1.雪の一生
「……何だ2人とも」
――聖山学園、高等部校舎。
冷えてきた廊下の空気を感じつつ、イヌカイは早々、大きなため息をついた。
「既に客かよ。チケット売りつけようと思ったのに」
イヌカイは舞台のあれそれ。イツキはすっかり頭からすっ飛んでいた文化祭のアレコレに、時永は小テストの作り置き(+双方への様子見 兼 野次馬)――気づけばもうミコトの世界は12月あたまだ。
紅葉も終わりかけだし、空気はカラカラ。教室に一歩入れば空気清浄機の加湿機能がフル回転している。
「照明さんでしょう。スタッフさんもノルマあるんです? 舞台俳優さんなんかは苦労話聞きますけど」
時永が呟く。――手には授業用のバインダー。午前中にある15分休憩でのちょっとしたやりとりだ。
ちなみに今のところ発言はないが、時永の後ろでイツキがペットボトルのホットココアをちびちび飲んでいる。
――劣等生のイツキくん? お前、課題の用意できてんの?
そうそれとなくイヌカイが睨めば、「ん!」とイツキは教室の中を指差した。机の上には筆箱を文鎮がわりにプリントがのっかっている。
……ああよかった、安心した。
ちゃんと次の心理学を忘れていないらしい。
「あー……何枚とまでは指定なしなんだが。あいつらの場合はキャストもスタッフも、身内に売ったもん勝ちなんだと。そのぶん報酬が上乗せされんの」
「なるほど」
時永の問いに答えつつ、イヌカイは窓辺にどかりと肘をつく。
「まーだから、お前らも谷川先輩か俺にいえばぶっちゃけ、1枚に限らず何枚でも貰えっぞ! はははッ、あのテキトー美魔女ならもしかすると突然問答無用で複数枚送ってきて、“ご家族でどうぞ。金おくれ☆”なんてガメツイ一言かますかもな!」
「えッげつな! 押売り業者じゃないですか!」
――こいつ、素が出てきたな今更……?
ノータイムで反応した時永をイヌカイは一瞬ジトっと見返す。
「……なんですかその反応」
「別にィ」
「でもその戦法、あったら困るなぁ」
イツキがココアを「ふーふー」しながら苦笑する。
「うちのとか、大人しく座ってられるかがまず怪しいし……」
「ああ、妹さん?」
「ええ」
頷いたイツキは手を挙げると、グイッと肩より下に下ろした。
……どうも妹の身長らしい。
「授業参観行った母さん曰く、上半身は大人しくても常に机の下で足が動いてるみたいで」
「おう、スペースの確保された学習机でよかったな」
イヌカイは手をひらひらさせた。
「立派な多動性だ。それから劇場には絶対連れてくんな。ノーキッキングだコラ!」
「映画館並みの華麗な入場拒否ですね、犬飼先生……」
「ハハハ、最悪連れてくる羽目になったら一番前の席でお願いしたいところだよ犬飼先生……融通きくかな……」
ぼそりというイツキにイヌカイはため息をついた。
「……お前のことだから実際、何かしら言い返すと思ってからかったんだが?」
「いや、冗談じゃなく『落ち着きのかけらもない』感じの実物見てると、ちょっとガチで不安というか。……オレの記憶の再現ではあるんだろうけど、あれ見てると本物の妹、今頃どう育ってんのってすんごい気になるんだけど」
苦笑いしつつ、一向にさめないココアを見――イツキはため息をついた。時間内に飲み干すのを諦めたらしい。
「というか時永先生って、普段劇場とか行くんです? オレ、まったく馴染みがないんですけど」
「ああ、ここの僕自身はいかないけど、ほら……」
ボトルの口を閉めているイツキに、時永は首をすくめた。
「クソい僕がテレビだけ芸能事務所にマネジメントを委託してただろ」
「クソいってどんな形容詞だよ」
イヌカイは突っ込んだ。――毎度思うが、己に対しての言い草よ。
「僕の担当マネージャーさんが、売れない芸人さんや役者さんのそれをていよく押し付けられててね。『時永先生もどうですか』と余り物のそれを握らされてた記憶がクロノス側に」
「あー……」
イヌカイはげんなりした様子で呟いた。
――『他人の記憶のプールに片足ずつ突っ込んでべっちゃべちゃ』になってる状態なんだっけか。お前の脳内……。
「まあよっぽど楽しいことに飢えてたんでしょうね。あのクッソいの」
「だからお前ね!?」
「あの性格で心底楽しそうにしてるのって想像つきます? つかないでしょうが意外と好きなんですよあれ」
舞台演劇とか、コントとか。
……そうつらつらと言い出す時永に、イヌカイは心底意外そうな視線を向けた。
「――てっきり、行くだけ行って座席で寝てんじゃねえかと」
「つまらなかったら勿論、容赦なく」
イヌカイは内心ガッツポーズをとった。――でっすよねえ!?
