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第四話「だから、もう一度、手を伸ばせっ!」

第四話「だから、もう一度、手を伸ばせっ!」

「ここはどこだ?」

 世界に溢れた光が収まった時、透器は別の場所に居た。しかも見覚えのある場所に。

「お前の家だ、トーキ」

 焦りを含んだ声で答えたのはララだった。彼女は、致命傷どころか止めを刺されたのではないかと思える水花に向かって手を翳していた。その手が光っている事から、何かしらの治療をしているのだろう。

「助かるのかッ!」

「助けるのだよッ!」

 切羽の詰まった応え。その声音が一刻の猶予を許さないことを表している。

透器は何をすべきかも見つからず、結局はララの治療を見守るしかなかった。

「悪かった。思いのほか時間が掛かってしまった。弁解する言葉もない」

「いや、正直助かった。あのままだったら水花は殺されてた……」

 そして沈黙が間を満たした。互いが己の過ちを悔いている。しかし、それだけでは何も変わらない。状況を正す為にもララは水花の治療に、透器は己の新たなる力を御する事に専念した。 

それから三十分ほどで、水花の致命傷部分は塞がった。しかし、ララの表情は未だ深刻さを保ったままだった。

「どうした、傷が塞がったんだから良くなるんだろ?」

「残念ながら、このままでは明日の朝は迎えられないだろう」

「……どういうことだよ」

「普通の異神なら人間よりも遥に生命力が強いため、治療すらも必要なく回復するだろう。しかし、ミィの場合は違う。その再生すら出来ないほどに霊力が失われているんだ」

「霊力? それはどうすりゃ補充できるんだ?」

 その問いかけにララは真っ直ぐに透器の顔を見た。そこには彼の覚悟を見極める厳しい眼光が宿っていた。透器は試されていると直感した。

「霊力というのは生命力、精神力、意志と考えていい。それがなければ生命が生きていけないのは道理だろ?」

「細かい話はいいんだよ。どうすれば水花を助けられる」

「この世界では、肉体が壊れれば生命は死ぬ。魂が壊れれば生命は死ぬ。精神を失えば生命は死ぬ。肉体と精神力は外部からでも再生させることが出来る」

「だから、その方法を……」

 透器の言葉はララの刃のように鋭い視線に遮られた。その威圧感に思わず口を噤んだが、彼にとってもここが正念場であることが理解できた。ララは透器に覚悟を求めているのだ。

「……なんだよ?」

「ワタシが態々、詳しく説明したからには理解して貰えるだろうな。水花を助けるにはキミの魂が必要だ」

「魂……だと」

「ああ、霊力を直接渡すという方法もあるが、減衰率が激しい上に、そもそもキミにはそれほ

どの霊力がない。ワタシが魂を与えたいところだが縁が存在していないからな。どうだ、やるか? キミは自分の命を賭けれれるか?」

訊ねたララの声音は意外なほどに優しかった。おそらく透器が水花を見捨てても、彼女は責めはしないだろう。自分の未来を変える重い選択に透器は思わず天を仰いだ。しかし、そこにはいつも見慣れた天井しかなかった。

「まったく……。やるよ。当然だろ」

 頭をガリガリと掻く透器の顔には悲壮の色はなかった。それはいつも通りの透器のものだった。彼の答えを予感していたララはもう一つの質問をした。

「トーキよ。ジャックも同じ事を言っていたが、何故会ってそれ程も経っていないミィをそこまでして助けるのだ?」

「わかんねぇな。俺だって、誰でもこんな風に助けるとは思わねぇ。けど、二週間も毎日、四六時中、顔を突き合わせてたら親近感も湧くだろ。助けられるなら助けたくなるだろ」

 その答えにララは高らかに哄笑した。それは突き抜けるような気持ちの良い笑い声。

「お前、何馬鹿笑いしてんだよ」

「フフッ。いやなに、我が友はきっと直ぐに女に騙されるなと思ってな。よかろう。キミの意思しかと受け取った。では儀式を行おう」

 そこからのララの行動は迅速だった。少しの間席を外すと、必要道具の一式を集めてき

た。そして、白いシーツを畳みの上に引き、その上に、瞬く間に複雑な魔方陣を描くとそ

の上に水花を横たえた。

「こんな時に魔術の知識が役立つとはな。ムッ、何やらワタシの守護天使も文句を言ってるな。しかたなかろう、キミでは他神は助けられんだろ」

 何やらブツブツと独り言を言っているララを、透器は可哀想な人を見る目で見守った。

「おい、キミ。ワタシを哀れんだな? 前半は独り言だが、後半は会話だぞ」

「いや言ってることが全然わかんねぇんだが……」

「まあいい。トーキ、こっちに来い」

 透器がララに指定された場所に立つと、急に耳鳴りがした。それに続いて、背筋が震え、額からは嫌な汗が伝う。ただそこ立っただけだというのに、心が恐怖に震えている。

「ふむ。上々の親和性だな。どうやらキミたちは霊的に相性が良いみたいだな」

「どういうことだよ? それに、なんか寒いぞ」

「それはそうだろうな。キミは今、ミィと繋がっている。つまり、キミも死を実感しているのだ。さて、準備はいいか? ナニ、すぐ終わるさ」

「へっ、心の準備が――」

「奔れ精霊、謳え旋律、世界の調べは今ここに」

 それは魔術の始動キーワード。それと共に魔方陣の持つ意味がこの世界に具現化される。

その現象はこの世で言うところの奇跡。この魔法陣で言えば、

「この者、白風透器の魂の五割を、彼の者、天野水花に委譲せん。執行」

 その瞬間、透器を襲ったのはまるで自分の意識が消滅していくかのような喪失感、それは僅かの間で消え去り、先ほどまでの悪寒も収まって、今はどこか心が温かかった。

「終わったのか? ほんと一瞬だったな」

「ああ、多少の失敗は覚悟しておいたのだが、キミたちの親和性のお陰でこれでもかというぐらいの大成功だ。減衰率ゼロ。まさに大成功だな」

「っておい、今サラリと恐ろしいことを言ったなッ! 失敗してたらどうなってたんだ?」

「大失敗の場合はキミの寿命を更に貰って続儀式。失敗の場合は五十年委譲が二十五年委譲に減衰だ。そうそう、今回の儀式で使ったキミの寿命は五十年だ」

「五十年ね。まぁ、俺の寿命が有益に使われてよかったよ……」

 人生最大の一大決心の顛末がこれではと嘆く透器であった。

「そうだな、成功がてらに良い事を一つ教えてやろう。確かにキミの寿命を五割もらって大体五十年とは言ったが、それは普通の人間ではという意味だ。キミは既に霊力の解放を行っているから、修行をすれば人並み以上には生きられるぞ」

だが、その事実を知っても透器の表情は冴えなかった。

「お前……それって、オカルトに足を突っ込んで抜け出せないって意味じゃないか?」

「何を今さら。異神、いや、現神(あらがみ)を家に住まわせておいて、普通の日常を送れると思ってるのか?」

「ああ、そうだよ。悪いかよ。こいつだって、大人しくしときゃ神様だってバレないだろ」

 途端にララの表情が曇った。その変化に透器はもう“そう”はならないという事を悟ってしまった。

「やっぱり組織が水花を殺しに来るのか?」

「いや……。ワタシがキミたちを信じられたなら。そもそも、もっと早くに首狩りを処分できていれば、キミたちの日常を壊すことはなかったのにと思ってな」

 最悪を予想していた透器はそうでない事を知りホッと胸を撫で下ろした。

「何だよ、そんなことかよ。気にすんな」

「いや、問題があるのだ。基本、発見された現神(あらがみ)騎士団(ナイツ)の監視下に置かれる。まあ、事を構えたくはないから日常生活に関しては制限はない。ただ、いざ戦闘になれば確実に召集される」

「その監視下ってのを断ったら?」

「強制退去、あるいは処分」

 ララはしかめ面をし、押し黙った。おそらくは内罰的な感情に苛まれているのだろう。

 そんな彼女に透器は明るく笑いかけた。

「おい、俺のバイト知ってるか?」

「詳しくは知らんが、その筋で有名な解決屋だろ?」

「一応探偵ってことになってるんだけどよ……。まぁ、荒事が多いわけだ。だから気にすんな。トラブル処理がゴッド○ーターになっただけだ。軽い軽い」

 透器のおどけた笑顔にララは軽く鼻で笑った。彼の言葉で幾分かは心が晴れたようだ。

「おい、鼻で笑うことないだろッ!」

「いや。女にいいように問題を押し付けられ自滅するタイプだと思ってな」

「それは笑えねぇな……」

 今までの仕事で巻き込まれたトラブルを思い返し、透器の顔が引き攣った。

「案ずるな、キミたちが助けを必要としていればワタシは必ず馳せ参じよう」

「そりゃ、心強い」

 ララは軽く息を吐くと、表情を一遍、深刻なものにした。それに伴い、透器も気を引き締める。そう、まだ、越えなくてはならない問題があるのだ。

「さて、トーキ。我々にはジャックという問題が残っている」

「逃げられないのか?」

「無理だな。逃げれば流石のジャックも騎士団(ナイツ)に我々の事を報告するだろう。そうなれば騎士団(ナイツ)全てが我らの敵だ。そうなってしまえば普通の生活なぞ夢幻だ」

「もう既にしてるんじゃないか? そうだったら意味ねぇだろ?」

「それはまずない。奴は騎士団(ナイツ)に所属していながらも、本部にその活動を報告することはない。奴は一匹狼だ。報告するのは結果だけだ。魔道派の連中はよく奴を引っ張り出せたものだ」

「ならどうすんだ?」

「勿論奴を生きたまま捕獲し、説得する」

「おいおい、勝てねぇ相手にそりゃ無理な話だろ?」

 殺すより生け捕りの方が遥に難易度が高い。ともなれば命辛々逃げてきた身ではどうにも出来ない。あれ程の化物を圧倒できる光景を全く想像できずにいた。

「いや、奴に勝ち、その上無力化できる良い方法がある」

「マジかよ。方法は?」

「それはミィが起きてから話すとしよう。キミたち二人が作戦の肝だ」

「……分ったよ。だが、問題はまだあるぞ、説得なんて無理だろう」

「いやできる。奴は頭が堅いからな。正々堂々と勝利すれば、奴は我々の願いに対し、首を横に振りはしないだろう。現にコレだ」

 そう言ってララが見せたのは一枚の手紙だった。そこには異化にも生真面目そうな字体で英文がかかれていた。本文は読めなかった最後の署名は理解できた。そこにはジャック・トーレスの名が書かれていた。

