第34話 「紛い物でしかない」
それから2年経った。
私も業界でもそれなりのポジションにいると思っている。
仕事は途切れることは無く、お金に困ることはない。一応の成功を収めていた。
その日も私は番組の打ち合わせで夜遅くなり、その後、番組スタッフ達と近くバーに入る。
私が騒がしい飲み屋を嫌なことをスタッフは知っているので、入った店内は落ち着いた雰囲気だった。
テーブル席に座り、注文して一息つくと周りのスタッフが次々と私に話しかける。
「いや〜古林さんが担当してる番組って、毎日何所かでやってますよね」
「ラジオ、テレビ。今度はドラマの脚本も挑戦するらしいじゃないですか」
「どうやったらそんな風になれるんですか? ホント、教えてくださいよぉ〜」
「止めておけよ。お前じゃあセンスないから無理」
「え〜、そんなぁ」
自分では浮かれていないつもりだったが、こう持ち上げられると少しはいい気になってしまう。
そこへ店員が注文したものを持ってきた。次々と頼んだものがテーブルに置かれる。
しかし、不意に店員の手が止まった。
初め、私は話し込んでいたので気付かなかったけど、店員から声をかけられて初めて気付いた。
「あの……もしかして、古林さん?」
声をかけられたほうに目を向ける。
「……あっ、貴方は……確か……」
「覚えててくれたんですね。由部……由部渡です」
彼の顔を見て2年前の記憶が戻る。
あの頃より若干、痩せた印象があるけど確かに由部渡だった。
彼は嬉しそうに笑みを浮かべて私を見ている。
「……」
嫌な奴に会った……という感情はもう無かった。
少なくとも放送局で会ったならそんな感情も浮かんだかもしれない。
でも、彼の姿を見てすぐに悟ってしまう。
彼はもう業界にいないのだと。
スタッフと一通り飲んだ後、私だけ店内に残りった。
カウンター席へ向かい、バーテンをやっている彼の前に座る。
「すいません。残ってもらっちゃって」
「いえ、構いませんが……」
彼が注文の品を置いて去ろうとした時「私に残ってくれないか」と耳打ちしたのだ。
残る義理は無かったけど、彼の近況が少し気になったので付き合うことにした。
「相変わらずですね」
「え?」
「誰に対してもそっけない」
「そうですか?」
「……ええ。でも、実力があればそれでいいかもしれない」
「……」
私が何も答えずにいると彼は下を向いた。
「それに比べて僕は貰った仕事も満足にこなせず半年もしないうちに仕事は無くなり、今はこうやってバーテンダーをやっている」
「……」
再び私へ顔を向けると微笑む。2年前よりかなり疲れた笑いだった。
そんな顔を見れば彼の苦労がうかがい知れる。
しかし、同情する気は起きなかった。
私達の仕事は月給を貰って働くサラリーマンとは違う。何の保証もない。
確かにサラリーマンもリストラがあるが、仕事を失うリスクは比べようもない。
それを理解して……成功した者だけが続けられる仕事。私はそう思っている。
しばらく、私達は沈黙していた。
元々、落ち着いた雰囲気の店なので特に違和感はない。
私はこれ以上話すこともない気がした。
「でも、僕は諦めてないですよ」
「え?」
唐突に彼は言う。私が顔を向けると、彼は私を見据えた。
目に力がある。言葉には嘘がないようだ。
「……ここは放送業界の人がよく来る店だって聞いていたから働くことにしたんだ。最後のチャンスを掴みに」
「最後?」
「うん。これ以上ないぐらいの企画が出来た」
「……」
私は特に何も感じなかった。2年前もそんなセリフを彼は吐いていたから。
自信を持っているときほど彼のエゴが感じられる駄目な企画だった。
「そこで頼みごとがあるんだ。この企画書を君の知り合いのラジオ局プロデューサーに渡してくれないか?」
「……私が?」
「なぁ、頼むよ」
私が逡巡していると、彼はカウンターから出て土下座をした。
「ちょ……ちょっと止めてください」
「止めない!! 頼む!! この通りだ!! もう僕にはツテがないんだ!!」
「…………」
必死に土下座する彼を見て、驚きと同時に心地よさも感じていた。
私は成功して彼は失敗している。これでハッキリしたはずだ。どちらが上か。
「分かったから、こういうことは止めて。その企画を書いた書類を貸して」
「……本当? ありがとう!! ありがとう!!」
彼は何度も私の手を握り頭を下げる。そんな彼を私は上から見下ろした。
彼は準備良くその場で書類を私に渡した。
丁度、次の日にラジオの打ち合わせがあったので企画を渡すと私のやるべきことは終わった。
――はずだった。
数週間後、いつものように打ち合わせのためラジオ局を訪れた。
私を見たプロデューサーは浮かない顔をしていた。
「どうしたんですか?」
「うん……あのさ……」
プロデューサーはなかなか答えようとしない。こういうときは大抵決まっている。
「……打ち切りですか?」
「……実はそうなんだ」
「レイティングの数字は悪くないと思いますが……他に原因でも?」
終わることはしょうがない。私だっていつも成功したわけじゃない。1クールで終わった番組なんてざらにある。
それだけに原因をきちんと考えておかないと次へ生かせない。
「……確かに数字は悪くないけど……なんていうのかなぁ……まったく違った指向の番組を始めたいなぁと思って……」
「そうですか」
確かにバラエティー番組から情報系番組に変更するとかいうなら話は分かる。
私の専門外だ。どんな番組に変わるのだろうか?
