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6.遠くの星


 押し出すイメージで、大きく息を吐く。

 それでもその遠くから、足音がやってくる。

 ――地面を蹴る音が。

 どんな硬い材質さえも殴り割る、その大きな体が。

 ゴーレムの肌を斬りつけるような――鋭い蹴りの音が、やってくる。


退()け」


 ――低くうなる。

 ロビーから繋がる小さな部屋。

 つめたい室温。乾いた空気の充満する一室で。

 モニターを前に目を閉じたまま……佐田は大きく息を吐き切った。


「立ち去れ、帰れ――もう終わったんだ」


 ……お前の居場所はどこにもないぞ、犬飼。

 どうしても夢を見ないというのなら。

 全てを忘れて、見なかったことにしないというのなら。


「お前が、()()()()()()()()のなら」


 夢を見せる――自分も「夢」を見ながら、叶えながら。

 それでも『お芝居』を続けるのが、佐田の知っている「役者」の在り方だ。

 嘘だらけの世界で、偽物だらけの世界で。

 それでも、言葉だとか――その「心」だけを本物に昇華する。


「――楽しかったよ、()()()()()


 あの獣の足音に、負けてなるものか。佐田はふと下瞼を拭った。

 塩辛さ。辛さ。心の痛み。ああ、それでも進め。

 ここには、まだ、仲間が残っている。


「……犬飼、お前、消す気だろう」


 覚えている。――【犬飼 元】は確かにここにいたけれど。

 真面目に仕事をこなしはしたのだけれど。

 必要以上に、スタッフと馴れ合いはしなかった。

 キャストと戯れなかった。

 言葉を投げかけられれば答えはしても。勿論『感じが悪い』というわけではなかったのだけれど。それでも犬飼らしくはなかった。

 彼は騒ぐときは騒ぐ。思いっきりだ。――だからこそ分かった。あいつは。


「オレの仲間たちをまるで、醒めた後の夢みたいに」


 ……忘れてもいいもののように、扱った。


「…… ̄―― ̄――_――!!」


 ……怒りに任せ、横殴りに圧をかける。

 上から抑えつけ、後ろへ圧し返すように力を加える。

 体の中のエネルギーが、根こそぎ吸われるようなのが分かった。

 鉱石の、紫色の怪物に全部持っていかれそうになるのが分かった。

 気力も、プライドも、感情も――全て。


「……犬飼」


 ずっと昔、高校時代。劣等生だった自分に、数学を教えてくれたそれをふと思い出す。……逆に、他校のヤンキーに絡まれていた犬飼の目の前。チャラチャラしたカツアゲのリーダー格に不意打ちドロップキックを喰らわせたことも。そこから2人して全速力で逃げたことも。

 勿論、演劇部が空中分解した、あの監視カメラ前の事件も。


「――――なあ、犬飼、お前がその気なら」


 脅しだ。

 脅しで――そう、脅かしだ。


「……よう、上等だ。()()()()()()()


 ――今、自分がやっているのは、相当昔。

 幾度も「彼」が頭で考えたのと同じことだなと、酸欠に近いような状態で、ぼんやり佐田は思った。


 ――――今から13年は昔。

 コンクリート張りの部屋に押し込まれた大きな獣、『イヌカイさん』。


 ……時永邸に「ちいさな女の子」がいるのは、それはもう来た翌日から分かっていた。耳に刺さりそうな高音が聞こえる。喋り声――軽い足音。

 その子が毎日毎日、少しずつ重い足音になっていくのだ。

 父親に話しかけては無視をされている。かといえば都合のいい時だけ話しかけられている。話しかけられて、喜んでいる。


 それを壁越しに聞いていたら、【幼い頃の自分】をふと思い浮かべてしまうことに気づいた。


 ……物心ついた頃には兄貴にちょっかいを出して、すぐに怒られていたこと。逆に叩かれたりして大泣きしていたこと。

 あの頃は――小学校の時は、中学に上がったら。


 頭に浮かぶ幸せな過去に、音の聞こえるつど浸る「()」。

 そんなことをしてもどうしようもない。なのに感情の行き場がない。

 苛立つ。幾度も唸る。幾度も自身を傷つける。けれど不思議と傷の一つもつかなかった。おいそれと死ぬことのできない体になっていたのに、後から気がついた。


 ――おい。おい、()()


 錠前の向こう。廊下の向こう。

 嬉しい時は嬉しい。楽しい時は楽しい。かなしいときは大泣きを。

 そんな感情的な子供の声に、心の中でやつあたる。


 ――なあ。()()()()()()()()()()。なぜ、自分ばかりがこんな目に?


