第1話 「僕に彼女がラジオで自宅」
――子供の頃の記憶。
新しい人が前に立っていた。
オバサンという人はタバコをくわえながら僕を見下ろす。
「透……寂しくないのか?」
「うん!! 僕、寂しくないよ。皆とも仲良くするし、勉強だって頑張るよ!!」
「ふうん……」
「だから――」
「なんだ?」
「だから、この家を追い出さないで」
遠い……いや、僕にとっては少し前の記憶。
媚びる事から始まった新しい生活。
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それから時間が経ち、色々と斜に構えてた、あの頃。
『ラジオを聞いている場所はそれぞれ。車で、仕事場で、友達の家で、もしかしたら恋人の家でこの放送を聞いてる人がいるかも知れません……』
「……」
僕は今日も自分の部屋でラジオを聞いてる。
舌打ちしたくなるような感覚。
独りで聞いてる僕はないがしろかよ……
『でも、私は自分の部屋で独り居る人のために送ります』
「!!」
『それが私のやり方……私も独りだよ。ブースの中だけど』
この一言が僕を変えた。
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――四月も中ごろ。
聞きたくない声が心地よい眠りから僕を呼び覚ました。
「おい、多記、起きろ。お前、波乗の家にこのプリント届けてくれ」
目の前には担任の牛尾が立っていた。ふと横を見る。
隣の席の波乗澄音は学校を休んでいた。
さらに波乗は最近や休みがちなので、プリントがたまって机からはみ出している。
「そういうことは友達か他の誰かにしてくださいよ」
「そう思ったんだが、ほら周りを見ろ」
僕は寝ぼけ眼で周りを見る。教室には誰もいなかった。
「ホントに良く寝たものだな、多記。もう皆は帰った後だぞ」
ちきしょーっ! 誰も起こしてくれなかったのかよ!!
という事で今、僕は波乗の家に向かっている。
学校が終わり時間帯は夕方で、周りが少しずつ赤に染まりつつあった。
高校二年生にもなろうというのに一体何をやってるんだか。
一所懸命取り組むような部活もやってないし、深夜まで起きてるせいで教室でも寝てばっかり。
あぁ、何か夢中になれるモノはないものかねぇ……
とか考えてながら歩いていると、それらしい場所についた。
連絡名簿によれば波乗の家は住宅街から少し離れた小高い場所にあるようだ。
その辺り一帯が波乗の家のものらしく、家が見えないのに門があった。
こんなのが実在したのかと思うぐらい、大きい門。
自分の背の二倍ぐらいある。ちなみに背は175センチ。
僕は門についているチャイムを押した。
「すいませーん。僕、澄音さんと同じクラスの多記透といいますが、今日学校で貰ったプリントを届けに来ました」
僕がインターフォンにむかって話すと、門が開いた。
門をくぐって、舗装がされている山道を歩く。
波乗の家が見えないのは多くの木々が生えているからだ。
ハッキリ言ってしんどい。息を切らせながら歩く。
10分ほど歩くと前方に建物らしきものが見えてきた。
だが、それは僕の想像を裏切るものだった。
というのも僕は最初の門からして家はきっと大きな洋館だと思っていたのだ。
でも、目の前にあるのはこじんまりとした普通の二階建ての家だった。
家の敷地と家の大きさのアンバランスに僕は少し面食らう。
ふと玄関を見ると誰かが立っているのが見えた。
夕方というせいもあって、それが波乗澄音だと分かるまで少し時間がかかった。
波乗は女子の中でも小柄で華奢だ。
ツインテールの少しくせ毛気味、黒い髪が印象的。
瞳は大きく、笑い顔が良く似合う女の子である。
しかし、波乗だと分かったとたん僕は逃げ出したくなる。それは彼女は泣いていたからだ。
僕は面倒な事は嫌だったので、プリントを渡してとっとと帰ろうとした。
彼女も僕に気付いたらしく、僕らは目を合わせる。
そのとたん彼女は走り寄って来たと思うと、僕に抱きつくような格好に。
僕はその場で固まってしまう。だって彼女と学校では特別仲が良かったわけではないし、今日だってたまたま訪れたにすぎない。
……って、いつまでもこんな事してるわけにはいかない。僕は彼女の肩を掴んで引き離す。
「どっ、どうした? 何かあったのか?」
ホントは早くこの場から去りたい。
でも、泣いている女の子をこのままにしておけないし。
僕の問いかけに彼女はこちらを見上げる。
彼女は僕より20センチ以上も小さいので、下から覗きこまれるような格好に。
潤んだ大きな瞳が僕を見つめていた。
「私じゃあもう限界なのかも……」
そう言う彼女は学校で見る明るい姿とは大違いだ。
こういう場合は関わらない方がいい。
でも……あの人とだぶって見える。放って置けない。
「まぁ、落ち着け。僕で良かったら話を聞く」
「……本当?」
明らかに波乗は僕に期待の眼差しを向けている。
成り行きとはいえ、言ってしまった以上後には退けない。僕はうなずく。
しかし、彼女は僕から二、三歩引き下がった。
「ありがとう。その気持ちだけで十分。元気でたよ。……あっ、今何時?」
僕は携帯を見て、もうすぐ5時だと伝えた。
すると、途端に彼女は慌てだした。
「もうそんな時間なの!? 家に帰らなきゃ」
そう言うと彼女は急いで家に入って行く。
僕は外に一人取り残された。
“その気持ちだけで十分”
そう言われたのは二人目だった。
結局、僕は何の役にも立たないってことか……
何気に手元を見ると、まだプリントを渡してない事に気付く。
何度も外から家の人を呼んでみるが、反応はなかった。
プリントは玄関に置いていこう。そう決めて玄関を開けた。
「なっ!?」
目の前にはガラス張りの箱状の部屋。
「玄関……だよな? ココ……」
部屋の中では男性と女性が机をはさんで椅子に座り何やら話をしていた。
よく見ると机にはマイクが置いてある。
それはあたかもラジオブースと呼ばれるものだった。
「あたかもじゃないよ。ホントのラジオブース」
「そうか……って波乗なんでここに?」
それに俺の心読んだ?