「なんじゃこりゃッ!」

「先ほど、魔法陣の準備がてらに奴に手紙を送って、その返事だ。内容は、翌深夜二時に三山工場跡地にて再戦を行うという旨で、これはその了承だ」

「おいおいおいおい、何勝手に再戦することになってんだよッ! しかも明日のニ時って」

「時間に関しては奴が同意するギリギリを狙ったんだ文句を言うな。それに、我々は絶対に奴に勝たねばならんのだ」

「……そうだな。すまん、今のはおれの失言だ」

 透器は段取りの良さを褒めはすれども責める理由はないと反省した。ジャック・トーレスという敵を退けなければ、何にせよ未来がないのだ。

「気にするな。キミにも相談しておくべきだったのは確かだ」

 とは言え、ジャックが水花を逃した以上、索敵しているのは明白だろう。そのリスクを考えるならば、ジャックという男の思考を分析し、少なくとも時間を稼いだという点は間違いなくララに正当性があるだろう。

「ところで水花が起きるまでまだ時間が掛かるだろうから、俺にそのオカルトの説明をしてくれないか? まずは基本的なことから」

「設定の紹介にしては終盤だが、行おう」

「お前、何いってんだ?」

 ララは透器の困惑を華麗にスルーし説明を始めた。

「この世界、いや、全ての次元のあらゆる存在は霊子という最小単位の集合によって構成されている。当然霊子がなければ世界は存在しないので、世界を満たしている霊子を龍気、そして生命体が作り出している霊子を霊力または霊気と呼ぶ。通常、霊力は絶えず魂に中で生成され、一定量になればそ生成が止まる。人間の魂が成長することによって蓄積限界も変わってくる」

「つまり、人間、頑張ればバケツからタンクになるって訳だな?」

「うむ。霊力は通常、魂の内側に留まり、生涯それを大きく使用することはない。しかし、その魂を解放すれば霊力を任意で操れるようになる。それにより、肉体を強化したり、治癒能力を挙上げたり、そして奇跡が使えるようになる」

 透器はその奇跡という耳辺りの良い言葉が嫌いなので、その嫌悪感が思わず顔に出てしまった。もし、そんなモノがあれば家族は死なずにすんだだろうと考えずにはいられないからだ。

「透器よ、奇跡が嫌いか? まあ、表現として受け取ってくれ。霊力を用い、人間が思い描く現象を具現化する。よって我々はそれを奇跡と表現する」

 金を願えば金が生み出され、炎を願えば炎を生み出せる。霊力という名の意志を代償にして。しかし、それはそう甘い話ではない。

「我々はこの霊力で生み出せる現象を霊術と呼んでいる。この霊術は奇跡を生み出せるがそれは仮初でしかない。なぜならこの世界には法則があり、それに反すれば抵抗される。金を思い描き、金を出せてもそれは僅かの内に霊子に戻されてしまう」

「つまり、簡単には金稼ぎは出来ないって事か? おい待てよ。じゃあ、霊術で傷を癒しても時間がたてばまた開くのか?」

「前者はそうだが、後者は違う。もしも、炎で木を燃やして炭にしたとしよう。熱量は消滅するが炭が木に戻るわけではない。つまり、零から生み出した剣はすぐに消滅するが、石を剣に変えればそれはいつまでも剣のままだ」

「うわぁ、そりゃ便利だな。是非ご教授願いたい」

 透器の頭の中では、水花の謎資金の出所が少し分ったような気がした。

「さて、その抵抗の話はあくまで霊力だけを使って現象を生み出した際の話であり、基本中の基本であくまで大枠の話だ。現在、霊術には三つの体形が存在している。一つは魔術。この世界の法則を調べ、精霊、陣、文字、音、様々な方法で抵抗を減らし、より省エネに、より強力な奇跡を引き起こすものだ。ただの霊術もここに入る」

「さっきの儀式がそうってわけだな」

 水花を助けた際にララが魔法陣を描き何やら唱えていたことと照らし合わせた。

「さて、ここからが毛色が違う。トーキ、キミは世界の話を覚えてるか?」

「ああ、この世界はこの宇宙と天界と神界があるって話だろ?」

 水花は、神界はつまらないと言っていたが、透器は神話に出てくる神様がどんな性格をしているのか想像するだけで少し興味が湧いていた。

「上位存在というのだがな、以降の二つはその力を借りた物だ。まずは天界におわす我らが主神を信仰をする事によって力を授けられる天術だ」

「そういや、お前は漫画みたいにキ○スト教徒の暗部、異端審部隊なのか?」

「ふむ、そんな特殊部隊は聞いた事はないがな。一応はカトリック信者でもあるが、正確にはワタシはキ○スト教徒ですらない。我々はその系統で一番古くから存在し、かつ、暗部。主神の存在を直接認識し、崇める偶像教会の人間だからな。まあ、組織の話はいずれすることになるさ」

「よく分らんが、天術ってのはその主神とやらを信じれば信じるだけ強い力を返してくれるのか? 狂信者の方が強力とか」

「そうだな。詳しくはわからん。ワタシも心の底から主神を崇めている訳ではないからな。こんな生臭シスターでも天術が使えるのだから、主神の心はさぞ大らかのだろうな。ちなみに、複数の人間に十把一絡げなシステムなので、力は魔術とどっこいさ」

「まあ、俺には関係なさそうだな」

 騎士団(ナイツ)という組織と偶像教会の関係はよく分らないが、名前が違う以上は別物で、仮に騎士団(ナイツ)に所属する必要が出ても、その主神というモノを信仰しなくてもいいと判断した。

「さて、最後に今はほぼ絶滅した秘術、神術だ。なぜ、これがほぼ絶滅したか分るか?」

「名前から推察するに、この世界から神様が締め出されたからだろう?」

「その通りだ。嘗ては天術と同じシステムだったが、結界が生み出されてからはより狭まった術を差す。それは異神として処理されなかった神、現在この世界に存在する現神(あらがみ)と直接に縁を結び、その神格を得て力を行使する術を差す」

 途端に専門用語が出て戸惑う透器。しかし、そのどれもが一度は聞いたことがある単語であることを思い出した。

「縁を結ぶとは、霊的な遣り取りを出来る線を結ぶこと。神格を授かるとは、その現神(あらがみ)の力を行使できるようになることを指すのだ。この二つを纏めて契約と呼ぶ」

「てぇと、俺は今までの戦闘でその気になれば水花のあの水術を使えたのか?」

「そういう事になるな。はっきりと言っておこう。先ほどの抵抗の話だが、現神(あらがみ)はこの世界に対して大きな強制力を持つ。つまり、雨を降らせば、その水は地球を循環し、炎を生み出せばそれは熱量を自然に失うまで消えはしない。勿論、何でも出来るわけじゃない。しかし、この世界が彼らを律することができるたのはただ一つの事柄、滅びを与えることだけだ」

 今の透器なら、それがどれ程凄まじい事か理解できた。もしも力ある異神がその気になれば、この地球の環境など瞬く間に破壊できるだろう。今、漸く、透器はララたちが恐れた恐怖を認識できた。

「ちょっと待て、それなら水花が人間になりたいという夢も直ぐに叶うんじゃないか?」

「ふむ、推察にすぎないが、異神という存在をこの世界の人とういう存在に置き換えるには、相当な霊力か、この世界特有の霊力がいるのではないか?」

 たしかに、世界の霊子が龍気で個人の霊子が霊力と呼ばれるのなら、そこに違いが存在するのかもしれない。神様はこの世界の存在ではないからだ。

「さて、ここでミィの話なのだが、彼女はどうもおかしいぞ。軽く調べてみたのだが、彼女の本来の力は我々の想像を絶するものだ。それこそ神話クラスのな」

「ならなんであんなに弱ってたんだよ?」

「そう問題はそこだ。ミィはこの世界に来た時には、既に霊力がほぼ零に近いほどに搾り取られ、尚且つ霊力が回復しなかった状態と見受けられる」

 ララは水花が術を使って神としての存在感を精密に隠していなかった事と照らし合わせてそう推測した。異神がこの世に降立った時にはその存在感を隠すというのが、歴史を通して収集された知識によって得られた通念だからだ。

「ちょっと待てよ。じゃあ、いずれ……」

「そう、ミィは近いうちに自分が霊力を切らして消滅する事を知っていたはずだ。ワタシの見た所、もってあと一ヶ月だっただろうな」

「……なんだよそれ、ふざけんじゃねぇぞ……」

 透器は激しく憤っていた。一緒に住んでいたとはいえ、長い時間ではなかった。それでも、透器は自分に弱音を吐いて、そして、頼って欲しかった。

 魂を移植できたのだから、霊力だってどうにか出来たのではないのか? 確かに十分ではないかもしれない。それでも少しは長生きできただろう。そう考えると透器は無性にやるせなくなった。

(結局あいつは俺に対して他人行儀だったんだな……)

 透器は頭をガリガリと掻くと畳みに身体を投げ出した。

「どうした、トーキ。思ったほど頼られていないことが分って、ショックか?」

「そうじゃないと言ったら嘘になるけどよ。それよりも、どうやってあいつに俺が必要だって言わせられるかと思ってな」

「キミはまるで恋する乙女だな」

 男とっては怖気が走る表現を耳にし、透器はげんなりした。

「やめろよ。そういう気持ち悪い表現すんの。俺はただ……」

「俺はただ……」

(あいつのコロコロ変わる表情をもっと見たいだけんだよ)

 その想いは口に出さず。そのまま寝たふりを決め込んだ。

 

 それから、三十分後だった。ララが何やらゴソゴソしてる音を聞きながら、瞼を閉じた薄暗い世界の中で、様々な思いを巡らせていた。

「……うっ、ううん。ここは……」

 透器は水花の声を聞いて跳ね起き、彼女の横に走り寄った。

「起きたか、この馬鹿神様ッ! 心配させやがって」

「私、生きてます? なんで? それにこの感じ……まさかッ!」

 水花は勢い良く上半身を起こしたが、傷が完璧に癒えておらず、その痛みで蹲った。

「おい無理をするな、ミィ。傷に響くからな」

「それどころじゃありませんッ! トーキなんて事をしたんですかッ! 分ってるんですか? 命は大切なものなんですよッ!」

 透器はその物言いにカチンときた。絶対に喜びはしない事は想像に難くなかったが、一

番自分の命を軽視している者に言われたくはなかったのだ。

「ふざけんなッ! お前だって死にそうだったんだろ? なら何故それは言わねぇッ!」

 透器の切り返しに目を見開く水花。そして息を吐き、俯いた。

「なら私はどうすればよかったんですか?」

「俺に霊力よこせって言えばよかったじゃねぇか?」

「力、いえ霊力というのですか? それの受け渡しには、トーキの魂の解放が必要でした。でも、上手くいく保証なんてなかったんですよ? 失敗したら魂が壊れて廃人ですよ?」

