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 ――人が。


 人が、たくさん追いかけてきている。

 人に混じって、違うものも。


「……やだ。やだ、やだやだやだ」


 ミコトの口から出る言葉はまるで駄々っ子のようだった。――思い出したくない。頭が痛い。なんでこうなってるのかなんて、知らない。

 誰かの声が聞こえた気がする。校舎の外から、外壁が粉々に割れる音も聞こえた気がする。――耳を抑え、泣きながら廊下の角を曲がった。階段の隅。どこかに隠れようと一瞬動きを止めた瞬間、二の腕に誰かの手が触れた。


 生徒だ。雰囲気からして、恐らく上級生の誰かだった。

 可愛らしい顔立ちに、ウェーブがかった髪質。しかしその表情は――


「ミコトちゃん!」


 声がかけられた瞬間、トタン、とその『誰か』が転んだ。

 『誰か』の顔に浮かぶのは虚無感だ。

 感情のこそげ落ちた瞳に、()()()()のネイル。

 対して、突き飛ばした側のそれは何も塗られていない地味な、丸っこい指。


「……行きなよ」


 ヒュー、ヒュー。からからの喉から音がした。

 丸っこい指の持ち主は優しく言う。

 ――倒れたみかん色の方を指差し、ミコトは呟いた。


「あの、このひと」

「ダメ」


 ミコトは顔を上げる。――誰の声かは分かっていた。けれど、その冷たさは初めてだった。


「かまっちゃダメ。……君はきっと、【()】に出るんでしょう?」

「そと?」

「そう、外。ずっと向こう。私の手の届かない場所」


 【マスコット付きのペン】を胸ポケットに突っ込んだままのジャケットは、いつも見ていたそれだった。

 飾り気のない、地味だけれど明るい女性教諭。


「――行って、ミコトちゃん」


 どこか頼りないけれど、しっかりしようと足を踏み締めているそれは、どこかの誰かにそっくりだった。


「橘、せんせ」


 グシャ! ――その声が後ろからの足音に押し潰された瞬間、ミコトは慌てて駆け出した。


 不自然にも笑った、小さな声。

 乱闘のような音。人が揉み合うような音。


「ああ――いってらっしゃい。どうか、()()()()()()に――」


 ……蚊の鳴くほどちいさなそれがミコトの耳に、どうにか届いた気がした。


()()()()()()()()()()()()()()()()




   *   *   *   *




 ガチャン! ――理科室のビーカーが落ちる音。

 イツキは少し足をもつれさせながら後ろ向きに跳んだ。


「っは、っはあっ……」


 息が切れる。……そもそもイツキの運動能力はイヌカイと違って人並みだ。佐田と渡り合えていたこと自体、今から思えば奇跡のような代物だったし、以前殺し屋姉弟に狙われた時などは生き残ったのがそもそもおかしかった。

 どちらもイツキの左腕がどういう挙動をするか、相手が計りかねていたというのが正しい。


 ただ――そう、谷川は()()


「おりゃあああああ!!」


 楽しげに殴りかかってきたのは、()()()()()()をまとった、谷川の右拳だった。


「!!」


 咄嗟に前に出したつるが氷結し、砕ける。

 ……それは恐らく、あの空飛ぶゴーレムの能力だ。佐田のそれと同じように独自の進化を遂げている。さながら色水を固めたようだったゴーレムと同じ色――青色のガラス質なそれは、決まった形を取らない。

 殴りつける瞬間だけ谷川の肘から先を軸に【巨大な腕】の形に凝固して、振りかぶっている時は霧のように霧散する。

 ……距離を目視で測りづらい。


「……っぶな……!」


 間一髪でかわす。

 そう、更にいえば――観察眼がすごいのがこの人の怖いところだ。

 どんな動きをしたって完璧に合わせてくる。


「ぐっ!?」


 ――佐田さんは裏をかけばすぐ思考を止めてくれるけど、ユキ姉ちゃんは違う!


