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8.反抗


「私は、使い勝手の良い人形じゃない……っ!」


 ……それは、どんなに言っても叶えられるどころか、きっと理解すらされない願いなのだろう。


 だって彼は前からそうだ。

 人とろくに交流しようとしない、寂しい人だ。

 それを言うなら私も「親友」と胸はっていえる人は……まあ。あの、イツキとイヌカイくらいしかいないけれど。

 だから、似た者同士ではあるかもしれないけれど。


 ……けれど、それでも人に頼られることもあったし、頼ることもあった。

 人を理解しようと努力したこともあったし、それが報われた日もあった。


 きっとこの人は、その中のどれもを「経験」した事がないのだろう。

 ……いや、もしかしたら経験しても忘れてしまったのかもしれない。

 だってこの人は自分以外の人間を自分と同じではない、単なる『玩具』としか思っていないのだから。


「私は、あなたを父と呼んだことはあるけれど……本当の意味で父と思ったことはきっと一度もない!」


 この人は、たのしい空想を妄想に変えてしまった人だ。

 本を読み、本の中に憧れるうちに現実という全てを拒絶するようになった人だ。

 ……私と似て非なる生活の中で、悲しい妄想の中に閉じこもってしまった、悲しい人なのだから。


「……何を言い出すんだ、いきなり。せっかく自分の娘だからと、僕と同じ地位を与えようとしているのに……」


 はっ? ……地位、だって?


「神に、選んであげたっていうのに……」

「……神?」


 私はそこでようやく、自分の暗い表情を自覚した。

 彼の表情が怯えているのに気付いたからだ。怯えた顔なんて、初めて見る。

 ――しかしそんなのは最早どうでも良い。私はこの()()を向けられる相手を見つけてしまった。この胸にともった、爆発しそうな……「12年分」の、怒りを。


「まさか、創造主にでもなったつもりなの……?」


 がんっ!! ……私は壁を叩いた。


「思い上がるのもいい加減にして!」


 神だというならあなたに問おう。

 ……妄想と現実の区別がつかない神様がどこにいる?

 人の愛を知らない神様がどこにいる?

 人の存在価値を知らない神様がどこにいる?


 ……私は父を見据えた。


「あなたは、『神』じゃない……!」


 目を覚まして、というのもきっと遅すぎるんだ。

 私は涙も拭わず、彼を見た。悲しいことに、今のこの男を形容するのにふさわしい単語を……1つだけ知っていることに気付いてしまったから。


 ――言おう。ああ、宣告しよう。


 心を焦がして、爆ぜさせて。今私の中で生きているこの言葉を……

 伝えよう。そして言い表すんだ。

 胸の中の火が――ここで消えてしまう前に!



「あなたは……あなたは神になろうとして神の名を騙った、単なる悪魔だ!!」



 ……機関銃でも放ったような心地だった。

 言ってはならぬことを言ったような気もしていた。それでも言った。言うしかなかった。


 ……だってそうじゃなきゃ、絶対に「納得」できなかったから。


 目の前にいる、もはや父ではない男は暫し呆然としていた。

 何か嫌なものでも思い出したような、苦々しい顔をして。

 そして……何分経っただろう。ようやく眉間にしわを寄せて、彼はそっと静かに呟いた。


「ふふっ」


 だんだんと笑っていく口。

 ――上がる口角。焦りの見える、その目。


「ふ、ふふ……フハハハハッ!!! なるほど、なるほど……そうかそうか! それは想定外だったよ……そうか……っ」


 ぼろりと崩れた気がした。崩れないように積み上げたものが……彼の本性を隠すように積み上げた、()()()()()()()が。

 その男は一瞬、まるで玩具を取り上げられた幼子のような顔で私を見た。

 ぞくっ……そのまるで見せた事のない別人のような顔に一瞬たじろぐ。


 ――気づけば、さっきとはまるで逆の構図になっていた。


 私が、おびえている。



「まさかお前に侮辱されるなんてね……まぁいいさ……1つだけ教えてやろうか」



 ――その時、にちゃっと嫌な音が聞こえた。……ねぇ、これ、何の音?


