#18 循環:切除時空
一緒に研究所を出た時には、夜10時を回っていた。
「あかりもいることだし、今日はこれで…。」
「そうですね…。」
「明日、昼に一緒に家に来て会えればいいね?」
「はい。」
本来なら急ぎたいところだが、焦って光樹からの信用を損なうのと、ヴァルティアリスだと思われるひかりがどんな行動を取るかわからない状況では、軽率に動く訳にはいかなかった。
家に帰ると、今日のことを箇条書きに手帳に書き込む。
(さて…明日が勝負ね。)
シャワーを浴びて、部屋着に着替え、ベッドに入ると、疲れていたのか、すぐに寝付いた法子。
朝起きると、
ラジオをかける。
『おはようございます☆今日は6月14日、今日も1日頑張りましょうね♪…』
いつも、聞いているラジオのパーソナリティの声を聞きながら、研究所に行く支度をする。
トースターを用意し、棚からパンと、冷蔵庫から作り置きしてある鶏肉と野菜のマリネをテーブルに出し、テレビを付ける。
『昨夜起こった強盗傷害事件で…』
(…なんか、前に聞いたような…?)
研究所に着いて、カードキーを差し込み、光樹がいるのをモニターで検索し、確認する。
(もう来ているみたいね。)
いつもの研究室に入り、光樹を見つけ挨拶する。
「おはようございます。」
光樹はデスクで何かの研究を紙にまとめているらしく、法子の方は向かずに、
「おはよう。」
と返してきた。
法子は光樹のデスクの隣にある、自分のデスクに座り、手帳を開く。
(今日の予定は…。…!?)
今日は6月14日、なのに手帳にはすでに6月14日のことが書かれている。
(ちょっと待って…。)
法子は、自分の記憶を手帳を頼りに思い出してゆく。
(そうか!ここは現実じゃなかったんだわ…。ヴァルティアリスに作られた虚構の世界…。)
まさか、自分のメモを取る習慣が自分をこんな形で救うとは思っても見なかった法子。
(ということは、時間軸もループしてるのね…。)
相手優位のフィールドで、しかも時間がループしているため、限られた時間の中で、なんとか打開策を立てなくてはならない。
(私と、私の持って来た物は影響を受けていないみたいだから…。)
(昨日とは、始まりが違うけど…。今日の昼に会う約束をとらないといけないわね。)
光樹は昨日(だった今日)の夜のことは当然覚えているはずがない。
(それに状況を話すより、ヴァルティアリスに会ったほうが早いかも…。)
昼前は光樹が家にいたことを考えると…。
法子は光樹に声をかける。
「教授は今日は昼前に一度、家に戻りますか?」
「うむ。でも、志田君、よく分かったな?」
「あかりちゃんと、ひかりさんは元気?」
「うむ。今は二人とも元気だよ。」
「久しぶりに顔見たいわ。」
「そうだな。今日出かけると言っていたから、すれ違いになるかもしれないが…。」
「私の家も、教授の家の先ですし。今日はまた夕方、研究室に戻ればいいですよね。」
「ああ、そうだったな。では、準備して出ようか。」
帰り支度をする光樹。
(次にできるかやってみよう。)
法子も、机にあったメモと、ボールペンを取り出しバッグに入れる。
「志田君、いいかね?」
「ええ。」
二人で研究室を出て、光樹がカードキーを通す。
法子はカードキーを通し、ロックをかけた。
「では、行こうか。」
「はい。」
二人して、あかりの家に向かう光樹と法子。
(そういえば、光樹さんと一緒に、この道を歩くのは久しぶりね…。)
そう思いながら、光樹の少し後ろを歩く法子。
しばらく歩くと、公園の横を抜けて、光樹の家に到着した。光樹はインターフォンを押したが、一分経っても反応がなく、もう一度押す。
反応がないのを確認すると、法子の方を向き、
「買い物かどこかへ出かけているようだ。すまないが、またの機会に…。」
(仕方ないわね…。)
「わかりました。」
会いたい本人がいないのでは、どうにもならないので、承諾する法子。
「では、夕方に。」
「そうだな。」
法子は光樹に、夕方に研究所に戻ることを確認すると、
自宅に向かって歩き始めた。
(さて…どうしようかしら。)
家に帰って資料を集めるか、どこかに行って情報を探すか、迷う法子だったが、ふと思い直す。
(とりあえず、研究所に戻ってみよう。)
研究所に着くと、カードキーを差し込み、普段使う研究室に入る。
御守りと指輪を確認し、頭の中でイリスに呼びかける。
(イリス、今話せるかしら…?)
