??.小劇場にて
……ひとけのないホールだった。
薄暗い中、ずらりと並んだ客席。
垂れ下がった照明器具。全開にされたままの緞帳。
「……何で」
反響するのは低い男の声だ。
はっきりと、よく響く音。
「……『コレ』を知らされたのが、オレ達だけなんだ……?」
声の主は舞台上にはいない。目を凝らしてみると、どうやら客席の隅にいるらしい。横の壁には寄りかかる女性。……髪は少し長め、つやつやのセミロングだ。スタイルもいい。
恐らく彼女に言い寄られて『悪い気』のする男はいないだろう。
女性は俯いていた顔を、少し上げる。
「……いや、思うんだけどね」
「何だよ」
ムスッとした男に、ゆっくりと女性の声が重なる。
「なんで、『あたしたち』だったのか?」
「……」
「それはきっと推測だけどさ。あたしたちが本来、あの3人とすっごーく仲良しだから」
――この世界は『外部の人間の記憶』で出来ている。
「『植苗イツキ』と『犬飼 元』、一番最後に『時永 誠』」
「……」
「その3人にとって……すごく思い出深い人物だったからじゃないの?」
――まるで夢のように精巧に、そして夢のように雑に。……目に見えるものはリアリティたっぷりに、見えない箇所はとんでもなく適当に。
だから一見分からないのだ。ぼろさえ出なければ、誰が見たところで「本物そっくり」に見える。
「んなこと言われたってさ!」
突如、ぐわっと風が吹くように――男の声が鋭く女性に突き刺した。言葉の刃を、女性は首をすくめて見下ろす。
まるで効きませんよぉ? そんな雰囲気で。
「犬飼の方はともかく、オレはそのイツキくんのことは何も知らないんだけどなッ!?」
「機っ嫌悪いねーえ」
女性は苦笑いした。――そう、本物そっくりなのがこの世界。だからこそ、こういう『ヤケクソ気味の男』が生まれたりするわけで……
「! おっと、どーどーどー!」
ドンガラガッシャン! 男の暴れた音がした。
……投げ飛ばされたのは小道具の入った段ボール。
「自分という人間は、本物か?」 ――そんなもの当然、自分にだって分からない。
だって、普通に生きているのだから。
痛みも感じる。喜怒哀楽もある。
少なくともシステム上は、そう動作している。
ただ「外部の何者か」に声を掛けられなければ、の話だ。――否、こういっても凶行に及ぶ直前の犯罪者のようで、まるで説得力はないのだが。
ん? 凶行に及ぶ犯罪者? ……はは、と女性は苦笑いする。
――いやあ、時永くんも災難だよねえー。
カコン! ――また何かを蹴っ飛ばす音がした。
客席の下で空き缶が転がる。
「あああイライラする!」
「だよねー」
へらりと女性は笑った。……まあ、気持ちはわかる。
「どうしてオレがあいつと喧嘩しなきゃなんないんだッつーの!」
「いやあ、神様に怒ってもしゃーないっしょ、落ち着きなさいって」
「オレが怒ってんのは!」
おっ……と女性は男のつかんでいた肘掛けを注視した。
――ひしゃげている。客席の椅子がいとも簡単にひしゃげる等、そうそうない。
女性は笑っていいのか怒っていいのか分からない顔をした。……オオカミさんだった元くんの怪力が、移ったかな?
「オレをつくった、女の子の方だ」
「……元くんのほうではなく?」
そう呟きつつ女性はくいっと肘掛けを『戻す』。それはひしゃげる前と違和感はなかった。……いや、よくみたら歪んでいるのかもしれないが、少し硬めの樹脂粘土と大差ない。
「知らないから、憎みやすい。そうでしょう?」
彼女は手品のように肘掛けを指した。
……これで殊更ハッキリした。この世界はやはり、ていのいい偽物だ。
グッと男は唇を噛む。
「――じゃあ、何でオレはこんな世界にいるんだ? いつから、この世界は偽物だって決まっちまったんだ?」
「………。」
「最初からか? ――まさか気の遠くなるほど、ずっと昔からか!?」
「知らないよ、だってあの子は過去も創れるわけだし」
世界は今創られた、なんて与太話でも理屈は通るのだが。
……女性は呆れつつ、口をもにょもにょと動かした。やってから気づく。
――あーこれ、時永くんが困ったときの癖だわ。
「こっちは、ずっと本物だと思って生きてきた。それを蓋開けてみれば何故? ……オレを含めたこの世界は偽物だって?」
はあ、と重い息を吐き、男は問う。
「――じゃあなんだ、何もかも無意味だったのか? 積み上げてきた時間も、弛まぬ努力も!」
女性は首をすくめる。
まあ、分からなくはない。繰り返すが――こっちだって「ちゃんと生きてきた」のだ。少なくとも、こちらの認識上は。