 楽しそうな声を聞くつど、頭によぎった苛立ちは今から思えば嫉妬だろう。

 それでも、壁越しに分かるほどその子は。



  ――『……。おとうさん、いそがしいんだから、しかたないね』



 ……気持ち悪いほど、聞き分けが良すぎた。

 父親から相手にもされないのに。見向きもされないのに。

 なんだかひどく優しくて、そのくせ、どこか壊れそうなほど脆くて。


 だからいつしか「彼」が、頭の中でその子の声に当たり散らすのは日課になっていた。ああいえばこういう、そんな文句しか言わなかった。

 それと同時にあまりの明るさに、強さに、吐き気をもよおすようになっていく。

 ……だって自分は、もう違う。外に出ることはかなわない。その子のように、自由にはなれない。


 ――ああ。ああ、そうともさ。


 彼は幾度も自嘲する。せせら笑う。


 ――知ってはいた。

 この高い声とは、住む世界が違いすぎる。

 俺はこのまま、誰にも姿を見せないまま死んでいくんだ。


 そう「彼」は思った。幾度も幾度も。


 そもそもその声の存在自体知っていても、その子の匂いは知っていても。「彼」自身がその子と相対したことはそれまで、一度もなかった。

 その姿を見せるのは、格差でしかないと思ったせいだ。――その人間に、未来ある女の子に。「未来のない化け物」の姿を晒すなど。


 ――きっと、惨めな気分になるだけだ、と。


 立ち上がって伸びをすれば頭をぶつける、3メートル近い毛むくじゃらのイヌは、圧迫感のある部屋の中で――外を駆け回る元気なそれを聞きながら幾度も毒づいた。


 ――さぞ自由なんでしょうね! こっちのことなんか何も見えていないんでしょうね!

 不自由なんて何一つないんでしょうね!


 その認識が間違いではあったのだと、すぐに気づいたのだが。



  ――『……イツキって友達いるんだ』


  ――『いるって。友達ぐらい』



 あの時も、そう。

 直前までその気は一切なかった。



  ――『で、どんな人? イツキみたいなの?』



 ……幾度も内心、毒づいた。

 お前は違う存在だと。


 なんで自分だけ。なんでイツキだけ。

 こんな【人間以下の存在】に成り下がってんだ、と。

 だから近寄ってきたら姿を見せず、脅かすつもりだった。

 けれどイツキは、気づくと――あの子を真正面から受け入れていた。



  ――『……えっとね、オレより説教臭くて顔怖いやつ……』


  ――『…………。――なあああんっ、だとコラァ!!』



 あのとき、渋々とはいえ姿を現した。

 ……まあ、結局はやけっぱちだったのだが。

 だって、一番『人間と話すこと』に抵抗を抱いていたイツキが……自分自身の意見をちっとも守らなかったので。

 『脅かして追い返す』――そう、2人で取り決めた『一般人向けのマニュアル』を、あいつが全く守りゃあしなかったので!


 結局彼は――そう、()()()()()()は。


 人間の姿かたちをした、その子の前に姿を見せるはめになったし。

 目を瞬いたあの子は、目の前の『異常に大きな二足歩行のイヌ』を――不思議だとも何も、まったく思わなかった。



  ――『……ねー、イヌカイさん』


  ――『何だ、お嬢さん』



 勿論、突然の登場に「びっくり」はしたようだったが、彼女はその化け物をちっとも怖がったりしなかった。それどころかこちらがびっくりするくらいに――ああ、とても【普通】に接してきた。