「さっき言った2体は成功した例だ……しかし、実は再現に使おうと思った素体は他にもたくさんいてね……」


 男は、本棚の横にあった出っ張りを押した。

 それに何か仕掛けがしてあったのか、本棚が動いて新たな部屋が現れる。

 その奥にあったのは……



  ――「両方とも12年前、かぁ……しかも両方この学校の関係者だね」


  ――「まだまだあるよ。その後もその年、人がちょくちょく消えてるの」



「紹介するよ、これが最初の素体であり、その後の失敗作をたくさん処理してもらった、私にとっては初めて作り出したキャラクターだ……そうだな、まぁ、ついこの間チャチい翻訳サイトで遊んだ言葉なのだけれど」


 男は私以上に沈んだ、まるで底なしのような暗い瞳で笑いながら言った。


「“嘆き悲しみ”は『grieve』……“感じる”は『feel』とよく訳される。そう、名をつけるならグレイブフィールだ」


 その奥にあったのは、高さ5メートルはある……巨大な肉塊だった。


「……っ!?」


 私は思わず後ずさりする。……ただの肉の塊ではない。

 目も鼻も口も付いている。目はにごっているが。鼻はつぶれているが。一般的な哺乳類としての数はおさえている。

 ……その醜悪さったら、ない……というか、ひどい。

 生き物にしたってこんなもの、ひどすぎる。

 恐怖だけではなくトラウマとかなんか、もうそんな言葉にも出来ないようなドロドロとしたものを――見た者の全て、心の底に片っ端から例外なく植え付けていきそうな……そんな禍々しさ。


 本当に生きているのかと言いたくなるような……何故か酷く苦しそうな呻き声が聞こえる。

 よく見ると巨大な体の下には、吸盤のない蛸のような足が蠢いているのが見えた……どうもこれがにちゃっとした嫌な音の正体らしい。


「私にしては珍しく元ネタ無しのオリジナルの登場人物さ……新たな生物を作ろうとしてみたんだが、素体が悪かったせいかこんな風になってしまってね。まったく元の意識は残っていない……ただし」


 肉塊はようやく気づいたように私の方へ向くと、口をバックリと開けた。


「!!」

「いつも腹を空かしているらしくてね……食欲だけは、旺盛なんだ」


 やれやれ、と呆れるようにそれが言い終わる間もない。

 肉塊はグワッと口を開けたまま……私に向かって襲い掛かってきた。

 ……駄目だ! 私は思わず目を瞑ってしまった。


 が。その時……


「おぉ~~~っらっせぇえええええええええええっい!」


 拍子抜けするような声が響いた。


 ――ドゴォッ!!


「ア、アァ……!!?」


 肉塊が何が起こったのかわからないという声をあげて吹っ飛んだ。

 私にも何が起こったのか一瞬わからなかったが……


「って、おいおい大丈夫かー……?」


 私にそう言って声をかけたのは……あの、狼男だった。


「イヌカイ、さん?」


 私は思わず目を丸くして聞いた。


「どうしてここに……」

「えっ、いや、ね? 馬越さんがいきなりやってきて、どうしたのかと思ったらさーあ……『どうやら時永さんがひっさしぶりに動いたらしいよー』! 『へー、ちょうど良いからフルボッコにしてやるかー』ってんでちょっと、仕返しがてら暴れようかと? 祭りだ祭りだ、お神輿わっしょい的な? うん、適当に……腹いせ紛れに」


 え? あ、ちょ……あの馬越さんがそんな軽いノリで!?


「んじゃーセンパツはイヌカイさんねー三振とってこーい……っと、まぁ意訳すればそんな感じだ」


 やっぱり意訳なんだね!?

