プロローグ
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物心がついた時に、両親が離婚した。
どうやら自分は、父の子ではなかったらしい。
父は家庭を顧みない人だったと、周りの大人達はそう言った。だが母親が、父親以外の男の子を産んだのは事実だ。
その母親は、那岐が小学校に上がる年、どこかの男と蒸発した。
父親だと思っていた男に引き取られる筈もなく。本当の父親も既に家庭をもっており、子供の引き取りを拒否したらい。
数年間、繋がりがよく分からない親戚の家を転々とした。
幼いながらに、両親に捨てられたのだと、理解していた。
中学生になり今の家に引き取られてからは、まぁまぁ幸せだったと思う。
甲高い怒鳴り声を聞く事も、理由も分からず殴られる事も、泣き声がうるさいと裸で外に出される事も、食事を抜かれる事もなかった。
ただ、寂しかった。
その家の子がされているみたいに、頭を撫でて欲しい。
手を繋いで歩きたい。
抱きしめて欲しい。
一緒にお風呂に入って、同じ布団で眠りたい。
その願いは結局、叶う事はなかった。
親戚は高校の学費は出してくれたが、大学へは経済的に入れてやれないと言った。
当然だと思った。
親戚だといっても、血の繋がりは薄い。高校へ通わせて貰っただけでも、感謝するべきだろう。
高校を卒業したら、すぐに就職して家を出た。
立地や設備などを選り好みしなければ、安い物件はいくらでもある。元々贅沢は知らない。自分一人を食わせるだけなら、何とかなるだろうと考えた。
『何か困った事があったら遠慮せず言いなさい』
『本当に一人で大丈夫なのか?』
『うちにいてもいいのよ?』
遠慮して今までの礼を言うと、はっきりとホッとした感情を覗かせる。
高校生になってからは、アルバイト代から生活費を入れていた。就職先も決まり仕送りを申し出るが、そんな事よりも貯蓄しなさいと窘められた。
実の父から生活費を受け取っていたと知ったのは、高校を卒業し、引越し先が決まった後だった。
実の父は、それなりに社会的地位があるらしい。
生活費という名の、口止め料だったのだろう。
何故生まれてきたのか、何故生きているのか。
生きる意味は分からなかったが、死ぬ理由もなく、日々虚しさに押しつぶされそうになりながらも生きていた。
18年の生涯が、長いとは言えないだろう。
だが孤独に生きた18年は、決して短くはなかった。