「ってお前。ララの時に何の躊躇いもなくしたじゃねぇか?」

「あの時は自信があったんですよ。その、見えたんですよ……」

 水花の漠然とした物言いに苛立ちを覚えた。そこまで厳しい条件をクリアできる自信とはいったい何なのか。透器はそんな存在が信じられなかった。

「いいから――」

「トーキそれ以上は聞くな」

 言いよどんでいる水花にララは助け舟を出した。彼女は水花の言わんとせん事を察したのだ。

「いや、納得できねぇだろ?」

「どうでもいいではないか。キミはミィと縁を結び、これからは彼女の命を繋ぐ事も出来る。それでいいではないか?」

「……まぁ、いいさ。但し、水花。これは俺の一方的な頼みだ。そりゃ、俺は頼りないかもしれねぇが、俺に弱音を吐いて欲しい。俺は一緒に乗り越えてぇんだ」

 水花は透器の顔を穴が開くほど見詰めた後に、頬を紅く染めて俯いた。

「トーキそれは愛の告白でしょうか?」

 透器は自分の発言を心の中で読み直し、様々な状況で言っている自分を想像した。

「バッ……チゲーよッ! 何というか、そのだな」

「フフ、分ってますよ。トーキが愛の告白をパッと出来るほどの甲斐性を持ってないことは重々承知してますから」

「俺をヘタレみたいにいうなッ!」

「違うんですか?」「違うのか?」

「おいッ!」

 重い話をしていたはずが、いつの間にか軽い空気に流され、結局言いたい事が伝わったのかどうかも分らない状況。それを鑑みて、自分は結構ヘタレなのでは思う透器であった。

「さて、次の議題に移ろう。とその前に」

 ララは区切ると二人に香水を吹き掛けた。それは甘い林檎の香りがした。

「なんだよこれ?」

「ん? いや、これはキミたちが寝ている間に気がついたのだが、キミたち、呪われていたよ。今のはそれの浄化薬だ」

「呪われていた? どういう事だ?」

 何とも不気味なその響きに透器は身震いし、それの正体を問うた。

「ワタシも詳しくは分らないが、これは強力にして精巧な死の呪いだな。ワタシはそういったモノが特別良く見えるから気付けたものの、キミたちが気付かなかったのも仕方あるまい。それ程に世界に馴染んだ術だ」

「死の呪い……だと」

 そんな得体の知れないものが何故、そもそもそんな呪いをかけられるほど恨まれていたのかなど、透器の頭の中でグルグルと渦を巻いていた。

「案ずるな、これは直接死が降りかかるのではなく、間接的に死ぬ事になるという呪いだ。ワタシが首狩りを追っていたことを知っているだろう? だが、その行方をつかめずに

いた。それはミィの気配にしてもそうだ。だが今晩はその気配が掴めた。何故か分るか?」

「それが呪いのせいだってのか?」

「正解だ。この呪いは、死の運命を引き釣り込む。いいか、勘違いはするな。運命といっ

ても未来が決まっている訳ではない。この世の全て出来事は、個々の現象が重なり合って

できた、必然より生み出される偶然に過ぎない。この死の呪いは、そうだな……、キミも

感じたことはないか? 何故か見ているだけで苛々してくる人間というのは?」

「俺はないが、たまにそういう話は聞くな」

 世の中には、何故か生理的に嫌悪をもたらす人間がいることは確かだろう。そして、そ

れはその人間そのものはなく説明できない何かによって引き起こされる場合もあるだろう。

「全てが全てとは言わないが、そういった細かい苛立ちが引いては殺されるという結果に

通じる場合もある。この呪いはそういった類のモノだ。他者や他の物質、いや、霊子にま

で影響を与え、偶然に殺す。そしてこれは、おそらく、死の精霊、死神の仕業だ」

 死神、そんな存在が出てきて透器は目眩を覚えた。神に悪魔、魔術師、そして死神まで

登場すれば頭も痛むだろう。世のオカルトは須らく存在しているのかという気分になる。

「そういえば、精霊を使って魔術がうんぬん言ってたな」

「正確には違うがな。霊術使の使う精霊は擬似精霊。そしてこの精霊は世界が自分を調整

するために使う自然精霊だ」

 また出てきた専門用語に透器はいい加減辟易していた。

「つまり、世界が俺たちを殺そうとしてたのか? んであの首狩りがそうだと?」

「その辺りは騎士団(ナイツ)でも解明できていない。それと首狩りは死神ではないぞ。自然精霊は

人間の首を直接たたき斬って殺すなどという行為は決してしないからな」

 首狩り、ジャックと来て、死神。放置できない問題が山積して頭と胃が痛くなった透器

であった。そんな彼の肩を叩いてララは微笑んだ。

「出来ることを一つずつこなしていこう。まずはジャックだ」

「私は今起きたので状況が分らないのですが、どうなったんですか?」

 死神の話の間、沈思していた水花が口を開いた。透器は彼女が何かしらの事情を知っている気がしたが、何も問わないことにした。

「明日、深夜二時に再戦だとよ。まぁ、それまでは時間を稼いだんだから、ララ様さまだ」

「しかし、私の力が少し回復したからといって、どうこうなる相手なのでしょうか?」

「ふむ、そこには大丈夫だ。勝算はある。ところで、どれ程回復したのだ?」

「そうですね、五%ってところでしょうか」

 その数値に透器は愕然とした。それもそうであろう。自分の寿命を半分捧げて漸くその程度なのだ。神という存在はどれ程の高位存在なのだろうかと考えずにはいられない。

「成程、しかし先ほどより状態はいいはずだな?」

「ええ、ですが……」

「案ずるな。言っただろ勝算はあると。我々には条件は揃っている。まず一つ、奴はワタシの力を受けて疲弊している。二つ、ここに神がいる。三つ、ワタシがいる。四つ、ここが重要なポイントなのだが、強い縁で結ばれたキミたちがいることだ」

 薄い胸をそらし、まるで燦然と輝く王者のような高邁さで言い放ったララ。しかし、それが意味するところを二人は爪先ほども理解できなかった。

「おい、言ってる意味がちっとも理解できんぞ」

「だろうな。さて、その前に一つ質問だ。そうだな……、イカの化け物、クラーケンを知っているか?」

「ええ、タイ○ンの戦いに出てましたね。といっても私が見たのは古いほうですけど」

「お前、いつそんなモンを……」

「そんなのTU○AYAで借りたに決まってるじゃないですか」

「ええい、お前たちの私生活なんぞどうでもいいのだ。その大きさは知っているか?」

 二人は首を傾げた。勿論全長については知らないが、その質問がジャックとの戦いにどう関係しているのか読めないからだ。

「ウム。その大きさは島と間違えられたそうだ。では、そんな巨大な化物と現代の霊術使はどう戦うと思う? 巨人、幻獣、悪魔、その大きさは人知を超えるものも多い。それにだ、そもそも人間の肉体とは四肢がもげたぐらいで戦闘なぞままならなくなる。それを補う方法は?」

「剣で斬ったら、その斬撃が飛んで両断したとかじゃねぇのか?」

「それでは脆弱性の解消にならんだろうが」

 ララはフッと薄く笑うと、袖から水晶球を出した。それは一種のホログラム装置。そして様々な画像を見せた。そこには透器と水花の想像を絶した光景が映し出されていた。

「これが答えだ。我々、霊術使はコレを霊装と呼ぶ」

「おいこれって……」

「これこそが我らの勝利の鍵だ」

 そう言ってララは獰猛な目つきで笑った。


 ララの発案した計画は、二人の想像を遥に斜め上に行っていたものだったが、その準備は思いのほか早く終わった。偏に、ララの持つ魔術に関する知識が、この世の深淵にまで達しそうな造詣の深さであった事と、神という存在があまりのチートなお陰である。

とはいえ偶像教会という主神を崇める立場にありながら、魔術についての知識を持っている自分を、ララは失格だと称し、嫌っている節はあった。

何にせよ、やるべき事はやり終え、あとは決戦に備えるだけであった。

三人が寝たのは昼過ぎ、そして目覚めたときには夕方まであと少しという時間帯だった。

とりあえず、晩飯を買いに透器と水花は日が落ちかけた町へと出かけた。

「ヒメちゃんには悪いことしましたね」

「そうだな、今度みんなで出かけるか」

 丁度三人が起きた頃に、晩飯の準備に来た陽芽と出くわした。しかし、不測の事態に備え、適当な理由をつけて帰ってもらったのだ。

その後、ララも最終仕上げがあるからと家に残り、今は二人、オレンジに焼ける空を見上げながら歩いているのだ。

「……この時間なら。おい、水花。いい所があるからちょっと行こうぜ」

「いかがわしい所につれこんで、モニョモニョ」

「んな訳あるかッ! いいから行くぞ」

 透器に先導されるままに、狭い路地を抜け、急勾配の坂を上り、更に路地に入り、林道を抜け、辿り着いたのは公園。その場所からの眺めに水花は感嘆の声を上げた。

「すんごいですね」

 その展望は、鉾島の町並み、陸へと続く大橋、対岸から彼方のビル郡までの街並み、海を行く船々、その全てを収め、なにより美しいのは、その光景が、背面から差す暖かな橙に照らし出されて、鮮やかに輝いていることだった。

