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【小話】川の字すいみん

※時系列:ミコト3~4歳。

     時永がもう既に「悪い」頃で、馬越の胃が痛い頃。

     時永邸での小噺。


……ここからちょっとだけ、インターバル。



 ああ。――――完ッ全に、()()が切れていた。



「……――……――」


 すう、すう、と寝息が聞こえる床の上。

 転がっている『それ』を、思わずまじまじと見つめてしまう。こんなレアな光景は初めてだ。

 正直、対処に困る。


「…………えっと……」


 掃除して数分も経たないはずの、ピッカピカの床――先ほどまでこちらに目線もよこさず、文庫本に集中したまま「掃除機かけろ馬越(意訳)」と無言で足だけヒョコッと上にあげ、ふんぞりかえっていたはずの【それ】。


 床に転がっている【それ】から、視線を少しずらせば――主がいなくなってだいぶ不満そうな『黒い革製ソファ』がそこにある。


「(……なるほど)」


 最初はきっと、その上でこっくりと舟をこいでいたのに違いない。こちらが庭に出て、洗濯物をとりこんでいた間に事件は起こったのだ。


 ……()()()()にやられたらしい。

 それもソファが真っ黒だから余計。


 暖かさでいえば折り紙付きだろう。

 おそらくは2~3分もせずに、フッと意識がフェードアウトして。それでずるりと。


「(窓際ですからねえ……)」


 冬とはいえ、ひなたぼっこすると適温にはなりやすい。更にはそう――つい20分前、昼食を食べたばかりだったような。

 人間、血中糖度が急激に増えたら、そのぶん眠くなるように出来ている。そのままソファから背中が落ちて、見事に『床で眠る男』の完成だ。


 思わず息を吐く。


 そも――今時、普通の執事さんは漫画のように燕尾服は着ていないし。

 そも――今時の成金さんですら、あんないかにもな黒塗り高級車は乗り回していない。

 私は自分の服装を()()()しながら見下ろした。


「(……どうしましょうかね)」


 一応、掃除に邪魔なので今はジャケットを脱いでいるが……ともかくこんなもの、ただのポーズだ。この男が『絵に描いたようなお金持ち』というステレオタイプの形式に拘るのは、周囲に対する威圧と軽蔑、ある種の当てつけだ。

 容易に近づかないように。そして馬鹿にされないように。

 そんな格好付けのド外道がうっかり床で寝ているなど、正直「らしく」はない。


「ああ……快晴ですね。洗濯物が2時間で乾くわけだ」


 そんなことを不自然に言ってみて、それから横目でチラリ。

 目を覚ます気配は微塵もない。


「…………。」


 息を吐いて手を伸ばす。そろりと音を立てないよう。

 ……まだ、うっすらぬくいティーカップ。

 それから食べかすの残ったチョコチップ・スコーンの皿を片付けようとその男の腰を跨ぎつつ、結局は忌々しげに呟いてしまう。


「――……()()()()()()()()()()


 そう、それはまさに「日向ぼっこ中にうっかり寝てしまった激レア時永先生」の光景だった。

 珍しくゆるゆると緩んでいる口元。隙の多さ。

 ……ごく普通の風景。



(――そんな眠り方を、あの人はもう出来ないのに?)



 脳裏に聞こえるのは、在りし日の騒がしさ。

 『タマネギを切るのが苦手だ』と文句をいう彼女の声。

 ……耳の奥が痛くなる。


 かぶりを振った。

 ……比較するだけ失礼だ。むしろ無礼ですらある。

 こんなものを正直、同じ生き物だとすら数えたくはない。


 それでも、そこにいるのは一人の人間だった。

 人間らしすぎて逆に怖気がするほどだ。

 手の延長線上に転がっているのはやっぱり流行りの小説だし、いつもピシッと(私のアイロンが)イイ感じに決めているシャツは寝相のせいか、グッシャグシャのクッチャクチャ。生徒さんには到底見せられない見た目になっている。


 ……さて、どうしてくれようか。

 思わず手をのばす。


 毛布でもかけてみるか?

