイライラしてきた。だっておかしいのだ。

 だって何のためにこの腕はある。

 何のために、こんな人間離れした怪力が備わっている……!


「!! ッ……」


 イライラも極まったイヌカイは不意に、ドンッと地面を叩いた。

 思いっきり拳が土にめり込む。勿論そこまでやったつもりもない。ただ、抑えきれない感情がエネルギーを暴発させた。


「この人間離れした体とか、力……全て使ったさ!」


 めり込んだ腕を力任せに引っこ抜き、イヌカイは吼えるように言葉を叩きつけた。


「全て使ってこのザマなんだよ! 大体だな! ……お前1人が来たところで、何かできたか? お前がそう言ったところで、俺達と対等に接してくれるあの『ミコト』をここに呼び戻せるのかよ!」

「え……」


 イツキは暫し目を瞬かせた。

 ……初めてだ。イヌカイがそんな言い方したの。

 イヌカイはハッとした表情になって、呟く。


「……すまん……」


 ……そうだったね。

 イツキは思った。いくら普段あれだけ自虐で茶化してようと……イヌカイは自分と同じだ。『人と違う』ということを存外にコンプレックスに思っている。


「いや、あの……オレも、そんなつもりじゃ……ごめん」

「……いや、こっちが悪い。取り乱した」


 イヌカイは我に返ると疲れた顔でポンとイツキのわき腹を叩いて……ふと空を見あげる。いくつもの線で仕切られた空……硝子のかご。

 まるで鳥籠の中に入ったような、そんな光景。

 この空を見ながら、ミコトと他愛のない話で盛り上がったことを思い出す。


 ……ミコトは、出会ったときから不思議な子供だった。あの子といれば自分たちが「人間でない」ことなど、何故か些細なことだと思えた。

 ずっと嫌だった。この姿になったことで……途端にこの世界から、つまはじき者にされてしまったような気がして。


 だっていうのにあの子ときたら何も考えず、普通に接するのだ。

 「高いところのものを取ってほしい」とかを当たり前に言ったりもするから、人と完全に同じ扱いというわけでもないが……その、「違う」ということをごく自然に他意もなく、まるでメリットのようにいう。


