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33.過去の夢、これからのそれ 4年目・11月~12月



・2013年11月29日(金)


 仔犬は迷子じゃなくて捨て子だったのか、結局飼い主も一向に現れる気配がないままに時間だけが過ぎていった。お父さんの説得にようやく成功した谷川さんによって、12月には谷川家に引き取られるという話まで決まってきている。


 ……でも今は、そんなことは関係がないみたいだった。


「ゴマくん、拾っておいで!」


 時永くんは庭に向かってひらけたテラスから、古いテニスボールを放る。

 えらくコントロールがいいなぁ……と思っていたら、どうも小学校の授業参観で、休憩時間の野球に参加しないでいるのを目ざとく見つけたお父さんから、キャッチャーミットを持たされて猛特訓されたそうだ。

 曰く、「良いとも悪いとも言わずに睨みつけながら投げてくるから、プレッシャーでうまくなった」らしい。


 ……確かにそれは怖い。


 トコトコと嬉しそうに駆けていく仔犬の成長は、やっぱり早い。もう体つきもただコロコロとしているわけじゃあなさそうだった。


「……笑顔が出てきたね」

「ん?」

「時永くん」


 それをちらりと見やりながら、携帯を取り出す。……気付くとわたしは、あれから事あるごとに時永くんの家に入り浸っていた。保護犬のゴマちゃんが心配だったのもある。そしてそれ以上に、時永くんが心配だったのもあった。


 ――あれからもう一度、電車とバスを乗り継いで、あの大きな玄関を開けたときの。あの思いっきり息を吐いた、安堵の表情を覚えている。


 『寝ている間の時永くん』が何をするかなんていうのは、わたしにだって分からない。でもゴマちゃんが来て、初めてわたしが谷川さんを連れず、ひとりで時永くんちの呼び鈴を押した日。


 ……わたしの目の前で、彼は居眠りをした。

 今までゆっくり寝られなかったのかもしれない。緊張と恐怖で、何度も起きたりしたのかもしれない。それが、まるで糸が切れたように、ぐっすりと。


 クッションソファで熟睡する時永くん。その腕に、よちよちともぐりこむ小さいゴマちゃんの姿に、思わず携帯を構えた。


 起きた後、それを見せると「なに勝手に撮ってるんですか」なんて呆れられて――それでも、ホッとされて。


「――よかった、ちゃんと寝てるんですね、僕」


 これでゴマちゃんが「そこにいない」写真だったら、疑惑が拭えなかったかもしれない。ただ、自分から潜り込んできているゴマちゃんが見てとれて。彼はようやく安心したんだ。


 ――懐かれている。信頼されている。


 それできっと思った。


 ――僕は何もしていない。


 「誰かを害したら」という恐怖があったのを、改めて知った。

 それが日に日に、薄まっていくのを感じとった。

 ……気づくと、写真のやりとりが多くなった。


 本文もなしに、お互いポンポンと犬の写真を送り合ううちに、ふと思う。

 時永くんとこのゴマちゃんの出会いは、「必要なこと」だったんじゃないだろうか……って。


 わたしはここ最近のメールを見返してみた。

 件名が「ゴマ」のものがここ数ヶ月ずっと並んでいて、殆ど観察日記状態だ。


  ――「気が晴れるんでしょうね。そうやってるほうが」


 メティスが苦笑する。


  ――「だって動物は、人が思うよりもずーっと賢いもの。言葉を話さなくても大抵は察してくれるし、私たちを慈しんでくれる。そりゃあ、多少は性格によるかもしれないけど、大なり小なり、愛情と愛想を振りまいてくれる。時永くんが没頭するのも無理はないわね」


 だって彼、不安定でしょう?

 そんなことを言うメティスに、わたしは聞き返した。――不安定?


  ――「そう、精神的に不安定」


 最近、右手が動くのって見た? そう聞かれて、わたしは頷く。


 ……何度か見た。

 そのつど顔を見上げると、少しだけ印象が違った。

 クールめというか、普通に「つめたい」というか。

 クロノスほどでもない違和感。


 それはきっと、前にメティスと話題になった、時永くん自身が覚えていない『親殺しの後片付け』をした、あの時永くんなのだろうけど……でもすぐに、様子は元に戻る。


 彼自身が目に見えて動いたのは一度だけ。

 あの、去年のクリスマスの日――飲み潰れた後、「物騒なことを言った」というアレだけだ。


「……メティス。時永くん、そもそもクロノスだけだと思ってるんじゃない? 寝てる間に動いちゃうのは」


  ――「そうね。後片付けの時永くん……なんだかややこしいから、軽い二重人格と仮定して、別人格としておきましょうか」


 軽い二重人格?