 イツキは心の中で叫び散らしつつ――つるの形を【盾状】に展開した。

 佐田のときにやったものと同じだが、直感で分かる。


 ……たぶん通じない。


 イツキは演劇に詳しいわけではないが、なんとなく見て分かったのは――佐田はきっとその場のアドリブが苦手な人だ。

 前もって準備してきたものを全力で出す人物。だからこそ想定外の事態に弱いし、一度ペースを崩せば、一気にボロボロと崩れて来る。


 なのに、谷川はまったく違う。

 ……動きややり方を準備しない。決めない。

 相手とナチュラルに会話したり、キャッチボールしたものがたまたま形になるだけで――台詞は用意されていようといまいと関係がない。流動型なのだ。

 そう。予定がないなら、裏はかけない!


「だった、ら……!」


 逆転の発想だ。盾をさらに変形させ、まっすぐ前方だけをガラ空きにした。

 ……谷川が予定を立てない、つまり何をしてくるか分からないなら、こっちから誘導すればいい。

 イヌカイほどの反射神経はなくても、時永ほどの動体視力はなくても――目の前で起こることだけなら、ある程度はギリギリでもなんとかなる。

 後ろや横から、視野の外から不意打ちしてくるわけではないのなら――具体的には自分から狭いところに飛び込んで、目の前だけに隙を作ればいい。

 ある種の罠だ。『目の前』だけにイツキが集中できるような環境にすれば、きっと勝ちが近くなる。


 ただ、問題は――そう。



 『……()()()()()



 ――簡単には上手くいかないこと、なんだけど。


「っあ……」


 聞き覚えのある、妹の声。

 それは谷川の操る【ゴーレムの腕】を、イツキのつるが押しのけた瞬間。

 腕が一瞬、液状化した瞬間に聞こえたのだ。

 聞き慣れた言葉。雰囲気……一瞬でも、思考が止まる。


「!!」


 「逆に裏をかかれた!」――そう察した時にはもう遅い。聞こえたそれに気を取られ、瞬間――腹の辺りから衝撃が突き上げる。


「ぅ、あ」

「――おおっと、何か聞こえた?」


 わざとらしい谷川の言葉を聞きつつ、谷川のゴーレムパンチをまともに受けたイツキは思わず胃液を吐きもどす。


「幻聴かなー? それとも罪悪感かなー?」


 ……罪悪感。


 イツキは思わず苦笑いしたくなった。

 この人はよく分かっている。

 そう――妹を含め『家族』と別れたのは、そういうことだ。


 彼らについて行かなかった時点でこの世界における植苗イツキは、いわゆる『日常生活』から切り離された。

 ミコトの周囲の音を聞いていただけでもよく分かる。ミコトを取り囲もうとしたのは足音だった。後からゴーレムらしい音も混じり始めたが、ほとんどはヒトの――そう、人間の足音。


 ここの人間たちはおそらく、ほとんどが時永のいうところの『張りぼて』だ。


 中心になった時永と違い、その他大勢の()()()()()()()()である彼らは、ミコトとクロノス相手には無意識下において、徹底的な【絶対服従】をしているはずだった。


 ミコトに危険が迫れば盾にもなる。

 ……それもきっと、()()()()()()、だったのだけど。


 この世界にとって、ミコトと同じく上位の存在だったクロノスが――もしミコトを攻撃するとか、追い回すように設定しなおしたのだとしたら?