『大丈夫ですよ、法子。』
(どう説明すれば、光樹さんは納得するかな…?)
『そうですね…。』
イリスの答えを待つ法子に、イリスは思い出したように伝える。
『言い忘れてましたが、あの“本”も使えますよ。』
(そうなの…?状況を知るのにやってみる価値はあるわね…。)
法子が考え始めてしばらくすると、入り口の扉が開いた。
光樹は入ると、入り口に近いデスクの椅子に腰掛ける。ここが光樹のいつもの定位置である。
法子は慣れた手付きで、角にある茶箪笥からコーヒードリッパーを出し、コーヒーの粉の瓶を開け、粉をそのままドリッパーへ入れる。
いつもやっているので二人分、三人分の量ならどの位かを覚えてしまっている。
コーヒーの瓶をしまうと、カップのセットを2つ出し、給湯器からポットに熱湯を少し入れ、回しながら湯を捨て、もう一度半分くらいまで注ぐ。
そのポットの湯をドリッパーを注ぐ。
ポタポタ…と落ちるコーヒーの音が、静寂な部屋に規則的な音を奏でる。
法子も光樹も、この単調な音が止まるまで、時間が止まったかと思うくらいにじっとしている。
いつも、実験などで大きな音を聞いているので耳をすますために、二人のときはこの音を聞く約束なのだ。
音が止まると、2つのカップに注ぎ、ドリッパーを洗う。
ドリッパーを茶箪笥にしまうと、カップをソーサーに乗せ、光樹のデスクに置く。
「ありがとう。」
と、光樹がカップに手を伸ばし、コーヒーに口をつける。
それを見て、法子は自分のカップをソーサーに乗せ、光樹の隣のデスクに置き、椅子に座る。
(いつもと同じことをやっていると、ここが異世界だって忘れそうね…。気を付けないと…。)
一呼吸置いて、光樹の方へ向き話し始める。
「まず…教授は、もしこの世界がパラレルワールドだったら、どう思いますか?」
「それは…この世界より別の世界が、現実だったら…って事かい?」
「ええ…。」
「もしや、君は飛ばされた世界で何か見つけたのか…?」
「そうなのかは実際にはわかりません。
教授の意見を聞いて、少しでも分かりやすく話せるといいのですが…。」
「そうか…。私は早く、君の体験した事をききたいのだが…。」
「すみません…。でも、ちゃんと伝える為にも必要なプロセスですから…。」
法子は確信に迫りながらも、少しづつ納得させるように、段階を踏んで会話を進める。
「わかったよ。でも、もしこの世界よりも可能性の高い世界があるなら、この世界はパラレルワールドになる。」
「そうですね。」
「そう過程すると…ここからは、あくまで推測だが…」
「はい…。」
「すべての世界が、時間軸を中心に軌跡を描くわけだから…逆ベクトルの軌跡の世界に打ち消されるか、『より可能性の高い世界』に引き込まれると思う。」
「なるほど…。」
(さあ、これからね…。)
光樹の推測を聞き、法子は本題への話を切り出す。
「次に、人が『可能性の低い世界』にシフトしてしまったとしたら、どうなると思いますか…?」
「同時間軸上から外れてないが……すべての平行宇宙全体から考えると存在の可能性が低くなるから…」
「シフトした世界が『より可能性の高い世界』に飲み込まれた場合、最悪消失してしまう可能性もあると…?」
「そうか…。その推測も考慮すると、全体的に量子の歪みが起きるから、その分の誤差も考えると…。」
しばらく考え込む光樹。
しばらくして立ちあがると、法子のデスクの奥にあるホワイトボードの前で、まとまりつつある考えを壊さないようにするかのように、冷静に、淡々と言葉を紡ぎ、ボードに図を書き込んでいく。
「まず、X軸を時間軸として…」
「この世界の時空間の軌跡をRと仮定する…。」
「この世界は現存しているため、逆ベクトルの時空間がある可能性は低いと思われる。」
「もし、R'のような時空間があるとしたら、Rの時空間は巻き込まれる。」
「時空間から意図的に別の時空間シフトできなければ、人もともに同じ軌跡を辿る。」
法子は光輝の推測を聞いていたが、付け加えるように口を開く。
「同一の時間軸でないとすると、どうなりますか?」
