第9章・月籠り
デート当日の朝。うーむ、初デートにふさわしい綺麗な晴れ空……と、いいたいのだが、あいにくやや曇り気味だ。
今日は正法の部屋から始めるとしようか。
「う〜ん……今、何時……?」
ピピピ……と目覚ましが鳴るなか、正法は布団から這いずり出た。
「んと、午前、8時45分……って、ヤベ! 今日確か10時に駅前だったよな!?」
慌てて布団を跳ねのけ、身支度をする。ちなみに、正法は今日のことは詳しくきいていない。ここで参考のために、昨日の夜電話で怜子が正法に言った内容を紹介しよう。
「明日、10時に駅前に来な。智華がいるから二人で美術館でも見に行って。……グダグダ言わないの。個展は午後2時からだから、それまで買い物でもしてたら。いい? わかった? 10時に駅前、来なかったら……」
ブツッ、ツー、ツー、ツー……と、ここで電話を切られると「来なかったら」の続きが気になって(恐ろしくて)従わざるをえない。
「なんだって美術館なんか行かなきゃならねぇんだ? しかも智華と?」
ブツブツ言いながら朝食の準備をする。今朝の献立は……うむ、男の一人暮らしならこんなものか……という内容だ。
「アイツと街で遊ぶの久しぶりだな。そうだ、携帯の充電しとかないと」
顔も洗わず、寝癖だけ一応直しながらそう言っていると、机の上の携帯が鳴った。
「誰だ? 朝っぱらから……もしもし」
そして、この電話が事件を起こすのであった。
9時32分。駅前のロータリーにて。
「う、ちょっと早く着いちゃった」
さりげなく、かつ目一杯のお洒落をした智華が現れる。
「まだ30分もあるし……ちょっとベンチで休んでよ」
ベンチに腰掛け空を見上げる。初デートだというのに、空の大半が雲に覆われている。智華は努めて気にしないようにするが、この空模様がなにかを暗示しているような感覚が拭いきれなかった。
(……今、何時?)
腕時計を確認する。9時58分だ。正法の姿は見えない。
「アイツが時間通りに起きてくるのを期待する方がおかしいか。初めっから1時間ぐらいの遅刻は覚悟してるし」
口に出してから、周りに誰に人がいないかを確認する。
――つい、強がるような独り言が出る。それは心の奥底に不安があることを示している。
(10時……)
約束の10時になるが、正法は来ない。
「……まだ寝てたりして。ちょっと電話してみよ」
携帯を取り出して正法に電話をかける。しかし、聞こえてきたのは事務的な声だった。
「ただ今、電話に出ることができません。電波が届かないところにいるか、電源が切られており……」
最後まで聞かず、智華は電話を切る。
更に30分、1時間と時が流れるが正法が道の向こうからやってくる気配は全くない。
(11時、25分)
このころになると、さすがに智華もハッキリとした心配を感じていた。何度も電話をかけるが、相変わらず不通のままだった。
(なにやってんの? ……なにかあったの、まさ……)
一体、正法はなにをしているのだろうか。その答えは朝の電話にあった。
8時50分。
「もしもし……あ、なんだエンタか」
「おはよう、まさ。ちゃんと起きれたか?」
電話をかけてきたのは円だった。
「どうしたんだよ、こんな時間に」
「それがよ〜、実はさっきユキノちゃんから連絡があったんだよ。コジロー経由で」
「なんて?」
「今日は緊急の用事で来れなくなりました……ってよ。詳しい理由は教えてくれなかった」
ドタキャンされた、ということらしい。
「そりゃ、残念だったな。二人っきりになれなくて」
「ああ、残念だ。……オレはな」
「あ?」
「チケットは二枚ともオレが預かってるんだ。で、ユキノちゃんが来れないってことは……」
「あと一枚、余りが……」
ゴクッと大きな音をたてて正法はツバを飲む。
「実際にライブが始まるのは昼からだけどよ。会場自体は朝から入れる。早くから行っとけばメンバーの誰かに会えるかもしれないぞ?」
「おお! 行く、今すぐ行く!」
朝食もそこそこに、正法は慌ててアパートを飛び出した。
(あ……智華と10時に待ち合わせだったっけ?ま、エンタと合流してから連絡すればいいか。智華とはいつでも会えるけど、クライムは今日限りだからな〜!)
正法はすっかり忘れていた。携帯のバッテリーが今にも切れそうだということに。
そして11時30分。
「1時間半の遅れ……携帯にも出ない……もしかして、事故?」
智華の心を反映するかのように、空の雲も次第に厚くなってきていた。今にも雨が降り出しそうだ。
「事故だったらどうしよう!? まさか、そんなことはないと思うけど……」
顔中に心配の色を浮かべて智華はベンチから立ち上がった。
その時、ベンチのすぐ後ろからタッタッタッと誰かが走ってくる足音が聞こえてきた。
「まさっ!?」
叫んで振り返る智華の目に映ったのは、正法ではなかった。
「智華先輩……」
「ユ、ユキノちゃん? なんでここに?」
白いワンピースに身を包んだ雪乃が、決意を秘めた面持ちで立っていた。
サブタイトルの読みは月籠りです。