 クロノスは、そもそもミコトを『遊び道具』や『駒』として利用することしか考えていない。それはメティスの言葉で分かっているし、一度だけ対峙したイヌカイもそんな印象を抱いたと言っていた。

 ……ミコトに対して危害を加えないという保証はどこにもない。


 くわえて今のミコトは先日の出来事が発端となって、きっと思った以上に弱体化している。でなければ、あの音――モヤシの先から聞こえた轟音が説明できない。

 「大勢の人間に追いかけられる」なんて状況が起こりうるはずがないのだ。

 ミコトは直前まで何も変わった様子がなかった。図書室の中にいたのはきっと普通の人間だったはずだ。

 つまり、ミコトを追いかけているのはこの世界の住人に間違いがない。


 谷川の接触で一時的に現実逃避ができなくなったミコトは、内面的に深い【ダメージ】を負った。そのせいで彼女は、この世界との繋がりをほとんど切り離されてしまっているわけで。

 それでもし、この世界にとってクロノスの影響の方が色濃く出るようになるのだとしたら――『ミコトの味方をする』ということは、イコール『この世界を敵に回す』ということになる。


 つまり、イツキにとって【モブキャラクター】である同級生も、家に残してきた家族も全てが敵に回るということだ。

 ……罪悪感ぐらいナチュラルに湧く。だって、それなりに思い入れはある。本物同様に大切にしてきた、数ヶ月間のそれ。


「ねえイッちゃん」


 谷川がゆっくりと近づいてくる。


「人の体ってさあ――5割から7割が水分で出来てるって知ってる?」

「……」

「知ってるよね?」


 イツキは口を拭い、どうにか半身を起こした。

 ……雑学としては知っている。ちなみに植物は8割から9割だ。

 食べ物や飲み物を口にした後、やたらにつるの伸びがいいのもそれが原因だろうとイツキは何となく推測を立てていた。

 普通の人間のつもりでいると、恐らくつるを形成する水分が足りない。オーバーに水分摂取するくらいでないと、植物部分がベストを保てないのだ。


 谷川がゆっくりと口角を上げる。


「じゃあ、さ……()()()()()()()()も、知ってるね?」

「!」


 イツキはひゅ、と息を止めた。


「ほら――イッちゃんの記憶が、ミコトちゃんの世界に触れて反応を起こして。それで人みたいな形をなしたのが、君の家の人間、だったわけじゃん?」


 イツキの目が一瞬、強く光る。

 中に隠されているはずの『木の妖精』の色。


「…………なに」


 ゆらっと立ち上がったイツキはいう。


「……引っ越しの決まってるオレの家。ちょうど今、もぬけの殻になってるはずなんだけど」

「うん!」


 谷川は笑ってべちょべちょの携帯電話を持ち上げた。

 口元だけが不気味に上がった、わざとらしい悪役笑いだ。……手に持っているのは古いフィーチャーフォン。イツキの父親の、それ。


「……一応聞くよ、ユキ姉ちゃん」


 イツキはポケットを握りしめた。中に入っている自分の携帯はほぼ同型機だ。

 あれよりは少し、型が古いだけ。高等部に上がるとき「卒業したらちゃんと買ってやるから」と譲ってもらったものだった。


「……そのゴーレムの腕、何で出来てる?」

「うーん、もう一声!」


 イツキは少しだけ、乾いた笑いを浮かべた。――知っている。何が起こったのか、何となく察した。

 さっき聞こえたのは、【役割】を終えた記憶の残滓だ。

 どこまでも。どこまでも続いていかなかった、この星の。



  ――『……んーと、わたしね、にいちゃん』



 「お別れをしよう」と声をかけることができた、本物ではないもう一人の妹。

 バイバイをいうことができた、いつかのもしも……



  ――『さよならしても、さみしくないよ?』



「ユキ姉ちゃん……言い方を、変えようか」


 イツキは大きく息を吐く。

