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31.夢の残滓 3年目・1月1日~7日

・2013年1月1日(火)


 『明けましておめでとう』。

 そんな件名のメールが届いていたことに気づいたのは、今日の朝だった。


  ――寝てました? 初日の出、綺麗でしたよ。


  ――見に行ったんだ?


  ――いえ、テレビで。


  ――なにそれ。


 そんなくだらないやりとりの後、本題。

 送信者名と内容を改めて確認し、わたしは息をつく。

 ……どうやら来たらしい。



件名:

送信者:時永

――――――――――――――

大学前、楓の前にお昼の12時。来れますか

――――――――――――――



「『了解』……っと」


 いつも通りのやりとりだったけど。

 なんだか不思議に、頭の中で()()がカチッとはまっていた。


「メティス、行くよ」


  ――「財布は持った?」


 どこかピリピリした空気。

 メティスの声は少し複雑そうだった。何故なのかはなんとなくわかるけど、それでもわたしは笑って答える。


「持ったよ」


  ――「電車乗る時のICカードは?」


「持った」


 玄関を出て、振り向いた。

 住み慣れたアパートが、なぜか新鮮に見える。……お別れをするわけでもないのにね。


  ――「キャッシュカード」


「持った!」


 キラキラと照り返す朝露が、妙に目をさしてくる。


  ――「美郷……」


「何?」


  ――「()()には、戻れないのよ」


 そうだ、お別れするのはアパートでなくって()()()のほう。誰かに執着しなかった自分。片思いな自分。臆病なそれ、人の目を気にして、言いたいことを抱え続けたわたしのほう。本来ならわたしが言うべきだったものを、時永くんがたぶん言ってくる。


  ――「いいのね? それで」


 『その道でいいのか』ときいてくるメティスの声は優しくて。ちょっとこわい。……当たり前だ。だって彼女には未来が見える。さっき、やりとりをした瞬間の「カチッ」とした音も聞こえたに違いない。

 わたしは結局のところ、自分を止める()()を知らなかった。

 目の前の未来に怖気づいたって、きっと――どうにかなる次元を超えていた。


 たぶんわたしは、最初から気付いている。

 ひとはいつか「死ぬ」生き物だ。誰も知らないどこかへ消え去って、もう元には戻らない生き物だ。わたしも谷川さんも、ひいては時永くんであってもいつか死ぬ。遠くへ行ってしまう。


 駅のホーム。

 心なしか駆け足でやってくる電車を見ながら、わたしは頷く。


「……メティス。結局、複数の道で悩んだら、わたしらしくないよね?」


  ――「そうね」


 わたしは、いなくなるその前に――何も見えない嵐のさなかを歩きたい。

 知らない海に、とびこみたい。


「ひとつだけ選ぶなら――どうするか、だったよね!」


 なら、もう大丈夫。簡単なことだ。――先に行く。

 超えられるものなら――超えていく!



  ――「……これから駄目にならない自分は?」


「……。持った!」



 ……開いた車内に足を踏み出す。大学前に向かうモノレールは瞬く間に街を突っ切った。

 高い景色。いつもの山の稜線。眼下を流れていた小川がみるみる視界の外へと追いやられる。……ああ、あの橋の近くだ。時永くんと喧嘩した場所は。


「……大丈夫」


 時永くんの後ろには、いつだってまるで影みたいにクロノスが()()()()()()()

