第32話 「絶対、負けられない」
静かな部屋。床にはハガキが散乱している。
窓から差し込む光がペンを走らせる手を照らすことで朝になったと気付く。
僕は黙々とハガキを書いていた。
しばらく、ネタハガキを書いていなかったせいもあって溜まっていたものが一気に流れ出した気がする。
正直、ペンシル祭に勝てる確率は低い。
自分の力は信じてるが、相手は元プロだ。
ハガキを書きながら頑張ろうと気持ちが盛り上がったり、駄目かもと沈んだ気持ちになったりを繰り返している。
「あのー、入っていいですか?」
ドア越しに声が聞こえた。どうやら朝食を持ってきてくれたみたいだ。
僕が中に入るように促すと、数人の男女が朝食を持って入ってきた。
彼らは僕がネタのアドバイスをした人達だった。
「あれ? クックルドゥーは?」
「あの人が『拙者はペンシル祭派だからアイツの朝食は持っていかない』って……」
「よく言うよ。いつも文句ばっかり言ってるくせに」
とりあえずハガキを書くのをやめ、朝食をとることにした。
食べながら彼らの持ってきたネタハガキに目を通し、アドバイスを送る。
一人の男性が嬉々として僕に話しかけてきた。
「この前、アドバイスを参考にネタを練り直したら読まれましたよ!! ありがとうございます!!」
「あぁ、ラジオ聴いてました。良いネタハガキだと思います。ホントにこのネタ好きなんだなぁ〜って」
「自分の書くネタですからね!! あの……」
「?」
「オレ達、マッチョさんを応援してますから」
「……すみません。マッチョさんは止めてください。多記透って名前があるんで……」
ここでは本名ではなくペンネネームで呼ばれる。
本名で呼ばれるのは現実感を呼び起こしてしまうかららしい。
だから、本名なんて誰も名乗らないし、お互いの本名も知らないということだ。
「でも、そんな事言って大丈夫なんですか? ペンシル祭は皆さんのリーダーでしょ」
僕の言葉に誰も答えることが出来ず、室内は静まる。
黙っていることが十分な答えになっていた。
ペンシル際って人望がないのかもしれない。
しばらくして、女性が僕にポツリと言った。
「なんだかペンシル祭さんって近づきにくいんですよね」
「……」
「なんていうか……あの人、自分のネタが好きだとは思えないんです」
「どういうことですか?」
「だって、ハガキ読まれても全然喜ばないし……だいぶ前に私のネタハガキを見てもらったことがあったんです。それで……ハガキを一瞥した後、こう言ったんです。『好きなことをネタにしているようじゃあ、一生ハガキは読まれない』って」
「なるほどね」
外がやたら騒がしくなった。ここの生活も動き出したらしい。
「もう、仕事の時間なんじゃないですか?」
「あっ、そうですね……じゃあ、頑張ってください」
慌てて食器を片付け、彼らは出て行った。一人になった部屋でさっきの話を思い出す。
ペンシル祭の言いたいことは分からないでもない。
ハガキを読んでもらおうと思えば、自分の好みより選者の好みを優先させるというのはありうる話だ。
実際、僕も波乗にもそうアドバイスした。
しかし、それだけじゃあハガキは読まれない。
方法論ばかりを追って本質を見失ってはいけないと思う。
例えば宝条リンは工藤が笑いを担当している。
これは彼女がお笑いについて詳しいし、好きだからだ。
個人の「好き」という要素から生み出されるパワーを侮ってはいけない。
ペンシル祭は元プロだから、好きなことをしているだけでは通用しない世界を知りすぎているのだ。
少なくともここはそういう世界ではないだろう。
……これで、ますます負けられなくなった。
そして……勝負の三日間が始まる。
僕は三日目のネタを書いていた。辺りは静まり返っている。
皆、自室でラジオを聴いているのだろう。
そんな中「ラジオデイズ」が開始する頃、数人の足音がした。
足音は僕の部屋の前で止まり、ドアが開く。
入って来たのはペンシル祭とその取り巻きだった。
「何だよ」
僕の言葉にペンシル祭は答えず取り巻きの中の一人、100g98円が答えた。
「今日から3日間は君の敗北する姿を見ながらここで放送を聴こうと思ってね」
「……勝手にしろ」
ペンシル祭を見ると僕を睨んでいた。
てっきり余裕の笑みでも浮かべているのかと思ったので意外だ。
とうとう放送が始まった。
『さぁ、今からの時間はみんな手を止めろ!!そんなに考え込んで落ち込んでても意味が無いぞ!今からの3時間は全てを忘れて“だらだら”するんだ!』
お決まりのセリフだが、今日ばかりはだらだらしていられない。
フリートークの後、番組はハガキのコーナーに移る。
コーナーが始まって早々、ペンシル祭のハガキが読まれた。
取り巻きは拍手をして喜ぶ。ペンシル祭は喜ぶ様子がまったくない。
少しして、僕のハガキが読まれた。
あからさまに舌打ちや「つまんねー」などの言葉がでる。かなりムカつく。
『このハガキはペンネームペンシル祭から……』
『次のハガキは……ペンネームマッチョ石松から……』
最初はあまり読まれることは無かったのだが、徐々にお互いの名前が交互に読まれるという展開になってきた。
「ラジオデイズ」はポイント制だけど、今回は枚数勝負なのでMVP等を気にすることはない。
それにしても……こうしてペンシル祭のネタを改めて聴くと何だか違和感を感じる。
