迷惑投票
いよいよ、真嶋先輩から教わった事を、実戦する日がやって来た。
今考えると、本当にこれで大丈夫なのかと思えてくる。
何故か真嶋先輩と話していると、一瞬気分が盛り上がるんだよな。
後、別れ際に言った言葉も気になる。
「これで、全てのクラスメイトは萌える事だろう。しかし完全に、九頭竜くんを批判する者がいなくなるわけではない。どうしても解消できない感情、嫉妬はどうにもならないからな。どれだけ綺麗な芸能人でも、アンチファンがいるのはその為だ」
言っている意味は分かるが、愛美をうらやましいとか、愛美に劣っているなんて思う奴がいるのだろうか。
まあ確かに顔だけなら、愛美は誰にも負けないと、俺の贔屓目には映るわけだが。
とにかく、今日まで俺たちは、できる限りの特訓をしてきた。
特訓は、かなり困難を極めた。
ドジっ子が、自らドジをして、演技をしなければならないからだ。
日曜日は、朝から晩まで、愛美の部屋で練習した。
愛美の両親に白い目で見られていたが、コレも愛美の幸せの為だ。
そしていよいよ、その時がきた。
学級会の冒頭で、俺たちの特訓の成果が試される
ロングホームルームの時間になり、田中が教室に入ってくる。
そして出欠を取り始めた。
愛美の名前が呼ばれた時、俺たちの作戦は決行だ。
「神田!」と俺の名前が呼ばれ、俺は「はい!」と返事をする。
いよいよ次だ。
「九頭竜!」
「はーい!って、あわわわわ~」
愛美は手を挙げて返事をし、立ちあがった勢いでよろけた。
よろけたのは、言うまでもなく演技である。
そして当然、此処までの言葉も、萌えを意識したものだ。
これは真嶋先輩に教わったものでは無いが、俺はそれだけでは不安だったので、他にも色々アレンジを加えていた。
愛美はよろけて机を掴み、そのまま机ごと、コケる手はずになっている。
実は愛美は、ドジは多いが、自分自身に直接被害が出る事はほとんど無い。
要するに、怪我をしたりする事は少ない。
だけど今日は演技なので、そのあたり俺は心配していた。
しかしどうやら、うまい具合にコケたようだ。
そして被害は全て、俺に来るように計算していた。
俺は愛美からの、あらゆる攻撃を受けとめた。
「はう~」
愛美のその言葉を受けて、俺は立ちあがり、感情的に愛美に言葉をぶつけた。
「愛美!迂闊な事をするなといつも言っているだろうが!」
「ふぁい?」
ヤベッ、少しこの表情と台詞は萌えるぜ。
俺は、気持ちが顔に出そうになるのを我慢して、次の台詞を言う。
「お前はアホの子かよ!」
「ぷっくぅ~そんな事ないもん!」
愛美はそう言って、ほっぺを膨らませる。
だからマズイって。
俺が萌えてどうするんだよ。
とは言え可愛すぎる。
俺はなんとか自分を抑えて、死に物狂いで最後の台詞を言った。
「今日のおやつは抜きだからな!」
すると愛美は、少しだけすねて俯き、真嶋先輩から教わった言葉を言った。
「しょぼーん‥‥」
‥‥た‥‥確かに‥‥コレは、クルものがあるな‥‥
俺は少し顔を赤くして、席に着いた。
チラッと愛美を見ると、絶妙な表情で、倒れた机を元に戻していた。
うん、バッチリだ。
クラスメイトの多くも、完全に愛美に絆された表情をしていた。
これで萌えない奴がいたなら、それはきっと人間じゃない。
俺は萌える気持ちを抑えて、これから始まる判決の時を静かに待った。
愛美の授業妨害も収束し、出欠も取り終えて、いよいよ今日のメインイベント、愛美の事を、迷惑だと思うのかどうかの投票が行われる事になった。
今更ながらに思うのだが、こんな投票をするのって、ある意味ただのイジメじゃないか?