 ミコトの中では多分、手足が長いとか体格が違うぐらいの、結局は些細なことなんだろう。だからこそ逆にプライドも誇りも捨てずにいられたと思っていい。

 だからこそ……自棄にならず、我を忘れず。一番「人間らしく」いられた。

 ミコトの前だけではきっと、自然体でいられた。


「……あいつに、甘えてただけ、だったのかもしれないな。俺たちは」

「そう……だね」


 沈黙が、続いた。


「あのさ」

「ん?」


 イツキが話しければ、イヌカイはようやく落ち着いた声で返してきた。

 ……さっきから約1名、どこにも姿が見えない上生活音も聞こえない人がいる。


「馬越さんは、どうしてる?」

「……何か相当ヤケクソになってたな。さっきいきなり外に飛び出していったかと思ったらビール買いこんできて、無理やりあおって寝ようとしてたわ」

「あー……」

「で、失敗。むしろ意識が逆にハッキリしてきたらしい」


 イツキは苦笑する。


「ただの気付け薬じゃんそれ」

「どうもこの家の人間はめっぽうアルコールに強いらしいな。羨ましいこってー」

「羨ましがったところでイヌカイもうお酒飲めないだろ!」

「手が震えだすからな」


 イヌカイも笑い返し、何でもないふうに呟いた。……実は一度馬越に付き合おうとしたことがある。

 が、気持ちの上では何ともないように思っても体が勝手に震えた上に食道に行きつく間もなく吐き出す始末だった。

 わかりやすくトラウマになっている証だろう。ほっとくしかない。


「今は外で涼んでる……そろそろ出て20分くらい経つが……」


 その時、遠くの方で門が閉まる音がした。


「噂をすれば」

「帰ってきた、か」


 ドームの扉が音を立て、足音が近づいてくる。


「……馬越さん、お帰り」

「………。」


 馬越は頷くと、ためいきをつきイヌカイの隣に腰を下ろした。


「……あんたもあまり自分を追い詰めない方がいいぞ」

「……わかってますよ」


 馬越は弱々しく微笑んだ。


「ですが、やはり自分には……人を守る力はないんだなぁ、と、思い知らされましてね」

「そんなことはないさ」


 イヌカイが言うと、馬越はまたため息をつく。


「まったく……駄目ですね、昔からどうも自分の意思というものが弱くて……強く言われたり予想外のことが起こるとどうも」

「…………。」


 ……少し過呼吸気味か? イツキの様子がおかしくなったのに気付いたイヌカイはその、首の後ろだった辺りに手刀を落とした。


「! いったいっ」

「よかったな! 痛いだけで!」


 普通なら意識を失ってもおかしくない程度のところをサクッと打ったのだが、グレイブフィールのときの状況をチラッとみた感じの印象なら、イツキは打撃や斬りつけを受けたときの感覚がどうもやたらに鈍いのが見て取れる。


「なにすんだよっ」

「お前が何してんだよボケっとして!」


 確かにイツキもイツキで普通の体ではない。だがこれぐらい思いっきりやれば思考回路を切り替えることには成功しただろう。……トラウマはこっちもだったらしい。当たり前だが。


「……犬飼さんのときだって植苗くんのときだって、結局阻止するどころか共犯者になってしまった。それどころか今度は、大事なあの子ですら救えずに」

「俺とかイツキのときは、確か脅されてたんだろ? それは仕方ないさ」


 イヌカイは苦笑した。今では本当にそう思っている。……初期も初期の頃は見るたびに威嚇しかしていなかった時期もあるが、そこで黙って毎回ウルウルされるだけで見えるものもあった。

 少なくともこの人は「嘘」はつかない、「反省」はしている。……だったら、慣れるのに時間はかかったが「ほだされる」ということも別段、ないわけじゃない。相手がただの気の弱いおじさんなら、こっちに巻き込めばいい。

 そう思われていることも重々承知だろう馬越は、力なく首を振った。


「でも……」


 その時だった。


――『後悔する気持ちがあるのなら、追いなさい』――


「誰だ……?!」

「っ……」


 辺りに不意にふわんと反響して響き渡ったのは、聞きなれない淡々とした女性の声だった。3人は思わず身構え、体制を整える。特に何ができるような気もしないのだが、とりあえず普通の人間が踏み込んできたことには備えてイメトレだけは散々やってきた。

 そう、『怖がらせて外に出す』。……馬越さんあれ持ってるか? 持ってる。イツキは平気か? 馬鹿にすんな。よしOK上等だ。


――『まぁ、警戒するな……という方が無茶ではあるかもしれませんね』――


 くすり、と女の声は笑った。


――『突然ですが失礼します、私の名はメティス。……姿を探しても無駄ですよ。 私は別の次元に存在しているのですから』――


 馬越はビクッとして周りをキョロキョロと見るのをやめた。


「……ミコトが聞いた声というのは、お前のことか……?」


 イヌカイが静かに聞いた。


――『信じてもらえるかは分かりませんが、私ではありません。そこからミコトという娘を連れ去ったのはクロノスという男です。なぜならあの娘には大きなエネルギーが宿っていますから』――


「エネルギー、ね……」


 あのミコトが、何か大きなエネルギーを宿している。……なぜか納得できる気がした。

 一緒にいるだけで落ち着き、癒され……あたたかい気持ちになるあの少女。

 3人は気づけば散々あの少女を支えに生きてきたのだから。


 ……その結果がそう、このお通夜の空気だ。


――『確かにこの世界の人間は、あそこまで大きなエネルギーを知らないでしょう。そのようなものが存在した記録など、今までの歴史にも全く記されていない。もしあったとしても、この地球にはそれをハッキリと感じ取れる人もいなければ絡繰りもない。……程度の差こそありますが私たちの歴史でもそうです』――