「ガチでよかった……! そんなん観劇好きとはぜってー認めねえや! 俺と興味やら趣味の方向性が被ることなんて、少しもなかったわ!」
「そりゃあそうだ、アレとお揃いは嫌でしょう。分かりますとも、僕も嫌だ!」
「顔面含めてお揃いレベルじゃねえ眼鏡が何か言ってんだが!?」
イツキは苦笑する。
「……まあその分、面白かったらちゃんと『面白かった』って口には出してたみたいだけど」
「ああ、まあね」
時永は思わず呆れ半分で返す。
――そういえばこの植苗くん、元々、強烈なクソ眼鏡ファンだった……。
「その――確かに、あの僕は性格上【現実世界】に楽しみは見出せないくせに、虚構なら何でもいい節があったというか……だからこそ虚構相手には大真面目だったというか」
「何だそれ、存在自体が現実逃避みてえな言い方してんな……」
「そう! だからさイヌカイ!」
イツキは吐きそうな顔でのたまった。
「あれは誰かを見下すだけじゃなく、ちゃんと『好きなものは好き』だってそれとなく言うタレントだったんだ。創作物に関しては! だから言うことやること、一応深く見えるんだよ。――まあ性格、超アレだけど……」
「うんそうとも犬飼先生、超アホだけど!」
「アホって」
イヌカイは頭を抱えた。
――クソ眼鏡の味方してるのかしてないのか、どっちなんだお前ら……。
「とりあえず、あの僕からしてみると『面白いこと』を探す時間ではあったみたいですね。仕事後の舞台観劇とか映画鑑賞は」
「だからミコトほぼ放置だったのかよ」
そういえばいろいろ思い出した。
……ミコトは人の言うことをよく聞くいい子だが、逆にいえば監督役がいないとフリーダムになる。
あの馬越が時折、体調を崩して休んだりした日には当然夜中になろうと放置だったわけで――夜になろうが朝になろうが眠気のすっとんだハイテンションでイツキのところに転がり込んでくるのがミコトだった。
……よく考えないでもドームの扉が一晩中ドッタンバッタンうるさかったのは、完全に寂しがり屋スイッチが作動している。あれはひどかった。
「……あのな時永先生……人間関係のバランスを見ろ。断れマジで。かえりみろ家庭」
「ああ、同意見です。同記録を頭の中で再生するつど、同じことを毎秒20回は心の中で繰り返してまして僕も」
「いやお前自身にも言いたいんだが」
「え、僕、何かミコトにしました……?」
ガン! と窓枠に頭をぶつける。
目が点になる時永にイヌカイは顔を覆った。
「イヌカイ、気持ちは分かる……超分かる……この人ド鈍感……!」
「ええええ! 僕もしかして何か見落としてます!?」
「見落とすってレベルではないものを見落としているので、生まれたときからやり直すことを推奨するよお前!! あれ以上分かりやすいもんないだろうが!」
――これだ。ああ、ミコトのズル休み事件で見直したと思ったらこれだ。
どういっていいか分からなくなったイヌカイは、思わず喉をウーウー言わせた。
――いいから、時々廊下ですれ違うミコトの迷子みたいな顔を見てみるといい。
あれはべたべたする相手がいなくなった未就学児みたいな目をしている。
っつか、恐らくだけどマジでバランス悪いんだよ!
前よりははるかによくなったけどスキンシップの仕方見直せ頼むから!
「植苗くん、犬飼先生がグルグル言いながら頭突きで窓枠を破壊してるんだけど……」
「錯乱してるだけですよたぶん。時永先生のお花畑な頭に」
「……ヘイオッケー植苗くん。頭がお花畑とは」
「オレでネット検索しようとしないでください!?」
――お前の自称した【理想のお父さん】が出来てないからあれ!! いいか時永! 俺こんなワンコ的な音ださないからな普段!? それだけもう言葉が見つからないんだからな俺!?
「も、もういいわ……結局いつものことだから……」
「いつものことなんですか僕」
「ってか……あー、お前らの方二人で平気なの、最近の帰り道?」
――まあ、時永からしたら……丸腰に近いイツキをほっとけないのも、少しは分かるのだが。
「……勿論、それなりにやってるよ、イヌカイ」
「いやホント最近、犬飼先生がいない環境への適応っぷりがすごいんですからね、植苗くん! たまに僕を先に帰して自主練しようとしてたりとか」
「じ、自主練……」
イツキがスッと笑って親指を立てた。
瞬間、即座に理解する。
……お、お、お前――――っ!!!!
