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【小話】はじまりの再会。・前

※時系列:これは人外2人が時永邸にやってきて一年もしない頃、秋の話。


「ゲぼッ、ごばッ、うぇ……!」


 ――思わず部屋の中で吐き散らす。

 トイレなどどこにもないのだから、部屋の隅でバケツ相手にやるしかないわけで。いや、隅っつーか、あんまり隅っこだと()()()()頭がつっかえて上手く吐けないんだが。


 ……ええい、衛生状態とかもう知るかバーカ!


 ようやく口が回り始めて暫く。ヒトより長い舌と顎で喋れるようになったところで、こればっかりは如何ともし難い謎の吐き気と眩暈。動悸、息切れ、あと寒気。

 ムシャクシャすることに不具合が多すぎる。……ヘイクソ眼鏡氏……返品して構いませんかこの体。もう死んでも大丈夫なんで!


「……っつ……」


 頭痛がする。三半規管が不定期にグルングルンしている。

 更にいえば、未だにちょいと足元がふらついていた。

 新しく生えた身体器官(シッポ)の影響で重心がかなり後ろにあるようだから、そもそも体が揺れているのかもしれない。


「ぐるる……」


 喉が勝手に元気なく唸った。まあ、そう……体調が悪いのはよく分かったが、そもそも悪いなんてレベルでもない。

 もっさりとした体毛と、視界に入ってくる湿った鼻筋が物語っている。――俺はそもそも何になったのかを。


「……おい……」


 気力が削げてだいぶ経つ。最初こそ家に返せと騒ぎ立てて扉を破壊したものだが、もう申し訳程度のノックしかできなくなっていた。


 ――コンコン。


 そもそも、力任せに木製の扉を破壊したところで鉄格子がはまっているのは分かっている。更にいえばこのクソデカ状態で満足に家に帰れるかどうかなど、考えるだけ鬱だった。俺の家はクソ狭アパートなのだ。


「……メシ、吐いてるから処理してくれ……」


 ちょうど扉前を掃除していたらしい運転手のおっさんがヤケ気味に扉をどついてきた。

 俺からしたらネコの通り道か何かにしか思えない小窓から片手を出して、バケツだけ放り出す。

 小窓分だけ開いた格子と、分厚い扉の二段構え。普通の人間ならば壊せない。俺は……どうなっているのかちょっと、分からないが……格子がなぜか指先チョチョイで曲がるのでたぶん本気出したら脱走まではいける。


 行けるんだが。

 ……出て、どうなる?


「……クッソ、頭いてえ……」


 考えるのは今日もやめにしよう。順調に馬鹿になりつつある。そうだ、違うこと考えよう。違うこと。違うこと……んっと……。


 目がちらりと部屋の中央部を向いた。


 初日から気づいていたのは、当初はちゃんと敷かれていたらしきラグの裏。あいにく元気とストレスがちょうどよく有り余っていた時期に部屋の破壊活動に勤しんでいたので、まあいつの間にか破けていたのだが。


 今では「敷布団くらいにはなったのでは?」と少し後悔している。


 いや、ラグはどうでもいい。問題はそのラグで隠されていたブツだった。

 ……風。薄く風を感じる扉が真下にあるのだ。

 床下収納のデカいやつか何かだろうか。


「……通路があった、ところで……」


 ……外、出てもしゃあねえんだがよ……。


 息を吐く。

 ……重たく、つめたく。


「…………は、はは、は……」


 からからっとわらった。

 ――そもそもこのコンクリ部屋をあてがったのはクソ眼鏡だろう。元々この空間はデカい車か何かを収納するガレージだったのは想像に難くない。

 中でも車を洗えるようにするためだろう床の傾斜、排水溝、水道。水捌けの良さ、換気扇。車高の高いものでもおけそうな天井の高さ。……でも待てや。何でそんなところに床下収納? 車を置いたらまず車が邪魔じゃね?


