第18話 「パーソナリティーとして」
私はある人に憧れてラジオのパーソナリティーを目指した。
その人の名は波乗丈、通称ジョニー。
『OK! ジョニーのラジオデイズ!!』
深夜の若者向け番組は丈さんのタイトルコールから番組が始まる。
『さぁ、今からの時間はみんな手を止めろ!! そんなに考え込んで落ち込んでても意味が無いぞ! 今からの3時間は全てを忘れて“だらだら”するんだ!』
このお決まりのセリフを丈さんは10年以上続けている。
学生時代から何度も聞いた。私にとっての魔法の言葉。
「玲子さん、一曲目の準備は大丈夫か?」
ディレクターの伝之助さんの声で私は我に返る。
「だっ、大丈夫です!!」
「まったく……いつもここで丈に見とれて仕事を忘れる……」
「す、すいません!!」
「いいじゃありませんか。玲子さんは丈の話芸を盗もうと必死なんですよ」
琴音さんのフォローで私も落ち着きを取り戻す。
「1曲目いきまーす」
丈さんと百合音さんにトークバックを使って話しかける。
こうすれば放送に私の声は入らずに丈さんに届く。
すると丈さんは上手い具合に話をまとめてくれる。
私はCDの再生のボタンを押した。
あれは何年前の話だったか……
『波乗丈が何処かで海賊放送をしている』
そんな噂を耳にしたのは私がオールナイトブレイクを始めて一ヶ月後のことだった。
話を聞くと誰かが送ってきたカセットテープが情報源らしい。
丈さんは目標だったが、私がこの業界で仕事をするようになった時にはすでに第一線を退いていて、丈さんの話を聞くことも無かった。
実際、この噂を聞くまで忘れていたのが実情だった。
とりあえず噂のテープだけ家に持ち帰ることにした。
コンポにカセットを入れたきり聴かなかったけど。
この頃の私は目の前の番組に精一杯でそれどころじゃない状態。
初めての全国放送ということもあり力も入った。地元ラジオからの大抜擢。
これもすべて地元ラジオ局のディレクターのお陰。
彼がオールナイトブレイクのディレクターと大学時代の友人で私を推薦してくれたのだ。
番組当初の反響は薄かった。最初の聴取率は全パーソナリティー中最後から二番目。
オールナイトブレイクは各曜日、パーソナリティーが違っていて私の曜日以外は皆、俳優さんだったり歌手だったり今が旬の人たちばかり。
そこへ無名の私が割り込んだところで太刀打ちできるわけが無い。
でも、そんなことは前の番組で慣れていた。
前の番組なんかは三週目まで一通もハガキが来なかったのだ。
今回は前の番組のリスナーが応援してくれるだけ状況も良くなってる。
地道にやっていくしかない。他のパーソナリティーの様にドラマや歌でアピール出来るわけじゃない。
私が勝負できるのはラジオ。
他のパーソナリティーには出来ないリスナーのためだけに送る番組作りを丁寧にやるだけ。
それが実を結んだなんて大袈裟なものじゃないけど、番組の回数を重ねる度にハガキも増えていった。
少しずつ認められていく。聴取率も少しずつ順位を上げていった。
順位が上がるに応じてラジオ以外の仕事も増えて来る。
雑誌の取材やテレビ出演など。私はあくまでもラジオの宣伝のために応じていた。
気付かない間に自分を取り巻く環境は大きくなっていった。
スケジュール管理は自分でやっていたのに私では処理しきれなくなってマネージャーを付けた。
局への移動は自分で車を運転していたのにいつの間にか後部座席乗ってる私が居る。
お化粧だってメイクさんが付き、チョイ役だけどドラマなんかにも出た。
局を歩くのにも何人かで行動する。
確実に歯車は狂って行った。ラジオ以外の仕事がメインになって、ラジオの喋りも徐々に内輪ネタが増えていく。
番組へ来るハガキにも『最近トークが面白くないです』という意見が書いてあった。
忙しすぎて考える暇が無いのだ……って言うのは言い訳だと分かっている
……でも、自分ではどうしようも出来なくなっていた。
だから私はそういうハガキを無視した。最低の行為だった。
ネタハガキは放送作家さんに任せっきりにして、私は選ばれたハガキだけを読むようになった。
だって、もう努力しなくても聴取率はベスト3に入るから……
でも、ツケはいつか回って来る。さまざまなメディアに出る私。
自分の中で才能の支出ばかりが増えて得るものが少ない生活サイクル。
それが確実に私を蝕んでいった。大勢の人の前に立たされる。
皆、私のリアクションを待っていた。
期待ばかりを感じる。
それに答えなきゃ……答えなきゃ……答えないと私は……私は……
――あれ?
