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1.はりぼてペーパークラフト


 10月の下旬。


 ――ピューン!!


 ……落ち葉をぶちまけて重いものが倒れた。悲鳴のような駆動音。

 街中で白昼堂々と行われる、ごく普通のバトルシーン。

 いや、こんなバトルシーンなんて、通常の地球だと絶対にあるわけがないのだが……。


「イヌカイ、早く!」


 イツキが叫ぶ。――跳び上がろうとした石の怪物・ゴーレムが、障害物を通して幾重にも絡んだイツキの【()()()()()】にガッチリと抑えつけられている。遊歩道のレンガにめり込んだそれは、ばたばたともがいた。


 そう、これはこの「ミコトの創った世界」でイツキたちが記憶を取り戻した際、時永邸の植物ドームにいた――あの、石の塊のような生物だ。


 首を回し、ピュンピュン吼えるゴーレムは相変わらず無機質の塊だった。

 『ミコトの世界』の白血球――異物を排除する防衛機構。磨き上げられた鉱石で出来た生き物がいるとしたら、恐らくはこんな感じに違いない。

 そんなヤツが大人しく隙を見せるようなタイミングを見計らい……

 3、2、1……。


「どぉーんがらがっしゃ―――っ!」


 意味不明な吼え方をしつつ、イヌカイが飛び蹴りを食らわした。

 ――ピチュン! と泣いたようなゴーレムの音。

 すたっ――軽快な着地音と同時に足が地面を蹴る。時永は横目でイヌカイを見つつ、こっそり首をすくめた。相変わらず頑丈な体だ。普通の人間なら鉱石の塊に蹴りを入れたところで足の方がやられるというのに、ミシミシと硬質のゴーレムにひびが入っていく。


「あっ、犬飼先生、一旦()()()!」

「ハウスじゃねえ! その方面のいじりはホントやめてお願いだから、特にお前!」


 言わんとすることは分かりつつ――イヌカイは慌てて踵を返し、時永の言葉に噛み付いた。

 いかに丈夫な骨格と筋組織があるとはいえ、さすがに今から時永がやらかす【反撃】には巻き込まれたくない。

 とにかく後退しながら睨めば、目の前を見覚えのあるレンズの反射が通過した。


 ハウス――犬に対する『おすわり』と変わらない、『家に帰れ』の意。


「っ!」


 イヌカイと交代するように前に躍り出た時永は、ゴーレムの放つ「光弾」を手づかみでストックしていた。


 「発する」のはよくても、「自分がやられると直撃に耐えられない」ようなエネルギーを放つなど、傍から見ればちゃんちゃらおかしく見えるのだが……いや、今更か。考えてみたら人間の銃弾だってそうだ。

 時永は苦笑しつつ、その両手を一斉にぶん回す。


 植物ドームでの初戦以降、ゴーレムからやってきた攻撃をキャッチしては投げ返すのが、彼の定番になっていた。

 ――着弾とともに、ゴーレムがめりこんでいた駅前遊歩道のレンガが砕け散る。


「えー、生きてますか犬飼先生!」

「残念ながら、アンタの後ろには退避済みだ!」


 ――基本はこの3人の中で比較的体力、持久力のないイツキをほぼ動かさず、逆に『的』として利用するのが基本作戦だった。

 彼を狙って放たれた光弾を時永が盾役としてキャッチ。イヌカイはイツキを守る時永の方に攻撃が集中しすぎないよう、ちょこまか動いて圧力を分散させる。そうして隙があれば殴るか蹴りつけ、ストックが溜まれば時永が前に出、弾を投擲するスタイルだ。


 ……最初は武器も使ったが、ゴーレムの肌が固すぎて一撃で壊れるのが続き、結局イヌカイの場合は素手に落ち着いている。


「……毎度思いますが、犬飼先生どんな骨と肉してるんですか!」

「どんな神経してるんだか分からんお前に聞けや!」


 漫才に付き合うほどの余裕はないが、イツキは黙って頷いた。イヌカイの背中を盾にしつつ、その様子はきちんと目でとらえている。

 ――時永はあの一瞬、もがきまくるゴーレムの関節部に向かって正確に、ばらばらの光弾を打ち込んだのだ。

 相変わらず謎の技術だが、恐らく神界人の魔法じみた超能力と同じようなものだろう。時永のはめているドライビンググローブを見つつ、イツキは砂埃の向こうを注視した。


 ……神界人の特殊能力。あれはそもそもメティスの言うところによれば、「普通の地球人」には使えないはずだ。すると、この「地球じみた異世界」でだって使えないのではないかと思ってしまうが……そこはそれ。