「というわけで褒めてあげてくれると嬉しいですね、頑張り屋の植苗くんを!」
「……褒めるってレベルじゃないだろうよ、何これ……」
自覚のない時永はともかく。イツキが焦って「お荷物状態」から脱却しようとするのまでは予想できたが――まさか焦ることなく「放って置かれがち」なミコトのために、こんな器用な立ち回り方するとは思わなかった。
――ああ、だからだ。
イヌカイは大きく息をついた。――ミコトの様子が、前より落ち着いている。不安げな顔こそしているが、あれ以来時永と一緒にいても、研究室に飛び込んでこなくなった。遠巻きに様子を覗いたりもしてこない。
それはイツキが時折、時永をミコトに返却しているからだ。
「いやあー、時永先生のフォローがヤバいんですー。何あれ本当に人間―?」
誰かさんみたく、へらへら笑って返すイツキ。
そう――勿論ゴーレムは発生するだろうし、時永のいない間、それから逃げ回ったりもするのだろうが。
そして一人で逃げ回るそれを、『自主練』と称しているのだろうが。
それを泣き言も言わず、誰に誇るでもなく――説明するでもなく。
そのらしくないポーカーフェイスに、イヌカイはふと思う。
――イツキ、お前意外と、成長してんのな。
* * * *
さて、イツキたちの奮戦はともかくだ。
あれからイヌカイは何とか内容を全て覚え込み、何度もテストを重ね……ゲネプロを終え、舞台はようやくの初日を迎えた。
『――セッカ、雪の一生って考えたことある?』
『――え?』
『――結晶じゃないわよ、イッショウ』
遠くから聞こえる佐田の台詞。それは、直前になって佐田が変えたものだ。
* * * *
「……あれぇー、読んでて思うことがあってぇー。勿論嫌だったら諦めるんすけどぉー……」
電話口の【ネチネチッ☆】としたやりとりを、イヌカイは数日前の稽古帰りに偶然耳にして立ち止まった。
まあ、本当にやりとりだ。
交渉といえるほど、長いものではないのだが。
「――アルコール度数がスピリタスの勢いでトナカイの大冒険を書いた大先生、なんだって?」
……電話が終わるのを待ち、会話内容から察するに「台詞の変更」だったらしいと見当をつけたイヌカイは口を開く。
実の弟からすれば、脚本を書いたのはプロのシナリオライターでも何でもない、自由気ままな同人作家くずれだが――それでもちゃんと話を通すのが佐田の流儀ではあった。
「んー、フツーに変えていいってよ。『好きなようにやれ』ってさ」
「いかにも言いそうだな。あいつ、後輩に対しては優しいし」
「お前ぇー、まだカズナミ先輩と仲悪いのかよー?」
からからと笑われ、イヌカイは言う。
「……後輩と弟じゃ、昔から扱いがだいぶ違うんだよ」
「そーなん?」
「そーさ。……特別仲が悪いってわけじゃないが、兄貴とは何となく距離とってんだ。だいたい、ツンケンしてきたのは向こうが先だしな!」
未だに、思う。
……不器用な性格の兄にとって、この弟は後からトコトコやってきては【注目】の全てを掻っ攫っていく可愛げのない何かだったに違いない。
少なくとも、劣等感のようなものをかきたてる何かだっただろう。
子供の頃なんて、案外そんなものだ。
「雑学を知っている」より「体育ができる」方がカッコよく見えるし、「目にみえて絵が描ける」より、「目にみえて勉強してる」方が褒められる。
空想の力だったり、発想力の方が本当は激レアだ。
それを自力でうまく表現する力がついていれば、それこそ、どこでだってやっていける。
ただそれらは一見『とるに足らないもの』として埋もれてしまいがちだった。
気をつけて観察してくれる大人がいなければ、世間一般から浮いていること、変わったこととしかうわべには映らない。
一風変わったことなんて、それこそ子供は皆一度はやってみるものだ。
だから、弟ばかりが注目されるという現象が起きた。
――子供は皆、確かにらくがきをするし空想をする。