 女の声は落ち着いて断言した。


――『私たちはそのエネルギーの正体こそ知ってはいても、あれだけの容量を一度に持っている人間を見たことがなかった。それがあの少女がさらわれた理由なのです』――


「そうかい」


 イヌカイはため息をついた。……この女、何だか別次元に居るような口ぶりだが、もはや何が起ころうと驚きはしない。

 実際、時永が消えるところはちゃんとみている。指一本のこらなかった。

 しかしまさかこんな予想外な出来事・展開にミコトが知らず知らずのうちに絡んでいたとは。


――『私としてはどれかというと傍観者姿勢でした。変に障るとややこしい、見ているだけで十分といったところだったのですが……案の定でしたね。残念ながら手に入れたいと願う輩もいるのです』――


 女性の声は一息入れて続けた。


――『クロノスは本来こちら側の人間。他の世界にまで迷惑をかけるのはこれ以上傍観もしていられない。なので私はあなた方に呼びかけている、簡単なあらすじですが、そういうわけです。……あのクロノスは本当に腐った男、今までだって好き放題してきた男です。あいつがあれほどまでの力を手に入れたら、何をするかわかったものではないのでね』 ――


「その口ぶりからするに、あんたはそいつのことをよーく知ってるってワケだ」


 イツキがいうと、声……メティスは苦々しい、というような口ぶりで言った。


――『その通り。私はクロノスの目と鼻の先にいる存在ですよ、イツキ』――


「!なんでオレの名前……」

「いや、そんなこと今はいい」


 イヌカイはイツキの疑問を遮った。


「『後悔する気持ちがあるなら追え』……そう言ったな、メティスさんとやら。ってことは、あんた……俺たちをそのクロノスって奴のように『そっち』に人を呼び寄せることができる……そうだろ?」


 するとメティスがニヤっと笑ったような、そんな気がした。


―― 『本当に、その通り。察しがいいですね、イヌカイ』――


「……俺の名前も知ってるってか」


 イヌカイはそう半ば呆れ気味に呟くとこう続けた。


「で、あんたはクロノスって奴が嫌いで、そんでもってそいつは危険な存在だと。更にメティス本人としてはあんまりミコトを刺激したくもない。そっち側にとってミコトは爆弾か何かだからだ」


――『……普通にいい子の爆弾なので、普通に接してれば爆発しませんがね』――


「……了解、合格だ。普通の爆弾扱いじゃないだけであんたに対する好感度はちょっと上がったぞ……んで、ミコトを連れ去られた俺たちとは共同戦線を張りたい。なぜなら目下のところ、少なくとも暫くの間は利害関係が一致するからだ。……だからあんたは、俺たちと手を組むべくコンタクトを取ったわけだな?」


――『本当にその通りです。まぁ無理にとは言いません。無理強いをするような権利は私にはありませんから……』――


「はい」


 馬越はそれを聞くとすぐさま手を上げた。


――『……どうぞ発言を』――


「強制でないのでしたら私は遠慮しておきます。できればお二人でどうぞ」

「え」


 ……突然の馬越の言葉に、イツキとイヌカイは驚く。


「……馬越さん、あんたいきなり何言ってんだ」

「自分はあまり若くありませんのでね。その……体力に自信がない」


 嘘でしょ? とイツキとイヌカイは同じ光景を思い浮かべた。……2人は知っている。暇があるとバイト情報誌に囲まれて「どれにしようかなぁ」と笑っている様子は正直、体力が有り余っているとしか思えない。