 彼は自称、この理想世界の住人だ。

 ミコトが作ったこの世界――そこに居座る「壊れなかったバージョン」の時永。


 ……ミコトは結局、詳しいことは何一つ分からなくても「なんでもあり」の女の子だ。彼女が関わっているというだけで、大体の説明はショートカットできるような気がした。

 この『奇妙な理想世界』の中心が時永だというのなら、主人公の特権があってもおかしくない……。


「全弾いったか!?」

「撃ち漏らしはないはずですが!」


 ……ついでにこの時永。ミコトを誘拐し、この世界を創らせたこの世界の【ラスボス】……クロノスの言動や行動を、ある程度先んじて理解しているようだった。

 今戦闘している石の怪物――ゴーレムは無意識のミコトと意識的なクロノスが合同で作り上げている敵役……つまり、RPGでいうところのエネミーだ。

 記憶を取り戻した直後、初めてドームで見たゴーレムは()()()()()()で創られていたが――普段こうして街中に出てくるゴーレムの発生源は、彼によるとほとんどがクロノス由来らしい。


 「お遊び感覚の神様らしい発想だ」とは思いつつ、イツキは、引き続きこの【善人時永】を注意深く観察していた。


 ……敵にも通じて、ミコトにも通じる訳の分からない【()()()】。

 それでもイツキはあの時……ゴーレムに殺されそうになった。

 その際にこちらをかばった、「壊れなかった時永」。まったく保身に走らない。むしろ全てを他人に投げ打つような悪癖。――悪癖?


 思わずそう捉えた自分に、イツキは苦笑いしてしまった。


 ……この時永は、現実世界のそれとは別人だ。

 当人がそう自称したし、そうとしか思えない振る舞いも多い。「知っている顔つき」なだけだった。

 何をやろうと悪気はない。悪意もない。ただ……この人は「役割上」ミコトのためになら、頭を下げるだろう。


 ……しかし。

 イツキはもうもうと立ち込める砂煙に咳き込みながら思った。

 ……結局、なんでこんなことになってるんだっけ、オレたち……。



 ――ピューゥゥゥ……



 どことなく悲しげな声を上げ、土くれのごとくぼろぼろと崩れ落ちていくそれ。

 ダメージ量が限界に達したゴーレムは、瞬く間に崩壊して動きを止めた。


「はいはーい、しゅーりょおおお! お疲れさあああん!!」


 手を叩くイヌカイ。緊迫感のまるでない、ヤケクソじみた勝利宣言がこだました。鍋でも持ってたらドラのごとく打ち鳴らしているに違いない。


「はーい休め~、はーい寝ろ~!」

「ぐー」

「って何で! 寝ねーよ!?」


 イツキはようやく突っ込んだ。ちなみに「ぐー」と挟み込んだのは時永だ。さすがは「壊れなかった場合の時永」である。……普通にお茶目だ。腹立つけど。


「イヌカイのは不貞寝(ふてね)だろ!」

「当たり前だっつーんだよ!?」


 イヌカイはわめく。ちなみにその後ろ、ボロボロになった遊歩道は、()()()()()()()()――何事もなかったかのように戻っていた。


「折角バスケ部顧問やめたのに、何だこの運動量、ふざけてんの!?」

「……ああ、良いじゃないですか、()()()んでしょ?」


 疲れたように脱力しつつ、時永がへらへら笑った。


「はああああ!? 贅肉(ぜいにく)どころじゃねえもんを増やしてた人間がだよ!? 俺の体重計を心配してんの、マジむかつくんだがー!?」

「……何増やしたんでしたっけ、僕」

「尻尾と体毛だコラァ!」


 それ以外もいろいろ増えてたよイヌカイ……とイツキは心の中で突っ込んだ。

 だって、3メートル近い二足歩行の狼だ。当然それなりに色々どうにかなっていたはずである。


 ともかくプレッシャーから解放されたイツキの突っ込みと、イヌカイの煩いぼやきが続いた。それに時々引っかき回す時永の一言が入るのだが、だんだんと時永の発言が減っていく。


 ――やっぱ疲れてるんだろうか。

 そう思いつつ、イツキはちらりと彼を見た。……いや、今のでさすがに「疲れていない」ようなわけがないのだが、こう……前までの時永なら、その様子を見せまいと立ち続けていたはずだ。


 「時永の追っかけ」にもほどがあったイツキは当然気づいていたが、前までの()()()()はひどく意地っ張りで、弱ったところは他人に全く見せないような人間だった。それが、今の【善人時永】は気が抜けたように近くのベンチに腰掛けている。