 本人が直接言ったわけじゃないんだねそんなノリで!?


「で、なるほど? ……正直薄々は気づいてたんだけども、皮肉なことにこの体、パワーだけは人より数倍あるらしい」


 そう言われて、私は気づいた。……『蹴った』。

 私は吹っ飛んだ肉塊……グレイブフィールを見やる。確かに、あんな大きな肉塊……人ひとりが動かせるほど軽くはなさそうだ。


 リアルにちゃんと考えてみれば、イヌカイさんが人間より少し大きいサイズ感なのは間違いがなかった。

 だけどその大きさも、あの肉塊と比べるとまるで子供のそれだ。

 ちゃんと計測したことはないけれど、もし1.5メートルの私より1メートルほど大きいだけの体だったとして。あれをサッカーボールのように蹴っ飛ばしたとなると……話は、全っ然違ってくる。


「あぁ、それはそうと……ミコト、ありがとな」


 イヌカイさんは私の頭をくしゃりと優しくなでた。


「……嬉しかったよ。俺達のためにさ。全部俺がこの口で言ってやりたかったことだ。12年も前にな」


 どうやら、さっきのアレを聞いていたらしい。

 私は今更ながら恥ずかしくなった。


「……相変わらず、耳がいいんだから」

「あれだけ怒号響かせてんだ、そうでなくても聞こえてるさ」


 元人間のイヌカイはにっと笑う。

 男は面白くなさそうな顔で舌打ちをしながら言った。


「おやおや……久しぶりだな犬飼先生。まさかとは思うけども……『お仕置き』の邪魔をする気ですか?」

「もちろんそのつもりですとも、時永先生? いやぁ……お宅の娘さんにはいつも世話になってるんでねぇ……」


 男の問いに、涼しい顔をしてイヌカイが答える。――そしてゆっくり、その大きな体は……私を庇うように前に立った。


「い、イヌカイさん……?」

「いいよ。ちょっとぐらい怪我しても。まぁ心配すんな、すぐ終わる」


 グレイブフィールが起き上がったら、多分真っ先に噛まれるのはイヌカイさんだ。だって今コケているあの目は、私に向いている。

 まっすぐ……凍り付くほどまっすぐ、私に。


「……聖山学園中等部、3年3組」


 イヌカイさんは言った。


「説話が好きで、苦手科目は数学と理科……お宅の時永ミコトさんの話ですがね、時永さん。あんたと違ってできた人だと思うよ。あんたのワケわからん言葉と違って、その口から出てくる言葉はいっつも真っ直ぐだ」


 あえて彼が見たことないはずの「生徒としての私」から切り込んだのは……彼が元々「先生」だからかもしれない。相手と同じ職業。同じ目線に立っていた人間。

 ……同じ土俵で勝負しようとしているのだと、何となく感じた。

 その目を見て、同時にチラついたのはバスケ部の写真。胴上げされていた先生の晴れやかな顔。私の見たことがない、イヌカイさんの素顔だ。


「……イヌカイさん」


 背恰好など関係ない。もっふもふだろうが関係ない。

 この人は「人間」としてここに立っている。私を知る一人の人間として、目の前の悪魔に牙をむいている。


「それに心優しいからな。今までずっと俺達のこと、不思議に思ってたんだろ? だけどなんか勘付いて気ぃ遣って、面と向かって聞けなかった。でも変な話を聞いたんで当事者を避けてこっそり関係者に話を聞こうと思った……ようするにそういうことだろ?」