確かに凄いのだが……何処か商品めいている。
コーナーの狙いどうりのネタなのだが……悪い見方をすればあざとい。
はっきり言えば、綺麗だけど中身がないのだ。
「ペンシル祭」
「……」
ペンシル祭は黙ったまま答えない。それでも構わず僕は話し続ける。
「何が楽しくてハガキを書いてるんだ?」
わずかに彼女の眉が動く。
やがて、ため息を一つして答えた。
「くだらない質問。禅問答でもしようっていうの? それとも人生相談? 『何故人は生きているの?』っていう具合に」
「誤魔化すなよ。答えられないのか?」
「少なくとも、ここではサーファーキングがリーダーなの。ハガキを書くことが自分の存在理由を証明するものになる。好きも嫌いもないでしょ? じゃあ貴方に聞くけど何故貴方は学校に行って勉強するの? 好きだから? そういう人も少なからずいるでしょうけど……ほとんどの人は違うでしょ? 学校では勉強しなくちゃ存在理由をくれない。だから好き嫌いに関わらず貴方達は勉強する」
「別に勉強だけじゃない。他の好きな事を見つけて頑張るヤツだっているだろ」
僕の受け応えに明らかな嫌悪感を示すように顔を歪ませてペンシル祭は反論した。
「『他の好きなこと』? ……負け犬の遠吠えね。学校の勉強なんてのはある程度の方法論をもって、それを確実に実践すればどうにかなるものなのに、それさえも出来ない落伍者の言い訳よ。だったら学校を辞めればいい。……話は逸れたけど、ハガキを書くことだって同じ」
「おい……」
「ここはハガキを書くことが全て。いわば、ハガキを書くプロが集う場所。結果を出すことが第一で気持ちなんて二の次なの」
「ちょっと……」
「『好きだからハガキ書いてる』なんて虫唾が走る。そんな人はここから出て行って欲しい!!」
僕を無視して畳み掛けるように話すペンシル際に冷静さは無かった。
まるで、口げんかをする子供のようだった。
「ちょっと待てよ!! なんでそんなにムキなってるんだ?」
「っ!!」
自分の状態に気付き、ペンシル祭は僕から目を逸らした。
眼鏡を指で上げ、手で髪を何度か撫で、時間を置くと彼女は呟いた。
「……別に。生理的に貴方を受け付けないだけ。私は絶対に負けない」
「……」
再び室内は静かになった。
番組は後半に差し掛かるとある変化が訪れた。
それは僕がペンシル祭と互角に渡り合う上で重視していた要素が現れた証拠だった。
『続いてはペンネームマッチョ石松から』
「おいおいこれで3枚連続で読まれてるぞ」
さすがにペンシル祭の取り巻き立ちもざわめき出した。
僕が考慮した要素。それは……新人は優遇されるという要素。
はっきり言って凄くセコイ。しかし、これもテクニック。ペンシル祭も分かっているはず。
ネタ自体は確かに名前を隠して選ばれるのだろう。
しかし、放送の場合はどうだろう?
放送時間には限りがある。あるハガキのネタに引っかかり、ジョニーが話を始めたら?
自然に読まれるハガキが制限されるはず。
そんな限られた時に優先されて読まれるのは常連か新人か? 答えは簡単だ。
「卑怯だぞ!! マッチョ石松っ!!」
取り巻きの誰かが僕を非難した。
しかし、完全に落ち着きを取り戻したペンシル祭がそれを静止する。
「落ち着きなさい。こんなことは初日だけです」
確かにその通り。だが、これで初日は僕のハガキが勝るだろう。
そして番組は終わり、改めて集計した枚数を考える。
ペンシル祭 8枚
マッチョ石松 11枚
予想以上の勝利だった。
この結果にペンシル祭は動揺した様子は無かった。
二日目。この日から真剣勝負といえる。
今日もペンシル祭とその取り巻きはここへ来て放送を聴いていた。
ある程度覚悟はしていた。
自分の計算では初日のアドバンテージでなんとかしのげればと思っていた。
しかし、放送が始まると考えてもみない展開になった。
今まで鳴りを潜めていた宝条リンが読まれだしたのだ。
ネタの内容を聞いてみると波乗が書いたものではないと分かる。
僕の想像が正しければ工藤と川上が戻って来たに違いない。
どうして戻ってきたのかは分からないけど良い事には違いなかった。
そのアオリを受けて僕とペンシル際のハガキが読まれにくくなった。
つまり、あまり差が付かないということ。
思わぬ援護射撃を受けて番組は終了した。
今日読まれた二人のハガキは
ペンシル祭 5枚
マッチョ石松 5枚
合計すると
ペンシル祭 13枚
マッチョ石松 16枚となった。
この結果にこの状況に言葉を無くす取り巻き。
ペンシル祭さえも下唇をかんで悔しさを我慢していた。
僕は余裕を持ってペンシル祭に話しかける。
「明日で最終日だが御感想は?」
すると、ペンシル祭は今までにないぐらいの怒りに満ちた目つきで僕を見据える。
「……私は間違っていない…………絶対に負けない……絶対……絶対……」
彼女は取り付かれたように『絶対に負けない』と何度もつぶやき、取り巻きと共に部屋を出て行った。
一人になった部屋で僕は思わずつぶやいた。
「……これってハガキの勝負だよな……そこまでこだわるの必要あるのか……」
正直、この勝負に勝ったところで、ここを出られるとは思わない。
目的はペンシル祭に一泡吹かせられればと思っただけのことだ。
次の日のこの時間には結果が出ている。
その時、ペンシル祭はどうするのだろう。心配になってきた。




