8.昼休みの親子
「あのなあ……毎日作ってんのか?」
「はい?」
――あの空飛ぶゴーレム戦から暫く経った正午。聖山学園の昼休み。
包みを広げていた時永はきょとんとした表情で振り向いた。
菓子パンをくわえながらイヌカイがいう。
「弁当」
「……ああ」
時永はバッグから出したばかりの弁当包みを、おっかなびっくり見下ろす。
「……作ってますよ? ミコトと一緒にね」
お箸ケースの置かれるからりとした音――どうやら未だに現状になれていないらしい。かなりぎこちない動きだ。
「おかずは僕、ミコトはごはん。最初は僕だけがミコトのお弁当を作ってたんですが……」
かぽり、と蓋が開いた瞬間に見えたのは『おにぎり』だった。――隣のスナップエンドウを炒めたものと形のいびつな卵焼きは時永の作だろう。
「ミコトがやりたいって言い出した?」
「そういうことです」
暫くどっちが作るかで言い争いになったんですけどね……と苦笑する時永に、イヌカイは呆れた表情で言う。
「そんなことで喧嘩するか、普通?」
朝のクソ忙しい時間にだぞ? 俺なら作ると言われたらラッキーと答えるか、黙って財布を見せるね!
……などと軽い口を叩くイヌカイに対し、時永はふぅ、と首をすくめた。
「何だよその反応」
確かに、この学校は生徒も教職員も講師も弁当の持ち込みが100パーセントというわけではない。実際には手ぶらでやってきて、売店に直行する生徒も少なくないのだ。
「何をいうんですか……今までのミコトに残るクソ眼鏡の記憶を見てから言ってください」
「クソ眼鏡て」
「可哀想に。『僕があの子にしてあげたこと』が、今までいくつありましたか?」
「……あー、うんそーね。悪かっ――。悪かったのはお前の方だろ。何俺に謝らせてんだ」
と、そこに突如、心理学研究室の扉が勢いよくスパァァァンと開かれた。
「犬飼先生どーしよう! 弁当忘れた!」
「……買えよ弁当くらい。目の前に売店あんだから」
イツキだった。一応学校の中だからと敬称はつけたみたいだが、その他は完全に友達相手のノリである。
「いや、小銭がないんだよ! ……ところで時永先生なんでいんの?」
「やあ」
『心理学』の部屋だよここ。
そう言いたげなイツキに時永は苦笑いしながら人差し指を立てる。……心理学講師の控え室 兼 資料室に説話講師の時永がいるのは、そりゃあストレスなく『内緒話』をするためなのに決まっていた。
……職員室や空き教室、中庭、屋上という選択肢もあるが、さすがにミコト関連の話を大っぴらにオープンスペースでするのは躊躇われる。
かといってその他に共通の話題が見つかるわけでもなければ、結局各々一人で食べていようと、携帯は鳴るわけで。
ふう、と時永はまた息をつく。
これはおそらく、イヌカイの性格上の問題だ。
いくら怪我をしようと「やせ我慢」でケロッとしている時永はともかくとして――この中で一番年下かつ、ほぼ【弱体化】のようなものをしているイツキを、いかに「ゴーレムの攻撃に巻き込まないまま」立ち回るか。
暇があれば対ゴーレム戦の脳内シミュレーションをしているのがイヌカイだった。
ドリュアス姿のイツキはダメージを受けても、結局数秒もしないですぐに傷が塞がるイメージだ。単純に打たれ強いイヌカイと違い一応ダメージ自体は入るが、それ以上にまず再生が早い。
最悪つるや枝、外皮がひきちぎられても再生するようなのだが……この世界に来てから判明したのが、ヒトの姿だとつるくらいしか修復できないらしい。
前とほぼ同じにたとえ高所から落とされても、踏みつけられても相変わらず無傷のままなイヌカイとはベースが異なるイツキの特性。さすがに彼の配置やフォーメーションは慎重に練る必要がある。
だからだろう。昼頃になると突然イヌカイが思いつきを立案し、時永が意見したり、却下したり。それも険悪だった当初は文字上で繰り返していたのだが……だんだん文字を打つのが億劫になってきた頃、ついに返答を待つのが億劫になったイヌカイが説話の研究室ドアを叩いた。
そして『ただならぬ事情(?)』をなんとなく察した説話講師・橘が席を外し、イヌカイはお昼休みの度に時永と一対一になったわけである。
……それが今日はたまたま、心理学の研究室に置き換わっただけの話だ。
「はあ。あのなあ、財布のチェックは来る前にやっとけよイツキ……」
