#17 困惑:虚構世界
法子が考え始めてしばらくすると、入り口の扉が開いた。
光樹は入ると、入り口に近いデスクの椅子に腰掛ける。
ここが光樹のいつもの定位置である。
法子は慣れた手付きで、角にある茶箪笥からコーヒードリッパーを出し、コーヒーの粉の瓶を開け、粉をそのままドリッパーへ入れる。
いつもやっているので二人分、三人分の量ならどの位かを覚えてしまっている。
コーヒーの瓶をしまうと、カップのセットを2つ出し、給湯器からポットに熱湯を少し入れ、回しながら湯を捨て、もう一度半分くらいまで注ぐ。
そのポットの湯をドリッパーを注ぐ。
ポタポタ…と落ちるコーヒーの音が、静寂な部屋に規則的な音を奏でる。
法子も光樹も、この単調な音が止まるまで、時間が止まったかと思うくらいにじっとしている。
いつも、実験などで大きな音を聞いているので耳をすますために、二人のときはこの音を聞く約束なのだ。
音が止まると、2つのカップに注ぎ、ドリッパーを洗う。
ドリッパーを茶箪笥にしまうと、カップをソーサーに乗せ、光樹のデスクに置く。
「ありがとう。」
と、光樹がカップに手を伸ばし、コーヒーに口をつける。
それを見て、法子は自分のカップをソーサーに乗せ、光樹の隣のデスクに置き、椅子に座る。
(いつもと同じことをやっていると、ここが異世界だって忘れそうね…。気を付けないと…。)
一呼吸置いて、光樹の方へ向き話し始める。
「まず…教授は、もしこの世界がパラレルワールドだったら、どう思いますか?」
「それは…この世界より別の世界が、現実だったら…って事かい?」
「ええ…。」
「もしや、君は飛ばされた世界で何か見つけたのか…?」
「そうなのかは実際にはわかりません。
教授の意見を聞いて、少しでも分かりやすく話せるといいのですが…。」
「そうか…。私は早く、君の体験した事をききたいのだが…。」
「すみません…。でも、ちゃんと伝える為にも必要なプロセスですから…。」
法子は確信に迫りながらも、少しづつ納得させるように、段階を踏んで会話を進める。
「わかったよ。でも、もしこの世界よりも可能性の高い世界があるなら、この世界はパラレルワールドになる。」
「そうですね。」
「そう過程すると…ここからは、あくまで推測だが…」
「はい…。」
「すべての世界が、時間軸を中心に軌跡を描くわけだから…逆ベクトルの軌跡の世界に打ち消されるか、『より可能性の高い世界』に引き込まれると思う。」
「なるほど…。」
(さあ、これからね…。)
光樹の推測を聞き、法子は本題への話を切り出す。
「次に、人が『可能性の低い世界』にシフトしてしまったとしたら、どうなると思いますか…?」
「同時間軸上から外れてないが……すべての平行宇宙全体から考えると存在の可能性が低くなるから…」
「シフトした世界が『より可能性の高い世界』に飲み込まれた場合、最悪消失してしまう可能性もあると…?」
「そうか…。その推測も考慮すると、全体的に量子の歪みが起きるから、その分の誤差も考えると…。」
しばらく考え込む光樹。
しばらくして立ちあがると、法子のデスクの奥にあるホワイトボードの前で、まとまりつつある考えを壊さないようにするかのように、冷静に、淡々と言葉を紡ぎ、ボードに図を書き込んでいく。
「まず、X軸を時間軸として…」
「この世界の時空間の軌跡をRと仮定する…。」
「この世界は現存しているため、逆ベクトルの時空間がある可能性は低いと思われる。」
「もし、R'のような時空間があるとしたら、Rの時空間は巻き込まれる。」
「時空間から意図的に別の時空間シフトできなければ、人もともに同じ軌跡を辿る。」
法子は光輝の推測を聞いていたが、付け加えるように口を開く。
「同一の時間軸でないとすると、どうなりますか?」
「“時間軸がどういう状態であるか”にもよるが、時間軸がゆがんでいたり、短いスパンでループしているとかなり不安定と思われる。」