でも逆に、真っ当な高校生なら、迷惑だとか言えない気がするし、俺たちにとってはいいのかもしれない。
いや違うな、更に逆に考えれば、それを言う事が親切だと思う可能性もある。
どっちにしても、投票を今更止める事はできない。
俺は覚悟を決めて、教壇に立って議長を務める山田の顔を見た。
「えっと、今日は、特定の人が頻繁に起こす、授業妨害について話しあうんだな」
つか、山田が議長か。
なら、投票の前に、こちらに有利になるように、話を進めてもらう事もできるんじゃないかな?
俺は期待の視線を山田に送った。
しかし山田は俺の愛を受け入れず、ツンと視線をそらせた。
なんだ?山田にふられたみたいで、俺すっごく駄目な奴みたいなんですが。
「では、学級会を始めるんだな。今日はまず、授業妨害につてなんだな。ある生徒のドジのおかげで、再三にわたって授業が中断してるんだな。それに対して、不満を持っている人がどれだけいるのか、まずは現状を把握したいんだな。正直迷惑に思っている人は、手を挙げてほしいんだな」
いきなりかよ。
こんなやり方じゃ、手を挙げる奴がいて当然だろうが。
何を考えている山田!
もしかして、また先生に取りこまれたんじゃないだろうな。
俺の予想通り、クラスの約半数が、遠慮がちに手を挙げた。
「やっぱりいるんだな。では、この事については解決なんだな。迷惑に思う人がいる場合、本人は先生の言う事を聞いて、改善に全力を尽くすと約束してるんだな」
おい、どういう事だ。
現在どういう状況なのかとか、一切の説明もさせてくれないのかよ。
「異議あり!」
俺は此処で、諦めるわけにはいかなかった。
これには、俺の萌える将来がかかっているのだから。
「約束を破るつもりなんだな?」
山田は、やはり完全に先生側って事か。
いいだろう、勝負してやんよ。
「約束?考えてくれと言われたから了解はしたが、考えても、こんなやり方は受け入れられなくてな。まずは俺の話を聞いてもらってからだ」
「でも、こんなにも迷惑に思っている人がいるんだな」
「ふっ、山田よ、なら山田、お前の存在が迷惑だと言われたら、お前は死ぬのか!?」
山田は一瞬たじろいたが、そんなはずはないと思ったのか、息を吹き返したように、俺に宣言してきた。
「存在が迷惑とか、あり得ないんだな。そんな事になったら、僕は死ぬんだな」
「そうか、なら皆に問う。山田の存在が迷惑な人!?」
俺がそう言うと、クラスのほぼ全員が、一斉に勢いよく我先に手を挙げた。
俺はニヤリと笑って、山田を見た。
山田は愕然とした顔で肩を落とすと、「そんな‥‥」と言って、更に膝を落とした。
「山田!いや、美沙太郎!俺はな、人に迷惑に思われても、美沙太郎は美沙太郎らしく生きる権利があると思うんだ。安心しろ、俺はお前が迷惑だが、決して嫌いじゃないぞ。もう一度、共に手を取り合って、明日に向かって生きようじゃないか」
俺がそう言いながら山田の前に歩いて行くと、山田は祈るように手を合わせて、神を見るような目で俺を仰ぎ見た。
「神田くん、ゴメン。僕が間違っていたんだな。もう迷わないんだな」
「うんうん」
俺はそう言いながら、山田の肩を叩いた。
はい、一丁上がり~
さて、山田はまあ楽勝だが、問題は、手を挙げた生徒たちだ。
なんとかして、こいつらの気持ちを変えなくては。
「では、今回の事を説明させていただきます」
俺は此処までの経緯を、入学式の日の電話のところから、全て順を追って話していった。
喋らないように言われた事。
それが愛美の精神に重くのしかかっている事。
だから別の方法で、ドジを減らす努力をしている事。
そして今日の、迷惑投票の意味を。
これらを全て話す事で、多くの同情も得られるだろうし、先生のやり方に疑問を持つ者もいるだろう。
これでほとんどが、こちらの味方をしてくれるに違いない。
「どうだろう、まだ全ては話していないが、これでもまだ、愛美は先生のやり方を受け入れなければならないと思うか?そう思う人は、何故そう思うのか、意見を聞かせてほしい」