イヌカイは大きく息をつく。
「現金、おろし忘れたのかよ……」
「すんませぇん」
謝りつつ反省の色、まったくないなこの子。……時永は虚空を見ながら紙コップの紅茶を飲み干した。イヌカイが財布を開く。
「全く、何円欲しいんだ? いっとくけどな、俺もあんまり手持ちないぞ。さっきバインダーしこたま買い込んだから」
「……ATMくらい欲しいですよね、この学校」
「いやあ、バカ言えよ」
時永の苦笑まじりの発言にイヌカイは言う。
「さすがに無茶言いすぎだろ。大学のキャンパスじゃねえんだから」
「大学ってATMあるの?」
さすがに売店の古い設備では使えなかったらしい交通系ICをしまいつつ、イツキがいう。
「少なくとも俺のところはあった」
「設備の規模大きいですからね、白帝大……ああ、植苗くん、おにぎりでいいなら一つあげるよ。好きだろツナマヨ?」
イツキの顔がパッと輝く。
「ありがとうございます!」
「それ、ミコトが握ったやつだけど」
「ヴッ」
まあ……あの子に元々べったりまとわりつかれていたのはイツキだ。ミコトロスを地味に発症しているイツキは半泣きで呻いた。
「……お前、すげえ声したぞ今。どんな鳴き声あげてんだよ」
――そうだな。
イヌカイは遠い目をした。――途中で合流してきたんだもんなお前。時永家の弁当事情とか耳に入らんよな。
「い、いや、てっきりコンビニおにぎりみたいなやつかと思って……」
「ぬーぅ?」
「なんですか犬飼先生、まじまじと僕を見て」
“あと、なんでイツキがツナマヨ派だって知ってんだよ?”……とイヌカイが睨めば、時永は首をすくめる。
「ミコトが覚えてれば僕も覚えてますよ」
「! かーっ、うさんくせーなッ」
「ってなになに、弁当作りあってるの、この親子……? 料理研究部同士のラブラブカップルかよ……!?」
「残念ながら、レシピがないと作れない初心者同士の意地の張り合いだよ」
時永は苦笑しつつ言った。
「僕はただ、ミコトに色々借りというか……一方的に気付けばもらってたものを返したいだけなんだけど……向こうが楽しそうに張り合ってくるというかさ……」
「はあ」
イヌカイはため息をついた。
「……ミコトもあんたに色々返したいだけだと思うぞ」
「そうですか?」
「恨みを」
「デスヨネー」
時永は白目をむいた。イツキが噴き出す。
「恨みを弁当で返すってどういうことなのイヌカイ」
「そりゃあ沢山やりようあるだろ。ゲキマズ弁当作るとか」
もぎゅ。
「……え、普通においしいよツナマヨ?」
「マジかよ。時永から渡されたもんを普通に食うなよお前、恐れ知らずか」
「いや、だってイヌカイ……これ以上他に何を失えと。いのち?」
「……。」
13年間、地獄を見過ぎた高校生――その言葉は割と重かった。
「……いのち……」
ははは、と時永は笑う。
「勇気というか、思い切りがありますよね植苗くん。僕ならやらないなあ。自分を騙した悪人から『手作りっぽいおにぎり』もらうとか!」
「……あんたはあんたで、渡した当人が何を俺に同意してんだ、ツッコミ待ちか?」
珍しい場所で顔を合わせたまま、会話が進んでいく昼休み。
「ってか、昼にこんなところ来てていいのかお前、飯食う友達は」
「ここにいるんだけど」
「ユータローくんなら橘さんに呼び出されてましたよ」
イツキはお金を借りる様子もなく余った椅子に腰掛け、時永はひっくり返した弁当箱の蓋に卵焼きを分けつつ、話をどんどん脱線させていく。
「……はあ」
イツキがぼっちな理由から始まり、先生としての橘が意外とズボラな話。ミコトの授業で起こったトラブル……
イヌカイはとうとう「真面目な作戦会議」を諦めた。……心理学研究室にミコトの話題、思い出話とコーヒーの湯気がのぼりはじめ、カリカリと「残り時間」は削れていく。
「それでさあ――」
おにぎりもおかずもなくなった弁当箱を見ながら――時永は苦笑し満足げな息をついた。
……時々、平和な時間軸にいる気がする……。
と。
――コンコンコン。
「うっわやべえ、ノックだ!」
「……。植苗くん、出て出て」
「なんでオレ?」
カチャリ。
ほっぺたにご飯粒をつけたイツキが、研究室の扉を少しだけ開けた瞬間。
「おおおおおおとうさぁん!」
「うわ」
イツキの脇をすり抜け、ぽすん!
