10.
それから、八年生の最後の日まではたった三日しかなかった。
最後の日に、あたしとトモミはとうとうアツミさんに水色のケーキをプレゼントした。
「一緒に食べませんか?」
とあたしが声をかけて、ホールで三人で座った。
ケイエスのケーキの箱の中には、三つの水色クリームのケーキが入っていた。
「ああ、これ。ブルーベリーよね」
アツミさんが言った。
なんだ、やっぱり知っていたのか、知らないのはあたしだけだったのか。
「ここのケーキはどれもおいしいよね」
アツミさんが喜んでくれたので、あたしはうれしかった。
「残念ね、ヒトミさんが学校を辞めてしまうなんて」
「ええ。でも、来年の通学校祭には見に来たいなと思っているから、みんなにがんばってもらいたいな」
「そうね」
「ねえねえ、なんでヒトミがアツミさんにそのケーキプレゼントしたいか、知ってる?」
トモミが話に入り込んできた。
「アツミさんがいつも水色のお洋服を着ているから、水色のクリームのケーキだって! お洋服の色と食べ物なんて、関係ないのに」
フフフとトモミが笑うと、アツミさんがちょっと不服そうな顔をした。
「水色か…」
あたしとトモミがちょっと目くばせする。
「これは、空色って言ってもらいたいな」
アツミさんは自分の着ているシャツを引っ張った。
「水の色って、もっと強い色よね」
「強い?」
あたしとトモミが同時に声を上げる。
「そう。太陽の下で光っている海って、グリーンだったり、マリンブルーっていうみたいにもっと濃い色だったり、『ここにいます!』っていう、強い感じがする。
あたしのイメージする色は空色で、もっと薄くて、何もないかなって感じの色」
「そう?」
「そうよ。この世から消えてなくなってしまいたいな、って思った時に、あ、空になればいいんだ、って思ったの」
「へえ~」
言いながらも、アツミさんのセリフを思い出した。
『空だけでは何もないのと同じ。そこに星がまたたいていて、やっと空と呼べるものになります』
「それに、空には触れない! 水には触れるけど」
あたしとトモミはうんうんとうなずき合った。
ホールを出ると、「じゃあね」と手を振って、アツミさんが先に帰って行った。
あたしとトモミはいつものようにスクーターを引っ張りながら、並んで歩いた。
「落ち着いたら、遊びに来て」
あたしが言った。
珍しく、トモミは何も返事せず、下を向いてしまった。
「大丈夫だよ。今度はおじいちゃんの家じゃないから、遊びに来ても」
そういえば、あたしにはお家にお友達を呼ぶ、なんて発想はなかったんだな。今までは。
「いつかさ、家にも遊びに来て」
トモミが言って、別れた。
もう桜東通学校には来ないんだ。ここに来ないあたしって、どんな生活になるのだろう。あたしはスクーターに乗って、いろいろ新しい生活を想像していた。
四月。新しい生活が始まった。
ママのマンションは高いビルの二十一階だった。家の外は車も人も多くて、「さすが都会」とあたしは思った。
おじいちゃんの暗い湿ったお家に暮らしていた毎日は、どんどん遠のいていった。
あたしは、九年生になり、中央公園通学校に通うことになった。ここもとてもシンプルな通学校だった。家から歩いて通える。中央公園の中にあって、図書館とカフェ、公園事務所が一緒になっている三階建てのビルの三階に教室がある。木々に埋もれているから、森の中の学校みたいに感じる。ちっとも都会って感じがしない。あたしは見学に来て、一度で気に入ってしまった。
九年生は十人。そのうち八人が女子でみんなとはすぐに仲良くなれた。まだ一緒に帰ったり、お家に行ったりというようなお友達はいないけれど、みんなサッパリしていて、自分の世界を持っているっていう感じで、これから、いろいろわかってくることがあるのかな…。とっても楽しみだ。
ママは遅くなることが多いので、家で一人で過ごすことが多いけれど、勉強したり、本を読んだり、時々おじいちゃんやトモミに電話してみたり、好きな映画やアニメを見たり、絵を描いたり、パソコンをやったり、やることはたくさんある。
おしゃれな雑貨屋さんやスイーツの店、お洋服のショップなどがあって、街を歩くのも楽しかった。