「……ふー……」

「……お疲れ様です」


 イツキは口を開いた。


「え? ああ、うん。お疲れ様、植苗くん」


 その様子を見た途端、思わず前までの認識で「ドリンク飲みますか!」「肩をお揉みしましょうか!!」「足ツボやります!!」と女子が殺到する様を思い浮かべた。そう、前までは座るにしても訳が分からないぐらい優雅に座っていたのだが。


 ぱたぱたぱた。


 ……遠い目をしつつシャツの下から手帳で風を送り始めた時永の姿を見て、イツキは苦笑しながら目をそらした。うん……「あれ」とは全然違う。あんな庶民的な振る舞いする人間じゃない。

 ああ、しかし。……時永も違和感だが、こっちも未だに違和感がある。


「……なんか、調子狂うなぁ」


 いつものことではあるが……こんな戦闘があったにも関わらず。町にはパニックの一つも起こってはいない。


「何、ぎゃーぎゃー騒がれた方がいいってか?」


 イヌカイが苦笑いしながら返す。

 ……そう、皆この『バトルシーン』を見ることすらなく完全にスルーしていた。ゴーレムの流れ弾に当たるような人もいるが……なぜだろう、見事に無傷だ。さらには気づいた様子もない。


「報道カメラマンが押し寄せて? 『あらやだ、石の怪獣ですってよ奥さん』」

「『あらまあ、餌付けしたら懐くかしら』」

「食われるわお前が!!」


 時永のさらっとしたのっかりと、それに噛み付いたイヌカイ。

 イツキは思わずつばをむせた。


「そ、そういうんじゃないけど……!」

「まあ、こういうところみると機械的に見えますよね。この世界」


 よっこらせ。……そう言いそうな軽さで、時永は席を立つ。

 近くの自販機にジュースを買いに行ったらしい。イヌカイはそれを一瞬睨んだが――結局、座っていたのと同じベンチに腰を下ろした。


「……俺も最初見たとき、どう突っ込んでいいかわかんなかったわ」

「うん」

「俺たちがどんなに暴れてようと目にも入ってねえし……人によっては、思いっきり当たりどころが悪くってもケロッとしてやがる」


 イツキは頷く。


「見えてないのかな」

「さあ」

「……逆にいうとですね」


 ひょっこり。そこに早くも時永が戻ってきた。

 手元にあるのは人数分の缶ジュースだ。


「彼ら自身が認識してないから死なないんですよ」

「というと?」

「シュレディンガーの猫」


 時永はさらりという。不意にイツキは思い出した。

 猫つながりではあるが、メティスの言葉……。



  ――『そう。例えばある人がこう言うとしましょう。あそこに猫がいる。すると、その言葉は他人に影響を与える。他人の目にも猫が見える』――



「シュレディンガー? SFでよく引き合いに出されるアレか?」

「そう、アレですよ。有名な思考実験です」


 時永は頷く。


「たとえば箱を閉じる毎、ランダムに毒ガスの弁が開閉する箱に猫を入れる。猫の生死は『箱をあける』まで、誰にも分からない。……そこに入った猫以外、誰にも」


 ……自らの見ている世界に、「勝手に法則性を見つける」のが人間だ。

 そう、あの時メティスは言っていた。

 ()()()()()()だと認識することで、半無意識的に「身の回りの世界」を創っていくのだと。

 その能力がたまたま、誰よりも発達したのが【神様】だという話だったはずで――さらに深掘りするなら、ミコトの能力は【神の進化系】。

 つまり、同じ系統の力だという話。


 ただ、神にしてもミコトにしても、レベルが違うだけだ。


 ……本来は白紙の「この世界」。

 何も決まっていない謎の中から、『可能性』を選び取るもの。


「……今現在の『猫』を見る観測者が誰もいないなら、それは確定しない事象になります」


 確定しない事象――つまり大いなる謎。白紙の世界と同じだ。


「だから思考実験の主はこう仮定するわけです。『ガス栓の開閉が不明な箱の中。そこには死んだ猫と生きている猫、両方の可能性が同じ場に、()()()()存在している。箱を開けた瞬間、どちらかが消えるのだ』と。で、僕らのこの会話の場合……『猫』は何になりますか?」

