#19 光明:閉塞打開
一緒に研究所を出た時には、夜10時を回っていた。
「あかりもいることだし、今日はこれで…。」
「そうですね…。」
「明日、昼に一緒に家に来て会えればいいね?」
「はい。」
本来なら急ぎたいところだが、焦って光樹からの信用を損なうのと、ヴァルティアリスだと思われるひかりがどんな行動を取るかわからない状況では、軽率に動く訳にはいかなかった。
(もしかしたら変わるかも…。)
法子は、思いついたことを実行するべく光樹に声をかける。
「教授、ちょっと待って下さいね…。」
「どうしたんだ?」
「手帳、今持っていますか?」
「ああ。持っているが…。」
「明日、来たときに見てくれれば、先ほどの話の証明になるかもしれないので…。」
法子は、そう言いながらケータイの時間を確認して、光樹にも見せる。
「今、6月14日の22:19ですよね。」
と伝えながら、
『6/14 22:19
明日の昼に、家で』
とメモに書き込み、二つ折りにし、光樹の手帳のポケットに入れる。
「明日の昼までは見たり、抜いたりしないでくださいね。証明できなくなるかもしれないので…。」
法子は動かさないように念を押すと、光樹は訝しげながらも
「わかった。」
と承諾し、鞄にしまい歩き始めた。
家に帰ると、今日のことを箇条書きに手帳に書き込む。
(6/14-2と…。さて、次が勝負ね…。)
シャワーを浴びて、部屋着に着替え、ベッドに入ると、疲れていたのか、すぐに寝付いた法子。
朝起きると、
ラジオをかける。
『おはようございます☆今日は6月14日、今日も1日頑張りましょうね♪…』
いつも、聞いているラジオのパーソナリティの声を聞きながら、研究所に行く支度をする。
トースターを用意し、棚からパンと、冷蔵庫から作り置きしてある鶏肉と野菜のマリネをテーブルに出し、テレビを付ける。
『昨夜起こった強盗傷害事件で…』
(…なんか、前に聞いたような…?)
研究所に着いて、カードキーを差し込み、光樹がいるのをモニターで検索し、確認する。
(もう来ているみたいね。)
いつもの研究室に入り、光樹を見つけ挨拶する。
「おはようございます。」
光樹はデスクで何かの研究を紙にまとめているらしく、法子の方は向かずに、
「おはよう。」
と返してきた。
法子は光樹のデスクの隣にある、自分のデスクに座り、手帳を開く。
(今日の予定は…。…そうだったわ!)
今日は6月14日、なのに手帳にはすでに6月14日のことが書かれ、さらに6/14-2として二回目についても書かれている。
(今日で三回目なのね…。)
法子は、自分の記憶を手帳を頼りに思い出してゆく。
(今回でヴァルティアリスにあえなくても、光樹さんを説得できれば…。でも、ここはヴァルティアリスに作られた虚構の世界…。どう出てくるかわからないわ…。)
自分のメモを取る習慣を最大限に利用し、なんとか脱出の糸口を掴もうとする法子。
(昨日とは、始まりが違うけど…。今日の昼に会う約束をとらないといけないわね。)
光樹は昨日(だった今日)の夜のことは当然覚えているはずがない。
(それに状況を話すより、ヴァルティアリスに会ったほうが早いかも…。)
昼前は光樹が家にいたことを考えると…。
法子は光樹に声をかける。
「教授は今日は昼前に一度、家に戻りますか?」
「うむ。でも、志田君、よく分かったな?」
(光樹さんは覚えているはずないから…。昼会えるか聞いてみないと…。)
「ああ。そのつもりだが…。」
光樹は一瞬、奇妙に感じたが返事を返す。
「あかりちゃんと、ひかりさんは元気?」
「うむ。今は二人とも元気だよ。」
「久しぶりに顔見たいわ。」
「そうだな。今日出かけると言っていたから、すれ違いになるかもしれないが…。」
「私の家も、教授の家の先ですし。今日はまた夕方、研究室に戻ればいいですよね。」
「ああ、そうだったな。では、準備して出ようか。」
帰り支度をする光樹。
(やっぱり…ここまでは成功ね。)
法子は、バッグにメモとボールペンが入っていることを確認した。
「志田君、いいかね?」
「ええ。」
二人で研究室を出て、光樹がカードキーを通す。
法子はカードキーを通し、ロックをかけた。
「では、行こうか。」
「はい。」
二人して、あかりの家に向かう光樹と法子。
(もう三回目なのね…。少しでも変えていかないと…。)
そう思いながら、光樹の少し後ろを歩く法子。
しばらく歩くと、公園の横を抜けて、光樹の家に到着した。光樹はインターフォンを押したが、一分経っても反応がなく、もう一度押す。
反応がないのを確認すると、法子の方を向き、
「買い物かどこかへ出かけているようだ。すまないが、またの機会に…。」
(やっぱり…そうよね…。)
「はい。その前に、確認したいんですが…。」
「何を確認するんだ?」
「教授の手帳を見せてもらっていいですか?」
「ああ…。でも何故だ…?」