 というかワーカーホリックのそれだ。

 そして少しでも暇があるとコツコツ内職している。絶対こき使われすぎて金銭感覚がおかしくなってるぞあれ。お金儲け大好きすぎだろ。


 あれ、もしかしてまさか働きたいから残るとか考えてるんじゃ……


「……今、割と失礼なことを考えませんでした?」

「あ、はい」

「すんません」

「……アルバイトは趣味ですので、これとそれとは違います」

「だからその感覚がなんかズレてんだよ……」


 イヌカイは遠い目をした。

 ……アルバイト探しが趣味って何なんだよ……。馬越はぷっと噴き出す。


「その反応、マジに受け取りましたね二人とも?」

「違うの?」

「勿論嘘ですよ、そんな顔しないでください。ただね……残せるものは残したいだけなんです。自分の手で」


 時永家には確かにお金がある。それはやはりミコトの祖父……つまりあの時永の養父が資産家だったからだ。そしてその前の代までも割と裕福で有名な家系だったと伝え聞く。現にこの豪邸は祖父の前に建てられたもの。

 だが、それは決してミコトのために残されたものではない。よって彼が働くことに目を向けている理由は……彼の、ただのわがままだ。


「……お礼がしたかったんですよ」


 元々好きで時永に働かされていたわけではない。ただ、事情があった。到底一言では言い表せない事情が。

 そこにほんの少しだけ、ミコトという光がともっていたのだ。

 彼女がそこにいたから。彼女の成長が楽しくて……だからここに居続けることができた。


 両親は時永に出会うより以前、とっくの昔に他界している。

 実家も田舎も全て捨てた。家族はもう、いない。だから馬越には身寄りはない。

 だからたった一人で生きていくのだと思っていた。……本当なら時永の手下として手を汚し続けるぐらいだったなら命を絶ってもよかった。それだけの良心の呵責はあった。

 それでも、振り返るとミコトがいたのだ。ミコトがいたから、ここまでこれた。

 だからミコトのこれからの生活基盤は、逆に自分が働いて用意したかった。


「でも、それとこれとは関係ありません」


 馬越は言った。


「単に年齢の問題です。“そっち”に行くことができても、いつ倒れてしまうかわかりませんから。もしそうなった場合、自分は単なる足手まといとなってしまいます。……それに」


 馬越は笑う。ゆっくりと……まるで他意のない表情で。


「“対等の仲間”として、お2人を信じていることですし。あと、留守番係も必要でしょう?」


 暫く間があく。

 ……この2人を普通の人間扱いしてくれるのはどうやらミコトだけではなかったようだった。


「……あまりに……ずるい文句だな。おい」


 イヌカイは沈黙に耐えかねてため息をつくとようやく答えた。

 イツキが苦笑いする。


「……まったくだね。この人っていつもそうだよ」


 説得が通ったのがわかり、馬越はゆったりと微笑む。……そこに時永を倒すまでのあの緊張感は殆どなかった。

 確かに少し考えれば分かることだったが、こんな雰囲気を出す人間を無理やり様子の分からない場所に連れて行けるわけもない。糸の切れた凧と同じだ。

 ふわふわして危なっかしい。


「あーもう、わかった……わかったよ」


 イヌカイはそういうと、馬越に言った。


「あんたの分も頑張ればいいんだろ? ミコトを守って、どうにか奪還する。時永のあれより随分ハードル上がったけど……まぁ、できる限りのことはするさ」

「よろしくお願いします」


 馬越の明るい声に、イツキは少しだけ息を吐いた。……少しだけ思い出す。


 1年前のあれは、単に運がよかっただけかもしれない。

 ろくに頭も取り柄も、プライドもない自分たち3人が……気付けばどうにかミコトを守ろうとしていたし、どうにかグレイブフィールと戦っていた。


 イツキ自身、自分のつるが切れても切れても再生することを発見したし、イヌカイの場合はとんでもない馬鹿力だったことは発覚した。

 でも、それは偶然……運よく発覚しただけ。計算のうちにも入れていなかった。ただのアサルトミッション。自爆覚悟の神風特攻。だから本来なら、負けの確定したバトルイベントだったかもしれないわけで。