「……」


 考えんの疲れてきたわ。まあいい。

 俺でもどうにか通れそうだから、降りてみよう。暇だし。好奇心とか。そう。余裕とかないんだけど。




   *   *   *   *




 ……通常サイズのハシゴにいちいち足をかけていたら指がつりそうだ。

 思い切って埃を撒き散らしながら飛び降りてみると、そこは床下収納とかいうレベルではなく……


「ゲホッ……ゲホッ……。いや、デカっ!!」


 砂煙が晴れた瞬間、見えた景色――ゴチャッとした物置兼通路は、恐らく5メートルか、4メートル幅ほど。

 暫くポカンと立ちすくんだのは、あっけにとられたからだと思いたい。

 一番驚いたのは、『今のデカい俺でも頭を天井にすらない』ということだ。……ということは高さもかなりある。

 通路の両脇にずらっと並んでいるのは棚、棚、棚。

 棚という棚に何かしらの物が置いてある。それも、金庫と紙袋ばかりが。


「……いや、なんだこの大量の現金……」


 紙袋に関しては、中身を見なくてもなぜかほぼ分かる。これは紙幣の匂いだ。スーパーのレジ横の匂いがする。

 ……俺が屈まなくても頭をぶつけない大きさの広い通路で、何か裏のありそうな現金……?

 首を傾げつつ、通路がどこに伸びているのか確認してみよう。目を凝らしてみると上方向だけでなく、横……ああ、恐らく普段いる部屋の光の差し方からして北東……そうまさに今、うっすら地上から聞こえる『人間の足音』からしても、この邸の居間の方角だろうか。


「……上、掃除してんのか?」


 掃除機の音がうっすらする。それから少しズレて、何か子供の足音。……バタバタと走っている。そちらの方にもまっすぐと続いているらしかった。北東方向に目を凝らす。

 風の音か? 掃除機や足音以外にも、何かが聞こえる気もするが……


「呼吸音、的な」


 子供の足音にはそぐわない音が挟まっている。家庭的な音のあいだに、何かがせまいところで反響している。

 複数の僅かな音。湿った音――何か『大きな生き物』がひそんでいるような。人? 獣? 俺的な存在? ……いや、そんなものではない。もっと何か、恐ろしげな。


「……。北東にはいかないことにしよう」


 なぜかイヤな予感がして身震いした。――そう、逆側にも道は続いているんだ。そっちを探索してからでも遅くはない。

 逆方向に足を踏み出せば、みしりと古い床が音を立てた。


 そっと呼吸音から逃げ出す。

 ――息を潜めて、頭から追い出すように。

 どこかで聞き覚えのある音が混ざっている。

 そんな感覚をかき消すように。


 ……紙袋がだんだん少なくなるにつれ、道の横幅が狭くなる。

 気がつくと数十メートルもしないうち、また同じように上に続く道が出てきた。


「……」


 俺が入った入口の光はもっと遠く。ずっと遠くだ。

 ほとんど暗闇にしか思えない最中で――夜目でもきくのか、なぜか少しだけ見える上を見上げる。

 どうやら地下通路は終わりらしい。

 埃をかぶったハシゴはだいぶ長いこと使われていないようだ。


 そっと振り返れば、あのイヤな呼吸音はまだ聞こえていた。……遠く、うっすらと。


「……」


 ガチ、と足の爪が音を立てた。今度は迷わずその縦穴をのぼる。足を踏み切って真上に跳んだ。そのイヤな予感から――胸騒ぎのようなそれから、逃げ出すように。




   *   *   *   *




 ――ガシャン!