迷惑投票で全てを決める趣旨からはずれているが、これはもう迷惑投票ではない。
愛美がどうするべきか、決定する為の議論なのだ。
思った通り、此処で手を挙げて、意見する者はいなかった。
マルかバツかと聞かれれば、それに対しては答えやすいが、意見を言えと言われて、それにこたえるには、感情だけでは駄目だからな。
どうやら勝ったな、と俺は思った。
しかし、戦いはまだ終わっていなかった。
敵の大将、田中が立ちあがった。
つか、ずっと教室の隅に立って、やり取りを見ていたんだけどね。
「先生にも、一つ言わせてくれ。先生は、何も九頭竜をイジメたいわけじゃないんだ。喋らないように言ったのも、それでうまくドジが治って、今幸せに暮らしている生徒もいる。そう、ドジはちゃんと治るものだし、今つらくても、将来は幸せになれるんだよ。現在九頭竜がやっている方法も、別に否定しているわけじゃない。でも、先生のやり方の方が、よりベストに近いんじゃないかと思うんだけど、みんなはどう思うんだ?」
実績を言われると、こちらとしてはなかなか厳しい。
それに今度は逆に、こちら側が感情だけの反論しかできない。
やりたくないから、やっていないだけだからな。
「どうだ?先生のやり方の方がいいと思う者はいるか?」
田中がそう言うと、何人かの女子生徒が手を挙げた。
田中はニヤリと笑って、俺に視線を向けた。
くっ、また二択に戻して、挙手しやすくされてしまったか。
そして、そう主張させるだけの理由と建前も、しっかりと与えられている。
たとえ此処で理由を聞いても、先生の発言をそのままなぞるだけで、全て済んでしまう。
ドジという病気を治す方法があって、今だけ我慢すれば治ると言われているのだから、愛美の為に治した方がいいと主張もできるからな。
だが、それを本人は望んでいないし、俺も望んでいない。
だいたいドジは病気ではなく、萌え要素なのだから。
それにしても、「喋らないように」って言われて、それがたとえドジを治す為だとしても、それを許容できる奴がいる事に驚きだ。
それに、本来授業が中断されるのは、学生にとっては実はありがたいはずだ。
学校の授業なんて、ただ退屈なものの方が多いから。
進学を目指している奴らはみんな、塾に通ったりして、それぞれ勉強している。
学校の授業は、形だけのものになってきているんだ。
それなのに、それを妨害される事が迷惑だと言うのには、建前がほとんどだろう。
ならば同情をかえば、そんな建前はすぐに取り下げてもらえる。
現に田中が言うまでは、みんな俺に意見できなかった。
そう、ぶっちゃけみんなは、この事に対して、どうでもいいと思っているはずなんだ。
俺もきっと、関係者でなければ、どうでもいいからな。
なら、彼女たちに手を挙げさせたのは、何が原因だ?
俺は、真嶋先輩の言葉を思い出した。
嫉妬‥‥か‥‥
可愛い愛美に嫌がらせしたいって事か。
ならば‥‥
「確かに、愛美が先生の言う事を聞いたら、すぐにパーフェクトな女になるだろうな。愛美がドジしなくなったら、元々可愛いし、性格はいいし、実はかなり賢いし、全ての男が放っておかなくなるのか。ああ、俺は俺だけの愛美でいてほしいのに、学園のアイドルになっちゃうかもなぁ~。俺は勉強嫌いだから、偶に中断して気分転換もいいと思っていたけれど、みんなしっかり勉強したいみたいだし、仕方がないのかなぁ~」
俺がそう言うと、手を挙げていた女子たちが、少し辺りを見回していた。
そしてそんな女子たちに、他の生徒たちが注目する。
手を挙げていた女子たちは、目当ての男子の反応を見たり、他の生徒から向けられる非難の目にオロオロし始めた。
やはり、クラスメイトの多くは、本心では愛美の事を、迷惑に思っていなかったのだ。
居心地が悪くなってきたのか、手を挙げていた女子たちは、ゆっくりと、挙げていた手を下ろし始めた。
そして間もなく、手を挙げる者は、いなくなった。
どうやら田中も、もう手がないようで、一つ溜息をついてから、窓の外を眺めていた。
俺たちは、なんとか勝利していた。