 最初は何も考えず、ミコトが呼び出されちゃったことで緊急会議が開かれた。

 いや、何をするわけでもなさそうな雰囲気なのは確かだった。

 ただ、「ミコトが俺たちの正体知っちゃうのかー嫌だなー」から始まり、「時永が秘密を漏らしてそれだけで済むと思ってるの?」という話になり、挙句の果てに馬越のやっちまえ宣言で流れが変わったのは事実だったし、正直自分もそれを聞いて火がついた。


 ……自棄だったのは今から思えば認める。それも「ヒャッハー! そもそもオレたちこれ以上どう酷くなれとー!」みたいな雰囲気をなんか出してしまっていたのは認める。

 それでお尻の重かったイヌカイに火がついちゃったのも認める。


 だから、ただの「突撃乱入! 時永さんちのバイオレンス親子喧嘩!」みたいな番組タイトルがつきそうなほど、ガバッガバな体制だった。

「究極の人の苦しませ方」を時永の部屋からくすねたり、短い時間で魔方陣を書いたり。その魔方陣も効くのかテストもできなかった。だから定かではなかったけど、とにかくできると信じてある程度冷静に頭を働かせていたのは、馬越さんぐらいなものだった。


 それにあれは、最終的に時永を始末すれば勝ちだった。正直戦術もクソもない。そんなもの、練る暇もなかった。


 ……だけど今回は違う。ミコトは既に敵っぽい何かの手中におさまっている。時永相手のときみたいに顔を見て安心することもできなければ、今この手で触れられもしない。立場としてはまるで連れ去られたお姫様だ。ミコトの生死も安否も今は分からない。

 だから今の段階で……見ようと思えば、とうに負けは見えている。

 ぶっちゃけどうすればいいかすら、自分たち「だけ」では分からないでいる。

 でも絶対に……絶対にミコトの存在を諦めたくはなかった。

 だってあの時ミコトのことを守ろうとしたのは……自らの保身ではなくミコトを選んで時永をこの世界から蹴落としたのは、自分たちだ。


 あの時の覚悟も、自身への問いも無駄になんてしたくない。ここでミコトを諦めたらあの時の全てが無駄になる。


 それ以上に……ミコトの、あの笑顔がチラつく。


 ……多分、3人ともが同じ気持ちだ。それだけに馬越の選択が重かったのは、イツキにも犬飼にもよくわかった。


――『……良いのですか?』――


「何がです?」


 馬越は笑顔で答えた。


――『次元に道を通すのはできることではあるけれど、簡単ではないのですよ? 常識の範囲内を大幅に超えたエネルギーを使うことですから。たとえこの人たちに託して、ミコトをクロノスから救い出すことに成功したとしても、また次元を超えて帰ってこられるかどうかは別問題なのですよ?』――


「…………。」


――『その覚悟はできていますか? 一生待ち続けて、帰ってこないという可能性は考えた上での判断なのですか?』 ――


 馬越は頷いた。


「……思っていた以上に、優しいですね。あなたは」


 ……このどこか懐かしい、心地良い声音はよく観察している。自分という人間をよーく知っているようだった。

 確かに口調は厳しいし硬い。だがその奥が多分……柔らかい。

 彼女は――これが本物の「メティス」なのだとしたら多分、信用できるだろうと馬越は考えていた。むしろ頼れたらありがたい。そんな存在だ。


 馬越は以前、本棚の奥、隙間に隠した赤い手帳を思い出した。紙を挟み込むタイプの手帳……それにパンパンに挟み込まれた誰かのメモリー。この家の歴史。

 それらをおそらく全て知っているのが、あの『日記』に存在が示唆されていた人物。否、重要人物……それが、彼女……メティスだ。

 馬越と直接出会ったことは一度としてない。言葉を交わしたことさえない。だが、あの日……「ミコトの母親が倒れたあの日」、全てを知りながら同じ場所を見ていた唯一の生き証人。