  ――「そうよ。たとえば、美郷が前にいってたことだと、食べ物の好き嫌いがたとえやすいかしら。レモンを見て、あなたはすっぱいと思う。でも、香りは嫌いじゃない。こうして2つ意見があるとするじゃない?」


「うん」


  ――「で、ある日『レモンはすっぱい』と思ってる美郷と、『レモンは嫌いじゃない』と思ってる美郷に分裂したとするの。片っぽはすっぱいしか思ってないわけだから、『すっぱくて苦手』と思ってるかもしれないし、逆に嫌いじゃないほうは、『生でも行けちゃう!』になるかもしれないわね」


 たぶんそういう感じよ、とメティスは言った。


  ――「大まかに経験したことは同じでも、()()()()()ことが違う。そんな自分が誰しも心の中にいるの。どんなに満足した人生を送っていても、『これでよかったの?』と、心の中で誰かが問いかける」


 ……分かる。

 その場では納得した選択でも――その後も、正解だったと思っていても。

 ある日唐突に。いきなり後悔するのと同じだ。


  ――「それでも大抵は、それが表に出ることも、分かれちゃうこともないわ。いくら自分の考えに矛盾を抱えていてもよ。だけど、ごくたまに強く傷ついたり、トラウマを負ったりした人は、それを自分の中に抱えていられずに切り離してしまう。――時永くんの場合、それが両親の事件で起こったの」


「……」


  ――「特に、お父さんに対する感情の複雑さったら、ないでしょう?」


 ……素直に、懐くことのできなかった後悔。

 血縁は関係なく『大切にされていた』。それに気づいた、成長後の時永くん。


 ……懐いてはいけないと思っていた、幼い記憶。

 雪に対する願掛け、願い――おそらくは一生届かない――そんな、拙い想い。

 お父さんを含めた、『他人』と距離をとって接することで、【理想のヒーロー】を待ち続けた、子どもの頃の時永くん。


  ――「……今強いのは、きっと後悔よ」


 メティスは言った。


  ――「『現状を受け入れて、先に進もうとする』、そんなアクティブな時永くんが、普段表に出てる()()()。それで、『かたちのない想像に憧れた、子どもから脱却できない、したくない』のが、きっと()()()。普段表に出てる、いつもの時永くんを見ていればわかることだけど。あの子、根っこからして妙に頑固で真面目なのよ。たぶん、別人格の時永くんも、そういう節があるんじゃないかしら。恐らく……」


「恐らく?」


  ――「……一度願ったら、一度夢見たら、絶対にそれを曲げないの」


 ……それは、確かに。


  ――「それに対して、ひたむきに努力を続けるの」


 ……いつもの時永くんと、印象がぶれない。


  ――「だからこそ、彼は、『ヒーローでない者』には心を開かない。ひらけないのよ。……だって、幼い頃にそう願ったんだから」


 ――そう。たぶん。「待っていた」と、言いたくて。


 だから『凄惨な現場』を目にしても、心は動かなかったのかもしれない。

 そのとき表に出ていた時永くんにとって、育ての親だったお父さんお母さんはヒーローではなかったんだ。――人の死体には触れたくないかもしれないけれど、それは、『他人のもの』に等しい何かだった。