けれど幼い弟は、自分に「形を捉える」才能がないと気づいた。
だから、兄の真似をして絵を描くのをやめた。
ひとに教えてもらったり、その真似事はすぐにできたとして。いざそれを誰かに教え込んだり、順序立ててストーリー仕立てに伝えようと思ったところで――思うようにいかないのに気づいた。
話の構築が「うまくない」。
だから、兄の真似をして文字を書くのをやめた。
兄の方がそれに関してはずいぶん、スムーズだった。
それを素直に尊敬し褒めたところで、口に出したところで、兄はそれをまっすぐに受け取ることはなかった。
「哀れみはいらない、羨ましいなんて嘘っぱちだ。体育もテストも教えられればそこそこにできて、褒められる文武両道の弟。それが、そこに追いつけない兄を羨ましがるものか」と。
……空想も想像も想定も、それなりに好きなのが幼い頃のイヌカイだった。
人の作った物語は喜んで鑑賞するし、思った感想は口に出す。
けれど、オリジナルのものはさっぱり展開すらうまく説明できなかった。よくて付け足しの、いわゆる『二次創作』で終わった弟からすれば――やっぱり、どちらかというと、兄の才能の方が羨ましかった。
無い物ねだりの男兄弟は、そうして結局ギクシャクしたまま疎遠になったのだな。
そう未だ、他人事のように思い返すことがある。
……こうして「記憶からできた偽りの世界」であったとしても、顔を合わせるのをためらうほどに。
「……まあ、次に機会があれば言っといてくれ。『自伝漫画で弟の存在をナチュラルにツンデレ美少女に置き換えるのやめろ、キモい』」
「兄のハンドルネーム特定してるほうがキモいんだけど弟さん。ってか、自分で言いなされ自分で」
タバコをくわえながら佐田はおちゃらけた口調で言った。
「犬飼のことだし、何気に生存確認がてら、お兄ちゃんの書いた同人誌の試し読みとかもパラパラやってんだろー?」
「……9割がたついてけないがな。いいか、コミケでだぞ? 消しゴムと鉛筆の無機物BLを描く中年男性についていけるほうがおかしいんだ」
はっ、と佐田は苦笑い気味にこぼした。
「――一応喧嘩もしといたほうがいいんじゃないの、今のうちに」
ひくりとイヌカイの目が動く。
佐田もチラリとイヌカイをみた。
気まずい沈黙。それをどう誤魔化そうかと暫し考え――一瞬、ポケットのタバコに手を伸ばす。が、渡したところで好む性格でもない。
「……うりゃ」
結局「ほい」とポケットで溶けかかった喉飴を差し出してくる佐田にイヌカイは「要らねーよ」と押し返す。
「いやあ、マジで! ――喧嘩くらい、しとけってーの。だーって人生何があるかだろ?」
「まあ、違い、ないんだ、が!」
喉飴攻防戦だ。――取っ組み合いレベルにはならないが、すばしっこい佐田がポケットにねじ込んでこようとする喉飴を、いかにイヌカイがかわすか。阻止するか。そんないたちごっこ。
「いつまでそーいうふざけたこと話せるか、わかったもんじゃねーんだから、な!」
「あいにく、よっ、そういうのは骨身に沁みてんだわッ」
「ほお、そっか!」
喋りつつひらりと半身で左右に避けたり、後ろに回り込んだり。くるっと回転したり。
そんなしょうもないやりとり。
「まあ、何があっても、だ。……結局、一人の時くらいしか、さ――己の成り立ちとか、振り返らねえことにしてんだ。弱く見える!」
「っ!」
苦笑しながらいうイヌカイに、喉飴をぐいぐいしていた佐田はピタリと動きを止めた。
「……【成り立ち】?」
「まー何しようが、結局、選んだのは俺自身だからな。どんなルートだって」
ヘラヘラ笑いながら、そんなことをのたまうイヌカイ。
……佐田は舌打ちをしながら、口をもごりと開きかけた。
「なあ」
「うん?」
選んだのは、俺自身。
そう、イヌカイは言った。
――ならだよ、犬飼。
あの時、『気の合わない眼鏡に声をかけた』のも?