女性が言うように、ミコトは過去も創れる。「認識の改変」だってお手のものだろう。むしろそれが本懐だといっていい。あの子はただ、自らの周囲を「住みやすくする」、そんな力に長けているだけに過ぎないのだ。
都合の悪いことは、誰だって避けたいと思うだろう。
不運は避けたい。幸運には恵まれたい。
不運な目に遭うということは極端な話、「突発的に死ぬ可能性が高まる」ということに他ならない。
「生物的な死」を回避する為、都合よく因果関係を改変する無意識の能力。
それがミコトの持つ【何でもあり】の能力の正体だ。
ミコトが「本気で、気づくなと願った」なら、きっと誰も気づかない。
特例があるとしたなら、それはミコトがこの世界の【台風の目】――お話の中心として設定している『時永 誠』と、彼が手を貸すその周囲――それから、ミコトと同程度の権限を持っている、【神様】の息のかかった誰かだけだろう。
実際、女性にだって今まで自らの置かれた境遇に、環境に……特に疑いもせず、まっすぐ過ごしてきた自負がある。今まで何千回と朝を超えた確信はあった。
数えもせずに、一万何千回の一日を見た。
それは男も同じだろう。
彼はその「疑えない空気」を嫌というほど知っている。
彼はその現実を嗅いだ。
聞いた、味わった。経験値を積んだ。
その上で彼の稼業は巧くいっていた。
「軌道にのっていた」し、その道程は恐らく、誰にも真似のできないものだ。
彼は誰もが認識する限り……そう、誰がどうみても成功者の端くれだった。当の『犬飼 元』が見れば、「お前、すげえ頑張ったな!?」と目を瞬かせるほどに。
……いや。
女性は苦笑いした。――流入する、微かな記憶。大きな獣が廊下で耳を澄ましていた、音声。
そうだ――実際、薄々は「聞いて」いるんだっけ。
何せ事実がどうであれ、ビッグバンから今までが濃密に圧縮された、【誰かの夢】であったとしても――今の今になって、それが造り物の紛い物であったと、否応なしの自覚がかぶさっても。
女性は肩をすくめ、客席に座る男を見た。
……彼にはきっと、「捨てられないもの」があるのだ。
「そりゃあ、確かに痛いよ秀ちゃん。ある日突然、夜中目覚めたら真実が見えてるんだ、霧が晴れたように」
「……ぐーぅぅぅ……」
呻くその音を知っている。
嘆くその心を知っている。
……何せそれは、本来この男のものではない。
「挙句、そこには顔も知らない【神様】のお墨付きもあるとくる」
ミコトが「気づくな」と思えば、誰も気づかない。
それがきっと長らくこの世界の理だった。
ついこの間までは。
だけど。
「……知ってしまった。自覚を持ってしまった」
「……」
「否、たぶん――ようやく自我を持ったんだよ、あたしたちは」
自覚なんて生易しいものではない。
いまや「谷川ユキ」と「佐田秀彦」は完全に自我を持っている。
女性――谷川ユキは自嘲気味に笑った。
恐らくそうなったきっかけは、『犬飼 元』の思い出の回想を切欠にして。
そして次に進むため、過去に溺れないために――『全部忘れろ』という誘惑を彼が振り払ったことを、一つのトリガーとして。
「寂しいね、秀ちゃん」
女性は苦笑いする。
恐らくは――その、【振り払われた記憶】が、自分たちになったのだ。
「このまま何事もなく、『何事もなかったもしも』に沈んでくれてたってよかったのに……戻ってこないつもりだっていうのが、これだけで分かる」
「…………。」
「何にせよ、あたし達は高次元の何者かには絶対に勝てない。元くんや時永くんたちを含めて」
……【神様】と自称するのは結局一人だけにしろ、自分たちからみれば、どうせ皆似たようなものだ。たとえ相手が世界を滅ぼす敵であっても、正攻法ではどうにもできない。
女性は一度口をつぐんだ。
目の前の震えた、中肉中背の短髪男。
タコ焼きの好きな、本来は誰より明るいお調子者の「佐田秀彦」。
遊び人「谷川ユキ」の姿かたちをした女性は、大きく息をついた。
――造り物。紛い物、贋物。
この男が捨てられないものは、きっと過去だ。
『犬飼 元』は過去への憧憬を捨てた。
ミコトに出会う前、時永に貶められる前の28年間を捨てた。
勿論、こだわりがなかったわけではないだろう。それなりに努力していたのだろうし、それなりに愛着はあったのだろうし。それでも彼はミコトとイツキのために腹をくくった。
「……クソ……」
彼は焦燥のまま呟く。
佐田秀彦――彼の持っている【成功者の誇り】は、きっとかつての『犬飼 元』が認識していたものだ。
まぎれもなくヒトだった頃の彼が「自分自身」に持っていた感情と、彼の知っている佐田のイメージが重なった結果だろう。