 勿論「人間の年上」に対するそれとは違うかもしれない。

 けれど、「動物に対する扱い」でもなかった。

 時永のように「下等生物」と侮るでもない。見下すでもない。

 その子はきっと【対等の何か】として、こちらに歩み寄ってきた……。



  ――『……イヌカイさんって、えっと』



 ……イツキの目の前。秋の空。

 初めて出会った、その次の日に。

 その子はあっけらかんと聞いてきた。



  ――『イヌカイさんって、お友達、いるの?』


  ――『……「おともだち」だー?』



 『生き物としての同種はいるのか?』という意味合いだということは、なんとなく「彼」もわかった。

 だがその言葉は少し拙くて、言葉選びが幼い。

 やろうと思えばいくらだって曲解できたし、誤魔化せたものだから。



  ――『……んなもん……いっぱいいるぞ。お前とイツキだ』



 そんなこと、その瞬間はかけらも思っていなかったのに。

 イツキはともかく、その「お嬢さん」には少しも心を開く気はなかったのに。ただ()()()()()のように口にした、それだけだったのに。

 けれどあの子は――ミコトは、目を丸くして、納得したようにごまかされた。



  ――『じゃあ、ちゃんと頑張る!』


  ――『ん?』


  ――『イヌカイさんが、イツキみたいな他のひとに、いっぱい自慢できるような!』



 ……ふわりとその子は笑って。

 毛だらけでぼこぼこの不恰好な、そんな手を握って――。



  ――『ステキなお友達になれるように、頑張ってみるね!』



 ……「人のために」というそれができる子だったと、その一言で思い至った。

 このみっともなく扱いづらい『毛むくじゃら』を、至極当たり前のように受け入れた一言だったし、それが()()()、どこか()()声色の正体だと不意に――ようやくストンとこの瞬間、納得してしまった。


 ……別に、彼女に劣等感を感じる必要は、最初からなかったのだ。

 この子はその生き物が、もともとなんであったかを知らなくて。

 恐らく今は、興味もなくて。

 ……さらにいえばこの子は、たぶん「お友達」の外見などどうでもよくて。

 結局、中の器に何が入ってるか――そのほうが重要なのだろう。



  ――『……っはは、なんだそりゃ」



 別にこの姿だろうが――元々のそれだろうが、この子の接し方はきっと変わらない。今更恥じる必要はないし、逆に誇る必要も見当たらないけれど――結局、自分自身のことを一番見下していたのは、この子でなく自分自身だったのだ。



  ――『……それな、()()()。これと言って頑張るものじゃねえんだわ』


  ――『そうなの?』


  ――『そうだ』



 わしゃわしゃとその頭を撫でた、はじめての感触。

 ……心の中で固まっていた何かがそっと融けた。


 ようやく自分を立て直した、その瞬間の記憶。


 ……そう。

 そこまで追い詰められて。

 あらためて前を向けるのが【犬飼 元】だ。



「―― ̄ ̄―― ̄――_――!!」



 ――濁流のように流れ込む「記憶」から目をあげた佐田は、それに負けじと声を張り上げた。

 ゴーレムの視界の向こうにその姿が躍り出る。()()()だ。なのに身体の重さなどものともしない。こちらが口を開くつど、それはペシャンと地面に押し付けられたのだけど――それでも捻り出すような唸り声をあげて立ち上がる。


 ああまったく変わらない。

 グレイブフィールと対峙したときと全くだ。

 一見人の姿をしているのに、まるで怪獣が熱でも吐きながら突進してくるような。


 勝てない。


 勝てない。


 ――絶ッ対、勝てない。


 頭の中で、ていのいい弱音が幾度も閃く。

 圧が違いすぎる。自分には何かが足りない。

 経験値だとか、覚悟の時間だとか、ああ色々足りない。

 知っている犬飼とは色々違いすぎる。


 ――ああ、それでも。


退()けない、オレは、退けない……!」


 たとえ、この世界が偽物であろうとも。――オレには、退けない理由がある。


「あの子に、次やりたいって、言われてんだ――――!!」


 ゴーレムの鉱石の手足が、重く――薙ぎはらうように『イヌカイさん』の行く手を阻む。それでもまるで大縄跳びだ。跳ねる、屈む、砕く、捻る。こちらも同様に投げ飛ばす。弾き飛ばす。ヒビが入る。それでも。それでもそれでもそれでも。


「!! ッ……」


 ――瞬間。佐田は急ブレーキをかけた。『目の前のそれ』が目に入ってしまう。


「な、に……?」


 ゴーレムを動かしている佐田のいる部屋は、先ほどまでイヌカイたちも滞在していた建物内――『コンサートホール・パルテノ』のセキュリティセンターだ。

 本来なら警備員がモニタリングしているはずのそこを強襲し、警備員を昏倒させることで占拠した佐田は――高校時代のあの時と同じ、監視カメラに映る幾つかの画角を目の前に広げたまま、目を閉じていた。