 ……そしてクロノスの目的は、時永くんの子供に宿るはずの、大きな力。

 このままわたしの恋が――時永くんの恋が実れば。


 クロノスのイタズラは、きっと本格化する。


「……平気。きっと、メティスが言ったみたいにわたしは正しい。間違えない」


 そうだ。

 どんな終わりだったとしても、どんな困難だったとしても。

 ここから近くでだって遠くでだって……最後は笑って死んでいく。


 ベストを尽くせていたらいい――今まで以上に幸せになるために、わたしはなんでもできるんだ。


「メティス」


  ――「何?」


「いっぱい考えたけど結局、この『好き』に理由なんてないよ」


 車内の隅っこで呟いた。


「……死ぬとして、それでも、ってメティスは言ったよね。それでも好きでいられるかって、何度も聞いてくれたよね」


 わたしは時永くんを守りたい。

 生意気にも、ただの人間のくせに。

 万能の神様でもなければ、食物連鎖の頂点でもないくせに。


 ……衝動的なそれだ。本能的なものにいくつも重なった理由づけ。


 結局わたしはいつだって考えなしだ。……ただ、この先だって同じなだけなのに。一緒に過ごしていたい、生きていたい。同じ景色を眺めて、どうでもいいことをペラペラしゃべって。ただそれだけなのに。


  ――「……そうね」


 ホーム階から駆け下りて、坂道をゆっくりと歩いていく。

 地面にはみぞれのような溶けかけの雪が少しだけ積もっていた。

 ……にわか雨ならぬ、にわか雪のなごり。


「! ――豊田さん」


 足音で気がついたのか、その人はすぐに振り返る。わたしはその側にそびえ立つ大きな楓を、少しだけ見やった。

 ――初めて出会った日、彼と見た紅葉。


「……ねえ、時永くん」

「何?」

「大きな花の咲かない楓にも、ちゃんと花言葉があるんだって知ってた?」

「……『大切な思い出』、かな?」


 花言葉博士の時永くんはやっぱり知ってたみたい。

 ……でも違う。

 わたしが言いたいのは「そっち」じゃない。


「……それは、過去のことだね。もう一つあるよ。()()()()()()()が」


 出会ったときとは季節が違う。葉は冬らしく、もう全て落ちてしまっているのが寂しいけれど……楓の下で息を整えるとわたしは言った。


「……『美しい変化』、それがもう一つ。思い出は今までにしかないでしょ? でも変わっていくのはこれからだって、ずっとできるから」


 ……良い方へ、ずっと明るい方へ。一緒に変わっていけばいい。

 どんな過去でも、どんな罪悪感でも、どんなに背中が重くても――きっと「彼」は「彼」でしかない。どんなに変わったってわたしと同じ。強くて脆い……()()()()()()()なただの人間だ。