「……えー、オレの台詞、どう思う?」
佐田は直前に言い直す。ふと脳裏によぎる暗がりの獣。コンクリ張りの部屋の隅で、身体の痛みに震えている毛だらけのそれ――「昔馴染みの佐田」がその狼の姿を知っているのはおかしい。
話題に出すのもだ。だから……。
「あ? 台詞?」
「いやあ、さっきの電話口でのやりとりの話だよ、ポチカイくんや。……納得できない台詞があったから変えた。それを、怒りゃしないだろうから事後報告で許可も取った」
「あー、で、結局どこ変えたんだ。途中からしか聞いてねえんだわ俺」
そうおちゃらけた調子で言うイヌカイをついっと流し見て、佐田はプカリと煙を吐いた。
「……サンタの代わり、子供にプレゼントを届けようとするのは複数のトナカイだ」
「おう」
「サンタの隣にいつもいる動物だ。やることは知っている、慣れている。それでも脱落していく仲間たち。クライマックス直前、オレの役柄であるオカマのセッペンは、トナカイ仲間の一人である主人公にこう語りかける」
――『思えば、あんたとまともに話したことあったっけ。いや、今更何もいうことないんだけどさ』
「……何もない、だと心を開いてないように見える」
「まあな」
「なんか、それが嫌だった」
演劇部の頃を知るイヌカイなら、知っているはずだ。
通常、ふざけた状態が多いのは――この佐田秀彦なりの鎧の一種だと。
繊細な努力家、中身は真面目。
なのにそれを感じさせないほど明るくふるまう、おちゃらけた軽い性格。お調子者のピエロ。
「主人公のセッカちゃんとオカマのセッペン。2人しか残ってないワケじゃんよ、このシーン」
へらり。少し硬かった表情がくずれる。
――そう。佐田はゆるりと表情を変えた。
【役柄】の話はもうしていない。これはただの分かりづらい愚痴だった。
「たった2人だ。そりゃそうさ! ――カッコつける必要性も結局なくなるし、強がることもない。そんな余裕も、途中からなくなった」
――お前だって、あの頃はそうだったんだろ。
【あの頃の獣】に、佐田は大きく息を吐く。
――木の形をした男子高校生に寄り添い続けて。
自分に懐いてすがり付いてくる、女の子の声に耳をすまして。
結局お前は『誰かのために』と頑張ってしまった。
「……カッコつける余裕がもうないように見える」
――お前はもう、頑張ったんだよ。
「だからこそ、本音が見える、出しちゃう方がいい。掘り下げってやつだ」
――なあ、そろそろだぜ、イヌカイさん。つらかったことなんて忘れようじゃないか。
本当はお前、あの眼鏡に関係なかったんだよ。
「こういう時こそ、人としての弱みだったり……表に出てる人間性のその下、根っこの部分だったりさ。そういうものがチラリと見える。そっちの方が自然なんじゃないかと」
「なるほど」
「オレが演じるセッペンくんは、『カッコつけ屋』なんだ。オレと同じで明るく振る舞うけれど、周りが思うほど強くない」
――そういう生き物の方が人間的だろ?
佐田は口を開かずに呟いた。
―― お前が好きな物語だって、結局そういうもんじゃないか。
姿かたちが変わっても、なんだかんだで忘れても、いつかは元の自分を思い出す。
なあそうだろ、映画好きの犬飼くん。
創る側にも回れない。描く側にも回れない。演る側よりは観客側が性に合っている。
……そうさ。
「ああ……勿論作品中、大体のキャラクターはドラマがない」
――お前の本性は、こっちだろ?
壇上に上がるわけではない。中心人物でもなければ、特別でもない。
モブよりモブの、その他大勢だ。
「いや、ないというよりはアレか、観客の一人一人が頭の中でそれぞれに二次創作してくれりゃあオッケーだ。その他大勢的な扱いで……」
――だから、お前はこちらに来い。
諦めてしまえ。もしくは忘れてしまうのだ。
君が守ってきた、全てのものを。
そうしてゆるりと、佐田はまた舞台上の話に戻る。掛詞というのは案外そういうものだ。この世界が破綻しないために、どうとでも取れる間を作る。
『縛られるのをやめてしまえ』、『楽になれ』。
そう言いたいが為の言葉遊びと言葉の綾。
そうしてシナリオに組み込む起爆剤を、佐田は幾度も見てきたし、演じてきた。
【佐田秀彦を創り出したごく普通の人外】に、言いたいことはきっとそれだけだった。
……いかに分かりづらくても、それは必要な、大事な吐露。
あとで嗤えと不意に思う。
……あの時、何を思ってこんなことを言ったのか。それを不意に理解してくれるのがこの男だと佐田は知っている。
「この世界のトナカイに、特筆すべき過去はない」
――この国の人間と同じだ。なあイヌカイ。お前もそうなればいいのに。
そうすれば、お前にこうして気を使うこともなくなるだろう?