 ……割り切りのいい谷川と違い、佐田はリアリストだ。

 特撮怪獣のノリで街の破壊活動を楽しむような、ある種の肝っ玉はない。

 できれば街を壊すのは最小限にとどめたかった。

 谷川の空を飛ぶそれより強力な「叫び声」を持つ代わり、動きの重たい自分のゴーレムにはどうしても、物理的な弱点がある。


 ――後ろを向くにしろ、素早くは振り向けない。

 ――機敏な動きは難しい。

 ――つまり、死角がある。


 だからこそ、ふいに高校時代のそれを思い出した。

 当時の部長を追い詰めるのに使った道具――自分自身がその場で目撃できなくても、映像を記録してくれる、映し出してくれるありがたいデジタル機器。


 そう、何らかのトラブルの際にはバックミラー代わりに監視モニターを使うことを思いついた。――だからこそ、ここでゴーレムの視覚に集中していたのだが。


「――――佐田っ!」


 耳を揺らすイヌカイの唸るような叫びと一緒に、ゴーレムの頭がすっ飛んだ。……一瞬の思考停止。致命的な隙。空白の最中にすっとばされた強烈な『後ろ足』のキック。


 それでも佐田は、目の前の【監視カメラ】のモニターから目を離すことができなかった。今見ているのはゴーレムの視界ではない。

 自らの操る蜥蜴ゴーレムの視覚、触覚――あの紫の蜥蜴ゴーレムを中心にドーム状に拡がった重力圏。そんなものより。


「――あ!? 待てコラ、まだ終わって――」


 頭の中の【接続】をブチ切った瞬間。ゴーレムが宙に溶け出し、霧散するのが分かった。けれど足を止められない。佐田は転がるように部屋を飛び出した。

 ……監視カメラ、レンズの向こう。イヌカイのキックが炸裂する直前、目をふと開けた瞬間。

 カメラの前に――――あの子がいた。


「――リコちゃん!!」


 あの子が今、話しかけられていたのは。それから指差し確認をするように、カメラを見つけ――意味ありげな目線をこちらに向けたのは。


「……っ、()()()()()……!」




   *   *   *   *




 ……別にノーマークだったわけではない。

 ただ、おおよそ――普段のイツキがやりようにない行動・挙動だったのは事実だ。


「くそっ!」


 ……ゴーレムが『パルテノ』の上に陣取っていたのは、佐田にとって「優先順位の高い」人間がそこにいたからだ。


 守らなければならない象徴が。自分の居場所が、そこにあったからだ。

 ここ数ヶ月、稽古場として通い詰めたすり鉢状の舞台も。観客席も。控え室や緞帳裏や、マイク前も。全てがその屋根の下にあって。


「……どこ、いきやがった……」


 イツキという人間――否、あの【生き物】はそれを分かってこちらに目配せしたのだろう。要は人質だ。恐らくあの少年は「色の違うゴーレム」の後ろに、人の意思がちらつくことにようやく気づいたに違いない。


 そしてゴーレムが明らかに守っていたのは、ここの建物――とくれば、あとはトントン拍子だ。少なくとも先ほどまで見ていた舞台演劇の関係者の中に、「ゴーレムの中の人」がいるかもしれないという発想には至る。


 なら、()()()()を刺激すればいい。

 『ここに自分は潜り込んでいるぞ!』と大事な仲間の近くで、堂々とアピールしてしまえば、少なくとも動きは鈍る。

 本隊であるイヌカイへは、集中できなくなる。


「犬飼、お前もそうだけど、考えるね……高校生って」


 佐田は息を切らし、イツキとリコを目撃したロビーにつながる廊下の上で立ち止まった。……わざわざ出演者、それも主役の彼女に声をかけた理由。そして、カメラを指差し目線をよこしたわけ。


「――まあ、君らしくねーわけだが、イツキくん」


 流入する『犬飼 元』の記憶。

 それをいくつか盗み見ている佐田には、『イツキ』という人間がどういうものかがはっきりと分かっている。

 当人と話したことは――正直、あのラーメン屋での【黒歴史暴露大会】以外、はっきりいってかなり少ないのだが。

 それでも「真面目くさった面白みのない高校生」というのが、正直な感想だった。……ああ、貶しているようだが、これでもかなり誉めている。


 要するにイツキは『いい子』なのだ。同年代の頃の犬飼みたく捻くれていないし、挨拶代わりに他人をからかったりもしない。気に入らない何かを煽ったり、リアクション目当てにイタズラや悪さをしようと思わない。