光樹は釈然としないが、法子に手帳を渡す。
受け取った法子は手帳の内ポケットを確認する。(よし!あったわ…。)
光樹にも見せるように紙を取り出す。
「何故、そんなところに…?」
光樹は困惑しながら、法子に尋ねる。
「教授…。多分、困惑してると思いますが…。問題なのは、メモの中身です。」
法子はメモの内容を確認すると、光樹に見せる。
そこには、
『6/14 22:19
明日の昼に、家で』と書き込まれている。
「6月14日の22:19に …!?」
「教授、このメモの意味がわかりますか…?」
「ああ…。内容は、まだ来ていないはずの今日の夜に書かれたメモということになる…。」
(次はケータイを取り出して…。)
法子は携帯電話を手に取ると、前回と同じように光樹に見せながら、
「そうです…。今は6月14日の12:49です。でも、このメモは22:19と書かれています。」
しばらく、考えた光樹は重たい口を開き、
「…君は何か知っているようだね。とりあえず、上がって話そう…。」
「はい。」
(成功したわ。まずは、一歩前進ね…。)
法子は、光樹とともに家に上がると、靴を脱ぎ、端に揃える。
「久しぶりですね…。家に上がるのは…。」
「そうだな…。」
玄関の先にリビングがあり、ソファーとテーブルが中央に佇んでいる。
法子は懐かしさのあまり立ったまま呟く。
「あまり、変わってないから…懐かしいですね…。」
光樹は、
「準備するから、座っていてくれ。」
というと、自分の部屋へと向かう。
(多分…スケッチブックとペンを持ってくるのね…。)
光樹はホワイトボードや黒板がない場所で講義する場合、スケッチブックを変わりに書きながらまとめていく。
それを知っている法子は、座るとバッグから手帳を取り出す。
開くと6/14の二回目までの内容を確認して、話す内容を組み立ていく。
光樹はリビングに戻ると、スケッチブックとペンを置き、
「麦茶でいいかね?」
と法子に尋ねる。
「はい。」
法子は頷くと、光樹はキッチンカウンターへグラスと麦茶を用意しに行く。
光樹が麦茶を持って帰ってくると、テーブルに置いて席につく。
光樹は一息つくと、話を始めるように切り出す。
「では、話してくれないか?」
「わかりました。」
法子は頷きながら、返事をすると話し始めた。
「まず…教授は、もしこの世界がパラレルワールドだったら、どう思いますか?」
「それは…この世界より別の世界が、現実だったら…って事かい?」
「ええ…。」
「もしや、君は飛ばされた世界で何か見つけたのか…?」
「そうなのかは実際にはわかりません。
教授の意見を聞いて、少しでも分かりやすく話せるといいのですが…。」
「そうか…。私は早く、君の体験した事をききたいのだが…。」
「すみません…。でも、ちゃんと伝える為にも必要なプロセスですから…。」
法子は確信に迫りながらも、少しづつ納得させるように、段階を踏んで会話を進める。
「わかったよ。でも、もしこの世界よりも可能性の高い世界があるなら、この世界はパラレルワールドになる。」
「そうですね。」
「そう過程すると…ここからは、あくまで推測だが…」
「はい…。」
「すべての世界が、時間軸を中心に軌跡を描くわけだから…逆ベクトルの軌跡の世界に打ち消されるか、『より可能性の高い世界』に引き込まれると思う。」
「なるほど…。」
(さあ、これからね…。)
光樹の推測を聞き、法子は本題への話を切り出す。
「次に、人が『可能性の低い世界』にシフトしてしまったとしたら、どうなると思いますか…?」
「同時間軸上から外れてないが……すべての平行宇宙全体から考えると存在の可能性が低くなるから…」
「シフトした世界が『より可能性の高い世界』に飲み込まれた場合、最悪消失してしまう可能性もあると…?」
「そうか…。その推測も考慮すると、全体的に量子の歪みが起きるから、その分の誤差も考えると…。」
しばらく考え込む光樹。
しばらくしてスケッチブックとペンを取り出すと、まとまりつつある考えを壊さないようにするかのように、冷静に、淡々と言葉を紡ぎ、スケッチブックに図を書き込んでいく。
「まず、X軸を時間軸として…」
「この世界の時空間の軌跡をRと仮定する…。」
「この世界は現存しているため、逆ベクトルの時空間がある可能性は低いと思われる。」
「もし、R'のような時空間があるとしたら、Rの時空間は巻き込まれる。」
「時空間から意図的に別の時空間シフトできなければ、人もともに同じ軌跡を辿る。」
法子は光輝の推測を聞いていたが、付け加えるように口を開く。
「同一の時間軸でないとすると、どうなりますか?」
「“時間軸がどういう状態であるか”にもよるが、時間軸がゆがんでいたり、短いスパンでループしているとかなり不安定と思われる。」
「あと、これも極端な仮定の話ですが…時間ではなく、限定的な空間の場合はどうなりますか?」