「ここさ、辺鄙な場所にあるだろ? だからか、この辺の子供も忘れちまってるんだよ。それで、俺と――、の秘密基地にしてたんだよ。まっ、最近は来てなかったけどな」

 彼は誰かの名前を読んだが、その名前を呼ぶ時だけ声量が落ち水花は聞き取れなかった。

「思い出の場所なんですね?」

「ああ、大切な、場所だ」

 透器は全てが輝いていたあの眩き日々を思い出し、心が締め付けられた。それは、失ったが故の美化なのかは分らない。されど、確かにあの日々は今でも美しい思い出だった。

「なあ、水花はジジィと過ごした日々は楽しかったか?」

 その問い掛けに水花は目を瞑った。吹き上がって来る風に銀の髪を揺らし、夏の夕風をその身に感じる。彼女はもう帰らざる日々を思い出していた。

「そうですね。楽しかったですよ。刹那を生きる生命、日々の何気ない暮らしを一生懸命に生きる人々、何より、白風宗太という人。彼はそうですね、いつも楽しそうに笑ってましたよ。あの時の私は塞ぎこんでましたからね。ある日、そんな彼が無性に腹立たしくなったんで、聞いたんですよ、何がそんなに楽しいのですかって、それで何て答えたと思いますか?」

 アホみたいに厳しい修行を課してくる祖父ではあったが、どんな時でもかくしゃくとした笑顔を浮かべていたことを、透器は今でもはっきりと覚えている。

『どんな時でもその時を楽しみたいんだよ(じゃよ)』

 二人の言葉は見事に重なり合った。二人は時は違えど同じ笑顔を思い描いている。

「私は、結局、そういう風にはなれませんでしたけど、憧れはします」

「そうだな、ああいう風に生きたいとは思う」

 透器は祖父の言葉を思い出していた。それはあまりにつらい修行に耐えかね、妹と二人で抗議にいった時の言葉だった。

『お前たち、確かにこの修行に必要性なぞ無いかもしれん。じゃがな、身体を鍛え、知識を学び、よく遊び、そして心を忘れない。これをしっかりとやれば、いざって時に自分の体が答えてくれるもんさ』

 水花は連れ戻されたと言った。ならば勿論、祖父もそれに抗っただろう。しかし、それも神という存在の前では無力だったに違いない。それでも祖父は悲しみだけに捕らわれずに人生を歩んだ。あの言葉にはあの日の悔しさが滲んでいたのかもしれない。ふと、そう感じた。

「命とは失われるが故に尊い。そうは思いますが、出来れば生きているうちに、もう一度会いたかったですね」

 だが、そう呟いた水花の遠い目が、透器には少し腹ただしかった。それは今無き祖父への嫉妬なのかもしれない。

「なぁ、水花。ジジィとの日々がどれだけ楽しかったかは知らない。だけどな、俺と過ごすこれからは、もっと、楽しい日々にしてやるよ」

 そう宣言せずには居られなかった。

「……トーキってきっと天然ジゴロですね。そうやって女性の人生を持て遊ぶんですよ。気をつけた方がいいですよ。その内女性に刺されます」

「なッ! 俺が言いたいのはそういう事じゃなくてだな、こう……」

 身振り手振りを交えて言いたい事を言い表そうとするが、上手く言葉にできずに慌てふためく。そんな透器を見て、水花は優しく微笑んだ。

「トーキ、今まで言ってなかったかもしれないですが、トーキと出会ってからの二週間も充分に楽しい日々でしたよ」

「……ならいいんだけどよ」

 透器は途端に恥ずかしくなって、水花に背を向けた。

 その時吹いた夕風は、少し熱を失い、故に暖かい、気持ちの良いものだった。

 太陽は地平に帰り、夜が来る。そう決戦の夜だ。


 深夜二時、三山工場跡地。そこは先日、大火によって焼失した場所。今でも、その焼け焦げた鉄骨やら何やらが折り重なり、不気味な空気を醸し出している。

その事故では逃げ遅れ、焼け死んだ者もいたので、その無念さを抱いた者たちが未だに彷徨っているのかもしれない。

そんな死せる場所にて、一人の男が地獄の番人のように待ち構えていた。

「本当に来るとはな。見上げた気概よ、お前たち」

 漆黒のスーツに身を固めた偉丈夫。その眼にはただ獲物しか映っていない。

「ああ、来るさ。あんたをぶちのめし、俺たちの日常を取り戻す」

「分らん奴だな。その異神を我に差し出せばそれで終わりだというのに」

 透器の頑な態度にジャック肩を竦めて呆れた。彼にしてみれば、ここまでの状況に追い込んで異神を差し出さなかった者は誰一人としていなかったので、新鮮な驚きを感じてはいた。

「分らんな。力ある者は最後まで戦い死んだ。力なき者は早々に諦めた。ならばお前たちは何故、まだ、我の前に立つ? 弱き物よ」

 確かに水花のポテンシャルは高いかもしれないが、今の彼女はお世辞にも強者とは言わない。だが何故、この者たちは、逃げず立ち向かってくるのか。ジャックはそれが理解できなかっ 

た。しかし、それも所詮はどうでもいい事。

「そんな事も分らないのですか? 私たちはあなたに勝ちますので逃げないんですよ」

「ふっ、よかろう。ただ、闘争あるのみ」

 ジャックが腕を薙いだら、彼の手には例の大剣が握られていた。それに伴い、高まる威圧感。

 相変わらずの凄まじい闘気である。三人はその強大な気配に息を呑んだ。しかし、それでも怯む事は許されない。

「一つ聞かせろ。何でそんなに神様を憎む?」

 透器は戦闘自体を回避する最後の賭けに出た。

「理由かそうだな……。我が一族は神によって呪われた。故に、神が憎いのだ」

「ならよ、水花、こいつに見せてみろよ? こいつだって神様だ。似た力ならどうにかできるかもしれないぜ?」

 透器は緊張した面持ちで持ち掛ける。予め聞いた話だが、水花はジャックに呪いがかかっている事に気付いていた。それを踏まえての交渉だ。彼女は解呪はできると言ってのけたのだ。

「成程。だが、結構だ。我は神なぞ信じぬ」

(ったく、頑固なオッサンだぜ)

 透器は内心で悪態をつくと、意識を変えた。戦う以上は勝って生き残ると。

「始める前に一言言わせろ。俺たちは霊装、いや、神装を手に入れた」

 その単語にジャックは眉を潜めた。霊術使にとって、敵が霊装を所持したということは危険度が段違いに上がるからだ。ジャックは力なき異神とそれを守護するが何故そこまでの自信を手に入れたか、その理由に合点がいった。

「そこの少年は既に異神と契約していたのか。成程。理解した。ならば我も出し惜しみはすまい。神殺したる我の力、その魂に焼付けろ」

 ジャックはその大剣を地面に突き刺すと、その柄に填っている紅玉に拳を重ねた。

「第一種並存空間結界、火の雨降る(ソドム)、開門」

 その言霊が紡がれた瞬間、紅の光が世界を包み、そこに招かれた。

 岩で組み上げられた古代の都市、そこの建造物どれもが炎を上げて燃え立ち、爆炎が雲のように空を覆い、火の粉が雨のように降りそそぐ。まさに神の裁きを受けし街。

 灼熱地獄のようなその地であっても二人は決して臆さない。

「っておい、ララはどこ行った」

“どうやら私だけは結界に飲み込まれなかったようだな。まぁ、好都合だ”

「ここも結界とやらの中ですよね?」

“ああ、そうだ。第一種の結界は、独自の空間に対象を封じ込める”

「で、ジャックはどこにいるんだ」

「あれじゃないですか?」

 水花が指差した向こう、そこには“巨人”が居た。全高七m、その全身は紅の甲冑に覆われている。しかしその形は独特、脚が細く短いのに対して、上に行く程巨大になり、逆三角形のボディバランスになっている。そして特筆すべきは腕、その両腕は肩から離れ、空中を浮遊している。長さは全高程もあり、そしてなによりゴツイ。

そう、この巨人こそが、霊術使たち正確には魔術使が、対異神用に生み出した鎧、霊装なのである。龍気を吸収しエネルギーとして蓄える核を中心に、魔導繊維で筋肉を編み、魔導鋼で鎧を鍛えた。それは魔導技術の推移を集めて生み出した、究極の魔導兵器である。

「ララは簡単に言えばロボットだって言ってたな。感覚で言えば、サイ○スターやらレ○アースだな」

「ノーコメントです」

“あれがジャック・トーレスの霊装、イフリートだ。何、戦術自体は変わらん、あとはお前たちの意志次第だ”

 そう、霊力とは意志の力。そして、契約せし二人の霊力が共鳴し合えば、それは正真正銘の奇跡にだって手が届く。ララはそう告げた。

「まったく、やるしかないな、水花」

「そうですね、これ以上ないという具合におあつらえ向きですね」

『やってやれない事はない』

 二人はきつく手を結ぶと、言霊を紡ぎ始める。

『響け神曲 其は雨音 奏でるは汝 龍の化身なり 来たれ 神装』

“我、来たり”

 そして、空中に巨大な魔方陣が浮かび上がり、それを門にして一体の巨人が現れた。

 白金に輝く装甲、それは曲線を帯びて女性のようなラインをしている。腰からは鮮やかな瑠璃色のスカートが伸び、脚部を防御している。背には一対の翼、それは水花の背にあったのと同じく銀細工で作られた鷹の翼、そして、頭部には二本の角。

これこそが透器たちの秘策、霊装に対する神装、“水龍姫(すいりゅうき)”である。

そして二人は光に包まれ、核の内部へと転位した。

そこは重力があるというのに、浮遊しているという不思議な空間だった。腰の辺りに二つの球体が浮いており、それに触れることで神装と感覚を擬似接続し、操縦する。だが、水龍姫を操作するのは一人ではない、透器の後ろには、神化した水花がいた。

「トーキ、私は霊術まわりとナビをします。基本的な神装の支配権はそちらに任せます」

「オーケー。そんじゃ行きますか」

 向かい合う神装と霊装。両者が放つ霊気がぶつかり合い、それが突風となり、都市の炎が巻き上がる。轟々と唸る灼熱。それが一際大きくうねった時、動きがあった。

 イフリートがその巨椀を振るうと、灼熱が手をより噴出し、それが一本の大剣となった。その大きさは優に十mを超える。まさに山をも断ち切る刃。

 対するは水龍姫。左の掌に右の握り拳を当てる。すると、そこより蒼き光が生まれ、腕を広げると一本の大太刀が握られていた。銘は同じく黄泉切(よみぎり)、元の黄泉切(よみぎり)の霊術構造を解析し、複製巨大化させた退魔刀である。

「トーキ、この神装の性能は分ってますね?」

「ああ。急造の神装だから性能はピーキー。攻撃と機動力に重き置いた紙装甲。ただし、水壁によるピンポイント防御により、それなりの防御はある。あくまでそれなり」

「加えて、本来なら霊装もいらない神様の霊力を、霊装と同じく龍気によって底上げしています。現在の連続稼働時間は十分。これを越えると負けです」

「ではトーキ。分ってますね?」

「ああ、水のイメージだろ」

 霊力とは意志の力、二人の意思の共鳴によって更なる高みへと昇る。霊術とは想像力、水の神である水花ならともかく、透器もその感覚をより確かに持つことによって、より威力を増す。

