3.突然の頼みと、傷口のなぞり方
――プルルルルル。
突然覚醒する。
思わず眠気で瞼をこすった先には『犬飼 元』と書かれた資料ファイル。あ、うん……仕事、持ち帰ったんだったか。
壁にかかっているジャージのかかったハンガーと、その横で光を放つ携帯電話。
そう、ここは俺の自宅。
あのラーメン屋さんでの大騒ぎから、はや数日。
うたたねをしていた俺は、そっとあくびを噛み殺し――。
「あー……犬飼です」
『おいすー。オラ佐田くん。犬飼さー、突然なんだけど頼み事聞いてくれるか?』
「はぁ?」
何だこいつか。スクリーンを困惑しながら見返す。連絡先をむりやり強奪されたことを思い出しつつ――ひと口、好物を口に放り込んだ俺は思わず、雑に聞き返した。
「……あ? 劇団の手伝いぃ?」
ハッハッハーァ、と電話口で佐田が気の抜けた高笑いを繰り返す。……なるほど、向こうも言いづれぇのねこれ……。言いよどんだ時の癖だわ。
『……どーせ12月後半は冬休み入んだろー? なー頼むよ、照明さんが事故ってんだよバイクで』
「知らねえよ、プロに頼めよ」
――あのね佐田くん?
犬飼先生はね、学校行事でたまに手伝う程度なので、もう知らんぞ?
ちゃんとやったの、高校2年の文化祭で最後だぞ、俺?
鼻をほじりながらそう言ってやれば……
『うえええん! 学校があるときは参加しなくていいからさーあ! 一生のお願ーい!』
「あのな佐田……お前の一生のお願い、煩悩の数あるの知ってっから……」
『オレの煩悩8万あるからな』
「多すぎんだろ」
頼み放題かよ。
『ところでさっきから何クチャクチャ食ってんのお前』
「……お前だと分かった瞬間、安心して大福食おうと思い立った」
『なんでぇ!?』
聞く気がないからだよ、お前の『頼み』を。
……正直にそういいたいのを、餅ごと飲み込んだ。
だってお前。
大体こういう時って、ろくなことになんねえんだわ。
* * * *
「なー植苗~、最近犬飼先生と仲いいじゃ〜ん?」
帰りのHRも終わって、10分。
人もほぼ残っていない放課後の教室で同級生のユータローが話しかけてきた。――高等部3年3組、自分の席でぼーっと明日の予定表を見ていたオレ、『人間のフリした植苗イツキ』は気もそぞろに呟く。
「ああうん」
「なんかおもろいことあった? あの鬼コーチ」
「まあ……最近気づいたんだけど」
「おう」
「……たまたま話してみたら、好きなゲームとか映画が一緒で」
「マジかよ、見かけによらねー!」
少し笑う。……そりゃあ見かけにはよらないさ!
実のところ、イヌカイはオレと違ってガッツリ系のゲームをさほどしない性格だ。
逆にオレは全く映画に興味はゼロ。ドラマも興味ない。子供向けのアニメ映画を妹に付き合って見るくらいが関の山だから、これは正直『真っ赤なウソ』だった。
「ってか映画なんか見んのか、あの人!」
「あ、そっち?」
「なんか犬飼先生ってもっとアウトドアなイメージだったんだけども! 人里離れた山ん中をワハワハ言いつつ駆け回ってるようなっ」
「それこそどんなイメージだよ……というか、ユータローはそもそもバスケ部じゃん」
笹やぶの中を舌出して走る野良犬を思い浮かべつつ、オレは苦笑いした。……柴だと可愛すぎるから土佐犬辺りにしとこう。
「顧問の先生、そんなにプライベートの話ってしないもん?」
「よく考えたら全くしねーな。なんてーの、あの人意外と受動的なんだよ」
「受動的?」
頭を使わないキャラのユータローらしくない小難しい単語が出てきた。
「うん、まーつまりさ。自分中心の話はしないで、必ず生徒を会話の中心にもってくるんだ。ほら……逆に授業だと話が長々と脱線する悪い癖あんだろ、犬飼先生」