 それより起こせと怒鳴られそうだ。

 では放置しようか。……それだったら毛布の方がマシだと唾を飛ばされる。


 さてどうしようか。

 ――だんだん【()()()()()()()】が入ってきて、下唇を舐める。

 こんな隙は珍しい。……栄子の恨みだと鉈でも振り下ろしてみようか。いや、バールなら確か車にあった。あれにした方が手頃……


「ねえ、うまこしさん」

「……」


 不穏な妄想をぶち上げたところで、就学前のちいさな女の子の声が聞こえた。


「? ……お」

「しーっ」


 いつの間にか、微動だにしない彼の頭の向こう。

 その子は隠れるようにして寝そべっていた。

 長く伸ばしたひとつ結びの髪。それが床におしつけられて少し乱れている。

 しかも話があるようで、ちょいちょいと手でまねいてくるものだから。……一応だが、できるだけ音を立てないように近付く。


「――それで、ミコトお嬢様、何を?」


 膝をつき、小声で問いかければ彼女はにやりと笑った。


「ビックリさせるの、てつだって」

「……びっくり?」

「2人でおとうさんをはさんで、サンドイッチみたいにねたふりしたら、ぜったいビックリする!」


 『ナイスアイデア!』――とばかりに目をキラキラさせている彼女に、思わず半笑いを返した。

 ……ああ、うん。

 確かに、それはびっくりするだろう。


 彼からすればそれは、『うっかり変なところで寝てしまった失態』を知らないうちに発見されていたということに他ならない。

 更には至近距離で、さほど仲良くもないはずの同居人と使用人が平和に寝ているのだ。……確かに、どんな顔をするか。


「いい? ぜったいおきちゃダメだよ!」

「……はいはい」


 この子がキラキラした笑顔で言うなら仕方がない。所詮汚い考えでいっぱいの大人が、子供のわがままに勝てるはずもないのだ。

 ――寝たふり作戦に付き合って、腰を下ろす。

 疲れ切ったように脱力して寝こけたその男の、右側に寝転ぶ。


 ……片手でも伸ばせばその喉は締められそうだったし、硬い安全靴で上手い事頭を蹴り飛ばせば、即死にも出来そうだった。


「……」


 する、気もなかったが。

 まあ……いたいけな子供の前ではさすがにちょっと。



「……」


「…………」



 そもそもの話。うとうと程度なら目撃しても、この人が本格的に眠っているのを見るのは、思えば初めてだった。

 ここまで疲れ切った顔で寝るとは思いもしなかったが、少し考えて納得する。

 というか――考えれば考えるほど合点がいった。彼は普段、どうも気を張りすぎている。


「ぐご……ぷひゅ、むにゃ……」

「――! ふッ」


 なんてことだ、ちゃんとイビキまでかいている!


「しーっ」

「……すみません」


 思わず、笑い声が出てしまった。ますますもってどれだけ普段、『キャラ付け』の仕方が半端ないのかが身にしみる。

 この人がイビキをかくなんて――そういえば、長らく考えられなくなっていた。

 前はもっとこう、「美郷さんの横でイビキかいて寝たりも普通にするんだろうなぁ」という感じだったのに。



「……」


「…………」



 ――ああ。いつからだろうか。

 彼の胸の内を「考える」事すらしなくなったのは。


「(……ああ)」


 好きで雇われているわけではない。

 本当なら逃げ出したい。ただ、彼の傍には「何か」がいる。

 姿の見えない化け物が。

 そして物言わぬ、呼吸をするだけの姿になってしまった栄子が病院に。

 ――そして何も知らない幼子が、この家に。


 ストレスによる吐き気をおさえて、胃薬を飲んで、彼の事を見ずに挨拶して……車で、彼の職場に向かって。

 この家に帰ってきて、何も考えずにひたすら洗濯や草むしりをして。庭に遊びに出ているミコトお嬢様を呼び戻して食事をさせて。

 ……掃除して、彼を迎えに行って。


 そしてたまにこうして学校が休みになれば。家にいて何もしない彼に、あれやこれやと普段なら気にも留めない用事を押し付けられたりもして。

 ああ。……もしかしたら、『顔を合わせたくない』からこちらの仕事を増やしているのかもしれない。私がこの人のことを「考えたくない」のと同じように――向こうもきっと、「考えたくない」のだ。


