ツンデレ?雪村冷子
朝のホームルーム、俺は担任の田中を睨み続けていた。
いくらドジやボケを治すとは言っても、喋るなってのは無いだろう。
母親が納得しようとも、それは先生の言う事ではない。
その子の良いところを認め、個性を尊重し、教育するのが先生のはずだ。
そう思って先生を見ていたわけだけれど、先生は俺の視線を気にする事もなく、すぐにホームルームを終了していた。
昨日、悪い先生ではないと思わせた事を考えても、もしかしたら田中は、ただ者ではないのかもしれない。
俺は恐怖に打ち震えながら、出ていく田中を見送った。
すると直後、一番廊下側の一番後ろの席に座る、少し面倒くさそうな女子が、俺に話しかけてきた。
「あの、隣に座る神田くん、ちょっと話があるんだけど。あ、一応言っておくけど、別にあなたと話がしたいから、話しかけてるんじゃないんだからね」
‥‥えっと‥‥ツンデレの委員長でも目指しているのだろうか。
だとしたら、この女はまだまだだな。
ぶっちゃけ、全く萌えない。
「ああ、何?俺も別に話したいとは思わないけど」
俺は嘘がつけないから、正直に対応する。
「あら、私のツンデレに萌えないなんて、あなた人間じゃないわね」
おいおい、もしお前の言う事が正しかったら、世の中の九割以上は、人間じゃない事になると思うぞ。
「お前のどの辺りに萌えればいいか、説明を希望するよ」
ツンデレなんてそもそも認めてはいないが、最悪ツンデレを萌えとして認めたとしても、こいつのはありえない。
「私の事をお前と呼ぶなんて、やけに馴れなれしいわね。私には、雪村冷子って名前があるのよ。ちゃんと冷子って呼んでくれるかしら」
なんだこの女、ツッコミどころ満載だな。
どこにでもいるバッタモンのツンデレかと思いきや、属性はボケ属性だったか。
「じゃあ、お前のどの辺に萌えればいいか、説明を頼む」
「そうね。あえて言えば、この足かしら」
こいつ、なかなかやる。
性格的なところに萌え要素があるような事を言っておきながら、肉体的なところをアピールしてくるとは。
しかも足って、かなりマニアックだぞ。
普通の人なら、足というよりは、太ももとか、絶対領域を指定してくるはずだ。
しかしこいつが指差しているのは、膝小僧。
少しすりむいていて、バンソウコウが張ってある。
張っているバンソウコウも、百円ショップで買ってきたような、なんの飾り気もない普通のものだ。
くっ、確かに、少し萌えを感じてしまった。
そして極めつけは、結局俺が「お前」という言葉を使っているにも関わらず、何事も無かったようにスルーするボケ、こいつは本物と言わざるを得ない。
「わ、分かった。確かにお前は萌え要素を持っていると言えるだろう。話を聞こうではないか」
「分かってもらえればいいのよ。と言うか、最初からちゃんと聞きなさいよね」
またスルーした。
もしかして天然だろうか。
「一応言っておくけど、天然ものより、養殖ものの方が、冷子は好きなのよ」
ほう、この女、遠まわしに冷子と呼ぶようにアピールすると同時に、わざと「お前」、と言っている俺の事を、好きだと言いやがった。
ふっ、面白い女だ。
「ふぇ~シャーペンちゃん待って~うわっ!私の席だけジェットコースターだぁ~」
俺の後ろで、さっきからペンが落ちたり、椅子が倒れたり、愛美がドジをかましている気配がするが、今はこの冷子とかいう女との対決中だ。
愛美よ、悪いがもう少し堪えていてくれ。
「俺は天然ものも、養殖ものも、味に違いなんてわからないよ。ただ言える事は、お前の事は嫌いじゃない」
俺がそう言ってニヤリと笑うと、教室におっさんが入ってきた。
「どうやら、話は次の休み時間に持ち越しのようね」
冷子の言う事を理解すると、教室に入ってきたおっさんは先生のようだ。
要するに、一時間目の授業が始まる。
俺は一言「そのようだな」と言って体勢を前に向け、授業を受ける態勢をとった。
すると視界の隅に、オロオロしている愛美の姿が目に入ってきた。
愛美の方を向くと、なんだか色々と凄い事になっていた。
「どうしたんだ愛美!?」
俺は愛美を助ける為に、すぐに一緒に散らかっている物を拾った。
まったく、少し目を放すとこれだ。
でも、なんだか安心している自分に、俺は苦笑いした。
同じタイミングで、後ろでは冷子が冷笑しているようだった。
まさか、これは冷子の狙いだったのか?