「限定的空間…」
「例えば、この町だけ…もしくは特定の人物だけの場合はどうでしょう?」
「その仮定だと…すでにかなりの歪みがでていて、いつ臨界…つまり世界が崩壊してもおかしくない。」
「とすると、シフトしてしまった人も一緒に巻き込まれ、消失すると…。」
「その可能性が高いだろう…。」
「そうなりますか…。」
(そういう仮定になるよね…。この世界は…。)
返事をしながら、自分の考えと合っていることを確認し、あまり時間が残されていないことを改めて認識した。
光樹は急かすように法子を促す。
「次は君が話す番だよ。さあ、話してくれないか?」
「わかりました。手帳とあのメモを出しておいて下さい。」
法子は光樹にそう伝えると、自分の手帳を取り出す。
光樹が手帳をテーブルの上に置いたのを見て、話を再開する。
「まず、メモですが…あれは間違いなく今日の夜書かれたものです。」
「と、いうと…。」
法子は自分の手帳を見せて、伝える。
「この世界は、時間が切り取られてループしているんです。」
「限定的な時間が循環している…?」
「私の手帳に、6/14…6/14-2…って、入っていますよね。現実の世界も含めて、三回目の6/14なんです。」
「…ここは現実の世界ではないと…?」
「はい。何者かの意志によって作られた限定的な世界…。」
「限定的…。限定的なのは時間だけなのか?」
「教授はこの2、3日でこの町から出ましたか?」
「いや。出てはいないが…。」
「多分、この世界にはこの町以外には無いはずです…。」
「どういうことだ…!?」
「教授やあかりちゃんの行動範囲全てを模倣するには、相当の負荷がかかるのでしょう。だから、限定的な時空間にしたのではないかと…。」
「…信じられないが、事象はその可能性が高いようだ…。しかし、まるで…君には原因がわかっているように聞こえるのだが…。」
「はい…。教授も、あかりちゃんも、この世界に閉じこめられたんです。」
「何者かに、この世界に連れて来られたというのか…?」
「そうです。」
「…君は知っているのか?」
「悲哀障壁、ヴァルティアリス…。」
「……なんだ、それは?」
「誰もが持つ、寂しさや悲しみに拒絶反応を起こす作用が具現化したもののようです…。」
「君は、私とあかりが、何かに悲しんでいると…?」
「ええ…。ひかりさんです。」
「…。ここが現実世界でなく、現実にはひかりは死んでいる…?」
「辛い気持ちはわかりますが…。そうなります…。」
「ひかりがこの世界を作ったのなら…私たち親子はここにいるべきだと思わないか…?」
「いいえ…。この世界は、ひかりさんが作ったのではありません。」
「では、どういうことなんだ…!?」
「まず、この世界は教授とあかりちゃんの記憶で作られたものです。」
「私たち親子の記憶が…。」
「原因はヴァルティアリスですが…おそらく、世界の中心軸はひかりさんでしょう…。」
「どうしてそう思う?」
「教授やあかりちゃんなら、ひかりさんを傷つけることはありませんから…。
それに、ひかりさんなら…こんな形で教授たちを束縛しないでしょうから…。」
「信じられないが…。」
「ええ…。現実よりも理想的な世界ですからね…。」
「ここが、本当に現実世界ではないんだな…?」
「はい…。それは間違いないです。信じられないなら、もう一つ実証しましょう…。」
法子は手帳から、2枚の写真を取り出し、光樹に渡す。
「これは…!?」
光樹は1枚の写真を見て、驚きながら尋ねる。
「忘れていましたか…?ひかりさんと、病院でのあかりちゃんの担当の久美さんは、親友だったんですよ。」
1枚目の写真は、2年前に3人で取った写真だ。
久美を真ん中に、左にひかり、右に法子が映っている。
「…あかりの担当は違う名前だった気が…。」
「この世界はそうでしょうね…。
久美さんは、現実世界にいます。あかりちゃんの友達になってくれた陽さん、紗夜さん、愛美さんと一緒に…。」
「聞き覚えがある名だ…。詳しく思い出せないが…。」
「ええ…。教授やあかりちゃんが覚えていたら、この世界は不安定になりますから、忘却させたのでしょう…。
タロットをあかりちゃんに教えたのは、愛美さんで、その師が久美さんですからね。」
光樹の表情が変わり、困惑の霧が晴れたように、明るくなり口を開く。
「ああ、あの子か!思い出した…。あの高校生たちの1人だったな?」
「そうです。この子たちでしょう?」
2枚目には、病院での一枚。
あかりのベッドに、ベッドに座っているあかりを陽、紗夜、愛美の3人が囲んでいる。
久美が、ほとんど病院通いで友達のいないあかりに友達ができたとの報告を、手紙とともに添えて法子に送ったものだ。
「うむ。確かにおかしい…。君の言ったのは間違いないようだ…。」
「解っていただけたようですね!」
法子も不安の1つがとれ、表情も明るくなっていた。