 勢い任せに蓋を押し上げ、そこに広がっていたのは明るい森のようだった。暫く真っ暗な中にいた俺は目を瞬かせる。

 段々視界が慣れてくると、ここが単なる森ではない事がようやく理解できた。……上に見えるのは天井の骨組み。つまりここは自分のいたコンクリ部屋のある本館と隣接した、植物園のようなドーム状の建物なのだろう。


「……警察に踏み込まれた時の逃げ道かなんかか、あれ」


 だとして、途中に俺を配置してたら身の危険とかありそうなもんだが。――ほら、通れちまうし。俺のクソデカ図体で。

 暇つぶしの妄想ネタに最適。『絶体絶命の時に俺に追っかけられる眼鏡』? おお笑える笑える。


 ……俺は腕のみでぶら下がっていた穴からヨジヨジと這い出して、一拍。辺りをゆっくりと散策し始めた。どうせあのクソ眼鏡に見つかったって、来た道を逃げりゃあいい。


「……うっわ、くっさ……」


 奇妙な色をしたつぼみのようなものが頭を垂れている馬鹿でかい草のようなものを見つけた。よくよく見れば後ろに何か本体のような幹がある。草と木がガッチリくっついているのだ。いや、寄生している……?


「……なんだこりゃ……」


 なんてーの……たぶん、ヤドリギとかああいう感じの生態? 更にいえばすごくイヤな匂いがする。頭の中に『液体』が頭に浮かんだ。この体になった原因の劇物。アレと似たような――いやこれ、人間だと気づかねえんじゃねえの。一回引っかかった俺だからわかるけど。


「あーのー」


 警戒心半分、心配半分といった雰囲気の声に、びくっとして辺りを見回す。


「……それ、触ったりしないほうが身のためだと……」


 一見、誰もいない。というか声自体があまり近くではないことに今更気づいた。

 呼びかけているような調子の癖に、独り言に近い響きだと理解できる。

 諦観、投げやり。そんなニュアンスが入っているせいだ。


「それに近づくって事はどうやら、時永でも馬越さんでもないらしい。――……っていうかその反応、まさか聞こえてる?」

「はっはあ、何だ」


 俺は投げやり気味に呟いた。


「人がいることはわかっても、誰がいるかはわからないのか?」

「えっ、やっぱり、この距離で聞こえてるんだ……!?」


 人工的とはいえ、森の中だと音の反響は少々特殊だ。ふわふわして方角と距離を掴みづらい。通常なら木々のざわめきや、外のガラスにぶつかる……風の音に飲み込まれそうなちいさな音量。


「――――聞こえてるよ」


 それでも俺の耳には届く。向こうもそうなのかもしれない。

 このレベルをハッキリ拾えるからこそ、声をかけてくる。


「で、あんたは? どちらさんだ?」

「え、えぇっ……う、うん、まぁ……その……」


 俺は時永の仕業でこの姿になってしまったときのことを思い出した。

 ……モニョモニョ言い渋る。となるとやはり、ひとつの結論にたどり着く。


「お前、時永の被害者か……?」

「――もしかして、あんたも?」


 少しこちらに興味を持ったらしい。

 恐る恐るといった様子。どうも硬い……ひりついた、緊張した声。

 ……俺の他の被害者、まず真っ先に思い浮かぶのは……いや、まだ決まったわけじゃない。


「ああ、まあ。お前と一緒で時永の馬鹿野郎に人生メッタメタにされた挙句、今はここに閉じ込められてるような人間さ」

「……」

「なんとなく気持ちが惨めでな。気晴らしにふらふらしてた結果、お前に会ったわけだ」


 言葉を失ったような沈黙が数秒。ああ、結構驚いてんのな。


「ところで、ずっと顔が見えない相手に立ち話ってのも何だ、お前はどこにいるんだ?」

「……。そこから道なりに沿って、右」

「右? 右に行けばいいんだな」


 横に目をやると、踏み固められたような道が続いている。幅は人間サイズなのでちょいとせまいが。しゃあねえからカニ歩きで行こう。

 ってか、わざわざ方向を言って移動させるということは何、動くことすらできないのか?


「……えっ……あ、ゴメン、ちょっと行き過ぎた」


 あ? ――行き過ぎ?