だが此処で振り返って何か言ったら、俺の負けな気がする。
俺は愛美を慰めながら、次の休み時間の勝利を誓うのだった。
高校生最初の授業は、先生の自己紹介から始まった。
俺は成績は良かったけれど、授業を受けるのが決して好きなわけではない。
得意教科も、得意ではあるが、勉強なんて正直まっぴらゴメンだ。
だから、最初の授業にあるこういった自己紹介や、これからの事について話す、規定の授業以外の時間は、なるべく長く続いて欲しいといつも思う。
中学時代の話だけれど、中には一時間全てを使って、授業と違う話をする先生もいた。
俺はそれを期待しながら、なんとなく先生の話を聞いていた。
「我が校の理念は、時代の風潮に流されない、確固たる紳士淑女を育てる事である」
意味がわからんな。
紳士淑女なんてものは、時代の流れや文化によって、変わるものではないのだろうか。
なんとなくだが、古き良き日本人像を目指しているように感じる。
男は男らしく、女は女らしく。
ある意味、時代に逆行しようしている学校なのかもしれない。
ただ、分からなくはない。
人とのつながりが希薄化していると言われる今、大人たちはそれを、取り戻したいのではないのだろうか。
まっ、俺は一緒にいたい人が、傍にいてくれればそれでいいけどな。
俺は愛美を見た。
愛美は俺の顔を見て、美味しそうな食べ物を見るような笑顔をしていた。
俺は少しだけ、恐怖を感じた。
その後出席をとって、二十分ほどの授業が始まった。
俺も愛美も、授業は真面目に受ける。
だけど今日の授業は、聞いていても、テストに必要の無い話ばかりだった。
日本語の乱れが嘆かわしいとか、ぶっちゃけ先生の愚痴だった。
日本人なら正しい日本語を、なんて言っていたが、パソコンのキーボードは、全部アルファベットだ。
だいたい日本語は効率が悪いし、覚える文字が多すぎるんだよ。
先生もさ、愚痴ばっかり言っていないで、日本語の良いところだけではなく、悪いところも認めて、より良い進化を推進する活動でもすればいいのに。
と言う俺も、実は日本語は大好きだけどな。
この複雑さの中に、ひらがなだけを覚えればなんとかなる効率の良さもある。
ただ、頭ごなしに素晴らしいとか言われると、なんとなく反抗したくなるんだよね。
そんな事を考えてしまう、実りの無い授業はつつがなく終了した。
一限目の授業の後は、今日最初の休憩時間である。
俺は愛美を膝の上に座らせ、冷子と向かい合っていた。
「どうして九頭竜さんが、膝の上に座っているの?」
もっともな疑問だが、そんななんのひねりもない質問には、俺もストレートにこたえる。
「愛美を野放しにしておくと、俺が萌え死ぬからな。まあ悪の組織の頭が、高そうな猫を膝の上に乗せて、なでているようなものだと思って、気にしないでくれ」
俺は心の中で、うまいこと言ったとほくそ笑んでいたが、決して表情には出さなかった。
「まあいいわ。話の続きをしましょう」
冷子は意味も無く、ほくそ笑んでいた。
相変わらず、わけのわからない女だ。
「と言っても、まだなんの話もしていないと思うのだが。聞きたい事があるならさっさと聞くがよかろう」
俺は雰囲気を出す為に、普段使わないキャラを演じてみた。
当然、愛美の頭をなでながらだ。
そんな俺を見て、流石に冷子も平常心ではいられなかったようだ。
目が点になっていた。
そんな冷子を見て、「惚れられたかな?」と俺は思った。
我に返った冷子は、ようやく本題を話し始める。
「九頭竜さんにも関係ある話だから、一緒に話せるならそれでいいわ。と言うか、むしろ九頭竜さんと話がしたかったのよ」
いや、本題はまだのようだ。
つか、だったら、最初から愛美に話しかけろよ。
俺はいい加減面倒くさくなってきていたが、大阪人の会話は、本題を話すまでに、その十倍はどうでもいい話をすると言う。
彼らに言わせれば、それがコミュニケーションなんだそうだ。
もしそれが真実ならば、俺はコミュニケーションなんて取りたくない。