「通行人……怪我をしない通行人」


 イツキは答えた。


「そう」


 時永はゆっくりと頷き、イツキ――ついで、イヌカイをみた。


「正確にいえば、怪我や死亡等【事故の起こった通行人】と【何事もなかった通行人】が、同じ場に重なっています」

「俺たちが先に箱を開けて、【事故の起こった通行人】をクジ引きのように引いたのにか?」


 目撃したというのは、恐らくそういうことだ。

 思考実験にたとえるなら、「箱を開けて猫を見た」のと同じこと。

 ただ……


「ミコトが何らかの形で、【()()()()()()()()】を僕らから外しているんでしょう」


 時永はさらりと言った。


「もしくは力関係とか、優先順位の問題かもしれない。僕らから見て『あれはもうダメだ』と思っても、可能性を選ぶ最終的な決定権を持つミコトは、きっとどこか別の場所で目を背けているんです」


 ……だろうな。イツキはため息をついた。

 ミコトは情に厚い子だ。たぶんどこかで見てたとして、絶対にその瞬間は「直視」できない。


「その上で、ラッキーだった可能性だけを浮上させている。無理やり【何事もなかった通行人】にしている」

「無茶苦茶だな、おい……」


 『私がその場を見てないなら、それは確定しなかったことだ』、『私が選べる』。

 そんな屁理屈を成立させているのだ。無茶苦茶以外の何物でもない。


「無茶も通りますよ犬飼先生……ミコトからすれば、自分が勝手に組み上げた世界です。それに()()()()()の情報密度が違う。意外と『生死をごまかす』ための手間はかからないかもしれません」

「情報密度?」

「ええ」


 時永は以前、この世界の住人を「はりぼて」だと言った。

 その理由の一端がこれだ。


「目に見えるところ……つまりガワだけ情報がしっかりコーティングされていても、中身はどうだか分からないって話です。勿論目の前の通行人、生徒なりにその過去を質問したら、その場で過去は作製されるでしょう。が、逆にいえば、僕らが誰も気にしなかったら何もそこにはないんです。自己判断する脳ですらも」

「ってことは何か」


 イヌカイは言った。


「『自分が死んだ』という、自己判断ができない――つまり、【観測者】が減る?」

「ええ、まさしく」


 ずばり、それは「はりぼて」としか言いようのない世界構造だった。

 つまり、猫ですら自分が死んだか否かが分かりそうなものだというのに、ここの人間には――下手すると自我がない。自己認識そのものができないのだ。

 時永は淡々と言う。


「……ただ、ウロウロする【人型の何か】がいるだけなんですよ。基本的には」


 そして「はりぼての自覚」は残念ながら、当のはりぼてたちにはない。

 勿論【質問】や【触れ合い】を繰り返せば、いつかそれは必ず「自律的な行動」を始めるし、意識のようなものも持ち始める。

 それなりの過去も自覚する。


 ともすれば、イヌカイかイツキかミコトか時永か――この中の誰かが詳細な過去を思い返したり、その過去の登場人物を設定さえしてやれば、対象は「生き物然」とするわけだ。

 けれどそれらは残念ながら――イツキたちと同じだけの影響力は持たない。


 紙相撲で何をどうしても倒れないのは「しっかりと中身が詰まった紙粘土」だけだ。紙の力士からすればそんなもの、紙相撲でもなんでもないだろう。


「本物の地球ならきっと、一人一人が同じくらいの力関係で影響しあっています」


 時永は苦笑しながら言った。


「こいつはこういうやつだ、あんな過去で、こんなことをしている……世界人口、約80億人がお互いを視認しているし、個人個人でネットワークを作り合っている。相互で認識しあい、深く強固に事実が確定するわけです。ですがこの世界では力の優劣がある」


 そう、優劣だ。


「……ミコトに一番の決定権があって、次点で僕らです」


 この世界の住人が「紙一枚で出来た力士」なら、イツキたちは「紙粘土の力士」――そしてミコトは「何かもっと重い物体の力士」に違いない。

 トントンしたところで相手はびくともしないどころか、自爆するだけだ。


「基本は僕ら3人のみが釣り合って、均衡を保っている。相互に人物像を認識しあい、影響しあっている」

「お前も一応『はりぼて』だろ?」


 イヌカイは突っ込んだ。確かにイツキ共々、そう説明されたはずだ。


「そう! ――でも僕は【ミコト特製のはりぼて((※嘘ですが))】なので、中身はそれなりです」

「中心人物ですもんね」


 イツキは自分なりに考えて言葉をはさんだ。

 時永は一瞬、驚いたような顔をする。


「……この世界がもし、先生の好きな小説だとしたら、主役には念入りに()()()()()()はずだから」


 きょとんとした表情は、やがて薄く笑った。


「ミコトが作家先生だとして、書きたかったストーリーはこの時永先生の話だ」

「……。まあ、そういうことだね」


 少し、妙な間が開いた。……照れたのかもしれない。もにょもにょと口を動かした時永は困った表情で、「ひょこり」と首を傾げる。


「えー、逆に僕らが、その日限りしか顔を合わせないような通行人……植苗くんの例でいうなら【モブキャラクター】ですね……こういう人たちは、ちょっと申し訳ないんですが、設定という中身が雑です」