……確かに、部活中のイヌカイがいかに受動的でも『授業中のイヌカイ』は違う。
「あの自分本位なワンマンライブマンがだぞ」
「ワンマンライブマンって」
ユータローの言ってるのはたぶん、オレの考えてることと同じだ。
「自分はこういう覚え方をしたからこうしてみろ」が多い。自分の話に帰結する。それが先生としてのイヌカイだった。
勿論、善意だろう――それも少しなら助かるけど、多いと雁字搦めになる。
「アレが部活になると、途端に伝え方に無駄がなくなんのさー。生徒側の自由度が上がるってーの? 情報が整理されるし合理的になる。……たぶんあの人、教壇に立つのが苦手なんだぜ?」
「そーなの?」
「たぶん。一段上から見下ろすより、同じレベルに駆け寄ってきて、仲間の背中ぶっ叩くほうが性に合ってんだ、あのおっさん」
ははは……。
なんか、言いたい放題されてるけどいいの、イヌカイ……。
「だからバスケ絡みだとマネージャーに徹してるってか、会話内容もアドバイスかリアクションだけに徹底してんのな」
「なるほど」
だから、『プライベートの話を知らない』ってことになるわけだ。
「それもおっかなーく声荒げるか、めっちゃ褒めて優しいかの2択でさ。ほら、人を叱って、甘やかして。大きくギャップつけると目的意識がどーのこーのでパフォーマンスがよくなるんだ」
「へー」
そこまで考えてるってなると、確かにイヌカイらし――
「洗脳と同じ手口だって当人が言ってたけど」
――くないッ!
「一気にイメージが『犯罪』になったんだけどそれは!?」
……危ない。
頭の中でイヌカイが、すっごいケタケタ笑いながら「悪い顔」をしている。
でも、イヌカイだって聖人じゃないもんな。
オレはふと、この間のことを思い返した。
どれかというと、【悪ガキ】がそのまま大人になったような人間性だ。……道端で出会った、イヌカイの高校時代の友達――佐田さん。あとオレの知り合いのユキ姉ちゃん。黒歴史を掘り起こすのをやめろとうるさいイヌカイを椅子に縛り付けつつ、じいちゃんのラーメン屋で話した夕方の時間。
あれは、イヌカイの過去やら趣味やらをほじくり返すのにうってつけのイベントだった。
あの時もたくさん思ったっけ。意外だなあとか、面白いなあ、とか……。
「……ねえねえ」
「どうかした、上硲さん」
「なんか男子二人で面白い話してんじゃん。混ぜてよ?」
気がつけば、声をかけてきていたのはユータローの後ろに残っていた女子だった。本物の地球だと『時永親衛隊』に属していた子だ。
つまりあの【クソ眼鏡】の追っかけだったわけだけど――今回はそんなことはないらしい。
むしろこの世界でのあの時永先生ときたら、目立たないにもほどがあった。
「ただの生徒なのに、先生とプライベートでも仲良いとかウラヤマだよねー。あーあ!」
上硲さんは軽く伸びをした。
「あたしも仲良くなって、あわよくばテストとかオマケしてほしいー!」
「ああー、それはさすがに無理だよ。オレも前期までちゃんと心理学補習だったし……」
「ってか、むしろ説話一直線な植苗が心理学補習じゃなかったことの方が少ないよな」
ユータローが苦笑いする。
「逆に今、補習逃れてんのが『どーなってんの』と思うけど?」
まあ、それはオレも思う。
この間の中間テスト前とかは補習以外でもイヌカイにちょこちょこ校外授業されたから、それがオマケといえばオマケなんだけど……
――「イツキに質問―。『赤信号で足が止まる』等、人は今までの経験に紐づけて特定の行動を取ることができる。これを何という?」
――「ハイ」
――「時永先生が何で挙手すんだ。いいけど。どうぞ」