気になったけど聞くことが出来なかった。
それはプロデューサーが言った次の言葉を聞いたから。
「一応、コバちゃんにも言っておいたほうがいいと思うんだけど……オレに企画持ってきてくれたし」
「?」
「次の番組に使う作家さぁ……由部で行こうと思うんだ」
「!!」
「……なんて言うかさぁ。あいつの書く企画って凄く自分よがりなんだけど熱意が伝わってくるんだよね」
「……」
「一つぐらい番組譲ってやってよ。コバちゃんの企画も凄く良いんだけどさぁ……」
「分かりました。しょうがないです。今までありがとうございました」
言葉を濁し言い淀むプロでユーサーに挨拶をして私は早々に立ち去った。
他にも沢山の番組を抱えている。彼に番組を譲ることは別に構わない。
……構わない……構わないはずなのに……
私は唇をかみ締めている!!
「!!」
そこで私はようやく忘れ物をした事に気付いた。
戻りたくは無かったが、次の仕事にどうしても必要なのでとりに行くことにした。
戻っている途中でさっきのプロデューサーがいることに気付く。
さっきの浮かない顔とは一転して満面の笑みを浮かべて、ディレクターと話をしている。
「古林さんを切ってホントに大丈夫なんですか?」
私に気付かないのか大声だった。嫌でも耳に入ってくる。
私は自然に身を屈め聞き耳を立てた。
「心配無い。この業界じゃあ、あの娘のことなんて呼んでるか知ってるか?」
「何なんですか?」
「送りバントのコバちゃんだよ」
「送りバント?」
「そう。大きい企画の準備をするために彼女の企画を採用するんだ。ランナーを進めるための送りバントの役目。いわば小物だよ」
「へぇ」
身を屈めていた体が自然に床へ尻餅をつくように下がっていく。
頭が真っ白になり何も考えられない。目の奥が熱くなり、何かが溢れてくる。
少し視野が涙で歪む。
「由部の企画で大きな賭けに出ようと思ってな」
「そんなに良いんですか?」
「上手くいけばオレの名を広めることにもなる」
とうとうこの日が来た。
本当にこの世界のことが好きな人と私は真剣勝負して負けたのだ。
――私は所詮紛い物でしかない。
ただ要領の良い二流の人間……
「……」
だが、逃げるわけには行かない。私は戦いをする決心をした。
まず涙を拭き、力を振り絞って立ち上がった。
すると、私を見つけた二人は急に会話を止める。
二人に近づき交互に睨みつけた。
「あっ、あれ? コバちゃんどうしたの? わ、忘れ物?」
やたら慌てるプロデューサーに私は冷たく言い放つ。
「……こちらの局の番組を私は5つ持ってます。この番組が終わるので4つですが、全ての番組を降ろさせていただきます」
こんなことを言ってしまうと仕事を失うかもしれない。
でも、今はこれからの仕事より守らなくちゃいけないものがあった。
それは自分のプライド。
「そんな、急に困るよ!! 2年続いてる番組だってあるんだし」
プロデューサーは慌てた。
関係ない局の仕事まで自分のせいにされ、潰れて責任を負わされることを恐れだのだ。
「私は所詮つなぎなのでしょ?」
「……ごめん。言いすぎた」
「別に私は構いませんが?」
あくまでも私は強気な態度を貫いた。というより、開き直った。
小物でも紛い物でも構わない。
だけどここは負けたくない……いや、絶対に負けない。
「……どうすれば許してもらえるんだ?」
プロデューサーも自分の非を認めたらしく、内々で処理しようとしている。
私は腕組みをして、見下すように彼を見る。今までにない不遜な態度で対応した。
「そうですね……由部さんの企画は無かったことにして欲しいです」
「!! それは……」
「出来ないのですか?」
「……」
観念したのかプロデューサーは頷いた。
「残念でしたね大きな賭けが出来なくて。私も良い送りバントを出来るように頑張りますね」
「……」
それ以上プロデューサは何も言えず下を向いた。
私は爽快な気分で局を出た。あのプロデューサーと由部を一度に黙らせることが出来たのだ。
これで何もかも元どうり。仕事も私のプライドも。
その夜、私は良い気分で家路につこうとテレビ局を出た。
外は小雨が降っていて私は外で待たせてあったタクシーへと急いだ。
カバンを傘代わりにするため、頭に乗せ両手で支えて走る。
すると視界の端から何かが迫ってきた。
両手がふさがっている私はそのまま何かとぶつかって倒れてしまった。
「……最後だと思って書いた」
「?」
私は訳が分からず立ち上がろうとした。
しかし、上手く立ち上がれない。
そのまま倒れたまま動けなくなった。
「したい仕事も出来ずにバイトでつなぐような……あんな生活に疲れたんだよ……」
「…………」
ゆっくり顔だけを上に向けた。私の瞳に移ったのは見覚えのある男性、由部渡だった。
彼の脇で何かが光っている。良く見ると包丁だった。
そこでようやく私は事態を理解し、腹部に触れる。
ぬるっとした感触と共に手についたのは私の血だった。
「アンタにとってはただのクズ企画だったかもしれない……でも、あれは……僕の全てだったんだ」
「は……あっ……あ……」
お腹に力が入らないので上手く話せない。
次第に激痛が私を蝕む。
「僕だって負けてばかりはいられないんだ」
その瞬間、私の意識は途切れた。