 そう、これは――()()()()としての役目だ。

 そうふるまったし、おぼろげな記憶に癒されもした。この世界の植苗一家の仲間に、長らく入れてもらえていた――【植苗イツキ(ほんもの)】の役目だ。


「ついさっき、『引っ越し先めがけて出発した乗用車』でも襲って……」


 イツキの声は、淡々と正解を言い放つ。


()()()()――()()()()()()?」

「ハハッ、まさか!」


 谷川は不敵に笑った。


「……その前よ、家にいる時」

「……」

「ピンポンして『こんにちは!』」


 ――それは妹のあずさだったのか、父親の椿だったのか、分からない。

 けれど誰かがドアを開けた瞬間だろう。【それ】が起こったのは。

 イツキは目を瞬き――そのまま目を閉じる。


「……あたしの場合、家族ぐるみで顔見知りだからさ。お別れの挨拶だって言ったら、ドアとか、開けてもらえるでしょ?」


 【この世界の植苗一家】は、新天地に出発できなかった。

 先ほどの妹の声は、つるが水を切った瞬間に流れ込んできて、だから――イツキは目を開き、それから。


「――()()()()()()


 谷川はその反応に少し意外そうな顔を見せる。


 ――なんだ、もうちょっと取り乱すかと思った。


 そう言いたげな谷川を、イツキはまっすぐと見返す。

 それでも無反応な訳ではないと谷川にも何となく分かっただろう。

 少し目を丸くしたし、一瞬だが怒りも見えた。目の色が一瞬変わってみえたのも、もしかすると激情の現れだったのかもしれない。

 それがたった1秒、ともすれば見逃すような「瞬きの間」だけだったというだけ。


「……いやさあ」


 谷川は半分拍子抜けしたように、それでも気を取り直して口を開く。()()()()()()ために。

 最後の舞台を、終幕へと拡げていくために。


「さっきから凍ったり、揮発したりね? ――色の通り具合見てもらうとわかりやすいと思うんだけど、あたしのゴーレムくん、ゲームとかで言うところの水属性みたいなんだよね!」

「……ああ、イヌカイが水にたとえたからだ……」


 イツキは息を吐き、ととのえた。

 頭を回転させる。――水、そう、さっきから彼女は水を押し出してくる。それはなぜか。


 ……鍵がそう、【水】なら。


「ねえ、水属性って、大体のゲームで何に弱いんだっけ。ユキ姉ちゃん」


 ……体は重い。躊躇もある。

 けれど。


 とたん、と廊下の床が音を立てた。


 ――それは足を踏み出した音。

 イツキが歯を食いしばり、谷川の両腕から襲いくる【水の(かたまり)】に体ごと突っ込んだ音だった。




   *   *   *   *




 ……頬の辺りから、妙な焦げ臭さと鉄の匂いがする。

 恐らく佐田が砲塔から発しているゴーレムの光弾がかすったか、切ったか。


「……犬飼。お前らがゴーレムって呼んでるそいつが、なぜ無敵か知ってるか?」


 頷きも、首を振りもしない。

 ただ足を止めれば光弾が直撃し「確実に死ぬ」のだけは分かった。

 人間をそもそも辞めてしまっているせいか、疲れは感じにくいが――汗を拭うと、痛みが少しだけひりひりと意識を揺らす。


「高いトコから落ちても叩きつけられても死なないお前が、この光弾だけは傷がつく」

「……だろうな、出血してる」


 イヌカイはぼそりと返した。

 考えてみればとんでもなく久しぶりの怪我だ。うっすらとだが火傷と擦り傷。切り傷。


「そんな代物だ。直撃でもしたらそりゃあ――お陀仏だろう、さっ!」


 考える間も無く反射的に体を揺らした瞬間、ドカンと後ろで光弾が爆発した。――また耳の横が少し切れたらしい。


「……ゴーレムってのは、ミコトがあの時永と精神的に繋がった結果、偶然にできたものだ」

「ほーお」


 ――ばすばすばすばすッ!!