――「植苗くん、犬飼先生がパンツ一丁で踊りだしたら君はなんて思う?」
それは勿論。
――「アホだなと思う」
――「うるッせえ、答えはアフォーダンス理論だ! ってか何そのヒント、ふざけてんの!?」
……まあ、覚えやすかったのは……ぶっちゃけイヌカイの助け舟より、時永先生のアシストがすごかったんだけど……。
「植苗くんは常に僕より犬飼先生を応援したくなります。これは犬飼先生の方がいつも立場が下だからです」「この野郎」で負け犬効果覚えたし。
「ってゆーかさ」
上硲さんがやすりで爪を整えながら言った。
「もしかして、植苗くんって最近あたしらより先生とかの方が仲いい感じ? この間、時永先生とデコボコトリオになってんの見たんだけど」
「はははは! 何か変な組み合わせだよな。先生二人に小動物一人!」
「誰が小動物だよユータロー……」
オレにとってユータローは、一番仲のいい同性のクラスメイトだ。
悪友というか、腐れ縁というか。
女子の上硲さんも仲が悪いというわけではない。まあ何度か小競り合いはした、が……。
――「なんなのこの通勤ラッシュみたいな密度!? 散れ、近い、写真撮影禁止! どう考えても迷惑になってんじゃん!」
――「うん、迷惑だね。……あ、植苗くん。伝えてくれるかな。写真一枚500円だよ」
――「そう、一枚500……先生!!!?」
……上硲さん含め、周囲を取り囲む『時永親衛隊』をかきわけてる様を思い出したら、ちょっと吐き気がしてきた。
思えばユータローにも「ほっとけよ」と呆れられてたっけ。よく愛想、つかさなかったよな。
「はあ……」
「なんだよ、ため息ついて」
考えてみると、オレにとってのユータローポジションがイヌカイにとっては佐田さんだったんだと思う。言葉はふざけてるけど、たぶん、中身はすごくしっかりした人だ。
このユータローも今頃、本物はもっと成長してるんだろうな。
「……ユータロー、携帯鳴ってる」
「んあ、いけね。3時から練習だ」
「早く行きなよ。先生変わったんだろ?」
こんなことを言うまでもなく、しっかりしたヤツになっているかもしれない。
いや、意外とそのままだったりして。
「まー挨拶済んでるから、前半部は自主練だけどな。じゃっ!」
「じゃ」
……教室から飛び出していくそいつに手を振る。
うん、どうであれ。どうせユータローだ。
きっと『本物』も仲良しが一人だというわけじゃないし。……楽しく生きてればいい。
「で、上硲さんはずっと念入りにごちゃごちゃやってたけど何、つめ剥がれてんの?」
問いかければ彼女は、首をすくめた。
「いやあ、トップコートがボコボコなのが気になって。部活出る前にね。ってか爪自体がやられてたらたぶん、それどころじゃなくない?」
「確かに」
聖山学園はそもそも先生がタレントと兼業するくらいの空気感なだけあって、クラス内で誰かが目立つ格好してようが、動画配信してバズってようが、構いやしないところがある。
服装も結局、制服を着てさえすればいい。
メイクがキツかろうが爪に色がついてようが、基本的には注意されない。
「ってか、『ミカン同好会』の部長って具体的に何すんの?」
ネイルも自力でバッチリなオシャレ系女子、上硲さんの所属は把握済みだ。何せ彼女、以前には他人にほぼほぼ興味のないクソ時永から部活名で呼ばれたりも多かったのだし。彼女はおどけていう。
「へっへー、部室で有田ミカンの日本一を主張するだけの、素敵なお仕事さっ! じゃあね!」
……あ、上硲さんも今からか。
「オレ、長崎産の方が好き」
「敵だー!」
ころころ笑いつつ、ミカン色の爪をした同好会部長は廊下をダッシュしていった。……うん、怒られろ。最高学年!