「ふふっ……」


 それを思って、苦笑いが漏れてしまった。

 なんだかんだと、接し方は同じだ。

 ……こっちが向こうを嫌いでいて、いつ危害を加えてくるのやらと怯えてもいて。そのくせ付き合いだけは長いから、相手の癖や行動をなんとなくわかったつもりになっている。


 勿論、実際は分析も何も、していない。

 何せ『相手の事』を考えるだけで腹が立つ。

 そういう間柄だ。


 ……遠い昔は、笑いあっていた気がするのに。

 彼の言葉を、会話を、楽しみにしていた気がするのに。

 気が付けばこちらは、奥さんが昏睡状態にされているわけで。

 そして向こうは、とにかくなんだかわからないが……こちらを全く気に入らないポーズをとっているわけで。


 ……だというのにこちらを脅迫してまで【シッター 兼 お手伝い】で雇うのだから、まるで意味がわからない。


 かまって欲しいにしろ、ツンとデレどころの騒ぎではない。

 ツンが100パーセントだ。『もういっそのこと、突発的に聞き覚えのない謎の病を発症して死んでしまえばいいのに』……そういう妄想をきっとお互い、365日垂れ流している。顔面の98パーセントの表情から。


「……ひまだねー?」


 早くも飽きたらしい、お嬢様(ミコトちゃん)の声が聞こえる。


「しー。……言い出しっぺが頑張らなくてどうするんです?」


 近くの寝息にかき消されつつも――遠くから、うっすら聞こえるのはヒヨドリとメジロの声だった。休日の静けさ。窓から差し込む日光で適温に温められた床のぬくもり。こちらまで気がつくと脱力しそうになってくる。


「……これが終わりましたら、こっそり2人で、りんごジュースでも飲みましょうか……」


 眠ってしまわないよう、口を開く。


「! うんっ」

「お父さんには内緒ですよ?」


 小声での会話ではあるものの、正直、なかなかにハラハラする。

 何せ『びっくりさせる』当人を挟んでのやりとりなのだから、聞かれていないとも限らない。

 実際に眠りも浅くなったようで、イビキもうるさくな……


「……あれ」


 まさかの無音。……睡眠時無呼吸症候群って、肥満男性がなるものではなかったっけ? 一瞬そう思ったが。


「……ぐごー」


 ……残念。生きてた。

 10秒もせずに息を吹き返したド外道はまたイビキをかき始める。ただ、眠りを邪魔したのは紛れもなく事実だったらしい。

 あーだとかうーだとか、ハッキリしない寝言も多くなってきたところで。


「……」


 またいきなり、寝息が止まった。



「……。――――()()()()()()!?」



 どんな声だ。いや、彼が人に怯えているのはなんとなく知っているが。

 いつの間にか至近距離にいたミコトを見て、更に寝ぼけていた結果出たのだろう、えらく『情けない』『格好の悪い』叫び声に……体全体を使って見回したような、衣擦れの音。


「……」


 ……ふと思う。

 彼からしたら、ここまで嬉しくない川の字もあるだろうか?