「まかせろよ、俺は生まれて十七年、雨男だったんだぜッ!」

 水龍姫が腕と翼を広げた瞬間、神装の前方に水の輪が出来、それは無数の水球に変わると、まさに豪雨の如くイフリート目掛けて突き進む。

「温いわッ!」

 しかし、ジャックも臆することはない。単純な霊力くらべならばまだ分がある。霊装の全身を炎で鎧うと、そのまま突っ込んでくる。その速力は霊装の巨大さの割に早い。

 次々に穿つ水弾が、炎の鎧にぶつかる度に水蒸気が爆発する。

 しかし、その勢いは止まらない。決して弱くは無い水龍姫の攻撃を正面から受け、霊装の鎧が損傷はしたが許容の範囲内。

 イフリートは敵を間合いに収めると、その大剣をただ横に薙いだ。それと同時に渦巻く炎風。吹きすさぶ嵐に次々と倒壊していく建造物。

 だが、そこには水龍姫の姿は無かった。当然である。あれは空を飛べるのだ。

「それで逃げたつもりか?」

「何ッ!」

 空中に逃げた水龍姫、それを迎撃せんとするのは何と、世界自体。イフリートは炎を操る。ならば、この炎に包まれた世界自体が火薬庫である。地面に広がる都市、その全てが燃えているのだ。砲弾は如何程か。透器たちはそれを身をもって体験する。

「トーキ、弾幕来ます。砲台は無数。回避演算を行いますのでの指示ある方向に進んで下さい」

「そりゃ助かるな」

 下方から飛来する無数の炎弾。アニメでよく見る、超絶回避を自分でする羽目になるのかと思うと流石に自信が無い。それでも透器は示される方向にひたすら飛んだ。

 とは言え、そう上手くはいくものではなく、事有る毎に水壁をはって防御、たまに貫通され、装甲が損傷した。身がヤスリで徐々に削られていく心地。

「これジリ貧じゃね?」

「そうですね、ならこうしましょう」

 水龍姫の左手から水刃が放たれ、それが地上を薙ぎ、一本の道を作る。即座にそこに目掛けて下降し、その道に沿って飛ぶ。灼熱に刻まれた軌跡。水龍姫はそこを只管に飛翔した。炎弾が次々に飛来するが、それが掠めるのは過ぎ去った後の神装の影。加速を続け、目標が見えた。 

先には敵の姿。状況はヘッド・トゥ・ヘッド。

「狙いが大雑把な霊術なのが唯一の救いでしたね。さて、チャンスは一瞬ですよ」

「まかせろ」

 そして、交錯。なにも、狙いを済ましたのは何も透器たちだけではない。

イフリートもまた、その一瞬に攻撃を重ねる。

 横薙ぎに振り抜かれるイフリートの大剣。その刃が走ったのは、地面に対して平行に飛んでいる水龍姫の僅か下、まさに紙一重の回避、次いで爆ぜる爆炎を水壁で遮断。

 ならば、今度はコチラの手。イフリートの攻撃を回避した瞬間に、翼をはためかせて急旋回、無防備な敵の背中目掛けて太刀を振り下ろす。

 しかし、それを防いだのは、霊装から自立している巨椀。その左腕は盾としての機能も備えていたのだ。その分厚い装甲に阻まれ刃が先に進めない。

 だが、千載一隅の機会をこのまま逃すわけにはいかない。自立している以上、その腕と本体に物理的な繋がりは無いだろう。そう踏んだ透器はその巨椀を回し蹴りで吹き飛ばした。鈍い音を立て建造物に埋もれる腕、透器は更にその場で旋回すると、再びその背中目掛けて斬り上げる。手応えあり。ただし浅い。

僅かにイフリートが前に逃げた為、深手にはならなかったのだ。

「お前が斬り飛べッ!」

 両断を回避したイフリートもその場で旋回し、水龍姫目掛けて大剣を薙ぐ。剛風を伴い旋回してくる大剣。それを無理やりねじ込んだ太刀で受け止めるが力が違い過ぎた。神装が軋む音を立てながら、流れていく。そして、建造物を巻き込みながら、吹き飛ばされた。

「左腕装甲に裂傷、筋繊断裂、共に軽微、戦闘続行」

「了解。ってあれ何だ?」

「霊力上昇、防御推奨します」

 いまだ立て直していない水龍姫に対してイフリートは左掌を向けていた。そこからは巨大な魔法陣。どう考えても大技である。水龍姫は前面に多重水壁を展開。受けきる構え。

「霊力到達 陣解放 一切逃さず焼き尽くせ “浄化の炎流”」

 そして、その魔方陣から、一本の炎の柱が吐き出された。それは吐き出された瞬間に周囲の建造物を焼き払うと、瞬く間に前方に伸び、それ自体で対象を破壊できそうな程度の烈風を撒き散らしながら突き進み、水龍姫を飲み込んだ。

 透器たちは、ヒステリックな悲鳴のような爆音を聞いた瞬間、神装が飲み込まれ、次いで起きたのは大型地震のような凄まじい揺れと、核内を照らすレッドランプ。一瞬、神装とのリンクが切れ、再び繋がった時には、周りは紅の溶岩と化していた。

「左下腕消滅。装甲所々融解。戦闘続行可能」

 防御の為に突き出した左腕。肘より先が消滅していた。しかし、腕が使えないとなると行動の制限は掛かるがカバーは出来る。それよりも深刻なのは霊力を大分消費したことだった。透器は流石に焦りを感じ始めていた。

「落ち着いてください、トーキ。重要なのは意志の強さですよ」

「分ってるよ」

 とは答えはしたが、やはり敵との実力差は如何ともし難い。ララの言うように奇跡を起こせればいいが、その片鱗すらも見出せないでいた。

 だが、諦めたわけではない。

 水龍姫を上空に飛ばすと、とりあえず様子を伺うことにした。眼下には燃え立つ街で佇み、水龍姫を見上げるイフリート。あの霊装には飛翔機能が付いていないのだろうか? 透器はそんな甘い見立てを消し去った。

「どう思う?」

「そうですね。一斉射撃がなくなりましたね。相手も霊力を温存したいということでしょうか?」

“その通りだ”

 急に核の中にララの声が響いて二人はビクッとした。

「お前、機体と通信できたのかよ?」

“結界の所為でホイホイはできないがな。だが、水龍姫の情報は定期的に受け取れる”

「んで、あいつもスタミナ切れなのか?」

“そうだな、ワタシの力を受けて、霊力を使用しただろうからな。それに加えて、奴の霊装は龍気を取り込む機能がついていない”

「何でですか? 効率的じゃないのでは?」

“奴は、魔法陣は使うが、精霊や龍気などは使用しないのだ“

「つまり、独力だけであの強さですか……」

「何でなんだ? 何でそんなに、つっぱってるんだよ?」

“さあな、奴にしてみれば世界そのものすら敵なのかもしれんな。ともかく、奴も霊力を温存はしたいだろうが、それよりも早くコチラが切れる”

「わかってるよ。水花、アレをするぞ」

「ですが、まだ実用できるとは思えないんですが」

「そうも言ってらんねぇだろ?」

「分りました。それよりもトーキ、下ですッ!」

 その声に弾かれ、透器は緊急回避させる。水龍姫を狙ったのは、地面を突き破って噴出した爆炎。だが、それだけではない、空を覆う炎、そこからも炎の柱が降り注ぐ。

「あんにゃろ、まだまだ元気そうだな」

「トーキ前ですッ!」

 水龍姫目掛けて飛来するのはイフリートの左腕、白煙を引いて飛ぶそれはミサイルの様である。音の壁を容易く突破して更に加速を続けるそれは、上下から襲い来る灼熱によって自由な動きが制限された水龍姫に直撃した。

「くそがッ! ロケットパンチかよ」

「胸部装甲、一部陥没」

 咄嗟に水龍姫を逸らし、かつ、水壁を展開したことで、致命的な損傷は受けなかった。

 だが、代わりにバランスが崩れることになり、ジャックはその状況こそ狙っていた。

 空中を錐揉みしながら、何とか体勢を立て直そうとするが、それよりも早く、イフリートが大剣を振り上げて待ち構えていた。

「お前たち、この霊装が空を飛べないなどと思っていなかったか?」

「ですよねぇ」

 渾身の力を込めて振り下ろされる大剣、それよりも一瞬早くバランスを整え、太刀で受け止める。だが、完全とはいかなかった受けの姿勢と力の差によって、水龍姫が容易く地上目掛けて叩き落されるという結果に終わった。

「左腕切断、使用不能。筋繊維、各部損傷、膂力低下」

「こなくそ」

 大剣の切っ先を下に向け、重力の儘に落下してくるイフリート。

地面に叩きつけられると、即座に飛び退った水龍姫は、その攻撃をギリギリのところで回避した。莫大な質量が地面に減り込み、大地が隆起し、クレーターが生まれた。あのままそこにいたらと思うと透器はゾッとした。しかし、恐れている場合ではない。

 透器は勝利をチップにした賭けにでる。

「水花、霊力解放。いくぞ」

「準備オーケーです」

 水龍姫は大きく翼を広げる、そこには蒼い光。そして一回大きく羽ばたいた。

 そこから生み出されたのは疾風ではなく、雨。無数の水弾が翼より放たれた。

「なんだ、そのチンケな攻撃は。我を舐めているのかッ!」

 その一つ一つにはイフリートに甚大な損傷を与えるような霊力が込められていない。

 だが、間違いなくそれはジャックの油断であった。

「ヌッ! これは」

 その雨がイフリートの装甲に降り注ぎ、そして異変が起きた。それが打った部分が凍り付いていくのだ。絶対零度の空気を浴びたように即座に凍りついていく装甲。

「水花の属性は水、なら俺の属性はなんだ? 氷だよッ!」

 魂には属性がある。故に霊力もまたしかり。水花は水、ジャックは炎、そして、透器は氷。透器は水花と契約する事によって水を得た。そして、己の霊力を解放されたことによって氷の属性も得たのである。それは、契約を交わしている水花とも分かち合える。