周囲から誰もいなくなったのを確認しつつ、溜息をつきながらオレも携帯をチラ見。するとちょうど、イヌカイからの連絡通知が来たところだった。
『悪い、中2の補習で遅くなる(¯□¯;) 時永先生とどっかで暇潰してろ!』
「補習のびてるんなら、まあ……でもそんなこといったって、時永先生もまだ来てないんだけど」
こんなことなら、オレも部活の一つや二つ、入っておくべきだったのかもしれない。
くたりと背もたれによりかかりながら、目を閉じた。
――遠くから聞こえる、鳥の声。
風の音。
「……別にいいけど……」
一人残された、だだっ広い教室でふと思う。
ユータローたちの言う通りだ。ここ最近は上硲さん曰くの『デコボコトリオ』で待ち合わせることが増えている。帰り道はまとめて、というのが大半だった。
何せ、帰り道によく出現するからだ。――あの鉱石の怪物、ゴーレムが。
もちろん運動神経の塊なイヌカイや、反射神経に優れた時永先生ならともかくの話……オレ一人でゴーレムに対峙するとなると、かなり心細かった。
ドリュアスとしての能力もヘニョヘニョのつるしかないし、グレイブフィール相手には自動で発動していた自己再生も、人間の姿だとつる部分にだけしか発動しない。結局「千切れても復活する身体器官の一部」しか、オレには備わっていないわけだ。
そう考えると大したことはできない。
――だって元がそもそも、インドア派のゲーム好き高校生だし。
ということで、二人とも最近は気を遣って「帰りの都合」をつけてくれるわけだけど……生徒と比べて、先生のほうがそりゃあ、帰りは遅くなる。
たまにならよくても毎回早く帰るというわけにはいかない。
そもそも持ち帰る仕事量にも限度があると知ったのは帰り道、時たまイヌカイの荷物を持たされるようになってからだった。
……プリントのマル付けが大量に残った状態の、やりかけファイルがはみ出した鞄。
持ち手の千切れかけた鞄はとっくの昔に限界を超えていて、それを軽々持っているイヌカイが化け物に見えるレベルだ。
――「まあ、いざって時には捨てとけよ」
――「嫌だよ」
――「人命優先だよ植苗くん。犬飼先生の責任の所在ならほら、口からでまかせでどうにかなるから」
あんなことを言ってたイヌカイとか時永先生一人だったら、ゴーレムに遭遇した瞬間その辺に放置してるんだろうなーとは思うけど……
さすがに、中身が懇切丁寧に回答した挙句、苛烈な駄目出しを受ける予定の苦手科目と分かったら――たとえゴーレムに追っかけられたとしても、そのへんに捨ててられないのがオレだった。
……時永先生の脇腹にかすっただけで焦げ跡がつくような攻撃をするんだから、被弾したら燃える可能性がある。
それでも一応、一人をタコ殴りにするのはアンフェアだという気持ちがあるのか、それとも別の要因か。少なくともイヌカイと時永先生が集まってない一人きりの時にゴーレムが襲いかかってくることは少なかった。さらには屋外にしか出てこないのだから、やり過ごす手段はいくらでもある。
でも見かけるには見かけるのだから、すごく心臓に悪いし――油断したところをいきなり『ガツーン!』なんて体当たりされても、なんか嫌だ。
「あと……ミコトの精神状態と連動してるんだよな、あれ」
ミコトはこの世界を作った「当人」。だからゴーレムの挙動にも必ず、ミコトにつながる糸がある。――『都合のいい夢』をミコトが見たいがために作った、地球大の箱庭。
庭の形を保つ為に動く、自浄作用。
――「……父親に向かってなんだその言い方は」
――「そもそも、私とろくに話したことなんてこれが初めてじゃない。そんな人が父親?」
あの時の切り返し。ミコトの声の冷たさを、オレは未だに耳の奥で覚えている。
……自分をずっと放置していた唯一の肉親。
それが向き合ってくれたと思いきや、平和的に話し合うことすらできない人間だった。
それどころか、友達から全てを剥奪していた張本人だった。
それが、この世界を創るキッカケ。
耐え難い現実から、過去から逃れたくなる【理由】になった。
一体何がどう飛躍して、こんなことになったのかは分からない。けれど……だとしても、ミコトは思考を止めたわけではないのだと思う。
いや勿論、逃げだしたはずだ。現実から「逃げた」のには違いない。
でもきっと、「逃げたほうが明るい未来が待っている」。
そう、理由があって確信したはずだ。
だから、「なかったことにしよう」と心が動いたんだと思う。
とどのつまり、あのゴーレムはミコトが「なかったことにした」――飲み込んで消去した、行き場のない苛立ちや、感情の発露なんだろう。
ぶっちゃけ、八つ当たりに近い。
でも、なんとなくその感情には覚えがある気がした。
「……」
――似ている。行き場のない怒りとか。抑えつけていられない何かとか。
それはあの時――そう、ミコトが怒ったとき。イヌカイがミコトを助けて走り出したとき。時永が深い穴の底に落っこちるまで、オレも抱いてきた感情だ。
心の穴から湧き出す、どろどろの感情。
傷口から噴き出す、たとえていうなら「鉄の匂いの間欠泉」。
それを癒してくれたのはオレにとってミコトだったし、次点でイヌカイだったし。
でも、今更思う。
……ミコトには、結局……誰がいた?
