第45話 「おかえりなさい」
突然あらわれたヘリ。あらわれた琴和姉妹。
そうか皆で助けに来てくれたんだな。ということは仲直りしたのか?
じゃあ、川上や工藤は?
色々な考えが巡るが、まずは僕に向けられた視線から片付けよう。
見間違いではなければ、あれは波乗のはずだ。
二つにしばった髪に不安げな大きな瞳がこっちを見てる。
「もしかして波乗か?」
すると波乗は琴和ランの後ろから覗いていた顔を引っ込めた。
お前はイタズラを見つかった子供かよ。
波乗の壁にさせられた琴和ランは勝ち誇ったような表情を僕に向けた。
「ずいぶん嫌われたみたいですわね、多記透」
んなこと言われてもなぁ。
波乗がそんな態度をとる理由がわからんし。
「なんだ? 何かあるならハッキリ言えよ」
すると波乗はピクリと肩を反応させ、その後、琴和ランの着ている着物の袖に自分の指を絡ませてモジモジしている。
「うんとね、うんとね……」
「ちょ、ちょっと、待ちなさい……多記透、何とかしてっ!」
「僕のせいかよ。おい波乗、琴和ランも困ってるから早く出て来いよ」
「だって……だって、だって、だってだって、だってだってだって!」
『だって』が加速度を増すと共に指を絡ませる動きも早くなっていく。
「ああっ、私の着物がっ!! 貴方たちじっとしてないで早く助けなさい!」
慌てた琴和ランは周りの私設警備兵に命じて波乗を自分から引き離す。
波乗はジタバタしながら琴和ランと僕の中間へと運ばれた。
正面から向かい合う形になった彼女は僕から視線を逸らし、なんだかバツの悪そうな表情をした。
「なんなんだよお前は。言いたいことがあるならハッキリしろ」
「う〜っ」
おいおい、今度はこっちを向いて少し睨んでるし。しかも涙目で何だか唸ってるぞ。
波乗の態度について意味がわからない僕はだんだん腹が立ってきた。
いちいち付き合ってられない。僕は波乗から背を向けた。
「唸ってるだけならもう帰るぞ」
「えっ!?」
「じゃあな」
「ああっ、待って、行っちゃ駄目です」
「だったら、言いたい事を言え!」
僕は振り返って再び波乗と向かい合う。
白のブラウスに紺のスカートって、夏休みだというのに何故か高校の制服を着ているぞ。
まさかこれが学生の戦闘服とか言わないよな。……っとおちゃらけている場合ではない。
さっきから視線が痛い。
すると波乗は俯き加減で僕をチラチラ伺いながらようやく口を開いた。
「あの……」
「どうしたんだよ」
「ち……近づいていい?」
おい、待てよ。そんなこと言うために今まで粘ってたのか?
ったく、馬鹿馬鹿しい。
波乗は手を後ろで組み、軽く体を揺らして僕の返事を待っている。
「なんでいちいちそういうこと聞くんだよ」
「だって……」
不安げな表情で僕を伺う波乗。
こんな表情を少し前に見ていたような気がする。
「あっ」
――そういえば。
宝条リンのメンバーが皆波乗の家へ来なくなったとき、二人きりになって雰囲気に流されたというか、なんというか、波乗と付き合ってるみたいな関係になったんだよ確か。
はがき書くのをそっちのけでなんだか化粧なんかしだした波乗に違和感を覚えて……
『……明日も……来て……くれる?』
『あ……当たり前だろ……明日も来る。じゃ……じゃあ今日はこの辺で帰るから』
とか言って波乗の部屋から逃げ出したんだ。
その後、玲子さんに誘われて、ペンシル祭に殴られてここへ連れてこられて……
波乗とはそれっきりだから気まずいはずだな。
ペンシル祭との勝負もあって波乗のことを考えるのすっかり忘れてた。
というか現実逃避してた。
「多記君、聞いてますか?」
「おわっ!」
おお、思いっきり回想に耽っていた。
にしても、この場所って現実世界から離れた場所にあるせいで現実のことを考えなくなるんだよな。
とはいえ今は現実。
僕は波乗の目の前に立っているのだ。逃げ出すわけにも行かない。
かといって「近づいていいよ」とか言ったら、波乗の気持ちに応えたことになるし。
くう〜っ、どうしたらいいか答えは見つからない。
もうわかんねぇ!!