「雑、ねえ」

「それこそ『通りかかった市民A』くらいの概念しか込められていないし、ミコトからはそれ以上の役割を必要とされていません」

「なるほど?」


 イヌカイの相槌。

 目の前を野良猫が横切った。……これもか、通行猫A。


「この間までの植苗くんや犬飼先生のように、『自分の過去や人間関係』まで設定されたり、思い出そうとしたらなかったことにされたり、などということは……通常、起こり得ない」


 時永は一つ、ベンチに缶を置いた。

 先程買ってきたらしい青いスポーツドリンク。上から降り注ぐ太陽光。落ちる影……。


「一つの方向からしか光が当たらなくて、後ろの影が見えないのと同じです。影の部分が設定されない。他人に見えやすい外側から、なんなら僕らを向いている表側から、どう見えるかを軸に設定の穴は埋められていきます」


 くるっと時永は缶を回転させた。


「後ろを覗き込もうとしたら、一応穴埋めはされるでしょう。……その場その場で、必要に応じて作られていくようなものだと思ってください。そんな『形だけまず埋められた何か』が、自分に対してのダメージ計算ができるポテンシャルをはたして持っているか。そういうことですよ」


 スポーツドリンクに続き、缶飲料を彼は並べてベンチに置いた。

 ……小豆色と緑色。


「まあ、つまりはちゃんとした意思がないんです。この世界の住人は僕らから見たら動いて喋る、人間によく似た、よくできた人形みたいなもんですからね」


 どうぞ、と手で示され、イツキは緑色の缶をとった。


「……どうも」

「ありがとうございます」

「ってあっつ! おしるこじゃねえか!?」

「アンコ好きでしょ?」


 しれっとした顔で時永は冷えたスポーツドリンクを開け始めた。

 ……イヌカイの前に置いた小豆色はおしるこだったらしい。


「何の嫌がらせ!!?」

「いや、冗談ですよ面白いな。――はい、あらためて」


 ポケットから出てきた冷たいお茶が今度こそ手渡される。


「いや面白がられても()()()()()()()()って時点で既にトラウマスイッチすれっすれなんですけど俺!? ……あっ、緑茶だ、わーい。好きなメーカー!」

「この人ちょろ――いや、払拭できました?」


 ニコ、と笑う時永にイツキは思いっきりジト目を放つ。

 ……この人気づいたら、ずっとイヌカイからかって遊んでるな……。


「なんて雑なトラウマ治療ぉ!? しかも今ちょろいって言わなかったか? 言ったよねえーっ?」

「イヌカイ、うるさい。耳キンキンする」


 運動後に渡されたものが「アツアツのおしるこ」なのは同情したいが、兎にも角にもいちいちつっかかりすぎだ。切り替えてほしい。


「うるさいじゃないわ、お前もなんか言え! 何飲まされた!?」

「オレはちゃんとメロンソーダだから」

「差別的!!」


 そう言いながらイヌカイが缶に口をつけたその時……


「……あっれぇー? 元くんじゃーん!」


 イヌカイがお茶を思いっきり噴き出した。そこに現れた女性にイツキが驚く。


「ゆ、ユキ姉ちゃん!? ……ってイヌカイ知り合いだったの?」

「ゲホゲホゲホ……し、知り合いどころか……」


 イヌカイは咳き込みながら目を逸らし、ボソッと小さく答える。


「も……元カノ……」

「……は?」


 イツキがあんぐりと口をあけた。

 女性はあっさりと肯定した。


「うん、思いっきり元カレー! ……っていうかイッちゃん大きくなったねえ、元気してたー?」

「マジかよ、イツキ……知り合いかよ……」


 呆然とするイヌカイの後ろ。時永はハッとしてそれをみつめた。

 ……忍び寄る、男の影。


「……時永先生?」


 イツキもその目線を追い、気づいたらしい。

 時永は少し考え――あきれたように溜息をつく。



「…………様子を見ようか、植苗くん」


 ――柔らかく笑ったのには変わりない。

 が、ちょっぴり底の冷えた響きで、時永は耳打ちした。

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