「……ミコト」
たったひとりで色々思って、傷ついて、それでもだまって行動してきたあの子は……もしかしてここで、この世界で。
ようやく、「癒してくれる人」に出会ったんじゃないだろうか。
心から流す血を、感情の発露を。
それと認めてくれる。みつけてくれる人。
それが家族としてたとえ偽物であったとしても。【誰にも危害を加えない、自分を大切に見守ってくれる何者か】が、そこにいるような気分になったなら。
「……。」
……確かにこの世界にいる時永は拍子抜けするほどまともで、どう考えてもこっちのほうが身内としては魅力的だ。なかったことにしたい気持ちも分かる。
――あのゴーレムはとどのつまり、ミコトのトラウマだ。
トラウマをほじくり返す何かへの……つまりオレたちへの、対抗勢力だ。
ミコトにだって前のオレたち同様、フタをした記憶がある。ことあるごとにフラッシュバックが脳裏をつく。イヌカイだってあそこまでイライラしたんだ。オレだって訳が分からないほどモヤモヤしたんだ。
変なことを思い出してぎょっとするのはメンタルに響く。
――「ミコトの【記憶】に触れそうなことを少しでも口走ると、数分から数日後にはぶわっと出てくるんですよ、あれ」
つい先日も、帰り道の時永先生はそんなことをぽろりとこぼしていた。
毒気のない、人間味のある表情で。
――「更に無辜の人に対して、突然事故でなく故意に傷をつけたりしてもですね。まあ、それは僕の場合だけかもしれませんが」
――「やったのかよ」
イヌカイの半分呆れた口調。
スクールバスを待ちつつ、時永先生は涼しい表情で頷く。
――「一度、わざと学校内で暴れたことがあります。だって……ミコトの正気を取り戻すのが最重要事項なら、『はりぼての社会』とわかっててその社会ルールに従うのも、ちょっとなんじゃないですか?」
――「は」
脳内でニコニコしながら時永がヤクザごっこをしはじめた。勿論【クソ眼鏡】版の毒満載スペシャルスマイルだ。それはもうノリッノリで人をぶっ殺していたに違いない。
――「以前の『頭の悪い僕』を参考に、というとちょっとやりすぎですが、あえて犯罪者になってみたほうがミコトに揺さぶりをかけつつ動きやすいんじゃないかなーと」
――「アンタごくたまに時永っぽくなるな!?」
……確かに、独善的でサイコな物言いだとは思った。
だって、暴れたということはただ単にちいさな騒ぎを起こしただけじゃないはずだ。たぶん校舎に火をつけたとか、立てこもったとか――でもその表情には悪意がない。
もっと楽しそうに言うのなら、それっぽいのに。
ただその表情は、ごまかしたような困り笑いだった。
――「ははは、僕なので。まあ結果はお分かりでしょうが」
――「分からねえよ」
――「大量のゴーレムが突如発生して押し潰されました」
――「待て」
――「ミコトのストレスが可視化されたものがゴーレムの核ですからね。一つ増えたら一つ消さなくては都合がとれません。それがポコポコ無限に湧き始めたんですから、太刀打ちがすぐにできなくなりました!」
――「何でお前、俺たちの知らないうちに修羅場ってるの!?」
――「さすがに持ち堪えるのは3時間が限度でしたね。貴方がたが死んだ時同様、何事もなくループスタートです! いやあ、まともに死ぬのは貴重な体験でした……!」
――「だから! さも当たり前のように言うから怖いんだよお前!!?」