  ――「たぶんだけど、別人格の彼が『右手を動かす癖』っていう形で表に出てること、っていうのは、彼自身はまだよくわかってないんじゃないかしら」


 うまく動かない人型ロボットを、まず始めに動かすとしたら――利き手の方。以前メティスと喋ったこと。あれから目立つようになった違和感。


「キャンッ」

「よーし、偉いねえー」


 ……仔犬が尾を振りながらボールをくわえて戻ってくる。

 わたしはメティスの言葉を聞きつつ、何気なく携帯を構えて嬉しそうな時永くんと小犬のショットをおさめた。

 ……うーん、ブレてたら嫌だから、念のためにもう一度。


 その時、画面の隅に表示されている時刻が目に入った。


「……時永くん、そろそろ帰るけど、何か夕飯一緒に食べに行かない?」

「もうそんな時間?」


 ボール遊びを続けようと催促している仔犬を、時永くんは少し名残惜しそうに抱き上げた。




  *   *   *   *




「ゴマちゃんはいつ引き渡すの?」


 移動中のバスの中でわたしは聞いた。時永くんは答える。


「……もう、29日ですからね。明後日くらいかな。谷川さんに駅前まで来てもらって、それで渡すんだ」

「寂しくなるね」

「数ヶ月一緒だったからね。きっと寂しいんじゃないかな。……正直、実感わかなくて」


 動物を飼うってこういうことなんだね、と時永くんは笑った。


「すぐそこにいることが当たり前みたいに思えてきて、暫くしたらどこかに行ってしまう。それが、一緒にいるうちはまったく頭の中にないんだ。まるで家族みたいで怖いよ」


 わたしは納得して頷いた。……わかる気がする。いつか来るはずの別れを意識しないで暮らしてしまう。いなくなったときに、初めて喪失感が心に重くのしかかる。


 ううん、もしかしたら……別れが来ても、暫くは実感がなかったりしてしまうのかもしれない。


「きっと家に帰ったら、いないんだろうな。そこで初めて寂しいと思うんだなって、漠然と思ってる。なんかそんな光景がもう頭に思い浮かばないんだよ。……おかしいね、数ヶ月前と同じ生活に戻るだけなのに」


 そういう時永くんの表情に少し違和感を感じた。……すぐにふっと右手を見るけど、携帯を持ってちゃさすがにわからない。素でこんな表情する人だったかな。だんだん、疑心暗鬼になってくる。


「時永くん」

「何?」

「最近、記憶がはっきりしないこと、ある?」

「……ちょくちょくは。でも、不思議なんだ」


 彼は言う。


「『思い出せるとき』と、『思い出せないとき』があるみたいで」


 わたしは思わず彼の手を掴んだ。


「……豊田さん?」

「あのね、時永くん……」


 あのクリスマスに、本当は何があったのか。わたしはぶちまけるように話した。メティスの話。見解。――彼は少し黙り込む。


「……大丈夫」


 でも駅についた瞬間、彼はちいさく笑って口に出す。

 かといって、笑い飛ばすわけでもない。


「そういうこともあるのかもしれない。少なくとも、色々と合点はいく。――ただ、やるべきことは変わらない」


 慌てることはなかった。動じることもなかった。そう、それは――きっと、この1ヶ月で身についた、彼自身の強さだ。


「……君がいたら、平気だ」




  *   *   *   *




・2013年12月9日(月)


 さて、その日もいつも通りのお昼、わたしたちは集まった。雨の日だからラーメン屋じゃなくて食堂。時永くんはしょうが焼き定食をつつきながら谷川さんに言う。


「ゴマくんあれからどうしてます?」

「へっへー! もうすっかりジョンの子分だよ! 一時期とはいえ時永くんもお世話してたんだから、結構寂しいもんでしょー?」

「ええ」


 ……あれ以降、ときどきわたしは時永くんがどことなく別人のように見えることがあった。

 でも今はそれがない。


 あの後、ご飯屋さんで彼は確か、こう口を開いていた。


  ――『何度か、実際に記憶がすっ飛んだことがある。……でもハッと気がつくと、今しがた洗おうとしていた飲み水の器はきちんと綺麗になっていたし、逆に綺麗だったご飯のお皿には、ゴマくんの舐め跡がついていた。誰がそこにいたかはともかく、ちゃんとフードをあげていたんだ』


 ……わざわざ僕の体を乗っ取って餌をあげるとか、考えられないだろ、あの神様。時永くんの問いに、わたしは頷いた。


  ――『だからつまり、あれは……僕がやっていたんだ』




「……ところで話変わるけどさ、時永くん最近凄いらしいじゃん。成績、学部トップだって?」


 は? わたしは谷川さんの持ち出してきた話題に驚いて箸を止めた。

 ドヤァ、と時永くんは得意げに胸を張る。


  ――「1年の頃のテストは散々だって言ってたのにね」


 メティスも意外そうだ。時永くんは照れくさそうに頭に手を当てた。


「……最近は驚くほど集中できるんで、そのおかげでしょうね。気づけば頭に入ってたりするし」


 ……もしかして?

