第12章・色彩
午後からの強い雨のため、美術館には智華と正法以外の客はいなかった。二人にとっては好都合だ。
「コナガワって人、この町の出身なんだって?」
「そ、確か……今23歳だと思う」
「はぁー、スゲェ。23で個展開けるって」
正法が感心してため息をつく。
「こんな小さい町にも天才っているんだな」
小さい、は余計だ。
二人は通路を進み、個展会場に入る。
「あー、これ知ってる。美術の教科書に載ってた」
「マジ? ……本当だ」
コナガワの絵は、大半が風景画である。しかし、ありのままをコピーするような写実ではなく、その風景を見たコナガワ自身の感想が込められているような、生きた絵だった。
「こっちの絵の山とあっちの山、どこがどう違うんだ?」
「んー……こっちの方が少し雲の位置が低いかな。どんよりしてる感じ」
他に人がいないため、つい声が大きくなってしまう。……それでいい。今の二人に必要なのは会話なのだから。
「あ!まさ、あっちだよ。『神の唄う街』」
智華が奥に続く通路の看板を指さす。『神の唄う街』とは、コナガワが修行の旅に出る前、小説家・阿倉浪才の墓の前で描いたと言われている作品のタイトルだ。数ある作品の中でも特に人気が高く、今回の目玉にもなっている。
「レイ姐に、この絵だけは見て来いって言われてるんだ」
「それじゃ行くか」
二人は並んで通路を進む。その先のスペースには、ただ一枚の絵が飾られているだけだった。他にはなにもない。部屋を独占するように、その絵は壁にかかっていた。
「わぁ……」
「すげえ……」
絵を見た二人は揃って息をのんだ。
その絵に描かれていたのは、一言で言うなら「愛」だった。文章では表わしにくい、「人を愛する想い」が絵となってそこに存在していた。
「知ってる?まさ。この絵って、コナガワさんが恋人に向けて描いたんだって」
「へぇ……なんか、そんな感じだな」
「いいね……こんな風に、ハッキリと愛が伝えられるなんて」
「……」
視線は絵の方を向いたまま、智華は正法に近付く。
「こんな風に、正直に好きってことを表現できたらいいのにね……」
「そうだな」
「……」
「……ゴメンな、約束破って」
正法が言った。
「本当に、ゴメン」
「えっ……も、もういいよ! そのことは。反省してるってわかったから」
「でも……」
「そ、それに、わかってくれたんでしょ? あたしの気持ち……」
再び、智華の顔が赤らんでくる。
「ああ、うん。わかった、智華の気持ち」
「う……繰り返さなくていいよ、そこは。……恥ずかしい」
もじもじと顔を伏せる。
「智華の気持ちはわかった。だから……」
「だから?」
「その、オレも、言う。オレの気持ち」
相変わらず、正法は絵を見たまま、智華は下を向いたままだ。
「まさの気持ち……」
正法は胸を張り、目をつむって宣誓するように口を開いた。
「オ、オレは! その、智華のこと……オ、オオオレも……」
「フフ、落ち着いて」
「オレも、智華の……オレも」
「オレ、もぉ……?」
智華は少しいじわるそうに聞き返す。
「オレは、その、うん。アレだ!」
「アレってなに……うあ!?」
正法が智華の頭を掴んで、無理やり正面を向かせる。当然、智華の視界には『神の唄う街』が入る。
「これが、オレの智華への気持ちだ」
「え……」
額からあふれ出るほどの、温かい感情……。
「…って! ヒトの作品を勝手に使うな! 自分の口でちゃんと言え!」
「い、言えるか! 恥ずかしい……」
ホール中に響き渡るほどの声で二人は笑った。外の受付係が苦笑するほどに。
「この根性なし〜」
「や、やかましい」
「これがオレの気持ちだ……って、カッコつけといて。アハハハ」
「うーるーせーえー」
美術館を出ると、雨は上がっていた。相々傘の必要はなくなったが、二人は手をつないで歩いていく。
「明日から、また練習だな」
「そーだね。……あ」
思い出したように智華がつぶやく。
「どうした?」
「あ〜その……(ユキノちゃんがまさのことを好きだってこと、コイツ気付いてんのかな? ……気付いてるわけないか)」
「どうしたんだよ?」
「ん〜……いいや、ヤッパなし!」
「なんだよ〜、気になるなぁ」
(今だけは、この話ナシにしよう。今は二人きりの時間……)
――朝からずっと曇っていた空には虹が出ていた。水たまりに映るのは、七色の色彩と二人の笑顔。そう、雨は上がった――
次回、いよいよエピローグです。