 つまり、水龍姫は二つの属性を支配しているのだ。

「トーキ、時間がありません」

「分ってるよッ!」

 とはいえ、炎と氷は相対関係にある。純粋な力のせめぎ合いになるので部が悪い。加えて熟練が足りていない。突破されるのは時間の問題だろう。ならばそれよりも早く断ち斬るのみ。

 全身が凍り付いて動きの取れないイフリート目掛けて水龍姫は飛翔する。早く、ただ、早く。

 伊達に防御を捨てた訳ではない。その速力はまさに疾風。刹那にして敵へと届く。

「これで止めだぁぁぁぁぁぁッ!」

「ふざけるなぁぁあぁぁぁぁッ!」

 両断せんと太刀を振り下ろす水龍姫、させまいと氷を砕き大剣を振るうイフリート。

 両者の得物がぶつかり合う。互いに霊力を込め、その鍔迫り合いを制さんとする。

「テメェがふざけんァァァァァァァッ!」

 漲る勝利への渇望、透器はあらん限りの意志で勝利を欲した。帰るのだ、あの日々へ。取り戻すのだ、つい先日まであった日常を。守るのだ、家族を、彼女を。

 その願いは水花とて同じであった。故に力が生まれた。霊力とは意志なのだから。

「ヌッ! ヌヌヌヌヌヌヌッ!」

 鍔迫り合う二つの刃。水龍姫の太刀が次第にイフリートの大剣に食い込み始めたのだ。

 それは鋼の悲鳴を響かせながら前へ前へと進んでいく。

 そして、終には叩き斬った。

「クソがッ!」

 だが、その代償は黄泉切(よみぎり)自身。両断した勢いのままに、敵に届いたその刃は既にひび割れ、装甲を断ちはしたが霊装本体へのダメージはなく、鍔を残して砕け散った。

 故に、絶体絶命。イフリートは斬り落とされた大剣を捨て去ると、その空いた右腕で、水龍姫の装甲を拳打。同時にに爆発が轟いた。

「胸部装甲、粉砕。防御に甚大な影響」

 咄嗟に張った水壁すらも突破され、多大なダメージを受け、後方に吹き飛ばされる。

 だが、それでは終わらなかった。イフリートが左手を開くとその掌から、拳大の炎弾が連射される。流星が地上に降り注ぐような音を響かせ、水龍姫に殺到。

 いまだ立て直せない水龍姫にできることは、ただ耐えるのみ。

「右足融解、使用不能。頭部破損、影響なし。装甲各所融解」

 しかし、その盾すら貫き数発の炎弾が命中し、美しき水龍姫の装甲を蹂躙していった。

 そして再び、二体の巨人は向かい合って沈黙した。

「ふむ。よくやったではないか? 諦めたらどうだ? 霊装が破壊されても死にはしない、ただ、外に逃がされるだけだ。しかし、霊力は底をつく。つまり死んだも同然だ。……ならば、こうしよう。異神よ、今お前が身を差し出せばお前の連れ合いは命の保証をしよう」

「それは……」

 水花は考えた。霊力は間も無く底を尽き、策も無い。奇跡は起きたが届かなかった。ならば、自分の命を差し出して、透器を助けた方が最善ではないだろうかと。

この魔導使は神を憎んではいても、一貫して透器には降伏するように説得していた。ならば、安全は保証されるのではないだろうか? 水花は己に問い掛けた。

「おい、水花ッ! お前、その方が最善だなんて思ってないだろうな?」

 透器に心を読まれ、動揺した。彼女は透器が決して諦めない事を理解しているからだ。

「ったくよ。いいかッ! お前が死んだら、俺は一生それを引きずるんだぞ、何か暗くなって、一生彼女ができず、一人寂しく老死する。そんな人生を送らせたくないだろッ?」

 透器の思わぬ説得に、目を丸くする水花。彼は自分の人生を人質にして、水花を奮起させようというのだ。水花にしてみれば彼の人生まで面倒見切れないというのが本音である。

「生きれば、良い事だってありますよ? それに記憶なんて風化するものです。それは人の強さなんですから」

「いいや。俺は忘れないね。何時まで経っても引き摺ってやる。男ってのは女々しいんだ。ジジィだってそうだった。家にある神棚で奉ってある神様の名はなぁ、天之水流神(あまのみながれのかみ)って名前なんだからなッ!」

 透器はその事をつい最近になって思い出した。嘗て一度だけ祖父に聞いた神様の名前。それは彼女のものだった。

「いいか、俺は勝つ。絶対だ。神様が祈ってる人間を信じないで誰が救ってくれるんだよ?

 もう一度言うぞ、俺は、俺たちは、あいつを倒して、家に帰る。そうだろ? 俺の願いを叶えろよ、神様ならよぉぉぉぉッ!」

 何の根拠も無い叫び。最早人と大して変わらない力しか無い神への祈り。まったく無茶苦茶である。だが、どうして彼の祈りを無下に出来ようか。何故、彼を信じられまいか。

 故に彼女はこう告げる。

「願い、聞き届けたり」

 水花の中にあった、迷いがフッと消えた。それが足に繋がれた鎖であったのならば、今の彼女なら何処へでもいける。

透器もまた、今までとは違うソレを感じていた。湧き上がる力。込み上げてくる全能感。

互いをただ信じ、同じ希望を胸にした二人。高まる衝動。

心を共にした今の二人なら、無限の果てにだって辿り着けるだろう。

「ふむ、残念だ。なら、二人まとめて燃え尽きるがいい。」

「いいや。今の俺たちは三全世界の全ての神様だって倒せるぜ」

「……何ぃ……」

 ジャックは見た。水龍姫より立ち昇る凄まじき霊気、いや神気。それは彼が屠ってきたどんな神よりも強く優しい。まるで大地を癒す雨のように。

「あんたも霊術使なら知ってるよな? 霊力の根源とは意志だって。そして、それは通じ合うことでより強大になる。今の俺たちなら分かる。ここには二人、いや三人分の意志がある。なら、あんたを越えられない道理はないよなぁ?」

 更に力を増していく水龍姫。歴戦の戦士たるジャック・トーレスはこの瞬間、確実に恐怖していた。地に堕ちた神を、毛も生えないほどの素人を。

「奢るな、若造ぅぅぅぅぅぅッ!」

 イフリートが両腕を突き出すとそこから塔のような多重魔導陣が展開。

彼とて、誇りはある。それもまた強き意志。ならばそれが力に変わらぬ道理はない。

 今まで最も強大なる一撃が今放たれん。

「其は黄昏にて轟きし炎 大地を焼きて再生させし紅 “終幕の紅蓮”」

 陣の先端より撃ち出されし熱線は、大地を瞬時に融解させながら突き進み、その紅線が通った後には、炎しか残さない。

「その熱は私たちには届きません」

 対する水龍姫は折れた黄泉切(よみぎり)の切っ先をイフリートに向ける。そこより放たれたのは一筋の水刃。神気を極限まで圧縮した、絶断の糸。

 その二色は両者の意志を表すようにただ突き進み、そして衝突する。

 瞬間、衝撃と水蒸気が一瞬にして燃えし都を駆け抜ける。

そして、霧が晴れた時、それがぶつかり合った場所を中心に巨大なクレーターが生まれていた。二つの力がいかに強大であったかの証明である。

「クッ、互角とはな。やるではないか異神とその従者」

「誰が互角だって?」

 ジャックは目を見開いた。あれ程の力を放って猶、水龍姫から放たれた神気は膨らみ続けているのだ。

「なあ、ジャック。知ってるか? 俺は雨男なんだぜ」

 その強大なるうねりが一気に解放され、凄まじき圧力は結界自体を打ち壊し、二体の巨人を現実世界へと引き戻す。

 そして、降り注いだのは、雨だった。まるでスコールのような土砂降り。

 どれ程の霊術が放たれたのかと思い身を堅くしたが、あまりにも肩透かしなので、ジャックはむしろ感覚を研ぎ澄ました。

 だが、それは無意味な行動でもあった。なぜならば、既に術中だったからだ。

「まさか、これはッ!」

 それは先ほども味わった同種の術。霊装に降り注ぐ絶対零度の雨。その雨は霊装だけを融けない氷へと封じ込める。雨脚はスコール。その冷気は霊子の動きすらも止める。故に、霊装はまったく身動きがとれず、ただ氷の柱に閉じ込められるのみ。

「なあ、ジャック。あんたに勝ったときに言おうと思ってたんだよ。あんたの瞳、死んでるぜ。人生を楽しんでるか? 心ってのは揺れ動くが故に尊いんだぜ」

その問いかけは、人生に諦観したこの男にとってなによりも辛辣な痛みをもたらした。

「人生を楽しんでるかだとッ!? ふざけるな、貴様に我の何が分るッ? 神を憎み、世界を憎み、どうして人生が楽しめるものかッ!」

 既に霊装は氷の柱に飲み込まれピクリともしない。だが、それだけだ。イフリートの出力を上げれば出られるだろう。例の雨も止んでいる。そう、ただ足掻くのみ。

「なら、言うぜ。耳をかっぽじって良く聞きやがれ。今、テメェが戦ってるのは、一人の男を雨男にしてヒデェ目にあわせたヘッポコ神様だ。だけど」

 だが、水龍姫の術はそれが完成ではない。翼を大きく広げ、ボロボロの体を張り、折れた太刀をイフリートに向ける。その切っ先に残りの霊力がつぎ込まれ、そして放たれた。

 水龍姫、現最高威力を誇る霊術“水氷の九頭龍”

 名の如く、生み出された九つの水龍は、凍りの柱に閉じ込められたイフリートに次々と殺到、一匹の龍がぶつかると激しい飛沫が散らばり瞬時にして氷結、巨大な氷の華となった。そして、それは龍が飛び込んでくる度に肥大化していく。

「だけどな、一応は神様だ。手を差し出せよ。そしたら、彼女が、俺たちがあんたを助けてやる! だから、もう一度、手を伸ばせっ!」

そして最後の一匹が氷の華と変わった時、それはイフリートごと砕け散り、幻想的な雪花となって地上に舞い落ちる。

その日の深夜二時過ぎ、それから五分ほどの間、鉾島では真夏だというのに気温が0度を観測し、雪が降り、翌日から数日間この怪現象で持ちきりになったのはまた、別のお話。


ジャック・トーレスは神を恨んでいた。それには理由が勿論ある。

彼の曽祖父は魔術師であり、ある日、神を殺した。その神が人を食い殺す悪神だったからだ。

それは人からすれば善行だった。しかし、殺された神にしてみればそうではなかった。

故に、死ぬ間際、悪神は曽祖父に呪いをかけた。「おぞましく死ね」と。

呪いは現実のモノとなった。曽祖父は、助けた村人に悪魔として殺された。祖父は気の狂った若者に嬲り殺された。父は悪霊に取り付かれた母に殺された。ジャックと同じ魔術師だった弟は同僚の魔術使に逆恨みの末、魔術によって殺された。まだ、十歳だった妹は、変態に手によって見るも無残な殺され方をした。