「それをたまたま、【異世界の神様(クロノス)】が形に起こした」


 たった今連続で爆風にさらされ、ボロボロになった上着に血が滲む。……お喋りだけに意識を割いているわけにもいかない。ただ足を動かす。注意深く勝機をさぐり、接近する隙をさぐる。


 時永のように「ゴーレムの砲撃を投げ返す」スキルも道具もイヌカイにはない。イツキのように「手を伸ばせば届く」ような仕組みもない。

 ……イヌカイはただ、()()()()だけだ。

 衝撃に強いのと、上から圧迫されても潰れないだけ。

 ならやれることはそもそも少ない。ただ近づいて殴るか蹴るか。

 それぐらいが関の山だろう。


 接近戦に持ち込むしか、今できることは何一つなかった。

 更にいえば逃げる選択肢もない。注意がこちらを向いているのなら、イツキや時永、ミコトがやられないように気を引き続けるしかないのだ。


 ――うん、()()()()? ()()()()()()()


 もちろん何一つ分からない。確実なのは倒すこと。以前のあの、コンサートホール・パルテノの時のように――戦闘不能に持ち込むこと。

 しつこく追尾するように後ろ2メートルが次々と爆発する中、固定砲台と化した色付きゴーレムの周りを走り回る。


「ゴーレムの構成材料になってるのは、他でもない」


 佐田の声が耳にスッと入り込む。


「あのアホ眼鏡の強烈な感情だ。ミコトの母親を目の前で失ったときの、やりきれない悔しさ。憤り」


 【憤り】。はッ――憤り?

 あの、怒りを表現するのが苦手な時永が?


 まるで似合わない言葉に思えたが、瞬間思い出すのは植物ドームでの顔だった。

 校舎で以前見かけた、早足で遠のき、丸まっていく背中だった。

 真っ青だった顔色、震えた手。目に見える……汗の多さ。


 この世界での時永は『他人からの怒り』をなかなか知覚できない。

 『自分が他人に怒っているのも分からない』。が、あれは確かに怒っていた。

 他人に対してなら分からなくても、自分自身に怒りを覚えたのは、きっと自覚している。


「それらを核にして、あのミコトが一瞬一瞬で忘れていく悲しみや、同じく憤りが結合して――そうだな、きっと雪だるま式に大きくなっていく」

「……」

「雪のたまを転がせば、違う雪がはりつくように」


 そうして時永の残した感情が核になる。ミコトのホコリやチリのようなそれを纏って、視認できる大きさになっていく。


「……でもどちらにしろ、その材料は身勝手な代物だよ。あいつらが『手から取り落とした幸せ』ってやつだ。ここまで夢見てきた、幾つもの()()()


 ミコトのそれを思い出した。

 この世界に入る「鍵」になった一言。プロセスコードとメティスが称した、あの言葉。



 “私はここにいる。

 幾つもの物語を超えて”。



「……可能性。未練たらたらな()()


 せせら笑うような佐田の言葉は、イヌカイ自身が時永に対して長らく向けてきたもの。

 イヌカイ自身がこの世界に来て少しずつ、ゆっくりと捨てていったものだ。



 ――オイオイ時永さん?

 今更、こうなったことを後悔してるのか?


 お前が? ――ほかならぬ、お前が?

 そんな資格、お前にあるか?


 だって自業自得だろう?

 お前自身がやったんだろう?


 ――それでも。

 ああ、それでもだ。



 ……怒りを飲み込んで、ここまでやってきた。

 空気は読めない。すっとぼけた言動もするし、妙なところで楽しそうに笑ったりもする。それは他人の怒りと悪意を感じないからだ。自分が他人に向けるイラつきも。けれど。



  ――『僕の経歴、自覚のなさ。それに怒ってるのはまあ分かる。受け止めようとはしているさ』


  ――『それがちゃんと僕に受け止められているかは分からないし、正直、仮定が多すぎて理解できているかすら分からない。……更にいえば、理解したところで、さっきみたいに「分かった」なんて気安く言ってはいけない』