「優柔不断なやつだ。男なら黙って受け止めろ」
「だ、誰だ!?」
迷っている僕の背後には、いつの間にか気まぐれサーファが立っていた。
っていうかお前いたのかよ。
といった雰囲気を察したのか気まぐれサーファーは勝手に答えた。
「逃げ遅れて撃たれた」
「なるほど」
わき腹の辺りをさすっているところを見ると、ここにも犠牲者はいたらしい。
「早く、澄音の問いに答えてやれよ」
「でも、いいのか? 波乗はお前の……」
「気にするな。それにあんな澄音のお預けを食らったような表情はそうそう見れるものじゃない」
気まぐれサーファーに言われるまま波乗へと視線を向けると、確かに物欲しそうな表情で僕をジッと見つめていた。
しかも僕は目が合った瞬間、視線を逸らしてしまった。
「十分わかった。でもな」
さらに言い訳をしようとする僕へ気まぐれサーファーは面倒だと言わんばかりに腰に手を当て、ため息らしきものをついた。
「俺が許す。ほら、身内公認だ。良かったな」
「そういう問題じゃねぇよ」
っていうか後ろからボソボソ話しかけるな。
だいたい前のこと思い出した以上、そんな簡単に受け入れられるか。
だけど気まぐれサーファーはそんな僕を気にせずに話し続ける。
「好きか嫌いかなんて後から考えればいい」
「それが肉親の言うセリフか!?」
「俺としてはお前の代わりに抱きしめてもまったく構わんが、それは澄音が嫌だろうからな」
と言いながらさらに僕の背後に近づく気まぐれサーファー。
ぴったりコイツの体が僕の体に密着して、気持ち悪っ。
「まぁ、ハッキリ言えば”我慢”してやるから、澄音を安心さてやれってことだ。お前の理由なんか知ったことか」
「なんだと!?」
するとどこから出してるんだというような声色で、気まぐれサーファーは波乗に向かって叫んだ。
「僕に近づくのに遠慮はいらない! とっとと飛び込んで来い!」
「うわっ、お前、何言ってんだよ!」
「多記君。それ、ほ、本当!?」
「おっけーい」
「また勝手に言――うわああっ!」
僕が気まぐれサーファーに抗議しようとした瞬間、背中を思いっきり押されてしまった。
そのまま波乗の前までつんのめる様に駆け寄る。
なんとか体勢を整えると、波乗は僕のほんの数十センチぐらいに近くにいた。
「多記君、やっと会えた……」
「そ、そうだな」
真っ直ぐな波乗からの視線は僕をしっかりと捕らえる。
僕はその場から逃れられなくなってしまった。
このまま雰囲気に流されるかもしれない。
「多記君」
「な、なんだよ」
「多記くん」
「だからなんだよ」
「多記くぅん」
僕の名を呼ぶごとに波乗の瞳はどんどん潤んでゆき、勢いのままに僕に飛び込んできそうな体勢だ。
やっぱり今度は流されちゃあいけない!
僕はとっさに波乗を手で制す。
「ちょっと待った!」
「はい!?」
波乗は前に傾きかけた上半身を両手でジタバタさせてバランスを取った。
そのあとキョトンとした表情で僕を見上げる。
僕は息を整え、口元に拳を当てて大げさに咳払いをした。
「えー、コホン。今から言うことは偽らざる本当の気持ちだ」
「多記くんの本当の気持ち?」
「ああ、聞いてくれるか?」
すると波乗は不思議そうな表情を引き締め、慎重にゆっくりと答えた。
「うん」
僕は心の中で深呼吸をして、自分の間を整える。
そして心が決まると、何とか言葉を吐き出す。
「僕は波乗のことが好きだ」
「うん」
波乗は喜ぶかと思われたが、意外にも真剣な表情を崩さずに僕の話を聞いてくれている。
どうやら彼女にもこの話の続きがあることはわかったみたいだ。
「でも正直、この好きが、恋愛感情から来るものなのか、友情なのかわからない」
波乗にしてみたらショックな事実かもしれないが、本当の気持ちをそのまま伝えることにした。
悲しむ顔は見たくないがしょうがない。
しかし、波乗は僕の予想に反してニコリと微笑んだ。
「いいよ、それでも」
「本気か? 付き合えないかもしれないんだぞ?」
「それでもいいです」
「えっ……?」
波乗が浮かべる笑顔での返答に僕は次に言おうとしていた言葉を忘れてしまった。
彼女は相変わらずニコニコしている。
「だって、私はそれでも多記君のこと好きだから」
笑いながら言われても、重い言葉だなそれ。
また、逃げ出してしまいそうだ。