 素直に、正直に――自分の認めた()()に敬意を持って、その人ならやるであろうことを全力でコピーする。


「! まさか――」


 コピー。……犬飼がもし……イツキと同じくらいの身軽さだったら。

 シュッ、と聴きなれない音がして上を見た瞬間。


「――ていっ!」

「どわっ」


 思わず佐田はドサッと床に叩きつけられる。……肩から背中にかけての強烈なしびれ。照明からつるでぶら下がっていたらしい、イツキが思いっきり頭上から落っこちてきた。


「ど、どこから入ったっ」

「――正々堂々、裏口から!」


 息を切らし、佐田に馬乗りになりながらイツキは言う。


「……正面玄関前だと、動くことも出来なかった。けど、裏口からなら少しマシだったからっ」

「!」


 つるに拘束されかかった佐田はスルリと身を捩り、イツキに向かって肘鉄をぶつける。

 突然の反抗に驚いたイツキは一瞬手を緩めてしまい……


「だっ!」


 その隙にナイフを取り出した佐田はつるを切り裂いた。


「っ!?」


 対峙したイツキは、ふと思う。

 ……ああ、()()()()()()()()だ。



  ――『植苗くん。ここに来る前、殺し屋に襲われたことがあるでしょう?』



 数日前、帰り際。

 軽い調子で時永に言われた一言を思い出す。



  ――『幸い、君はつるだけなら替えがきく。いくら千切れてもすぐ元通りだ。用心するに越したことはないけれど……それでも僕みたいに丸腰より、よっぽどやりようはあるはずだ……』



 イツキは即座に防御――つるをありったけ伸ばして平たくし、目の前にシールド状に展開。無論一時しのぎだ。一層、二層、三層が破られ――息を整えたイツキは「引く」のではなく「押した」。


 ……逃げるのではなく、攻める。



  ――『クロノスなんて結局、何送り込んでくるか分かったもんじゃないからね。……次、ああいう妙なのに絡まれたときのために、色々考えてみるといい』



 ……色々、考えてみた結果だ。



  ――『別に犬飼先生みたいに思い切りよく飛び込めっていうんじゃないさ。よく準備して、()()()()()()()()()()()()()()()()()()!』



 ……つまり、足を前へ。


「! 正気かよ――」

「そうだねっ」


 刃物を持った大人の男は、ライトノベルの主人公でない限り、まあ怖い。小柄なイツキからしたら尚更だ。だが。


「――でも、それは威嚇と同じだ!」


 外にいるゴーレムとまるっきり同じだった。「近づくな」と主張しているに過ぎない。あのゴーレムが建物に覆い被さっていたのは、握りこんでいたのは……「ここにくるな」と言っているのと同じだった。


「オレだって切られるのは怖い。でもオレ、少しだけ見えるんだ。聞こえるんだ」


 イヌカイのように聴音域がどうという話ではない。

 ただ、イツキは『耳』が人より多いだけ。


「イヌカイほどじゃないけど――佐田さんの鼓動が、息づかいが、つるの先から聞こえてくる!」


 植物は音を聞く生き物だ。「聞いた」と主張をしないものだから、誰も気づかないのだけれど。

 光は当然感じる。だから草も木も、光の方に伸びようとする。――それと同様、音を感じる。葉をちぎられる音がすれば、体内に毒素を発生させたり。渋みを出したり。


「ミコト相手には躊躇(ちゅうちょ)がない、けどオレ相手には迷ってる。頼りない息だ。力強さのない、早い、優しい鼓動だ。ならつけ込むよ、オレはあの人の生徒だ!」


 ――イヌカイならやる。彼ならやるし、なんなら時永だってやる。

 どちらも人の弱みには目ざとい人間だ。それを生かすか踏み躙るか無視するか。それだけの話だ。


「知っての通り――イヌカイならこういうとき、絶対引かないでしょ!」


 佐田がなぜ、そこまで及び腰なのかはイツキには分からない。けれど、もう少しで何かが掴めそうな気はした。だって――こちらを見て痛そうな顔をするその目は。怒りに満ちたその口は。


 ……よく、似ている。


「ちょこまかと!」

「お互いに!」


 今の一瞬で幾度も攻防があった。自分が裂かれるのが先か、叩き切られたものが生え直すのが先か。刃を飲み込むのが先か、刃が届くのが先か――。


「――イツキ!!」


 自分の名前を聞いた瞬間、イツキは無意識に大きく足を踏み込んだことを自覚する。

 ……最後はつるの方が少し速かった。佐田の顔面を太いつるの先がグーパンチで殴りつけたその時、外から辿り着いたイヌカイが廊下の先から飛び込む。


「よお、()()()()。……一応聞くぞ」


 ――太いつるに思いっきり殴られ、鼻血を出した佐田の前。

 イツキに届こうとした、刃渡り10センチのアウトドアナイフ。


「――――うちの相棒に、何してくれてんだ?」


 それを、素手で掴み――握力のみで粉砕した世界の敵(イヌカイさん)がいた。この理想世界で、人に戻ることをやめた狼。自分が人外であることを忘れ損なった、()()()()()()


「……やべえコブシしてんな、狼さん」

「……ああ、お前の敵だからな、一人地球防衛軍」

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