 こっそりと薄目を開ければ、床についた状態でヒクヒクと少し震えている右手が見えた。

 どうも体を起こしているらしい。――そして息が早い。怯えている。不安と恐怖とでごちゃ混ぜになっている。


 それから暫く、音がしなかった。


「………」


 ――ペーパーノイズ。

 紙の、少しめくれたような音。

 本を拾い上げたそれを残して、バツが悪そうに彼は逃げていった。


「……うまこしさーん」

「起きてよろしいですか?」


 いそいそとした背中。あっけない、ドッキリの幕引き。――部屋から出ていくその気配が、角を曲がってから暫く。


「きいて!」


 わっ、と彼女の声が弾んだ。


「おとうさん、ほっぺたなでてくれたの!」

「……そうですか」

「やさしく、ヨシヨシしてくれたんだよ!」


 自らの頬を上機嫌でフニフニする彼女に、思わず口から残酷な言葉が出そうになる。


  ――「『起きているか確認するために、恐る恐る触った』の間違いでは?」


「いいこにしてたからだよね!」

「そうですね」

「ずっと、いいこにしてたからだよね!」


 口をつぐむ。

 ……きっと彼は、自分の娘のことが苦手だ。

 どう接すればいいか分からない。それでもどこか、『執着』を隠せないでいる。

 否、執着しか残らないでいる。


 ……いや、そうか。


「……。心配せずともいい子ですよ、あなたは」

「そう?」

「そうですとも」


 思い出すのは昔の話。

 かつて、赤ん坊の彼女とカメラのストラップを取り合って綱引きをしていた、あの好青年。

 あの時の彼と今の彼は、同一人物だ。……同一人物だった、はずだった。


「……りんごジュース、飲みましょうか」

「あっ、あのねっ! ねこさんのコップがいい!」

「はいはい」


 何が正しく、何が間違っているのかは知らない。ああなってしまった彼を「理解しよう」だなんて思わない。

 でも。


「はい、ねこさん」

「ありがとー!」


 あんなに色々考えた『川の字睡眠』は、きっと子供の頃にだってなかった。そんな気がして。


「うあ」

「ああほら、割らないようにしっかり持って」


 ……たまには、彼にもジュースを差し入れてみようか。あれだけ大きなイビキをかいていたら、きっと喉がイガイガして堪らないだろうから。


「うまこしさん、どこ行くの?」

「少し台所を片付けてきますね」


 ……わかっている。

 ()()()()()()()()()()()……長い廊下を歩きながら、ふと思う。

 その男は鏡に等しい。それを自分が憎めば、向こうも憎む。それを自分が恐怖すれば、向こうも。

 ……なら、きっとこの「感情」も。


「失礼します」


 ノックをすれば、扉の向こうで「ふぎゃ!」と声がした。

 ああ――もしや、まだ寝ぼけてらっしゃる?


「りんごジュースをお持ちしましたが」

「は……? 頼んでなっ」


 ごんっ! ――気のせいだろうか、本棚に足の指をぶつけたような音がして。


「~~~~っ!!」


 ……平常心はどこに行ったのか。

 こちらはノックしかしていない。相手も扉すら開けていない。

 ただ、その光景がありありと脳裏に浮かぶのは――互いに四六時中、様子を窺っているからだろう。


「……」

「……」


 ピョンピョコ、その場で跳ねていそうな呻き声がして、次の瞬間。


「あの、ジュース」

「煩い」

「えっと」

「っっつ……置い、て、帰、れ……ッ」


 思わずこっそり苦笑する。……憎しみ一辺倒じゃない。

 恐怖一辺倒じゃない。お互い、もっと複雑な感情の絡んだ関係。

 私はちいさく呟いた。



「――かしこまりました」



 だからこのジュースは「使用人の気遣い」であると同時に、彼には一番の「嫌がらせ」なのだ。

 それをきっと彼も知っている。


 ――だからこそ、震えた声で言うのだろう。


 一番身近で、尚且つ妙な愛着があって。【世界一嫌いな相手(信用のおける相手)】が、頼んでもいないのに持ってきたりんごジュース。

 それを「要らない」ではなく……


「……それで。湿布とか、お持ちしましょうか?」

「だああああ! 放っておけ馬越!!」



 ……当たり前のように言うのだ。

 その()()()()()()は、「置いて帰れ」と。



※ これは以前ブログ版に載せていた馬越目線の短編集、「燕尾服のその奥に・1 川の字睡眠」をリメイク、再編集したものです。

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