 だったらこれからも同じように――何度だってこの人と、この葉っぱが

変わる様を眺めたい。周囲の状況がどんなに異様だって、彼を投げ出したくない。

 だってそんなの。

 面倒くさいからって、自分に嘘をつくのと同じだ。



  ――『き、気づかなかったなー』


  ――『……ずっと使ってたんですよね、気づかないものですか?』



 初めて会ったときのやりとり。あのとき時永くんから怒られたのはきっと、「誰かを軽んじている」ということだけなのかもしれないけれど。



  ――『それは、ちゃんと大切にしてください。僕には重すぎます』



 その時のわたしは、きっと何かを忘れていた。

 その時は忘れていたものが、たまたまペンに書かれたメッセージだった。その「罪悪感」を感じるのがきっと面倒で――だからこそ「なかったこと」にしていたのだと。

 「気づかなかった」と噓をついたのだと、今ならわかる。


 時永くんが、かつてそうやったように。親の死体を片付けて、それを知らないふりして、すっかりそのときのことを忘れたように。



「……あの!」


 嘘をつくのは、よくはない。

 必要な嘘はあったとして――誰かのためのそれであったとして。

 自分に対しての嘘は、あまりにも痛々しい。

 ……時永くんは息をため込んだように、口を開いた。


「僕は、豊田さんが、好きです」

「うん」

「……付き合ってくれませんか。何度だろうと、木の葉が赤く染まるまで!」


 ……変化をしていこう。そう、彼が言ったのが分かった。

 一緒に『変わって』いこう。


「……はい」


 わたしは頷いた。当然の結論だったし、当然の未来だった。


「……わたしも大好きだよ。時永くん。ずっと、ずっと前から!」

「!」


 時永くんは目を丸くした。……それから。


「時永くん?」

「ご、ごめん、なんか……」


 ……目頭を押さえる彼は、なんだか頼りなさそうで。


「体が、ふるえて――待って」

「うん」

「――ちょっとだけ、待って」

「待つよ」


 立ったまま、顔を覆ったそこから雫が垂れた。……ぽたぽたとコートが濡れる。ずっ、と息を吸うような音がした。


「……僕、昔から、夢があって……」

「夢?」

「……いつか……本当にいつかのことなんだけど……」


 ……ズルズルの声で言われたそれは、やけに()()()()で。


「……血の、繋がった誰かに」

「うん」

「……『()()()()』って、言ってもらいたかった」


 ……()()()()()()()()、『将来の夢』。

 そう思ったのは――わたしがきっと、時永くんじゃないからだ。

 当たり前に、毎日言われるような子供だった。愛されて育ったわたしには――聞き慣れた言葉。


「……でもそんな人、僕にはそもそもいた試しがないんで」

「うん」

「見た目だけなら、僕はととのっているかもしれない。ただ、他人に好きだと言われても。憧れを述べられたところで。 ――僕は今まで、そのワードにちゃんと、『心が動いた』ことはなかったんだよ」


 えっぐ、ひっぐ、思わずしゃっくりしながら彼は言う。


「……誰に言われても、ぜんぜん嬉しくはない。『どうせうわべだけだろう!』――そう心の底ではバカにしていた気がするし、そんな最低な自分に心底、嫌気がさしていたし……逆に自分を責めて、嫌な気分になるだけだったんだ」


 ……分かるような気は、少しだけした。

 とっても卑屈だけれど、とっても後ろ向きだけれど。でも似たような『後ろ向きっぽさ』を……わたしも、どこかで知っているような気がした。


「……でも、不思議だ……まさか君に言われて、嬉しいなんて」

「……いつか叶うよ、その夢」



  ――『彼にとって、『その子』がなんだかわかる?』


 メティスの言葉を思い出す。海水浴の時――時永くんから見た、大きな泡の話。



「叶うかな」

「叶う。――わたしは、そう思う」


 ちりんちりん……

 静けさの中に聞きなれた鈴の音が響き、わたしは振り返って目を丸くした。


「た、谷川さん!?」

「おっす、終わった?」


 楓から見える、坂の少し下。

 校門前、シャッターが半ば閉まったいつものラーメン屋の前にいたのは、エプロンをつけたキッチリバイトモードの谷川さん。……っていうかもう年末なのに、何でここに!?