「“時間軸がどういう状態であるか”にもよるが、時間軸がゆがんでいたり、短いスパンでループしているとかなり不安定と思われる。」
「あと、これも極端な仮定の話ですが…時間ではなく、限定的な空間の場合はどうなりますか?」
「限定的空間…」
「例えば、この町だけ…もしくは特定の人物だけの場合はどうでしょう?」
「その仮定だと…すでにかなりの歪みがでていて、いつ臨界…つまり世界が崩壊してもおかしくない。」
「とすると、シフトしてしまった人も一緒に巻き込まれ、消失すると…。」
「その可能性が高いだろう…。」
「そうなりますか…。」
(そういう仮定になるよね…。この世界は…。)
返事をしながら、自分の考えと合っていることを確認し、あまり時間が残されていないことを改めて認識した。
話が一区切りついたところで光輝は法子に尋ねる。
「では、君の体験を聞かせてもらえるかな?」
「わかりました。信じられないかもしれないですが…。」
(いよいよ、最終プロットね。)
自分にも言い聞かせるように、返事をして話し始める。
「まず…私はほかの時空からきました。」
「ほかの時空…!?どういうことだ?」
「端的にいうと、教授も…私とは別のアプローチで、同じ時空からきているはずなんです。」
「なんだって…!?確証や根拠を聞かせてほしい。」
「教授はあの実験以後、遠くへ出かけていますか?」
「あの事故から二日だから…家と研究所、病院以外には行っていない。」
「では、今から私の番号を教えるので、かけてもらえますか?」
「わかった。」
ケータイを取り出してプロフィールをだして光樹に番号を見せる。
光樹はケータイを取り出し、法子がもっているケータイの番号を確認して、かけてみるが何の音もしない。
「番号が間違ってるのでは…?」
光樹は法子に問うと、
「私からかけますから、先ほどの番号を紙に控えておいて下さい。」
光樹はデスクにおいてあるメモとペンを取り、番号を書き写す。
法子はそれを確認すると、
「では、かけますね。」
と光樹がもっているケータイに電話をかける。
しばらくすると、ケータイが鳴りだす。
光樹は番号を確認すると、メモと同じ番号であることに驚く。
「どういうことだ!?」
法子は自分の推測が実証されたことに胸をなで下ろすと、光樹に説明する。
「私は一度だけ、教授のケータイにかけたことがありましたよね?でも、教授からは一度も私のケータイにかけてません。」
「それと、今の事象とは?」
光樹は釈然としないものの、話の続きを催促するように言葉を返す。
「この世界は…教授とあかりちゃんの記憶をもとに、ある者の意志が邪魔な記憶を削除して作った世界なんです…。」
「ですから…教授のケータイは一度も私のケータイにはかけていなかったので繋がりません。
ですが、私のケータイから教授のケータイにはかけたことがあるから繋がります。」
「そんなことが…。もしそうならば、その意志とは何なんだ?」
「“ヴァルティアリス”…絶対悲哀障壁…。」
「ヴァルティアリス…?」
「はい。もともと、無意識下の悲しみから離れる為の障壁です。それが耐えきれず、歪んでしまったのでしょう…。」
「わたしは、無意識の内に何かに悲しんでいると?」
「妻のひかりさんです。」
「何をバカな事を言っているんだ。ひかりは生きているじゃないか!」
「忘れてしまいましたか?あの日の事を…。」
「あの日…?いつのことだ…?」
全く覚えがない光樹は、法子に尋ねるように問う。
(やっぱり同じね…。でも、まだ可能性があるわ…。)
「ひかりさんに会えば、わかります。」
「ひかりに…?どういうことだ…?」
困惑する光樹。他の人ならともかく、研究の片腕を担っている法子の話なので、容易には信じ難いが全く偽りともいえない。
やがて、光樹の重い口が開く。
「会えば、わかるんだな?」
その気持ちを受けて、さらに法子の意思は固まる。強く頷き、答える。
「はい。」
(絶対に光樹さんも、あかりちゃんも帰すからね…。)
心にそう言い聞かせ、勝利の意思を強く持つ法子だった。