「だって、ここ私の家だからいるよ」
そうだった。僕は波乗の家に来ていたのだ。
だったらこの状況は何なんだ?
「波乗、それじゃあ、あの二人は」
ラジオブースにいる二人を指差して聞いてみた。
「お父さんとお母さんだよ」
「マジで!?」
波乗は少し考えた後、玄関兼公開スタジオと答える。僕はますます混乱した。
だがその問題もすぐに解決した。
うん、帰ろう。何も無かった事にすればいい。
僕は波乗にプリントを渡すと逃げるように家を出ようとした
「きゃっ!?」
「わわわっ!」
と同時に玄関のドアが開いて誰かが入ってくる。
僕はその人とぶつかり二人とも尻餅をついた。
ぶつかった相手が持っていたらしいCDが辺りに散らばり、僕はとりあえず謝りながらCDを拾う。
「す、すいません」
「どうしてこの放送局はCD取りに行くのに、玄関を通らなくちゃあいけないのよぉ」
僕はその聞き覚えのある声に反応した。
とっさにぶつかった相手を見る。
「れ、玲子さん?」
相手もこっちを見た。
「えっ……あなた、もしかして多記君?」
「やっぱり玲子さんだ!」
「……何でココに?」
目の前にいる女性は華富玲子さんといい、彼女とは少なからず因縁がある間柄だ。
しばらく僕たちは見つめ合ったまま動けなかった。
でも、玲子さんは何かを思い出したように立ち上がる。
「ゴメン。今仕事中だから」
そう言い残して僕の前から去った。
僕はただそれを見送ることしか出来ない。
「多記君大丈夫?」
波乗が僕に近づいてくる。ほぼ同時に僕は立ち上がった。
そして、ラジオブースの方を見つめる。
波乗の両親が話をしている向こう側では、ミキシングブースで玲子さんが忙しそうに動いていた。
僕がそれを眺めている……と、いつも間にか波乗が僕の隣にいた。
何か聞きたそうにもじもじしている。
でも僕は知らぬふりを決め込んだ。
そうしているうちに我慢しきれなくなったのか波乗の口が開いた。
「多記君。あの……華富さんとはどういう関係なの?」
「……」
僕は波乗に話す事ではないと思い、彼女を無視した。
というか、働く玲子さんから目が離せない。
「言えない様な関係?」
波乗の勘違い発言に僕は思わず彼女のほうを向く。
すると波乗は顔を赤くした。なにを想像してるんだよ。
彼女は何か誤解しているようだったので、客観的関係を述べる事にした。
「ただのラジオのパーソナリティーとそのリスナーって関係だよ」
すると、波乗は目を輝かせて僕に近づいてくる。
僕はあせってまたラジオブースの向こう側を向いた。
波乗の顔があまりにも近すぎてまともに見る事ができなくなったからだ。
ほんのり石鹸のような香りを感じる。良い匂い。
「ということは多記君、ラジオ番組にハガキとか出した事あるの?」
「……まぁな」
「じゃあ、読まれた?」
「……まぁな」
「どれぐらい読まれた?」
「常連って呼ばれるぐらいかなぁ。ってそんな事知ってどう……あれ?」
話しながら横を見ると波乗の姿は無かった。
僕が不思議に思っていると、下から声が聞こえる。
下を見ると波乗が土下座をしていた。
「おっ、おい! 何やってんだよ」
「お願い! 私にハガキの書き方教えて!」
「はぁ!?」
「私……サーファーキングになりたいの!!」
「サーファーキング?」
「うん! 『ラジオデイズ』のね『ハガキ職人グランプリ』でね――」
「あー、よくわからない。かいつまんで言ってみろ」
「うんとね、ハガキ職人になりたいです」
「ええっ!?」
「お願いしますっ!!」
土下座しながらハガキ職人になりたいと頼み込む女子高生って、一体なんだよっ!
「おい、こんな冗談、面白くも何とも無いぞ!」
「違う! 本気だよ!!」
顔を向ける波乗の瞳は潤んでいたが、確かにその眼差しは真剣そのものに見えた。
こういう時上手く断ることが出来ない。
昔の自分を思い出すと、受け入れてもらえない辛さが分かるから……
「あのなぁ、波乗……」
「じ〜〜っ」(ものすご〜く、多記を見てます)
「……はぁ。で? どういうことなんだ? 教えろよ」
「それじゃあ――」
波乗の顔がパッと明るくなる。
「どうするかは聞いてから決める」
すると波乗はすぐに叱られた子犬のような何とも申し訳なさそうな可愛いげな顔をした。
正直、この瞳に押し切られた。
……まぁ、こいつに関われば玲子さんの事も分かるだろう、そう自分に言い聞かせることにした。