弾丸のように飛び出してきた人影が、時永の腰につっこんだ。
「……ミコト?」
ざり、と椅子のキャスターが音を立てる。
席についたままの時永にすがりつく、その小さな背中。
「……あー、よく分かったね、ここにいるって。どうしたの」
「…………。」
「泣いてるじゃないか。ははあ、さては居眠りをしたな? 悪い夢でも見た?」
半ば冗談だったに違いない軽口に、ミコトは頷く。
「お父さんと、喧嘩、してた」
「…………。」
時永はふっと息を止めた。
……『記憶のフラッシュバック』はイツキたちの専売特許ではない。
時永にも時折起こるし、ミコトにだって普通に起こり得る。そのつどミコトは現実を否定しようと無意識で記憶をちぎる。
心の一部が分離し、引き剥がされてゴーレムと化すわけだ。
記憶のゴミ。不要物。謎のかたまり。
「……ねえ、ミコト」
腰から膝にすがりついた彼女の肩口、ぐっ、とのせた手に力がこもる。……はあ、と時永は息を吐いた。
――もう、世話が焼ける。
焼けるけれど、ああ、しょうがない子だ。
「……ミコト、目をあげて」
「……」
「僕の目を見て」
おそるおそる、その子は目をあげる。
その表情はとてもよく知っていた。……残念なことに泣き顔だけなら見慣れている。泣くまいとこらえたそれも、以前、【自分】の視界を通してクロノスが知っていたものだ。
「……よし」
時永は息を吐き、ぽすっ、とミコトの頭に手を置いた。
「頭がぐしゃぐしゃなら、早退するかい?」
「え?」
きょとんとするミコトの向こう。
イツキは黙ってその顔を見た。
……根負けしたような表情。本気で苦笑いしたようなレンズの奥。
「犬飼先生、内線お借りします」
「どうぞ」
早口の時永に――合点のいったイヌカイは表情をピクリとも動かさず、電話機の置かれた席を外した。
「え? あ、あの……」
「時永です。近くにいたので心理学研究室からかけさせていただきました。教頭先生、今大丈夫ですか? ええと、娘の体調がよくなく。吐いてしまったようなので……」
事態を見守っていたイツキは思わずぷしゅ、とお茶を噴き出した。――ちょー嘘つき! いや、グッジョブだけどさ!
「……今日も吐いてたのはおめえだろ」
「?」
「いやなんでも」
イヌカイがボソッと呟くも、イツキには聞き取れなかったらしい。
「……ええ、今から病院につれていくなり、帰るなりを検討したくて。あー……午後の授業ですか? 高等部の3年3組だけなので、後日また鶴岡先生に掛け合って調整します。あ、鶴岡先生いらっしゃいますか職員室。かわっていただいても?」
トントン。ミコトの背を指で優しく叩きながらいう時永を見つつ、イヌカイはしれっと時永の弁当箱をまとめた。「なんか妙なことになっちゃった?」とアワアワしているミコトに対し、イツキは肩を叩く。
「時永さん、お昼は食べた?」
「…………。」
ふるふると首を振るミコト。
「お、いいなーラッキーじゃん。どっか連れてってもらえるよ!」
「よう植苗くん、俺の机の右の引き出し開けていいぞ、おやつ入ってるから」
「気がきくじゃん犬飼先生」
弁当忘れたオレには出さなかったくせに? とイツキが茶々を入れれば。
「俺を誰だと思ってんだよ」
「バスケ部だった鬼コーチ」
「……無理やり過去形にしないでくれる、お前」
『好きなの持ってっちゃえ! ほらザラメ煎餅。ビスケットもあるよ。飴だって好きだろ?』――わざとだろうおどけた口調で、イツキは机をちらかしていく。
その様子は手慣れていたが、やはり【いつものミコト】に対するものではない。イヌカイもそうだ。記憶のないミコトが混乱しないよう、距離を取っている。
「あ、橘先生、今お昼食べてます? お休み中のところ失礼します。ミコトが体調崩したようで早退すると。勿論僕も巻き添えです。今から教室に荷物引き取りに向かいますので!」
一方的に宣言して、時永は通話を切る。
「さて――行くよ、ミコト」