理解したときはすでに遅かった。
自分ではもうどうすることも出来ない。周りに振り回されるだけの私。
ミンナ……ナニヲ期待シテルノ?
「じゃあ、今日もいつもの玲子さんでお願いします」
「え?」
いつもの私?
……どんな私?
よくわからないままラジオブースに入る。
ふと時間を見ると0時59分。
後、1分で番組が始まる……そして、時報は1時を告げた。
いつものように音楽が聴こえ私はタイミングを見計らってカフをオンにしてマイク越しに喋りだす。
「……」
「玲子さん!! カフが下がってるの? 早く上げて!!」
プロデューサー声がトークバックから聞こえる。
私はあわててカフを見る。
しかし――カフはすでにオンになっていた。
慌てて私も何か埋めようと話そうとするけど……声が出ない!!
「あっ……あ……うう……」
口が開くだけで声にならない。私は焦った。どんどん時間が過ぎる。
このままじゃあ……私……私……
次の瞬間、私の中で何かが終わった。
イスから立ち上がるとラジオブースを飛び出す。
スタッフが私を止めようとするけど振り切り走り去る。
……何でそんな目で見るの?
……期待しないで……私には何も無いの……
もう……嫌だ……何もかも……
逃げ出して行き着いたところ……ラジオ番組を初めて担当した街……
ここなら私を癒す何かがあるかもしれない。
「玲子さん!!」
私は怯えながら後ろを振り向く。
するとそこには私に初めてハガキをくれた少年が立っていた。
「マッ――じゃなくて多記君!? なんでここが分かったの?」
「だって……放送で辛いことがあるとここへ来るって言ってたじゃないですか」
「……よく憶えてたね。放送でも一回しか言ったこと無いのに」
「これでも華富玲子の成長を見てきましたから」
「……そうだね」
「玲子さん?」
私は自分の思いに耐え切れなくなり、彼の肩にしがみついた。
あの時から私を見てくれたこの子なら私の気持ちをわかってくれるかもしれない。
「い、い、いきなりどうしたんですか!?」
「ねぇ……今から私の部屋に来ない?」
どうかしている……こんな少年を部屋に誘うなんて。
でも……しがみ付けるものには何にでもしがみ付きたい衝動に駆られていた。
「ええっ!?……何言ってるんですか!?」
「……」
「玲子さん……戻りましょう」
「えっ……」
彼の返事に自然と手が離れ、距離をとった。
そうだ。彼はリスナーなのだ。
私をラジオパーソナリティーとしか見ていない。
私がラジオをやっているから彼はここまで来てくれたのだ。
「僕でよかったらなんでも協力しますから」
「ありがとう……」
純粋な気持ちが私を締め上げた。
いたたまれない気持ちになる。
「それじゃあ――」
「……その気持ちだけで十分だから」
……もういいから。
期待しないでいいから……私を追い詰めないで。
そう言いたくて……私は言葉を呑んだ。
彼はそんな言葉を待ってないに決まってる。
「え?」
彼の疑問に答えることなく、私は精一杯、ラジオパーソナリティーとしての笑顔を見せる。
原点にきても自分を責める結果にしかならない。足早にその場を去った。
そのまま家に帰り、自分の部屋に鍵をかけ、閉じこもる。
部屋の中で私はただ蹲っていた。
どれぐらいの時間が経ったのだろう?