ジャックがまだ生きているのは力があり、運が良かったからだ。

ジャックは一族を呪った神を、そして全ての神を呪った。そして、善行の報酬にこの様な地獄を用意した運命、世界を呪った。

だが、あの血気盛んな若者と美しき異神は、絶対的な力量差を跳ね返し、奇跡を起こし、ジャックに勝利した。

 ジャックはあの少年の言葉をしかと聞いた。あの異神に願い、信じろと。

 人生に何一つの希望を見出さなかった男は、目の前に生み出された希望をその瞳で見詰め、思った。

「一度くらいは神を信じるのも悪くはないか」と


 ジャックが目を覚ました時、一番初めに感じたのは冷えた空気だった。

「目が覚めたか?」

 声がした方向に視線を巡らすと、直前まで戦っていた相手が揃い踏みしていた。

 彼は霊力が底を尽き極限までダラしい体を何とか起こした。

「ふむ、見事に我の負けだな。我はあれからどの位、気を失っていた?」

「そうですね。三分ぐらいですね」

「しかし、割りと普通だな? こっちは自害でもするかと思ってヒヤヒヤしてたのによ」

 その心配にジャックは鼻を鳴らした。彼とて自分の命が惜しくないわけではない。

「お前たちは我を狂信者か何かと思っているかもしれんが、そうではないぞ。我とてただの人間だ。多少頭は堅いがな」

 ニヒルな笑みを浮かべたジャックに、三人は困惑する。今まで抱いてきたイメージと余りにかけ離れているからだ。彼は立ち上がるとスーツの汚れを払った。

「……敗北で頭がおかしくなったか、ジャック・トーレス?」

「フッ。そうかもしれんな。今までの人生で一番晴れやかな気持ちだ。何せ我の悩みをそちらの美しき女神とその従者が解決してくれるらしいから」

 彼の穏やかな言葉に名指しされた二人は驚嘆し、そして笑い返した。

「モチロンです。私も神様である以上、信じられたら、お力をお貸しましょう」

「ああ、白風探偵事務所天関支部は困った人間を見捨てはしないさ」

 そして、透器は手を差し出した。ジャックもその手を握り応えた。

「さて、我の問題の前に首狩りだな。奴をどうにかせねば――」

 その異変に一番早く気がついたのはジャックだった。

彼はソレ(・・)が狙っていた水花を弾き飛ばした。迫り来る黒衣。払われる刃。彼が最後に見たのは死神そのものの姿だった。

 しかし、彼に後悔はなかった。彼は誰を助けたのだ。最後に。

(こんな幕引きも悪くない。生きろ。お前たち) 

そして、代わりに転がったのはジャック・トーレスの首だった。

「ジャックゥゥゥゥゥッ!」

 折角全てが丸く収まろうとしていたのに、彼らが助けると誓ったジャック・トーレスは、逆に水花を守ってその生命を終えた。

 その殺戮者は首狩り。黒衣のローブ、フードを深く被り、大鎌を携えたその姿はまさに死神。

「……てめぇ、よくもジャックを……。分かり合えたんだぞ……。あと少し……、あと少しで何もかもが上手くいってたのに……」

「……今のはあの男が勝手に死んだのだ。己の命を無駄にするとは理解できないな」

「てめぇ……」

 その声は前と同じ若い男性のもの。間違いなく、前回遭遇した者だろう。

 その首狩りのぞんざいな物言いに、透器は激昂して摘みかかろうとする。

 水花はそれを止めた。そして彼女が差し出したのは黄泉切(よみぎり)

「トーキ、奴と戦うのであればこの刀を使ってください。あと、ララも協力してくれますね?」

「モチロンだ」

 ララも十字架を長剣に変えて構える。両者の間で緊張が高まる。

「その前にだ。首狩り、てめぇの顔を見せろ。俺はお前の正体を知ってんだぜ」

「トーキッ! 駄目ですッ!」

 水花は悲鳴の叫びでトーキの行動を諌める。

 しかし、首狩りは何を想ったのか。そのフードを脱いだ。

「やっぱりかよ……。陽芽……」

 澄んだ黒髪を肩越しに切り揃え、ぼんやりとした黒い瞳、感情の薄い表情、その全てが目に焼きついている。それは妹のような少女、柊陽芽だった。

 透器は、予感があった。水花があれ程に隠したがったその正体、ならば選択肢はそう多くはない。そしてそれは、案の定だった……。

(信じたくはなかった。だが、真実を受け入れるしかねぇ)

「……お前は、陽芽なのか……?」

 もしそうだとしたら、自分はどうすればいいのかと透器は自問した。

「正確には違う。陽芽の人格は今は眠りについている。私は死神だ」

「馬鹿なッ! 精霊が人を直接襲うというのかッ?」

 陽芽自身の鈴のように涼やかな声と首狩りの青年の声がダブッて聞こえる。

 その首狩りの答えに反応したのはララだった。自然精霊が人間に取り付き、直接的に人命を奪うという事例は騎士団(ナイツ)の資料でも目にしたことがなかったからだ。

「白風透器、貴様に頼みがあるから、この様に姿を曝したのだ。その異神を私に差し出すのだ」

「……なんで水花を欲しがるんだよ? 理由を聞かせろ」

「陽芽は私の力、呪いによって死の運命にある。多くの命を蓄えてそれを打破しようとしたが、それでは時間が足りない。そこでだ、その異神の魂を用いる事にしたのだ」

「……………陽芽が死ぬ……だと……」

 それは透器が予想していたよりも遥に重い真実だった。先程までは感じていた全能感が完全に消え失せてしまう程に、透器は自分の無力感に苛まれていた。

 どんなに頭を捻ったところで、誰を犠牲にせずに解決する方法が見出せないからだ。

「お前の力でと言ったな? ならどうにかできねぇのか?」

 どういう訳かこの死神は陽芽を助けたいようである。ならば協力し合えるのでないかと考えた透器は、その原因を解消できないか問うてみた。

「それが出来れば私は人の命を奪う必要なぞなかったのだがな」

 透器もその答えを予想していた。態々自分でどうにかできる問題で他人を犠牲にしたりはしないだろう。透器がこの問いで得た事は、この死神は陽芽の為に不本意ながら生贄を捧げているという意志を確認できた点だろう。

 ふと透器は思い至った。水花はずっと首狩りの正体を隠してきた。ならば、陽芽が死神によって呪われている事も知っており、そして、それを解決する術も持ち合わせているのではないかと。

「水花、解決する方法を知っているのか?」

「ええ、もちろんです。ですから、あの死神を黄泉切(よみぎり)で斬って下さい」

 透器は推測した。死神とはおそらく霊的な存在だろう。呪いの大元である奴を黄泉切(よみぎり)で斬れば、呪いも解消できるのでないかと。

「おい、あんた。あんたの命で陽芽を助けられるらしいぜ?」

「……成程。不許可だ。私を消滅させたところで意味は無い」

 透器は失望した。所詮、この死神は他人を犠牲にしても、自分の命を陽芽の為に投げ出す事は出来ないのかと。透器には彼の言葉が命乞いに聞こえたのだ。

「……なら力づくだ」

 透器は黄泉切(よみぎり)を鞘から抜くと構えを取った。それにララと水花も習う。

それを受けて首狩りも大鎌を構えた。奴から噴出す殺気。流石に死神だけあってか、その濃度が濃い。

三人も、その気配に飲まれまいと神経を研ぎ澄ます。

透器は覚悟を決めた。相手は陽芽。ひょっとすれば傷つけるかもしれない。だが、それを恐れていては先には進めないのだ。

(わりぃな陽芽。絶対助けるから、多少の痛みは我慢してくれ)

 透器は心の中で謝った。

「ジャックの敵とらせてもらうぜ」

 機先を制したのは二人。透器とララは同時に駆け出し、首狩りへと得物を振るう。

 しかし、それは空振り。二人の斬撃が届く前に、首狩りは地を蹴り、高飛びの要領でそれを回避したのだ。そして、空中で身体が上下逆さまのまま、大鎌を横薙ぎに一閃。二人は得物でそれを防いだが、大鎌に絡めとられ、その勢いのままに吹き飛ばされた。

 二人は構えを崩すことなくその衝撃を耐え切った。だが、二人の硬直が解けるよりも早く着地した首狩りは二人目掛けて突っ込んできた。

「させませんよ」

首狩りの追撃を防いだのは水花。首狩りは突如横から飛んできた水柱に飲まれて押し流された。ならば、今度は透器たちの攻勢。

二人は地面を転がっている首狩りに向かって走り出し、間合いに捉えると、得物振るった。直前に立ち上がった首狩りは、怒涛の時間差攻撃を柄を使って悉く防ぐ。

「自然精霊のクセに近接戦闘が出来るとはヤルではないかッ!」

「当然だ。私にも守りたいものがあるのでなッ!」

 次々に振るわれる刃の間隙を縫い、首狩りはその猛攻から飛び退る。そして、大鎌を腰溜めに構えると、霊力を乗せて大きく払った。それによって生み出された呪われし禍霊の風。

『クッ!』

 漆黒に塗り潰された陣風が吹き荒び、二人の視界を奪った。それだけではない、霊力で防御しているはずが、身体から力が抜けていく感覚に襲われる。

「身体がだるい……なんだこりゃ?」

「おそらく、この風が我々から霊力を奪っているのだ」

 激しい虚脱感。それでも二人は耐え抜いた。しかし、その風が晴れた時には、二人の眼前から首狩りの姿が消えていた。それも当然だろう。その術は二人を足止めさせるもの過ぎないのだから。