 時永くんは頭を下げた。


「あ、終わりました、ご協力感謝します」

「なーんだ泣いてんじゃん。振られたの?」

「……そんなわけがないでしょう」


 鼻をすすって時永くんは言う。


「言ったのはあなたじゃないですか、谷川さん。僕が外すはずがないって」

「あはは、だよねー!」

「どういうこと? っていうかこの店、年末年始はさすがにお休みするんじゃ!」


 とすん、と時永くんに背中を押されて、わたしはよろよろ店内に足を踏み入れた。


「そりゃー、バイトと常連の頼みだからおやっさんもムゲには出来ないでしょー」


 谷川さんはそういってイタズラっぽく笑った。何だかわからないまま谷川さんに引っ張り込まれ、着席させられる。店内は既にガスストーブでホカホカだ。

 時永くんは苦笑した。


「……よろしく言っておいてください。『本当にありがとうございました』と」

「んなもん自分で言いな。で、何頼む? お姉さん腕振るっちゃうよ!」

「へ? あ、うん……塩ラーメン」


 いつものを頼めば、へらっと笑って谷川さんは言った。


「おっけー。時永くんは?」

「同じものを」

「あ、珍しい。時永くんいつも味噌か豚骨醤油じゃん」

「たまにはいいだろ、豊田さん」

「その名字呼び、いつまで続くかなー君ら」


 くつくつ笑った谷川さんはお冷を出しながら言う。


「おやっさん言ってたよー? 二度も店内貸し切ったのはあたしたちだけだってさー」

「……未だに現状が理解できないんだけど……」

「あっ、話して良いよね?」


 谷川さんが苦笑しながら時永くんに聞く。


「どうぞ」


 コートを脱ぎつつ笑った時永くんからは、いまだに鼻水がたれていた。


「んっとね。……この間、バイト終わりに時永くんからメールがあったんだ」


 ティッシュを差し出した谷川さんは続ける。


「『近いうちに豊田さんに告白する、力を貸して欲しい』ってさ」


 大失敗した時永くんはどうにかして挽回しようと、自分の知る限り、一番わたしと仲が良い女子の谷川さんにまず連絡を入れたらしい。


「……すみ、ません……」

「あっはっはー! いやあ、話聞いて驚いたよー。何やってんのこの子ぉって」

「……すみませ……」

「なんでこの子、デロッデロのフニャッフニャになっときながら、コクッた記憶だけきっちりあるのかニャッ? ねー時永くんや! この、この! あたしに言い訳申してみ? え?」

「すっ、すぐッ、すみッ、ません……ッ!」


 ……黒歴史の傷をえぐられた時永くんが、見事に突っ伏している。


  ――「まあ、たとえ朧げにしか記憶がなくとも……キッチリ嫌がらせに報告だけはするものね、あいつ……うん、性格上必ずするわ。いじめっ子メンタルだし」


 …………いじめっ子メンタルで片付けられたくない神様が、約一名浮かんだんだけど、脳裏に。

 谷川さんは鍋を火にかけながら言った。


「で、そこの()()()()()見てたら分かると思うんだけどさー」

「大失敗くんって」

「……コクるっていったら皆気にしないけど意外や意外、大事なのはその後なんだよねー」

「あのー……変なあだ名はやめてください……」


 へこみすぎた時永くんが長椅子のクッションに突っ伏してしまった。

 いや……なにこの、『告白が成功したばかりの男子』とは思えない謎の物体は……。


「ほら、いくらシンプルかつムードのある告白だって、その後興ざめするような出来事があったらときめく間もなく即終了になっちゃうからさ。だからただ単に告白するだけじゃなくて、その後のサプライズできっちりと相手の心をとらえて放さないような、そんな楽しいことを用意しておくのがいいんじゃないのー? って」


 それは大失敗くんのせいでよくわかる。


「そう言ってみたら、時永くんがこう言い出した……『豊田さんってあそこのラーメン好きですよね』って」


  ――「ああ、なるほど、時永くんの発案か……」


 メティスが納得したように呟く。谷川さんは薄く笑いながら言った。


「まさか、告白の追い打ちがいつものラーメンとか……呆れちゃったよ。デートとか告スポとして成り立つの君らくらいじゃない? 普通もっとあんでしょ。夜景の見えるレストランとか、観覧車の上とか、花火の下とか」

「この季節に花火は……そうそう、ありませんよね……」


 長椅子クッションにめり込んだ男子のケツは、くぐもった声で呟いた。

 ……うん、そうだね、浦安でも行っちゃう?


「ともかく当人がそれでいいってんなら、場所くらいはどうにかしてやろーじゃん、と。もう断れそうにない勢いで凹んでたしね時永くん。いやあたしマジでびっくりしたよ。ホラー映画見てんのかと思った」

「……えー、そんな顔してました?」

「してそう……」


 今もほら、クッションおばけになってるし。


「……で、クリスマスで味をしめたわけじゃないけどさ、間髪入れずにチャレンジしてみたわけっすよ!」

「お店の貸し切りを?」

「そう、おっちーのあのメチャクチャさですら出来たんだから、あたしと時永くんだけが頼み込んでもできんじゃないかなーって♪」


 それで実現させてしまうのが谷川さんの凄いところ。

 メティスもあきれながら言う。


  ――「普通なら大事なお店を単なるバイト一人に、そう何度も何度も貸してはくれないでしょうに……」


「……お世話かけましたよ、本当に」

「いーえー。人助けになったんだし、これくらいなんてことないから! 大丈夫大丈夫っ」


 ようやくクッションと分離してきた時永くん。

 彼に向かってそういう谷川さんは、心なしか……


「……谷川さん?」

「えー、何?」


 ……少し、涙腺が緩んでいるように見えた。




  *   *   *   *




・2013年1月7日(月)