……ともかく、まあそんなわけで。
下手にミコトを刺激した場合、もしかしたら大変なことになるかもしれない。それは分かった。
見かけたゴーレムを放置し続けても同様だ。一つを放置したところで二つに増え、三つに増えるだけ。あとが怖い。
そして【この世界の時永先生】の場合はループの記憶が残るかもしれないが、オレたちの場合は経験上残らない。また最初からやり直しだ。
無自覚の無限ループ。
……そんなの、想像するだけでめんどくさい。
そんなことを考えていると、また携帯のバイブレータが反応した。今度は時永先生からのメールだ。
『すみません、こちらも遅れそうです。また連絡します。』
いつものごとくだが、簡素な文章。……普段の人当たりの良さとは少しだけギャップがある。
――ガラリ。
立ち上がると、椅子の音が反響した。
ただ一人だけになった教室で、大きく息を吐く。
……仕方ない。オレは折りたたみ式携帯をパンと畳んだ。
近くにどこか暇を潰せるところを探そう。
「……普通に考えて、図書室かな」
ミコトほどではないかもしれないけれど、オレもそこそこ本好きの部類には入る。まあそれも、どれかというと説話関連を除けばライトノベルと漫画専門のちょっと偏った感じではあったが。
――教室を出て、昇降口を通り、地下へ抜ける。
勿論一気に風が止んだ。さっきまでうるさかった音も、うっすら遠くに聞こえるのみだ。
この学校の図書室は地下にある。
「なつかしー……」
外の明るさとは無縁の穴蔵みたいなところだけど、逆にそのアングラな感じが好きだった。
……蛍光灯が一つ切れると、途端に暗くなるんだ。
「……あれ、新聞コーナーってこんなところにあったっけ」
コツコツと音を立てて動き回る。普通にこの世界で生活していた「人間の植苗イツキ」の設定としては、こうして図書室に来ること自体は珍しくない。
実際、記憶を取り戻す前の自分も時折こうして帰りがけに図書室に寄っていた。
……なのに、本当の記憶を思い出したとたん、何年ぶりかに来たような。そんな不思議な錯覚に陥る。
「……。」
多分これは、この世界がミコトの記憶と混じっているからだろう。
ミコトの記憶が――オレに「今の聖山学園」を教えてくれているんだ。だから記憶を取り戻す前は違和感がなかった。
ここはオレの知らない、ミコトの知っている現代の図書室なのに。
あれが違う、これが違う、これは同じ。……それでもあまりの懐かしさに、きょろきょろと見回しながら歩いていると。
――ガチャン!
「うわ」
予想外に大きな音を立てて落ちた、自分の携帯電話を見下ろす。
「……よっ、と」
どうやら適当にポケットに突っ込んでいたせいで、ストラップが外に出ていたらしい。
そっと自分で拾おうとした瞬間――どこからか腕が伸びて。
「……はい、どうぞ」
小さな手が、オレにそれを差し出した。
「…………あ」
「どうかしました?」
硬直したオレを不思議そうに見たのは、見覚えのあるポニーテール。
ミコトだった。――今年度、高等部1年生。
去年グレイブフィールの事件のときは中等部の3年生だったその子は、13年間のギャップをものともせず、今……オレの『2つ下の後輩』として目の前に立っている。
ここにいる、オレは、今――高校3年の秋。
「…………。」
……どんな顔をすれば、いい?