「作中、キャラクター性や個性はあれど。結局のところ普通な奴らから脱落していった。そっちの方が幸せだよ。サンタという創造主に雪から創られて、素直な奴等から消えていった。使命のためにと身を投げ出してね。そりゃあいい。己が生まれたことを当然と受け止めている。でもまあ――オレの役柄は、たぶん、ダメだったわけだ」
佐田は首をすくめた。
「よく考えてみろっての――こいつら、基本的に喋るトナカイだぞ。それもサンタの魔法で本来消えるはずだった雪から生まれた。そんな設定付だ。そのくせオレの役柄のトナカイだけ、様子がおかしく見える」
「まあオカマだしな」
イヌカイは苦笑いしながら返してくる。
「そーね↑、オカマなのよ☆ ――まあオレの渾身のオカマは常に様子がおかしいんだけど」
「自覚あったのかよ」
佐田は煙を吐きながらつられて笑う。
「いや、オカマ口調になった背景どうなのよと思って」
「……あー」
「一人だけ浮いてるのには理由があるだろ」
そう、理由がある。『オレ』のように浮くには理由が必要だ。
だから――ここから先は、そう。
「電話では、そこをぶつけたんだ。……こういうのはどっすかカズナミ先輩。こっちの方が面白くないかいって」
もう一つの言葉の綾として、そのキャラクターの背景を語る。
「試しに改変したオレの台詞はこうだよ。『セッカ、雪の一生って考えたことある?』……」
……主役のセッカに吐露する本音の台詞。
その言い回しはいい。これはちょっとおかしい。
そんないくつかのやりとりを経て、イヌカイはぼそりと呟く。
「……お前、脚本も書けんじゃないの?」
「冗談」
それは、他でもない自分に重ねた物語。
そうだ、そのオカマ口調のキャラクターは犬飼にも似ているし、佐田にも似ている。
「お前と同じなんだわ、犬飼。――オレができるのは、元々のそれを生かすことだけだ。無から有を生み出すなんてそんな大それたこと、たぶん怖くてできねえよ」
* * * *
初日は客があまりいなかったものの、どうやらネット上ではそれなりの評判らしい。
ああ勿論、豆腐メンタルの佐田に代わって谷川がニコニコ顔でエゴサを繰り返しているところを遠目から見るに、だが。
「……意外と売れてんなあ」
イヌカイはボソッと呟く。そんなこんなであっという間に迎えた公演最終日。
つまり千秋楽。
――ロビーを見るに大盛況だ。
そう、どかりと椅子に座り込みながらイヌカイは思う。
実際、身内の予約と来る人数が合わない。明らかに外部の人間も興味本位で口コミにつられてやってきている。そういうことだ。
勿論、ここの基本は【アマチュアの副業趣味】枠な谷川と、【ガチプロの佐田】が手を組んでいるような状態からしてごった煮の闇鍋――プロアマ問わずの劇団だ。
参加者は趣味でやっているようなものから本物のプロまでと幅広いが……その差をなぜか気にさせないほどの一体感があった。
これほど演者たちがうまくやってくれているわけだから、照明や演出の側にいる人間としてはプレッシャーでもある。
何としてでも失敗をするわけにはいかない。
そう気は急くし、焦るし、なんというか……ソワソワする。
なのでその日の公演が終わっても、時間の許す限りイヌカイは1人で残って照明をいじっていた。まぁ、やるからにはとことんまでやるイヌカイらしい一面といったらそれまでだが……
「…………。」
少しやりすぎてしまったらしい。
イヌカイは頭をぐしゃぐしゃと掻く。――我ながら目が死んでいた。動物の耳でもついていたなら横にペッタンコだったに違いない、やたらに陰鬱な表情だ。
考えてみたら飛び入りのアマチュア側なので当たり前といえば当たり前だが、下手に命のやりとりをするより気が重かった。いや命のやりとりイコール、『ゴーレム鬼ごっこ』に慣れてしまったのも最早おかしいのだが。
――命のやりとり。大体なんだイノチノヤリトリって。ヤキトリの親戚か。俺は鶏皮がいい。
「…………。」
「犬飼、どしたーん? 顔が強張ってんぞ~。うりうり~」
様子を見に来た佐田に頬をつねられ、びよーんとひっぱられた。……あまり伸びないが。
「……ンだよ。俺の顔がお堅いのはいつものこったろうが」
「ウソつけ緊張しぃ。あといつもは強張ってんじゃなくて怖いんだろーよお前」
「怖くて悪かったな、というかさっきから引っ張んなよ。あんまりやると余計極悪ヅラになるぞマジで」