「おっす、豊田さん!」


 冬休みが明けて、大学に行ってみると少し様子の変わった谷川さんがいた。長かった髪を切ったらしい。


「随分雰囲気変わったねぇ」

「まぁね……ちょっと気持ちを変えたかったから。またすぐ伸びてくるし」

「……あの、谷川さん。もしかして、と思うんだけど」

「んー?」


 ……何度も、頭によぎっていたことがある。

 時永くんに告白される前から。なんなら時永くんを、谷川さんに紹介した少し後から……何度も。


「……間違ってたらごめんね、なんだけど」


 ただ、確信した。告白の後のラーメン屋さんで……それから、今の()()()()で。


「時永くんのこと、すっごく狙ってた?」


 谷川さんは黙り込む。

 ……無言の肯定、とはこういうことを言うんだろう。暫くそのまま時間が過ぎて、ようやく谷川さんが観念したように口火を切る。


「……あたしが付き合っても、どうせすぐに終わってたよ」

「やっぱりそうなんだ」

「でもその前に断られてた可能性が、ひっじょーに高い」


 谷川さんはしみじみと言った。


「いや、ホント……2人目だったんだ……自分から告白しようとまで思ったの」


 意外なことに……谷川さんの場合は普段、自分からじゃなくてあくまでも告白される側。面白半分に誘導して告白させてしまうこともあるし、まったくその気がなくて突然! なんてケースも多々ある。


「でも、()()()()()()わけよ」

「ああ……」


 ――「遠慮してくれていた、ってわけよね」


 メティスがしっとりと口にした。……そっか。メティスはこれに関しても知ってたんだ。


「時永くんと知り合ったとき、既に横に豊田さんがいた。でも明らかに空気っていうか、何か違ったんだよね。勝ち目がないってなぜか直感したんだ」

「うん……」

「そのくせ当人たちは暫く気づかないんだから。どう割り込んでいいか分かんなかったよ。……最初から繋がってた赤い糸に、全く気づかない男女がそこにいる」


 谷川さんは思いっきり苦笑いした。


「見ててちょっぴし、()()()()()かも。……でも当人たちからしたら、気づかないほど自然だったのかもね。惹かれあいっぷりが。そう思ったら行く末がひどく気になったし、同時にちょっと羨ましかった」


 そういえば、谷川さんは以前――高校時代の元カレの話をしてくれた。あれは確か、ひどく真面目そうな子じゃなかったか。時永くんとは方向性が違うけれど……責任感が強くて、頑固そうで。谷川さんとはまるっきり、逆の性格の子じゃなかっただろうか。


「……谷川さん、もしかしてあなたは……」


 時永くんに惹かれたのは、自分とは違う『何か』に憧れたから……?


「……んっとね。前に言われたことがあるんだよね。あたし、水みたいな性格なんだって」


 谷川さんは言う。……自分にはおどろくほど、()()()がないのだと。


「元カレ曰くね? 相手に合わせて形を変えてしまう、相手の望む『何者か』になってしまうんだって……だからいつも同じなんだ。誰もあたしに執着せずに終わっていくの。一人だけだよ、『忘れない』なんて言ってくれたの」


 今まで出会った人たちを、ふと思い出した。

 わたしが執着しなかった人たちのこと。家族の死がトラウマになったわたし。

 「どうせいつか別れが来る」。そればっかりに目がいっていて、だから仲良くしてもうわべだけで。

 ……それでも、別れ際にメッセージ入りのペンを持たせてくれたりした。


「だからふとした瞬間さ、寂しくなるんだよね」


 谷川さんはどこか気恥ずかしそうに、ぽつんと呟いた。


「……いつかあたし、忘れられてしまうんだなって」


 谷川さんの今までの『相手』もそうだったんじゃないだろうか。

 あまりにも自分に合わせてくれる。そんな谷川さんを見ていると――いつかどこかで、()()()()()()()()()別れるような。そんな不思議な予感がするんじゃないだろうか。


