5.
「ごめん、ごめん、ヒトミ。五分でも十分でも早く帰ってこようと思ってがんばったんだけど、こんな時間になっちゃって」
あたしはたくさん話したいことがあったけれど、もう頭の中が眠ってしまいそうだった。
「ね、ヒトミ、大切な話があるの」
ママがやけに真面目な顔をして言い始めた。
「ね、来月くらいから、ママと暮らそう」
あたしはびっくりして、おじいちゃん方を見た。いっぺんに目が覚めた。
「暮らすって? このお家じゃあない所で暮らすの?」
「そうよ。おじいちゃんを一人残して、ヒトミはママが住んでいるマンションに来るの」
「え? じゃあ学校は?」
「学校なんてどうにでもなるじゃない。サテライト校を選べばいいし、もし通学校に通いたいなら、ママのマンションからでも通える学校はあるわよ」
「桜東通学校は?」
「それは…、通うのはちょっと無理かな」
ママと暮らしたいとは思っていた。でもそれだからって、おじいちゃんと別れるというのは…。それに、あたしは桜東通学校に十二年通うと決めていたのに。
「おじいちゃんは、どうなるの?」
「ここで暮らすさ」
おじいちゃんが、静かに笑って言った。
「おじいちゃんは一緒に住めないの?」
「それはね、ママもそうして欲しいから、おじいちゃんにも一緒にママのマンションに来て欲しいってお願いしたの。ママはそのつもりで広いマンションに引っ越しをして、用意していたのよ。忙しすぎて、なかなか計画が先に進まなかったけれどね。でもね、おじいちゃんはずっとこのお家に住みなれているし、畑をするのが好きだから、ここを離れたくないんですって」
あたしがおじいちゃんの方を見ると、おじいちゃんがニコニコ笑って、小さく何度もうなずいていた。
「ここに、ママも一緒に住めないの?」
あたしの声は涙声になってきていた。
「それは無理。こうやって会いに来るだけだって、やっとだもの。東京の方でね、決まった仕事が取れたの。だからね、今までみたいに、海外ばかりに行くことはないと思う。そりゃあときどきは行くけれどね。サテライト校にすれば、ヒトミも一緒に行けるようになるし…。通学校に通うにしたって、お休みすることはできるのだから、ママと一緒に外国に行くこともできるわよ」
まったく、考えたこともないこと、考えたこともない世界があたしの目の前に広がった。あたしもママと一緒に外国に行けるなんて、なんてすごいことだろう。
自分の顔がほころぶのがわかった。でも、はっとしておじいちゃんを見た。
「ヒトミはヒトミの好きなようにしなさい。じいちゃんはここで暮らすのが一番。気楽だしこのままがいい。ヒトミはヒトミでどうするのが一番か考えなさい」
おじいちゃんが、力強く笑った。
あたしは言葉に詰まってしまって、急に胸が締め付けられるように苦しくなって、何も言えなくなった。涙が今にもあふれてきそうだった。でも、こんなところで泣くなんていやだ。だから何も言えなくなった。
「ヒトミ、すぐに答えなくていいのよ。少し、よく考えておいてね。ママの仕事は一月から始まることになっているの。それからでも遅くないのよ。ヒトミは三月で八年生を卒業するから、それからでもいいのよ。ただ…、来月すぐにでも決心がつくなら、そうしてもらいたいな」
あたしは下を向いてしまった。
「すぐには決められない…」
それだけを言うのがやっとだった。あたしの頭の中には大きいぐるぐるの渦巻きができていた。今日は眠れないかもしれない。
「わかった。とにかく、考えておいてね」
それから、シャワーを浴びてベッドに入ってからも、いろいろいろいろ思いは渦巻いた。おじいちゃんは一人で寂しくないのだろうか。でも、おじいちゃんのためにここに残るなんてことができるだろうか。
朝、ママはもう出かけてしまっていて、ママのボイスメッセージが残されていた。
『ヒトミへ
毎日元気でやっているみたいですね。おじいちゃんから聞きましたよ。毎日毎日、学校のことをとても楽しそうに話ししてくれるって、おじいちゃんがうれしそうでした。
そんな調子で、元気でいてくれると、ママはとってもうれしいです。
仕事、仕事ばかりで、ヒトミとあまりお話しできないけれど、いつもいつもヒトミのことを思っています。
引っ越しの話、急なことになってごめんね。もっとたくさん時間を取って話してきたらよかったのにね。ずっと計画していたことなのだけれど、ちゃんと説明する時間が取れませんでした。ママの勝手を言って悪いと思っています。でも、もしヒトミが一緒に住んでくれたら、今までよりずっと多く話もできるし、いろいろ楽しいことがあると思っています。ママの所に来てくれたらうれしいな。とにかくヒトミの人生なのだから、よく考えてみてね』