そう言いながらも、緊張しているのは残念ながら本当のことだ。通常の状態ならこんな会話から何かくだらない冗談にでももって行く事が出来るのだが、あまりそんな余裕もない。……と。
「おー、いたいた、おーい犬飼先生~」
ビクッ、とイヌカイは目を開く。
――そういや、ようやく予定が合ったんだったか。『時永親子』と『植苗イツキ』。
ところでイツキ妹は欠席だ。興味を持たなかったらしい。
どこからか照明器具のあるフロント室に侵入してくるイツキの姿に、余裕のないイヌカイは舌打ちを返す。
「――どっから入った」
「うわ感じ悪。なんだよチッて。……えっと、ほら。ユキ姉ちゃんと犬飼先生の名前出したらソッコーで入れてくれたよ。ってことで差し入れ」
はい、とイツキはビニール袋を隅っこに下ろした。
……ごとりと重たい音がする。
「はあ、差し入れは嬉しいが、いったい何持ってきたんだ……手が赤くなってんぞ」
「んっと、時永先生と割り勘で買った飲み物と……」
「あー液体か。そりゃ重いわな」
「あとそれから、駅前でプリン大福買ってきた」
「……おー」
イヌカイは息を吐く。……ちょっぴりとではあるが、モチベーションが回復したような顔をしていた。
「大福系好きでしょそっち?」
「おう、ありが……」
「えー! タコ焼きはないんか~? タコ焼きは~……あべしっ!」
ブーブーと文句で割り込んでくる佐田に、イヌカイは軽くチョップをかます。
「……よぅタコ彦クン。好意の差し入れにケチつけんな、殴るぞ」
「も、もう殴ってらっしゃいませんことォ……!?」
「あの、大丈夫佐田さん? この人、筋力ゴリラだよ」
「誰がゴリラだ」
まあ、確かにゴーレムの装甲は素手で破壊できるのだが。
「……ゴリカイくん……」
「うるせえよ佐田、なんだその無駄に心の広そうな進化系」
『ポチカイくん』ですらなくなった不可思議なあだ名を呻くお調子者の佐田はさておき。
イヌカイは『ごとり』とビニール袋を持ち上げた。僅かに缶のぶつかる音がして――それから確かに、和菓子屋の店名がチラリと見える。
「……まあ、なんだ。時永先生にもよろしく言っといてくれ」
「機嫌なおってよかったよ。しっかり渡したからね?」
「はいはい」
イツキが客席の方向に消えていったのと同時に、舞台から声が聞こえてきた。
「えー、本日お集まりの皆様に、注意事項を申し上げます……」
どうやらもう少しで始まる様子だ。地明かりをつけたままで放置をしていたイヌカイは慌てて席につく。瞬間、適当に投げ出していた台本がぱさりと落ちて――ふっ、とそれを拾い上げる。
……偶然開いていたのは、新しい台詞のページ。
「――おい、佐田」
思わず頭に浮かんだ一言を口にしようと、顔を上げる。
しかし、当たり前だが佐田はもういない。己の仕事を果たそうと、駆け足で舞台裏へと向かったようだった。
「……あー……」
最悪の展開が頭の中でかたちを結んだような気がした。
「……今更気づいたが。お前、もしかして」
思わせぶりな一言。言葉の切れ端が頭の中でつながる。一瞬、何かをつかみかける。
浮かんだ疑念。もしや――いや、そんなはずは。
「……気のせい、だろ。たぶん……」
台詞の中の一つ。内心の吐露。
サンタに向けた恨み節。
この台詞が――トナカイがサンタに向けたものではなく。
ミコトに向けたものに一瞬みえた、なんて。
* * * *
舞台上、佐田はゆっくりと呼吸を整える。
自分の役柄がオカマ口調なのを自分なりに解釈した時……まあ、メタ的にはキャラを立てるためだろうが……それでも一応、答えは出た。
台本を読み返した時、不意に頭の中で線が繋がったのだ。
なるほど。妙に言葉の受け取り方がひねくれている。
ああ――これは、反発だ。
こいつ、「規定の型」にハマるのがイヤなやつなんだ。
「……はるか遠い空で、真っ白く生まれて、灰色に染まりながら落っこちてきて」
初日の直前に突然ねじ込まれた台詞。
それらは結局――誰にも文句を言われずに、一字一句、最後の公演でも変わらなかった。
舞台上で、足を投げ出した『佐田秀彦』の口から零れ落ちる少しずつのワード。
つらつらとした独白。
――「いや、お話つくるのは構わんよ、でもどうすんの、指針として」
以前聴いたそれが、ふと脳裏によぎる。
……舞台用のシナリオを組んでくれと、イヌカイの兄である同人作家のカズナミに依頼した日。
まだ何も知らない自分が「とりあえず、時期的にクリスマスとか?」と何気なく呟いてみたところ、谷川がぽろりと「クリスマスなら雪の話ぃー」と繋げた。