 わたしはふっと気づいた。


  ――『「思い出せるとき」と、「思い出せないとき」があるみたいで』


 ……覚えてないときと、覚えてるとき。

 もしかして勉強中も、ちょくちょくあったんだろうか。

 それで違和感に気付いたのかもしれない。


 記憶がないはずなのに、寝ていた様子はない。明らかに「起きていた」ことになっている。具体的に何をしていたかはあやふやだけど、どこで知ったか分からない、そんな知識も入っている……。


  ――「……クロノスのときとは感覚が違うのかもしれないわね」


 メティスは唸りながら言った。


  ――「外部から意識をねじ込まれたんじゃなくて、元からそこにあった『自分の一部』が活発化しているだけ。だからうとうとする必要もない……」


 ということは、もしかして『クロノスの妨害がなくなった』ってことなのかな?

 時永くんの体を使っていたずらしようとした形跡……すぐに時永くんが目を開けたまま、居眠りする……ボケっとしたりする、その原因。


  ――「……そう、うとうとする必要も。つまり、時永くんが反抗できない。ああ、なるほど。これが目的だったわけ……」


 ……えっと、なんか不穏なこと言ってない?


「いやあ、やればできるんじゃんー、居眠り王子!」

「なんですかそれ」

「噂になってたよー、ナルコレプシーだとかで眠気がとれないみたいだって」


 谷川さんの言葉に、「そんな大した病名が一人歩きしてるんですか?」なんて苦笑する時永くん。


「それはあくまで噂ですよ。診断上はよく分からない睡眠障害です」

「夜遅くにメールしても普通に返ってくるもんねー」

「寝つきは昔から悪いですから、僕」


 ……普通に元気なそれにホッとしつつ、わたしは口を開く。


「でもこの分だと問題なく、教員免許も取れそう?」

「最近は症状も落ち着いてるみたいだから、そうだね。この間実習にも行ってきたし……」

「あ、行ってきたんだ。何教えた?」

「すぐそこの聖山学園で国語を少し。あと文化祭も参加させてもらえましたよ」


 そう、確か時永くんが参加していたのはそういうカリキュラムだ。

 教育学部でなくても、中高の教員免許だけなら取れる。


「へー、いいなー、地元行ったあたしなんか期末テスト作成させられただけですぐ帰されたよ」


 あ、谷川さんも教免参加だったんだ。それは意外。


「……それはさすがに酷い気がするから交渉しなさいよ、谷川さん」

「無理だーって」


 ちゅーちゅージュースを吸いながら谷川さんは言った。


「怖かったんだから、あの教頭。それにあたしは教師になる気とか、さらさらないし! ……って言っても、免許はとっといて損はないと思ってるんだけど」

「あー……それ、たぶんやる気がないのを見越して追い返したのよ、その教頭先生」

「げえぇっ、マジ!?」


 ……いるんだよね、洞察力が鋭い先生って。


「で、谷川さんはああ言ってるけど、時永くんはどう?」

「教師になる気はあるのかってこと?」


 少し考えた風の時永くん。


「……そう、だなぁ。教育実習は確かに楽しかった」

「うん」

「やりがいも感じたけど……正直、それは考えてなかった、というか。僕も言われてみたら、『とったほうがいい』って言われてとろうとしただけだから」

「なーんだ」


 わたしは少し苦笑いした。


「時永くんなら先生向いてると思ったんだけど」

「あーわかるわかる。みんなで出かけたときとか、遠足の引率っぽいよねー。後輩からも慕われてるしー」

「……そんなに僕、先生っぽいかな?」


 『ちなみにそんな怖くなかったよ、聖山の教頭先生』、なんてへらへら笑う眼鏡男子。

 ははーん、なーにをおっしゃいますか。


「性格としてはすごく真面目だし、頼りになるし。やろうと思ったらできるんじゃないの? 時永くん」

「そう?」


 意外そうに、時永くんはわたしを見た。


「うん、どっちかっていったら向いてるよ」


  ――「まあ、不安要素はあるけど……それはクロノス関連で色々あるってだけの話であって、時永くん自身に責任があるってものじゃないものね」


 そうそう。

 時永くんは首を傾げた後……


「……そっか……そう、見えてるんだ……」


 ごきゅ、とペットボトルのレモンティーを一気飲みした彼は、口を開いた。


「……頑張ろう」



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