「もちろん宝条リンのメンバー、皆のことも大好き」
「?」
「皆、仲間だしね」
「あぁ、なるほど」
ようするに友達に格下げってことか……
なんだかホッとした。
お陰で少し余裕が出て視野が広くなった気がする。
だってさっきまで波乗の顔しか目に入らなかったのだから。
「なにより多記君は『来なかった』んじゃなくて、『来られなかった』んだって分かったから」
「あっ、そうだな……」
次の瞬間、ホッとした自分が恥ずかしくなった。
あの時、僕は捕まってすぐに逃げることを諦めた。
でも、波乗はきっと待っていたに違いない。
玄関先や部屋なんかで一人、僕の来るのを待っていたんだ。
それなのに僕は……
「きっとあの時はどんどん皆がいなくなって心細くなったんだと思う」
そういうと波乗は一瞬、口を一文字にした。
波乗は強がっている。
だって組んでいる手が震えてるんだぞ。嘘って丸分かりじゃないか。
「本当にいいんだな」
「はい」
「僕はずるい奴だからそれで納得するぞ」
「うん」
彼女なりの精一杯の笑顔をみせる。
少し緊張気味で上手く笑えてないけど、僕には波乗の気持ちは十分伝わったし、これ以上追い詰めるのも良くない気がした。
波乗が決めたことだ、僕が今から無理に掘り起こす事はない。
結局元に戻っただけだし、まぁいいじゃないか。
「ったく、たかが付き合う、付き合わないでなに考え込んでんだか。別に結婚するわけじゃあるまいし」
スキーゴーグルをつけたままの人間に言われたかない。
うるさい外野はこの際無視だ。
僕が気まぐれサーファーに気を取られていると、波乗は僕の服の袖を引っ張っぱった。
「どうした? 波乗」
「お願いがあるんですが……」
「なんだよ、言ってみろ」
すると波乗の表情は微妙にこわばった。
「友情でもなんでもいいですから、その……もう少し近づいていい?」
もう少し近づく? もう十分近いじゃないかと言いかけて止めることにした。
これ以上この子を拒否してはいけないような気がしたからだ。
友達として、友達として。優柔不断と言うなら言えばいい。
「いいよ」
「ありがとう!」
目を細め口からは白い歯が見えた。
彼女のここへきて一番の笑顔を見た気がする。
そして波乗はその場から僕へとゆっくり身をゆだねた。
さっきまではあんなに避ける気持ちが高まっていたのに、抱きしめた途端、一斉に僕の体中の感覚が反応した。
柔らかい衝撃と共に僕の体に波乗が重なる。と同時に波乗からの香りが僕を包む。
きっと髪から香るシャンプーの匂いなんだろうな。
「良かった、多記君が生きてる」
「バ〜カ、そんな簡単に死ぬかよ」
「うん、うん!」
波乗はそう長くない自分の両腕を精一杯僕の背中へ回す。
僕もそれに合わせるように背中へ腕をまわすと、小柄な体がすっぽりと収まる。
抱きしめた腕からは華奢な体を感じることができた。
よくわからない感情が高ぶり、僕はグッと両腕で強く抱き上げる。
「え!? た、多記君」
「ごめん、心配かけたな」
「……うん」
手のひらからは背中の起伏を、体全体からは緊張して高鳴っている心拍が伝わってきた。
すっかり僕は久し振りの波乗を感じていた。
体が覚えてるというのだろうか?
「お帰りなさい」
「って、お前たちが迎えに来たんだろうが」
「えへへ、そうだね」
やっぱり僕は波乗のことを恋愛対象として好きかもしれない。
んなこと考えるから、ハッキリしない男になってしまうのだろうが……
「ったく、身内の目の前で見せつけてくれるな」
「なんだよ、お前が受け止めてやれなんて言ったんじゃないか」
「ものには限度というものがある」
ゴーグルでわからないはずの気まぐれサーファーの視線が、どうも抱きしめた僕の腕にあるような気がした。
僕は瞬間的に腕を波乗から離した。
「いや、これはつい……」
「あっ。はぁ……」
波乗から小さなため息が漏れたのは気のせいか?
気まぐれサーファーはニット帽の上から頭をかくと、琴和リン達を指差した。
「わかったから、さっさとあの迷惑な連中を連れて帰れ」
「うるせえ、お前に言われたかねぇよ」
いつの間にか僕の肩越しに波乗は会話の主を見つめていた。
しばらくジッと観察していたがやがて、何かに気づいたように呟く。
「あれ? もしかして……」
まずい、波乗が気まぐれサーファーに気づいてしまった。