なんて思う反面、実は結構楽しんでいる部分もある。
怖いけれど、ジェットコースターに乗りたくなるようなものだ。
俺は今しばらく、冷子との会話を楽しむ事にした。
「そうだろうと思っていたさ。某組織から、そんな情報が回ってきていたからな」
俺は愛美の手を取り、ワイングラスを揺らす仕草をして、雰囲気を出し続けた。
それにどんな意味があるのか、よく考えれば俺にも分からないのだが、なんとなくこれは、必要な行為だと思えた。
さて、冷子は愛美の目をじっと見ていた。
これほどまっすぐに、愛美の目を見る他人を見るのも、かなり久しぶりだ。
中学生の頃は、みんな愛美から目を反らしていたからな。
いずれこの女も、そのうちそうなるのだろうか。
希望的観測も入っているが、冷子の顔を見ていると、そうはならないような気がした。
そんな冷子が、最初に愛美に発した言葉は、何処かで聞いた事のある質問だった。
「九頭竜さん、あなたはどうして、この萌芽高校に来たの?」
昨日、有沢にされた質問と同じか。
俺は振り返って有沢を見た。
すると有沢は、俺のすぐ後ろに立っていた。
ふむ、そろそろ俺も、真剣に話を聞く必要があるのかもしれない。
俺がそう思って冷子の方に向き直ると、愛美が質問にこたえていた。
「特に、理由は‥‥ないよ。私が合格できそうな公立高校が‥‥ここだっただけ‥‥」
愛美は少し挙動不審に動いて、座っている俺の膝から落ちそうになった。
しかし当然の事ながら、俺が支えているから、特にどんくさいところを披露する事はなかった。
「それは俺も昨日聞いたよ。冷子」
有沢は俺の後ろから、当然のように話に入ってきた。
どうやら、二人は友達のようだ。
「あらそう。ではこの学校の事は話したのかしら?」
「いや、少し様子をみようかと思ってな。話してはいない」
二人の会話は、なんだか色々気になる。
二人はどういう関係なのかとか、どこまでいっているのかとか。
って、そうじゃない。
この学校に何かあるのか?
そしてそれに、愛美が関わっているのか?
俺は少し心配になってきた。
「様子を見るまでもなく、九頭竜さんはきっと大丈夫よ。どう見てもバカだもの」
「いやしかし、彼氏がいるってのは、ギリギリセーフな可能性もあるだろう?」
「それはないわ。彼氏もバカだもの。だから大丈夫。問題ないわ」
「確かに言われてみれば彼氏もバカだな。よし、全てを話そうではないか」
有沢は喋りながら俺の前方に移動し、最後は手を広げて、笑顔で俺を見ていた。
そんな笑顔で見られても、散々バカと言われた屈辱は消えないのだが。
そう思って、俺は少しジト目で有沢を見ていた。
すると愛美が、マシンガントークで反論を始めた。
「久弥くんの事、バカとか言ってほしくないの。だって久弥くんは、何処の高校でも合格できるだけの学力があったのに、私の為に受験高校のレベルを下げてくれたんだよ。きっと最初の定期テストでバカじゃないって分かると思うけど、本当にバカじゃないんだよ。もしもバカに見えるとしたら、きっと‥‥私のせいだ‥‥」
愛美は、今にも泣きだしそうな顔をしていた。
それを見ると、有沢たちにバカにされた屈辱など、どこかに吹き飛んでいた。
だから俺は言った。
「愛美、俺はさ、愛美さえ分かってくれていれば、誰にバカと言われようとも気にしないよ。それにさ、バカって言う奴がバカだって言うじゃないか」
俺はそう言って、愛美の目からひとしずく流れ出る涙を、人差し指ですくい取るようにして拭きとった。
すると愛美は少し照れたように言った。
「久弥くんのバカ‥‥」
愛美と俺の間に、ラブラブフィールドが展開されていた。
つか、愛美にもバカと言われているわけだが、もしかして俺って、本当はバカなのだろうか。
気がつくと、休憩時間の終了を告げるチャイムが鳴っていた。
有沢は既に目の前にはおらず、冷子も俺たちを無視して、次の授業の準備をしていた。
まったく、いつになったら話が進むのか。
俺は愛美を元の席に座らせ、やれやれといった感じで、二限目の授業に挑むのだった。