 イヌカイさんはまたくしゃっと私の頭を撫でた。……うん、どうやら、話は完全に伝わっているらしい。


「正直言うぞ? ……最初は警戒したよ。ちっこい女の子一人にですら怯えるぐらいの精神状態だったよ」


 ……そうだったんだろうな、と今なら思う。

 あの、喋ったときの例えようもないフワフワしたぎこちなさは。


「それでも見ててほだされたのは。最悪騙されてもいいや。そう思えるぐらいになったのは、この子が「そういう子」だったからだ」


 あの、初めて出会った時の目は。

 上から降ってきた……様子見していたあの姿は。


「っ……あ……」


 思い出すたび、合点がいく。思わずしゃくりあげてしまった。

 ……空気が読めなかったからじゃないだろうか、なんの屈託もなく接せられたのは。逆に2人から頭を撫でられるようになったのは。

 笑いかけられるようになったのは。

 何も考えず、くすぐりっこできるようになったのは。

 ……イヌカイさんがニヤッとして私の頬をこすった。彼の指の、ふわふわとした体毛が水を吸う。


「……誰が見ても、可愛い子だろ。礼儀正しくて純粋で、素直で。誰かさんとは似てないなぁ」


 ……それは、イヌカイさんが怒ってくれたからだよ。

 イツキが注意してくれたからだよ。

 嫌なことは嫌って言ってくれたから。駄目なことは駄目って言ってくれたから。

 ……お父さんと違ってちゃんと話してくれたから。


「あんたがほっといても馬越さんがそう育てたし、自分でそう育ったからだよ。人を気遣える子に。……いや、俺たちはもう人じゃないかも知れないけど? とにかくそういう子だからビビりのイツキも真っ先に友達になれたんだろうな。……あんたの知らない絆をもてた」


 わからないだろ、共感能力の低いあんたには。そうイヌカイさんが呟くのを聞いて私は少し驚いた。……心理学の授業で聞いた言葉だ。共感能力。他人に感情移入をする能力のこと。

 それがないというのは、しないのではなく「できない」ということ。だから……


「だから俺はこの子を守りたいと思うし、こんな常識外の化け物と『友達』になってくれたこの子の為なら俺はなんだってしたいと思う。……たとえその可哀想な奴が、俺の元教え子だろうがなんだろが、そんなこたぁ関係ない。ミコトには指1本触れさせやしない……今……そういう精神状況だ!」


「ウ、ウゥ……!」


 ひっくり返った亀のようにじたばたしていた肉塊が、今ようやく起き上がった。


「まったく……綺麗事ばかりで呆れる。心理学の先生でしょう? 心の事象を理屈で語る業界の人が、そんな感覚的な説明をして良いんですかね?」


 小馬鹿にしたように笑う、彼。

 ……イヌカイさんもにぃっと笑う。


「……良いんだよ。突き詰めればどうせ心なんて感覚的なもんだ、俺の屁理屈では計算できないんだから。人間なんて所詮、理屈でどーこうじゃねぇのさ」


 男はその言葉を聞いて目を見開いた。相当驚いたようだ。


「……いくら屁理屈・トンデモ理屈を含めた言葉の大群でベラベーラするのが好きだった俺でもね、人間、いや狼男も時が経てば成長するし考え方も変わるもんですよ、時永先生? あ、そうそう……ハトが豆鉄砲食らった顔ってまさにそういう顔のことを言うんでしょうかね? ホント馬鹿みたいな顔だ。これだけ待った甲斐もある」


 まぁ、前からかもしれないけど? と狼男は意地悪く笑った。

 驚いたところというのは基本、挑発が効きやすい。いや、それ以前に頭に血の上りやすい性格をしていたらしい『時永』の表情が徐々に変わっていく。


「……よし、わかった。そちらがバカではないというのなら、どこまでできるか試してやろうじゃないか……!」


 男はサッと指を向けた。


「グレイブフィール……あの2人を」

「……!」


 むくり、と肉塊が動く。


「……食らって、こいぃぃいいいいいいいいいいいいい――!!」


 いつものように格好も付けない、本来のひずんだ叫び声が咆哮する。


「ガ、ァ……ァアーッ!!!」



 ……肉塊が雄たけびを上げ、こちらに向かって『足』を伸ばした。



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