「回れ右。……ストップ!」


 ストップの指示を出されたが、どこにも声の主の姿は確認できない。


「あの……まん前にいるんだけど」


 正面の木の枝がゆさゆさっと揺れた。

 は……? わっ。ええええ、ウソぉ!?


「……そりゃ予想外だった。謝る」


 よくみたらもさもさの葉っぱの影に分かりやすい顔が隠れていた。……いや、いやいや。こういう言葉選びが正しいかはさておいてだ。誰か散髪してやれ。前が見づらそうだ。


「だろうと、思い……ます?」


 どうやら、ようやく自分より年上だと今更感づいたらしい。俺は声からしてやはり生徒か、となんとなく思っていたのだが。

 そういえばやっぱりこの声……あと、顔の印象。ちょっと片鱗あるな。


「いや敬語は別にいい。……ただ、一つ聞きたい事がある」

「……なんですか」

「お前、植苗……だよな?」


 声に聞き覚えがあるな、とここにくるまで常々思っていた。そして時永の被害者という事がわかった時点で、行方不明になった生徒……『植苗イツキ』の名前を思い出したのだ。

 木の枝が動揺するように揺れ、チラリとうろの中で光る目が覗いた。


「オレを知ってる……ってことは、学校の関係者?」

「講師だ。俺の教科で何回か補習に引っかかってきた覚えがあるぞお前」


 俺は反射的に自分の名前を口に出すことを避けてしまった。けどそれだけでわかったようで、また木は息をのむ。


「い、犬飼先生ぇ!? 心学担当の!」

「……いや、我が校限定でよく聞くんだけどさ、シンガクって略すの意味なくないか? リだけとっても略せた気がしないと思うんだが」


 気恥ずかしくなって思わず目を覆う。……よく考えたら屋内とはいえ、森の中で素っ裸だ。


「あと進学先の相談を請け負うような授業と勘違いしねえ? ややこしさがカウントストップでレベル限界突破だと思うのよ俺は。日本語正しく扱った方が英会話の先生も、もうちょい正しい日本語覚えるっつーか……言葉の乱れは心の乱れっつーか、なんつーかその」

「うわあ……この面倒臭さは間違いなく犬飼先生だ……」

「わりぃな理屈っぽくて!?」


 よく言われるってことは対応面倒だし、実際理屈っぽいんだろう……否定はしない。


「み、見た目だとまったくわかりません、でした」

「だろうて!」


 人と喋るのがそれだけ久々なのか、モニョモニョしている植苗を見ながらため息をつく。


「……まさか犬飼先生だったなんて」

「あー俺は俺でびっくりだがな。むしろその少ない情報でよく身バレしたわ」

「身バレって」


 まあそりゃ見た目だけじゃあ分からんさ! ――思わず息を吐く。

 ……向こうと違って顔つきは変化が出まくってんだろうし、恐らく声も低くはなっている。俺と違ってイヌ系の顔をしていない植苗は、地面からにょきっとのびているのと見た目が葉緑素チックになってて体の表面が固まっているだけだ。

 いや、狼男はファンタジーのド定番だが。その。


「……木ってなんだ木って……」

「あー……いっそ普通の木なら良かったかもしれないですけど」


 しゅる、と幹に巻きついていた【つる性植物】が動いた。……いやそれ手!? 別個の植物じゃねえのそれ!?