「あと、これも極端な仮定の話ですが…時間ではなく、限定的な空間の場合はどうなりますか?」
「限定的空間…」
「例えば、この町だけ…もしくは特定の人物だけの場合はどうでしょう?」
「その仮定だと…すでにかなりの歪みがでていて、いつ臨界…つまり世界が崩壊してもおかしくない。」
「とすると、シフトしてしまった人も一緒に巻き込まれ、消失すると…。」
「その可能性が高いだろう…。」
「そうなりますか…。」
(そういう仮定になるよね…。この世界は…。)
返事をしながら、自分の考えと合っていることを確認し、あまり時間が残されていないことを改めて認識した。
話が一区切りついたところで光輝は法子に尋ねる。
「では、君の体験を聞かせてもらえるかな?」
「わかりました。信じられないかもしれないですが…。」
(いよいよ、最終プロットね。)
自分にも言い聞かせるように、返事をして話し始める。
「まず…私はほかの時空からきました。」
「ほかの時空…!?どういうことだ?」
「端的にいうと、教授も…私とは別のアプローチで、同じ時空からきているはずなんです。」
「なんだって…!?確証や根拠を聞かせてほしい。」
「教授はあの実験以後、遠くへ出かけていますか?」
「あの事故から二日だから…家と研究所、病院以外には行っていない。」
「では、今から私の番号を教えるので、かけてもらえますか?」
「わかった。」
ケータイを取り出してプロフィールをだして光樹に番号を見せる。
光樹はケータイを取り出し、法子がもっているケータイの番号を確認して、かけてみるが何の音もしない。
「番号が間違ってるのでは…?」
光樹は法子に問うと、
「私からかけますから、先ほどの番号を紙に控えておいて下さい。」
光樹はデスクにおいてあるメモとペンを取り、番号を書き写す。
法子はそれを確認すると、
「では、かけますね。」
と光樹がもっているケータイに電話をかける。
しばらくすると、ケータイが鳴りだす。
光樹は番号を確認すると、メモと同じ番号であることに驚く。
「どういうことだ!?」
法子は自分の推測が実証されたことに胸をなで下ろすと、光樹に説明する。
「私は一度だけ、教授のケータイにかけたことがありましたよね?でも、教授からは一度も私のケータイにかけてません。」
「それと、今の事象とは?」
光樹は釈然としないものの、話の続きを催促するように言葉を返す。
「この世界は…教授とあかりちゃんの記憶をもとに、ある者の意志が邪魔な記憶を削除して作った世界なんです…。」
「ですから…教授のケータイは一度も私のケータイにはかけていなかったので繋がりません。
ですが、私のケータイから教授のケータイにはかけたことがあるから繋がります。」
「そんなことが…。もしそうならば、その意志とは何なんだ?」
「“ヴァルティアリス”…絶対悲哀障壁…。」
「ヴァルティアリス…?」
「はい。もともと、無意識下の悲しみから離れる為の障壁です。それが耐えきれず、歪んでしまったのでしょう…。」
「わたしは、無意識の内に何かに悲しんでいると?」
「妻のひかりさんです。」
「何をバカな事を言っているんだ。ひかりは生きているじゃないか!」
「忘れてしまいましたか?あの日の事を…。」
「あの日…?いつのことだ…?」
全く覚えがない光樹は、法子に尋ねるように問う。
(やっぱりね…。でも、私にはまだ手があるわ…。)
「ひかりさんに会えば、わかります。」
「ひかりに…?どういうことだ…?」
困惑する光樹。他の人ならともかく、研究の片腕を担っている法子の話なので、容易には信じ難いが全く偽りともいえない。
やがて、光樹の重い口が開く。
「会えば、わかるんだな?」
その気持ちを受けて、さらに法子の意思は固まる。強く頷き、答える。
「はい。」
(さあ、なんとしても光樹さんも、あかりちゃんも絶対に帰すからね…。)
心にそう言い聞かせ、勝利の意思を強く持つ法子だった。