時永邸でしか遭遇しなかった以前のミコト。当然、生徒同士としては会ったことがない。
どちらかというと「親友」兼「同居人」だったはずのその子は、今更――随分とよそよそしかった。
聖山学園に入学する前のミコトをオレは知っている。
その制服が似合わなかった頃の、ランドセルを背負ったその子を知っている。
でも、ほんの小さな女の子だったあのミコトは……もう。
「……あ、ありがとう」
「? どういたしまして」
……どこにも、いないように思えた。
この世界では「イツキの友達」にもならなかった女の子は。
片親からでも愛されて育った女の子は――ここがきっと、「植苗イツキ」との初対面なんだ。
「なんだか、あまり見ない雰囲気の携帯電話ですね」
昔のドラマみたい、と言葉をつづけたミコトにぎこちなく返す。
「え……えと、まだ、使えるから、譲ってもらったんだ、元々父さんのなんだけど」
……何をごまかしているんだろう。そう思いながら口を開く。
思えば360度――自分の部屋を中心とした身の回りのものは、どういうわけかほぼ自分の記憶通りに残っている。私服も、CDも、親に買ってもらったゲーム機ですら。
ああ、そっか。――つまりそれって。ミコトの感覚では、オレが使っているものがズバリその『13年前』のものになっているってことなんだ。
なのに、ミコトは不思議とその差異を気にも留めていない。ただ興味津々なだけだ。
「物持ちがいいんですねー」なんて……。
こんなにも不自然な。こんなにも単純な世代の差を、この子は全然ものともしていない。
違和感を感じていない。
こんなに使っているものが、感覚が離れているのに。そう、この世界では自分たちの年齢差は殆どない。辛うじてオレが少し年上なだけだ。
整理しよう。頭を、いったん空っぽにしよう。
深く息を吸い、深く息を吐く。……よし。
そう思ったその時、ミコトの抱えている本が目に入った。よく見ると前に借りたことのある本だ。説話のレポートを書く時に重宝したのを覚えている。
「……あの」
「なんですか?」
「それ!」
懐かしさのためか、つい話しかける。
「……その本、好きなの?」
ミコトは『あ』と自分の持っていた本を見た。……すごく、楽しそうな表情で。
「うん――もちろん、大好きです!」
前の世界でも、この子は説話という教科が好きだった。――先生のことはちょっと、苦手だったみたいだけど。
「これ、レポートに使おうかなって。説話、父が教えてる教科でもあるし……まず、こういう本が好きだから」
「お父さんは先生?」
わかりきったことだった。でも話をあわせる。
この世界の「イツキ」が――ミコトに会わなかったオレが、最初からこの子の父親を知っているわけがない。
「はい! すごくやさしいんですよ!」
その一言でわかった。……ああ、この子はちゃんと『教わっている』。
家でも学校でも、質問したら答えてくれる誰かがいる。それが誰かなんていうまでもないけれど、それでもその事実が。
不意に驚く。
その感情が頭にハッキリと浮かんだ事実に驚いて、納得した。
……そう、たぶん。
単純に、オレは嬉しかったんだ。――そっか。オレが好きだった教科が。この子も。
「……それって、もしかして時永先生?」
「え、何でわかったんですか?」
「だって、なんとなく似てるじゃん?」
これに関しては嘘ではない。
確かに『この世界の時永先生』の印象もあるかもしれない。
けれど最近は、単純にミコトのあの柔らかい雰囲気と、彼女の父親が1人でいる時のあの穏やかな雰囲気が、どことなく似ているように思えた。
佇んだあの感じも、なんとなく顔の印象も。……母親の顔は知らないが、もしかしたらミコトは父親似の方なのかもしれない。
「そ、そんなに似てますか……?」
「うん」
喋りながら思う。……ああ、やっぱり覚えてないんだな。
同時に寂しくなる。この子は、オレを忘れちゃったんだ。
……忘れたほうがいいんだって、そう思ったんだ。
「――その本、オレも借りたことあるよ」
昔、13年前より前を思い出しながら、口を出す。
「ケルト神話の小噺集だろ? 精霊ボガートとかその辺り」
「あ、私もその話好きですよ。ボガートと畑の作物を取り合う話ですよね」
「そうそう。その本の訳、2人のやり取りがテンポよくて笑えるよな」
「くすっときますよね!」
周りの迷惑にならないためだろう。小さな声でミコトが笑う。
「で、読むたびにちょっとおかしくて、毎回損をするボガートが可哀想になるんですけど……でも、なんか」