「……あまりにも思い通りになる女の子って記憶に残りづらいんだよ。都合がよすぎて印象に残らない。でも時永くんの場合、豊田さんが隣にいたの」

「……。」

「『豊田さんという人間』がそもそも、彼の理想にきっと近かったの」


 ぐしゃっと笑って彼女は言う。


「さすがにあたし、友達の真似なんてできないよ。……それも共通の友達だよ? バレバレじゃん? そう思うと逆になんか面白くなっちゃって」

「うん……」

「だからできるだけ、『要望に沿わない』ようにしようと思ったんだ」


 彼女は言う。――照れくさそうに、それでもどこか楽しそうに()()して。


「初めて何者にもならずに、好きな子に接してみたんだ。……もちろん、自然体で好かれるわけなんてなかったのかもしれないけど、あたしなりにすっごく意地を張ったんだ!」


 ……そんなこと、ないよ。

 一瞬そう言いたくなった。「自然体で好かれるわけがない」?

 ちがう。だってあなたはあまりにも、素直で優しい人じゃない。

 なのに、何も言わなかったじゃない。


「それでさ、ようやくあたし、自分が何者なのか分かった気がして楽になったんだ。好きにはなってもらえなかったけどさ、大事なものをもらえた気がすんの!」


 ……こんなことを笑いながら言える女の子だって。

 わたし、結局――さっきまで知らなかったんだよ?

 それはあなたが……きっと、素敵な人だからだ。とても誰かを思いやる。とても誰かの心の声を聴く。……だから、何者にでもなれる。


「……だから、せめて目の前で一緒になってくれれば、踏ん切りがつく。そう思った。あたし……頑張ったよね、多分!」


 頑張った。わたしが言えることじゃない。でもその頑張りは、報われなくてよかったのかもしれない。だってこの人は随分と眩しいんだ。強くて優しくて、きっと脆いんだ。


「……ごめんね、谷川さん」


 口からぽろりと出ていた。

 ――無理をさせてしまったんだなって、そう思って。


「え、何で謝るの? ……あー、いーって気に病まなくて! あたしただ、勝手に自爆しただけじゃん!」


 そう、無理をした。頑張った。でも駄目で……それで、結局、よかったのかもしれない。

 この子には、絶対に時永くんの『危険な部分』は任せられない。

 何も知らないままで居て欲しい。――そう、思うタイプの子だ。


「そう……自爆しただけ! 変なこと言っただけ! えっとね、さっさと離れてたらよかったんだよ。羨ましいからって隣にいなきゃよかったんだよ。これはあたしの、勝手なワガママで……っ」

「……ありがとう」

「……」


 思わず、正面から抱きしめた。


「……谷川さんがいたから、わたしたち、たぶん楽しかった」

「ひ、ひどいこというね……複雑……」


 我慢できなくなったのか、肩を震わせはじめる谷川さん。

 ……わたしにはその背中をさする資格はないんじゃないか、なんて、一瞬思う。

 でも……


「……。ねえ、谷川さん」


 ただ黙ってみているわけにも行かずに、結局わたしは背中に手を置いた。


「……わたし、あなたのこと……友達としてもライバルとしても、すごく好きだよ?」

「……。そう?」

「そう」


 背中をたたいた瞬間、声が聞こえ始めた。

 呻き声だ。妬みと喜びと混じった――


「う、あ……うあああああん……!!」



 ――――複雑な、大号泣だ。



 ……ああ。

 悪いことをしたな。

 そこまで一気に読み終え、僕は少し息をつく。

 そして『問題』を見返すべく再度、「1月1日」を開いた。


 ……そこには赤いペンで、波線が引いてある。


 そう、僕の見ていた幼稚な夢に――()()()()()()()()()のような線が。

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