それに…、ママが忙しいので、あたしが料理をすることにした。パソコンでいろいろな料理のレシピを探して、近くのスーパーに材料を買いに行く。おじいちゃんが作ってくれた煮物の味を思い出して、おじいちゃんに作り方を聞いたり、モロッコとかポルトガル風なんていう料理を自分なりにアレンジしてみたりして、まだこちらに来てやっとひと月だけれど、毎日すごく「充実してる」という感じがしていた。
五月の連休にはおじいちゃんの家に行ったり、その間にトモミと会ったり、おじいちゃんの畑を手伝うことにしていて、それも楽しみだった。
「ね、ヒトミに会ってもらいたい人がいるの」
連休になる二日前の朝、あたしがお弁当を詰めていると、仕事に出かける前に、ママが急にあたしの後ろからあたしの両肩を両手で軽くつかんで、そう言った。
あたしが振り返ろうとすると、
「こっちを見ないで聞いて」
と言うのだ。あたしは返事できなくて、目をパチクリした。
「あのね。その人はヒトミのパパなの」
あたしはますます返事ができなくなって、こんどは瞬きもできない感じになって、顔が強ばった。
「ヒトミがおじいちゃんの家にお泊りに行く前にね、会ってほしいの。だから…、もう明日しかないから、明日の夜にね、どこかでお食事しよう。心づもりしておいてね。じゃあね、行ってきます」
ママはそれだけ言うと、先にさっさと仕事に出かけてしまった。
あたしは身体も頭の中までも固まったしまったみたいになって、次に何をしていいかわからなくなった。
「そうだ! お弁当、お弁当」
と自分に言い聞かせるように言うと、中身を詰めたお弁当箱をハンカチでくるんで、リュックに入れた。そうしたら、猛烈に腹が立って来た。
なんだって、ママは急に、こんな朝に、大事なことをいとも簡単に言うのだろう。あたしの目も見ずに! すごく複雑な気持ちがぐるぐる渦巻いてきて、涙が流れてきた。ママって勝手すぎる!
そのまま、今手に持っているものを全部ぶん投げて、テーブルも何もひっくり返してしまいたいような気持になった。でも、もう学校に行く時間だった。あたしは顔を洗い直し、深呼吸して、自分の顔を見つめた。
目が赤い。
「ママのバカ! バカ! 大バカ!」
鏡の中のあたしに訴え、タオルをぐるぐると振り回した。それでも腹が立って、バシバシとタオルで流しを鞭打った。深呼吸した。さらにもう一度気持ちを落ち着けて、学校に向かった。
いろいろ、わからないことが頭の中でぐるぐる渦巻いていた。なんだって、今なの? パパの話なんて、一度も聞いたことがないのに! どうしてママはいつも急にそういうこと言うの? いったいどこのだれなのだろう。パパって。
ありがたいことに、学校に行ってしまったら、少しは気持ちが紛れた。ママはそれを計算して、朝のバタバタしている時にあたしに言ったに違いない。一緒に暮らすようになったら、ゆっくり話ができるなんて、うそっぱちだったじゃないか!
結局、ママはいつも忙しくて、あたしが寝てから帰ってきたり、あたしが学校に行く頃には眠っていたり、今日みたいにあたしより早く出て行ってしまったり、こういうの「すれ違い」って言うんじゃなかったっけ? そうして、あたしに考える時間を与えずに、もう「明日」パパと会う約束をしていたんだ! あたしの時間なんか気にせずに。
また腹が立ってきた。
でも、まだトモミみたいな友達はいないから、それを誰かに話すわけにもいかない。
結局、あたしはどうすることもできずに、その日、ママの帰りを待った。
ママとは話せないまま夜になった。その日もママは遅くて、あたしは先に寝ることにした。でも頭の中がぐるぐるしていて、ちっとも眠くならない。
もう明け方になってから、ぐうっと眠った。アラームが起きる時間を告げても、身体が言うことをきかない。どうにかこうにか起き上がって、キッチンに行くと、ママのボイスメールがあって、今日、パパという人と会う時間と場所が入っていた。
ママに話しかけようと思ったけれど、ママはぐっすり眠っていた。しょうがない。覚悟を決めよう。お弁当は作ることができなかっし、朝からヘトヘトっていう感じだった。やっとこ学校に行った。一日、気もそぞろだった。