  ――『人の憤りっていうのはそういうものだ。システム的に分かってなくても、大事に扱うことはできる。扱おうとすることもね』



 けれど、もう知っている。

 イヌカイは大きく息を吸い込んだ。

 ――正面から、あいつは切り込んできたのだ。


 【裏切られた】イツキと【振り向いてもらえなかった】ミコトと、【巻き込まれた】自分。3人分の感情をいっぺんに、壊れてでもいいから受け止めようとした。

 一生懸命、誠意を持って。


 ……それは、少しだけなら理解した。

 心を動かされもしたし、なんというか放ってはおけなかった。



  ――『……なあ、時永先生って何年生まれ?』


  ――『なんですか急に。平成3年ですよ。1991年』



 今なら分かる気がする。

 ……あの、ほぼ同年代な男の気持ちを、少しだけなら。


()()()()()()()()()()()――そんな心の欠片がすり潰されて。粉になって、原子になって分子になって、それで再結合して……まあもののたとえだ。けどな、そうやってできた物体が、たまたま生き物みたいな見た目してたってだけの話なんだよ、『ゴーレム』ってのは」


 まるで世間話をするみたいにボソボソと呟く佐田のそれは、まるで距離感を無視している。

 ひょっとすると普通の人間には聞こえない音量なのかもしれない。

 何せ、爆発音をぬって聞こえるのだ。――それでも、人間でないイヌカイには届く。


「……なあ、犬飼……あのアホ眼鏡も薄々気づいてたんじゃないのかね、自分が『()()()()()()()』だったか」


 もう随分前な気すらしてくる、その記憶。

 ふっと思い出したのは、記憶を取り戻した時――時永邸で、あの、『人のいい』時永自身が呟いた一言だった。



  ――『……自分の価値を誰もに見せつけたいのに、他人の価値を見る目を持たない。だから相手が泣こうが喚こうが自責の念を持たない』


  ――『常に感情が一方通行で、やまびこのように報復されるという懸念を持たない』



 優しい音――温もりのある、血の通った声ではある。以前の時永からは感じなかった音ではある。

 けれどそれは確かに怒っていた。

 それはかつての、『人のよくない』彼自身を的確に言い表した一言だ。



  ――『……あなた方のように見た目がじゃない、あれは、精神面が化け物だ』



 自らのかつてをこき下ろした彼の表現。

 声の強張り。――そう。今から考えれば、泣きそうな。


「ゴーレムの肌を構成する石のような材質。――細胞、原子レベルに刻まれた性質に、その自覚が隠れてる」


 佐田は小さく、ゆるゆると呟いた。


「あいつはきっと生まれてからこの方、【何かを生み出したこと】なんてほとんどなかった」


 意思の力、思い込みが世界を作る。――たとえ彼を愛する誰かが彼を再定義しても、時永が自分に抱いた印象は変わらない。


「『人との繋がりを求める』くせに、『一度繋がったって繋ぎ止められたことなんて一つもない』。オレを縛ってる神様と同じさ。むしろぶちぎって、ちぎって、ちぎって、ばらばらにして、元に戻らなくする」

「……なるほど」


 イヌカイは頷いた。黒も青も紫も、ゴーレムという生き物なり概念なりが、口から吐き出す光弾。()()()()()()()するそれ。通行人、道路、自分に対しても容易に傷をつけるわけ。……佐田はいう。


「――ゴーレムに今なお、色濃く宿るあいつの性質は、【()()()()()】」


 触れるもの全てに傷をつける。裂傷をつけ、焼き焦がし、使用不能にする。

 物理的にどう丈夫であるとか、どこまで硬いだとか、柔らかいだとか――そういうものを一切飛び越えて、時永は自分自身をそういうものだと心の奥深くで理解している。そう諦めている、定義づけている、思っているわけだ。