「あはは、ユキちゃんだもんなあ」とその場でカズナミは笑ったが、あれはもしかしたら時永の影響だったのかもしれない。
この世界の谷川ユキは、由来がばらばらだ。高校時代をイヌカイ、大学時代を時永、その他の場面をイツキの記憶から、てんでバラバラに構成されている。
そんな彼女は色々と自由な印象で、なんというか骨太だ。しばられない。
殆どのものをイヌカイから持ってきている佐田と違って。
「……雪は、地面についたら溶けてしまう。それまでにこうやって小瓶につかまえたのがサンタさんなんだって。そうやって取るに足らない雪の一粒が魔法で大きいトナカイになって、アタシたちとして生きている」
するっと台詞を吐いた自分は、横にいる『主役』を見た。
「雪粒だった頃は勿論ね――赤ちゃんみたいなもんだから覚えていないけど、最初はふざけんなと思ったわよ。なんで雪のまま死なせてくれなかったのかって」
「ん――どうして?」
透き通った声が目の前から返る。
主役はあのミコトと同い年か、それより少し幼い女の子だった。一応子役上がりではあるが、基本は雑誌系のモデル業が多い。
舞台経験はほとんど初めてといっていいような経歴。
……なのに。
佐田は内心呆れ返る。……なんというか、気負いがない。自然で素直に返してくる。
――誰だよ、こんなすごい子ほっといたの。
初めてみた際は思わず下読みの段階で二度見をしてしまった。
これが【初舞台】だと? とてもそうは思えない。「演劇部とかにいたんじゃないの」と聞いても「写真部でした」なんて恐ろしい発言が顔合わせの時に出た気がする。
――まあ、モデルの方がやりたいのかな、もったいないな。そう思いながら台詞を返す。
「どうしてってアンタ、悲しいじゃない」
「悲しい?」
「……アタシたち、考えてる」
結局――自分の作った台詞なんてそんなものだった。
心情がストレートに出てしまう。おびえているのは自分自身だ。
「……常に明日のことを心配しているし、【トナカイに仕事をさせる】ほどサンタの調子が悪い今、アタシたちもいつ巻き添えで死ぬかっていつも考えてる」
『自分を創った何者か』に反発して……そいつの考えること一つ一つに、ずっと怯えて。
それは役柄でもなければ、脚本でもない。
結局――佐田秀彦、本人の意見でしかなかった。
ミコトを含めた、クロノスを含めた、全てに思っている。
――どうしてそのまま、何も知らないままで、死なせてくれなかったのか。
この世界の爆破スイッチが、そこにあると分かっているのは惨い話だ。
一人の少女に創られた世界。彼女の意思一つで終わりを迎える、瞬く間に「なかったこと」になる世界。
どんな輝きがあろうと。どんな歴史があろうと、明日。明後日。もしくは5秒後に、誰も覚えていない世界。
「……だってねえ。ほんのちょっとの差で、なんの非もなくたって死ぬのよ、怖くなーい?」
それに対し、主役の彼女は――ちいさく台詞を吐く。
「ねえ」
……その波形。耳に届く音の突き抜け。
それはまるで、高校時代の谷川だった。
自然体の、妙な説得力。
「……それでも今、生きてんじゃん!」
「あ?」
自分が書いた台詞だった。理屈は知っていた。
なのに、普通に受けて――素の声が出た。
それが【意外なこと】みたいに。
「明日のことは知らないけど、今生きてる私たちがいるよ」
……こんな気持ちだったのかもしれない。
「それでよくない?」
ふっと笑ったその子の声を聞いて、ふと思う。
この子のいない世界をふと、思い至る。
――こいつをどうにか、日の当たる場所へ。
そう思った犬飼の、らしくない強がり。
強がりの後ろにいた、小さな背丈の男子高校生。
へこたれたその男の子を、どうにか立ち直らせよう。そう影に日向にもがいた13年間。
……「こいつの心を潰してはいけない」と思ったイヌカイの感覚を――ふと、つかんでしまった。
理解してはいけない。
そう、ずっと思っていたのに。
「……それで、いいのかもね」
ようやく理解した。
あらためて、その心情を捉えた。
――オレが甘かった。そう少し思う。
あいつはきっと、オレたちがちょっとやそっと騒いだくらいで……
『懐かしい』と思わせたぐらいで。
『愛しい』と思わせたくらいで。
そんでもって、いくらか泣かせたくらいで。
押して、引いて、そして揺れるほど――脆い「強がり方」はしていない。
ああ――そうとも。
佐田はふと、照明の向こうを仰いだ。
――オレたちはきっと互いに、後には引けないのだ。