「これって植物なのか動物なのか、どうも判断が微妙な感じで……こんな中途半端に行動できるくらいなら、いっそ全部できない方が」

「お、お前も大変だな……?」


 ポコポコと少しずつ形状を変えて太い縄状になったそれは、よじのぼってきたデカめのアリを瞬く間にピンッと遠くに弾き飛ばした。


「まぁ、モチーフがドリュアスらしいんで」

「ん」


 聞きなれない名詞に俺が首を傾げると、植苗はゆさゆさと枝を振って答えた。


「あ、うん。一言で言うと木の妖精です」

「妖精、あー……背中に羽の生えた小人みてえなやつ? よくRPGとかに出てくる」

「言うと思いました。妖精は妖精でもピクシーはおろかエルフでもないです」

「え、違うの」


 ……そういやそんな名前だったわあれ。羽の生えた小人。


「というか、ゲームに出てくる妖精のああいう造形は近代になってからのイメージで、ドリュアスはあくまでも植物の形が本来の姿です」

「あ、そう」


 さすがに説明が分かり易い。

 『時永先生のひっつき虫』だと関係者各所に有名だっただけはあるわけで。


「ほら、人が使い込んだ道具には魂が宿るって言うでしょ? ツクモガミっていいますけど」

「あー、ばあちゃん辺りから聞いたことあんなぁ……要するにあのイメージで、道具じゃなくて植物に意思が宿ってると」

「だいたいそんな感じです」


 イキイキとしている。そう、声のみでは思った。


「時々宿っている意思が人のような形をとってるように表されてたりもしますけど」

「……お前、とれるの?」

「とれません」


 実際、得意科目の話は楽しいに違いない。ただ――同時に視覚上では口角の上がり方。息の仕方が違う。

 ……明らかに緊張状態だ。

 焦燥したような表情で、早口の植苗はペラペラと喋る。植苗の顔にかかってる葉っぱが途端にペシャンとしおれた。


「更にいえば、ドリュアスって――普通女の子です」


 思わず噴き出した。


「お前……更に可哀想だな。まぁ背丈低いしまだゴツくなかったからその道でも生きていけr」

「ってタマ潰れたような言い方しないで下さい! 一応まだありますから! あと悪かったですね低くて!!」

「え、気にしてたのか」


 単に成長遅いだけだろ、あとでグンと伸びそうなもんだが……と言いかけて、止まる。

 ……この姿で伸びて、どうすんだ……?


「あああハイハイ! 悪かった悪かった、そりゃおっかない妖精さんもいたもんだ!」

「オレだって好きでおっかない顔してるわけじゃありません!」

「そ、それを言うなら……」


 そういや、俺だって好きでこんな犬みたいな格好はしていない。

 しまった。思えば勢いでなんだか嫌なことを口走ってしまったな。


「……です、よね……」


 ぐしゃ、と萎れた葉っぱが形を崩す。――え、お前の一存で腐るのこれ!? 一気に腐葉土みたいになったんだが!?


「…………。」


 目の前の葉っぱが落ちた上、しなっとする枝の向こう、植苗の様子をうかがえば、一応は健康そうだった。

 ただ――ひどく落ち込んでいる。それだけだ。


「あー……その、だな」


 話を変えよう。

 互いにこれだと葬式ムードだ。


「時永は、なんだって俺たちをこんな風にしたんだろうな」

「時永、先生は言ってました」


 その肩がふるえているのに、植苗は気づいているのだろうか。

 ……怒りを我慢するように。今にも爆発してしまいそうなそれを抑えるように。


「“僕の夢は昔の神話の世界をつくることなんだ“と。そして“その為に君には犠牲となってもらったに過ぎない”って」

「あのなぁ、律儀に先生つけなくてもいいんじゃないのか?」


 思わず鼻で笑う。


「あんなん呼び捨てか変な呼び名つけてやるだけで充分だろ? ホラ、鳥のウンコとか」

「なんで鳥のウンコなんですか」


 植苗の声が少し笑った。


「今時小学生でも笑いませんよ。……でも、アレを先生呼びは今後正直したくありませんね」

「お前も相当嫌ってるな……」


 噂によればかなり懐いてたらしいのだが。

 ……ま、こんなことになってしまえば、誰だって嫌いにもなるさ。




   *   *   *   *




 その後、俺たちは話し込んだ。

 何せやることがない。暇なのだ。

 誰かがあの『コンクリ部屋』に誰もいないことに気付いたとして、俺は一切構わなかった。


「――それで俺は言ってやったんだ。『田中、お前がチョークを避けられるようになったのは褒めてやろう。だがその情熱はもっと他に活用するべきところがあるんじゃないか?』……ってな!」