今年度の学校祭の出し物について、話し合いがあった。学校祭は学年の変わり目の三月の終わりにある。十二年生の卒業式も兼ねている。これからは話し合いを重ねて、何をやるのかが決まったら、少しずつみんなで用意していく。
あたしたちのクラスは二十人ちょうど。全員出演者にはなれないけれど、裏方の仕事をするのが好きな人もいる。あたしは、どちらでもいい。裏方も楽しかったし、両方かけもちの年もあって、それはそれで忙しくて楽しい時間だった。
前の日にママと住む話が急に持ち上がって、あたしの心はふわふわ落ち着かない感じになっていた。
「三月の学校祭の出し物について、意見のある人は言って下さい」
ショウジ先生がぐるりと皆を見まわした。
あたしは一年かけて、次の学校祭の演劇について考えていたことがあった。でもどうしよう。手を挙げようか。でも、ママと今すぐ暮らすという思いがどんどん大きくなってきていて…、そうすると今度の学校祭には出られないことになる。どちらを選ぶかなんて、とてもできそうもないような気がした。ああ、ママと一緒に暮らして、そしてこの通学校に通うことができたら一番いいのに。
迷っていると、アツミさんが手を挙げた。
「全員が舞台に出るお芝居というのはどうでしょうか」
びっくりした。それこそ、あたしがドンピシャ! 考えていたことだった。
「みんなが出たら、誰が裏方をやるんですか?」
サイジョウ ヒロが言った。
「全部舞台の上に持ち込むの。デッキも、音響のものも。舞台の上で、ずっと二十人が一緒に舞台に立っていて、演じるのはどうでしょうか」
あたしのドキドキが激しくなってきて、心臓が胸を突き破って出てきそうに痛くなってきた。
「いいと思います!」
まず声を上げたのはトモミだった。あたしは死にそうに痛くなった胸を押さえた。完全に出遅れてしまったのだ。すごく悔しくて、爆発しそうになった。
「あたしも、いいと思います!」
悔しかったけれど、トモミの次に手を挙げて、あたしも大きな声で言った。
トモミが笑いかけてくる。だけどあたしは泣きそうな顔になっていた。たぶん。
「オレ、やだな。なんか、そういう、みんなで、みんなで、っていうのって、気持ち悪いと思います!」
ムナカミ タカシが手も挙げないで、席に座ったまま吐き捨てるように言った。
「じゃあ、タカシ君は、どういうのがやりたいの?」
アツミさんがすっと立ち上がって、タカシに言った。
「そもそも、オレ、パス」
タカシが言った。
「それもしょうがないわ。この学校行事は強制じゃないんですから」
ショウジ先生がなんか、女言葉で言った。
アツミさんが手を挙げて、またすっくと立ち上がった。
「しょうがないけれど、出るでしょ? 一緒にやるでしょ? タカシ君?」
その時のアツミさんの笑顔ったら、とろけるような、笑顔で、誰も無視できないな、という笑顔だった。いつもあまり笑っていないから、すごい武器だなと思った。タカシはたじろぎながら、小さい声で言った。
「え、悪いけど、パスさして」
「どんな役でもいいのよ。みんなでやりたい役を作るの。だから、タカシ君がただ立っているだけがいいなら、それでもいいし、タンバリンとかたたくとか、なんでもいいの。そこにいてくれるだけで」
まるで、あたしとアツミさんがシンクロしてるんじゃないかと思った。たぶん、あたしもそういうふうに言っただろう、そのままの答えだった。
「ま、その日、オレ、来るかどうかもわかんねーし、来るんだったら、ただ出るんだったら、いいけど」
「ほかには誰が何をやりたいですか?」
自然、アツミさんが全体を引っ張って進めるような形になった。
あたしの心臓はずっと痛かった。今手を挙げたら、飛び出すかも。でも、そこをがんばって手を挙げた。
「実は、あたし、だいたいシナリオを考えました。もちろん、それを使わなくても、それぞれがやりたいことをやるという形でいいのですが、全体を通して簡単な筋があって、それぞれにセリフがあって、それを詩を読むみたいにして、一人ずつ言っていく形がいいと思います」
「ああ、よびかけみたいなのかな」
とショウジ先生が言った。なんだか馬鹿にされたような気がして、自分の顔が真っ赤になるのがわかった。
「うん。卒業式らしくていいのではないですか?」
ショウジ先生がアツミさんを見た。
「そうですね…。何もないところから、みんなで作っていくというのがいいかなと思ったのだけれど、ヒトミさんが考えているシナリオがあるのだったら、それをもとにしてみんなで組み立てていくというのもいいかもしれません」
「いいと思います!」
トモミがまた言った。