「なんか?」
「どこかで……聞いた話だなぁって」
ふと思い出す。
あれは、いつだったかな。
――「男は言ったんだ、『作物の地上に出た部分、地下に出た部分、どっちが欲しい?』」
今日みたいに、風が強い日だったかもしれない。
ドームのガラスの向こう、なぜだかやたらに雲の流れがはやくって……
――「するとボガートは『じゃあ地下の方をもらうよ』と言った。それを聞いた男は麦を畑にまいた。するとどうだろう、実った麦は全部男の取り分になったけど、ボガートの取り分は切り株ばっかり」
耳の奥にまだ残っている、噴き出したミコトの笑い声。
あの時のミコトの服装は、確か。
――「怒ったボガートはムキになって、『今度こそ!』と次は地上に出た分を貰いたいと申し出た」
――「じゃあ今度はボガートが得するね?」
――「……ところがそうはいかなかったんだ」
――「どうして?」
朧げに浮かぶ光景――ちいさなスニーカーとキュロットパンツ。
あれはきっと、小学生の頃のミコトだ。
――「男はその年、ジャガイモをたくさん植えた。おかげで男は芋をたくさん取れたけど、ボガートには何も残らなかった」
――「ずっるーい!」
……ミコトは、中等部に入学してからこの本に出会ったんだろう。
そこからなぜかお気に入りになった。それはきっとこの世界でも変わらない。オレに出会わなくても、なぜだか分からない「変な懐かしさ」に惹かれて。
「ああ。どこで聞いたかわからないけど、何か覚えがあるなって話――」
思わず笑った。……そうか。
気づくと、力強く言っていた。
「――そういうのさ、よくあるよ、オレも時々そう思う!」
「え?」
ミコトの中にはまだ、「あの日の出来事」が残っている。オレの知ってるミコトは、まだどこかにちゃんといる。
「――このお間抜けボガートの話、どっかで小さな女の子に話したなあーって!」
この後ゴーレムに大群で襲われたらごめん、イヌカイ。
だって、我慢ができなかったんだ。
木の妖精が教えてくれたケルト神話の一節なんて、きっとミコトの中にはもう実在しないのだろうけど。
それでもミコトの中のどこかに、何か違和感があるのが、すごく嬉しかった。
どこかにオレの名残が引っかかっているのが。何かくだらない一瞬を覚えているのが。
ああ――それがもう、たまらなかった。
ああ、今更だ。
出会った時の時永先生が、なぜあんなことを言ったのか分かった。
――「こうして話してみると面白いなー、植苗くんって」
……あれは、なぞったんだ。一気に記憶のフタを開かないように。
でもいつか、自力で開くきっかけになるように。
だって前に言っていたから。オレの記憶で――あの時永は同じように向き合って、学校の廊下で――オレを「面白い」と言ったから。
「……あ、待って!」
時計を見ると割と「いい時間」だった。
このまま話していても居づらいのは事実だし、もう引き上げよう。
そう足を踏み出した途端、ミコトの制止が聞こえた。
「あの……また、今度」
「うん」
「ゆっくり、お話できますよね?」
「……そうだね、次こそは、好きな本の話とか……普通の話をしようよ」
なぜだろう。ドキドキして目がうまく見れなかった。
すがるような視線を感じた。
それは――前みたいに、ちいさな子供が、年の離れたお兄さんに対するそれではなくて。
「――私、高等部1年の時永ミコトって言うんです」
たった2つ上の上級生に対する、それだった。
――「私は……ミコトっていうの。時永ミコト。……あなたの名前は?」
幼い声が、脳裏に響く。
――ああ、何だか不思議だな。
「やっぱり名字は時永ね」
言葉を返す。……執拗に、意味をなぞる。
「名前はミコトちゃん、か……オレの名前はね」
初めて出会ったときの――あの自分の名乗り方を、今でも。
不思議とはっきり、覚えている。
「……イツキっていうんだ。意外とありそうな名前だろ?」
その子は、少し目を丸くした。ああ――そこまでだ。言い捨てて、駆け出した。
「……っ」
自分でも変に胸が締め付けられるのが分かった。
もう一分たりともそこにいられないような。いたいような。不思議な気分だった。
ああ、だけど。
「っ、またね、ミコト!」
……変に、すっきりしていた。すっきりしてたのに、なぜだろう。
泣きたくてたまらなかった。
忘れられていた寂しさと。覚えられていた嬉しさと。
それと。
――思わず、胸に親指を押し当てた。
……気のせいだ。
ミコト相手に、心臓が、ばくばくするなんて。