「あんにゃろッ!」

 透器が視線を巡らせた先、そこでは、水花と首狩りが死闘を繰り広げていた。

 首狩りが振るう大鎌の煌き、それを水花は紙一重でよけていく。

 まるで踊っているかのように流れる刃、美しくも恐ろしいその舞によって、水花の身体に紅い線が刻まれていく。

「何で水花は水壁で受け止めねぇッ!」

「当然だ。あの大鎌は霊力を断ち切る。つまり実体装備が無ければ受け止められん」

 二人は少し離れた場所で死の舞踏を続けている水花たちを目指して駆け出した。

しかし、身体が思う様に動かない。先程の黒風の後遺症が続いているのだ。

「これは治らないのか?」

「気を強く持て。それしかない」

 内から水を溢れ出させるイメージ。それは透器がつかんだ霊力の搾り出し方だ。それで幾分か身体が楽になった。

「でもよ、何で水花は神化しないんだ? あの状態なら空も飛べるだろう」

 あと少しで辿り着く。その距離が透器に考察させる余裕を生んだ。

「分らん。霊力自体を出し惜しみしているように見える。……いくぞッ!」

 ララは急停止すると。袖から一切れの紙を取り出した。それを空中に投げると、祈りの言葉を捧げた。

「大いなる我らが神よ、我が祈りに応え、彼の者を“ラミエルの雷牢”に捕らえたまえ」

 さすれば、その紙片が刹那に燃え散と同時にそこより紫電が放たれた。それは、水花を蹴り飛ばし、止めを刺さんと走り出そうとしていた首狩りに直撃すると、彼に纏わりつき、一切の行動を封じた。

「そんな術があるなら初めに使えッ!」

「五秒だ」

 それの意味するところを知り、透器は全力で駆けた。五、四、三、二、一。透器の袈裟斬りが届く直前でその拘束ははずれ、柄で受け止められた。そして鍔迫り合いで膠着。

「なあ、何で殺そうとした陽芽をあんたは助けようとしてんだ?」

「貴様に話すような事ではないよ」

 首狩りは柄を振って透器を横に逸らすと彼の横腹を蹴り飛ばした。

「グッ!」と呻いた透器は、地面を転げまわってから立ち上がった。

 そして、透器が顔を上げた時、水花が首狩りに体当たりをかましていた。組み合って転がる二人。そして、水花が馬乗りになった時、彼女は首狩りに何かを囁いた。

 それが何かを透器は聞き取れなかったが、直後、水花は突き飛ばされた。砂煙を上げて地面をすべる水花。相当な衝撃だったのか起き上がろうとするが、咳き込んで立ち上がれないでいた。そんな彼女を守るように透器が立ち塞がった。

 僅かな距離をとって相対するは首狩り。

「白風透器。決着を着けよう。一対一だ」

「望むところだ。いいな、二人とも」

 ララはその申し出に静かに頷き。水花は地面に座り込んだまま顔を上げなかった。

 透器はその水花の仕草に違和感を覚えたが、目の前の敵に集中することにした。

「行くぞ首狩り」

「来たれ少年」

 そして透器は刀を下段に構え駆け出した。

この一刀こそが陽芽を救う。この一刀こそが日常への帰還。この一刀こそが未来。

そう信じて。

そして、両雄の激突は一瞬だった。

首狩りは袈裟懸けに大鎌を構えると、大鎌の自重に任せて振り抜いた。その速力はこれまでのどの一撃よりも速く、鋭い。それはまさに断頭台のギロチン。

しかし、それよりも速く透器は飛び込んでいた。

故に、一息で斬られたのは首狩りで、斬り抜いたのは透器だった。

「約束は守れよ」

 薄れ行く意識の中で、首切りは、地面に手を着き涙を流している少女に願いを呟いた。

 顔を上げた彼女の唇が言葉を紡いだの確認すると首狩りの意識は暗転した。

「……勝った……」

 地に伏した首狩りを見て確信した透器は、死神の去った陽芽に走り寄った。

「陽芽、目を覚ませッ! おまえはもう大丈……夫……だ……」

 透器は陽芽を抱き起こし、その違和感に気付いた。そして、脈をはかり、更に息の有無、閉じた眼を開いて瞳孔を確認した。そこから導き出された答えに透器は呆然とした。

「おい……なんだよコレ……死んでる……じゃねぇか……」

 その言葉を聞いたララもまた、走り寄って来て、陽芽の状態を確認した。

「どういう事なんだこれは……」

「死神を黄泉切(よみぎり)で斬れば、死神の神の部分、つまり意識が消え去り、死だけが残ったんですよ」

 陽芽に起こった現象を淡々と説明したのは水花だった。透器は彼女の表情を理解できなかった。水花は陽芽の死を目の当りにしても悲しむどころか、穏やかな笑みすら浮かべている。

「……お前は悲しくないのか?」

「トーキ、質問です、大事な事なので真剣に答えてください」

 自身の質問は無視されはしたが、水花の真剣な表情に頷くしかなった。

「では訊ねます。彼女を助けたいですか?」

 その質問に二人は瞠目した。陽芽を生き返させることが出来ると言った様なものだ。

「無理だミィ。幾らキミでも、この世界の法則に背くことはできない。離れた魂を追うことなどできないのだ」

「ララ。まだですよ。陽芽ちゃんの魂は肉体を離れはしていますが消滅したわけではありません。それに、身体と魂の縁がまだ見えます」

「何だとッ!」

 ララは考えた。確かに人間の身では離れた魂の在り処までは分らない。だが、神族たる水花にはそれが分るのだろうかと。魂が消滅していないのであれば術はあるはずだと結論付けた。

「できるのか、ミィ?」

「こう見えても神様ですから。ただし協力がいります」

 そして、水花は透器を真っ直ぐに見据えた。それが意味する処を透器には理解できた。

「神様は信じられることによって力を得る、だろ?」

「正解です。だから強く、ただ強く祈って下さい。ヒメちゃんを助けたいと」

 そう言うと水花は手を差し出し、強く微笑んだ。透器もまた、その手を取って微笑み返した。

「みんなで帰ろうぜ」

 この時透器は気がつかなかった。水花は笑みを深めただけで、決して頷かなかった事に。

「トーキ、では始めます。強く祈って下さい」

 透器は彼女を信じて祈った。思い描くのは陽芽の姿。最初の記憶は透器が幼稚園の頃、よく苛められていた彼女を妹と二人で助けた時のもの。泣きながら陽芽が、「ありあとう」と笑った時に凄くうれしかった事を覚えている。その時に幼子ながら誓った事を忘れていない。必ず、この子を守ると幼心に誓ったのだ。

 透器の人生は陽芽との記憶が多い。思い返してみれば、色々有るものだとしみじみと思った。

(たしか、スズネに振られてふさぎ込んだ時も、家族が死んで呆けてた時も、必ず横にはあいつがいたな)

 透器は想った。もう一度、陽芽に会えるのであれば彼女をもっと大切にしようと。

 もう一度、彼女の声が聞きたい。もう一度、彼女の笑った顔が見たい。もう一度、彼女の料理が食べたい。もう一度、頭を撫で回したい。もう一度、笑い合いたい。もう一度、話がしたい。もう一度、会いたい。そう。

「もう一度、会いたい」

「トーキの願い確かに聞き届けました」

 目を閉じていた透器は、暖かな水花の声を聞いた時、光を見た気がした。

そして、目を開いた。そこには、ゆっくりと胸を上下させる陽芽の姿。彼女は、今確かに息をしている。透器は堪らなく嬉しくなって眠っている彼女を抱きしめた。

「水花、ありがとう。お前は本当にすげぇ神様だよ」

 そして今しがたまで手を握っていた水花を仰ぎ見た。透器は、彼女を見て言葉を失った。

「トーキ、そんな泣き出しそうな顔をしないで下さい」

 透器は言葉にできず、ただ、馬鹿みたいに口を開けることしか出来なかった。

「ミィ……キミって奴は……」

「ルールを破った訳ではないですけど、奇跡には代償は要りますよね?」

 水花の姿はまるで幽霊のように透け、身体からはキラキラと輝く何かが立ち昇っていた。

「何だよそれ……」

「一度離れた魂と身体を繋ぎ合わせるのに私の霊力を根こそぎ持って行かれ。更に陽芽ちゃんの死の呪いを私に移しました。結果がこうです。まあ、所詮は余所者ですので、死体は残りません」

 水花は自分を死体と称した。つまり、今の彼女はもうそういった存在になったという事である。だが透器はその現象を受け入れられなかった。

「ふざけんじゃねぇ! 陽芽を助けてもお前が居なくなったら意味ねぇじゃねぇかッ!」

 あくまで気軽な水花に、透器は血を吐くように叫んだ。我知らず彼の眼から涙が落ちる。

「そうですよねぇ。でも、これが最高なんですよ? 最善じゃなくて最高です」

「こんなの最高なわけないだろ……、皆で帰るんだろ? それにお前、俺の寿命半分も持っていきやがって。それがこんな結末で許されるわけ無いだろ?」

 何でもいい。どんな事でもいい。彼女がここに留まらないといけないと想えるような理由を考えた。しかし、それではどうする事もできないと理解はしている。それでも。

「それは悪いと思っています。代りに陽芽ちゃんの命が助かったから許してください。それに、私はやっぱり初めからマレビトだったんですよ。だから、トーキは自分の日常に戻って下さい」

「ふざけんなッ! ジャックとの戦いで言っただろ? お前はもう家族だって、失いたくないんだってッ!」

 悲痛なる叫び。そこに込められている痛みに気付いていない訳ではない。それでも彼女は笑みを絶やすことはなかった。

「トーキ。もうお終いです。だから、最後に私の頼みを聞いて下さい。笑って下さい」

 最早、透器は言うべき言葉を失っていた。だから、その一人の男を雨男にしかできなかった、ちっぽけな神様の願いを叶えることにした。それは、引き攣った泣き笑い。

「いい笑顔です。トーキ。悲しみだけに捕らわれないで下さい。心とは、時に優しく、時に激しく、時に声高に、時に黙し、歌うが故に美しいのですから」

 言い終えると水花は、昏き夜でも旅人照らす美しい月光のように優しく穏やかな微笑を残して、その存在を終えた。

 彼女が最後に残したのは祖父がよく言っていた言葉だった。それは本来、彼女のものだったのかもしれない。

――カラン。堅いものが落ちた音がして、透器は目を凝らす。そこには磨き上げられた宝石のように美しい紅の珠が落ちていた。

「これは龍珠だな」

「……龍珠? なんだ……それ?」

「龍珠とは高位の龍が死んだ時に魂をそこに残すというものだ」

「つまりあいつ自身ってわけか」

 透器はそれを拾うと、愛しき人をそうするように強く抱きしめた。

「さあ、帰ろう」

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