 その影響がゴーレムの破壊力を生み出した。

 【時永 誠】が関わる人間は、人間関係は、生き物は、触れた瞬間――全部壊れるのだと。


「……ハッ。だから、どうしたってんだ」


 知っている。


「――あいつが化け物なのは、最初から知ってんだろーが」


 そう、薄々気づいていたし、今は確信を持っていた。

 時永はなぜ、ノコノコやってきて自分たちの【記憶の蓋】をこじ開けたのか。なぜわざわざ姿を晒して、イヌカイを怒らせたのか。


 怒りをうまく感じ取れなくとも、ミコトの記憶から――自分たちに憎まれているのは理解できたはずだ。

 その胸ぐらを掴んだときだって、怒りのままに暴力を振るわれることは予想できたはずだ。逃げもせずこちらを見たその目に映るのは、得体の知れない「期待」の色。

 その時永が、イツキが自分に対して怒らなかったとき……なぜ驚いた顔をしたのか。


 思い出すのはいつだって罪悪感たっぷりな顔だ。基本は一人で思い詰めていたし、なんなら、奴隷として身を差し出すくらいの心構えだったに違いない。


 なぜならあの時永は、不器用ながら【こちら(イツキ/イヌカイ)】に感謝している。


 ――()()()()()()()、かつての本物だからだ。


 ミコトが知っている時永は40過ぎの中年だ。対してあの時永は――恐らく『かつて(13年前)()イヌカイ(犬飼 元)』とさほど歳の変わらない、20代。

 あの時永は疲れやすい。ストレスのせいか胃の不調を抱えている上、眠ればうなされている。ろくに寝ていない。


 そうだ。

 あの、超がつくほどお人好しなミコトがそんなことをするはずがない。


 ――あれが【自称:偽物】の時永? ハッ、バカをいいなさんな。

 あの子が最初から()()()()()に自分の父親を作るだなんて、考えるわけがない。


 あれは創られなかったが故のギャップだ。……体しか作成されず、精神面はありものを嵌め込んだだけの人形。

 たとえるなら「電池の入ったおもちゃの車」だった。電池は単体では動かない。車も単体では駆動しない。でも、中に嵌め込めば走り出す。

 記憶の中の時永が、過去の自分を指して他人事のように苦笑いする。



  ――『そのノーマル時永先生が、ちゃんと善人だったかは知りませんよ?』



 あいつも、俺たちと同じだ。――時永邸で在り方が変わった、最初の生き物。


「他人の気持ちが分からない。共感性がほとんどない。――そんな化け物だ。あいつは。今更語らなくたって分かりきった話さ」


 それでも。


「……ああ、()()()()()()()()だろうが。俺の記憶が、そうだったのを知っているお前なら」

「そうとも」


 ちぎれたような声がした。

 泣き叫ぶような音。一瞬、不自然にもテンポが崩れる。


「ああそうだ、()()()()()()さ! ……オレは、お前の記憶から生まれたニセモノの佐田秀彦だ!」


 光弾が止み、佐田の口が開く瞬間――イヌカイはその懐に飛び込んだ。




 ――――ピチュン。




「!?」

「……お前ねえー。さっきから聞いてるぶんには、『時永ってクソ野郎が、どれだけ自分勝手でエゴの塊か』ってのを言いたかったんだろうがな?」


 間伸びしたイヌカイの呆れ口調。

 その大きな手がこれ見よがしに掴んでいるのは、佐田の首元だった。


 佐田はふるえる指先で、どこに力を入れたらいいかも分からないまま――砲塔に備え付けられた光弾発射用のトリガーを握りしめる。……本来なら、目の前にまっすぐ向かってくるものを撃ち漏らすはずがなかった。


 みるみる近づき大きくなる「標的」に、たった一度の光弾を打ち込めば終わりだったはずなのに――佐田は今の瞬間、盛大に撃ち漏らした。


 動かなくなったからだ。

 腕が瞬間的にコントロールできなくなり、無理矢理に指を曲げれば、肘を引けば――激痛が走る。それでもどうにか指を曲げれば、明後日の方向に発射される光弾。


「……()()()()だあ? 今のは余裕だよ。残念だったな! 未練たらたらはお前の方だ。今の俺に時永の話なんざ、あいにく攻略のヒントにしかならねえよ!」


 本来――「イツキの担当から外れていた」らしい時永。そして同じく、「あのクラスの担当から本来、外れていた」らしいイヌカイ。

 ところが今ではどちらもイツキのクラスを受け持っているし、確かその改変は時永の一存で、一夜にして行われた。それを覚えているからこそ、イヌカイはこう結論付けた。――『外部の人間ならば可能』だと。


