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第3章・格闘

内海 円 (うつみ まどか)通称エンタ

15歳・中学3年

両親からの遺伝をストレートに受け継いだ丸顔。ドラム担当で、演奏の時は機敏に動く。

「ただいまー……」


「おかえり」


 智華が帰宅すると、母が出迎えた。


「おフロ湧いてるわよ。遅くなる前にさっさと入りな」


「はーい……」


 生気のない声で答える。視線も母を見ていない。ヨロヨロと危なっかしい足取りで家の奥へと進んでいく。


「……ちょっと、智華。大丈夫? 熱でもあるの?」


 心配そうに母が尋ねるが、智華は口で答えずに頭を横に振ってそのまま自分の部屋へと消えた。


「ふーむ……昔から体は頑丈な子だからそっちじゃないな。原因は。……男、ハハーン、正法君となにかあったな?」


 オバサン探偵、ここにあり。その推理は当たらずとも遠からじ、といったところか。


「なに、なに、なに? なんなのよ、あの雪乃ってコ!」


 部屋の明かりをつけた智華は、カバンをベッドに叩きつける。


「そりゃあ、あたしは楽器も歌もできないし、メンバーじゃないけどさ……明らかにあの子あたしのことバカにしてる!」


 そう言って今度はベッドに自分の体を投げかける。ベッドがギシッと悲鳴をあげる。


「あ〜、もう、イライラする〜」


 バタバタと(ジタバタと)手足を振るう。その度にギシッギシッと唸り声が響く。


 ううむ、少々、ベッドが可哀そうだ。残念ながら私にはベッドを助けてやることはできないが、その代わりに少し時間を巻き戻して、智華の怒りの根源を探ってみよう。





「ど、どうでしたか……?」


 以前から練習していたという、正法たちのデビューソング【ハイウェイ・ジャック】(作詞・正法)を歌い終えた雪乃は怜子の顔を見る。


「そうね……」


「いやー、よかった! 久々に燃える演奏だったぜ」


 円が額に浮かぶ汗を拭きながら割って入った。


「やっぱ上手いヴォーカルがいるとこっちも腕が鳴るなぁ。そう思うだろ?コジロー、まさ」


「そりゃ、おれが推薦したんだから当然だ」


 次郎が仁王立ちのポーズをとって答える。


「まさは?」


「ん、ああ。そうだな……」


 みんなが正法に注目し、次の言葉を待つ。


「うん。上手かった。メチャクチャ良かった」


「本当ですか!?」


 雪乃が目をキラキラと輝かせて喜びの声をあげる。


「んで、最高審査委員長の意見は……」


 今度は、怜子に視線が向く。


 怜子は目を瞑り、フーッと息をつく。


「上等。早めに引退しておいてよかったって思うくらいにね」


「そ、そんな……」


「いや、本当に。同時期にメンバーにいたら私の方が追い出されていただろうね」


「おお、スゲェ。レイにそこまで言わせるか!」


 円が大きな手で拍手を送る。


 続いて、正法と次郎も手を叩こうとする。が……


「ちょっと待ちな。合格発表はまだだよ」


 怜子が止めた。


「あと一人、審査員がいるでしょう?」


「あ、そうか。智華はどうだった?」


 今度は智華が注目される番……かと思ったが、視線を向けているのは怜子だけだった。わざわざ聞くまでもない、と言うムードが出来ている。


(……正直に言って、上手い。うますぎる。反則的なほど完璧……)


 智華はそう思った。しかし、それをそのまま言うのは、なぜかはばかられた。


 ――認めたくない。そんな気持ちが、心のどこかにあった。


(かわいらしい顔して、あんなド迫力な歌詞に合う声出せるなんて……反則通り越して犯罪)


「とも……? どうしたの?」


 怜子に声をかけられ、智華は自分がいつの間にか難しい顔でうつむいていることに気付いた。


「そ、そうね……えっと……(少しシャクだけど、とりあえず空気を読んで何かいっとかないと……)」


 一旦仕舞い込んだ言葉を、渋々のどの奥から絞り出す。


「ま、まぁ……上手かった……でも」


「だろ!? よーし、ユキノちゃん、正式採用けってーい!」


 でも、の後の言葉は、円の声とそれに続く大きな拍手に遮られた。しかし、この事はかえって良かったのかもしれない。


 智華は、「でも」の後に何を言おうか、全く考えていなかったのだから。


 

 そのあと、もうしばらく練習を続け、帰り支度をする時間になった。男子が汗にまみれた服を着替えるために視聴覚室に残り、女子三人は廊下に出る。


「それじゃ、私は先に帰るよ。バイトがあるからね」


「あ、ハイ。さようなら、怜子先輩」


「また明日ね。レイ姐」


 智華が手を振ると、雪乃の目が鋭くギラついた。


「あ、あの、怜子先輩っ!」


「ン、なに?」


「私も、怜子先輩のことレイ姐って呼んでいいですか!?」


「……好きにしな」


 そのまま怜子は廊下の向こうに消えて行った。


 智華は疑問に思った。なぜ、雪乃はイキナリあんな申し出をしたのだろう……と。


 その思考は、すぐに中断される。


「……智華先輩」


「な、なに?」


「先輩は、なにか楽器出来るんですか?」


「ううん。全然……」


 雪乃の意図が読めない。


「楽器はできないけど、ここには来てるんですね?」


「う、うん……」


「……」


「……」


 そのまま雪乃は黙り込み、気まずい空気が流れる。


 智華には、正法達が出てくるまでの数分間が果てのないように長く感じられた。




「なにもできないヤツが来るなってことでしょ!? ちょっとばかし歌が上手いからってそこまで言わなくてもいいじゃないのよ〜!」


 ベッドを相手にしたプロレスごっこはまだ続いている。


「まさのヤツも、手を握られたくらいでなにニヤニヤしてんの、よ……?」


 ”まさ”その言葉を口にした途端、智華の勢いが止まった。


「って、まさのことは別にどーでもいいの。うん。アイツのことは」


 自分に言い聞かせるように何度も頷く。


「とも〜、早くお風呂入りなさ〜い!」


「ハーイ、今行く〜」


 智華が部屋を出て行って、ようやくベッドに平穏が訪れたのであった。

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