――あの日の時永邸で、長い廊下で。
初めて友達の喋るラジオ番組を耳にした彼は、一方的に願ったはずだ。
思いもよらないところで存在を認識した「嬉しさ」と。知らないところで過ぎていた時間に対する、複雑さと。それを振り払って、口角を少し上げた。
きっとその時、一方的に想いを託したはずだった。
……『俺の分も頑張ってヒトを生きろ』と。
「――あたしたちはアレに勝てないよ、正攻法では」
改めて、口を開く。――気を取り直して、谷川ユキの形をした偽物の女性は「彼の知っている佐田」から脱却できない男を見据える。
「……きっと赤子が、大人に噛みつくようなものだろうから」
人が宇宙の法則に勝てる道理はない。これはきっと、そういうレベルの話だ。
「たとえるなら板挟みになってるみたいな。彼らに『邪魔だ』となかったことにされたら。あたしたちは存在自体、消えてしまう可能性がある」
ぼそりと男は呟いた。
「……犬飼はしない」
「知ってる。性格上できない。でも理屈上はできる」
おそらくこの「佐田」が目の前に現れたってやらないはずだ。戸惑いこそすれ――そして、気恥ずかしさで逃げることはあっても。『犬飼 元』は目の前の、「人の形をした紛い物」に冷たい態度はとらないだろう。
それでも、強者を弱者は忌避するものだ。
「秀ちゃん、さっきから体の震えが止まってないよね? それ、真実を突き付けてきた神様に、無茶言われたからじゃない?」
「……」
神は言った。
――『犬飼 元』は世界の敵だと。
あれをどうにかしない限り、いつか……この世界は、自分たちの知らないうちに、フワッと消えるのだ。自分たちが必死に生きてきた結果が、積み重ねてきたものが。跡形もなく終わる。誰にも認識されず、認められず、塵芥になる……。
「逆らうこと、敵対することに本能レベルの恐怖を感じてるんだよ。きっと元くん派閥、そして神様、どちらにもね」
「……」
「そしてどちらかに従うしか、あたしたち人類存続の道はないわけだ」
「…………」
そしてどちらがマシかと問われれば、女性は迷いなく【神】のほうを指すだろう。なぜなら彼は――クロノスは、この世界の存続を望んでいる。
それがたとえ、「一時的なもの」だったとしても。
「少なくともここにとって、彼らは異物なんだよ。元くんは時永くんの誘いにのったし、のってしまった。……この世界と離れることを選んだ。創造主の女の子を連れて」
『創造主』――つまり管理者を引き抜かれた世界がどうなるかなんて分からない。ただ、そのままで続かないのは事実だろう。
つまるところ、この世界は穏やかな終わりを迎えるということだ。
虚構の世界は、虚構のまま。
真実になることもなく、ただうやむやになる。
――存在を否定されたままで、終わっていく。
……男はそれを聞いたのか聞いていないのか続ける。
「こんなことになるくらいなら――」
「出会わなければ良かったー……なんて言うつもり? 元くんと」
畳みかけるみたいに、女性の芯のある声が響く。
「誰かさんによく似てるね、それも」
「!」
カチンときた。そう言いたげに、でも「佐田」は押しとどまった。
低く声を抑えるように彼は答える。
「……そうだよ。オレには『親友』に手をかける、なんて真似はできないね」
女性はそれを聞いて少し笑った。
「意外と強いな、秀ちゃん」
――まだ、君はそう言えるんだ?
「あの。……さっきから、ゆっきー先輩は何でそんな他人事なんです?」
イライラしたようにいう男に、女性は少し口をつぐんだ。――吸音材の静寂。
割とあっけらかんとした声が、存外、かわいて響いた。
「……なんでだろーね?」
可愛く言ってもしょうがないのだが。
彼女は……「谷川」はひょこりと首を傾げた。
同時に気づく。
これも、「時永くんが言葉に迷ったとき」のごまかし方だったなー、と。
「……そっかぁ。やっぱ、そうだよねえ」
――紛い物だ。
そう、どこまでいったって影響からは逃れられない。
自分たちは外部の人間の記憶から創られたし、それを認めるのは、目の前の彼からとってみれば癪だろう。……俳優、声優、ラジオパーソナリティ。どれにしろ、オリジナリティがなければ生きていけない代物だ。
けれど、と女性は思う。
……あたしくらいだよね。この状況。この状態。
「……ふふ」
――悪くないかなー、なんて思ってるのは。
※ 時系列は『青春ロスト』の終盤。
谷川がイツキと時永に向かって思い出話をしていたより、ちょっと前の話。
第4部はここから本編の3人に出会っての「スタート」です。