 日記を読み解いたことのある馬越は自信を持って言った。


「それはもちろんですとも。自分だってこの次元から主人を追い出したことがある身です。次元の壁の難しさはわかるとまではいいませんが、体感しましたよ?」


――『なるほど。確かに聞きました。……それで良いのですね?』――


 メティスは少し惜しそうに言うと、続けた。


――『では、残ったあなた達はどうですか? 先ほど話したとおり、あなたたちはもしかすれば帰ってこれないかもしれない。それでも、こちらに渡る覚悟は本当にありますか?』――


「そりゃあ……ね」


 イツキは呟き、イヌカイが堂々宣言した。


「あるさ」


 何が何だか分からないながら。自分が何をすべきかも知らないながら。

 ……多分、それだけは事実だった。覚悟というより、殆ど覚悟が要らないのだ。


 向こうが見知らぬ土地という戸惑いはある。ただそれだけだ。理由なんていらない。慣れ親しんだこの場から立ち去る惜しさがあるだけ。

 だってここにいる理由なんて……いつだって「なかった」。

 時永が妙な力を持っていたから出なかっただけ。……イヌカイはあてがないから出なかっただけだったし、イツキは動けないから出なかっただけ。


「……俺たちはとうにこの世界からあぶれちまった身だ。この姿になったときから、俺たちの時間は止まってる……」


 イヌカイはグッと拳を握った。


「人間社会にどう考えたって溶け込むことのできない存在になった俺たちは、もう違う世界を生きてるも同じなんだよ」


 イツキは頷いた。


「だからオレたちには、迷う理由なんてないよ。……ミコトが待ってるなら」


 イツキやイヌカイにとって、ミコトという存在はそれほどまでに大きかった。

 一気に支えを失って、どん底に突き落とされる。……もうそんなことはこりごりだ。

 イツキとイヌカイは、互いに目をあわした。


 ……それでいいよな? おれ達。


 もう何年も前……あの時、イツキとイヌカイは1人の人間という約束されていたはずの社会的地位を失った。

 それはもう取り戻そうにも取り戻せないものに違いない。

 だが、ミコトはまだ、もしかしたら取り戻せるものかもしれないのだ。


 メティスは微笑んだように思えた。


――『良い友人を持ちましたね、あの子は』――


 ……“あの子”。

 ミコトを正しく知っているような口ぶりに、イツキはふと目を上げる。

 姿のないことはもう分かっていた。聞こえるのは声だけだということも。……だけど、姿を探してしまった。


  ――ブゥン!


 音と共にグラグラと地面が揺れはじめ、地面にぽっかりと穴が開く。ミコトの時と同様の現象が起こり始めた。


「うわっ、ちょ……足場足場っ」

「うぉ……っ!!?」


――『ではいきなりですみませんが……我が世界にご案内します!!』――


「「ちょっ……おまー!」」

「お気をつけてー!」


 ストーン!!と2人は一瞬で穴に落ちていった。……馬越の最後の挨拶を背に受けながら!

 イヌカイは思わず叫んだ。


「なんっでことごとくボッシュート形式―!!?」

「ああああああああのさー!? 木って地面無けりゃおしまいじゃなかったっけぇええええええ?!!」


――『口を開けると舌をかみます。ご注意ください』――


「………。」

「うん、もう少し早く言って欲しかったな……」


――『えっ遅かった?』――


 落下を続けながらイヌカイは頷いた。隣にいるイツキの口が変な形で完全に止まっているのを確認しつつ。


「うん、遅かった」

「………」

「なぁ、縦穴タイプじゃなくて横穴タイプないの、トンネル形式ってか」


 いや普通に発言するんかい、という変な空気が流れた。多分イヌカイも「噛んだら噛んだでそれまでだ」という変な腹のくくり方をしたのだろう。それよりもお喋りを優先している。


――『……開発はしていたのですがその』――


「……」


――『……間に合いませんでした……』――


「……現在進行形で方法開発するもんなんだ」


 ラノベでよくありがちなあの「異世界転移」って。……舌をへろへろ動かしながらイツキは覇気なく呟いた。


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