暗くなった部屋で、これからに対する不安が私を震わせた。恐怖がこみ上げる。
私の取り巻く全ての世界。その世界が壊れた時、私の中で「死」という文字が浮かんできた。
手ごろな紐を捜し、柱にくくりつける。
踏み台を用意し、足を踏み出す。と同時に何かを踏んづけてしまった。
その時突然、私のコンポの電源が入る。
『OK!ラジオデイズ!!』
丈さんの声が聞こえてきた。コンポに入れたままの海賊放送が流れる。
『さぁ、今からの時間はみんな手を止めろ!! そんなに考え込んで落ち込んでても意味が無いぞ! 今からの3時間は全てを忘れて“だらだら”するんだ!』
「あぁ…………」
涙がこぼれた。我慢しても我慢しても涙は止まらない。
私は感情を解放し、大声で泣いた。
このセリフは私のためだけに言ってくれたものではない、そんな事は良く知ってる。
でも、この人だけだった。
私にだらだらしろと言ってくれるのは……
「はい、後30秒で曲終わります」
あの時間の感動は忘れない、失いたくない。だから今、私はここに居る。
丈さんの近くに居れば安らげる。
彼は私にとってのラジオパーソナリティーで居てくれるから。
「5秒前 4、3、2、1」
いつもの様に番組は滞りなく終了を迎えた。
その後、反省会をするべくスタッフルームに集まる。
今日の番組であった問題点を話し合う。
私にとっては問題が無いと思われる箇所も丈さんにとっては気に入らないらしい。
それだけ彼にはこだわりがあるし、責任もある。
丈さんはいくつか父親である伝之助さんとやり取りした後、最後に私にとっては驚くべきことを話し出した。
「2週間後から金曜日担当を玲子さんにやってもらおうと思うんだけど」
「えっ!!」
「コーナーはそのままだし、他のスタッフには話を通してあるから、あとは君しだい」
「そんな……私が担当するなんて荷が重――」
私がお断りしようとすると百合音さんが遮るように話す。
「いつまでもADって訳にも行かないでしょ? 私がアシスタントするから頑張りましょう」
百合音さんは丈さんの奥さんで元声優。
自分で担当した番組もあるし、アシスタントとしても業界で活躍していた。
彼女が居てくれると確かに心強い。
――でも、そういう問題じゃない。
「あの……私はマイクの前に座ると声が……」
「知ってるよ。しかし……もう2年だ。そろそろ変わらないと」
「……」
丈さんが何を考えているか良くわからない。
「この前の中間発表憶えてる?」
「はい」
「今まで聞いたこと無い新人が1位を取った……個人じゃなくて、仲間で勝ち取った1位だ。とうとうここにも新しい波が来たんだ。色々と変化する時期なんじゃないかな」
「それじゃあ、丈さんは宝条リンのせいで私に金曜日を譲ろうとしているんですか!?」
「”せい”じゃないよ。影響を受けたんだ。私だけが喋るんじゃなくて他の人が担当してもいいじゃないか」
「そんなの他のリスナーが納得しません!!」
「……君は『オールナイトブレイク』を担当したパーソナリティーじゃないか。君しだいで状況も変わる」
「私は――」
『このままがいい』……と言いかけて止めた。
皆の目が私に注がれる。私は外へ飛び出した。
結果は見えていた。喋れない私。落胆する皆。
また私は居場所を無くすのだろうか? 涙が流れる。
丁度、運悪く私の近くに多記君達が通りかかった。
彼と目が合う。彼は2年前と変わらない純粋な目を向ける。
この子はどこまで私を追い詰めれば気がすむのだろう。
私はただ『このままがいい』と望んでいるだけなのに……
「……」
……戦わなくてはいけない。自分を守るため。
多記君……宝条リンをどうにかすればいいのだ。
宝条リンが負けたその時は、変わることなど出来ないと告げて、また元のADに戻してもらおう。
私は踵を返してラジオブースへと戻る。
欲しいものを手に入れるために……