 思い込みと願いで世界を作ったミコトと同じく、時永もこの世界を改変できたしイツキも家族の顔や性格を無意識に再現している。自分の母親も寸分違わない代物だった。なら、意識的にこういうこともできるはずだ。


 ……佐田は片手を抑える。

 脂汗がたまのように噴き出るのが分かった。


「あ、が……っ」


  ――バキバキバキッ。

 その利き手だけが膨れ上がる。


 あのとき時永は「思い込みでどうにでもなる」と言っていて……かつ、ゴーレムの光弾が同じく思い込みで、馬鹿みたいな威力になっているというのであれば。


「なあ佐田くんよ。俺が知ってる中で一番痛いことを教えてやる。――()()()だ」


 ――それくらい、イヌカイでもできるということだ。


「……骨が、肉を突き破ろうとする痛みだし、皮が引き伸ばされるビリビリ感だ」


 話は単純明快だった。攻撃が止まなくて近づけないなら、中断せざるをえない出来事を作ってしまえばいい。体勢からトリガーは手元で引いているのは丸わかりだ。ならたとえば腕が痛いとか、動かないとか。そういう事象を引き起こせばいい。


 幸いというべきか――イヌカイ自身、痛みが強くて動くどころの騒ぎではなかった【あの感覚】を知っている。

 初めて変身した際の筋肉痛。

 一番強烈な【あの感覚】が佐田の利き腕に走っているのを想像すればいい。映像だろうが文章だろうが、関係ない。ただ強く、強く――想像すればいい。



  ――『有名な思考実験です。たとえば箱を閉じる毎、ランダムに毒ガスの弁が開閉する箱に猫を入れる。猫の生死は『箱をあける』まで、誰にも分からない。……そこに入った猫以外、誰にも』


 

 時永がこの世界の不自然を説明する際に口に出した、『シュレディンガーの猫』の例え話。

 ……そうだ、強く思い込んで、決めてしまえばいい。

 現実を判定するミコトが、【箱の中身】を見ていないうちに――イヌカイ自身が、現実を縫いとめてしまえばいいわけだ。


「グッ……」

「……全身じゃないだけ感謝しろ。俺の記憶が確かなら、数日はグルグル唸るのがやっとのはずだがな。ホラ撃ってみろよ、その腕で」


 ――割と酷いことをしているのは分かっている。分かっていて、それでもやる。

 やるのだ。行き止まりでもいい。高校の演劇部で先生を殴り飛ばしたあの時のように、さまざまなものをぶち抜いて――これ以上先の、明日を進むのだ。

 あのとき、自分の隙間を埋めた橘のために。

 走り続けた時永のために、前を向いたイツキのために、同情してくれたミコトのために、進み続けるだけなのだ。


「……犬、飼、これだけは……聞かせて、くれ」

「何だ」


 痛みを堪えるように佐田は利き手を抑え、こちらを向いた。

 ……その表情は苦しみ悶えつつ、どこか苦笑いしていた。ふらつく足――ばらばらとタコ型の砲塔から、紫の蜥蜴が散っていく。


「……お前、それでもオレが撃ったさっきのピチュン……当たってたらどうする気だった?」

「いちいちうるせえな。考えるまでもないだろうよ」


 崩れる砲塔。

 瞬く間に地面に蹲る佐田を見下ろし、イヌカイはさらりと口にした。


「……そんときゃそんときだ。お前をナメくさってた俺の負けだよ、タコ彦くん」

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