なぐさめてあげてもいいですか…?
「ぅー……」
「どうしたの?」
「もうダメかも……」
「杏が弱気っ!?」
「だって…さ…」
人もまばらになった放課後の教室。修学旅行のしおりを作る早希を手伝おうと裕子と杏も教室に残り早希を囲んでいた。
しかし、作業を始めてまもなく杏の手が止まり、そのまま机に突っ伏すと、杏にしては珍しく弱音を吐いたのだった。そして、早希と裕子が何があったのかと尋ねると、杏は虚ろな表情のまま、早希と裕子に事の一部始終を話し始めた。
「昨日さ、ほら、私と林と大村って近所だし、昔から仲良くてさ、
特に私と大村は今もよく二人でバスケとかするわけ。
で、昨日も二人でバスケしてて…そしたら丁度、林が通ってさ…
なんか、いつもなら普通に話しかけてくるのに、
昨日は何も言わなくて、そのまま行っちゃおうとして、
私が気付いて声掛けたら、なんか目も合わせてくれなかったし、
何でもないって言って、すぐ話し切り上げて行っちゃおうとして、
なんか、気まずいって言うか…変な空気になっちゃってさ…。
今朝会っても、おはようも言ってくれなかったし…。
なんか、急に自信無くなってきた…」
「気にすることないって。
ちょっと機嫌悪かったとかじゃないの?」
「そうかもしれないけど…。
そうならそうで気になるじゃん…。
私、あいつに何かしたのかな…」
机の傷を指で何度もなぞりながら杏は深く溜め息をついた。
早希も裕子も、何か励ましの言葉を探したものの、実際には何も言葉になっては来ず、三人はただただ無言のまま、しばらく作業を続けていた。
「あれ? …ああ、丁度良かった。
ねえ、りんたろう来なかった?」
「知らないよ」
林を探して教室へ戻ってきた水野のなんとタイミングの合ってしまったことだろうか…。
杏は水野のほうも向かず、不躾な態度でそう返した。
早希はそんな杏の態度に一瞬動きの止まってしまった水野をすかさずフォローし、廊下へと連れ出した。
「もう…水野君タイミング良すぎ…」
「良かったの…? むしろすっごく悪かったような気がするんだけど…」
「うん、ごめんね。ちょっと杏ちゃんの相談に乗ってたとこだったから…」
「うん、なんか俺こそごめん…」
「ごめん…水野」
早希と水野の背中を、そう言い残して杏は通り過ぎた。
二人とも声を掛けることも後を追うことも出来ず、どちらからともなく互いに背を向け、早希は教室へ、水野は林を探しに、それぞれ戻っていった。
――階段で鉢合わせる杏と林。
いつもなら、どちらからともなく声を掛け合うはずが、林の「おう」という言葉に対して、杏は右手を軽く挙げただけで、一方的に林とすれ違った。
「どした?」
林もこれには違和感を感じたのだろう。
階段を下りていく杏をすぐに呼び止め、そう尋ねた。
「別に…」
「別にって…」
「ごめん、何でもないよ」
「何でもなくないだろ」
苛立ちを隠そうとしない真っ直ぐな目。
その視線に捕らえられた林はそのまま棒立ちになってしまった。
「その言葉、そのまま返すよ。
あんたも私に同じこと言ったんだから…」
「えっ…」
「そう言えば、水野が探してたよ、早く行ってあげな」
「あ…あぁ…」
視線を逸らし林を解放すると、杏は階下に消えていった…。
――ガラガラッ
「教室に居たんだ」
「ああ、林、丁度良いわ。話があるの」
「俺も」
杏と別れた後、林は早希と裕子を探していた。
そして、教室で二人の姿を見つけると、先ほどまで杏が座っていた椅子に座り、裕子よりも先に話を切り出した。
「杏の奴、何かあったの?」
「ハァ…。やっぱり自覚無し?」
「何? 自覚って」
「あんたが杏に素っ気無い態度取るからでしょ?」
「俺のせいなの?」
「昨日、杏と大村に会ったでしょ」
「ああ…会ったけど…」
「その時のことで、心当たりは無いの?」
「心当たりって言うか…」
煮え切らない林の態度に、今度は裕子までもが苛立ちを感じ始め、その様子を黙ってみていた早希は、裕子の怒りの爆発を心配していた。
「まさかとは思うけど、気付いてないとは言わせないよ?」
「何のことだよ」
「杏の気持ちに決まってんでしょ」
「じゃあ…」と言って林は立ち上がった。
「じゃあ…お前らにはどう見える…?」
「何が…」
「杏と大村、やっぱりお似合いだとは思わない?
球技大会の後くらいから噂も立ってるし、
気も合うみたいだし、俺よりずっと良いだろ…」
「そんな噂なんか関係ないでしょ!?」
ついに林は裕子の逆鱗に触れてしまった。
「あんたがそんなだから杏が悩むんじゃん!
つか、噂とかどうでもいいし、自分の気持ちはどうなんだよ!」
その声は教室を抜け、廊下にまで響き渡った。
早希は必死で裕子をなだめたが、裕子は止まらなかった。
裕子に触発されて林までもが感情的になりつつある。
両者の間に割って入ろうとする早希だったが、早希の力ではもうどうにも収拾がつかなくなってしまっていた。
「杏の気持ちを知ってて、何でそんなことが言えるわけ?
何で好きとか嫌いとかはっきり言えないわけ?」
「俺は…」
「もういいよ、裕子…」
「あっ…・・杏…」
三人が同時に振り返ると、教室のドアに力無さげに寄りかかる杏の姿があった。
いつからそこにいたのか。三人とも全く気が付いていなかった。
「ごめん…つい…」
「私、別にそんなのが聞きたいわけじゃないから…」
ゆっくりと三人のもとへ歩いてきた杏は、一瞬だけ林の横に並び、しかしそちらには全く目もくれずに、早希と裕子に「帰ろ」と言った。
「いいの…?」
「なんとなく分かったから…」
早希と裕子もそれ以上は何も言わず、林に目をくれることも無く、教室を出て行った。
三人が去った後の教室。
残された林は、一歩も動くことも無く椅子に座ったまま天を仰いで途方に暮れていた。
「りんたろう」
「ん…? 水野か…」
「帰りにラーメンでも食ってかない?」
「……行くわ」
水野に促され、林はゆっくりと席を立った。