 ――勿論、優先事項の問題だ。ちらりと植苗を見る。

 コレを放っておけるわけがない。


「……田中、居眠りに関しては達人級ですからね……」


 【ただの植苗】がそこにいたなら。それはまあ、すぐに放っておいたに違いない。だが……表情の作り方がぎこちないのだ。肩が震えていて、いくら笑わせようとしたところで目が虚ろ。それくらいは相手が木になってようが、容易に分かる。ありていにいうと――生気がなかった。


「――んで、伊藤先生のロケットパンチが炸裂しそうだったんで止めたわけだが」

「よく止めましたねそれ……」

「代わりに後日、英会話の先生に輝かんばかりの笑顔で『御礼参りーネ!! 焼き茄子!!』って焼き芋もらう羽目になり」

「最早イモなのかナスなのかはっきりしてほしいんだけど……あと御礼参りの意味が違う……!」


 以前仲が良いどころか、そんなに話すこともなく。ただ、たまに顔をあわせるだけの講師と生徒……それだけの関係だったはずの2人に、どこから尽きない話題が出てくるのかは俺たちにもわからない。


 あの暗い部屋に一人閉じ込められていた俺と、食べることも動くこともできずにガラス越しの空を見上げることしかすることのなかった植苗。

 無論、どちらも精神的余裕はなかった。互いを探す暇はなかった。……特に植苗は動けないわけだ。


 ただ、もう少し早く分かっていれば。

 植苗の反応。ぼんやりした様子。……こういうことを、もう少し早くやるべきだった。


「だからあの女子の上硲(かみさこ)がだよ。ユータローの横っ面をビンタした時に、俺は内心思い切りガッツポーズをとって」

「いや生徒が喧嘩してるのに片方に肩入れしないでくれます……!?」


 ――気づくと、だ。

 あれだけ高かった日は、いつの間にか落ちかけていた。


「んで実行委員の二宮がさあ、卒業間際になって『これではイカン』とか突然言い出すもんで」


 【学校のあるあるネタ】がどうも一番気が晴れるらしい。

 そう気付いたのは最早収穫ですらあった。

 大概はコクコク頷くレベルだったが、返事が一番多い。


「武田が阿鼻叫喚の中で突然鶴の一声を放つわけだ。『校長先生をまずどうにかしましょう!』――そうだな、捕まらない校長が全て悪いんだもんな」

「鶴岡先生だけに聞いててもしょうがないですしね、その案件」


 そんなことを言いつつ、植苗がふっと気付いたように目線を上にやる。


「……ねえ犬飼先生」

「おーどうした? 【旧校舎の開かずのロッカーから謎の生き物のミイラが出てきた事件】はまだ終わってないぞ」

「いやそうじゃなくて」


 植苗は宙に目線を固定しながら訝しげに声を落とした。


「言いにくいんですけど」

「あ?」

「犬飼先生って狼男の設定では」


 いやまあ、設定というか。事実というか。


「ってことはB級映画的には」

「誰がB級映画だよ」

「今の月齢とか結構重要なんじゃ」

「まあそうねうん……ハアアアアアアア!? いや早く言って!?」


 その目線を追えば、確かに丸いものが薄ら明るくなってきているところだった。――やめろや。肌がピリついてたのそれが原因か。


 カタン、と目線が落ちる。


 ……喋るのに夢中で、パキパキと腕が音を立てているのに気づかなかったらしい。いやアレなのよ。昼間に満月出てても何もねーのよこの体。問題は日が落ちてきた場合なんすよ。太陽が沈みきるともうなんか第二フェーズに移行するというかなんというか、あのその、何。

 慌ててこの場から逃げ出そうと試みるも、腰が抜けた。いやもう無理、手遅れ……!


 俺の意識終了のお知らせ!

 クソが! 平常心なさすぎて今なら言えるぜ、閉店がらがッ……


 ――ペキッ、ゴキゴキガキュッ。

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