「あの、お父さ……」
「君の鞄を取りにだ。それともミコト、廊下で待ってるかい?」
お菓子をむりやり突っこんで、ポケットがパンパンになったミコト。それをズルズルとひきずるように外に出て行った時永は、扉が閉まる間際……イツキとイヌカイに会釈をした。
「おう、いってらっしゃい」
――ばたん。
「……まさか、あの親子が思いっきり仕事と学校をサボるとは思わなかったが」
「ね」
「ミコトには効果的だな!」
苦笑いしながら座り直したイヌカイは、すっからかんの引き出しをチラッとみる。
「……これでちったあ、ミコトの寂しがりや属性に気づいてくれりゃあいいんだが……」
「さすがに恒久的には駄目だろイヌカイ」
紙コップのお茶を飲みつつ、イツキはやれやれと呟く。
「あの時永先生、基本的にクソ頑固なんだ。……『ミコトが一緒にいるとしたら、植苗くんたちの方が自然だ』。本気でそう思ってんの。だからオレたちが記憶を取り戻したら、ミコトとちょっと距離を取っただろ?」
あー……とイヌカイは合点がいったように息を漏らした。確かにそうだ、そのフシはある。
「保護者が機能を取り戻したら、とにかく安心して引き渡そうとしてる。自分が必要とされてるなんて認めたくないんだ」
「そりゃおかしいってもんだろ」
イヌカイは呆れたように返す。
「この世界が生まれた理由。成り立ってる理由は全部『人間としてまともな時永』に集約してんだ。そう当人ですら言ってたんじゃねえか」
壊れていない時永の可能性を欲したミコト。
彼女が求めていたのは、ああして泣きつく先だし、人恋しさに抱きついても怒られない人間だ。
「その願いをまともに聞き入れないのがある意味『らしい』よね。……あの先生、変な罪悪感があるだろ? そんな資格はないと思ってる」
「逃げてんのと同じか」
イヌカイは生徒会長の顔を思い浮かべた。
――あいつからは逃げないのに? いや、違うか。
かぶりを振る。……そう、重みが違うのだ。あの時永は善人ではあるが、同時に聖人君子じゃない。順序も優劣もつけてしまう。
ミコトのほうが上なのだ。
それだけミコトのことを大事に思っているし、それを突き放した【悪い自分】を許せないでいる。
「で、ミコトはそういう時永先生の『気分の問題』に、記憶がなくてもどっかで薄っすら気づいちゃってんだよ……強く出れないんだ。そもそもミコト、変に真面目だし、頭パンクするときはパンクするから」
「ずーっと落ち込んだり、かといえば妙な意地張ったり。昔から確かに多かったな」
それが誰かのためになると思えば譲らない。
「……聞き分けはいいんだが、聞き分けが良すぎて融通きかないというか」
自分が我慢すればちょうどいいと思ったら、頑なに我慢する。
それがミコトだ。ただ、我慢のさせすぎというのも――
「そういうミコトの処理は、いつもお前のが上手かったよな」
「イヌカイ、その辺の子供の扱いヘタだもん」
と、そこでチャイムが鳴った。
「おいイツキ、時間」
「うん」
午後の授業が始まる5分前の予鈴だ。
背もたれにかけていたブレザージャケットを着て、イツキは扉を開く。
「イヌカイ」
「何だ?」
「今日からだよね、佐田さんたちの手伝い」
イヌカイはふっとスケジュール表をみた。……本日の午後5時台についた、赤い米印。
「まあな」
「イヌカイも意地っぱりなとこあるだろ?」
時永とは逆に『まったく逃げない』のがイヌカイの美点だ。それが彼らしいし、同時に汚点でもある。無茶をしすぎると昔からイツキが思う理由でもあった。
「イヌカイのことだから期待してないんだけど……まあ、そこそこに頑張って!」
「おい待てや」
言い捨てるだけ言い捨てて、ダッと駆け出していく背中は結局誰かに似ていた。
当然、無言の会釈もしなければ生意気な一言を残しもしたわけだが……
イヌカイは紙コップを片付けながら、かるく笑って息をついた。
「……そこそこにってなんだよ?」